人類からラプチャーに一番近い距離に位置する前哨基地内で、今日も彼女達は給仕にいそしんでいた。
ちりん、と店内に響く鈴の音が
「おかえりなさいませ、お嬢様」
物腰柔らかく、落ち着いた声を響かせるのはエードだった。そんな彼女の前にいるのは雪の女王とピンクのうさぎさん。二人は微笑んで彼女の声に答える。
「ただいまです!」
「いつもお疲れ様ね、エード」
ふわふわとした可愛らしい声と、柔らかさの中に強さを含んだ声が響いた。
「ふふっ…こちらこそ、いつもありがとうございます」
エードはそう言って、”では、お席はこちらです”と、二人を誘導するように手のひらを後ろに向けた。彼女の背中について、数人の客の横を通ったアリスとルドミラは、程なくしてカウンターを前にする。二人はエードに微笑みかけると、同じく彼女も微笑んだ。
「それでは、ご注文が決まりましたらお知らせください」
カウンターの奥に戻るその姿を見送りながら、二人は椅子を引いた。そして座るなり、ルドミラは口を開く。
「さて、飲み物を頼みましょう」
そう言う彼女の手にメニューはなかった。そしてアリスはにこりと表情を輝かせる。
「はい!」
アリスは元気に答えると、まっすぐ手を上げた。注文の合図だ。
「お願いします!」
彼女はその勢いで、周りの客の目を一瞬奪う。そんなとてもいい姿勢の彼女の前に、もう一度エードはやってきた。
「はい、お伺いします」
にこやかなその表情に向かってアリスは言う。
「ホットミルクをお願いしますっ!」
続いてルドミラ。
「私はブラックコーヒーで」
言い終えた二人はそのままエードを見やる。
「ホットミルクと、ブラックコーヒーですね」
二人の注文は終えたと判断したエードは、慣れた様子でにこやかにそう言うと、もう一言、
「飲み物だけで、お食事はよろしいのですか?」
この喫茶にやってくるルドミラとアリスは、いつもご飯を食べに来るという感じで、今のように飲み物だけ頼むというのは珍しかったのだ。
変わらず柔らかな表情で、内心では不思議がるエードにルドミラは言う。
「ええ、大丈夫。今日はこれから任務なのよ」
その言葉にエードは、なるほどと
「そうなのですね」
アンリミテッドの仕事は主に、氷雪地帯での探索や遭難者の救助である。過酷な環境で行動する彼女達の苦労は、普通の人間では言い表せないだろう。
そんな事情を知るエードは続いて言う。
「それでは、しっかりと体を温めて任務に備えなければなりませんね。」
流石は癒しのプロか、にこりと微笑む表情とその言葉と声音には、包み込むような慈しみが込められていた。
「私たちは皆様を迎え入れることしかできませんので、直接お力になれないのは心寂しい気持ちはありますが…」
そうは言うが、疲れた体を優しく受け入れてくれる環境というのは、人々にとってとても大きな安心感を与えるのだ。どうやらその自覚は既にあったようで、エードはさらに続ける。
「だからこそ、元気に帰ってきていただけるよう、真心を込めてご用意いたします。」
そこには、メイドの誇りを
「ふふっ…ありがとう、エード」
そう言うルドミラに続いて、にこりと可愛い笑顔を見せるアリスにエードは微笑みかけ、そして軽く会釈する。
「それでは、今しばらくお待ちくださ…」
「ふぇええ…!」
言い終わる前に、今度は甲高い声がカフェ中に響いた。そして、皆が声の方を向く前に聞こえるのは、
”ガシャーン!!”
食器か、調理器具か、とにかくたくさんの物が転がる音だった。音だけでも大変なことになっていることが分かる状況で、真っ先に反応したのはアリスだ。
「ピカピカさんですか!」
これ以上にない
「さっそくソーダが大変みたいだね」
茶色の軍服に身を包む指揮官が現れた。
「おかえりなさいませぇ、ご主人様ぁ…」
ソーダはそう言いながら厨房から這いずり出て、へろへろと立ち上がった。そして周りの雰囲気はと言えば、物音に驚きはしたものの大きな心配をするような感じではなかった。それくらい、いつもの平和な光景なのだ。
とはいえ、これでは仕事が滞ってしまうのも事実だ。エードは軽く頭を下げて言う。同時に見せる困り顔が可愛い。
「申し訳ないのですが、ご注文をお届けするのは少しお時間がかかりそうです」
その言葉にルドミラが返す。
「問題ないわ、まだ時間があるもの」
続いてエードは指揮官の方へ歩いた。
「おかえりなさいませ、ご主人様。ご注文をお伺いするのも、お時間をいただいてしまいます」
そう言う彼女に、指揮官は爽やかな表情を見せる。
「大丈夫だよ、今日は久しぶりの休暇なんだ」
そう言うがしかし、休暇なのに軍服なのかと店内の皆は思った。いつでも中央政府の呼び出しに応じられるようにでもしているのだろうか。
さておいて、指揮官はエードに案内され席に着く。
そうしてしばらく経つと、厨房から今度はココアが顔を出した。このカフェのメイド長である彼女は、その肩書に恥じない軽やかな足取りで、アリスとルドミラの元にやって来る。背中の大きなリボンがぴょこぴょこと跳ねる様子が、その堂々たる姿とのギャップで彼女自身の可愛さを引き立てているということは、カフェの常連ならば意識せずとも知っていることだった。
そして、アリスはよほど楽しみだったか、その足音が聞こえた頃から目を輝かせていたのだった。
「女王様っ、来ましたよ!」
そんな微笑ましいアリスに、ルドミラは優しく答える。
「ええ、お待ちかねね」
彼女の言う通り、お待ちかねの
「ホットミルクとブラックコーヒーだよ」
ココアはそう言いながら、コーヒーカップを2人の前に置く。ソーサーがあるにも関わらず音なくカップを置く様子は、流石
「ありがとうございます!」
アリスはさっそく、ゆっくりとカップを両手で持ち上げた。上がった湯気は鼻で受け止める。
「いい匂いですぅ」
「匂いだけでも心が落ち着くわ」
朗らかな表情がココアの頬を緩ませた。
「プロメイドが作ったんだから、当然」
誇らしげな顔を見せたココアは、そう言いながら怪しげに自らの懐に手を伸ばす。二人はそんな彼女の様子を、不思議そうな表情で見守った。そして、
「ケチャップ、おまけしてあげようか…?」
何をするかと思えば、”なんでも描いてあげる”と、ココアはおもむろにケチャップと小皿を二人に差し出した。
「今なら新品未開封、お徳用一本分っ」
そう言う彼女の眉には、少し力が入っている。しかしケチャップ一本分では、絵ではなく立体物ができてしまいそうだ。
自身に満ちた表情に、ルドミラはココアとは眉の形を逆にしていた。
「うぅん…」
ちょっと可哀そうだと感じながらも一言、
「ケチャップは…なくていいわ」
そう言うと、ココアもちょっと残念そうにする。
「そっか…」
しかし、それもすぐ柔らかい表情に戻った。
「なら、気が変わったら呼んで」
彼女がそう言って厨房に戻ろうとした次の瞬間、そこから再び大きな物音が響いた。
「ふぇぇぇ、またやっちゃいましたぁ…」
遠くでソーダの声が聞こえてくる。
「あら…」
大変そうねと、ルドミラは口には出さずとも脳裏に浮かんだ。そして"行かなきゃ"と足早にソーダの下に戻ってゆくココアを見守る。
そんな中で、アリスは変わらずソーダの登場に表情を明るくしていた。
「ピカピカさん、いつでも元気ですね!」
アリスのポジティブな思考に、ルドミラは微笑む。
「ふふっ、そうね」
そんな、特に何でもないいつものメイドカフェの中で、ルドミラとアリスはやっと一息つこうとしていた。
「さあ、そろそろいただきましょう」
「はいっ」
丁度いい温かさになったコーヒーをゆっくりと味わう。その間、窓から入る日差しがカフェの雰囲気と混ざって体を少し火照らせた。
しばらく内と外から体を癒した二人は、いよいよ任務に出向こうと席を立つ。レジに向かえば、決済端末にじっと見つめられた。アンティークな空間にそぐうよう外見をカスタマイズされたそれに、デバイスをかざさなければならない。
レジカウンターで二人を出迎えたのは
「もうお出かけですか?」
メイドたちにとって
ソーダの呼びかけにルドミラは答える。
「ええ、少し苦労する任務になりそうだけれどね」
その言葉に、ソーダはほんの少し眉を下げる。
「そうなんですね…」
しかし、”でもっ”と言いながらルドミラとアリスの手を握って、目を閉じた。
「むぅ…二人が無事でありますように…」
ルドミラは不思議そうにその姿を見るが、一瞬の
「わぁ、白いうさぎさんと黒いうさぎさんみたいです!」
「えへへっ、幸運チャージですっ」
ソーダは頬を染めてちょっぴり恥ずかし気に言うと、アリスとルドミラは答える。
「チャージできました!」
「何事もなく任務に就けそうよ」
二人の言葉に、ソーダは安心したように微笑んだ。
「へへ、よかったですぅ」
幸運チャージができたところでソーダは、”あ、お会計しなくちゃでしたっ”と二人に金額を伝える。
すると、ルドミラは懐から自分の携帯端末を取り出すとアリスに渡す。
「アリス、お願い」
「はい!」
ルドミラは機械に長い間触れていると故障させてしまう。機械音痴だとか、持つ力が強いだとかではない。なぜか調子が悪くなってしまうのだ。そんな体質のような影響で何度も痛い目を見てきた彼女は、携帯を使うような場面ではアリスにその操作を頼んでいた。
程なくして、”ピッ”と決済完了の音が聞こえる。
「ありがとうございます!」
ソーダはそう言うと、今度はレシートを渡す。ルドミラはそれを受け取ってポケットに入れた。
「行きましょう、アリス」
「はい、女王様」
二人は振り向いて出入り口の扉に歩く。程よく離れたところから、ソーダもついてきた。見送ってくれるのだろう。続いてエードとココアもバックヤードから出てきた。
やがて扉を目前にするとソーダは二人の前に出て、そのまま扉を開けた。二人がメイドカフェを出てもう一度振り向くと、横並びになった
「気を付けてね」
「いってらっしゃいませ!」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
そんな3人の言葉にルドミラとアリスは答えた。
「ありがとう、行ってくるわ」
「がんばります!」
二人はカフェを背にし、地上に出向いてゆく。
いつものように任務を遂行できると、意識すらせずに。
―――――――――――――――――――――――――――――――
今日の天気はあいにくの曇りだった。若干肌寒くもある。そんな”
「今日は全然ご主人様たちが来てくれませんねぇ…」
天気のせいか、彼女の言う通り客足は遠かった。今日は開店してから昼前まで、片手で数える程しか来客がなく、今も席に座る人影は一つもない。珍しく閑散としたカフェで主人を待ち続けるメイドフォー・ユーの3人はぽつりぽつりと言葉を漏らした。
「そうねぇ…」
エードは机を拭きながらそう言う。
「お客たち、どうしたんだろ」
ココアはケチャップの在庫を数える。
「こんなに静かだと寂しくなっちゃいますよ~」
ソーダは窓の外を眺める。
そうやって、しばらく食器に手もつけないような状況が続いていた。
「まあ、たまにはこんな日もあるでしょう」
机を拭いたタオルをバックヤードに戻してきたエードはふとそう言うと、扉の方を見やった。何か思いついたようで、彼女は扉に歩いて取っ手に手をかける。
「ねえみんな、外の看板に絵を描いてみない?」
ココアとソーダはそう言う彼女の背に向かった。ちりんと、鈴の音が鳴る同時に、扉の隙間から吹いた風で前髪が上がる。そして、外に出てすぐの場所にある看板が彼女たちを迎えた。
変わらず閑古鳥が鳴く店先で、ソーダは看板を見つめながら呟く。
「暇つぶし…でしょうか?」
ココアはその言葉に、何か確信めいた思いを込めて返した。
「いや、これはエードの作戦だよ」
「作戦…?」
首をかしげるソーダに、ココアは目をきりっと上げて言い放つ。
「うん、看板にいつもはないような絵を描くことで、お客をゲットする作戦」
「あっ、なるほど!すごく良い考えですね、エード!」
ココアの言葉に表情を明るくしたソーダは、エードに勢いよく振り向いた。
「え…ええ、そうなのよ…ふふふ…」
しかしエードは歯切れ悪くそう言う。というのも彼女は、客足が遠のいて若干暗い雰囲気になっていたメイドフォー・ユーの気晴らしになればと思って、この提案をしただけなのだ。要は看板に絵を描くというのは、本当に暇つぶし程度のことだったのである。しかしココアのプロメイド的な勘が、この状況をエードの大きな作戦であると判断していたようだった。
ともあれ、エードは二人を促す。
「えぇと、さっそく何か描いてみましょう」
「はい!」
ソーダの返事に続いて、ココアは看板の縁に置いてあるチョークに手を伸ばした。
「何描こうかな」
そう言いながら、彼女は色の違うチョークを何本かエードとソーダに渡す。ココアが眉間にしわを寄せているその間に、ソーダは彼女の隣でしゃがんだ。
「♪~」
看板に鼻歌を聞かせるソーダは、コツコツと音を響かせて絵を描いてゆく。彼女の手から生み出されるのは、にこにこ笑顔な2頭身の人がいくつか。それは決して上手いといえるものではなかったが、彼女自身の明るさが良く映し出された雰囲気のある絵だった。
「あら、誰を描いたの?」
エードの問いに、ソーダはにこりとして答える。
「カフェに来てくれるご主人様達です!」
その中の1人は、もちろん
「そうなのね、とても可愛いわ」
そう言って、エードも看板の前にしゃがんでソーダと共に絵を描きだした。同時にココアも描きたいものを思いついたようだ。
しばらくして、3人は看板から離れる。
「いっぱい描けたね」
「ええ、華やかになったわ」
いつも描かれているのはその日のおすすめメニューとおまけ程度のイラストだったが、今日の黒い看板はカラフルに彩られていた。ソーダのご主人様達に混ざるのは、エードの描いたケーキやカップ。誰が見ても分かるように丁寧に、そして繊細な線が彼女自身を現すようだった。そして、その近くにはもちろんココアが描いた絵。そこには、なんだかふやけたオムライスがあった。ケチャップでは上手い絵が、チョークだとなんとも言えないゆるいものになっている。
「誰が描いたものか、他の人が見ても分かりそうね」
そう言ってエードは微笑んだ。それぞれの個性を多分に醸しだした看板が、客を呼んでくれるだろう。
「そろそろ戻りましょうか」
「うん」
「はい!」
さっきより表情を明るくした3人は店内に戻って、再び持ち場に着こうと歩く。そしてしばらく経った頃。
”ちりん…”
響いたのは、誰かが"帰ってきた"音。
「…!」
その合図に真っ先に反応したのはソーダだった。上がっていた口端をさらに元気にさせて振り向く。
「おかえっ…!」
今日一番のお帰りをしようと張り切った彼女の笑顔はしかし、一瞬にして消えた。
―――――――――――――――――――――――――――――――
ソーダの声はぷつりと途切れ、半端なまま響く。みんなで温かくした空気が
そんな、周りの人々を巻き込む程の雰囲気を纏っていたのは、アリスだった。酷く辛い表情で扉を抜けた彼女に寄り添うルドミラは、若干申し訳なさそうな目を3人に向けていた。
「…」
止まった時間に扉の閉まる音が呼びかけると、メイド達は思い出したようにお辞儀をした。
「おかえりなさいませ、お嬢様…」
アリスの表情に呼応するように、3人の声音は弱くなっていた。下げた頭は、まるで心に枷をかけられたように重い。
しかしその枷を外すのは、ある種メイドのプライドのようなものだった。
まずはエードの落ち着いた声がアリスとルドミラを包む。
「お席にご案内いたします」
いつも通り優雅に、華麗に、そして完璧に二人を誘導する。その姿の先には当然、彼女達のためにある席が見えた。更にそこには、待ち構えていたようにその椅子を引いたココアがいる。
あまりの手際の良さに何か特別な対応をされているのだろうかと、通りすがっただけの客なら思うだろう。しかしそれは違う。この姿こそが、メイドフォー・ユーだった。カフェに一歩踏み入れば、そこは奉仕と癒しの場所である。たとえ暗い表情のご主人様も、お嬢様も、メイドはその心を温めようと全力で奉仕するのだ。
「いつもの、用意しておいたよ」
机に置かれているのは、湯気の上がるホットミルクとブラックコーヒー。一体いつ用意したのかと言いたくなるが、これもプロメイドのなせる技ということなのか。
しかしそこまでの奉仕を受けたルドミラは、いつもの程の余裕感を出せてはいなかった。アリスも、うつむいた顔は戻らない。
「ありがとう、みんな」
ルドミラは一呼吸おいて、もう一言話す。
「さ、座りましょう、アリス…」
彼女の心配の声音は分かりやすい。アリスはルドミラのその言葉に”はい…”と力なく答え、引かれた椅子に腰かける。体重がかかって軋む音は長い間響いた。ルドミラもアリスに続いて腰を下ろすと、深く息を吸って話し始めた。
「こんな状態では心配させてしまうわね、ごめんなさい」
彼女は眉を斜めにして続ける。
「…ここに来れば、少しは元気が出るかと思って来てみたのよ」
元気が出るかと思って。それはアリスのことだろう。
アリスはいつしかソーダと出会ってから、このカフェをとても気に入っていた。今では常連になるほど通い詰めるようになったこの店の中でさえ、表情を暗くする彼女の様子はもはや異様ですらあった。
そんな中エードは尋ねた。
「一体、何があったのでしょうか」
ソーダは彼女の問いに、本当は私も気になっていたと言わんばかりの表情を浮かべる。ココアも真剣な面持だ。
ルドミラは、未だ頭を落とすアリスの後ろ髪を撫でて言う。
「任務でね、嫌な場面を見たのよ…あまり詳しくは話せないのだけれど…」
嫌な場面。彼女たちの仕事は救助が主であることを考えると、詳しく話されなくても想像できてしまう。それも、想像できる中でも一番辛い状況。
「そうなのですね…」
「なるほど…」
「ふぇ…」
辛いことがあっても、任務の事では相手が同じNIKKEであっても他言はできなかった。抱え込むしかないアリスの、その震える心を温めるために、メイドたちは何か出来ないかと考えるばかりであった。
「ええ、だから…その…」
ルドミラは何か言いかけて口を
「…」
"本当は私が何とかしてあげないといけないのに"と内心では思っていた。しかしアリスにかけるいい言葉は見つからなくて、ルドミラは
ぐるぐると駆け巡る気持ちがルドミラを更に悩ませる。このまま沈黙が続いてしまうのかと皆が思ったその時、今まで深く俯いていたアリスは小さく呟いた。
「きっと寂しかったと思いますっ…ずっと待って、ずっと寂しくて…!」
そして、内に抱える思いについに耐えられなくなったのか、それとも
「でもっ…誰にも見つけてもらえなくてっ…!!」
悲しみか、己の無力への怒りか、その声は段々と慟哭に変わっていった。
「私がもっと早く見つけてればっ…あんなことには!!」
今日見た光景が、NIKKEになる前のうっすらとした記憶と混じり合って、彼女の中に濁流を起こす。
「う…うぅ……」
泣き顔を見せちゃいけない。助けを待っている人に寂しい思いをさせてしまうから。安心させてあげなくてはいけないから。抱きしめて、温めて、笑顔を向けてあげなくてはいけないから。
「ぅあぁ…」
しかし、助けられなかったという変えることのできない事実が、感情をせき止めることを許してはくれなかった。
「ぁああっ…!」
そして涙は頬に打ち付けられて、ぽろぽろと落ちてゆく。
そのとき、
「アリス!!」
アリスの背に、温かく、柔らかい感覚が覆われた。彼女の名を呼びながらその小さな体を抱きしめたのはソーダだった。
一介のメイドでは、外で働く主人達の真の苦労は図れるところではない。しかしそれでも、凍え、震える心を温めようと強く抱きしめる。
「アリスは困っている人たちを助けてあげる子なんですっ…助ける人が悲しい表情をしてると…相手も辛くなっちゃうんですっ…だから…だからっ…私が笑顔でお迎えしなくちゃいけないのに…!」
ソーダはとぎれとぎれに、内にあるアリスへの気持ちを、そしてそんな彼女へ向けなくてはならない自分の姿を伝えた。しかし変わらないアリスの表情に、ソーダの声は震える。
「私のご奉仕で元気になってもらわなくちゃいけないのに…!!」
自らの使命なのにそれを叶えられないという悔しさと悲しさは、ソーダをも襲った。
「でもでもっ…アリスがそんな顔してると…私も悲しくなってっ……ふぇぇぇっ…!!」
そしてついに、ソーダの頬にも涙が伝う。するとアリスは立ち上がり、振り返って、勢いのまま彼女に抱き着いた。
「うぅぅっ…私もっ…私もっ…助けた人が元気になってほしいですっ…!…ぅううっ…!」
二人はそうして、ひとしきり泣いた。涙を流した分だけ、暗い気持ちが和らいでいく気がした。頬ずりの暖かさと柔らかさが心を満たしていった。涙の温かさでさえ、お互いを思う優しさに感じた。
どのくらいの時間か、すっかり冷めてしまったコーヒーに気付くまで抱擁を続けた二人は、惜しむようにゆっくりとその体を離す。
そしてソーダは腫らした目を頑張って笑わせた。
「コーヒーの代えを用意しましゅ…」
若干、呂律の回っていない彼女に呼応するようにアリスは答える。
「温めるだけで大丈夫でしゅよぉ…」
せっかく用意してくれたものを無駄にはしたくなくて、彼女は同じくちょっとだけ呂律の回っていない言葉を紡いだ。そしてソーダはその言葉を素直に受け止める。
「わかりまじた…」
2つのカップをもってつまずくこともなく厨房に入る彼女の姿を見送ってから、ルドミラはつぶやく。
「私…ずっと考えてばかりだったわ…ずっと、言葉であなたの心を癒そうとしていたの」
そして彼女はアリスを抱きしめ、その頭を優しく撫でた。
「でも、これが一番大事だったのよね…」
深く激しい感情をヒトの論理で覆すことはできない。誰しも頭の片隅で分かっていたはずのことを、ルドミラはアリスとソーダの姿を見て思い出した。
そして今度は、エードが抱き合う二人を両手で包み込んだ。
「私も…メイドの本分を改めて思い出しました…誰かを癒すために大切なのは、まずは心へのご奉仕だと」
ココアも続いて、小さな体を広げて3人にくっつけた。
「うん、プロメイドたるもの、いつも持っていなくてはならない心」
ヒトを癒すのはヒトの温もりだった。そう思えば、案外ヒトの心を癒すのは簡単なものなのかもしれない。ヒトに温もりを与えてあげる気持ちがあれば、誰かの心を救う行動ができるのだから。
しかしその心を、常に持ち続けることは難しいのだろう。未だにアークでは争いは絶えないし、外へ追いやられたもの達だっているのだから。
でも、だから必要なのかもしれない。まずは、ヒトを癒す”場所”というものが。
「わぁ…皆さん、お外を見てください!」
コーヒーを温めて戻ってくるなり、そう言うソーダの瞳はきらきらと輝いている。それはさっきまでの涙のせいではなかった。
アリスはソーダにつられて窓の外を見渡す。
「とってもきれいです…!」
その瞳を輝かせるのは、雲の切れ間から刺す
「あら、本当にきれいね」
「うん、きらきら」
「見ているだけで、幸せになれそうですね」
陽の光は、その純粋な輝きで皆を癒した。しかしその正体が何であるかは皆わかっていた。この光は
「私、ここに来てよかったです…」
アリスはほんのりと頬を染めて、つぶやくように言ってさらに続ける。
「ここに来れば、いつもあったかくなれるんです…!」
彼女は今までとは逆に、今度はみんなを抱きしめた。
「だからいつか、助けた子とも、ここに来たいです!」
そしてその表情を見たルドミラは嬉しくなって、彼女の頭を撫でる。
「ええ、きっと来れるわ、アリス」
「はい、女王様!」
今度はメイド達が元気に答えた。
「いつでも待ってますよ!」
「その時もぜひ、誠心誠意、ご奉仕させていただきますね」
「最上級のケチャップで出迎えてあげる」
そんなやり取りの
「これから忙しくなりそうね」
ルドミラはつぶやく。そして立ち上がろうと、やけにゆっくりと上がる腰の動きは、彼女の表情には表れない、退店を名残惜しむ証だった。
「それじゃあ、これ以上はお邪魔になってしまいそうだし、行きましょうか、アリス」
「はいっ」
やっと立ち上がったルドミラは、同じく立ち上がるアリスを見届けた。この前と同じように会計を済ませると、二人を見送るためにエードが出口まで先頭を歩く。
ルドミラは最後に、改めて感謝の意を示した。
「今日は、本当にありがとう」
エードはそんなルドミラに微笑みを絶やさない。
「メイド冥利に尽きるお言葉です。それに、皆様に安らぎを提供するのが私達の使命ですから」
そして彼女は扉を開く。少し肌寒い風がアリスとルドミラの髪を薙いだ。二人が外に出るとエードはお辞儀をする。
「お気を付けていってらっしゃいませ」
彼女の言葉はいつもと何ら変わらない。しかしその柔らかな声音と表情は、まるでカフェの温かさをお土産にと、心から心へ渡してくれているような思いやりに満ちていた。
「はい、いってきます!」
「行ってくるわ」
すっかり笑顔を取り戻したアリスと安堵の表情を漏らすルドミラは、お辞儀をするエードにそう返す。そして二人は再び極寒の地に戻るために歩き出した。明日からまた、助けを求める誰かのために備えるため。
「…」
二人が歩き出してしばらく経つと、エードは頭を上げる。そして小さくなってゆく彼女たちの背中を見届けて店内に戻った。少しだけにぎやかになった店内を、急ぎと思われない程度の速足で歩き、バックヤードに向かう。既に受けた注文を作り終えたココアとソーダは、エードとすれ違うようにホールに出た。
「ぴょこぴょこ♪バニーバニーオムライス、お待たせ」
「お待たせしました!ドキドキ♪恋のハートチャーハンです!」
注文の品を口に運ぶことで、主人達はこれから至福の時間を過ごすのだろう。しかし、その品のクオリティはメイドが生み出す奉仕の真の価値とはまだ言えない。心を込めてそれを用意するという姿が合わさって、落ち込むヒトに明日への希望を、楽しみに来たヒトに更なる幸せを届けられるのだ。
今だって、元気で可愛いココアとソーダの姿を前に、まだ何も口にしていない主人達は自然と笑顔を見せている。
「「ごゆっくりどうぞ!」」
ひとまずの仕事を終えた二人のメイドはそう言って、席を離れる。まだまだやってくるであろう主人達の帰りを迎えるため、メイドの身に暇は訪れない。料理の仕込みに、バックヤードの整理整頓、動いて少しだけ乱れた服を整えた。普通の人が気にしない所でも、たとえ彼らが見えない所でも、少しの意識が主人達の喜びに繋がることを知っているから。そうやって完璧を保って、いつでも待っている。
そんな彼女達から、人の温もりが欲しいのなら、退屈な日常にちょっぴり刺激が欲しいのなら、
”ちりんっ”
いつでも扉を開けて、その鈴を鳴らすといい。
「おかえりなさいませ、ご主人様!」
なんたってそこにいるのは、
二人がカフェを後にしてしばらく経ったある日、アリスがルドミラ以外の誰かの手を引いて帰ってきたことは、また、別のお話。