2026年5月9日11時15分、挿絵2(ジェナ・シエル・ニノン)と挿絵3(アイネの裏メビウス∞)を追加し、ダルシーの自称を修正しました。
ジャンク回収母船『ダーウィン』の船倉待機室でドアが開いた瞬間、ニノン・ルクレール伍長はぴくりと眉を歪めた。
密かに『ダーウィン』に同乗する地球連邦軍クシナダ任務部隊は、女性MSパイロット4人の交代制で常時の即応態勢を維持している。そして今はMW『ジム・ディガー』の出撃後整備をブッホ・ジャンク社の前方作業母船『ティグリス』で受けているアイネ・クライネ伍長とマリエル・エイムズ軍曹、さらにロナ騎士団との『作戦調整』のため同行した指揮官カリナ・ブラウン軍曹の3人が不在だ。
『ティグリス』の対空警戒の傘の下に入っているから即応待機の必要性は下がっているが、それでもMSの監視も兼ねて、残りの2人だけで船倉待機室に1人は待機するシフトを回さなければならなくなっていた。
当直のニノンに目もくれないまま、非直のはずのシエル・カディス伍長は離れた机の椅子に小さな身体を固定する。そのまま窓の向こう、真空の船倉内で膝を折りながら駐機する、各2機の『ジムⅡ』と『ハイザック』を見やった。
「…………」
「…………」
挨拶無し。会話無し。
かつてMSパイロット候補生課程で同期だった2人は、課程修了以来の再会をP-04で果たして以来、同じ『ダーウィン』へ乗り組んでからもほとんど会話していなかった。
今までニノンからシエルに何か用件がある場合は、基本的にアイネかマリエル、場合によってはダーウィン海運社かアレント廃品回収社の人間経由で伝言を頼んできた。
しかし正式な任務として即応待機に就いている以上、さすがにこの場を離れることも出来ない。逃げ場はなかった。
――本当に、何しに来たんだこいつ。
視界にさえも入れようとしない風を装いながらも、ニノンはピリピリと相手の気配を探る。そうするうち、やがてシエルが軽薄そうに口を開いた。
「最近どうよ。生きてて楽しい?」
「は、……? こんな辛気くさいとこに放り込まれといて、楽しいわけないでしょ」
「そう? ま、私は嬉しいけどね。それなりに使えそうだった奴が一人、こっちの前線に回ってきてくれたってのはさ。新サイド5みたいなヌルい宙域でくすぶってるより、あんたにはこっちの派手な前線の方が似合うと思うよ」
「…………」
黙して答えず、ニノンは最大限の力で表情を抑える。忌まわしい過去の記憶が首をもたげてきた。
訓練生課程終盤の模擬戦課題。同期の男たちを焚きつけて集めた彼女の派閥は、シエルとアイネの二人を相手に壊滅し、一派は完全に面目を失った。
今にしてみれば、あれが自分の軍人人生のケチの付き初めだったように思えてならない。
あれさえなければ――こんな奴らとさえ出会っていなければ自分は今も、ドが付く田舎のコロニーですらないちんけなプラント群などではなく、都市文明薫るまともなコロニーに寝起きしながら、キラキラ映(ば)える新サイド5での勤務を続けていられたはずなのだ。
「何にせよここにいる以上、私たちのゲームはシンプルだ。『亡霊』とやらを殺す。ジオンの残党どもが出てきたら、そいつらも殺す。ジオンの残党を騙る海賊どもも、とにかく殺せるだけ全部、ひたすら殺す――否応無く、そうやっていくしかないんだよ。他に行き場もない不自由な身分同士、仲良くやろうよ」
「……給料分以上の仕事は、やらない主義なんだよね」
シエル・カディス――やっぱりこいつは完全にイカレてる。
訓練生時代からその小柄さに似合わず、狂犬じみた奴だった。だが新サイド4の『現地派』部隊に配属されて、ますます手に負えなくなったらしい。
特にこの前は『大ジオン仏道』とかいう、札付きのヤバいジオン残党軍と交戦。『ジムⅡ』の頭部を破壊されながらも下がることなく戦闘をしぶとく継続、『ゲルググ』1機を撃墜したという。おかげでついたあだ名が『首無し(ヘッドレス)シエル』だ。
さらに恐ろしいのは、『現地派』にはシエルのような手合いが決して珍しくないらしいということだった。
相当な手練のうえ、さらに理屈では説明しきれない種類のしぶとさを備え、そして何があってもジオン残党兵は絶対に殺すという、地獄のような殺意と戦意に突き動かされる悪鬼の軍団。その『現地派』を抑えるための『中央派』の一人として配属されてからまだ長くはないが、ニノンは常に距離を保ちながら『現地派』の異様さを観察してきた。
一方で同じように『現地派』部隊入りした同期でも、アイネの方はまだそこまで毒されきっていないようで、ニノンは安心した。しかしシエルは完全に『現地派』そのものに染まりきっている。いや――元からの色合いが、さらに迷いのない濃さを増しただけか。
叩き潰すことも出来ないのなら、せめて関わり合いにだけはなりたくなかった。自分のような旧ルウム難民の小娘には、連邦軍のMSパイロットになるぐらいしかまともに人生を切り開く道がなかったが、それでもせめてそこから先は、もっと安楽で平穏な人生を送りたかったのだ。
――いつまでも終わりなく続く戦後の戦争なんぞに巻き込まれ、すり潰されてたまるものか。このご時世にまだ望んで戦場へ飛び込んでいく馬鹿どもなどとは、自分は違うのだ。
自分は必ず、こんなところから脱出してやる。
だがシエルは、ニノンのそんな思いなど端から見透かしたように薄く笑う。
「そんなに嫌わなくたっていいでしょ。『魔の空域』からは逃げられない。あんたもここにいる以上、もう私らの同類なんだよ。ま……あんたが向こうで一体何やらかして、ここまで流されてきたかは知らんけどね」
「……そっちのMS、こないだ首を落とされたばかりじゃなかったの。仕事熱心が過ぎると寿命を縮めるよ」
「ご心配どうも。でもP-04では『ジム』の部品在庫が豊富らしくてね。新型の『ハイザック』じゃそうもいかないだろうから、気をつけな――あ。そうなったら、あんたも『ジム』に乗り換えてウチに来なよ」
「はあ!? 誰が今更、あんな旧式に――」
「ビビりすぎでしょ。その旧式相手にさぁ」
余裕たっぷりにあざ笑うシエルに、ニノンはその時だけ強い視線を返した。シエルはおどけるように肩をすくめてみせる。いちいち本当に腹が立つ。
頼む、もうこうなったら誰でもいい――アイネでも、あのひたすら不機嫌で面倒くさいカリナでもいいから、誰かとにかく早く帰ってこい。
何でもいいからこいつとの、このふざけた時間を終わらせてくれ。
「こんにちは~」
脳天気な挨拶の声とともに、待機室のドアが開いたのはそのときだった。
菫色の軟式ノーマルスーツを着用した、ボブカットの若い娘。ニノンと大して変わらない中背で、顔にはいかにも無害そうな微笑みを浮かべている。
そこそこ可愛い娘だな、とニノンは判断する。まあ、自分ほどではないが。しかし――
「?」
アレント廃品回収社は全員『ティグリス』に出払っており、整備を終えた『ボール』で帰投するまで戻らない。顔なじみになっているダーウィン海運社の乗員、イネス・シブリンかナオミ・シスラーの同僚が荷受け作業を終えて入ってきたのかとも思ったが、そういう雰囲気でもなさそうだった。
「――どちら、様……?」
小首を傾げながらニノンは問うた。だが、あのノーマルスーツの菫色には見覚えがある。
シエルが呟いた。
「ひょっとして、……あなたも『ロナ騎士団』の?」
「ええ、その通りです。キーラ・カトレイ騎士の『従士』、ジェナ・カーティスと申します。以降お見知り置きを」
ジェナと名乗った従士はにっこりと微笑みながら、まるで最初からこの船に乗り組んでいたかのような自然さで、待機室内の席を取った。相手の『間合い』を外す、そういう不思議な力を持っているかのようだった。
「ニノン・ルクレール伍長。よろしく」
「……シエル・カディス伍長」
気を取り直したニノンがジェナに応じて名乗ると、ぶっきらぼうにシエルも続いた。友好的な態度ではないが、ジェナは気にする様子もなく続けてきた。
「いやー、皆さんも大変ですねっ。海賊たちやルスラン哨戒部隊の目を盗みながら、いつ出てくるか出てこないのかも分からない『亡霊』なんてものを狩りに行くのは」
「いやぜんぜん別に。海賊だろうがルスランだろうが『亡霊』だろうが、出てくるジオン崩れは殺すだけだし。むしろ目の前にあいつらが間抜け面を晒してるのに、手出し無用と『待て』を掛けられ続けてる方がずっと辛いね」
「おお! それは頼もしいですねっ」
淡々と――喧嘩腰にも聞こえる調子でシエルが言うと、ジェナはいっそう大きく破顔する。ニノンはその噛み合わなさに頬を引き攣らせつつ、それでも会話を切り返した。
「カーティス……従士? はひょっとして、あの『ガトル』を左右に2機繋げた、SFS(サブフライトシステム)の――」
「そうです。騎士カトレイの『ギャン』をお載せする、『バイガトル』をお任せいただいています」
「なるほど」
SFSを操り、主人のMSを載せる従士。さながら中世の騎士が駆る軍馬の口取りか、それとも古代地中海世界で貴族の戦車を操る御者といったところか。
ジェナは実に愛想良く、それでいてさりげない所作のひとつひとつに品を感じさせてくる。貴人の側に仕える使用人とはこういうものなのだろうか。
自分ほどではないにせよ、それでもジェナもそれなりの美少女である。メイドドレスでも着せればさぞ似合うだろう。思春期手前の少女時代にコロニーごと世界を破壊され、そこから必死に生き延びてきただけの人間には決して届かない世界というものがあるのだな、とニノンは醒めた目で考える。
「皆さんのような連邦軍の錚々たる勇者諸官が挑まれるのでしたら――この『亡霊』狩り、勝算はかなり高そうですね」
「いやあ、……どうかな?」
呆れたようにニノンが呟く。この作戦はちょうどつい先刻、『貪食の蜂(ガトリング・ホーネット)』とかいう女海賊団とルスラン哨戒部隊に阻まれて、『亡霊』の影すら見ることないまま壊滅的な失敗に終わりかけたばかりなのだが。
「ところで、ご主人様は船橋でしょ……。従士さん、こんなとこで油なんか売ってていいの?」
「我が主、騎士カトレイからは時間まで自由にしてよい、と仰せつかっておりまして。どのような女勇者の方々が彼の悪名高き『亡霊』に挑まんとされているのか、この機会にぜひご尊顔を拝したく参った次第にございます」
「女勇者、ねえ……。多分今回一番やる気があってさっきも一番張り切ってた子は今ちょうど、あなたたちの船に出払ってるよ」
やる気なさそうに言いながら、ニノンはシエルを一瞥する。ジェナに対するシエルの態度は冷淡だったが、その理由はだいたい想像が付いた。
基本的にロナ騎士団は、ジオン残党と戦わない。だからこそ境界宙域などで皆から重宝される、一種の『中立勢力』として機能できている。
だが殲滅すべき不倶戴天の敵としてしかジオン残党を見ていないシエルのような『現地派』強硬勢力にとっては、玉虫色とも言えるロナ騎士団の立ち位置はむしろ軽蔑の対象でしかないのだろう。
ルスランによるロナ騎士団への尊重それ自体が、即ちロナ騎士団のルスランへの便宜の露骨な傍証でもあるのだから。
「ごゆっくりどうぞ」
ジェナの鷹揚さに気を削がれたのか、呆れたような呟きを残してシエルがひとり席を立つ。待機室のドアが閉まると、後にはニノンとジェナだけが残された。
――結局何しに来たんだ、あいつ。
いや、こいつもか。
『天敵』の撤退に少し気を緩めながら、微笑みを崩そうとしないロナ騎士団の女従士をニノンは見つめた。
「ルクレール伍長は、この任務には自分で志願されたんですか?」
「いや全然。単に命令されたから来ただけ」
「わあ、選抜されたんですね! やっぱり普段から、連邦軍で実力を高く評価されておられるんですね~」
「言い方~。ま、……こんなとこで評価されても、ね……」
「…………」
だらけた調子で姿勢を崩し、ニノンは鼻で笑う。大きな動作ではしゃいでみせていたジェナが目を細めながら、いっさい笑顔を崩すことなく、静かに近付いてきた。
「ルクレール伍長は、ひょっとして……『外の世界』にご興味がおありですか?」
「は……?」
訝るニノンに影を落としながら、ジェナはにっこりと微笑んだ。
「いいお話がありますよ」
「推進剤の補充も関節部の整備も、これで終わりか……」
ブッホ・ジャンク社による『ティグリス』MS格納庫での『ジム・ディガー』整備作業への参加を終え、開放したコクピットハッチの裏側に乗りながら、アイネは腰に両手を当てて胸を反らした。その視界の端に整備チェックリストを挟んだクリップボードを差し出されて、アイネはそちらに目を向ける。
「作業完了です。ご確認をお願いします――作業のご支援、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
中年男性の『ティグリス』整備班長は、パイロットスーツの前を止めていてもなお存在感を主張しすぎるアイネの胸元に視線を一瞬奪われた後、強引に戻してぎこちなく微笑んだ。アイネも笑みを返しながら、受け取ったチェックリストを進めていく。整備班長は誤魔化すように『ディガー』を仰いで呟いた。
「しかし、『陸戦型』の『ジム』ですか。まさか、こいつを宇宙で見ることになるとは」
「ご存じなんですか?」
目を丸くするアイネに、整備班長は再び相好を崩した。
「大戦中は私も連邦陸軍でしたからね。こいつの配備が始まった頃の現場の盛り上がり方は今でも覚えてますよ。これでやっと、ジオンの『ザク』と互角にやり合える! ってね。――『ジム』が来る前のオデッサでは、ずいぶん大勢やられましたから」
「そうでしたか……」
言いながら、アイネは先ほどの宇宙海賊との戦いを思い出す。
戦場において、MSは必ずしも絶対の強者ではない。人型を持たない旧来型の機動兵器に対して有利な点は多々あるものの、それでも絶対的優位にはほど遠い。
現に『貪食の蜂』の『シンガトル』は彼女の『ディガー』をすんでのところまで追いつめてきたし、逆に手強かった『ザクⅡ』へ痛打を浴びせてのけたのもアシュリー・スコット予備上等兵の『ボール』だった。決して油断してよい相手ではない。
だがそれも、MSに乗る側にとっての戒めではあっても、旧来型機動兵器でMSに挑む側の見方ではなかった。
「――やっぱり私が『ジム』で、あの子たちを守らなきゃ」
「クライネ伍長」
格納庫内に居並ぶ『ボール』を見渡しながら、ひとり呟くアイネに声が降ってきた。整備班長が一歩退がって姿勢を正す。
「騎士シーゲル」
騎士ヴィリ・シーゲルに、アイネは姿勢を正して敬礼した。彼と話すのは、P-04での作戦会議以来だろうか。
同時に整備班長の態度から、やはりロナ騎士団の騎士とはずいぶん偉い人たちなのだな、とアイネは思い知らされて気後れする。連邦軍で言うところの佐官ぐらいなのだろうか。カリナ・ベルトラン軍曹はよくこんな人を相手にぐいぐい突っ込んでいけたものだな、と変なところで感心した。
「ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。先ほどの宇宙海賊との戦い、窮地を切り抜けられた最大の功労者はあなただというのに」
「とんでもありません。すべてはこの『ディガー』の使用許可を即座に出していただいた、ダーウィン船長とベルトラン軍曹の裁量のおかげです」
やたら社会性の高い発言が口から勝手に出てきて、アイネは自分で驚いた。実際はアイネ必死の提案をカリナは渋って当初は許可せず、そこへ横入りしたクレア・ダーウィン船長が大喜びで横車を押してくれたから、なんとかギリギリで間に合っただけなのだが。
それでも結果オーライと追認してくれているだけでもありがたいことではあるし、何よりここで無為にカリナの機嫌を損ねるのも今後を考えれば避けておきたい。カリナが取り入ろうとしているヴィリへの印象を『ほどほどに』良くしておくのは、決して悪い手ではない――そんな思考を自分が一瞬で終えていたことに気付いて、はて、私は成長したのか、それとも『汚い大人』になったのだろうか、とアイネは迷った。
「いえ。あれだけ追いつめられた状況に乗ったこともないMW単機で挑んで、盤面すべてを覆してのけた果敢さ――決して誰にでも出来ることではありませんよ。あなたこそ、我々ロナ騎士団が掲げる『騎士道精神』の本物の体現者なのかもしれません」
「そ、そうでしょうか……」
ロナ騎士団で言うところの『騎士道』なるものがどういうものなのかはよく分からないが、さすがに持ち上げられすぎていると思えて、アイネは居心地悪そうに言葉を濁す。
だからなんとなく、気になっていたことを聞いてみた。
「そういえば、騎士様は――どうしてここでお務めされているのですか?」
「私ですか?」
「はい」
頷きながら、アイネはヴィリの瞳を見た。
今回のアレント廃品回収社の『ボール』の整備補給費は、ヴィリのポケットマネーから出てきたらしい。『ボール』は総じてMSより安価とはいえ、それでも個人が気軽に出せる金額などではないはずだ。ヴィリは相当な資産家でもあるのだろう。
さらにロナ騎士団の騎士ともなれば、地球連邦軍や政府の高官にも顔が利くという。資産も縁故も事欠くまい。それこそ新サイド5でも月でも地球でも、好きなところで好きなように暮らせる身分のはずだ。それがなぜ、こんなところで危険な仕事をしているのか。
「――私はこれで」
「ああ。ありがとう」
一瞬の沈黙が降りたタイミングで、整備班長がヴィリに一礼してその場を去った。その背中が遠ざかると、巨大な月とデブリ群を映し出すモニタの一つを見上げて、ヴィリは静かに話しはじめた。
「私と、キーラ――騎士カトレイはあの日、ここにいたのですよ」
「あの日?」
「U.C.0079、1月15日――ルウム戦役の日です」
淡々とヴィリは言った。
「二人とも家族と旅行の途中だったのですが、情勢の急変でルウムから出られなくなったのです。そこで公国軍の攻撃に巻き込まれて――私は目の前で姉を失いました」
「それは……」
「突然『ザク』のヒートホークが外壁を突き破って、私を呑み込むように落ちてきました。姉は咄嗟に私を突き飛ばして――そして自分は真っ赤な刃に押し潰されて、蝋燭のように一瞬で燃え尽きたのです」
「…………」
「幸いなことに、それ以上の攻撃はありませんでした。その『ザク』は連邦軍かルウムの警備隊か、攻撃してきた宇宙戦闘機に向かっていって、それきりでした。だから私は、今ここに生きているわけです」
言葉を失って立ちすくむアイネへ、ヴィリは穏やかに微笑んだ。
「――私が特別なわけではありませんよ。ここには私と同じような境遇の人が本当にたくさんいる。高貴な者の義務、などという言葉はあまり使いたくないのですが――恵まれた立場にある者として、あの日同じ苦難を受けた人々のために、自分が少しでも尽くせるようなことはないか――そんなことを考えていたら、いつの間にか、ここに立っていました。それだけです」
「…………」
言葉を切るように、ヴィリは敬礼した。アイネも咄嗟に答礼する。
「お会いできてよかった。『クシナダ作戦』の完遂に向けて、クライネ伍長の次なるご活躍を期待しています」
「――騎士殿も、ご武運を」
「それでは」
再び床を蹴ると、ヴィリは壁面を流れるリフトグリップへ向かっていった。息を呑んだまま、アイネは騎士の背中を見送る。
「自分が少しでも尽くせること、か……」
ひとり呟きながら、アイネは思う。それはまさに、自分の故郷でもある新サイド4の地での任務を志願した理由だった。
――同志、なのだろうか。
ヴィリのような地位も名声もある『騎士』が、自分と同じ思いに従って動いている。ヴィリが残した言葉が心へ染み入るにつれ、アイネは震えるような感情を抱かずにはいられなかった。
抱かずにはいられなかったから、アイネはその接近に気づけなかった。
「んむっ!?」
「『メビウス』……、背中からでも左右にはみ出て、はっきり『裏側』を見せつけてくる」
眠たげな少女の口上とともにノーマルスーツの小さな手が、同規格のスーツを着たアイネの巨大な乳房へ沈み込むように揉んできていて、アイネの思考は蒸発した。
「な、な、な――」
「『宇宙(そら)』と『地球(ほし)』とが織りなすメビウスの環(わ)を、否応なしに象るこの大きさ――」
大の男の手にすら余るアイネの爆乳へ小さな五指を深々と食い込ませながら、あまつさえその指先は、巨峰の頂を探るように掻いてくる。
「ひううっ!!」
パイロットスーツとスポーツブラジャーの布越しとはいえ、完全な奇襲から急所を攻められてアイネは仰け反るように喘いだ。背後少し下の耳元で少女がささやく。
「む……。この肉感、この突起、この反応。これは、間違いなく……『本物』」
「こ、このおっ!!」
「おっと」
アイネが投げ技の要領で振り払うのと、少女が軽やかに身を翻すのは同時だった。猫耳カチューシャを頭に着けた少女は、猫そのもののしなやかさでふわりと宙を舞って『ディガー』の胸部装甲へ張り付く。長い黒髪が宙を流れる奥から、茫洋とした瞳が戸惑うアイネをじっと見つめていた。
「あ、あなたは……『ダーウィン』船橋の?」
「やはり……『本物』は、『本物』を知る――」
同性間とはいえ、自分がやってのけた突然の破廉恥行為などおくびにも出さず、どこか気怠げな表情のまま、『ダーウィン』の猫耳カチューシャ航海士は先ほどまでの感触を確かめるように十指をわきわきと動かし、大きく身を伸ばしながら意味の分からない台詞を呟いてきた。
「アイネ・クライネ。間違いなく、『本物』……。私の『ディガー』を預けて、正解だった」
「え。『ディガー』、って……あれ、あなたの機体だったの??」
『ダーウィン』の船内に搭載されていた以上、『ディガー』にもダーウィン海運社の社員に本来のパイロットがいるのだろうと思ってはいたが。しかし人手不足の船だとは思っていたが、この猫耳カチューシャ航海士もMSパイロットなど兼ねていたのか。
「にゃー」
気怠げに一声鳴くと、猫耳カチューシャの少女は手招くように片手を上げて名乗った。
「『ダーウィンの猫』、ダルシー・ニート。改めてよろしく、『本物』さん――」
「え? ちょ、ちょっと――」
勝手にアイネの乳を揉み、勝手にアイネの何かを『本物』と一方的に認めると、猫耳カチューシャ航海士ことダルシーはその揉んだ両手を猫のようにゆるりと前に構える。
「にゃっ!」
そして再び長い黒髪を翻し、その場から一気に跳び去っていった。まさに肉食猛獣の躍動を思わせる、素晴らしい敏捷さだった。
「な、……何だったんだ、今の……」
思わず目の間を揉みながら、アイネは頭上のコクピット・ハッチの裏側を仰いだ。
今のやりとりは本当に、現実だったのだろうか。
周りを確認すると不思議なことに、無体に乳を揉まれるという今のやりとりは特に誰にも見られていなかったらしい。不幸中の幸いだ。男性が大半を占める『ティグリス』整備班も、アレント廃品回収社の面々も、気づいたような気配はない――
「あ」
隣に駐機する『ボール』の、頭頂部無反動砲の影に佇む少女と目が合った。
可憐な美少女が衝撃に目を見開き、頬を紅潮させ、きゅっと内股になったまま、アイネをじっと見つめていた。
「う、うん……こ、これは……」
完全に、見られていた。
アイネに視線を返されて気づかれたことを知ると、少女は言葉も出すことなく両手を腰の前に組み、前屈みになりながら慌てて跳び去っていった。
「あ、ああっ!? ちょ、ちょっと! ボナちゃんっ!! ちがうの! これは、ちがう――これは、違うのおっ!!」
その少女――アレント廃品回収社社長フィオ・アレントの妹、ボナ・アレントはアイネの叫びに構うことなく、すごい勢いで逃げていった。その背に縋るように手を伸ばしたまま、アイネはひとり完全に固まる。
「え、ええ……、ええええええ……」
とんでもないところを見られてしまった。
自分は何一つ落ち度のない一方的な被害者であって、諸悪の根源はダルシー・ニート一人であるのはずなのだが、ボナの清純可憐としか言いようのない反応を見てしまった今、アイネは重い罪悪感に駆られてしまっていた。
常に勝ち気で堂々とした姉のフィオの美貌に負けず劣らず、妹のボナも幼く内気で儚げな美少女である。
あんな可愛い娘に、とんでもないところを見せてしまった。
たぶん変な顔で、変な声まで出してしまった。聞かれたのだろうか。
「あああああ……後でまた顔会わせたとき、なんて言おう……」
頭を抱え、アイネは『ディガー』のコクピットハッチに崩折れる。
しかし、――
「ボナちゃん……なんであんな前屈みの姿勢で跳んでいったんだろう……?」
アイネがひとり零した疑問は誰にも拾われることなく、『ティグリス』格納庫の喧噪の中に消えていった。
ご感想・評価ありがとうございます。
続きを書く上で大変励みになっております。
ぜひお送りください。
※イラスト:b10b10アットzoho.com様