すっかり寝入ってしまったネイチェを抱きかかえたまま、ジェーレンは自分たちを取り囲んでいた蔦の籠を解体した。
彼女を誰にも渡すまい、という無意識が作り出した籠だったが、思いの外役に立ったと思う。おそらくネイチェは、あの乱れた姿を誰にも見られたくなかっただろうし、自分も見せたくなかったから。あれを見ていいのは自分だけだ。
「独占欲……いや、これが愛か」
ネイチェに関することだと、判断がおかしくなる。自分でもらしくないとは思う。しかし、事実そのようになってしまうのだから、やはり自分は彼女を愛しているということなのだろう。
手の中のネイチェは、まさしく泥となって眠っている。辛うじて人の形はしているが、服や指先などの細かい造作は適当だ。それに、ジェーレンが吐き出した蜜と混ざり合って、輪郭がふわふわしている。
触ればいやらしい粘度を伴って、泥が指に絡みついた。彼女をこうしたのは自分だ、と思えば、頭の奥に奇妙な甘さを伴う痺れが走った。ああ、もっと、もっと、彼女に触れたい。彼女を支配したい。彼女の全てを、自分のものにしたい――ああ、欲深い自分め。ジェーレンは嘆息する。
本能の赴くままに、かなり無茶もした。自分の中に、あれほどの欲が眠っていたとは思わなかった。魔物になったばかりの頃、衝動のままに暴れたことがあったけれど……まるであの時のように。さっきの自分はまさに獣だった。
ネイチェはそのすべてを受け入れてくれたし、悦んでくれたことに疑いはない。けれど、それで彼女の身体に変調でも起きないかと心配になり、彼女を見つめる。
「ん……ジェー、レン」
寝ぼけた彼女に名前を呼ばれて、心臓の鼓動が――実際には心臓はないのでおそらく錯覚だが――早くなった。名前など今まで何度も呼ばれてきたのに、特別に感じるのはなぜだろう。彼はあの甘い時間を思い出して、そっと彼女の額に口づけを――
「ちょっとはこっち見なさいよ!」
しかけたところで、制止の声がかかった。
振り向けばリュミエラがいて、腕を組んでこちらを見ていた。一体いつから居たのだろうか?
「何用だ」
「何用だ、じゃないわよ」
彼女は目を細めると、ずかずかと無遠慮に近づいて、ネイチェの寝顔を覗き込んだ。
「あーあー、ずいぶん蕩けちゃって。早く寝かせてあげなさい」
言われなくてもそうするつもりだった。ジェーレンはそっと寝床にネイチェを横たえる。腕から離す瞬間、名残惜しくて、つい彼女の顔に触れると、それを見たリュミエラが、ため息をついた。
「……まあ、理解はするけどさ。あんたちょっと配慮が足りないわよ」
「必要ない」
「私へ、じゃなくてネイチェへよ。いるでしょ、配慮」
ジェーレンは少し考えた。配慮は必要ないと思ったのは本心だが、ネイチェへの配慮というのなら話は別だ。
「何が足りなかった?」
「あら素直。……じゃなくて」
リュミエラは少し言いづらそうに顔をしかめた。それからジェーレンにいっそう近づいて、声を潜めて言う。
「その……声。さっきの。丸聞こえだったわ」
ジェーレンは目を丸くした。そういえば。蔦で他者の視線を防げても、当然音までは遮れない。もちろん防音の結界くらい作るのはわけないが、さっきは完全に失念していた。
もしかしてリュミエラはあの声を聞いていたのだろうか。というか、もしかしてではなく聞いていたということか。ああ、確かにそれは、配慮が足りないと言われても仕方がない。
「それは……すまなかった」
ネイチェに向かって頭を下げる。と、隣でリュミエラがまたため息をついた。
「ちょっと見ない間にラブラブじゃないのよこいつら。あーあ、羨ましいわぁ」
「君もすればいい」
「簡単に言わないでくれますぅ?」
彼女は不機嫌に言い捨てると、首を横に振った。
「感謝してよね。あんたの籠の外に、防音の結界張ってあげたの、あたしなんだから。あれ聞いたのはあたしだけのはずよ」
「そうか」
それは間違いなく感謝するべき事項だ。確かに、籠の外にあたる部分に蜘蛛の糸が張り付いていた。あれは彼女の結界だったということか。ジェーレンは今度はそのお節介な同輩に向けて頭を下げた。
「ところで、声を聞いたと言ったな」
問うと、リュミエラは顔を赤くした。当人であるジェーレンやネイチェならともかく、第三者である彼女が羞恥を感じるのはいったいどうしたことか。
「……聞いた。ずいぶんとその、情熱的だったわね」
「情熱的……?」
そう言われても、比較対象を知らないのだから、答えようがない。戸惑っていると、それを察したのか彼女は「まあいいわ」と頭を振った。
いや、それよりも気になることがあるのだったと、ジェーレンもまた頭を振る。
「どこから」
「どこって……けっこう最初から……? あ、いや、途中で結界張ったから途中までよ。それに、結界張ってからはここを離れてたし」
「ふむ」
つまり、彼女はかなりの長時間、あるいは複数回、この付近にやって来ていたにも関わらず、ジェーレンの感知の網に引っかからなかったということになる。ジェーレンは、感知の技に関してはナイルをも上回ると自負しているのだが――それを掻い潜るだけの優秀な隠密の技、あるいは魔法を彼女が持っているというのは知らなかった。それとも、最近新しく習得でもしたのだろうか。
「新しい技であれば共有をするべきではないか」
「へ? なんの話よ」
リュミエラはわかってないような顔で首をかしげている。ジェーレンが改めて説明すると、彼女は眉をひそめて考える様子を見せ、それから目を丸くした。
「それ、あたしじゃなくてあんたの問題だわ、多分」
「というと」
「あんたがネイチェしか見てないポンコツってことよ」
彼女の言葉は独特で、ジェーレンには理解が難しかった。なぜネイチェしか見ていないとポンコツということになるのだ。そもそもポンコツとはどういう意味だ?
「多分あんた、その、シてる最中は感知おろそかになってたんじゃないの? 夢中になってたかなんかで」
「ふむ」
「さっきだってあたしに気づかずずっと彼女のこと見てたでしょ。絶対そうよ」
言われてみれば、思い当たる節がある。彼女の言葉を否定する根拠はない。なるほど。
「そういうこともあるのか」
「……やっぱりポンコツだわ、こいつ」
新しい魔法でなかったのは残念だが、新たな知見を得られたと思えば重畳である。
確かにあの時間、ジェーレンの意識はネイチェにだけ向いていた。集中は何事の効率をも高める反面、その他の事柄がおろそかになるというのは、もはやわかり切った事実である。もっともそれを置いても、今までジェーレンの感知網が途切れたことはなかったのだが。今回がよほど特別なのだろう。
「……すると、何らかの手を打たなければ」
「そうねぇ、ここの守りはあんた頼りのところもあるし」
「でなければ、落ち着いて彼女と語らうこともできな――どうした」
ふと気がつくと、リュミエラがなんとも形容しがたい顔でこちらを見ていた。あいにく、表情だけで相手の言いたいことが理解できるほど、ジェーレンは察しが良くない。つい、ネイチェならわかるだろうかと、益体もないことを考える。
「……まあ、知ってたわよ。あんたが自分の欲を最優先するやつだって」
「私は欲深いと?」
「相当ね」
自覚はないが、彼女がそう言うならそうなのだろう。となると、先ほど自分の意外な欲深さについて思案してみたが、それは意外でもなんでもなかったということか。
「ま、結果としてお役目を果たせるならなんでもいいわ。あたしナイル様に報告してくるから。ネイチェは元気になりましたって」
「私も行く」
正直ネイチェの側を離れるのは心苦しかったが、かと言って、この地の守護について欠陥があるなら、当事者が報告をしないわけにもいかない。それに――。
「行ってくる」
ネイチェの胸元に咲いた一輪の花に目をやって、ジェーレンは目を細めた。その花が自分と彼女を繋いでいる……そう思えば、心は不思議と安らいだ。
ジェーレン;自分の欲を最優先するタイプ。実は我慢も苦手。人目は全く気にしない。今まではほとんどが知識欲だったので、大事にはなっていなかったが……ネイチェへの欲を自覚した今後は、大変なことになる、んじゃないかな。頑張れネイチェ。
仲間内においては、索敵と守護を担っている。