本文はpixivの、はなこ(https://www.pixiv.net/users/100032169)様の作品『闇のコヤンスカヤとぐだ子さんの話(https://www.pixiv.net/artworks/117973384)』の影響を受けています
夢を見た。
それは見覚えのない光景。私が知るはずのない光景。私がそこにいるはずがない光景。
巨大な鳥籠にも似た形をした無数の檻の前で、コヤンスカヤが独り無言で立ち尽くしている。
檻の中には柔らかなクッションが幾つも敷き詰められ、大画面のモニターが設置され、何不自由なく快適に過ごせるように配慮されている。
一つの檻の中には一人の人間。けれど、いまコヤンスカヤの目の前にある檻の中には誰もいない。
空っぽの檻の前でコヤンスカヤは瞑目し、俯き、静かに黙祷している。
不老不死を実現したAI化した新人類。老化による死を克服し、外敵や災害から守られる安全で快適な生活が保障され、飼い主たるコヤンスカヤに愛されるためだけに生きる存在となった人類社会。
承認欲求は存分に満たされる。愛情に不足することはない。衣食住には事欠かない。欲しい物は何でも手に入る。そもそも労働はする必要すらない。生活のために対価を支払う必要がないのだから、わざわざ時間と労力を費やして苦痛を得る必要はないのだ。
必要なものは全て与えられる。必要でないものも望めば即座に与えられる。それは夢であり、希望であり、幸福であり、未来であり、成功である。唯一、自由だけは絶無であるが、そんなものを必要とする人類は一人もいない。 檻の中で、人類は何の不満もなく穏やかな気持ちで日々を生きている。
そんな人々を、コヤンスカヤは黙して見守っている。
そこに声はない。表情の変化もない。瞬き一つせず、呼吸の一つもせず、ただじっと立ち尽くすばかり。
誰も彼女に話しかけることはなく、彼女もまた誰にも話しかけることはない。
なるほど。これは一つの理想郷だろう。人類は須らくコヤンスカヤを愛し、コヤンスカヤは須らく人類を愛している。
ただ一人の例外もなく、コヤンスカヤに公平に奉仕され人類は平等に支配される。そこに格差はなく、そこには犠牲もなく、淘汰すら存在しない。
では、何故死んだのか。不幸だったからではない。絶望したからでもない。生きることに飽いたからですらない。
コヤンスカヤを愛していたから。
愛ゆえに、その愛を証明するために、コヤンスカヤの為ならば死ねるという自分の言葉をそのまま実行に移した。それだけだ。
愛する者の為に死ぬという行為。自己犠牲の精神。それは聞こえこそ良いが、要するに自殺だ。遺された側のことなど何も考えず、自己陶酔と自己満足に浸るだけの無意味な死。
愚かな人類。寿命を克服しても、肉体の死を恐れる必要がなくなっても、人間は、ただ人間であるというだけで、その愚かさからは逃れられない。その精神は、その知性は、未だ何千年も前と何も変わらない。
コヤンスカヤは人類を愛しているがゆえに、その一人の死を悼む。それが愚行に他ならぬと知りつつも、それを嗤い喝采しながらも、同時にそれを深く悲しむ。当然だ。愛するものの死を悲しまぬ者がいるだろうか。
もっと幸福であって欲しかった。もっと共に生きたかった。もっと生きていて欲しかった。それは知性を持つ者にとって極めて自然な感情であり、当然の願いでもある。
――ねえ、コヤンスカヤ。私も、いつか死ぬんだよ。私も人間だから、いつか必ず死ぬよ。だから、もし、その時は…
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夢を見ていた、ような気がする。
どんな夢だったかは覚えていない。ただ、どことなく物悲しく、胸の内側が引っ掻かれるような切ない気持ちの余韻だけが尾を引くように残っている。
「起きられたのですか、マスター」
まだ意識が覚醒しきっていないまま、ぼんやりとしている私の頭を、優しく撫でる手の感触。コヤンスカヤの裸の胸に頭を乗せている私は、ゆっくりと息を吸い込む。コヤンスカヤの甘い匂いを意識に取り込みながら、その次に甘えるような声を呼気に乗せる。
「…なんか、夢を見たような気がする」
「どんな夢でしたか?」
「覚えてない。…でも、きっとコヤンスカヤの夢のような気がする」
「どうしてそう思われましたの?」
耳元で甘く囁くコヤンスカヤの声が、頭蓋に反響する。まるで砂糖菓子のように甘い囁き声は、聞いていてとてもキモチイイ。
「どうしてかな。でも、なんとなく」
「夢の中でまでマスターが私に逢いたいと願っていて下さったと思えば、悪い気はいたしませんわね」
小さく含み笑う声が、私の耳朶のすぐ近くで響く。吐息が耳をくすぐって、心地いい。思わず目を細める私を見て、コヤンスカヤはその顔に微笑みを浮かべ、私の頬に手を添えた。
「もう少しだけお休みくださいまし。まだ起きるには早い時刻ですわ。このままお眠りになってください」
そう言って、優しく頬を撫でてくれる。その感触がくすぐったくて、心地よくて、自然と笑みが溢れてしまう。
「ありがとう、コヤンスカヤ」
お礼の言葉を口にすると、コヤンスカヤは小さく首を横に振った。そして、私の額に軽く口付けを落とした。
「礼など必要ありませんわ。私はマスターのサーヴァントなのですから」
コヤンスカヤの胸に抱き締められた私は、ひどく安らかな気持ちで瞼を閉じる。 あぁ、温かい。幸せだ。いつまでもこうしていたい。そんな想いを抱きながら、私は再び眠りに落ちていった。
■□■□■□■□■
再び寝息を立て始めたマスターの寝顔を見つめながら、コヤンスカヤは静かにため息をついた。
契約を結んだマスターとサーヴァントは魔力で繋がれているため、時に夢という形で互いの記憶を垣間見ることがある。その記憶は、必ずしも意識の表層に残っているものとは限らない。
そもそも英霊の『座』において時間の流れに意味はない。現在の時間軸において未だ産まれてさえいない未来の英霊の記憶は、果たしてその時点から見た場合は一種の未来予知となるのか。あるいは、現時点では不確定の未来に発生する聖杯戦争に呼び出された英霊の記憶はどうか。
サーヴァントにとってさえ、基底現実から退去した時点で『座』に情報を持ち帰った自分と、別の時間軸に存在している自分とでは、たとえ同一の人格と能力を持っているとしても全く別の存在である。
汎人類史とは異なる世界線、時間軸に何度もレイシフトし、あるいは自分自身の精神世界にすら特異点が出現したことのあるカルデアのマスターであれば、果たしてどこまでの記憶が自分のもので、どこからが垣間見た契約したサーヴァントの記憶かすら曖昧な部分もあるだろう。
「…あれは、私、だったのでしょうね」
未来的なデザインの、広大なショッピングモールのような場所で向かい合う自分とマスター。コヤンモール、などという看板も掲げられていたので間違いないだろう。アレは、紛れもなく自分だ。AIのペットとして、霊長の座を明け渡してしまったことで人類は絶滅の道を辿った、などという主張も、如何にも自分らしい。
人類を心から愛し、管理し、支配した。そうであるがゆえに、その愛ゆえに自分は敗れた。それもまた自分らしい。そのことに恨みはないし、後悔もない。
「では、アレは…」
自分に勝利したマスターを取り巻く、無数の白い影。いや、影が黒いものだとするのなら、影というよりは暈、と呼ぶのが適切だろうか。薄雲が太陽や月の光を屈折させて、その輪郭を曖昧にするように。人という個体を限りなく曖昧にして、超巨大な群体として集合させたようなモノ。
枷のように、縄のように、網のように、マスターに絡みつき締め上げ絞め殺そうとする醜悪なソレを、果たして自分は愛せるのだろうか。紛れもなく人間性の一部には違いないものの、窮極的には人類の繁栄を抑止し、その発展を阻害する脅威にしかなり得ないソレを、果たして自分は『人間』だと認めてやれるのか。
答えは、否だ。
人類を管理し、支配しようとする自分と、アレは決して相容れることはない。
人間の思考を低下させるということは、自らの欲望の形をさえ意識できなくするということだ。
人間の知能を減退させるということは、幸福を幸福とさえ認識できなくなるということだ。
人から理性を奪って獣に堕とそうとする自分と、巨大な同調圧力によって一個人を群体の一部へと劣化させようとするアレは明らかに似て非なるものだ。
ゆえに、自分はマスターに向かって手を伸ばした。
「……」
しかし、その手は届かなかった。自分は人にあらず、人にあらざる獣たち、動物たちの自然界を代表する擬神であり魔神である。そうであるがゆえに人類の集合群体からの干渉を受けることはないが、同時にそれに干渉することもできない。
それがマスターの夢の中であろうと現実であろうとも、おそらく結果に変わりはない。自分はマスターが擦り切れ自我を喪失するのを指を咥えて見ていることしかできないのだ。
ゆえに。
それゆえに、そのマスターの背中を押した手の主に、自分は紛れもなく嫉妬した。認めるのは心底忌々しいことではあるが、認めよう。認めざるを得ない。
自分には出来ないことを可能にした万能の天才。人類史においてごくまれに現れる星の開拓者。不可能を不可能のままに可能とする者。人類の未来を切り拓く者。
かつて、あの南極で自分の追撃からマスターを逃した者が、今度は自分には手の届かない人類悪の手からマスターを掬い上げたというのか。
「ああ、なんて忌々しい。…なんて、妬ましい」
自分では。
タマモヴィッチ・コヤンスカヤでは、マスターに、あの滂沱と溢れる涙を目から流させることは出来ない。
思いがけない再会の喜び、別離の追憶の悲しみ、しかして目の前の存在が全くの別人であることを知るがゆえの寂しさ、様々な感情を交錯させたあの涙は、どうあっても自分には流させようがないものだった。
積み上げた時間の長さが違う。培った絆の重みが違う。共に歩んだ道のりの険しさが違う。マシュ・キリエライトがマスターにとって特別な存在であるのと同様に、ロマニ・アーキマンという医師が特別であるように、レオナルド・ダ・ヴィンチという存在もまたマスターにとっては特別なのだ。
わかっている。わかってはいるが。それでも、やはり。
「ああ、悔しいですわぁ……」
この上なく憎々しげに顔を歪めるコヤンスカヤは、苦々しく呟いた。
心の底からの本音を吐露せずにはいられなかった。
マスターは自分のものだ。自分だけのものだ。他の誰にも渡したくはない。誰よりもマスターを独占したい。マスターを支配したいし、マスターに奉仕したい。
『でも、私も死ぬよ。今じゃないけどね。でも、人類も、いつかは亡びるよ。不死身の存在なんてないんだよ』
安らかな寝顔で眠るマスターの頭をそっと撫でる。きっと、このマスターならそう言うだろう。
『星だって、太陽だって、いつかは老いて死ぬものだから。ずっと地球に居座り続ければ、人類が亡びるのは絶対に避けられない』
だから、こことは異なる世界線で生まれた人類の後継たるアーキタイプは宇宙へと旅立った。コヤンスカヤの本体が、今もシベリアの地で地球が開放されるのを待って眠りに就いているように。
地球という星に存在する資源も、いくら膨大ではあっても有限のものだ。人類はそれらを消費して文明を発展させてきた。しかし、それもいずれは限界を迎える。百年後か、千年後か、それはわからない。しかし、発展はいずれ頭打ちになり、人類の進歩が停滞する時は確実にやってくる。
『でもさ、…ううん、だから、なのかな。もしいつか人が亡びるとしても、その次を受け継ぐ種がいればいいよね。同じように、もし私が死んでも、その次へと手渡すべきなんだよ』
きっと、いつものように、マスターは満面の笑顔でそう言うだろう。
『ドクターがそうしてくれたように。皆がそうしてくれたように。私もそうしたい』
コヤンスカヤはそっと目を閉じた。
マスターの背後に立つロマニ・アーキマンが見える。キャスターのサーヴァント、レオナルド・ダ・ヴィンチが見える。
キリシュタリア・ヴォーダイムがいて。オフェリア・ファムルソローネがいて。スカンジナビア・ペペロンチーノがいて。
今やカルデアから姿を消したアヴェンジャーのサーヴァント達も後ろに並んでいる。
それは幻影である。コヤンスカヤの瞼の裏に映し出された幻でしかない。彼らは紛れもなく死人である。彼らが現実に何か影響を及ぼすことは最早ない。そのはずだ。
しかし、彼らは今もなおマスターの背中を押し続けている。今もなお、マスターの心の中で生き続けている。
『だからさ。ごめんね、コヤンスカヤ』
コヤンスカヤの頭の中で、マスターの声が響く。本当に、いまこの瞬間に耳元でそう言われているような気がするほどに、その言葉には現実味があり過ぎた。
『私は、コヤンスカヤの用意してくれる檻の中には入れないよ。それがどれだけ安全な揺り籠でも。どうしても、それだけはちゃんと言っておきたくて』
ええ、そうでしょうね。そうでしょうとも。
わかっておりました。わかっていましたとも、私のマスター。
これからも貴女は命の限り、走り続けるのでしょう。
運命が、それを求めた。何の所以もなく、誰も強制したわけでもない。誰かに選ばれたわけでもなく、何の所縁があったわけでもない。
貴女が人類最後のマスターになったのは、ただの偶然。貴女が汎人類史の代表として立たせられたのは、ただの運命。そうなるべくして、そうなっただけ。そこに人為はなく、ただの天命だったのでしょう。
そして、貴女は世界を背負った。汎人類史と人類の命運を背負わされた。
だから貴女は無為な滅びを拒絶する。途中で立ち止まることを許されない。世界を救い、世界を滅ぼし、人を助け、人を殺し、これからも過酷な運命に弄ばれ続ける。
「…いっそ、」
手足をもいで、目鼻と耳を抉って削いで、檻の中に閉じ込めてしまえば?
だが、それはただ死んでいないだけの肉の塊に過ぎない。尊厳を奪われ、命を繋がれているだけの血肉。それは一人の人間としては死んでいるのと何ら変わらない。『ソレ』を、自分はマスターとして認識できるのか?
自分はマスターだったモノを愛することは出来るだろう。それでもマスターを愛で続けることは出来るだろう。
しかし、マスターはそれを受容できないだろう。それを絶対に拒絶するだろう。…自分の愛を、否定するだろう。
――…それでも、自分はマスターを支配し、管理し、飼育することに執着するのか?
答えはда(ダー=YES)だ。そうでなければ、自分はタマモヴィッチ・コヤンスカヤではない。
――しかし。
「そこまで仰るのであれば、見届けるぐらいのことはしなくてはなりませんね」
マスターがマスターである限りは、待っても良い。マスターの心が折れぬ限り、その脚が膝をつかぬ限り、その意思が過酷で残酷な運命を踏破し続ける限りにおいては。
だが。もしマスターがマスターでなくなった、その時は。その心が折れてしまった時は。その肉体が運命に屈してしまった時には。
その時こそは、自分がマスターを保護しよう。自分がマスターだったモノをこの上もなく効率的に管理し、支配し、飼育して死ぬまで愛で続けてやろう。
「文字通り、死が二人を分かつまでの契約。…ああ、違いますわね」
コヤンスカヤは声もなく含み笑った。
「…この際、死んでからの契約条項を新たに追加しなくては。死んだぐらいことで契約を解除されるなど、そんな逃げ得は絶対に許しませんわ」
――追記。カルデアとそのマスターは将来性が極めて高い有用な人材であり、このスカウトは企業経営の観点からも重要度の高い業務と判断。終身後雇用契約により、生前のみならず死後も有効活用するべく今後の交渉に繋げるものとする。
Nine Fox Foundation service CEO:Тамамович Коянская(署名)
拙作『NFFサービス業務記録』は以上となります。ご笑覧いただき、ありがとうございました。