「ん、ぅ……」
混濁した意識が浮上する。ゆっくりと目を開ければ、昨晩愛し合った愛おしい人の顔が間近にあった。
気恥ずかしさから思わず目を逸らし、部屋を見渡――そうとすると、髪の毛が引っ張られる感覚に阻まれる。
「あ……」
そう言えば最後、髪の毛結んで、お互い一緒に、ずっと……思い出すだけで顔が熱くなる。
(本当にしちゃったんだ……せつ菜さんと……)
鮮明に思い起こされる昨夜の情景から意識を逸らそうとするけれど、眼前で寝息を立てるあどけない寝顔から目を逸らすことは許されなくて、段々と身体まで熱くなってきてしまう。
だめ、それだけは……はしたない子だって思われちゃう……昨夜あんなにしたのに……
「せつ……菜々さん、髪の毛解きますからね。私が起こしたわけではないですからね」
言い訳を残しつつ、髪に触れる。合宿では寝ようとしていた時だったけど、今は起こされても不機嫌にならない、はず。
「ぅ……」
解かないと動けないのに、解きたくない。菜々さんと愛し合った証を、自分から解きたくない。
「ん……」
葛藤に苛まれ動けずにいると、やがて菜々さんはゆっくりと目を覚ました。ほっとした一方で、少し残念に思ってしまう。
「……しずく、さんっ」
「へ、えっ!?」
真っ赤になって目を逸らすかと思いきや、甘えるように体を摺り寄せられる。
(かわいい……かわいいかわいいっ! いつも寝起きってこうなの? それとも相手が私だから?)
巡らせる思考と戸惑いを意に介さない様子で、ふにゃりと微笑み肢体を絡められる。行動だけ見れば誘ってるようにしか思えなくて、どうしていいか分からない。
「あの、菜々さんっ、ダメです、そんなにされたらっ……!」
「むぅ……嫌なんですか?」
頬を膨らませる菜々さんがかわいすぎる、けれどはっきり言わないと。
「そうではなく、恥ずかしいといいますか、その、身体が密着してるから、そのっ……」
うぅ、言えない……私だけそういうことを意識してるなんて……でも、菜々さんだって完全に目を覚ましたら恥ずかしがるはずだから。
「すみません、もう少しだけこのまま……嫌ならしずくさんから解いてください」
ずるい。そんなこと言われて抵抗なんてできるわけない。
気の抜けたあどけない微笑を見せたかと思えば、愛おしそうに大人びた表情で交わった髪を撫でられる。
今まで見てきたものとはまた違う二面性に、更に私は惹かれゆく。
「……やっぱりしずくさんは優しいです。昨日も……ありがとうございます。最後に、このままお風呂場まで一緒に来てくださいますか?」
こくりと頷く。洗面台に鏡があるから、その前で解いてシャワーを浴びるつもりだろう。
ゆっくりと足並みをそろえて立ち上がれば、お互いの体液にまみれた下半身が露わになる。
「っ……」
恥ずかしいけど、何も言えない。菜々さんもそれは同じのようで、目を逸らしつつ机へと向かって――あれ、机?
「あの、菜々さん?」
「記憶だけではなく、記録にも残させてください」
右手を伸ばしてスマホをとり、画面を見れば端正な顔が少し歪んだ。……きっと、あの人から連絡が来ているのだろう。
だけど菜々さんは見ないふりをして、カメラを起動させる。
「しずくさん」
視線と意識がそちらへと向いていたところに、正面から呼びかけられ菜々さんを見る。
するとカシャッと写真が撮られた音がした。
「えっ、あれ……?」
菜々さんは戸惑う私を尻目に、撮った写真を確認すらせずにスマホを机へと置いて歩き出そうとする。
「今ので、いいんですか?」
「はい。スクールアイドルとかではなく、誰にも……いえ、特別な人以外に見せないものなら自然なものの方が好きなんです」
「……そう、ですか。後で私にも送ってくださいね」
「もちろんです!」
それ以上言うことはなく、ゆっくりと部屋を出る。身体が密着したままだから、動くたびに変な気分になってくる。
それにこの向かい合って一定のリズムで横に移動する動き、まるでダンスパーティーを演じているみたいで、そういう意味でも興奮する。
するとせつ菜さんと目が合って、微笑まれて。
「……なんだか、一緒に踊っているみたいですね」
「っ!? あ、えと、私も、今そう思ってっ……」
――こんなの、動揺を隠せるわけがない。
「ふふっ。しずくさんは、リードする役とされる役、どちらがいいですか?」
「えっとっ、せつ菜さんならリードされたいですし、菜々さんならリードしたい、です」
「それなら今は私がリードされる側ですね。しずくさんの家ですしちょうどいいです」
「は、はいっ!」
なんて言うけれど、高鳴る心臓の鼓動は手足の動きに大きく影響して、まともに動けるわけなくて。
脱衣所までは菜々さんにリードされっぱなしだった。今度は絶対に私からリードするんだから。
(今度……あるといいな)
「すみません、結局引っ張っていただいて……」
「いえ、動揺するしずくさんがかわいかったので大丈夫です!」
「私が大丈夫じゃないですっ!」
「では、次回はしずくさんからお願いしますね」
真剣な眼差しで見つめられ、主語を問いただすことすら許されない雰囲気に呑まれる。
次に似たようなことがあった時か、結ばれた髪の毛を解く役か、それとも――
思わず顔を背けた先は、鏡の中の私だった。頬を赤らめ、目を潤ませて。
「私を、せつ菜さんの理想のヒロインにしてください」
気付けば髪の結び目に手を掛け、そう口にしていた。
「もうなってますよ。その代わり、菜々を貴女の理想のヒロインにしてください」
反対側の結び目に菜々さんの手がかけられ、そう告げられた。
「もうなってます。こんなやりとりができるだなんて……嬉しすぎますっ……」
結われた髪が同時に解かれ、見つめ合う。
「……髪の毛、癖がついちゃってますね。私はいつもとそんなに変わりませんが、しずくさんは新鮮ですね」
鏡を見ると、確かに2つに分けられていた。巻き癖がついてるおさげって言えばいいのかな、でもこのままだと違和感しかない。
「シャワー浴びたら直さなきゃ……後で手伝ってくださいね」
「もちろ……いえ、嫌です。今日1日はこのままでいてください」
「っ……」
どうしてですか、なんて聞き返すほど野暮ではない。だって、だってこの髪型は。今だけの髪型は。
何も言えなくて、菜々さんの手を引いて浴室に入る。シャワーを浴びるためではなく、菜々さんと完全に2人きりになるために。
「ここまで言われて、我慢できません。菜々さんはずるいです、最初からそのつもりでしたよね?」
「……目が覚めた時、直ぐに髪の毛が解かれれば違いました。でも……」
その先の言葉は言いたくないと言外に語るように、身体をぎゅうっと押し付けられる。やわらかなところが触れ合って、心臓が高鳴って、大好きって気持ちが止まらない。
「ごめんなさい、しずくさん、はしたなくって、でもっ……!」
「謝らないでください、私も同じですから……ね?」
愛を込めて抱きしめて、愛撫するように背中を撫でる。
「ぁっ……しず、く、さんっ……!」
今にも崩れ落ちそうなほど蕩けた表情に、身体の芯が熱くなる。
「菜々さんっ、好きです、大好きですっ……!」
「私も、ですっ……あぁっ!」
秘所に手を這わせると同時に私のそこにも指が入ってくる。昨夜あんなに交わり合ったのに、膣奥がきゅうっと疼くのを感じる。
「しずくさん、しずくさんっ……!♡」
「菜々さんっ、菜々さぁんっ!♡」
名前を呼び合い、より密着し、指を動かし――快楽が身体の奥からせり上がってきて、声にならない声を上げ、ゆっくりと、果てた。
「はっ、はぁっ……♡」
「ふあぁ……♡ ふぅっ……」
呼吸を整え、見つめ合い、微笑み合う。
後はシャワーを浴びればいいだけなのに、お互い視線を逸らさない。それどころか距離が近づいていく。
「んっ……♡」
「んみゅっ、んぅあっ♡」
水音と共に唇を重ね、身体を密着させ、触り合い、求め合う。
冷えることのない熱量に溺れ、体力の限界が訪れるまで、互いの身体を貪り続けた。
―――
「……本当にこれでいいのでしょうか」
シャワーを浴びて服を着て、昨夜の後始末を終え、朝ご飯を食べた後自室に戻るや否や、菜々さんは深刻そうに呟いた。
「と、いいますと?」
「今まで性に対して臆病だった私が、今は、こんな……いくらしずくさんに目覚めさせられたといっても、それだけでは済みませんよ……」
なんだ、そんなことか。それなら答えは決まってる。
「いくら変わろうとも、菜々さんは菜々さんです。どんなあなたも愛しますよ♡」
「……ありがとう、ございます」
か細くそう告げ、ソファーへと逃げるように座った。顔を赤らめて俯くも、口元は喜びを隠しきれていない。どうしよう、かわいすぎる。
その顔と仕草をもっと見たくて近寄る――が、机の上で震える菜々さんのスマホによって強制的に止められた。
先送りにしてほしいと思ったけれど、何度も鳴ることからきっと電話だろう。これ以上無視はできないと判断したのか、覚悟を決めた表情で菜々さんはそれを手に取った。
「おはようございます、歩夢さん」
「せつ菜ちゃん! よかった、繋がった……もしかして忙しかった?」
「えっと、そうではないのですが、マナーモードにしていて気付かなかったんです、すみません」
ふたりの会話を聞く傍らで、自らのスマホの電源を入れる。案の定私のスマホにも電話が来ていた。
起きた時、そして菜々さんのスマホが最初に震えた時、電源を入れて連絡する選択肢はあった。でも、優先させたのは菜々さんとだけの時間。
仄暗い罪悪感を抱きつつ、昨夜の歩夢さんのメッセージを開く。
『こんばんは。すごい雨だね……家の中にいても聞こえてくるよ。2人は怖くない? わたしは大丈夫だけど、侑ちゃんがなんだか怯えててわたしにぎゅって抱きついてくるの! もうすっごくかわいくて……! もし大丈夫ならみんなでお話しする?』
――ありがとう。ごめんなさい。やっぱり侑先輩が1番なんですね。
複雑な感情が胸の中で渦巻いていく。
「そうだったんだ、でもしずくちゃんも見てなくて、おまけに電話も出なくって……せつ菜ちゃんも3回目でやっと出てくれたし」
「すみません、席を外していて……!」
「ううん、怒ってるわけじゃないから気にしないで? でもほんとに心配だったんだからね? って心配といえばしずくちゃんだよ、せつ菜ちゃんからも連絡してくれない?」
「えっと、それは……」
困った顔の菜々さん――今はせつ菜さんの方が適切かな――と目が合う。メッセージを読むことに集中していたから会話の全容は把握できていないけれど、どうやら反応がない私のことを歩夢さんは心配してくれているみたい。
「貸してください、代わります」
――嬉しい。申し訳ない。せつ菜さんを困らせたくない。
複雑な感情の赴くままに、せつ菜さんからスマホを預かる。
「おはようございます、しずくです。連絡取れなくて申し訳ありません」
「しずくちゃん!? よかったぁ……ってどうして……?」
戸惑いと困惑が大いに含まれる声色。当然だろう、私のスマホには無反応で、せつ菜さんへの電話に応答しているのだから。
「実は昨夜、せつ菜さんと私の家でお泊りしていまして。目的の一つが一緒に映画を見ることだったのですが、その際集中したいのでスマホを切っていて今までつけるのを忘れてました。すみません……」
大丈夫、嘘は言っていない。アドリブだけど上手く誤魔化せてる。
「そう、だったんだ……お泊り……そっか……」
「嬉しくないんですか? せつ菜さんとお似合いだって言ってくださいましたよね?」
「それはっ……そう、だったね、うん……楽しかった?」
「はい、それはもう♡ 次は歩夢さんも一緒にしましょうね」
「……うん、楽しみにしてるねっ。私もそっちに行っていい? 今日どうしようかなって思ってたの」
深く追及されなかったことは一安心だけど、歩夢さんが来たがっているのは非常にまずい。
昨夜の痕跡を完全に隠すなんて無理だし、映画以外のことを話すと流石にぼろが出る。だけどここで断ったら完全に歩夢さんをのけ者にしてるみたいになってしまう。
「しずくちゃん? もしかして都合悪い?」
「えっと、そうではないんですけど、その……」
正しい答えが分からなくて、頭が真っ白になっていく。ごめんなさい、せつ菜さん――
「……しずくさん、代わってください」
どうしようもない私を見かねたのか、せつ菜さんが助け舟を出してくれた。でもどうやって誤魔化すつもりなんだろう。
「もしもし歩夢さん。実はですね、一緒に映画を見る以外にも、歩夢さんへのサプライズを計画していたんです」
「えっ!? そうだったんだ……確かにわたしがいたらできないよね、ごめんね」
「いえいえ、気にしないでください! それでは楽しみにしていてくださいね!」
「うん……あっ、でもこれだけは聞かせて? 誕生日はまだ先だし、何かの記念日もないし、何のサプライズなの?」
「あはは、それを言ったらサプライズになりませんよ。歩夢さんにとっては嬉しい……はず、です。そう思っていただけるように頑張りますからっ……!」
「そう、なの……? 分かった、楽しみにしてるね。それじゃあまたねっ」
「はい、それではまた!」
元気な声でそう締めるも、表情は苦々しかった。
「菜々さん……ううん、今はせつ菜さんとお呼びした方が?」
「好きに呼んでください。しずくさんが言ったように、どんな私も愛していただけるのなら、それで……」
「では、ありがとうございます、菜々さん。おかげで何とか誤魔化せました」
「……ごめんなさい、今だけはこうさせてください」
弱々しく、背中に腕をまわされる。菜々さんと呼んで正解だった。
「今だけと言わず、いつでもいいですよ」
私との関係もあるのに、歩夢さんとも結ばれようとしていること、それが幸せにつながるかも成就するかも分からないこと。直接言葉にしなくとも、歩夢さんに宣言してしまった。それをせつ菜さんに任せてしまった。
「私こそごめんなさい、前を往く役割をせつ菜さんに任せてしまって。ですからせめて、菜々さんの安らげる存在でいさせてください」
「貴女がいるから、一緒だから前に進めるんです。……ですが、本当にこれでいいのでしょうか」
先ほどと同じ問い。だけどその重みは明確に違う。私はどんな菜々さんでも愛せる、だけど歩夢さんは?
それに、いくらお互い好き同士といえども、私たちだけ先に進み過ぎた。欲に負け過ぎてしまった。
「……分かりません。ですが、諦められませんよね? 諦めたくないですよね?」
半分は自分への言い聞かせ。あれほど愛を囁き合って身体を重ねて、満たされないわけがない。
だけどそれは刹那の快楽。先ほど歩夢さんと話しただけですぐにお風呂場を去るべきだったと後悔しているし、休日が明けて顔を合わせればきっと、昨夜の情事も後悔するだろう。
だけど、それでも、好きだから。せつ菜さんを、菜々さんを、欲してしまう。
「諦めないとして、このことを歩夢さんに伝えられますか?」
菜々さんもそれは同じようで、板挟みの感情の中、不安の色で私を見つめる。
「……いつかは伝えなければいけません。でも、それまでは恋人として過ごしましょう。最初に決めていた計画が、私たちだけでちょっと進み過ぎてしまっただけです」
私とせつ菜さんが仲良くすることで、歩夢さんの気を引いて、その後2人で歩夢さんを篭絡する。だけど私たちは進み過ぎた。
だから多少は隠さなければいけなくて、多少ならそのまま曝け出しても大丈夫――だと、思う。
「分かりました。では今から詳細を考えましょう。喫茶店で話した衣装の件についてはどうします?」
「ラブソング衣装のことですよね。思ったんですけど、歩夢さんが衣装を着てくれないと私はともかくせつ菜さんの方は成り立たないんです。ですから――」
歩夢さんとの愛の為に、私たちは言葉を重ねる。
歩夢さんにどう思われるかは分からないけれど、それでも私たちは進むしかない。
「――分かりました、それでいきましょう。歩夢さんなら受け入れてくれると思います。結ばれるかは分かりませんが、私たちの想いは必ず届きます」
「……どうして言い切れるんですか?」
歩夢さんのことだから真っ向から否定することはないだろうけれど、それを加味しても必ずだなんて。
「歩夢さんが悩んでいた時に、アドバイスしたことがあったんです。大好きな気持ちを我慢してはいけないと」
「……もしかして、スクールアイドルフェスティバルの前ですか?」
こくりと頷かれる。なるほど、だからあの時の歩夢さんは一層魅力的に映ったのか。
「だから私たちの気持ちを否定できないと?」
「はい。それに……っと、これは私が言っていいことなのかは分かりませんね。えっと……歩夢さんは今までよりも侑さん一筋ではなくなったとだけ言っておきますね」
「……せつ菜さんと歩夢さんの秘密ですか?」
内容なんてどうでもいい。ただその事実が私を苦しめる。せつ菜さんとの秘密は今あるけれど、歩夢さんと私は、何も……
「そう、なります、が……ああもうそんな顔しないでください! しずくさんにだけは特別ですよ!? 他の誰にも言ってないことなんですから!」
余程ひどい顔をしていたのか、せつ菜さんは秘密を教えてくれた。最初こそせつ菜さんだけが知っていたことは変わらないのだからどうでもいいと思っていたけれど、内容を聞いた後は聞いてよかったのかとすら思う。
「そうでしたか、侑先輩とファンの間で……あっ」
歩夢さんはどちらかを選ばないといけないと思っていた。1番が1つでないといけないと思っていた。けれどせつ菜さんのアドバイスのおかげで、歩夢さんの価値観は変わり、広い範囲を愛せるようになった。
「もしかして、せつ菜さんのおかげで可能性が広がった……?」
ううん、せつ菜さんのアドバイスが無ければ可能性は0に等しかっただろう。
「自分で言うのもあれですが、そうなりますね。ですから今度は、私が大好きを全力でぶつけます!」
熱を帯びた輝いた瞳は、恋に落ちない人はいないと思うほどの輝きに満ちている。
「しずくさんも、絶対大丈夫ですから。完成を楽しみにしてますからね!」
未完成の恋の歌。歩夢さんを想って選んだ衣装に、設定を練ると同時に最奥の意思を引き出して編んだ歌詞。そこにせつ菜さんの応援が加わるのなら、もう私に不安はない。
「ありがとう、ございますっ」
大好きな気持ちに嘘はつけない。歩夢さんなら、きっと分かってくれるはず。