「せーのっ」
白野先輩の掛け声と共に、戦場には不釣り合いに過ぎる傍若無人な高笑いの四重奏が響き渡る。
「「「「ふはははははは!!」」」」
私と白野先輩がそれぞれ簡易召喚で呼び出した二人の金ピカ英雄王が、それぞれに『王の財宝』で数多の宝具の原典となった武具を無数に展開し、それが情け容赦なく雨あられと降り注ぐ。凄まじい十字砲火を喰らった敵はあっという間に見えなくなる。
殲滅火力という意味では過剰も過剰、あとに残るのはペンペン草も生えないレベルで穴ぼこだらけになって荒れ果てた大地だけだった。さながら砲兵隊の全力砲撃か、でなければ空軍機から戦略爆撃を喰らった後の戦場跡が如し。そりゃぁ英雄王も慢心だってするだろう。これで倒せないのは余程の規格外のスキルか宝具を持った英霊とか神霊ぐらいなものだ。
そして、白野先輩がやっているのを見て私も真似してみたくなったけど、この高笑いはすごくテンションが上がる。四人でやると正直ものすごく馬鹿みたいだけど、それがまた楽しい。
「「いぇーいっ」」
「お疲れ様です、白野先輩」
「上手くいって良かった」
「いや、これで倒せない相手とかがそうポンポンと出てこられても困りますけど」
戦闘終了のハイタッチを交わした後で、のほほんと気楽な会話を交わす。
なんというか、マスターとサーヴァントとしてではなく、学校の部活などでダブルスを組んだ先輩と試合後に軽いお喋りでもしているような感覚。あるいは、もし私に年の近い姉がいたらこんな感じなのだろうか。
「うんうん、気持ちはわかるよ。でも、何故か不思議と思いがけないところでそういう相手がひょっこり顔を出すのがお約束なんだよね」
「いや、あの、そういうフラグを立てないでくれません?」
しかつめらしく腕組みして何度も頷いてみせる白野先輩にペシッと手の甲で軽いツッコミを入れると、すぐに口元を緩めて可愛らしい笑顔を浮かべる。
「いいね。ノリノリでこういう楽しいお喋りができる相手ってなかなかいないんだ。マスターっていう立場だと仕方ないんだけどね」
「わかります。もちろんサーヴァントの中にも『話せる』人はそれなりにいますけど…」
「やっぱり、どこか見えない壁っていうのかな。普段は打ち解けて話しているように思っても、」
「なんていうか、受け答えを一つ間違えただけで相手の心証が唐突にガラリと変わってしまうような…」
「あるある。わかるよ、そういうの。私も苦労させられたし」
例えば海賊くろひーこと黒髭エドワード・ティーチとか。例えば酒呑ちゃんとか。例えばメッフィーことメフィストフェレスとか。
ただでさえ相手の地雷がどこにあるのかさっぱりわからないのに会話するのは、ひどく気を遣う。ある程度まで気心が知れていれば、そういう苦労も少しは軽減されるのだが。それでも、ふとした拍子で地雷を踏みそうになると、思わず冷や汗が出る。そういう時に限って相手が笑顔だったりするので、なおさら怖い。
「こう言っちゃなんだけど、英霊って結局のところ人格がどこか偏ってたり歪んでたりするのが当たり前なところがあるからね。神霊や反英霊ならなおさら」
「まぁ、ごく普通の人が英霊になれるわけがないですもんね」
「そうそう。円満な人格者は周りに合わせられるし、基本的に自分からは大きな波風も立てない。逆に言えば平穏無事に一生を過ごせることが多いから、歴史に名を残すような波瀾万丈な出来事ともあまり縁がない」
「白野先輩も?」
それは何気ない問いかけだったけど、被った帽子のつばを手で引き下ろした白野先輩は黙って口元を小さく歪めてしまった。
しまった、と内心で後悔する。わざわざ言う必要もないことを口にしてしまった。
「あは、は…まあ、うん。そうだね。私も、あんまり普通とは言えない…かな」
そして、謝ろうとする私を片手を挙げて制すると、
「気にしないで。お互い様だし。私も、なんだかんだとサーヴァント達にズケズケと無遠慮な物言いしてきた自覚はあるから」
そう言って、苦笑未満の懐かしむような表情を浮かべる。
「ホント、英雄王とかをサーヴァントにするのって物凄く大変。よく生き延びられたと自分でも思う。一緒に敵と戦うよりも、むしろ普段の何気ない会話の方がよっぽど怖かったもん。いつ『不敬』の一言でいきなり首を刎ねられるかと心の中ではビクビクしっぱなしだったよ」
「うわぁ…」
バビロニアのウルクでは、私も王様の無茶ぶりには散々苦労させられたし、気持ちはすごくわかる。いや、今だってカルデアにいる金ピカ英雄王の気まぐれと傲岸不遜ぶりには手を焼かされているけど。一応エルキドゥが傍にいてくれれば緩衝材になってくれる時もあるとはいえ、必ずしもブレーキ役になってくれるわけでもないところが困る。
「そういう意味では、玉藻の前はすごく楽だったかな。キャスターだったから肉弾戦に強い敵と戦う時は特に頭を使わないと危なかったけど、話し相手としては癒やされるし、それどころか逆に私の方が気を遣われるぐらいだったと思うし。まさに良妻狐って感じで」
「……」
良妻狐か。うん、まあ、私もその点については異論はない。確かにタマモ属のサーヴァントは漏れなく奉仕属性持ちだから。
「あら、誰が誰の良妻ですの?」
唐突に。いきなり話に割り込んできた声の主が私を後ろから抱き締める。
「あー…コヤンスカヤの、えっと…ごめん、光だっけ、闇だっけ?」
「こっちは闇の方ですよ、白野先輩」
背中にしなだれかかるように私を抱擁してくるコヤンスカヤは、私の頬に自分の頬をすり寄せてくる。このところ、特に距離が近くなったような気がする。別に悪い気はしないけど。
「そっか。まだちょっと見分けがつかなくて。もし気を悪くしたなら謝るよ」
「謝罪には及びませんわ。獣でしたら匂いで嗅ぎ分けることも出来ましょうが、人間ではなかなかそうもいきませんでしょうし」
白野先輩が軽く頭を下げるも、私の肩に顎を乗せたまま鷹揚に微笑むコヤンスカヤは機嫌がいい。
それはまあいいんだけど、私の腰に回した手が妖しい不穏な動きをしているのは困る。というか、白野先輩の見えないところで尻を撫でるな、尻を。セクハラか。セクハラなのか。
「コヤンスカヤ」
「はいはい、もちろんわかっておりますわ、マスター」
その一言だけで私が言いたいことを察したように、コヤンスカヤは一歩離れてくれた。そして姿勢を正すと、完全に有能敏腕秘書の顔つきになって口を開く。
「サーヴァント・ムーンキャンサー。真名・岸波白野の本日分の戦闘訓練は滞りなく終了。詳細な分析については後日また改めてということになりますが、まずは損害評価報告からどうぞ」
「ん、戦闘行動で消費した魔力量は想定内。通常行動に支障なし。身体的負傷および装備に損害なし。以上、自己申告終わり」
「結構ですわ。保有戦力分析については特に汎用性に優れ、ルーラーおよびフォーリナークラスと、一部の例外を除いたほぼ全ての敵性存在に対し有効な攻撃手段を有しているものと目しております。逆に、簡易召喚という戦闘手段の都合上、魔力の展開、召喚、そして攻撃という複数の段階を踏まねばならず、これは他のサーヴァントに比べて攻撃速度で一手出遅れる恐れがあります。無論、その際には肉弾戦という非常手段もあるにはあるようですが…」
「そうだね、その辺りは私の方で戦局を見極める一瞬の判断が重要になるかな。もちろん、マスターの指示には優先的に従うけど」
PMCとしてコンサルタント業務にも携わってきたコヤンスカヤは、当然ながら軍事教練にも一家言を有している。逆に、そういった軍事の分野にはあまり馴染みがなさそうな白野先輩が戸惑うことなく普通に会話できている方が不思議なくらい。
「マスターとの連携についても現在のところ大きな問題はないようですが、やはりサーヴァント・シールダーとの連携には遠く及ばないようです」
「いやいや、そこでマシュと比べたら流石に白野先輩があまりに気の毒じゃ…」
「マスター? 戦闘訓練とは平均値の底上げが主要な目的ですのよ? そして目標値は高ければ高いほど成長が見込めるというもの。もしカルデアにおける全てのサーヴァントが、マシュ・キリエライトと同じレベルでマスターと連携することが可能になれば、それがどれほどの戦力向上に繋がることか。まさか理解できないとは仰らないでしょう?」
「……」
情け容赦なく正論でぶった切られた私は死に体になった。もはや一言も言い返せない私を、コヤンスカヤはそれはそれは愉しそうに眺めていた。何このドS。
そんなことが現実に可能かどうかは別にして、私とマシュの長い付き合いだけがそれを可能としているにしても、もしそれに近いレベルで連携することが可能になれば、という主張それ自体は正しい。
繰り返すが、それが出来れば、の話だけど。現実には、それが出来れば苦労はしないのだ。以心伝心のレベルでお互いの考えがわかるのは、私とマシュの強い絆があればこそ。それこそ意思疎通の会話一つにも苦労するようなバーサーカーのサーヴァントに同じことを期待するとしたら、実現までに一体どれほどの時間がかかることか。
「で、でもさ…」
「いいよ。私も努力するよ。確かに一朝一夕で出来るとは思わないけど、努力しなければ成長もないもんね」
それでも抗弁しようとする私の言葉に横から割り込んで、白野先輩は不敵に笑った。
「あら、意外とあっさり了承なさるのですね。見かけによらず自信家でいらっしゃるのでしょうか」
「まさか。私は日々の努力と精進の積み重ねでしか結果を出せない凡人で、才能は全くないよ」
でも、と白野先輩は続ける。
「どんなに遠い目標でも、一歩一歩進めばいつかは届くもの。今の私がサーヴァントだからって、成長しないなんてことはないよ。サーヴァントだって変わるものだし、変化するものは成長だってするよ。私はそれを知っているから」
何気ない口調だったけど、そこには経験した者だけが語れる重みと厚みが確かにあった。どれだけの経験を積めば、こんなにもサーヴァントとの絆を信じられるようになるのだろう。羨ましくはないけれど、なんというか、ちょっと憧れてしまう。
私も、こんな風にマシュや他の皆との絆を誰かに胸を張って語れるようになりたいと思う。
「どうしたの?」
「え、あ、いや…その、白野先輩はすごくカッコいいなぁ、って」
ポツリと言っただけの台詞に白野先輩は目を丸くすると、私の肩を思いっきりバンバン叩いてきた。マスターからサーヴァントになったことで筋力も向上しているのに、その辺りの加減を微妙に忘れているのか、ちょっと痛い。
「なに言ってるかな。君も十分カッコいいよ。カルデアのマスター」
そして、そんな私と白野先輩のやり取りを唇を尖らせたコヤンスカヤがどことなく面白くなさそうに横から見ていたのだった。
■□■□■□■□■
戻ったら食堂の一角を借りて白野先輩と一緒に訓練レポートを纏める。とはいえサーヴァントである白野先輩がカルデア式の書式を覚える必要も意味も別に無いのだけれど、「これも勉強だよ」と言って付き合ってくれた。途中でマシュも合流して、お茶しながらのちょっとした勉強会気分だった。
「あ、カドック。良かったら一緒にお茶でもどう? いま白野先輩に色々と話を聞いてたところなんだけど」
少し離れたテーブルで軽食を摂っていたカドックを見つけて声をかける。
「遠慮しておく」
「そう?」
「おまえもそうだが、何をどう聞いても特殊事例が多すぎて参考にならない。かえって調子が狂うから聞きたくない」
「そうかな、大王アルテラと英雄王ギルガメッシュと征服王イスカンダルとが大軍を率いて三人揃って攻めてきたのを防衛してから令呪で宝具連打して逆襲のきっかけを作った話とか、すっごく勉強になるのに…」
「はあぁっ!?…いや、いい。むしろ、一体どういう状況になればその勉強の成果を活かせると思えるんだよ。ああ、答えなくていいぞ。訊いた僕が馬鹿だった」
初めて聞いたときは私もメチャクチャ驚いた話に、やっぱり目が飛び出すかと思うほど大きく見開いたカドックだったけど、すぐに我に返るとピロシキを苺ジャムを入れたロシアンティーで流し込んだばかりの胃を手で押さえて、呻くように言いながら白野先輩を嫌そうに横目で見た。逆に、白野先輩はそれをキョトンと見返す。
「カドック君…あ、ごめん。『君』付けで呼んでもいい?」
「好きにしてくれ」
「ありがとう。…カドック君は、もう一人の私とちょっと似てるかも」
「どこがだよ。僕は月の王とは似ても似つかないぞ」
「そう? 自分が最弱なのはわかってる。自分に才能がないのもわかってる。でも、それとやりたいこと、やらなきゃいけないこと、目の前にある壁を乗り越えようと努力することとは全く関係がない。だから、やる」
白磁のティーカップを手にしたまま、白野先輩はカドックの顔を真っ直ぐに見つめる。きっと、誰に対してもそうしてきたんだろう。
「やると決めた。なら、あとは進むだけ。もちろん壁があるなら乗り越えようと努力もする。でも、どうしても乗り越えられないなら回り道もする。いくら遠回りになっても、壁が乗り越えられないのなら、進めないよりはマシだもんね」
「…それ、アンタ自身のことか?」
「私は似ているようで、ちょっと違う。私は乗り越えられるようになるまで何度でも挑戦しなきゃ気が済まないタイプだから」
カドックは顔をしかめて目を逸らした。でも、白野先輩は容赦しない。本当に遠慮なく、はっきりズケズケとした物言いで続けた。
「努力の方向性がほんの少し違うだけ。カドック君が間違ってるわけじゃない。君はそれでいいよ。後輩君の真似をする必要はないって自分でわかってるんだから、そのまま自分に合った道を進めばいい」
「…ほとんど初対面なのに僕にまで先輩風を吹かそうとするのはやめてくれ。そういうのは芥だけで十分だ」
「芥ヒナコさん?…っていうと、虞美人のことだっけ? 確か吸血種の真祖だって聞いたけど。ああ、そういえば、実は私も前に真祖とやりあったことがあるんだよ」
「え!? それ、本当ですか? 出来れば、もっと詳しく!」
さらりと次々に明かされる驚愕の新事実に私は思わず食いつき、逆にカドックは盛大に顔を引き攣らせた。『聞くんじゃなかった』『聞きたくない』と顔面にデカデカと書いてある。
「そのマスターっていうのがとんでもなく暑っ苦しい変人でさ。まあ、その人もジナコさんの知り合いなんだけど。あの時は本来のクラスじゃなくて理性を失ったバーサーカーになって大幅に弱体化してたから、辛うじてギリギリ何とか凌げたようなものだよ。同じ事をもう一度やれって言われても絶対に無理。…あれ、そういえばカルデアでさっき見かけたアーキタイプ・アースとすごく似てたというか、もしかして同一人物? いや、あれは人じゃないから同一存在? なのかな?」
「…すまない。僕はもうこの辺で失礼する」
口元を手で押さえて顔を青ざめさせたカドックは、それはそれは深い溜め息をついてから私達に背を向けた。
「真祖と? それもアーキタイプ・アースとやりあった、だって? それで、なお生き延びたマスターがいるなんて、一体どうやって…いや、ORTを退けたとか言うよりは、まだマシなのか? どっちにしたって、時計塔で誰に言っても絶対に信じてはもらえないだろうな、全く…」
背中越しにブツブツと呟く小さな声が聞こえたけど、白野先輩はよく聞こえなかったようで、首を捻っていた。
「えっと…彼、大丈夫? 私、なんか余計なこと言っちゃった?」
「きっと大丈夫です。明日になればいつものカドックさんに戻っていると思います。飲み込むまでにちょっと時間はかかりますけど、カドックさんはとても粘り強い人ですから」
私が口を開くより早くマシュがフォローを入れてくれたので、頷く。ロシアでも、オリュンポスでも、南米でもそうだった。カドックは私よりも目の前の現実を受け入れるのにちょっと時間はかかるけど、決して現実から目を逸らすことはしないし、敵としては手強く、味方になれば色々と助けてくれる。
「雑談はその辺でよろしいでしょうか。レポートの提出期限まであと1時間を切っておりますが、進捗率は未だ70%に届いておりません。このままですと夕食の時間に差し障る可能性が濃厚ですわ」
テーブルの脇に控えていた有能秘書のコヤンスカヤが眼鏡の縁をクイッと持ち上げながら告げる。いつものことながら絶妙のタイミングを見計らってくれるおかげで、私達の意識もすぐに切り替わった。
「え、ホント? うわ、まずいっ…マシュ、そっちの資料取って」
「はい、先輩。これでよろしいですか?」
「ありがと」
「あー、闇のコヤンスカヤ…さん? ここの書式ってこれで良かったっけ?」
「ええ、間違いありませんわ。ですが、こちらの数字に関してはデータソースが違うため別の書式でご記入ください。それから、私のことは基本的にコヤンスカヤで結構ですわ。もう一人の私と同席する機会がそうそう多くあるとも思えませんし」
「わかった、ありがとう」
「いえ。それが私の仕事ですので」
ツンケンというほどではないが、至って事務的に対応するコヤンスカヤに教えてもらいながら白野先輩がレポートを書き込んでいく。私も負けずにペンを握った手を動かしていくの、だが――
「マスター、こちらにもサインを」
「あ、うん。…って、ちょっと待って。何コレ」
思わず何も考えずにサインしてしまいそうになったが、寸前で辛うじて手を止めて文面を見直す。
「二次契約書ですわ。私、タマモヴィッチ・コヤンスカヤ(闇)を召喚したマスターは、カルデアでの業務が終了次第、目的に使用した期間と同じ期間、その身柄をNFFサービスに預けるものとする」
「さりげなく人身売買契約書にサインさせようとするな!」
危なかった。危うくブラック企業に終身雇用させられるところだった。全く油断も隙もあったものじゃない。
「まあ、人聞きの悪い。ただのヘッドハンティングですのに。高給優遇、各種社会保険も完備。きちんと退職金もお支払いいたしますし、労働条件についても同様ですわ。休暇はもちろん、社員割引価格で自社商品の利用も可能ですし、福利厚生施設も充実しております。さらに、万が一の際の訴訟費用保険も用意しております」
「ぐぬぬ」
しかも、しっかりメリットを並べ立てられてもいた。いや、しかし、ここは断固拒否しないと。
「色々とツッコミたいところはあるけど…まず、訴訟費用保険って何?」
「時計塔には各種メディアにも影響力を持ち、表側の企業その他の団体を所有している名家も少なくないとか。民主主義派、でしたか? トランベリオやバリュエレータといった大貴族からマスターの身柄を公的な法的手段によって求められた場合の備えですわね」
「それ、ぶっちゃけ私自身の意思とか関係なくない?」
「あらあら、もしや私のマスターは時計塔の方がNFFサービスよりも、人道的かつホワイトな職場であると本気で思っていらっしゃいますの?」
またもやドがつくほどの正論だった。
そもそもマシュの出生の経緯からして、旧カルデアという組織には問題がある。そのカルデアの背景に時計塔という組織的な風土があったこと、魔術師という在り方そのものが世間一般的な価値観、常識的な倫理観とは真逆と言えるほどに隔たっているのは言うまでもない。
「これまでのマスターの所業と功績の双方を鑑みても、最低でも封印指定の検討を受ける対象となり得ることは間違いないと判断しております。もちろん、そのような事態となりましたら、全力で阻止させていただきますが。例えどんな手を使ってでも」
「……」
まあ、普通に考えればサーヴァントでビーストの幼体だったコヤンスカヤをどうこう出来るような魔術師がいるとは思えないけれども。でも、そこで私は思わず白野先輩を横目でチラ見してしまう。
『でも、何故か不思議と思いがけないところでそういう相手がひょっこり顔を出すのがお約束なんだよね』
時計塔には、ライネス師匠や孔明先生、グレイも属するエルメロイ教室があって。オルガマリー所長の父親であるマリスビリーのようなロードも大勢いて。その中には、ひょっとしたらコヤンスカヤをどうにか出来てしまうような――
「……」
「マスター? どうかなさいまして?」
「…あ、うん。えっと…と、とりあえず目の前のレポートを先に片付けないといけないから、この話は後でもいい?」
そう言って、私はひとまずこの話題を打ち切った。
■□■□■□■□■
レポートをダ・ヴィンチちゃんに提出した後、そのまま食堂で夕食にビーマの作ったカレーを食べて食後のラッシーを飲んで、自室に戻ってシャワーを浴びて一息つく。
「失礼いたします、マスター」
そろそろ寝ようかなと思い始めた頃合いで、不意にドアがノックされた。
「開いてるよ」
「それでは、お言葉に甘えて」
許可を出した途端、ドアを開けて入ってきたコヤンスカヤは私にさっきの契約書を再び差し出してきた。
「私のスカウトには応じていただけませんか、マスター」
「いや、だってさ…まだカルデアの諸々の問題が片付いてもいないのに、ヘッドハンティングに応じるっていうのは、ちょっと…」
隣に座ったコヤンスカヤが私を抱き寄せる。こうして気安いスキンシップを取ること自体は初めてではないものの、ここ最近は特に増えてきている気がする。それが別に嫌でも何でもなくて、むしろこうされるのが心地よくなってきている辺り、だいぶ私も絆されているんだろうけど。
「それこそ世界が平和になって、故郷に戻って、就職活動を始めた時にでも、もう一度誘ってほしいかな」
コヤンスカヤが私の髪を優しく撫でつける。まだ微かな湿り気を残した髪の間にコヤンスカヤの指が通り、くすぐったいけど心地良い。
「なるほど、そういうことですか。つまり、世界を救うために全てを投げ打つ覚悟をしておきながら、その先の未来まで見据えていると?」
「いけない?」
「いいえ、素晴らしいお考えだと思いますわ。あなたのそういうところが好ましいのです」
コヤンスカヤはそう言うと、私の顎を指先で摘み上げて唇を重ねてくる。
最初はついばむように触れるだけのキス、次第に互いの唇が触れ合う時間が長くなる。唇を触れ合わせるだけじゃ足りなくなって舌を伸ばして絡め合う。粘膜同士が擦れ合って、吐息が混ざっていく。熱と興奮が高まっていくにつれて息が荒くなり、唇の端から涎が垂れていくのを感じる。
やがて、名残惜し気にコヤンスカヤの顔がゆっくりと離れていく。銀の糸を引きながら二枚の舌先が少し離れて、それがプツンと切れた。
「まあ、私はこの通り敏腕美人秘書ですので。世界平和までのロードマップ程度、用意してみせますけれども」
淫靡に微笑むコヤンスカヤの唇についた唾液を舐め取り、お返しとばかりに私から彼女にキスをして、そのまま抱き寄せた。密着する肌と肌が熱い。
「期待してるよ、コヤンスカヤ」
耳元で囁くように言ってやると、今度は耳たぶを甘噛みされた。
「ふふ、お任せくださいませ。…でも、それはそれとして、契約書にサインだけ、して頂くわけには参りません?」
かぷ、と私の耳を食みながら、甘い囁きが耳朶を打つ。
「……」
「ダメですか? ずっと私と一緒にいていただくわけには参りませんか?」
コヤンスカヤの手が私の胸元に忍び込み、指先がブラの上から乳首を探り当ててカリカリと引っ掻いてくる。それだけで身体がビクンと跳ねそうになるのを堪えながら、私は悪戯っぽい笑みを浮かべる彼女の顔を軽く睨んだ。
「コヤンスカヤのお願いは魅力的だけどね。ただ単に色仕掛けで迫ってるだけなら論外だよ」
「あら、バレてしまいましたか。マスターがあまりにも可愛いもので、つい」
悪びれもせずに舌を出すコヤンスカヤの態度は実に小悪魔的で妖艶な雰囲気に満ちていて、こんな誘惑に負けちゃダメだと分かっていても、私の心は大きく揺さぶられてしまう。
「ねぇ、マスター。あなたは私が嫌いですか?」
ド直球ストレートの質問だった。さすがにこれには即答できない。
「…嫌いな相手に処女をあげるほど物好きじゃないよ」
「私にマスターの全部を下さると言うお話は嘘だったのですか?」
コヤンスカヤのもう一方の手が私の両脚の間にするりと滑り込んでくる。優しく、羽根でくすぐるようなソフトな手つきで触れられると、それだけで気持ち良くて、体から力が抜けてしまう。
「…別に、嘘のつもりはない、けど…」
「私なら、マスターを他の誰よりも効率的に管理できますわ。睡眠も、食事も、…もちろん性欲だって、この私が何不自由なく満たして差し上げます」
蠱惑的に微笑むコヤンスカヤの顔が近付いてくる。反射的に目を閉じて身構えた私の唇に触れる寸前で止まり、代わりに首筋に吸い付くような口付けを落とす。ちゅっと音を立てて吸われ、そこに痕が残るのが目で見なくてもわかる。
「そ、そんなこと言って…どうせ、絶対にボロ雑巾になるまで使い倒すつもりでしょ」
「心外ですわね。『効率的に』と申し上げたではありませんか。マスターの能力に応じて、それを最も活かせる仕事を割り振り、最小限の労力で最大限の効果を発揮できるようサポートするのが私の務めですわ。使い潰すなんてとんでもない。大切に大切に、壊れないよう擦り切れないよう細心の注意を払いながら使ってさしあげますわ」
その言葉通り、コヤンスカヤは壊れ物を扱うように私の体を愛撫していく。シャツの裾から入り込んだ彼女の指が背筋をなぞる度に、ゾワゾワした快感が走る。首筋へのキスはそのまま胸へと下りていき、同時に背中のブラのホックが外される。一体どこからどうやって仕入れてきたのかは知らないけど、光のコヤンスカヤが売ってくれた新しい下着はサイズもピッタリだし、着け心地も良いし、デザインも色合いも私の好みだった。お値段はものすごくぼったくり価格だった上に値引き交渉すら受け付けてくれなかったけど、買わないという選択肢は無かった。
「ほーら、あなたの手はサインをしてしま〜う。マスターは契約書にサインをしてしまいたくな~る」
煽りともおふざけとも取れる口調で歌うように言いつつ、コヤンスカヤは私の左手を取って引き寄せ、薬指を口に含んで根元を強く噛む。痛みはなく、ただただ甘く痺れるような感覚に全身が震えた。
「んっ…チュッ…れろ…」
繰り返し、コヤンスカヤが私の左手薬指の根元を甘く食む。指全体を舌でねっとり舐めしゃぶる。時折、彼女はわざと音を立てて淫らな水音を立てる。まるで、わざと聞かせるみたいに。コヤンスカヤの唾液まみれになった私の左手薬指の根元には、くっきりと指輪のような赤い痕跡が残り、それを舌先で愛おしげに撫でられるのが堪らなかった。
「ねえ、マスター? 私の手でマスターの全部を支配してしまいたいというのは、紛れもない本心ですのよ?」
私の手に頬ずりしながら、コヤンスカヤが上目遣いに見上げてくる。
「でも、サーヴァントとしてマスターに御奉仕したいと思っているのも、紛れもなく本心ですわ」
私の左胸に、コヤンスカヤがキスをする。ちょうど心臓の位置あたりに、唇の形をした真っ赤な刻印が刻まれた。
「んあっ……!」
チリッとした痛みが走り、思わず声を上げてしまう。それを見て微笑んだコヤンスカヤは、もう一度同じ場所にキスをした。今度は優しいキスを。今度は労るような慈しみを込めたキスを。何度も何度も、場所を変えてキスを繰り返し、その度に少しずつ位置をずらして赤い刻印を増やしていく。
「不思議な鞭の強制力で、サインをしてしま〜う。不思議なキスの強制力で、サインをしてしまいたくな~る」
「コヤンスカヤのバカぁ…」
完全に遊ばれている。弄ばれている。わかっているのに、本当にそうしてしまいたくなっている自分がいる。クスクスと笑うコヤンスカヤも、私が心を揺らしているとわかっている。
「では、もうちょっと条件を詰めましょうか。例えば勤務体系はフレックスタイム制かつテレワーク方式を採用して、必ずしもNFFサービス本社に通勤する必要は無いものとする、とか」
私の乳首に舌を絡みつけながら、コヤンスカヤが言う。
「仕事の内容についても、なるべくマスターの負担を減らす方向で調整しますわね。具体的には、緊急性の高い任務を優先する形でスケジュールを組むことにしましょう。もちろん、相応の報酬も保証いたします」
「はぁ……んんっ! でも、それって結局、私が過労死しかねないってことだよね? コヤンスカヤと違って、私は普通の人間なんだけど」
「うふふ、そこはほら、うまく立ち回るんですよ。適度な休息を挟みつつ効率良く仕事をこなしていけばよいだけのこと。何も心配することはありませんわ。私がマスターを過労死させるようなスケジュール管理のミスをするとでも?」
そう言いながらコヤンスカヤの手が私のお腹の上を滑っていく。臍の周りをくるくると撫でるようにして弄び、時々下腹部の方まで降りてくるかと思ったらまた戻っていく。焦らすようなもどかしい刺激を与えられ続けて、頭の中がどんどん茹ってくる。本当にコヤンスカヤの言う通りなら、だんだんと悪くない話のように思えてきてしまう。
「うぅ、んっ…そうは、言わない、けど…」
いつの間にか、私はベッドの上に押し倒されていた。コヤンスカヤの豊満なバストが上から押し潰すかのように私の顔に押し付けられる。視界が塞がれて、嗅覚は彼女の香りに支配され、触覚は柔らかな胸の双丘の谷間に埋もれ、聴覚は艶やかな声によって愛撫される。
「どうですか? これでもまだ、我がNFFサービスと正式に契約を結ぶ気になりませんか?」
答えの代わりに、私は顔の角度を少しだけ変えて、コヤンスカヤの左胸にキスをした。途端にピクンと反応した彼女の反応を楽しむように、二度三度と同じ場所に繰り返し繰り返しキスをする。その度にコヤンスカヤは小さく体を震わせて、熱い吐息を漏らしてくれる。私はコヤンスカヤの背中に腕を回して、彼女の霊核に唇を触れさせようとするように顔を押し付ける。
「あぁ…私の、マスター」
私の頭を撫でるコヤンスカヤの指先の動きが、より一層激しくなる。それは、彼女が感じてくれている証拠のようで、無性に嬉しかった。息継ぎのために少し顔を離すと、コヤンスカヤの左手が口元に差し出される。
「…マスター」
「うん」
私は口を開けた。ゆっくりと目を閉じる。
コヤンスカヤの左手薬指が口の中に入ってくる。指の付け根までしっかりと咥え込む。指の腹が私の舌を撫でる。
「確かに。カルデア退社後、この契約をお忘れなく♡」
忘れるわけがない。忘れられるわけが、ない。
契約の成立を示す最後の儀式の後、私達はどちらからともなく抱き合って、深く長い口付けを交わした。