「べぇ~にぃ~ちゃ~んっ!!」
カルデアの通路を駆け抜けていく足音から逃げるように、小さな羽音が風を切って飛んでいく。
「なんで逃げるんですの? 私の有り余る親愛の情を表すついでに、少しばかり抱き締めて差し上げたいだけですのに」
「断乎(だんこ)お断りでち!!」
日本の舌切り雀の民話伝承に端を発するセイバーのサーヴァント、紅閻魔は手にした杓文字を一振りする。蜂の一刺しにも似た鋭利な一閃が追っ手のフレームレスの眼鏡の縁を一打ちし、刹那の間だけその視界を揺らす。
その隙に通路の角を曲がった紅閻魔は、勢い余って目の前のマスターの胸に飛び込んだ。
「…あれ、紅女将じゃない。どうしたの?」
「ご主人、ちょうど良かったでち! 助けて欲しいでち!」
庇護を求めてくる文字通りの意味での窮鳥を隣のマシュに委ねると、マスターは通路の角から顔を出したコヤンスカヤにジト目を向けた。
「もう、コヤンスカヤってば、またなの?」
「あら、マスター。奇遇ですわね」
ひび割れではなく、まるで鋏で紙を切り取ったように深々と切れ目を入れられた眼鏡のレンズ越しに闇のコヤンスカヤは慌てず騒がず微笑んでみせた。とはいえ、だらしなく緩んでいた頬は完全には引き締め切れてはいなかったが。
「紅女将に断りなく近付くのは禁止って、確か前に言ったはずだけど」
「ええ、もちろん忘れてはいませんわ。今回はたまたま通路でばったり顔を合わせただけですもの。その後は、『偶然』行き先が同じになっていただけですわ」
「そうなの?」
「違うでち! あちきはちゃんと『ついて来ないでくだちゃい!』ってお断りしたでち!」
苦し紛れの言い訳も紅閻魔の鋭利な弁舌でスパッと切り捨てられる。
「では、私だけわざわざ遠回りをしろと?」
「ほんのちょっとだけ、一分ぐらい先に行くのを待ってあげてさ、少し距離を置くとかしてあげたっていいじゃない。それとも、そんなに急ぎの用件だった? その上で、わざわざ紅女将に歩調を合わせる必要がある特別な理由があるなら聞いてあげるけど」
「……」
口元に貼り付けた笑みこそ変わらなかったが、その額に流れる一筋の汗をマスターは見逃さない。
「Guilty(有罪)」
「んぐっ」
自他共に認めるほどの敏腕秘書にしてやり手の凄腕エージェントである闇のコヤンスカヤだが、稀に信じられないほどポンコツになることもある。特に、溺愛というほど気に入っているケモノ属性かつ一途で純真な相手にはそうなりやすい傾向があるようだ。
「どんな罰がいいかな。…今日一日は赤兎馬に乗って遠駆けの刑とか?」
「マスター、それはちょっと…私、あのようなコメディ枠の御方にはお近づきにはなりたくないのですが」
「だから罰になるんじゃない。コヤンスカヤに近付いてきて欲しくないって言う紅女将の気持ちがわかるでしょ?」
三国志でも特に武名を轟かせた猛将、呂布奉先を自称する名馬・赤兎。
しかし、どうにもシリアスな場面よりも妙に笑いを誘う言動の方が印象に残っているような気がする。本人(本馬?)は至って真面目だし、決して役立たずというわけではない。むしろ一度ならずカルデア一行の窮地を救ってさえいるのだが…。
「……」
コヤンスカヤの額から一筋の汗がタラリと頬にまで流れ落ちるのを確認してから、マスターはマシュの腕の中で庇われている紅閻魔に向き直った。
「紅女将としてはどう? 獄卒としてコヤンスカヤに罰を与えるんだったら、どんなのがいいと思う?」
「もちろん、見苦しい言い訳をするような二枚舌は三枚に卸してやるでち!」
そう言って腰の刀の柄に手を置いた紅閻魔だったが、慌てて口元を両手で押さえたコヤンスカヤが一歩、二歩と後ずさると、小さく溜め息をついて刀から手を離した。
「…とはいえ、あちきに好意を持ってくれてるのは事実だから憎めまちぇん。困ったものでちゅね」
「どうせならコヤンスカヤも軽いハグだけにしておけばいいのに。ねぇ?」
隙あらば抱き締めようとするのはまだしも、そのまま唇まで奪おうとするのはどうなのか。
「まあ、個人的な親愛の情を表すのに口付けするぐらい別にいいじゃありませんか。別に減るものでもありませんでしょう?」
「そういうのは私だけにしておいたら?」
さらりと言ってのけたマスターの台詞に反応したのは、むしろ隣のマシュの方だった。
「あの、先輩。今のはどういう…」
「ん?…あー、うん。ごめんごめん。今のはちょっとした言葉の綾だから。別に深い意味はないから」
照れ笑いを浮かべて人差し指で頬を掻くマスターの顔と意味深に微笑むコヤンスカヤの顔を交互に見遣って、迂闊に追及もできずに沈黙するマシュの腕の中から出ると、紅閻魔は警戒するようにコヤンスカヤから慎重に距離をとる。
「ご主人、朝食はまだでちね? 助けてくれたお礼に、今日も美味しいご飯でおもてなちをするでち。きちんと食べないとダメでちよ」
「あ、うん」
「でも、そっちの雌狐は罰として今日は一日ご飯抜きでち!」
地獄の獄卒から直々に言い渡された厳罰に、コヤンスカヤは仕方なさそうに小さく肩を竦めたのだった。
■□■□■□■□■
食堂のテーブルに並んだ一汁三菜の膳を前に両手を合わせると、私とマシュは声を揃えて「いただきます」と唱和した。
上品な白味噌仕立ての御味御汁には、短冊切りにした大根と人参がたっぷりと。
大ぶりの鮭の切り身に刷毛で満遍なく塗り重ねられた醤油ダレが程良く焦げた香ばしい匂いを漂わせ、食欲をそそる。
鰹だしでじっくり時間をかけて炊き上げたキツネ色の揚げ出し豆腐には薬味に刻んだショウガとネギが添えられ、箸休めには細切りにした昆布と烏賊の酢漬け。さらには茄子と胡瓜の糠漬けまで並んでいる。
もちろん、主役の炊きたてご飯は一つ一つの粒が立っていて、艶々と光り輝いている。
「美味しい!」
「今日も素晴らしい出来映えです、紅閻魔さん!」
「おかわりもありまちゅから、たんと食べて栄養をつけるでちよ」
口々に歓声を上げる私とマシュの反応に杓文字を手にした腕を胸の前で組んで満足げに頷く閻魔亭の女将は、しかし私の隣に座るコヤンスカヤをギロッと一睨みすると、
「…雌狐には、一日が終わった後で忘れていなかったら残り物のぶぶ漬けでも喰わせてやるでち」
実に冷たく言い捨ててから背を向けて、自分の城である厨房に戻っていく。
ポツンと一人だけ目の前に何もないまま、隣で私とマシュが美味しいご飯を食べているのを見ているだけというのがちょっと気の毒になり、私はヒソヒソと小さく囁く。
「コヤンスカヤ、口を開けて」
箸で茄子の糠漬けを一切れつまんで、ポイッとコヤンスカヤの口に入れる。
「――…ご主人、あんまり甘やかちゅと雌狐は付け上がるから程々に、でち」
「ひゃいっ!? も、もちろんわかってますっ!」
が、厨房の入り口で立ち止まった紅閻魔が背を向けたまま肩越しに言ってくるのは、最初から私の行動もお見通しだったようだ。
反射的に思わず肩を窄めるも、しかしそれ以上は何も言わずに厨房に入っていく。
「…見逃してくれた、のかな?」
「マスター、どうせならそちらの揚げ出し豆腐も一口いただけません?」
怖々と呟く私に、コヤンスカヤはぬけぬけと言ってのける。そしてさすがはタマモ属というべきか、化け狐の系譜が油揚げを好むのは遺伝子レベルで共通なのだろうか。
「もちろんタダでとは申しません。本日の素材収集に私も同行させていただければ、それだけの働きはお約束いたしますとも」
「それなら、まあ…」
箸で豆腐を丁寧に二つに割ってから、小鉢ごと持ち上げて湯気の立つそれを箸で慎重に口元へ持っていく。
「はい、あーん」
パクリと熱々の豆腐を口に含んだコヤンスカヤがハフハフと咀嚼するのを微笑ましく見守っていると、
「せ、先輩! 私も是非『はい、あーん』に挑戦してみたいと思うのですが!」
何故か妙な対抗心を燃やしたマシュにおねだりされてしまい、今度はマシュの口に豆腐を運んでいくことになった。そして二人に半分ずつ与えれば当然私の分はなくなってしまうわけで、今度は逆にマシュから『はい、あーん』をされて私が食べさせてもらった。熱々で口の中を火傷しそうになったけど、とても美味しかった。
■□■□■□■□■
「今更ですが、カルデアの勤務形態は劣悪です」
糠漬けと揚げ出し豆腐のお礼にと、コヤンスカヤが淹れてくれた食後の焙じ茶を飲みながらマシュと軽いお喋りで時間を潰していると、話題が途切れたところで不意にコヤンスカヤがポツリと切り出した。私とマシュが思わず小首を傾げると、拳を握りしめて熱烈に語りだす。
「常勤でありながら、常に有事に備えて待機させているなんて……。なんて……なんて私好みのハードワーク!」
そういえばコヤンスカヤのNFFサービスはPMCと言いつつも社員はCEOである彼女一人の実質個人事業主になるわけで、法人成りで税法上の優遇を受けていたとしても就労時間や休日という概念もないことになる。まさにブラック企業。なお事業上の純利益が個人事業主の報酬となるので、働けば働くだけ収入も増える模様。
そしてサーヴァントは基本的にマスターからの十分な魔力供給がある限り食事も睡眠も不要。それでも普通のサーヴァントなら人間であるマスターには休息が必須だけど、単独行動かつ単独顕現スキル持ちのコヤンスカヤにはそれすらも不要だ。
おまけに、ジナコさんとか刑部姫みたいに働くのが大嫌いな引きこもりニート体質ならまだしも、タマモ属由来の御奉仕体質持ちであるコヤンスカヤにはそれもない。24時間いつでも対応可能で世界中のどこでも出現し、しかも戦闘力はビースト属性の折り紙付き。それは設立からたった半年でPMCとして台頭するのも当然だろうしニュースにだってなるだろう。
「エヘ、エヘヘ…何の話ですか?」
「おうおうおう、何の話でぇ?」
フォーリナー繋がりで今日の素材収集に付き合ってくれる予定のゴッホちゃんとお栄さんが連れ立って近づいてくる。この二人も画家だから、一応は個人事業主と言えなくもないのか。まあ、売れっ子の浮世絵師だった北斎さんはまだしも、生前は全く日の目を見ることのなかったゴッホちゃんは収入と言えるものはせいぜい弟テオからの援助ぐらいのものだったろうけど。
「いや、カルデアの労働条件がどうこうって話なんだけど」
そうは言っても、白紙化した現在の地球に労基署なんてあるはずもなし。よって、カルデア職員は基本的には自己裁量で勤務時間が決められていたりするのだが、そもそもスタッフの数が少なすぎるので休みなんてあってないようなもの。緊急時には24時間いつでも呼び出されるし、給与をもらったところで真っ当な買い物が出来る店舗すら地球上には存在しない。レイシフトやら何やらで曲がりなりにも買い物をする機会がある私はともかく、他のスタッフにはそれすらもない。
「これをストひとつなく続けていたとは、こんな社畜人材見た事がありません!」
「いや、そこでストライキなんかしたら死ぬんだけど」
漏れなくカルデアの全員が。
何しろスタッフの一人一人が専門の担当分野を持っていて、休憩中の短時間ならまだしも、基本的に代わりとなる人材などいない。もし誰かがストライキに突入したとして、偶々そこに緊急を要する突発的な事故でも発生したら?
その時点で詰みである。全滅するしかない。私を含めてカルデアのスタッフ達が文句一つ言わずに働いているのは、決して全員が社畜根性の持ち主だからではない。単に他に選択肢がないだけだ。
「努力家、生真面目、忍耐力…もしや番犬の素質がお有りなのでは?」
むしろ憮然として湯呑みを傾ける私をまじまじと見つめながらコヤンスカヤが言う。褒められているはずなのに嫌な予感しかしないのは何故だろう。
「マスター? 本気で、私の会社にスカウトしてよろしいかしら? VIPルームの室内犬に、興味あります?」
「コヤンスカヤさん!? 先輩をペット扱いは止めて下さい!」
何かとんでもない事を言い出したコヤンスカヤを窘めるようにマシュが身を乗り出し、逆に私はドン引きする。
「今ここで、このタイミングで言うってことは本気なんだよね……?」
冗談で言っているようには見えないからこそ質が悪いんだけど。
無言で満面の笑顔を返してくるコヤンスカヤからそっと目を逸らす。別に隔意があるわけじゃないし嫌いでもないけど、さすがにコヤンスカヤのペット枠に就職したいとは微塵も思わない。しかもコレ、一度でもスカウトに応じてしまったら中途退職とか絶対許されないパターンだよね?
むしろ終身雇用というか飼い殺しコースまっしぐらっていうか。それも比喩じゃなくて、本当に死ぬまで飼われそう。
「うーん、今は転職活動どころじゃないから、悪いけどちょっと保留かな」
曖昧に笑ってお茶を濁すと、コヤンスカヤは少しだけ残念そうに唇を尖らせてから、ニッコリと笑って頷いた。
「なるほど、わかりました。では、いずれ返答を聞かせていただける日を楽しみにお待ちしております」
「あ、うん。…ええっと、マシュ、ゴッホちゃん、お栄さん。そろそろ行こうか? 今日もよろしくね?」
コヤンスカヤの期待に満ちた笑顔が怖い。私は湯呑みを置くと、そそくさと逃げるように素材収集に出発することにした。
■□■□■□■□■
素材収集はゴッホちゃんの援護を受けたお栄さんとコヤンスカヤが大暴れして恙なく予定分を――というか思っていたよりも少し多めに入手できた。ゴッホちゃんの宝具はフォーリナーのクラススキルである領域外の生命スキル持ちに対して圧倒的な能力向上を与える。まあ、一つ間違えると邪神を量産してしまう諸刃の剣でもあるのだけど。
「お疲れ様、ゴッホちゃん」
「ウフフ、マスター様のお役に立てて、ゴッホは…ゴッホ、ゴッホッホ…ゴッホジョーク…」
相変わらず微妙にズレた受け答えをするゴッホちゃんの頭を撫でてあげる。
複数の霊基を掛け合わせたという意味ではシトナイとかサクラファイブのアルターエゴ達も似たようなものだし、あるいは狂化の影響を受けたバーサーカーなど日常的に情緒が不安定なサーヴァントもカルデアでは珍しくもないけど、その中でもゴッホちゃんは成り立ちからして特殊な例になる。
いや、北斎さんとお栄さんやコヤンスカヤが特殊じゃないとは言えないし、そもそもフォーリナーのサーヴァントで普通の世間一般的な常識的価値観が通じるのは、せいぜい青子さんぐらいだろうか。…よりにもよって最新の第五魔法の使い手にして、何度死んでも別の時間軸の同一人物が平然と顔を出してくるような人が一番の常識人という時点で、フォーリナーの面子の非常識っぷりも極まっていると思う。
「ますたあ殿、おれァ帰ったら新しい絵でも描こうかと思ってるんだよ。仕事抜きで美人画を一枚、ってなァ」
「へえ? モデルは誰にするの?」
カルデアには美人が多い。むしろ美人じゃない人などいないレベル。だから美人画と言われても誰をモデルにするのか全く見当がつかない。
「そいつァ秘密サァ。出来上がってのお楽しみってやつでェ」
ふふんと得意気に笑うお栄さんの美貌に改めて視線を向ける。
お栄さん自身も生前の江戸時代の女性としては立派に長身の部類に入る上、しなやかでいて芯の強さを感じさせる肢体と豊かな胸元の曲線は絵のモデルにするには十分以上だと思う。ゴッホちゃんもゴッホちゃんでギリシャ神話の水の精霊クリュティエの化身なわけで物凄く可愛いし。
いっそゴッホちゃんとお栄さんとでお互いに向き合って、それぞれ相手をモデルにした美人画を描いてくれてもいいくらい。あ、でもこの二人が同時に絵を描くと、なんかおかしなところに繋がって邪神を呼び出してしまいそうなのがなぁ。
「あらあら、マスター。どうせなら、そこは自分をモデルにして描いて欲しいと言うくらいでないと」
背後から私の首に腕を絡めるように抱きついてきたコヤンスカヤが耳元で甘く囁いてくる。密着してきたせいで背中にふにょりと押し付けられたおっぱいの感触に気を取られかけながらも、私は首をブンブンと横に振る。
「いやいやいや、よりにもよって葛飾北斎にモデルとして自分を売り込むとか。そこまで自信過剰のナルシストにはなれないよ、私」
そんな私の顔を下から覗き込むようにしながら、お栄さんは悪戯っぽくニシシと笑う。
「そうかねェ? 今のますたあ殿を描くのもそれはそれで面白そうだ。なんつーか、あれだ。赤飯を炊くじゃねェが、今が旬の初花か、はたまた水揚げ《注》か…ってなぁ」
「…ふぇ?」
一瞬、何を言われてるのか意味がわからなかった。
「マスター様が世に生を受けた、かけがえのない日をお祝いするなら、マスター様がお日様のように満開の花を咲かせたのをお祝いするのも、ゴッホは…ゴッホは…エヘヘ、エヘヘヘ…」
「ひえっ!?」
ゴッホちゃんが蕩けるような笑顔で抱き着いてくる。その笑顔とは裏腹に、なぜか彼女の瞳の奥に灯る狂気の光が見えたような気がして背筋が寒くなる。
「ちょ、ちょっと待って! 二人とも、なんの話をしてるの!?」
「あら、マスター。本当に心当たりがないと本気で仰っていらっしゃいます? せっかく偉大な画家が二人もお祝いをしようと申し出て下さっていますのに」
コヤンスカヤの手が私の首筋から胸元を妖しく撫で回してくる。ゴッホちゃんは私の胸に抱きついて頬ずりしてくる。お栄さんはそれを面白そうに見ているだけで、止めるつもりは毛頭ないみたいだ。これだからフォーリナーは。こういう時にツッコミ役になってくれる良識あるサーヴァントがいない。
「そんなつれない事を仰らないで。そんな風に言われては、私も神である前に獣なので、たまに、ちょっとだけ味見をしてしまいたくなりますわ。かみかみ☆」
私の耳朶をコヤンスカヤの唇が優しく食む。耳の中に舌先を差し入れられて舐られると、背筋がゾクゾクする。
「あわわわっ!! 駄目っ! 駄目だってば! 誰か、助けっ……」
自分でも驚くぐらい情けない悲鳴をあげてしまった瞬間、
『そこまでです、コヤンスカヤさん!』
通信回線越しにマシュの声が飛び込んでくる。
『帰還用のレイシフトの準備が整いました。先輩のバイタルデータが必要以上に乱れていてはレイシフトの障害になります。どうかご自重ください』
「あら、ごめんなさい。つい、興が乗ってしまったので」
マシュからの叱責にも悪びれる様子もなくクスクスと笑うコヤンスカヤ。そのくせ、私の首に回した腕を解いてくれるつもりはないらしい。
「それでは、続きは帰ってからということで」
「いやいや、何を勝手に決めてんの!?」
私の質問には何も答えずにコヤンスカヤは私の首筋に口付けしてキスマークを付ける。うなじで辛うじて髪で隠れるぐらいの位置なのはせめてもの温情だと信じたい。無駄な悪あがきとは知りつつも口付けされた辺りを手で軽く擦ったけど、あまり意味はなさそうだった。
「…もうっ、もしマシュに気付かれたら大騒ぎになっちゃうんだから。こういう事はやめてよね」
「でしたら、次はマスターのお部屋で。二人きりの時にゆっくりと愉しみましょう。野暮な邪魔者は入れない方がよろしいのでしょう?」
コヤンスカヤの甘い囁き声が耳元をくすぐる。耳朶に吐息を吹き掛けられるように優しく囁かれるだけで力が抜けそうになる。
ずるい。こんなの抵抗できるはずがない。胸が勝手にドキドキと高鳴ってしまう。コヤンスカヤが背後にいてくれて良かった。もし正面から顔を覗き込まれていたら、きっと恥ずかしいくらい赤面して目を潤ませているのもバレてしまっていただろうから。
■□■□■□■□■
カルデアに戻った後は自室で報告書の作成。
マシュが夕食を誘いに来てくれたが、ここで後回しにするとまた未提出の書類が増えてしまうと言って今日は遠慮させてもらった。
――嘘だけど。いや、厳密に言えば嘘じゃないけど、それが事実の全てというわけでもない。
きっと食堂に行ったら、こういう時だけやけに目敏い色ボケ殺生院とかDOMANとかが呼んでもいないのに勝手に近付いてきて、さんざん場を引っ掻き回した挙げ句に騒ぎを大きくするに決まっているのだ。なので、仕方なく空腹を我慢しつつ書きかけの報告書に集中しようとする。
「…ああ、もうっ」
けど、今はどうにも集中しきれない。首筋を何度も手で擦る。擦れば擦るほど意識してしまう。別に、これが初めてのことでもなければ、今までだって、もっと際どいところにキスされたことだってそれこそ数え切れない、くら、い、――
「~~~っ」
ダメだ。思い出したらますますドツボに嵌まってしまった気がする。両手で顔を覆って机に突っ伏し、身悶えるように足をバタつかせる。
恋とか、愛とか、そういうのを恥ずかしげもなく平然と口にしてくるサーヴァントは少なくないし、フィンさんとか、ダビデとか、あとフェルグスみたいに二言目にはマスターである私まで口説いてくるようなタイプもいないわけではない。バーソロミューほど突き抜けてしまうと、それはそれで例外になるけど。
私が女だって気にしない自称恋人のメリュジーヌとか、美少年も美少女も両方イケると公言するネロやドラコーみたいな例もあるし。
とはいえ。とはいえ、だ。コヤンスカヤの好意を世間一般の好意と同じものだと考えては大間違いだということはわかっている。
コヤンスカヤが人間である私に向けている感情はせいぜい玩具か、良くてもペット。契約を交わしたビジネスパートナーとして譲歩してくれることはあっても、根本的に自分が上位者で、人間という種を管理する側という矜持が前提にある。
あくまでも、私は飼育の対象。対等な関係などありえない。例え私が好意を向けたとしても、コヤンスカヤが返してくれるのは決して同じものではない。
「それはわかってる…わかってる、んだけど…」
コヤンスカヤに甘やかされるのは、キモチイイのだ。癖になるほどに。
――それに、何より。
『時に火を向けて絶滅鏖殺し、時に手を伸ばし愛玩する背反に、報いと応えを』
あのツングースカで。
ビーストⅣに羽化しかけていたコヤンスカヤは、最後の最後でそれを拒んだ。
人間を滅ぼす厄災としてカルデア諸共に自爆して消えるのではなく、きちんと人間と向き合ってくれた。
世界卵として眠りに就こうとする寸前の、あのコヤンスカヤは本当に、本当に綺麗だった。
『いいでしょう。そのプラン、お受けいたします。第一の獣は問答の末に。第二の獣は別離の末に。そして第四の獣は、剣を振るい合う事なく、互いの答えを見つけ出す』
あの時も、コヤンスカヤは、どこまでも飄々としていて、そういった暗鬱なところは絶対に見せなかったけれど。今でも、それは変わらないけれど。
ツングースカの地に焼き付いた獣の呪いと苦痛がカタチを得た、生まれながらにして人類への怨嗟を滾らせるモノ。
ヘシアン・ロボやゴルゴーンと同じ、人ならざる人類への復讐者。
人を憎みながら愛するモノ。
哀しき愛玩の獣。
あの時の私は、復讐を欲する自分の心と向き合うのが、どんなに辛いことか、まるでわかっていなかった。
復讐したいという願望を乗り越えるのが、どんなに大変なことか、全く理解していなかった。
巌窟王や、ジャンヌ・ダルク・オルタや、サリエリ先生や、アヴェンジャークラスの皆が助けてくれていなかったら、きっと乗り越えられなかった。復讐の焔に身を任せて、きっと灰になるまで魂を焼き尽くされていた。
『炎は、ここに捨てていけ』
頭の芯が燃えるように熱くなって、けれど胸の奥が凍えるように冷たくなって、苦しいような、悲しいような、複雑な感情に胸が締め付けられる。
机の上に突っ伏したまま、目を閉じる。グルグルと世界が回るような感覚。螺旋を描いて地の底に堕ちていくような、吐き気が込み上げてくるような気分の悪さ。
痛い。苦しい。気持ち悪い。
頭が重い。肩が怠い。手が震える。視界がぼやける。
喉がカラカラに乾いて、肺が軋んで潰れそうになる。心臓が早鐘を打って痛いほどに鼓動を打つ。
どうしていいかわからずに、ただただ泣き叫びたくなる。
苦しくて悲しくて切なくて、なのにどうしようもなく甘酸っぱい。
寂しい。虚しい。切ない。遠い。悔しい。許せない。嫌だ。痛い。寒い。熱い。眩しい。
感情が洪水を起こして、心の中を埋め尽くす。
制御できない激情の奔流に翻弄されて、思考回路がショートして焼き切れそうになる。
心が粉々に砕け散ってしまいそうで、何かに縋りたくて仕方なくなる。
誰でもいいから傍にいて欲しくなる。抱き締めて欲しい。一人にしないで。そばにいて。
悪夢が、来る。這い寄る。手が伸びてきて、首を絞められる。気道が塞がれる。息が詰まる。窒息する。意識が遠のいて、闇に閉ざされる。私、は――
■□■□■□■□■
『おまえは心の赴くままに。おまえは、おまえ自身として。――ただ、救うためにこそ道を征け』
いつの間にか嗅ぎ慣れてしまっていた煙草の匂いが、する。
紙が焦げる匂い。刻まれた煙草の葉が燃える匂い。燃え尽きた魂が灰になっていく匂い。
――復讐者の、匂い。
『恩讐を越えて、我らを越えておまえは征くがいい。怒りと悲しみは捨てていけ』
わかってる。
『その炎は、俺たちが連れていく。おまえは、希望と共に、明日を目指せ』
うん、わかってる。
『アンタは、ほら、取り戻したいものがあるんでしょう?』
今はもう、虚ろな影しか残っていなくても。こうやって、夢の中でしか会えなくても。
それでも、あの炎の欠片は今も胸の奥に残ってる。
でも、寂しいよ。また、会いたいよ。
ずっと一緒だったのに。ずっと一緒だと思っていたのに。
『じゃあね。――負けんじゃないわよ』
うん、負けないよ。私は前に進んで見せるから。振り返らずに明日へと進むから。
…だから。だから、いつか、どこかで。また――
煙草の火が、暗闇の中に灯った小さな小さな火が、得体の知れない怪しい極彩色の光に変わって渦を巻く。
「あ」
これは、まずい。
何が、と言われればわからない。ただ、ひどく嫌な予感がする。わけもわからず、ただ未知の恐怖が襲ってくる。寒気にも似た心細さと、深海の底に叩き込まれたような重苦しい孤独感が胸を締め付ける。
けれども。
バタン、と。どこかで部屋の扉を閉めるような音がして。ガチャリ、と。その扉の鍵をかけるような音がして。唐突に、冷え切った体が楽になったような気がした。
「…ター?…スター? マスター?」
肩を優しく揺らす手の感触。鼓膜を震わせる甘い声が呼んでいるのが聞こえる。それが、泣きたくなるほどの安堵を私にもたらしてくれる。重い瞼を開くと、そこには。
■□■□■□■□■
「はい、ぶぶ漬けでち。熱いから気をつけるんでちゅよ」
夕食を食べ終えたカルデアのスタッフやサーヴァント達もあらかた捌けた深夜の食堂で、紅閻魔は温かい湯気を立てる丼を乗せたトレーを置いた。
「あら、本当に出して下さるとは思いませんでしたわ」
「閻魔亭の名にかけて、空腹を抱えたままの客を帰すような真似はできまちぇん」
目の前の雌狐が己の矜持を何より尊ぶのと同様に、紅閻魔にとっても譲れないものはある。
誰が相手であろうとも、何があろうとも客に饗する料理に手は抜かないし、善行にも悪行にもそれぞれに応じた報いが与えられるべきだ。
「今日という一日を手を抜かず勤勉に働いた者に温かい料理の一つも出ちゃずに、何がおもてなちでちゅか。閻魔亭の名折れでち」
「それでは遠慮なく」
トレーを手にするコヤンスカヤの爪先が向く先に、それだけで何かを察したように紅閻魔は目を細める。
「ご主人のこと、よろしくお願いしまちゅ」
「もちろんですとも」
食堂を出たコヤンスカヤはヒールを鳴らしながら通路を歩いていく。 マスターの部屋が見えてきたところで、その扉の前に佇む小さな人影に気付いた。
「こんばんは、そしてごきげんよう、空から降りてきたる御方。天の火石たる君」
アビゲイル・ウィリアムズ。夢見の姫君にして、意思持つ銀の鍵の現身たるもの。
「マスターはお部屋の中にいらっしゃるわ。早くお傍に行って差し上げて?」
通路を照らす光の加減のせいか、僅かに俯く少女の口元は柔らかい微笑みの形を描いているものの、顔の上半分は影になっていて窺えない。コヤンスカヤがフレームレスの眼鏡越しに金色の双眸を細めて見つめると、小さな魔女の姿は不可視の扉の向こう側へと隠れるように影すら残さずその場から消えて失せた。
「入りますよ、マスター」
ノックもせずに扉を潜る。机の上に体を預けて突っ伏しているマスターの横にトレーを置き、その肩に手を置く。
「マスター? 起きてくださいませ。こんなところで眠ってしまっては風邪を引いてしまいますよ? マスター?」
そっと肩を揺り動かしながら優しく耳元で囁けば、ようやく薄目を開けた少女は焦点の合わない瞳でぼんやりとこちらを見上げる。
「ぅ、ぁ……?」
瞳を潤ませたマスターの喉を震わせたのは、まるで嗚咽のような物悲しげな呻き声だけだった。
コヤンスカヤが優しく抱き寄せると、その胸に顔を埋めたマスターは子供のようにしゃくり上げる。幼子をあやすように、髪を梳くようにして頭を撫でれば、甘えるように胸元に擦り寄ってくる。
「どうしましたか、悪い夢でも見たのですか?」
答えはなく、マスターはコヤンスカヤの胸元に縋りついて啜り泣くばかりだった。
コヤンスカヤはそれを拒絶せず、マスターの好きにさせる。華奢な背中を優しく抱擁して、落ち着くまで待ち続ける。
やがて、トレーの上の丼から上がる湯気が薄れてほとんど見えなくなった頃、腕の中のマスターが微かに身じろぎをする。目尻を拭おうとするマスターの手の動きを優しく握って止めると、コヤンスカヤはその目元に唇を寄せる。
「大丈夫。私がいますよ、マスター」
そのまま涙の跡を辿るように唇を押し付けていく。くすぐったそうに身をよじるマスターの目元に、頬に、唇と舌を這わせて塩気の混じる雫を丁寧に舐り取っていく。
「コヤンスカヤぁ…」
甘えるように、鼻にかかった甘ったるい声が、コヤンスカヤの名前を口にする。
「はい、ここにおります」
コヤンスカヤは目を細めて、嬉しそうに微笑んだ。少しだけ開いた瑞々しい少女の唇を塞いで舌を絡める。少女の方も積極的に舌を絡ませてくる。唇の端から唾液を垂らしながら、お互いの口内を貪り合い、粘膜を擦りつけ合う。
長い接吻が終わり、名残惜しげに口を離すと透明な糸を引いた。
「ふぁ、んぅっ……」
うっとりと蕩けた表情を浮かべるマスターに微笑みかけると、コヤンスカヤはその顔の輪郭を指先でなぞっていく。顎の下を撫でられた猫のように目を細めて受け入れるマスターにもう一度触れるだけのキスをしてから、コヤンスカヤは机に置かれたままのトレーを指差す。
「申し訳ありません。だいぶ冷めてしまいましたが、夕食をお持ちしました。今夜はまだ食堂にいらっしゃっていないと伺いましたので」
「……誰の、せいよ」
拗ねたように唇を尖らせるマスターは、しかしだいぶ調子を取り戻したようで、二度、三度と瞬かせた目を丼へと向け、
「あ、ぶぶ漬け…紅女将、本当に出してくれたんだ」
「約束は守る御方ですから、紅ちゃんは」
微苦笑を浮かべたマスターに優しく微笑むコヤンスカヤが視線を合わせ、トレーを前に置かれると丼の脇に添えられた木の匙を手にする。
「いいの? 私が食べちゃっても」
「構いませんよ。…ああ、いえ。それとも、私が手ずから食べさせてあげても、よろしいのであれば」
わざと悪戯っぽく、婀娜っぽく、蠱惑的に笑ってみせるコヤンスカヤに、マスターは困ったように眉尻を下げて苦笑を返す。
「あ、あはは……いいよ、自分で食べるから。ありがと」
「そうですか。残念です」
さして残念でもなさそうな口調で言って、匙で掬った米の上に刻んだ高菜と沢庵を散らした茶漬けを口に運ぶマスターを見守る。
既にほとんど冷めかけているため、いくら匙を動かしても舌を火傷する心配は要らない。米粒が崩れて、さらさらとした出汁の中で踊る。魚介類の旨味が凝縮された出汁の淡泊な味わいが口の中に広がっていく。
「美味しい」
しみじみと呟くマスターを愛おしげに見つめている間にあっという間に完食してしまった。
「ご馳走さまでした」
ぱちりと手を合わせたマスターは、食器を片付けるために席を立とうとする。しかし、その前に立ち上がったコヤンスカヤが軽々とマスターの体を持ち上げる。
「あ、ちょっ」
抱き上げられたマスターが抗議の声を上げるよりも早く、そのままベッドの上へと運び込まれてしまった。
抵抗する暇もなく押し倒されたマスターは、組み敷かれるような体勢で覆い被さってくるコヤンスカヤを見上げる。
「…食べたばかりなのに」
ベッドの上で呟くのは、色気の欠片もない台詞。唇の端に張り付いた高菜の切れ端をコヤンスカヤの舌が舐め取る。
「大丈夫ですよ。すぐに消化されます」
「そういう問題じゃないし」
抗議するように言い返すマスターは、しかし服の胸元を緩めるコヤンスカヤの手を拒まず、服を脱がされていくに任せる。露わになった下着は飾り気のないスポーツタイプのブラジャー。窮屈そうに収まっている乳房の大きさに比べてカップが小さめだったのか、明らかにサイズが合っていない布地を押し上げて乳首の形がくっきりと浮かび上がっている。
コヤンスカヤがおもむろにホックを外す。ぷるん、と開放された胸の双丘の先端はすでに固く尖っていて、色素沈着のない乳頭は綺麗な桜色をしていた。
「はぁ…」
半ば無意識に解放感に浸るような吐息を漏らしたマスターの視線が泳ぐ。恥じらうように彼女は顔を朱色に染めて目を伏せる。順調に育ちつつある胸の大きさを自覚しつつも、下着を買い替えれば当然ながらそれはマシュや他のスタッフ達にも知られる可能性が出てくる。そうなれば、何と言われるかわかったものではない。そのせいで窮屈な思いをしつつもこうして着用しているのだが、その選択も今となっては逆効果かもしれない。
「もう一人の私にマスターの新しい下着を仕入れるよう言っておきましょうか。他の皆様にも秘密にとなると、少しばかり値は張りますけれども」
「…業突く張り」
せめてもの抵抗に憎まれ口を呟くものの、それでも『要らない』とは言わなかったし、上から覆いかぶさるコヤンスカヤが乳首を口に含むのを拒みもしなかった。それどころか、コヤンスカヤの頭を抱くように腕を回して甘えている始末。語るに落ちるとはこのことだろう。
唾液を塗り付け、しみ込ませるように舌先を回す。その度にビクビクと体を震わせながら喘ぎを漏らすマスターは、自ら差し出すように胸を突き出す格好になる。優しく甘噛みされ、乳首を吸われる悦楽に、堪らずといった様子で両腿を擦り合わせてもじもじと腰を揺らす。
コヤンスカヤの手が太腿の間に滑り込み、ショーツの上から割れ目をなぞる。クロッチは既に湿り気を帯びており、粘ついた液体が指に絡みつく。
「濡れていますね」
意地悪く指摘したコヤンスカヤの目の前で、マスターの顔が羞恥に染まる。
「うるさい」
ぶっきらぼうに言い返すものの、図星だったので否定はできない。薄い生地で出来たショーツの上から陰核を探り当てられ、親指と中指を使って挟まれるようにして揉まれれば、途端に呼吸が激しくなる。
「は、ふっ、くぅっ……!」
歯を食い縛って喘ぎ声を抑えようとしているようだが、悦びに蕩ける表情を見れば一目瞭然だった。コヤンスカヤの手が下着の中に潜り込むと、むしろ腰を浮かせてそれを自分から招き入れるような仕草を見せる。
「んぁ、あぁうっ!」
ぐちゅり、と音を立てて指先が膣内に侵入してくる感覚に身震いする。異物感による違和感などすぐに霧散した。代わりに、背筋から脳髄にまで響く快感に襲われる。脚を開いて、奥へと誘うように腰をくねらせる。それに応えて指が二本に増やされる。繊細な粘膜を広げられる感覚に恐怖はない。今はもうコヤンスカヤが自分を傷つけたりはしないという信頼は既に確固たるものとして根付いていた。
淫蜜に濡れた襞と襞の間を指先で探られ、特に感じる部分とそうでない部分とを巧みに使い分けて刺激される。感じ過ぎて苦しくなることも、逆に物足りなく思うこともなく、ただひたすらに心地良い快楽だけが与えられる。甘やかされる。愛玩される。虜にされる。溺れる。このまま永遠に浸っていたいとさえ思えてしまう。
「コヤンスカヤぁ…キモチイイよぅ……」
「ええ、ええ、気持ちの良いことはお好きでしょう?」
愉しげに口の端をつり上げるコヤンスカヤの言葉を否定することはできなかった。その通りだからだ。少なくとも、彼女が与えてくれるものならば何だって受け入れたいと思う程度には心を許してしまっている自覚はある。
「ほら、どうぞそのままイってみせてくださいませ」
恋人に囁かれるように促され、絶頂へと導かれていく。指の付け根で陰核を揉むように刺激されつつ、乳首を強く甘嚙みされ、同時に膣内を指で掻き回される快楽の三重奏に脳が打ちのめされる。
「~~ッ♡」
びくんっ、と大きく痙攣した後、脱力したように弛緩した体をベッドの上に投げ出す。荒い呼吸を繰り返しながら余韻に浸っている最中、コヤンスカヤに頬を撫でられる。その手に自分の手を重ね、目を閉じて甘えるようにすり寄るマスターは多幸感に包まれていた。
「マスター」
呼びかけられ、目を開けると、至近距離に迫ったコヤンスカヤの顔があった。蛇のように細められた金色の瞳瞳には隠しようのない嗜虐の色が宿っている。欲情の炎が燃え盛っているのが見えるようだった。その瞳に映る自分もまた同様であることを自覚させられる。
「マスター、あなたは私のものです。誰にも渡しませんし、逃がさない。絶対に逃がしはしない」
耳元に寄せられた唇から紡がれる言葉は呪いのようでもあり、祝福のようでもあった。マスターはその言葉に応じるように手を伸ばすと、コヤンスカヤの背中に回して抱きしめた。
「いいよ。全部あげるから。私のこと、好きにして」
その言葉を聞いたコヤンスカヤの瞳の奥で何かが揺らめいた。それは歓喜か、あるいは――。
「仰せのままに」
低く掠れた囁きと共に再び唇を重ね合わせ、互いの舌を絡ませ合う。そうしながらマスターの開いた脚の間に体を入れる。互いの股間を密着させるように、互いの二枚貝を重ね合わせるようにして、お互いの秘裂を擦り合わせる。
ぬちゅっ、くちゅっ、という淫靡な水音が部屋に響き渡る。その音を聞くだけで興奮が高まり、体の奥底から熱が湧き上がってくる。マスターもまた同様に感じているのだろう、重ね合った口の中でくぐもった喘ぎを上げている。必死にしがみついてくる姿が可愛らしかった。接続された魔力経路を通じて流れ込む濃密な精気が酩酊感をもたらす。二人の愛液が混ざり合い、泡立ち、白く濁った本気汁となって垂れ落ちてくる。
「んっ、ふぅっ♡ はぁっ、あぁっ♡」
マスターの口から漏れる嬌声のトーンが変わる。それに合わせて徐々に動きが大きく激しくなっていく。陰核同士が擦れ合い、膣口同士が甘いキスを交わすたび、頭の中が真っ白になるほどの快感に酔う。もっともっと深くまで繋がりたいと言わんばかりに強く抱きしめ合いながら、二人は絶頂へと上り詰めていった。
「あっ、あっ、ああっ、イク、イッちゃう♡」
「えぇ、私も限界です。一緒に、イキましょう」
一際強く抱きしめられた瞬間、全身を電流のような衝撃が走る。絶頂を迎えたのだということを認識した瞬間、目の前がチカチカと明滅する。頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなる。コヤンスカヤもまた達していた。マスターの両脚を抱え込みながら全身を硬直させ、背筋を大きく震わせる。
しばらくの間、余韻に浸りながら抱きしめ合っていた。どちらからともなく唇を重ね、舌を絡める。相手の存在を確かめるかのように情熱的に求め合った。
やがて呼吸が落ち着いてくると、ゆっくりと口を離す。名残惜しげに銀の橋がかかる様子を見送りながら、二人は互いの目を見つめ合う。
「…ねえ、コヤンスカヤ。今日はこのまま一緒にいてくれる?」
「それがマスターのお望みなら、ええ、喜んで」
甘えるように囁くマスターに答えると、コヤンスカヤは再び優しいキスの雨を降らせた。
「ん……」
コヤンスカヤの指がマスターの髪を解きほぐす。ゆったりとした手つきで頭を撫でられると、安心感を覚えると同時に眠気に襲われた。瞼を閉じると、コヤンスカヤの匂いに包まれる。柔らかな胸に頭を乗せ、心地よい疲労感と共に眠りに落ちる間際、マスターは小さく呟いた。
「ありがとう」
返事はなかった。その代わりに、温かな手が髪を撫でてくれる感触だけが意識に残った。
《注》初花、水揚げ:遊女が初めて客をとること。転じて、この文脈では処女喪失を暗喩するニュアンスで使用している