「おはようございます、先輩」
「おはよう、マシュ」
今日も何気ない、けれど何よりも貴重な朝の挨拶を交わすと、私とマシュは肩を並べて通路を歩く。
「お腹すいたね。今日は何にしようか」
「フォ~ウ、フォゥフォゥフォーウッ」
「今日のフォウさんは、熱々のベーコンが食べたいと仰っています。なので、ベーコンエッグなどいかがでしょう」
足元にじゃれついてくるフォウと一緒に、朝食のメニューについて気軽にお喋りをしながら歩いて行く。
しかし、食堂に足を踏み入れると、その一角で穏やかならぬ雰囲気が漂っていることに気付いて顔を巡らせる。
「…なんだろ、アレ。なかなか珍しい取り合わせだけど」
「はい、席に着いていらっしゃるのはコヤンスカヤさんに千利休さん、そしてジャック・ド・モレーさんとイシュタルさんですね。いずれもお金に関しては一家言をお持ちの方々という意味では共通していらっしゃいますが、その後ろにアストライアさん、そして始皇帝さんまでいらっしゃるというのは、かなり珍しいのではないでしょうか」
マシュの言う通り、同じテーブルに着席してる4人は商人気質というか、お金に関してはカルデアでも指折りの専門家と言っても良いだろう。
コヤンスカヤは言うまでも無く、利休は著名な茶人である同時に日本の戦国時代における商業都市である堺の豪商でもあり、モレーは欧州で金融業を営み多大な利益をあげたテンプル騎士団の総長。イシュタルは美と豊穣の女神であるけれども、どちらかというと依り代となった女性の影響なのか、とかくお金が絡む場面になると何かしら首を突っ込んでくる癖がある。
もちろん他にも金勘定に明るい面子と言えばシバの女王やクレオパトラ、カエサルやテスカトリポカなどもいるけれど、あの人達はどちらかというと起業家寄りで、お金そのものというよりはお金を稼ぐための新しいビジネスを自分で起ち上げるタイプだし。
「これはこれは、マスター。おはようございます」
「ここにシェイクスピアがいるってことは…、うん、わかった。また何か揉め事が起きてるんだね」
「いやはや、吾輩の顔を一目見ただけで開口一番にそれとは、実に手厳しいですなぁ」
面白そうなトラブルの種を見つけては余計な一言で炎上させるのが大好きな根っからの愉快犯かつ扇動家気質のシェイクスピアが事態を見守っているという時点で、状況は理解できる。
「違うの?」
「いえ、その通りですが」
真顔で突っ込むと、しれっと肯定してのけるのだから始末が悪い。
「You that did void your rheum upon my beard,And foot me as you spurn a stranger cur Over your threshold, moneys is your suit(私に向かって唾を吐き、野良犬にするように私を足蹴にしたあなたが、今日は金をお望みとはね)」
「んーと…、ヴェニスの商人、だっけ?」
「はい、先輩。今のはヴェニスの商人に登場するユダヤ人の高利貸し、通称『金貸しシャイロック』の台詞です」
「いつもながらマシュ殿は吾輩の著作をよく勉強していらっしゃる。光栄至極とはこのことですな」
芝居がかった仕草で馬鹿丁寧に一礼すると、シェイクスピアはチラッと横目で向こうのテーブルの方を見た。コヤンスカヤと千利休、ジャック・ド・モレーとイシュタルが何やら手元の紙に細かく書かれた文面について熱心に議論している。で、それを監督というか、監視するようにアストライアと始皇帝が後ろから眺めている形だ。
「結論から申し上げますと、マスターの身柄を巡っての商談の真っ最中といったところですかな?」
「…え?」
■□■□■□■□■
その後、シェイクスピアの無駄に情感の篭もった修飾過剰な説明を、なるべく平易な言葉に翻訳すると。
そもそも、このところコヤンスカヤが私の部屋に足繁く通っているのがカルデア内部で、特にサーヴァント達の間では噂になっていたのだとか。これは全く根拠はない女の勘だが、何となくライネスあたりが話の出どころのような気がしなくもない。司馬懿にとっても、この手の情報戦は得意技だろうし。
で、やっぱりというか何というか、その噂を耳にして真っ先に反応したのは溶岩水泳部の清姫と頼光さん達だったようだ。しかし、清姫は箱入りのお嬢様育ちで頼光さんも武士の頭領、どちらも商売に関しては門外漢もいいところ。コヤンスカヤが私と交わした契約書を片手に滔々とビジネストークで煙に巻くと、それ以上は突っ込めない。なので、同じ日本のサーヴァントで商売事にも強い千利休に話を持って行ったと。
そして今度は利休からジャック・ド・モレーに話が流れた。権力者から疎まれ濡れ衣を着せられて処刑されたという点では似たもの同士であり、また黒に固執する利休にとって森の黒山羊の邪神を崇めるモレーは親しいとまでは言わずともそれなりに話が合う関係だったようだ。さらに、交渉においては資金力も重要になる。NFFサービスという形で各地の異聞帯で阿漕な商売を展開し、もちろん幾つかの失敗もあるにせよかなりの収益を上げてきたコヤンスカヤに対抗するため、引っ張ってこられたのがイシュタルというわけだ。
「…うん、商談中の面子についてはわかった。で、後ろのルーラー達は?」
「談合を防止するための監査役ですな」
「あー…、そういうこと」
商売である以上、なるべく自分は得をしたい。少なくとも損はしたくない。なら、いっそ手を組めば問題はないわけだ。
が、そうなると一番割りを喰うのは言うまでも無く私だ。そこまでライネスは読み切っていた。司馬懿と同じ中国のサーヴァント、しかも呂不韋という豪商を宰相にしていた始皇帝は商人の有能さも、そしてその商業的利己主義の危うさも当然のように知り尽くしている。しかも、中国異聞帯ではコヤンスカヤとも因縁がある。妙なことをしないかと監督するには最適だろう。
そして、もう一人のアストライアは言うまでも無く天秤を司る公平無私な正義の女神。その依り代となっている女性は、どうやらライネスと顔見知りで、おまけにイシュタルの依り代とも因縁があるとか。とかく目先のお金に弱いイシュタルを監視する役目にはうってつけというわけだ。
「それで、先輩がコヤンスカヤさんから借りている分を利休さんやモレーさんから借り換えることで、先輩の負担を減らそうという狙いなのですね」
「まあ、うん…そうなるね」
確かに、コヤンスカヤと結んだ契約の金利が割高なのは事実だ。何しろレポート提出期限ギリギリの土壇場で助けを求めたのだから、そこはしょうがない。その代わりに、返済についてはかなり融通を効かせてくれている。私に負担をかけない無理のない範囲で――どころか、私の意思を確認もせずに返済を勝手にリボ払い方式に切り替えて、可能な限り元本を減らさないようにしてまで私から長期的に搾り取ろうとしてくる始末。優しいんだか鬼畜なんだか。
「とはいえ、モレーやイシュタルから借りるっていうのも…利休は駒姫ちゃんの目があるからまだマシだけど」
なんだろう。ふと、全く脈絡もなく『遠坂マネーイズパワーシステム』という聞いたこともない謎の単語が脳裏に浮かんだ。軽く首を振ってそれを頭から追い出し、別のことを思い出す。
ストーム・ボーダーのシミュレーターが迷いの森と化した一件で私の部屋を休憩所にした時とか、その利用権を巡ってかなりの暗闘があったとか無かったとか。噓か真か、隠しオプションなる怪しげな裏メニューでシバの女王が一儲けしたとかしなかったとか。
それを踏まえると、イシュタルなら返済手段として私と二人きりで過ごす時間を他のサーヴァント達に売り出すことで私に負担をかけずに大儲け!みたいなことを考えてもおかしくない。まさに金星の(赤い)悪魔の所業。で、モレーはそれをオークションにかけて手数料で一儲けするつもり…とか。いや、本当にそうなるかはまだわからないけど。
「おわかりいただけましたかな?」
「うん、シェイクスピアがもっとわかりやすく説明してくれれば時間を無駄にせずに済んだんだけど」
「それはさすがに理不尽というもの。吾輩は何も悪い事はしておりませんぞ!」
わざとらしくショックを受けたような顔をしてみせるシェイクスピア。悪い事『は』ってことは、余計な事はしたのかもしれない。
「…ねえ、本当にイシュタルは利休やモレーが連れてきたの?」
「何のことですかな?」
「先輩は、シェイクスピアさんがイシュタルさんに儲け話があると吹き込んだのではないかと疑っています」
隣に座るマシュが、私よりも一足早く配膳されたベーコンエッグを食べながら追撃をかける。さすが我が頼れる後輩にしてファースト・サーヴァント。私が言いたかったことをしっかりと把握してくれている。
「フォウ! フォゥフォウ!!」
マシュがフォークに刺したベーコンの切れ端を差し出すと、それをペロリと平らげてからフォウが一緒になってシェイクスピアを睨みつける。
「やれやれ、信用されてないとは何とも世知辛いものですな」
「おまいう」
どの口が言うか。
「マスターもなかなか辛辣なお言葉ですな。吾輩のガラスのハートは今、ヒビだらけですよ」
などと言いつつも、これっぽっちも堪えてない様子なのが腹立つ。
「まあ、シェイクスピアなりに私を心配してくれたのはわかってるけど」
敵に回すと極めて厄介だが、味方にしても油断も隙もあったものじゃないというのがカルデアにおけるコヤンスカヤの評価だろう。これまでの経緯からしても、極めて妥当な評価だとは思う。戦闘という実力行使の場面であれ、こういった商談という交渉の場であれ、対抗するのに数を揃えようとする判断は決して間違ってはいないだろう。
シェイクスピアには戦闘力の有無以前に自分が矢面に立とうとする意志が皆無なのはわかっているが、それでも私を見守ろうとはしてくれている。私が面白そうな事態に巻き込まれる限りは、だけども。
「いやぁ、それほどでも」
「褒めてはいないかな。どうせろくでもない下心ありきでしょ」
にっこりと微笑むシェイクスピアをジト目で見つめても、やっぱり効いてない。はぁ、と小さく溜息をつく私にシェイクスピアはぬけぬけと切り出してきた。
「実は最近、新たな創作意欲が湧いてきましてね。ただ、やはり題材となる人間を観察する時間が足りていないのですよ。ですので、マスターにおかれましては吾輩の為にもう少しご協力願えないものかと」
「……具体的には?」
「まずはマスターのお部屋の様子を観察させていただきたいのです。なに、ほんの1日2日ばかり様子を見るだけで結構ですので」
これだ。イシュタルを引っ張ってきたのは、これが目的だったか。利休やモレーの商談が上手くいけば、儲け話を持ってきた自分が優先的に私の時間を買えるよう裏でイシュタルと話をつけているに違いない。商談が失敗しても、私に恩を売っておけばこうやって直接交渉という手に出ることも出来るし。
「却下」
「そうです! 先輩の部屋を観察だなんて、シェイクスピアさんは乙女に対する配慮というものが欠如しています!」
即答で拒否する私に同調するかのようにマシュが力いっぱい抗議する。そこに、意外なところから援護射撃が来た。
「私も同感だ。レディの部屋を覗き見るなどという行為は失礼極まると言わざるを得ない」
「あ、エミヤ」
食堂に入った途端に視界に映ったコヤンスカヤ達に気を取られて厨房までは覗いていなかったけど、今日の朝食当番はエミヤだったようだ。
「やあ、マスター。今朝は和食の方が口に合うかと思ってね。自信作だよ」
そう言う赤い弓兵から差し出されたのは、ふっくら炊けた白米と豆腐とわかめの味噌汁、卵焼きにほうれん草のおひたしといった純和風の献立。早速卵焼きに一口目の箸をつけると、シンプルだけど出汁の風味が効いた薄味がとても美味しい。
「ありがと。ちょっと食べるのが勿体ないくらい綺麗な焼き色で、でもすっごく美味しい」
「気に入ってくれたのなら何よりだ」
「残念無念、吾輩の目論見はあえなく潰えたようですな。では、今日のところは大人しく退散いたしますか」
私が朝食を食べ始めると、それ以上は無理に粘ろうとはせずシェイクスピアは引き下がる。
「シェイクスピア」
「なんですかな?」
柔らかい甘みの赤出汁の味噌汁を一口啜って、私は立ち去ろうとするシェイクスピアを呼び止めた。
「…ありがと。動機や目的はどうあれ、私を心配してくれたんだよね。その気持ちはありがたく受け取っておくよ」
「いえいえ、吾輩としては貴女のためになったのであればそれだけで満足というもの。どうか末永く健やかにあっていただければ幸いですな」
そう言い残して去っていく後ろ姿を見送った後で、私は再び食事を再開するのだった。
■□■□■□■□■
美味しい朝食を食べ終えてから、マシュとも別れて自室に戻る。ついでに、その途中で図書館に立ち寄って香子さんから何冊か本を借りる。
本のタイトルは『ヴェニスの商人』。さすが世界中で読まれている名作だけあって、それに関した学術的な研究書も数え切れないほど書かれている。
ヴェネチアの裕福な貿易商アントニオは友人の結婚のため、急きょ大金を用立てる必要に迫られる。
しかし、手持ちの資金が乏しかったアントニオはやむを得ず、ユダヤ人の高利貸しシャイロックから金を借りようとする。
日頃からアントニオに手酷く扱われていて恨み骨髄のシャイロックは、金利の代わりに返済が滞った際はアントニオから一ポンド(約453.6g)の肉を切り取るという条件を出す。
そして紆余曲折の末、返済を滞らせてしまったアントニオはシャイロックから肉を切り取られそうになり、あわや命の危機というところまで追い込まれるのだが、機転を利かせた判事によって『肉を切り取る際は一滴の血も流してはならない』という条件を出されたシャイロックは逆に全てを失い、辛うじてアントニオは窮地を脱する。
かくして物語は大団円を迎え、ハッピーエンドで話は終わる――と、いうのが大まかな流れだ。
元々は喜劇として書かれた戯曲であって、あまり細かい部分は突っ込んではいけないのだろう。コメディにリアリティだの何だのを言い出すのは野暮というものだ。
例えば、最後の最後でシャイロックに出された『肉を切り取るにあたって一滴の血も流してはならない』という条件は現代の法律論に照らせば明らかに矛盾している、とか。
ハッピーエンドというのはアントニオ達キリスト教徒の視点からであって、逆にユダヤ教徒であるシャイロックからしてみれば、日頃から周囲に差別され虐げられ続けてきた挙げ句、大切な一人娘はキリスト教徒と駆け落ちしてしまい、貸し出した大金は一銭も戻ってくることはなく、さらには自らのアイデンティティであるユダヤ教まで捨てさせられてキリスト教に改宗することを強いられるという最悪の結末だ、とか。
でも、きっと、この作品が発表され上演された当初は、観客もそんなことは誰も気にしなかっただろう。
日本の時代劇でいう、あくどい商売で庶民を泣かせる商人と同じだ。正義の味方に成敗されて当然の、わかりやすい悪の象徴がシャイロックだ。
いけ好かないユダヤ人の高利貸しが友人のために奔走する親切で善良なキリスト教徒であるアントニオを逆恨みし、その窮地を利用してあろうことか借金のカタに人肉を要求してくるなどという邪悪な手に訴え、ハラハラドキドキした挙げ句に、最後のどんでん返しによってシャイロックが全てを失うという結末に大喜びで拍手喝采、皆が笑顔で楽しんだことだろう。
だが、時代が下るにつれて逆にシャイロックの悲劇性に目が向けられ始める。
ある時、とある名優が演じたシャイロックの長広舌があまりに真に迫っていたせいだろうか、劇を見ていた観客が周囲から虐げられ続けてきたシャイロックの哀れな境遇に同情してしまい涙を流す、などということまで起きた。
こういう話を知ると、本当にシェイクスピアは悲劇が好きなんだなぁ、と思わず苦笑してしまう。
喜劇としての物語を書いたはずが、その中の登場人物の描写があまりに生々しく、そして情感たっぷりの台詞回しのせいで逆に悲劇に変わってしまうのだ。
その結果、喜劇としての原作を逆にシャイロックを主役とした悲劇として演出する劇団も現れ、以来『ヴェニスの商人』は様々な解釈と筋立てによって世界中で演じられるようになり、そして今に至るまで愛され続けている。
ベッドに座って、微かなインクの香りがする紙のページをめくる。
日本人の私からすると、当時のユダヤ人あるいはユダヤ教徒への差別とか虐待が一体どれほどのものだったのか実感としてはあまりピンとこないのだけど、カルデアにはアヴィケブロンのような当事者もいる。人間嫌いで厭世家の彼ですら、その一生を懸けてまで救いを求めるほどのものと思えば、それがどれほどのものだったのかと思わざるを得ない。
キリスト教徒に改宗させられたということは、もう生業である高利貸しも続けられない。貯め込んできた財産も家族も失い、独りぼっちのシャイロックがその後どうなったのか。
もちろんそんなことは台本には書かれていないし、結局のところ演劇の登場人物の一人でしかないシャイロックにそこまで考えてどうするのか、という見方もあるにはある。
「でも、それを言ったらオベロンやホームズ、教授に梁山泊の皆もそうだし…」
それこそ神話伝説の登場人物、あるいは神霊に向かって実在したかどうかを問うのも意味がないし、大体そんなことを言い出したらキリがない。
読んでいた本を閉じて机の上に置き、ベッドに寝転ぶ。――と、そこで部屋の扉がノックされる。
「はい、どうぞ?」
「お邪魔いたしますわ、マスター」
「あれ、コヤンスカヤ? 食堂の一件は終わったの?」
ハイヒールの踵を鳴らしながら入ってきたコヤンスカヤを、ベッドに上体を起こしながら出迎える。
「ええ、どうにか…といったところでしょうか。何とも手強い交渉相手でしたけど」
さすがのコヤンスカヤの顔にも、隠しきれない疲労の色が浮いている。あのコヤンスカヤが疲労を表に出すほどなのだから相当なものだ。交渉そのものも1対3という数的不利に加えて、その間ずっと始皇帝に頭を抑えられ続けていたのだから、それは疲れるのも無理はない。
「はい、マスター。こちらの確認をお願いいたします。新しい契約条件ですわ」
「あ、うん。…あのさ、一応ダ・ヴィンチちゃんにも見てもらっていい?」
「どうぞ、ご自由に」
ベッドの隣に座るコヤンスカヤの了承を得てから、ダ・ヴィンチちゃんを通信画面に呼び出して、差し出された新しい契約書を見せる。
『うん、…うん。これはかなりカルデアに有利な条件になってるね。利率も以前よりずっと良心的だし、延滞料も無しになってる。契約条件におかしなところもないし、ずいぶんと譲歩してくれたね』
「仕方ありませんわ。こうでもしないと、向こうの条件の方が良いと借り換えされては困りますので」
私の体を横から抱き締めながら、コヤンスカヤが嘆息する。
「カルデアは顧客として極めて優良ですし、マスターは今後も末永くお付き合いさせていただきたい大切なお客様ですもの。ビジネスには長期的な視点が不可欠。短期的な利益のみを求めるよりは、一時的な赤字を見込んでも契約の継続に努めるのが最良と判断させていただきました」
「それじゃ、ダ・ヴィンチちゃん。これに私がサインしても大丈夫?」
『うん。使われてる紙にもインクにもおかしな点はないし、念のため写しも取ったから問題ないよ』
「ありがと」
『どういたしまして』
通信を切ってから、契約書にペンでサインする。
「はい、コヤンスカヤ。これでいい?」
「確認いたしました。それでは、これにて契約は続行ということで。大変よろしいご判断かと」
返された契約書を胸の谷間に仕舞い込んでから、コヤンスカヤは改めて私を抱き締める。
「大丈夫?」
「ご心配には及びません。これは仕事に疲れた美人秘書がペットに癒やされるのと同じ現象ですので」
私の髪に顔を埋めて、コヤンスカヤは頬ずりしてくる。ここまでしてくるなんて、本当に疲れているんだろうなと思う。
――だから、ではないけれど。
「ねえ、コヤンスカヤ。前に言ってたよね。返済はいつでも、私の気持ち程度でいいって。それって、今も有効?」
「ええ、もちろんですわ」
コヤンスカヤに体重をかけて、ゆっくりとベッドに押し倒す。
「今でもいい?」
「ええ、もちろんですとも」
そう言いつつも、少しだけ戸惑ったように見上げてくる黄金の双眸を見返して、私は微笑む。
「じゃあ、今の私の気持ちを受け取ってよ」
コヤンスカヤの唇に軽くキスをしてから、私は服を脱いでいく。
「…随分と、積極的ですのね?」
「今日は、なんとなくそういう気分なの」
ベッドに仰向けに横たわるコヤンスカヤの顔に跨がるように、自分の股間をコヤンスカヤの目の前に晒す。全く恥ずかしくないわけじゃないけど、これもまた今さらではある。
「This bond doth give thee here no jot of blood.The words expressly are “a pound of flesh.”(この契約では、一滴の血も得られません。契約書に記されているのは、『一ポンドの肉』だけです)」
机の上に重ねられた本の中の一節を口ずさむ。
「…どういうおつもりですの?」
「つまり、血が一滴も流れなければ、私の肉を返済に代えても問題ないんだよね?」
もちろん、たった今サインしたばかりの契約に、そんな条項は一つもない。そんな口約束をしたこともない。でも、それで私の言わんとすることを察してくれたコヤンスカヤは何も言わずに私の股間に口をつける。
「んっ」
熱い吐息を感じた直後、敏感な部分を舌でなぞられる感触に腰が震える。舌先が優しく膣口をまさぐり、そして唇が吸い付いてきて。処女膜をねっとりと舌先で舐られると、ゾクゾクとした快感に襲われて、思わず口から甘い声が漏れてしまう。
「ふっ、んっ、んんぅ……!」
自然と背中が反り返って、後ろに回した私の手をコヤンスカヤの指が掴む。恋人同士のように互いの手指を絡め合う。コヤンスカヤの手は私の体重くらい簡単に支えられるので、不安定な姿勢でも倒れ込んでしまう心配はしなくて済んだ。その代わりに、コヤンスカヤの顔に自分の股間をぴったり押し付けるという非常に恥ずかしい格好になるのだけど。
「ふ、あ、ぁんっ」
まるで探るように、舌の先端が処女膜の穴の周りを這い回る。繊細な粘膜を柔らかく溶かすように、処女膜がコヤンスカヤの舌で押されたり擦られたりする度に、くすぐったさと切なさの入り混じった不思議な感覚が湧き起こって、下腹部の奥が熱くなる。これまでにも何度も舌で舐めしゃぶられてきて、すっかり慣らされているせいか痛みは全く無い。むしろ、気持ちいい。
コヤンスカヤの唇が私の陰唇に密着して、チュッと音を立てて強く吸う。少しだけ唇を離して、また吸い付く。もしキスマークが残ってしまうような場所だったら、きっと私の股間はキスマークだらけになっているだろうなと思う。
「ふぁ、んっ、んっ、んん~~ッ」
私は腰を落として、コヤンスカヤの舌に膣口を押しつける。舌先が処女膜をプニプニとたわませ、たっぷりと水気を含んだ粘膜が擦れ合い、くちゅっ、ぬちゅっと淫らな音を立てる。コヤンスカヤの顔の横に着いた膝がガクガクと震え、今にも崩れ落ちてしまいそうになる。
「マスター、本当によろしいのですか?」
最後の確認とばかりにコヤンスカヤが囁いてきた。今なら、まだ取り消せると言わんばかりに。
でも、私は口の中に溜まった唾を飲み下してから、小さく頷いた。
「――…うん、来て」
ちゅぱっ、と濡れた音を立ててコヤンスカヤの唇が離れたかと思うと、すぐに熱くぬめった感触が処女膜をゆっくりと押し広げるのがわかった。水で濡らして柔らかくした瘡蓋を指で擦り落とす時にも似た、じわっと染み入るような刺激が膣口を通り抜ける。
「ふっ、く、ぅぅっ」
ぴったりと重なり合った狭隘な襞と襞の間に、濡れた舌先が潜り込んでくる。初めて味わう異物感に戸惑いながらも、膣襞を小刻みに優しく掻き回す柔らかな愛撫に段々と力が抜けていく。
「痛くはありませんか?」
「平気、気持ち良いよ」
まだ慣れない異物感は少しあるけど、それ以上に心地良い。コヤンスカヤの気遣いに感謝しつつ、私は体の力を抜いて身を任せる。
最初は緩やかに、徐々にテンポを上げて、小さな穴の中をコヤンスカヤの舌が出入りする。浅い部分を舐め解し、内側へ、そして奥へ。唾液を注ぎ込まれ、擦り込まれて、ぐぽぐぽと空気を含んだ粘液を掻き出す音が響き渡る。
「は、あ、はぁ、あ、ぅくっ、んぁ、んぅっ」
自分でも気付かないうちに、腰を揺すってしまっていた。まるで甘える子犬のように、下半身を前後にくねらせて。きっと、今の私は人前には出られないくらい蕩けきった顔をしているに違いない。そんな私を上目遣いに見上げながら、コヤンスカヤが笑った。
「とてもいいお顔ですこと。いい具合に理性が剥がれて、獣のように本性を曝け出し始めましたね。それでこそ――ええ、それでこそ私のマスターに相応しい」
私の膣口から溢れた愛液と唾液が混ざり合って滴り落ちた雫が、コヤンスカヤの口の周りから喉元を濡らしている。卑猥に濡れ光る唇を笑みの形に吊り上げて、コヤンスカヤは嬉しそうに囁く。
「愛していますわ、可愛らしい私のマスター。ええ、心から」
そして、人ではありえないほど長く伸びたコヤンスカヤの舌が、膣肉の間をすり抜けるようにして最奥の子宮口に、私の胎にべっとりと唾液を塗りつけた。何かの毒か、あるいは呪いか、私の下腹部が火傷するかと思うほどに熱く火照り、子宮がギュッと収縮するような感覚が湧き起こる。目の前が真っ白になって、瞼の裏に火花が散る。強烈な絶頂感が体を突き抜けていく。
すごく、すごくキモチイイ。こんなにキモチイイのは初めてかもしれない。今にも気を失ってしまいそうなほど朦朧と快楽の海に溺れる私の下腹部に、コヤンスカヤの舌が消えない刻印を焼き付けるように蠢く。膣襞を舐めて、抉り、丹念に隅々まで唾液を擦り込んでいく。
「ひぅっ、うっ、ふぅ、んんっ、あぁ、ぁっ」
視界がぼやけているのは涙のせいだろうか。それとも、目の焦点が定まらないのは意識が朦朧としているからなのだろうか。頭がふわふわして何も考えられない。
「愛しておりますわ、マスター」
再び囁かれたその言葉に、コクンと頷いて応える。舌先で包皮が剥き上げられた肉芽に、コヤンスカヤの白い歯が押し当てられる。
――来る。そう思った瞬間、全身を貫く凄まじい快感に頭の中が真っ白に染まった。
「~~~~~~~ッッッ!!!」
びくん、びくんと体が跳ね上がる。これまでとは比べ物にならないくらいの深いオーガズムに息が止まる。もはや喘ぎ声すら出ない。ただひたすらに、強すぎる快感に悶え狂うしかできなかった。敏感すぎるほど鋭敏になったそこを吸われて甘噛みされ、歯型が残るのではと思うほどに何度も噛みつかれる。痛くは、ない。不思議なことに、これだけ敏感な場所を噛まれているのに、全然痛くない。
ただ、真っ白になった頭の中で。バチバチと火花が飛び散るような視界の中で。ふわふわと雲の上に浮かぶような幸福感が、まるで全身を包み込むようで。
もし私がコヤンスカヤに食べられたら、そのお腹の中で消化されている時は、こんな感覚なのだろうか。そんな風に思えてならないほど、甘く蕩けるような快感に浸りながら、私の意識は深みへと沈んでいった。
■□■□■□■□■
魔術世界において、人体の構造が広く一般的に知られるようになったことで、人を模した自動人形の魔術基盤は衰退した。
逆に、宝石そのものに高い付加価値を見いだす幻想は現代においても今なお多くの人々に広く支持されており、これが宝石魔術の基盤となっている。
さて。
その上で、古来から広く支持されてきた処女信仰は、現代に至っても広範な人々の支持を得ている。
処女懐胎によって救世主を懐妊した聖母信仰は言うまでも無く、乙女の純潔というものに対する幻想は今なお根強い。
一例を挙げれば、アイドルを熱狂的に応援するファンがいるとする。しかし、そのアイドルに恋人の存在が発覚すると、そのファンは何故か裏切られたと勝手に失望し散財し買い集めてきたグッズを焼き捨て、逆にそのアイドルを執拗に攻撃し始めるといった事例も実際に存在する。
当人が意識しているか否かは別として、この行動様式はアイドル本人の人格や能力よりも処女性に重きを置いていることを意味する。医学的には臓器の一部に過ぎず、また現代の医療技術をもってすれば再生処置すらも可能な処女膜それ自体にそれほどの価値などあるはずもないのだが、何故かこういった幻想を捨てきれずにいる人はいつの時代においても常に一定数が存在するのもまた事実。
結果、そういった幻想や信仰こそが、現代においても魔術の基盤としてその有効性を支えている。乙女の髪もまた然り。長く伸ばした髪に魔力を蓄えておき、いざという時の触媒にするのは女性の魔術師にとって当然の嗜みにも等しい。
それと同様に、破瓜の血というものは強い魔力を帯びているものだ。魔力が枯渇して死にかけている未熟な魔術使いに、とある少女の破瓜の血を吸った蟲の一匹を与えただけで再び全身に魔力が巡り始めたという例もある。
古来、荒ぶる神への供物に汚れなき無垢なる乙女を捧げたというのも、決して故なきことではない。実際、ギリシャ神話において海神に捧げられた乙女アンドロメダもまた、英霊としてカルデアには召喚されている。
人身御供としての乙女の血肉は、確かに一種の魔術的概念としての存在価値があるのは事実なのだ。
「神への供物、確かに受け取りました」
爛々と光る金色の眸を細めて、闇のコヤンスカヤは己が腕の中で眠るマスターに甘く囁きかける。マスターの処女肉を口にした総身に満ちる魔力量は聖杯による霊基出力の向上にも匹敵しているようにも感じられた。今ならば、かつての本体には及ばぬにせよ擬似的なビーストの姿にも変化できそうな気もするほどに。
そう、今ならば。獣の総意として人類に復讐しその絶滅を目指した、かつての自分の力にも迫れよう。つまり、目の前で眠っているマスターを、今ならば――。
「……私としたことが、なんて愚かなことを」
契約は絶対だ。どんな形であれ、受けた恩を仇で返すなど、それは他ならぬ自らの矜持に自分で泥を塗るようなもの。そのようなことがどうして出来るだろうか。
たとえ、そうしたいという焦がれるほどの欲望に、この身をどれほど滾らせていようとも、だ。
「それにしても、よりにもよって金貸しシャイロックとは…よもや私に同情でもなさいまして?」
そう独りごちるように囁きながらも、それは違うだろうと自らの内心の声は否定する。
同情だの、哀れみだの、そんな傲慢な感傷で他者を見下すような真似はすまい。もっと言えば、もしそんなことをすれば七つの異聞帯で出会った者達が内心でそれを痛烈に糾弾するだろう。自分と、汎人類史のために七つの世界を滅ぼした歴史上でも希有な――あるいは空前絶後の虐殺者。それが公的な青史に記されることは決してなかろうが、本人がそれを忘れることもまたありえない。
「となれば…内なる善良さが、それを是とはしなかった、と」
カルデアにおいて、かつて敵として対峙したマスターと縁を結んだ結果として召喚されるに至ったサーヴァントは少なくない。
ビーストⅡ:ティアマト、ビーストⅢ/R:殺生院キアラ、ビーストⅢ/L:カーマらに加え、こともあろうにビーストそのものとして顕現を果たしてのけたドラコー。
異聞帯の王であるイヴァン雷帝、スカサハ=スカディ、始皇帝、アルジュナ・オルタ、モルガン、ククルカンとテスカトリポカなど。
もちろん冬木の地で立ちはだかったアルトリア・オルタやオルレアンの魔女であるジャンヌ・オルタなどに至っては、今や本人すらどこまで意識しているかも怪しいが、人理焼却を巡って旅立ったばかりの頃のマスターにとっては紛れもなく強敵であったのだ。
もちろんそれだけではなく、召喚された今になってもなお未だに果たしてカルデアにとっての味方として扱って良いものかどうかも極めて怪しい蘆屋道満や言峰神父、カリオストロ伯爵などもいる。
他ならぬコヤンスカヤ自身もまた、元ビーストの一角である上に今も敵か味方か定かならぬ胡乱な存在と周囲から警戒されているのも承知している。そして、その扱いに不満を抱いたことなどない。
それでも、その扱いに対してマスターが内心でどのように思っていたかと言えば――。
「優しさ、ですら無いのでしょうね? いっそ甘いと切り捨てられれば良いのに。ですが、それでこそ…」
そんなマスターでなければ、そういう平凡ながらも稀有な善良さを未だに捨てきれずにいるマスターだからこそ、かつては敵として向き合い命を懸けて殺し合ったにも関わらず、それに絆されて縁を結んでしまったという側面は確かにある。
だからこそ、その善性を、その理性を、踏み躙りたくて堪らない。奪ってしまいたい。それが叶わぬというのなら、せめて――。
「……いけませんわね。このような一方的な邪念に囚われるなど。それこそNFFサービスの名折れというもの」
自らに言い聞かせるように呟きながら、コヤンスカヤは頭を振る。
情愛はたっぷりと。欲望はねっとりと。けれど契約はきっちりと。
人を愛し、それゆえに玩弄する獣としての在り方。人を怨み罰する厄災にして、人を慈しみ許す神としての役割。その両立こそが自身の存在証明なのだと、コヤンスカヤは改めて自分に言い聞かせる。
「それはそれとして、こうしてじっくり眺めてみると……ああ、なんと美しいのかしら。まさしく芸術品と呼ぶに相応しい。いえ、それ以上の。素晴らしい。流石は私のマスター」
うっとりとした表情で、コヤンスカヤは腕の中のマスターを称賛する。
少女らしい瑞々しさに溢れていた肌は、年齢を経て少しずつ大人びた柔らかさと美しさを増しつつある。数多の苛烈な経験を経て、芯の強さと聡明さを感じさせる眼差しの美しさにもますます磨きがかかっている。
ほっそりとしていた手足は均整が取れてやや膨らみを持ち始め、特に胸や尻などは年相応以上に豊かになりつつあるのもコヤンスカヤは知っている。
「ああ、いつまでも見つめていたくなる姿ですわね。本当、食べてしまいたいくらいに」
ドロドロとした粘っこい愛情と欲望に満ちた感想を口にしながら、コヤンスカヤは腕の中に収めたマスターを抱き締める。鼻先をくすぐる甘酸っぱい汗の匂いさえ甘露のように感じられる。このまま溶け合ってひとつになってしまいたい。そう願うことすら詮無い夢だとわかっていながらも、そう願わずにいられない。
「おやすみなさいませ、愛しい私のマスター。どうか、良い夢を」