未プレイの方はお戻りください。
本文にはトリコフィリア(あるいは毛髪フェティシズム)に類される描写が含まれています。
異常性癖に嫌悪感をお持ちの方はお戻りください。
「物好きな人ですね。生け贄がお望みでしたら、どうぞ自由に扱って下さい」
感情を窺わせぬ、しかし思わず聞き惚れるほどに美しい声が静寂の中に響いた。足元にまで届くほどに長い、長い長い紫の髪。目元は眼帯で覆われ、艶のあるきめ細かい肌にぴったりと張り付くような裾の短いタイトドレスで豊満な肢体を包んでいる。
ギリシャ神話において数多くの勇士達が討伐せんとして挑みながらも、あえなく石へと変えられてしまった恐るべき怪物として知られたゴルゴーン三姉妹。その末妹メドゥーサ。
偉業を成し遂げて人類史に名を残した英雄としてではなく、その英雄の敵役として討たれることで名を後世にまで残した反英雄。
「お帰りなさい、メドゥーサさん」
その忌まわしき存在であるはずの自分の手を、一瞬の躊躇も遠慮もなく両手で握り締め、満面の笑顔で迎えてくれた年若きマスターに、何故か自分の唇にも微かな笑みが自然と浮かぶ。
「遅いわよ、駄妹(メドゥーサ)」
「全くだわ。最後の最後に一人だけ勝手に退去して、ずいぶんとマスターに迷惑をかけたそうじゃない」
そのマスターの背中から、そっくり相似形の二人の少女が左右に分かれて顔を覗かせる。
「上姉様、下姉様」
ほとんど本能的な条件反射で、思わず首を竦ませる。再会が嬉しくないわけではない。これはただ、体に染みついた癖のようなものである。
「まあまあ、ステンノもエウリュアレも、そんなに怒らないで。メドゥーサさんが帰ってくるまで心配だったのはわかるけど」
「ふんっ、心配なんかしてないわ」
「ええ、駄妹(メドゥーサ)に心配する必要なんてあるわけがないもの。ねえ?」
マスターに宥められた二柱の女神が優雅に微笑む。
「ええ、本当に遅いですよ、古い方の私。おかげで私が姉様達の機嫌をとらなくてはならなかったのですから」
腰に黄金剣を提げたセイバー霊基の自分が、嘆息とも安堵ともつかぬ溜め息をつきながら現れる。不死殺しの刃を所持したランサー霊基の小柄な自分は、何も言わずにただ口元に手を添えてクスクスと笑っている。
自分は知らない。こんなにも温かい出迎えを受けるほどのことを自分がしてきた記憶はない。こんなにも居心地の良い柔らかい空気の中に浸れるほどの善行を為した覚えはない。
自分は魔獣。自分は怪物。自分の存在意義は、英雄に殺されること。誰かの役に立つことも、誰かの命を救うことも、誰かのために命を張ることも、自分の役回りではない。
自分は誰かの血を啜り、誰かの肉を石へと変え、そして誰かの命を奪うことしか出来ない。
――そのはず、なのに。
「…ええ、ただいま戻りました」
何故か、自分の口は勝手に動いて、そんな言葉を紡ぎ出す。
今の自分に記憶は無くとも、自分の居場所はここなのだと、確かに自分は此処にいて良いのだと、その肌で感じ取る。
「それじゃあ、改めて。――ようこそ、人理保障機関カルデアへ。これからも、どうかよろしくお願いしますね」
ただ。
そうであっても、なお。
心の何処かで、この瑞々しい少女を『食べたい』という欲望が疼いてしまう自分は、やはり紛れもない怪物なのだろうけれど。
■□■□■□■□■
カルデアに新しく召喚されたサーヴァントに対し、歓迎も兼ねてマスターが施設を案内するのはよくある事である。
ただし、レイシフト先の特異点で重傷を負い、あるいは魔力を使い果たして退去せざるを得なかったサーヴァントが再召喚という形でカルデアに帰還した後にまで、しかも複数のサーヴァントが同じように退去したような場合、そのたびにマスターが案内して回るというのは単に二度手間でもある。
そのような場合は、カルデアに記録された霊基グラフに基づいた情報の同期という形で、蓄積された過去の情報を閲覧することで退去の際に失われた記憶を補助する仕組みがある。
これはアトラスの錬金術師、その六源の一角を占めるアナトラム家のシオンが家伝特性であるエーテライトを応用したもので、他者の思考や記憶を読み取る際の大容量、超高速情報伝達能力を利用することでカルデアに蓄積された膨大な過去のデータを短時間で疑似体験することが可能である。
尤も、これは自分と同じ貌をした赤の他人が主人公の映画を延々と見せられているようなもので、必ずしも当事者意識には欠ける上に、同じ処置を普通の人間に施せば流し込まれる情報量の負荷に脳が耐えきれず一歩間違えば廃人にもなりかねない荒業ではあるが、元々サーヴァントは通常の聖杯戦争で召喚される際は開催される時代や周辺地理に応じた一定の知識を自動的に付与される傾向にあることから、その記憶容量については普通の人間よりもかなりの余裕がある。
「ふぅ…」
とはいえ、全く何の副作用も後遺症もないというわけでもなく、小さく頭を振って軽い頭痛と眩暈を振り払う。
施術したシオンは記憶が定着すれば落ち着くはずだが、あまり症状が重いようなら医療系サーヴァントに相談を、とも言っていた。ただし、その代表格とも言える変態医師にはなるべく、可能な限り、いや絶対に近づきたくないため、おそらく相談以前に足を向けることすらしないだろう。したところで逆に無駄なトラブルと頭痛の種が指数関数的に増えるだけである。
「大丈夫ですか、メドゥーサさん」
優しく気遣う声に、背後を振り向くと、自分よりも少し淡い色合いの紫の髪の少女が柔らかく微笑んでいた。
「ええ、問題ありません。…マシュ、でしたね」
「はい、マシュ・キリエライトと申します。改めて、これからも先輩共々よろしくお願いします!」
他のカルデア職員とも一通りの顔合わせは済ませたが、その中でもマスターのファースト・サーヴァントであり、その絆も他の誰より強く結びついていると思わせる少女だった。
昨日までは長く寝食を共にし、気心の知れた親しい関係を築いていたはずの相手が、全く同じ貌で、全く同じ人格と性格をそのままに保持していながら、しかし全くの別人として再会する。
退去からの再召喚で復帰したサーヴァントならではの特異な状況も、特異点での熾烈な戦いを繰り返すカルデアの職員達はすっかり慣れたもの。これまで培ってきた関係を、また零からもう一度作り直せばいい。そう割り切って、再会の挨拶を交わす。
「あ、マシュ。お疲れ様」
「先輩もお疲れ様です! 黒姫さんもご一緒でしたか」
「お疲れ様です、マシュさん」
「うん、あと今そこでエリちゃんとビショーネともばったり出会ったから、ついでに誘ってみたの」
「子ジカに誘われたら断れないもの。後輩の新人アイドルを労ってあげるのもトップアイドルとしての務めよね」
「あ、部長! お、お疲れ様です!」
大浴場の更衣室が急に賑やかになる。カルデア職員の個室にはシャワー付きの浴室も備え付けられてはいるが、同性の相手と親睦を深めたり、リラックス効果を高めたりといった目的で時にはシミュレーションルームに大浴場を投影する場合もある。今日はマスターと黒姫の趣味に合わせて和風の露天風呂の趣向だが、古代ローマ式の大浴場は、歴代のローマ皇帝達も好んでよく使用する。
「…私は部長ではないのですが」
「ビショーネの中では、もうすっかりそれで定着しちゃってるよね。エリちゃんまで悪ノリしてそう呼んでるし」
微苦笑を浮かべてマシュと顔を見合わせるマスターは、そこで何かを思い出したようにコロコロと笑い出した。
「ああ、そういえば食堂でくろひーが、『我が輩のアイデンティティーの危機でござるー!』とか騒いでたっけ。どうも黒姫と呼び名が被ることを気にしてたみたい」
「私は別に、呼び名に拘るつもりはないのですが」
その名の通り艶やかな黒髪を揺らして、黒姫はその美貌に困惑の色を浮かべる。
「で、『こうなったら我が輩は潔く二代目に跡目を譲り、初代くろひーとして後方腕組み師匠面をするでござる!』とも言ってたね。そのすぐ後になぎこさんがダッシュで駆けつけてきて、『誰が誰のお師匠様じゃいっ!』ってグーパン喰らわせてたけど」
何故か全員の脳裏に、その光景が鮮明に浮かび上がった。生前は残虐無法で悪名を轟かせた大海賊、黒髭エドワード・ティーチの悪ノリに、それ以上の悪ノリで返す天衣無縫の清少納言の構図は、まさにカルデアならではの光景である。
「…なんというか、不思議なところですね。カルデアは」
「はい、私も入社するまでは、もっと上下関係のはっきりしたお堅い会社かと思ってました」
黒姫とビショーネが異口同音に感想を述べて、互いに微苦笑を交わす。
「まあ、うん。その辺はどっちかっていうと、くろひーとなぎこさんの方が例外かもしれないけどね」
色々な意味でフリーダムかつゴーイングマイウェイな二人を基準にされても困るので、マスターは一応のフォローはしておく。
それぞれ服を脱いだ一行は風呂場に入り、気兼ねなくお喋りを楽しみながら石鹸を泡立てて体を洗う。
「メ、メドゥーサさん! それはボディソープです! シャンプーではありませんよ!?」
「…私は別に、洗えさえすれば何でもいいのですが…」
やや慌てた様子のマシュの声に、呑気なメドゥーサの声が答える。この場合は呑気というか、どちらかと言えば面倒くさがりだろうか。
「あはは、メドゥーサさんはやっぱりメドゥーサさんだね。でも、せっかくそんなに綺麗な髪なのに雑に扱ってたら勿体ないよ。ほら、私が洗ってあげる」
「先輩、その長さの髪を一人で洗うのは大変では? お手伝いしましょうか?」
「うーん、マシュは黒姫の髪を洗ってあげて。今日は、私がメドゥーサさんを労ってあげたいから」
そう言って、マスターが背後に座り長い紫の髪を洗い始める。
「改めて。今回の特異点ではお疲れ様、メドゥーサさん。すっごく助かったよ。おかげでビショーネも、黒姫も、皆も、無事にカルデアに帰ってこれたし。…おみぃさんだけは、見つけられなかったのは残念だけど」
洗い場の床に広がる髪を両手でたくし上げ、掬い取るようにして、指先が髪の間を滑っていく。髪の隙間から覗く耳朶に優しい囁き声が触れる。
「仕事でしたから」
「うん、わかってる。でも、メドゥーサさんはただの仕事以上に頑張ってくれたから」
労わるように、優しい手が髪を撫でていく。魔眼を閉じて、体から力を抜いて、その手の感触に感覚を集中させる。
伝承において蛇の髪とも謳われる長い紫の髪が自然に、マスターの指から手に、手首から腕に絡みついていく。その動きを阻害しない程度に、まるで甘えかかるように、マスターの身体にその髪を音もなく巻きつけていく。
「んっ」
マスターの胸に、その先端の乳首に、柔らかく細い髪が触れる。巻き付く。絡みつく。石鹸で滑りの良くなったそれが、優しく甘噛みするようにその先端を転がしていく。
「先輩?」
「メドゥーサさんの髪、やっぱりすごく綺麗で手触りがいいよね。こんなに長くしようとは思わないけど、私ももうちょっと伸ばしてみようかな。黒姫に散髪してもらえるし」
背後からのマシュの声には気づかぬふりで、マスターが明るい声を上げる。髪が巻き付いた指を引き、渦巻く髪の中に体を寄せる。拒まれないと知った髪がマスターの体にさらに絡みついていく。胸に、腹に、脚に、太ももに。巻きついて、絡みつき、髪の先端が愛撫するように全身を隈なく舐っていく。
「っ、ぁ」
くすぐったさと心地よさの入り混じった感覚にマスターが小さく喉を鳴らす。辛うじて声を漏らすのだけは堪えて、口元にまで絡みついてくる髪を噛む。歯の隙間から忍び込んでくる髪が舌にまで巻き付き、唾液を掬い取るように口の中に広がる。
「ん、く」
舌でしゃぶるように髪を舐められる感触が心地よい。
舌で舐るように髪で全身を愛撫される感触が心地よい。
互いに声を漏らすことなく、周りに気付かれないように密やかに交歓する。マスターの腕が首に巻き付いてくる。背中にまで巻き付いた髪のせいか、まるで蛇の巣の中に投げ込まれた乙女の如く、その肌は紫の髪で覆われて見えなくなる。
「本当に、ありがとう」
マスターの唇が耳朶に押し付けられ、甘い囁き声が鼓膜を震わせる。官能と快楽を噛み殺そうと微かな震えを帯びた声が愛おしさすら感じさせる。紫の髪の毛先が少女の股間へと伸びていく。
「~~~っ…!」
細い髪が一本、二本と陰核に巻き付く。包皮の隙間から敏感な真珠を露わにさせて、巻き付いた髪がその全体を磨き上げるように小さく上下に動く。マスターの腰がそれに合わせてヒクヒクと震える。唇の隙間から覗いた舌先に髪が絡みついて動きを封じている。そうでなければ、きっと声を漏らして、マスターの痴態は周囲にも知られてしまったことだろう。
ぴったりと閉じた花弁の隙間に髪の毛先が潜り込む。指よりも細い絹糸のように繊細な髪が柔らかな肉襞の一枚一枚を優しく磨き上げる。メドゥーサの首にしがみつくようにして快感を堪えながら、マスターの腰が小刻みに震える。
「っ、は」
喉を震わせるか細い吐息は、蠱惑的なまでに甘い。メドゥーサの耳には、それがまるで蕩けた嬌声のようにも聞こえる。
「どういたしまして」
もしこれが二人きりだったなら、きっと自分もこれ以上は我慢できなかった。今この場でマスターを『食べて』しまっていた。そうならずに済んだのは、果たして運が良かったのか悪かったのか。
そっと髪が離れていく。口の中から髪が出ていく時、唾液の糸を引いた髪の先端が名残を惜しむように唇を撫でていった。
何事もなかったかのようにマスターが手桶で湯をかけて髪を洗い流していく。閉ざしていた瞼を開けて薄く横目で窺うと、エリザベートは何も気づいた様子はなく、ビショーネは雰囲気で何かを察したように赤面した顔を隠した両手の指の隙間から覗き見るようにチラチラと視線を送ってきていて、黒姫とマシュは何がしかの異変に気付いていたとしてもむやみに騒ぎ立てることはせず、黙して語らない。
「顔が赤いけど、どうしたの、子ジカ?」
「うん、ちょっと湯あたりしちゃったかも? ちょっと水を浴びるね」
全く何も気付いていないエリザベートの問いに、マスターは手桶に汲んだ水を頭から浴びて火照った肌を冷やす。
「大丈夫なの? のぼせたようなら早めに上がりなさい?」
「平気、ちょっとしたら落ち着くから」
心配そうなエリザベートに笑顔で答え、マスターは再び水で顔を洗う。タオルで火照りの引いた顔を拭いながらメドゥーサに向ける。
「ごめん、水かからなかった?」
「大丈夫です。問題ありません」
立ち上がると髪と肌を濡らした湯が滴って床に落ちる。その一糸まとわぬ裸身は同性でありながらも誰もが目を奪われるほどしなやかで美しく、それでいて生々しく艶めかしい。
「メドゥーサ様の御髪は、とても美しいですね。今度、私にも手入れをさせていただけませんか?」
「まあ、別に構いませんが」
「それなら、私もコヤンスカヤからもらったヘアオイルも試してみたら? 匂いの種類も色々とあるみたいだから、好みのを使えばいいと思うし」
「コヤンスカヤさん? あ、あの、それってもしかして、わたしも勧誘されたNFFサービスとか言う企業の…」
思い思いに湯船に浸かりながら、姦しいお喋りの声が広い大浴場に反響する。その声に混じって、微かな鼻歌の旋律が湯気を揺らす。ふと皆が口を閉ざして視線を集中させると、エリザベートが目を閉じて小さく鼻歌を奏でていた。無自覚超絶音痴としてカルデアにおける恐怖の対象とさえなっているエリザベートだが、その声そのものは銀鈴の音を思わせる可憐な美声であり、誰かの為に歌う限りは何かの呪いの産物かとさえ思える音痴も発揮されない。
「――…って、どうしたの? 皆、急に黙っちゃって…さては、私(アタシ)の歌声に聞き惚れちゃってたのね? そうなのね!?」
「はいっ、私、エリちゃん先輩の声は好きです!」
ビショーネの賛辞に得意げに胸を反らすエリザベートだが、あくまで『声』であって『歌』とは言ってないことには気づいていないようだ。新人ながら、何気にそういった処世術は無自覚に長けているというか、コヤンスカヤからの勧誘にも言質を与えず立て板に水のビジネストークにも惑わされなかった辺り、本能的に危険を察知することにかけては優れているのだろう。
「そうでしょう、そうでしょう! なんたって私(アタシ)はカルデアが誇るトップアイドル! 超絶美少女にして宇宙一の最強歌姫、エリザベート・バートリーですもの!!」
放っておくとそのままソロコンサートへと移行しそうな勢いだったので、マスターとマシュは無言で目配せして即座に連携する。
「エリザベートさん、今日はシミュレーションルームの使用時間はあまり長く取れなかったので、すみませんが…」
「そうだよ、エリちゃん。それに今日はこの後で、食堂でメドゥーサさんの復帰と特異点の解決のお祝いと、あとビショーネと黒姫の歓迎も兼ねてのパーティーもあるし…」
「むー…仕方ないわね。まあ、こんなところで人知れず歌うよりも、聴衆と観客は多ければ多いほどいいものね!」
二人がかりで説得されて、エリザベートは渋々と頷く。尤も、この様子ではパーティーの席上でも唄い出しそうな様子ではあるが。その時には改めて制止する必要があるだろう。
クスクスと笑い合う黒姫とビショーネの声が反響する中、一人だけ黙っているメドゥーサは何気なく上を見る。湯船から立ち昇る湯気が消えていくのを見るとはなしに見ながら、やはり怪物である、反英雄であるはずの自分がここに、こんなにも平和で優しい空気に浸っていることに違和感とも不安ともつかぬ微かな疼痛が小さな針先で突かれたように、あるいは蛇の牙で噛まれたように胸を刺す。
「メドゥーサさん?」
「…何か?」
目を戻すと、マスターの気遣わしげな顔が思ったよりもすぐ近くにあった。
「うん、何か心ここにあらずって感じだったから」
「いえ、別に。大したことではありません」
「本当?」
柔らかそうな瑞々しい唇が動いて、優しい声を紡ぎ出す。今この場でその唇を奪ってしまいたいという欲望を感じつつも、周りの目もあってそれを抑え込む。
「……正直に言えば、まだ少しだけ記憶の同期の後遺症が残っているだけです。かと言って、あの変態医者の所には行きたくないので」
「あー、うん。まあ、それはそうだよね」
アスクレピオスとの確執を知るマスターは微苦笑を浮かべ、小さく頷いた。
「じゃあ、この後のパーティーでも無理はしないで。好きな時に抜けちゃっていいから。自室で休みたいって言ってくれれば、皆も無理に引き留めはしないと思うし」
「ええ、ありがとうございます」
■□■□■□■□■
パーティーは盛況だった。カルデアに竜や蛇に纏わる伝承と関わりをもつ英霊は数多く、その中にはメリュジーヌやヴリトラといった正真正銘の竜種、ケツァル・コアトルという神霊までも存在する。
逆に竜殺したるシグルドやジークフリート、ベオウルフのような勇者たちもしれっと混ざっていて、主役の一人であるビショーネとしてはあまり関わりたくないとばかりに逃げ回っているが。
「お疲れ様ですわ、メドゥーサ様。それとも、今やゴルゴーンの因子をも併せ持つ蛇怪、と申し上げるべきでしょうか」
そんな喧騒に背を向けるようにして、ひっそりと食堂から抜け出したメドゥーサの前で金色の目を光らせるNFFサービスのCEOは、カルデアに復帰するに当たって新たな霊基強化の恩恵を受けるに至った事実を遠回しに指摘していた。
「私に何の用ですか、タマモヴィッチ・コヤンスカヤ」
カルデアの敵であった過去は、記憶の同期によって既に知っている。とはいえ、どこか当事者意識に欠ける危機感は例え目の前に立たれたところで切実なものにはならなかった。
むしろ、魔獣の女王として人間に復讐を企図した自分の別側面――あるいは将来像とも共通する部分も多いだけに、親近感とまでは言わぬにせよ、少なくとも嫌悪の類いは感じなかった。
「先だってカルデアから退去した誇り高き狼王ロボの人間への飽くなき復讐心に、私は心から敬意を表します。同様に、決して復讐を忘れることなく最後まで人と馴れ合わなかったアヴェンジャー・ゴルゴーンにも、私は心から共感を抱いておりますわ」
「……」
その甘言を素直に受け入れるほど初心(うぶ)ではないにせよ、まるきりの嘘とも思えない言葉に、即座に会話を打ち切ることはせず無言で続きを促す。
「マスターを欲しいと思われましたか?」
そんなメドゥーサに、コヤンスカヤは単刀直入、極めて率直に用件を切り出してくる。眼帯で目元を隠したまま、沈黙をもって応じる美女は表情こそ変えないが、同時にそれは肯定を意味していた。
「ええ、ええ。わかります。わかりますとも。私もそうですから」
低く含み笑うコヤンスカヤは、昏い情念を宿した瞳で、金色の双眸でメドゥーサを見つめる。
「どうでしょう? マスターとの甘い口付けを心行くまで味わってみたいとは思われませんか? もちろん、その先も」
慇懃無礼な物腰は変わらないが、そこには他者を堕とす毒花の甘美な蜜のような誘惑がある。それはあまりに甘く、蠱惑的で、誘い込む手管は巧妙だ。
「何が目的ですか」
「それはもちろん、マスターを堕落させることですとも」
悪びれもせずにコヤンスカヤは堂々と言ってのける。
「私はマスターを独占したい。誰よりも効率的にマスターを支配し、管理し、マスターの身も心も獣に堕として差し上げたい。…ですが、マスターはああ見えてなかなかに手強く、もとより理性的で善良な方です。私だけでは、少しばかり手を焼いていたところです」
「それで、私ですか」
「表面上は理性的で物静かでありつつも、根っこのところで欲望には忠実でいらっしゃる。神でありながら人の悪意によって怪物へと堕とされたという背景も私にとっては大変に好ましいものです。最終的に私が独占したいという想いに変わりはありませんが、もしマスターの理性を剥ぎ取るのに協力をしていただけるのであれば、甘い一時を愉しむ上で舞台を整える根回しと下準備ぐらいはこちらで行わせていただきますわ」
まるで予め用意した原稿を棒読みするかのような流れるような弁舌の最後に、わざとらしく腰を曲げて慇懃に一礼してみせる。
「すぐに答えを出せとは言いませんわ。もちろん、断ってくれても結構です。どちらを選ばれるにせよ、私は歓迎いたしますので」
マスターに対する毒婦ぶりを明かしたコヤンスカヤはにこやかに笑いながらも一切の隙も見せず、こちらの反応をただ観察しているだけといった風情だ。中国の古代王朝、殷を滅ぼした傾国の悪女、妲己も斯くやといったところか。それは太公望とて勘違いぐらいはするだろう。とはいえ、そうと口に出せば激昂するのは目に見えているのでメドゥーサは賢くも何も言わずに済ませたが。
「ちなみに、その甘い一時とやらは私の希望次第で趣向を変えることも可能ですか?」
「それは勿論。私個人と致しましては、それが屈辱的で背徳的であればあるほどに良いと思っておりますが」
淫靡に含み笑うコヤンスカヤの返答に、メドゥーサは小さく頷く。
「いいでしょう、協力します。ただし、マスターを独占はさせませんよ」
「おや? それほど特定の個人に執着なさる方のようには見えませんでしたが。これは少々…いえ、なかなかに意外ですわね」
金色の双眸を針のように細めるコヤンスカヤに、メドゥーサは小首を傾げた。
「他の、あるいは以前の私がどうであったかは知りません。ですが、今ここにいる私が知っているのはマスターだけ。であれば、好意を抱いたマスターを自分のものにしたい、執着したいと願うのも当然でしょう」
「なるほど。それもまた道理ではありますわね」
一時的な協力関係を結びはするが、潜在的な恋敵にして競争相手でもあるメドゥーサの返答に、コヤンスカヤは満足気に頷いた。
「では改めて。今後ともよろしくお願いいたしますわ」