※この作品はR-18です。

泥濘に揺蕩えば   作:haldon

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後日談。そのに

 

 

 

 ネイチェが目覚めると、ジェーレンの気配がした。けれど、彼の姿はどこにも見えない。

「先生? どこですか?」

 返事はなく、気配は相変わらず。キョロキョロと周囲を確認し、そして気づいたのは、彼の気配は自分の中からしているということだ。

「あ……これ」

 ふと目を下ろした胸元に、一輪の花が咲いていた。白に少し緑の入った六枚の花弁は丸みを帯びて、まるでブローチのように彼女の胸を彩る。けれどブローチと違うのは、その花が彼女の胸の中――コアから生えているということだ。そして、彼の気配の出処こそ、その花で。

「あ、うー、うん。そうね、そうだったわ」

 眠る前にあったあれこれを一気に思い出して、ネイチェは居た堪れない気分になった。もちろんあれは幸せな時間だった。間違いなく。でも、だからといって、自分はちょっとやり過ぎじゃなかっただろうか。ちょっと大胆すぎやしなかっただろうか。

「すごいこと、しちゃった気がする……」

 思い出すだけで、顔から湯気が出そうだった。先生に引かれてないといいけど。いや、引かれるなんてあり得ないと分かっている。いるけど、そう思うことは止められないのである。

 そういえば、体がいつもより重たい。いや、理由ならわかっている。身体に異物が――つまり、先生の蜜が、混ざり込んでいるからだ。あの、先生が、堪らず吐き出してしまった、たくさんの熱が――。

「あー!」

 ネイチェは突っ伏した。あのときの先生の顔。思い出すだけで、また全身に甘い痺れが走る。思い出せば恥ずかしいのだけど、それ以上に、また欲しいと思ってしまう。

「私ったら、欲張り……」

 先生からもらったコアの種。それが芽吹いて咲いた花。先生との繋がり。たくさん、たくさん愛を貰ったのに、まだ欲しいと願うなんて。

「あ……ん……」

 身体が疼いた。先生が欲しいと声が出た。自分で自分を抱きしめてみたけれど、そんなことで慰められるような、簡単なものではない。

「せんせ……ジェーレン」

 ついた吐息は湿っていて、熱と甘さをはらんでいる。確かに種のおかげでジェーレンの気配をすぐ近くに感じるけれど、やっぱり本人がすぐそばにいてくれるほうが、何倍もいい。

「は……ふぅ」

 彼女はゴロンと仰向けになって、目を閉じた。想うのはもちろん、愛する人のことだった。

 

 

「おはよう、眠り姫」

 次にネイチェが目覚めたとき、傍らにいたのはレイオールだった。それがジェーレンでないことにちょっとがっかりしながら、彼女はにこりと笑ってみせる。

「おはよう、レイオールさん」

「体調はどうだい? 元気になったとは聞いたが……顔色は土色だねぇ」

 あ、と思ってネイチェは慌てた。ジェーレンとのアレですっかりドロドロになって、それから身体を形作るのをすっかり忘れていた。今の自分は完全にただの泥人形だ。

 身体の形を整えて色を付けると、レイオールは満足げに頷いた。

「ああ、可愛くなった。まあ、私はさっきの土色の君も嫌いではないのだけど」

「お上手なんだから」

 くすくすと笑う。彼は軽薄なお調子者だけど、こうして軽口をたたき合うには申し分のない友人だ。

 彼は優しい眼差しでネイチェのことを見守っている。そうだ、彼にも、それからナイル様たちにも、心配をかけてしまったのだから、あとでご挨拶にいかないと。そんなことを思っていると、彼はネイチェの胸元を指さした。

「その花、似合っているね」

「あ、えと、うん。そうでしょ」

 またアレを思い出しかけたのを、何とか取り繕う。誤魔化せたかしら? レイオールは一瞬不思議そうな顔をしたが、したり顔で頷いた。

「ああ、もしかしてジェーレンからの贈り物かい? 見たことのない花だけど、君の素朴な可愛らしさによく似合う。彼がわざわざ選んだ特別ってところか。いやはや、彼にもそういうものを解する心があったとは」

 レイオールはこの花がジェーレン自身であることまでは流石に気づいていないのだろう。しかし、そう間違ってもいないことばかり言うので、ネイチェはどんな顔をしたらいいか分からなくなってしまった。

「この部屋は、彼の匂いが濃厚だ。君は彼の愛に包まれているんだね」

「そ、そうなのかな?」

「そうだとも! まあ、彼自身に自覚があるかどうかは知らないけどね」

 彼はおどけたように肩をすくめている。

 ジェーレンは自覚どころか、無数の愛の言葉を贈ってくれた。それを思い出せば、胸の中に火が灯ったみたいに、身体がぽかぽかと暖まってくる、のだけど――それはそれとして、レイオールは微妙に鋭い。何だか居た堪れなくなってきたネイチェである。

「あの、先生がどこにいるか知ってる?」

「ああ、ジェーレンならナイル様とお話中だよ」

 そう問うと、レイオールはあっさりと答えを口にした。そうか、ナイル様のところか。

 本当はすぐにでも彼に会いに行きたかったのだけど、今は邪魔をしてはいけないだろう。ネイチェはもうしばらくこの寝床でゴロゴロ過ごすことを決める――どちらにせよ、まだ身体が重くて上手く動かないし。

 例の「先生の蜜」はだいぶ吸収が進んでネイチェの一部となりつつあったから、それはじきに完治するはずだ。しかし、それ以前に身体がだるくて――衰弱していたところを助けられ、回復するや否やのアレなのだから、体力が尽きているのである。当然だ。

 そんなネイチェの考えを見透かしたように、レイオールは笑った。

「回復期には、食べるのが一番だ。用意はしてあるから、食べられそうなら食べたまえ」

「ありがとう」

「礼ならジェーレンに言うんだね」

 聞けば、ジェーレンがネイチェのことを心配して、レイオールに手配を任せたのだという。その心遣いにネイチェが感激していると、レイオールはくつくつと笑った。

「あの朴念仁が、こんな気を回せるなんてね。いや、相手が君だからかな? やっぱり愛だな」

 ジェーレンから貰った愛の言葉がまた頭をよぎり、ネイチェは顔が真っ赤に――はならなかったが、照れくさくてうつむいてしまった。レイオールは楽しげに、なおも笑っている。

「あの、あんまり笑わないで」

「いやすまない。あまりにも反応が可愛らしかったから、つい。君たちが幸せそうだと、私まで嬉しくなってしまうよ」

 レイオールはご機嫌にそう言うと、さて、と立ち上がった。ネイチェが見上げると、彼はキザったらしく唇に人差し指を当てて、ウインクした。

「私はそろそろ退散しようかね」

「え、ご用は?」

「もう済んだよ」

 彼はそう言って、部屋の片隅に置いてあった包みを示す。美味しそうな匂いがするから、さっき彼が言っていた食事だろうか。

「ついでに、君の目覚めに立ち会うという光栄にも浴せたしね。これ以上は君のナイトに絞め殺されそうだ」

 では、本当に彼は、食事を届けるためだけに、ネイチェの元を訪ねてくれたのだ。それだけでも感謝に値する、と頭を下げると、彼はいやいやと手を振った。

「大したことじゃないさ、仲間のためだからね。あ、でも」

 何か思いついたのか、彼はそう言うと、改めてネイチェの前に跪く。何事かと見守っていると、彼はネイチェの手を取って、そして真剣な顔で彼女の目をまっすぐ見て、こう言うではないか。

「君さえよければ、今度、二人きりで出かけないかい?」

「へ? ……へ?」

 言葉の意味を取りかねてまばたきしていると、レイオールの真剣な顔はとたんに崩れて、いつものイタズラっぽい笑みに変わった。

「なんて、ね」

 どうやらからかわれたらしいと理解して、ネイチェが文句を言う――より先に、どこかから伸びてきた蔦が彼の両手を縛り上げて、空中に吊るしてしまった。

 見れば、部屋の入口にジェーレンがいて、無表情にレイオールを睨みつけているではないか。無表情で睨みつけるなんておかしな表現だが、確かにネイチェにはそう見えた。

「やあやあジェーレン、私はなんで縛られているのかな?」

 レイオールの質問に彼はなんの返事も返さなかった。彼はこちらへ歩み寄りながら、先に蔦を寄越してネイチェの全身を検分する。異常がないか確かめているようだ。やがて満足したのか、そこでようやくレイオールを見上げる。

「用が済んだなら帰れ」

「ひどいなあ! 食事を届けてあげたじゃないか!」

「その件は礼を言う……帰れ」

 取り付く島もない。無意識かもしれないが、レイオールとネイチェの間に立ち塞がるようにして――もしかして、嫉妬してくれたのかしら。

「せんせ……ジェーレン。放してあげて」

 ネイチェがジェーレンの服の裾を引っ張ってそう言うと、彼は素直に言うことを聞いた。それはよかったのだが……彼の、ネイチェを見る目に、どうも熱がこもっているように見えてしょうがない。その目を見ていると、ネイチェも気分がおかしくなってくるのだ。

「……さて、じゃ、邪魔者は今度こそ退散するよ」

 そんな二人の様子に気づいたのかどうか、レイオールは苦笑すると部屋を出ていく。ネイチェはその背に向かって手を振った。

「ありがとう、レイオールさん」

 そう言うと、彼はひらりと手を振った。

 

 

 レイオールの姿が見えなくなるや、蔦が部屋の入口を覆ってしまった。これなら確かに、乱入者はいなくなるだろうけど……かなり強引な手段に、ネイチェは思わず笑ってしまう。

「先生ったら、もう」

 そう言いながらも、ネイチェもジェーレンと二人きりになりたい気分だったから、特に文句は言わない。

 ジェーレンはネイチェの傍らに腰を下ろした。蔦がしゅるしゅると二人をゆるく包む。鳥の巣の中にいるみたいだ。ネイチェもそっと肩を寄せた。彼の手がネイチェの腰に回される。

 二人の間に言葉はなく、それ以上の触れ合いもない。でも、彼の手が触れているところからじんわりと何かが伝わって、ネイチェの全身に行き渡る。それは幸福感。そして胸の花も同じものを伝えてくるから、彼も幸福感に満たされているとわかる。

「先生……お花、ありがとう」

 白い花弁に触れながらそう言うと、彼の手に力が籠もった。

「……名前」

「ふふっ……ジェーレン」

 彼の小さな抗議に、くすくす笑って言い直す。彼はどこかむっとしているようだった。かわいい、と思って、彼の胸に頭を擦り寄せた。

「ネイチェ、食事は」

 彼が、レイオールの持ってきた包みに目を留めて言った。まだです、と答えれば、可能なら食べるように促される。

「君は病み上がりだ。体力を回復させなければならない」

「そうですね」

 彼のせいで余計に体力を消耗した、ということには目を瞑って。ネイチェは包みを引き寄せた。中には仕留めたばかりの野ウサギが二匹入っている。

 両手を合わせ、命を頂くことに感謝する。それから彼女は、腕を大きく薄く広げて、二匹を包みこんだ。こうやって、獲物を丸ごと溶かし吸収するのが、今のネイチェの食事なのだ。人間のそれと比べれば野蛮で、「変わった」当初は悍ましくすら感じたものだったけれど、もうすっかり慣れてしまった。……しかし。

「あの……ジェーレン?」

 ジェーレンが、その一部始終をずっと見つめていた。自分が食べる姿には慣れたと言っても、人にジロジロ見られるのまで慣れたわけではない。ジェーレンもそれは知っているはずなのだけれど。

「どうしたんですか?」

「む……」

 彼は首を傾げると、蔦を一本、ネイチェの腕に這わせた。蔦の先は、腕の中に潜り込もうとするみたいに、圧力をかけてくる。

「何してるんですか! 一緒に溶けちゃいますよ」

「構わない」

 あっさりとそう言った彼は、ネイチェの腕の先を見つめている。

「君に捕食される体験がしたい」

「ほ、補食って」

 彼はふざけているのでもなんでもなく、いつもの鋭い目――真剣にこう言っているのだ。それはわかる。わかるけど、でも、何を言っているのかと言いたい気持ちも本物である。何を言っているのだ、この人は。

 先生はネイチェの抗議を無視して、蔦を獲物たちの中に紛れ込ませてしまった。食事モードになっているそこは、獲物とそうでないものの区別などできない。ネイチェの身体は、蔦を溶かし始めた。

 ぶるり、と先生が身を震わせた。

「なるほど……なるほど」

 身体の一部が溶かされる感覚などネイチェは知らないし、あの蔦は彼にとって切除しても構わない程度の末端なのだと知っている。だから、抗議はしても拒絶はしなかったのだが。しかし、今の先生の顔を見ていると、本当によかったのか不安になった。だって、どこか恍惚とした彼の顔は――二人が交わったあのときの顔に、そっくりだったから。

「大丈夫……ですか」

「ああ……軽い麻痺が痛覚を遮断し、適温の液体が身体を包む。もしかしたら何らかの麻薬物質が分泌されている可能性もあるか。おそらく獲物はゆっくりと、眠りに落ちるように死んでいくのだろう。これは得難い経験だ」

 そういうレポートが聞きたかったわけではないのだけど。しかし先生は、新しい知見にワクワクしているようだ。彼が喜んでいるならいいか、とネイチェは諦めた。それに、ネイチェとしても、先生の一部を吸収していると思ったら、悪くない感覚である。その……アレ、を思い出すから。

 それから間もなく食事は終わり、ネイチェはリラックスした気分でジェーレンによりかかった。いい具合に腹も膨れたし、気持ちの良いまどろみに、気持ちを委ねる。

 と、先ほどから何かを考えていた彼が、ぼそりと呟いた。

「ああそうか……似た感覚を知っていると思ったが、ネイチェと融合したときの、あれか」

 唐突な言葉に、ネイチェの口から変な音が漏れた。ジェーレンが不思議そうにこちらを見てくる。ネイチェは言葉が出てこなくて、口をパクパクさせるばかり。

 彼はしばらく興味深そうにネイチェを観察していたが、おもむろに真面目な顔になって、改めてネイチェと向き合った。

「リュミエラが言っていたのだが、私は欲深いらしい」

「は、はぁ」

 またしても唐突な話題である。彼が何を言いたいのか分からなくて見上げると、彼は目を細めた。

「実際、今も、また君と交わりたいと思っている」

 余りにも直接的な告白に、今度こそネイチェは息ができなくなった。いや、呼吸をしてないのはもとからなので錯覚なのだが、とにかくそういう気持ちになった。彼の目はまた熱を帯びている。

「君は」

「あの、わた、しは」

 何を言うかも決まらないまま、ネイチェの口は勝手に言葉を紡ぐ。ただ、先生の――ジェーレンの目を見ていると、自分の中にも熱が湧き上がってくるのがわかって。

「わた……しも」

 素直になろう。そう決めた。

「私も、欲張りなんです。先生が……ジェーレンが欲しいって、そう、思ってて」

 ぎゅ、と彼の胸に身を寄せる。蔦が、彼女の身体を包むように寄り添った。

「よいだろうか」

 彼が尋ねる。

「はい」

 ネイチェは応える。

 蔦は彼女の身体をゆるく拘束し、彼の手が彼女の形をなぞるように、頭から腰までをそっと撫でた。

「ん……」

 触られたところから順番に、ネイチェは溶けていった。表面が柔らかく波打って、喜びを表現した。

 ジェーレンは二人を包む鳥の巣を鳥籠に変えて、その姿を外界から遮断した。もちろん、防音の結界を張り巡らせるのも忘れない。

「ネイチェ、愛している」

 そんな声が聞こえたのを最後に、二人の姿は籠の向こうへ消えた。

 

 

 

 




ネイチェ:一応泥状の不定形生物。肉食で獲物は丸ごと融かして食べるタイプ。食べてるところはあんまり人に見られたくない。
ちなみにジェーレンの食事は日光と水とよい土。


仲間内での役割はまだない。みんなの役に立ちたくて訓練中。
レイオールが誘ったのはデートじゃなくて訓練です。
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