”ぼっちゃん、今晩、一杯どうかね?”
私は彼のblablaに一言送った。
”すまない、今日も忙しい”
今日も、か。私はそう思いながら、もう一言返す。
”そうかい。最近いい酒が手に入ったんだ、興味があったらいつでも言っておくれ”
”わかった”
何ともそっけない返事。最近の彼はこればかりで、私はほんの少しだけむっとしていまう。とはいえ、これは相当に忙しいようだ。
”早くしないと全部飲み切ってしまうぞ~”
まったく…素直に”君に会いたい”と言えればどれだけ楽だろうか。
「…」
送信に失敗しました、と無情な一文が表示される。電波が通じていない。エブラ粒子が濃くなった証だ。
「お出ましか…」
人間より遥か遠くを見通せる私の瞳に映ったのは、蠢く
「温泉でも浸かってゆっくりしようかと思ったが、邪魔してくれるようだな…」
対話不能の敵にそんな話をしてしまうくらいに参ってしまった己の心を、傍らで寝ていた刀を取りながら心中で笑う。
しかし、不意に現れた奴らのおかげでこの気持ちは、
「紛らわせそうだっ…!!」
走り出して十数秒、奴らに肉薄したとき、瞬間、私は地平線を銀の一閃で隠した。一文字に両断されたラプチャーの奥から更なる大軍が見える。どの順番で切ってやろうかと瞬く間に判断すると、再び走り出し、今度は雪崩れるような剣戟の雨を奴らに降らしていく。
「…!!」
奴らを切り裂く冷たい音が響き渡り、そして鳴り止む前に刃は次の敵を討つ。遅れて私の背に爆発の熱が追いつく頃、代わりにそこにあるのは新たに転がる鉄屑だった。
「はぁ…」
これまでの間、一呼吸。
虚しく光をなくした瞳から向けられる怨嗟はもう聞こえない。今の戦闘でこちらに気付いた他のラプチャーが、その足音で掻き消したのだ。その音は同族を切り捨てたことへの怒りを表すかの如く、程なくして大きくなってゆく。
休む暇は当然ない。もう一呼吸入れる
―バシュッ!
大群の隙間を縫ったレーザーが私の頬を掠めた。間一髪、捻った体の勢いを剣に伝えて、そのまま目前に道を作る。真っ二つに崩れる敵を左右に見送り、次に睨むのはレーザーが来た方向。どうやらそう遠くない場所に奴はいるらしい。力を貯めている証である赤い
「フッ…」
短く、鋭く、息を吐くと同時に剣を振り上げる。一瞬にして意識を飛ばし、離れた体をさらに崩して倒れる姿を尻目に、さて残りはとあたりを見回してみる。
「…」
残りを片付けるのに、そう時間はかからなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ふぅ…」
鋼の花畑は美しくはない。私は転がった白と黒の花を軽く蹴とばしながら、しばらく歩いてさっきまで酒を置いていた場所まで戻ってきた。
片手に瓶を握ると、また独り寂しく歩を進める。行く当てもない旅。そんな中、100年ものの廃墟の林を抜ければ、豊かな自然が目の前に広がった。
「…」
こんな時誰か近くに居てくれはしないものかと、思い浮かべたのはやはり彼のことだった。
「…」
また彼とこんな景色を見ることができればと、つい思ってしまう。
―ぼっちゃん…
寂しく、脳裏に響く。
最近、彼と会うことがめっきりなくなってしまった。いつから会っていないだろうか。
「…」
マリアンのお嬢ちゃんを預かってからか。もうずいぶんだな。
「…」
そう思い浮かべると、私の心にはそれ以前の記憶が蘇ってきた。
「…」
私が彼の住む前哨基地に頻繁に出入りしていたのは、最初は、本当にほんの少しの楽しみからだった。久しぶりに杯を交わせる友ができたことが嬉しくて、共に過ごした時間が心地よくて、浮かれてしまって。
しかし最後に会って以来、彼とはメッセージでしか接していない。
接するといっても、初めは私がどうしようもなく暇だったり、いい魚が釣れた時に一方的に文章を送るだけだった。しかし彼は、そんな私の文章に良い反応をくれるではないか。つられて私も気を良くして、さらに話を投げかけてしまう。
ただ楽しくてメッセージを送っていた。それが最近、もっと彼と話したくなって、もっと彼を感じたくなって、いつしか、彼からの言葉を待ち遠しく感じるようになっていった。
「…」
しかし不思議なことに、そんな己の心に気付いてから私は、彼に対して少しずつ気後れするようになった。
「…」
彼に刀を突き付けてまで地上に上がって酒を飲んだことがあった。流石にあの時は、軽率すぎたと謝ったが。思えばそこからだったのかもしれない。私は、彼を私の勝手に付き合わせることに、少しの
「…」
私は悠久の時を生きるかもしれないが、彼は違う。そして彼には彼の人生がある。私がその時間を奪ってしまっている気がしたのだ。
「…」
それでも、どうしても通信端末の画面をのぞいてしまう。
「…」
電波は通じていた。戦闘前に送信失敗していた文章が送信されている。しかし、彼はまだ読んでいないようだ。
もう一文送ってしまおうか。いや、しつこい。やめておこう。
「…」
既読の印はいつ付くだろうか。端末を握りしめて、いつになく胸を高鳴らせてしまっている自分に恥ずかしくなる。
なぜ彼に対して気後れを覚えているのに、こんなにも彼を感じたくなってしまうのだろうか。
「…」
返してくれないかもしれない。
「…」
そんな思いは私に時間を忘れさせる程だった。
「はぁ…」
深く考え込んでいても仕方がない。
「今日はもう、休もうか…」
呟くと、私の旅の目的は適当に寝られそうな場所を探すことに決まった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
明くる日、私は我慢できなくなって、彼らの過ごす前哨基地に来た。
片手の一升瓶は、彼と飲もうと思っていた酒。することは一つ。彼の部屋に忍び込んでこれを置いていくこと。
「よっ…と……」
天気は晴れの設定らしい。そんな中、ばれないように物陰に体を隠しながら、時には飛び跳ねて屋根を渡ってゆく。
程なくして指揮官室の近くまで来ると、私はそっと耳を澄ました。
「…」
特に話し声は聞こえない。一人だろうか。それとも外出中か。
扉に近づいてみる。鍵は開いているらしく、簡単に部屋に入れてしまった。まったく不用心な事だと思うが、そのおかげで手間も省ける。
「失礼するぞ…」
そう言いながら軽く見回してみても人の気配はなかった。そのまま彼の机に近づく。
「…」
そして瓶を机に置こうと手を上げたとき、私は何か間違いを犯している気がした。
「…」
見つけたとっておきを置いていくのが惜しいから?
「…」
違う。
「…」
やはり、私の思いを押し付けているような気がしてならんのだ。忍び込んでまで私の匂いを感じさせようとするのは嫌だと思った。
「はぁ…」
名残惜しく、ゆっくりと瓶を持ったまま手を下げた。私はそのまま、何もせず部屋を後にした。
勢いだけでここに来てしまったことに後悔し、とぼとぼと地上への道へ歩き始める。
そうして少し経つと、何やら楽し気に話す声が遠くから聞こえてきた。高い所に上がり、声がする方向へ目を向ける。
「指揮官様~、今日は私と二人で回るんだよね!」
「アニス、指揮官が困ってるわ。それに、みんなで回るのよ」
「3人とも!早くしないとプールが混んでしまいますよ!」
彼は3人のお嬢ちゃん達と共にいた。特に仕事をしているという様子ではないようだ。お出かけらしい。
軍服に包まれた太い腕に絡みつく金髪のお嬢ちゃん。それを見て少し眉を下げながらも、もう片方の手をさりげなく握る茶髪のお嬢ちゃん。そして先頭で皆を急かす白髪のお嬢ちゃん。それぞれの色を見せる一方、彼は少し困り顔をしながらも微笑みを浮かべていた。
とても楽しそうにおしゃべりしている姿が、彼らから遠くにいる私の目に飛び込むようだった。
だがなぜだろうか。私達が命を懸けて守った場所で幸せに過ごしている人々の姿は、一番に嬉しいはずなのに。あそこまで微笑ましく、幸せそうな姿を見てしまうと、
「少し…寂しくなってしまうよ…」
誰にも聞こえない呟きは私の心だけに響く。
人類の未来の一端を担う彼と、人類にとっては隠居したような身の私では、立場がまるきり違うのだと思い知らされる気分。
「ぼっちゃん…」
彼は日々命を賭して頑張って、それで今日のようなひと時を過ごしているというのに、私は地上を彷徨うばかりで、なんの成果も出していないにも関わらず彼という安らぎを求めてしまっている。
「…」
彼の顔をじっと見る。お嬢ちゃん達と一緒に楽しそうに歩いている。
もしかしたら本当は、私のことはどうでもいいのではないか。会わなくなったら、顔を見なくなったら、それはそれで、忘れ去られてしまうのではないか。
なにもここまで気にする必要なんてないのは分かっている。でも、それでも気になって仕方がなかった。
しかし何より恐ろしいのは、私自身が彼との記憶を忘れてしまうことだった。
今度いつ思考転換するか分からないから。
どんなに小さな思い出でも、彼と過ごした時を忘れてしまうことが、堪らぬほどに怖いのだ。
そう考えたとき、全身に悪寒が走った。
「…うぅっ」
かけがえのない大切な大切な思い出。それを忘れてしまうかもしれないという想像をしただけで、心が破裂してしまう気がするほど、動悸が激しくなる。
「…!」
私は走った。誰もいない地上へ、地獄へ逃げ帰った。
「はぁっ…はぁっ……!」
やがて、私の肺を満たしていた地下の淀んだ空気が、地上の澄んだ空気に入れ替わった。しかしそれは、私の濁った気持ちまでは洗い流せない。
辛うじて濁流をせき止められるくらいにはできるだけ何も考えられないように、ただ大地を蹴った。荒れる息は疲れのせいだと体に思い込ませようと必死になる。
「はぁっ…はぁっ……」
いくら走っただろうか。体だけ騙せるくらいには時間が経った頃、空はもう夕焼けに染まっていた。
「はぁ…………はぁ…………」
荒げた息は急速に収まってゆく。心も少しは落ち着いたようで、やっと辺りを見回すくらいの理性は生まれていた。
ここはどこだろう。そう思うがしかし、やけに見覚えのある光景が広がっていることに気付く。
「ぁ…ここは…」
今いる場所は以前見つけた温泉の近くであることを思い出した。ここに来るとは思わなんだ。
記憶を頼りに、道なき道を歩く。深くはない雑木林を抜けるとそこにはやはり、お湯が溜まった温泉がぽつりと佇んでいた。
私は吸われるように、温泉に体を寄せていった。まだ冷えたままの心は、温かい湯気で癒されることはなかったが、反射的に服を脱ごうと腕を上げる。
「あ…」
私は未だに酒を大事に握っていた。
「…」
こんなに参っていても酒だけは離さない。流石私だ。と、自分を笑う気力はなかった。
湯舟の近くに瓶を置くと、するすると服を脱いで、つま先をお湯につける。
「…」
丁度いい。そのまま腰を下ろして肩まで浸かる。
「はぁ…」
湯の癒しか、それとも溜息か。どちらかは分からない息を吐くと、思い至って酒に手を伸ばす。 半ばやけくそな気持ちで握って、蓋を開ける。そのまま口を付けるのは何やら行儀が悪い気がしたので、服の中にいつも隠している
「…」
やけ酒と言っていいのだろうか。それにしたって進まない酒だ。飲んでいないどころか、注いでもいないのだから。
「…」
無理やり手を動かした。少し注ぐだけで猪口はいっぱいになる。
「…」
注いだ酒にはしばらく私の顔が映った。
「私以外に飲むものはおらぬぞ…」
そう自分に言い聞かせてから、一口で飲み干す。
「ふぅ…………」
酔えるだろうか。そんな気配は全く感じない。
縋るように私は呟く。
「ぼっちゃん…」
重いのだろうか。私の気持ちは。
「…」
思っただけでは彼の耳には届かない。彼から答えは返ってこない。
「ぼっちゃん…」
そう呟くたびに彼への思いは少しずつ強くなって、でも、その代わりに切なさも少しずつ大きくなった。
「…」
もう一杯、酒を注ぐ。
「ふぅ…」
気付いたら、猪口が空になっていた。
もう一杯注ぐ。
「…」
もう一杯。
「…」
もう一杯。
「…」
あぶない。
「…」
瓶の中身は、ぼっちゃんも飲めるように一杯だけ残しておいた。
「…」
いくら時間が経っただろうか。あたりはすっかり暗くなっていた。
「ぼっちゃん…」
雲一つない夜。月の明かりが照らす猪口の底を見つめても、私の顔は見えない。
「ぼっちゃん…」
でも、最後に口にした酒の味は、まだ舌に残っていた。
「今宵の酒は…少ししょっぱいよ…」
"明日の夜はどうだ?"
彼からのメッセージに気付いたのは、それからしばらく経った後だった。