※この作品はR-18です。

泥濘に揺蕩えば   作:haldon

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後日談。

 

 

 

 すっかり寝入ってしまったネイチェを抱きかかえたまま、ジェーレンは自分たちを取り囲んでいた蔦の籠を解体した。

 彼女を誰にも渡すまい、という無意識が作り出した籠だったが、思いの外役に立ったと思う。おそらくネイチェは、あの乱れた姿を誰にも見られたくなかっただろうし、自分も見せたくなかったから。あれを見ていいのは自分だけだ。

「独占欲……いや、これが愛か」

 ネイチェに関することだと、判断がおかしくなる。自分でもらしくないとは思う。しかし、事実そのようになってしまうのだから、やはり自分は彼女を愛しているということなのだろう。

 手の中のネイチェは、まさしく泥となって眠っている。辛うじて人の形はしているが、服や指先などの細かい造作は適当だ。それに、ジェーレンが吐き出した蜜と混ざり合って、輪郭がふわふわしている。

 触ればいやらしい粘度を伴って、泥が指に絡みついた。彼女をこうしたのは自分だ、と思えば、頭の奥に奇妙な甘さを伴う痺れが走った。ああ、もっと、もっと、彼女に触れたい。彼女を支配したい。彼女の全てを、自分のものにしたい――ああ、欲深い自分め。ジェーレンは嘆息する。

 本能の赴くままに、かなり無茶もした。自分の中に、あれほどの欲が眠っていたとは思わなかった。魔物になったばかりの頃、衝動のままに暴れたことがあったけれど……まるであの時のように。さっきの自分はまさに獣だった。

 ネイチェはそのすべてを受け入れてくれたし、悦んでくれたことに疑いはない。けれど、それで彼女の身体に変調でも起きないかと心配になり、彼女を見つめる。

「ん……ジェー、レン」

 寝ぼけた彼女に名前を呼ばれて、心臓の鼓動が――実際には心臓はないのでおそらく錯覚だが――早くなった。名前など今まで何度も呼ばれてきたのに、特別に感じるのはなぜだろう。彼はあの甘い時間を思い出して、そっと彼女の額に口づけを――

「ちょっとはこっち見なさいよ!」

 しかけたところで、制止の声がかかった。

 

 

 

 

 振り向けばリュミエラがいて、腕を組んでこちらを見ていた。一体いつから居たのだろうか?

「何用だ」

「何用だ、じゃないわよ」

 彼女は目を細めると、ずかずかと無遠慮に近づいて、ネイチェの寝顔を覗き込んだ。

「あーあー、ずいぶん蕩けちゃって。早く寝かせてあげなさい」

 言われなくてもそうするつもりだった。ジェーレンはそっと寝床にネイチェを横たえる。腕から離す瞬間、名残惜しくて、つい彼女の顔に触れると、それを見たリュミエラが、ため息をついた。

「……まあ、理解はするけどさ。あんたちょっと配慮が足りないわよ」

「必要ない」

「私へ、じゃなくてネイチェへよ。いるでしょ、配慮」

 ジェーレンは少し考えた。配慮は必要ないと思ったのは本心だが、ネイチェへの配慮というのなら話は別だ。

「何が足りなかった?」

「あら素直。……じゃなくて」

 リュミエラは少し言いづらそうに顔をしかめた。それからジェーレンにいっそう近づいて、声を潜めて言う。

「その……声。さっきの。丸聞こえだったわ」

 ジェーレンは目を丸くした。そういえば。蔦で他者の視線を防げても、当然音までは遮れない。もちろん防音の結界くらい作るのはわけないが、さっきは完全に失念していた。

 もしかしてリュミエラはあの声を聞いていたのだろうか。というか、もしかしてではなく聞いていたということか。ああ、確かにそれは、配慮が足りないと言われても仕方がない。

「それは……すまなかった」

 ネイチェに向かって頭を下げる。と、隣でリュミエラがまたため息をついた。

「ちょっと見ない間にラブラブじゃないのよこいつら。あーあ、羨ましいわぁ」

「君もすればいい」

「簡単に言わないでくれますぅ?」

 彼女は不機嫌に言い捨てると、首を横に振った。

「感謝してよね。あんたの籠の外に、防音の結界張ってあげたの、あたしなんだから。あれ聞いたのはあたしだけのはずよ」

「そうか」

 それは間違いなく感謝するべき事項だ。確かに、籠の外にあたる部分に蜘蛛の糸が張り付いていた。あれは彼女の結界だったということか。ジェーレンは今度はそのお節介な同輩に向けて頭を下げた。

「ところで、声を聞いたと言ったな」

 問うと、リュミエラは顔を赤くした。当人であるジェーレンやネイチェならともかく、第三者である彼女が羞恥を感じるのはいったいどうしたことか。

「……聞いた。ずいぶんとその、情熱的だったわね」

「情熱的……?」

 そう言われても、比較対象を知らないのだから、答えようがない。戸惑っていると、それを察したのか彼女は「まあいいわ」と頭を振った。

 いや、それよりも気になることがあるのだったと、ジェーレンもまた頭を振る。

「どこから」

「どこって……けっこう最初から……? あ、いや、途中で結界張ったから途中までよ。それに、結界張ってからはここを離れてたし」

「ふむ」

 つまり、彼女はかなりの長時間、あるいは複数回、この付近にやって来ていたにも関わらず、ジェーレンの感知の網に引っかからなかったということになる。ジェーレンは、感知の技に関してはナイルをも上回ると自負しているのだが――それを掻い潜るだけの優秀な隠密の技、あるいは魔法を彼女が持っているというのは知らなかった。それとも、最近新しく習得でもしたのだろうか。

「新しい技であれば共有をするべきではないか」

「へ? なんの話よ」

 リュミエラはわかってないような顔で首をかしげている。ジェーレンが改めて説明すると、彼女は眉をひそめて考える様子を見せ、それから目を丸くした。

「それ、あたしじゃなくてあんたの問題だわ、多分」

「というと」

「あんたがネイチェしか見てないポンコツってことよ」

 彼女の言葉は独特で、ジェーレンには理解が難しかった。なぜネイチェしか見ていないとポンコツということになるのだ。そもそもポンコツとはどういう意味だ?

「多分あんた、その、シてる最中は感知おろそかになってたんじゃないの? 夢中になってたかなんかで」

「ふむ」

「さっきだってあたしに気づかずずっと彼女のこと見てたでしょ。絶対そうよ」

 言われてみれば、思い当たる節がある。彼女の言葉を否定する根拠はない。なるほど。

「そういうこともあるのか」

「……やっぱりポンコツだわ、こいつ」

 新しい魔法でなかったのは残念だが、新たな知見を得られたと思えば重畳である。

 確かにあの時間、ジェーレンの意識はネイチェにだけ向いていた。集中は何事の効率をも高める反面、その他の事柄がおろそかになるというのは、もはやわかり切った事実である。もっともそれを置いても、今までジェーレンの感知網が途切れたことはなかったのだが。今回がよほど特別なのだろう。

「……すると、何らかの手を打たなければ」

「そうねぇ、ここの守りはあんた頼りのところもあるし」

「でなければ、落ち着いて彼女と語らうこともできな――どうした」

 ふと気がつくと、リュミエラがなんとも形容しがたい顔でこちらを見ていた。あいにく、表情だけで相手の言いたいことが理解できるほど、ジェーレンは察しが良くない。つい、ネイチェならわかるだろうかと、益体もないことを考える。

「……まあ、知ってたわよ。あんたが自分の欲を最優先するやつだって」

「私は欲深いと?」

「相当ね」

 自覚はないが、彼女がそう言うならそうなのだろう。となると、先ほど自分の意外な欲深さについて思案してみたが、それは意外でもなんでもなかったということか。

「ま、結果としてお役目を果たせるならなんでもいいわ。あたしナイル様に報告してくるから。ネイチェは元気になりましたって」

「私も行く」

 正直ネイチェの側を離れるのは心苦しかったが、かと言って、この地の守護について欠陥があるなら、当事者が報告をしないわけにもいかない。それに――。

「行ってくる」

 ネイチェの胸元に咲いた一輪の花に目をやって、ジェーレンは目を細めた。その花が自分と彼女を繋いでいる……そう思えば、心は不思議と安らいだ。

 

 




ジェーレン;自分の欲を最優先するタイプ。実は我慢も苦手。人目は全く気にしない。今まではほとんどが知識欲だったので、大事にはなっていなかったが……ネイチェへの欲を自覚した今後は、大変なことになる、んじゃないかな。頑張れネイチェ。

仲間内においては、索敵と守護を担っている。
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