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18禁シーンはありません。
登場するカクテルは全て実在するノンアルコールカクテルです。
イベントストーリーに対する独自解釈を含みます。
「あ、来た! ゴッホちゃん、こっちこっち!」
食堂に足を踏み入れた途端、大声で名前を呼ばれてビクリと小さく体を震わせた少女は、おそるおそるそちらを見た。
「こっち! みんなゴッホちゃんが来るのを待ってたんだよ?」
サーヴァントとして契約を結んだカルデアのマスターの他に、幾つもの人影がその周囲に集まっている。
「あ、あの…これは、一体…?」
おずおずと、戸惑うように周囲を見回しながら、ゆっくりと近付いていく。
「まあまあ、いいから、いいから」
そう言って、マスターは少女を椅子に座らせる。ちょうど、正面の位置に何かが置かれている。白い布が被せられた、大きさ的に油絵のキャンバスぐらいの。そして形も――というか、それはどう見ても、画家であるゴッホにとって見慣れた、画布だろう。ご丁寧にも、その脇には油絵の具と、絵筆まで置かれているのだ。どう見たところで、それ以外の何物でもない。
「覚えてる? この前、お栄さんが新しく美人画を描くって言ってたでしょ?」
「は、はい。もちろん、覚えてます。わたしも、楽しみでしたから」
浮世絵の名手として一世を風靡し、美術史にその名を輝かしく刻んだ葛飾北斎の新作。そう聞けば、画商だった弟だって墓の中から起き出して一目でいいから見てみたいとさえ思うのではないだろうか。
「でね? お栄さんは是非、ゴッホちゃんに真っ先に見て欲しいって!」
「へっへっへ…、こいつァおれにとっても、なかなかの力作サァ。同じ絵師として、ご感想ってヤツを聞かせてほしいのサァ」
自慢げに鼻の下を指で擦った北斎を名乗るその娘、お栄。しかし、晩年の父と共に合作で幾つもの作品を手がけた絵師としての力量は確かなものだ。もし弟にも絵の才能があったら、きっと自分も一緒に絵を描けただろうに。そう思うと、ほんの少しだけ羨ましい。
「うーん、一体誰を描いたのか、気になるなぁ。この場にいる誰かって事なのかな?」
カルデアの技術顧問にして、美術関係にも才能を発揮する万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチが好奇心で目を輝かせながら興味深げに白い布を被せられた画布を眺めている。
「きっと私に違いありませんわね」
今回の一件で解決の原動力となったのはファラオ・ツタンカーメンとランサー霊基となったゴッホの二人だが、その裏で影のMVPとも言うべき立役者として大いに株を上げたカエサルの横でオホホホホ、と腰と口元に手を当てて高笑いしているのは女王クレオパトラ。世界的にも有名な美女だけあって、美人画のモデルと言われても誰も異論は無いだろう。
「…えうりゅあれ、の、え、だったら…いいな…」
「あら、だったらステンノ(わたし)も一緒に描いてあるべきよ。もちろんアステリオスも一緒に。…そうね、駄妹(メドゥーサ)は端っこの方に小さく描いてあれば十分。そうでないとはみ出てしまうかもしれないもの。ねぇ?」
「ねぇ?」
「アッハイ」
床の上に直接座り込んでいる、ギリシャ神話においてミノタウロスの名で呼ばれた巨躯の少年の朴訥な声に、その肩に腰掛けている女神の一柱は楽しげな声で応じた。反対側にいるそっくりそのまま同じ顔をした姉のステンノもまた、楽しそうに笑っている。一歩離れて、その末妹のメドゥーサは肩を小さく縮ませて頷くばかりであるが。
「む、ぎゅ、う…ねぇ、そろそろ、これ、終わりにして…くれない?」
姿は見えないが、アステリオスの尻の下から苦しげな呻き声が上がる。どうやら座布団かクッション代わりに、文字通りかつ物理的な意味でアステリオスの尻に敷かれているらしい。
「ダメですよ。アポロン様はこの程度じゃ絶対に反省なんかしませんから。今日は一日、ずっとそのままでいて下さい!」
その脇で腕組みしている小柄な美少年、パリスがわざわざ釘を刺すまでもなく、誰もそれには同情していないようだが。
「今日のパリスちゃん、厳しい…でも、他の子に浮気されてやきもちを焼くパリスちゃんも、これはこれで…」
「まだまだ足りないみたいですね! メドゥーサさん達、お願いします!」
アステリオスの膝の上にライダー霊基のメドゥーサが、そして反対側の膝の上にもセイバー霊基のメドゥーサが、それぞれ座る。
「重くありませんか?」
「ぼく、へいき」
「…む、ぎゅぅ~…」
顔に目隠しをしたライダーのメドゥーサの問いに平然としているアステリオスはともかく、さすがにこれは堪えたらしいアポロンは呻き声を一つ漏らして黙り込む。その隙に、アナの愛称で呼ばれるランサー霊基のメドゥーサが、あぐらをかいたアステリオスの交差された足首の上にちょこんと腰掛ける。
合計して5人の女神達に密着されていることになるが、アステリオスは気にしないし、誰も羨ましがったりもしない。そういった色気のある構図では無いと皆が知っているからだ。
「…もっと前に出なくていいんスか。あんた、神話じゃ主役みたいな立ち位置でしょう。…俺と違って」
「いやいや、君こそ今回は現地でマスターに協力して大活躍したそうじゃないか。今回は全く何もしなかった僕なんかより、もっと前に出るべきだと思うよ?」
食堂の隅では、テセウスとマンドリカルドが低い声で互いに互いを譲り合っている。
「ふぅむ、葛飾北斎の新作か。利休めの茶碗もそうじゃが、芸術家というヤツは本当に、そこいらの土だの布だのから色んなものを創り出すのぅ。まさに無から金を生む魔法じゃな。売りに出したら一体いくらで売れるかのぅ」
「芸術作品の価値を金銭の多寡で計るのって、どうなんでしょうね」
「仕方あるまい、ワシのような俗物は何事も金に換えなければ価値がわからんのじゃ」
かと思えば、露骨に値踏みする視線で画布を眺めている織田信長の隣では、妖精騎士ブリトマートが呆れたように首を振っている。
「はやくっ、はやく見てみたいなっ」
「駄目。待機」
逆に好奇心に駆られたポール・バニヤンは布を被せられた画布の周囲をグルグルと回って盛んに布の下から覗き込もうとして、我慢しきれず布を少し捲ろうと伸ばした手を哪吒に止められている。
「えっと、あの、マスター? ツタンは…」
今回の霊障建築の一件に関わったサーヴァント達の多くが食堂に集まっているのを見てとって、しかしゴッホは一番ここにいるべき肝心の一人が姿を見せていないことをマスターに尋ねる。
「うん、さっき太陽王――オジマンディアスに呼ばれて行ったきり、まだ戻ってきてないんだよね。でもバニヤンはもう我慢しきれないみたいだし…どうしよう、先にお披露目しちゃおっか?」
「さんせーっ!」
真っ先に声を上げたバニヤンに苦笑するマスターと北斎は、ゴッホに目を向ける。それだけでなく、周囲の皆が自分に期待の眼差しを向けていることに気付いたゴッホは小柄な体をさらに小さく縮めて、
「…は、はい」
そう、躊躇いがちに頷いた。ただでさえ内気な自分にとって周囲の期待を裏切るのも気が引けたということもあるが、何より自分も早く見たい、という欲望に負けたということもある。
「それじゃ、お栄さん」
「あいよっ」
特に勿体をつけることもなく、あっさりと北斎が剥ぎ取った白布の下から現れた絵に、皆が目を釘付けにした。
「――」
何よりも、ヴィンセント・ヴィレム・ヴァン・ゴッホは、その目をこぼれ落ちそうなほどに大きく見開いて、画布に見入っていた。
背景も何もない真っ白な画布の真ん中にやや小さく、けれどはっきりと、とても生き生きとした表情で笑っているのが印象的な、一人の少年。
それは紛れもなくゴッホの実弟、テオドルス・ヴァン・ゴッホの貌。
葛飾北斎の得意とする浮世絵の手法では無く、わざわざ油絵用の画布と絵の具で、生前のゴッホ自身が描いたテオの肖像画と似せた構図で。しかし誰が見てもゴッホの画風とは異なる北斎らしい筆遣いで。
「…こ、れ」
「っと、すまねェ。それより先に謝っておかねェとなァ。実は、おれァ前から見知ってたのサ。ごっほさんの弟さんを、なァ」
「え」
一体いつから、この絵を描こうとしていたのか。そう問いかけようとしたゴッホよりも早く、北斎は軽く頭を下げた。
「っても、とと様と同じで、ごっほさんの行く先々にくっついて回る影みてェなもンだと思ってたのサ。実際おれより先に気付いたんは、とと様だったしなァ」
邪神に影響された者同士の、特殊なシンパシー(共鳴)のような何かが働いたのだろうか。
「で、だ。まさかこんな事になるたァ思わず、ちょっとした出来心でごっほさんを驚かせようと思ってたんだが…」
「まあ、気付いていたのなら報告して欲しかったのも確かだけど、アポロンにイシュタルが関わっていたのなら、事前に報告されていたところでその行動を抑止できたかと言えば、実際は微妙ではあるけどね」
依り代の女性の影響で良くも悪くも価値観や行動が人間寄りになっているイシュタルはまだしも、オリュンポスの神々の中でも特に(その傍迷惑なロクデナシっぷりで)著名な存在であるアポロンの行動をあらかじめ予想し、かつそれを制限するというのは難しい。
かてて加えて、カルデアに存在する神霊はアポロンやイシュタルだけではないのに、アポロンだけに監視や牽制のリソースを割くというのは非現実的であり、無駄でもある。
それゆえに、例えテオの存在が事前に周知されていたからといって、今回の微小特異点の発生を防げたかと言えば実際は甚だ疑わしいところだった。ダ・ヴィンチとしても微苦笑混じりにとはいえ、そこは認めざるを得ない。
「でね! でね、ゴッホちゃん。よく見て、テオ君の周りに空きがあるでしょ?」
「は、はい」
そう、画布の大きさに比べるとテオの絵の周りには余白にしてはあまりに空白が大きく、かえって収まりが悪いように見えた。
「へへっ、おれとした事が画竜点睛を欠いちまったァ、なんて、なァ」
わざとらしく額をペシンと手で叩いて見せる北斎が絵筆をマスターに渡す。
「ねえ、ゴッホちゃん。私がテオ君の隣にゴッホちゃんの絵を描くから。だから、ゴッホちゃんが反対側の隣に私の絵を描いてよ」
「…!」
思わず、ゴッホの手が震える。北斎と、自分と、そしてマスターの合作の絵。
「おやおや、それなら私も何か描こうかな」
「それなら、ダ・ヴィンチちゃんにはマシュの絵を描いて欲しいな。ゴッホちゃんが描いた私の絵の、その隣にでも」
「うん、そうしよう。ゴッホが描いた後になるから、今のうちにゴルドルフ君やシオンも呼んでこようか?」
「ねーねー、私も何か描きたいっ」
「バニヤンちゃんは、アステリオス君の絵はどう?」
「私にうまく描けるかな?」
「ダ・ヴィンチちゃんとゴッホちゃんが教えてくれるよ、きっと。私だって、下手っぴだし」
ゴッホの目の前で、どんどん話が広がっていく。
「それなら私はカエサル様の勇姿を描かせていただきますわ」
「うむ、せいぜい見栄えがするように頼むよ」
「ならばワシは、姉弟繋がりということでワシと信勝でも描くとするかのぅ」
「駄妹(メドゥーサ)、あなたたちも行って来なさい。三人で描けば、どれか一つくらいは見れるものになるかもしれないわ」
画布の前で、皆でワイワイガヤガヤと思い思いに絵筆を執り、どんな絵にしようかと話し合っている。
そんな、なんでもないはずの光景が、何故か目に沁みるほどに眩しくて、眩しくてたまらない。
生前の自分には、こんな光景を目にする機会などありはしなかった。
画布の前にしか居場所はなかった。絵の中にしか自分はいなかった。
誰も自分に目を向けてはくれなかった。誰も自分の価値など認めてくれなかった。
――ただ一人、弟のテオを除いては。
「エヘ…エヘヘ…」
もう一度、画布に描かれた弟の顔を見る。
絵の中で、晴れやかに笑っている弟の貌を。
「あ! ツタンちゃん!」
その時、マスターが声を上げる。
食堂の入り口に姿を見せた、幼くして夭折した古のファラオ。
しかし、何故か彼は一人ではなく。
「教授?」
シャーロック・ホームズの宿敵として知られる悪のカリスマ、ジェームズ・モリアーティは妙に疲れ果てた様子で、煤けた表情でツタンカーメンの背中をグイグイとマスターの方に押しやった。
「マスター君、やっと見つけた。部屋にまで押しかけたのにいないから、あちこち探したよ。この子、お願いだからさっさと引き取ってくれない?」
まるで危険物を厄介払いでもするかのような言い草に、マスターは目を丸くする。
「ツタンちゃんを? 何かあったの?」
「いや、何があったというか、私の店でお酒を飲んでみたいとか言うからサ。まさか子供にお酒を飲ませるわけにはいかないでしょ?」
「え? でもツタンちゃんは、ほら、霊基の再臨で大人の姿にも…」
「ねえ、マスター君。幾ら同じ霊基で大人の姿にもなれるからって、君はカーマちゃんやドラコーにお酒を飲ませていいと思う? ウチの店は泥酔お断り。ウチのバーは静かに雰囲気を楽しむ大人のためのお店なの! 酔い潰れる恐れのある客にお酒は出せません」
いつも余裕綽々の教授にしては珍しく、早口でまくし立てる言葉の内容にマスターは思わず、といった調子で口を開き。
「…どうしよう。教授がまともなこと言ってる。明日は雨かも」
「まるで普段の私がまともでないことしか言ってないような風説の流布は、お店の営業妨害に当たるからやめてくれないかナァ!」
と、そう言いながら教授はツタンカーメンをマスターの腕に押しつけると、「じゃ、そういうことだから」と言い捨てて、すぐに逃げるように食堂から去って行った。
「……。ええっと、ツタンちゃん? 教授と何があったの?」
「いえ、何も。己(うぬ)よりも人生経験の豊かな御方ゆえ、出来ましたならば色々と教えを請いたかったのでございまするが…」
曖昧な微笑みで答えるツタンカーメンは、しかし教授が去って行ったほうを複雑な表情で見つめている。
「…ま、まあ、いいか。うん。ツタンちゃん、こっち! こっちで、お栄さんの絵を皆で一緒に見ようって思って!」
「ほ…、北斎どのの、絵を。是非とも、己(うぬ)も拝見いたしたく」
ツタンカーメンが顔(ハル)と呼ぶ巨大なマスク像に腰かけながらフワフワとマスターと共に画布に近づいてくる。
ゴッホは期待と、そして今回の一件で色々と迷惑をかけてしまった当の相手であるとの引け目から、どこか不安も相半ばする胸がしきりに高鳴るのを感じて――。
「エヘ、エヘヘ…あ、あの、ツタン…」
「ああ、ゴッホどの。…これは、とても、良き絵にて――」
■□■□■□■□■
BAR『蜘蛛の巣』。
それはカルデアきっての悪のカリスマ、ジェームズ・モリアーティ教授が半ば道楽、半ば悪だくみの舞台として、あるいは根回しや人間観察の小道具といった様々な用途にも使われる舞台装置。
営業は不定期で、客として訪れる者も実に様々な面子であり、しかしカルデア悪人会のメンバーは逆にあまり寄り付かない。こんなところで密談なぞ、もし誰かに見られるだけでも要らぬ疑いをかけられるとわかりきっているからだろう。
「いらっしゃい。…おや、珍客だネ。それとも、アルバイトの申し込みかナ? 今は求人広告は出していないんだがネ」
バーテンダー姿の教授は愉快そうに、からかうように、私に向かって微笑みかけてくる。
「ううん、今日は…待ち合わせ」
「ほほう?…ああ、なるほどネ」
カウンターのスツールに腰かけているコヤンスカヤの隣に私が座ると、教授は黙ってシェイカーにオレンジとパイナップル、そしてレモンジュースを等量注ぎ、軽快な動作で振り始める。シャカシャカという耳に快い音が十秒ほど続いてから、カクテルグラスに注いで優雅に差し出してくる。
「シンデレラ…あるいは、サンドリヨンと呼ぶべきかネ」
「何それ、もしかしてゴッホちゃんへの皮肉のつもり?」
サンドリヨンというのは童話シンデレラのフランス語読みだ。そしてゴッホちゃんが生前、当時のフランスで流行していたアルコール飲料のアブサンもしくはアブシンスとして知られる安価な蒸留酒を中毒になるほど愛飲していたのは有名で、ここでわざわざノンアルコールカクテルの名前をフランス語で出してくるとか、絶対に教授は私の用件をわかった上で、からかってきているとしか思えない。
「まさか。そんなに私が悪趣味に見えるかネ?」
「悪趣味…うん、まあ、趣味が悪いっていう意味じゃなくて、悪が趣味っていう意味なら、多分そうかな」
「はっははは、君もなかなか言うようになったネ」
愉快そうに笑う教授を他所に、コヤンスカヤは目の前に置かれていた自分のグラスを手に私へと顔を向ける。
「マスター。せっかくですし、まずは乾杯はいかがでしょう?」
「あ、うん。それじゃ、乾杯」
私も自分のグラスを取って、丁寧に二つのカクテルグラスを触れ合わせる。チン、という涼やかな音が小さく鳴って、私とコヤンスカヤはほとんど同時にグラスに口をつける。
カウンターに戻されたコヤンスカヤのカクテルは赤みを帯びた色合いで、香りはあまりしない。
「プッシーフットだよ。猫のようにこっそり忍び足で歩く人、という意味でネ。コヤンスカヤ君にはぴったりだろう?」
私の視線からそれだけで内心を読んだように、教授が解説してくれる。ホント、このアラフィフは趣味がいいのか悪いのか。
「それで? わざわざ私をここに呼んだのはどういうおつもりですの、マスター?」
「おや? 意外だネ。ここを待ち合わせ場所に指定したのはコヤンスカヤ君じゃなくてマスター君の方だったのか」
二人して、すっとぼけて私に問いかけてくる。
「もう、わかってるくせに」
「何のことでしょう?」
「コヤンスカヤ」
私が重ねて言うと、コヤンスカヤは黙ってグラスを口に運んだ。
「教授も」
ジェームズ・モリアーティは整えた口髭を微動だにさせず、その微笑みも全く変わらない。
つまり、自分から自白するつもりは全くないってことだ。
「――…はぁ。ゴッホちゃんは…まあ、結局は自分の身内がしたことだから、って。それで責任を感じて、例え薄々察していたところで何も言わないんだろうし。ツタンちゃんも、わかっていたところで教授を今すぐ自分がどうこうは出来ないってわかっているから、やっぱり様子見しているんだろうけど」
「おっと、それは少し違うネ。あの子、すぐに私のところに来たからネ」
「ああ、やっぱり。お酒がどうのって言ってたけど、本題はそっちか」
カクテルを一口含んで、喉を潤す。くやしいけど、すっごく美味しい。
「じゃあ、さ。発案はやっぱり教授なんだ」
「『やっぱり』という言い方は傷つくねえ。なんでもかんでも私が黒幕だと言えば半々の確率で当たる、みたいな言い方じゃないか」
「それ、これからもカルデアで何かがあれば、そのうち半分くらいは自分が関わっていますって自白なの?」
「揚げ足取りはやめてくれたまえよ。言葉の綾というものサ」
澄ました顔で私の追及を煙に巻く。別に、その半分が実は9割だったとしたところで驚きはしないけど。
「では、私は?」
「コヤンスカヤは協力者っていうより、あくまで第三者でしょ? テオ君は商人だったから、取引を持ちかけられればビジネスとして付き合う、ぐらいのことはしたっておかしくないよね」
テオ君は契約を重んじた。重んじたというより、むしろ契約の文言を積極的に武器として活用さえしていた。アポロンですら、それに引っかかったくらいだ。
「商人で、何よりも契約を重んじて、文言の一つ一つに拘った。契約条項の記述一つ一つまで武器にした。コヤンスカヤにとっては、実に付き合いやすい相手だったろうね。もしテオ君の計画が上手くいけば、それこそビジネスパートナーとして末永く取引も出来ただろうし?」
「……」
コヤンスカヤは何も言わずに微笑んだ。悪びれるどころか、むしろ、嬉しそうに。それはそれは愉しそうに。
「テオ君の計画が上手くいく確率はどれくらいと見ていたのかは知らないけど。上手くいっても失敗しても、二人にしてみれば別にどっちでも良かったんだろうね。特にコヤンスカヤは、むしろ微小特異点が出来るまでの時点で最低限の儲けは確保していたんだろうし」
「ふふっ…」
とうとう堪え切れなくなったように、コヤンスカヤは小さく含み笑う。
「ああ、愉しいですわ。私のことを、マスターがそこまで理解して下さっていることもそうですし。何より、そんな風に私の思考をなぞって追いかけられるということは、マスターも悪のことを理解し、そこに足を踏み込みつつあるということですもの」
「まあ、誰かさんが邪悪教典なんてものを寄越してくれるから。格安の指導料で押しかけ教師役までこなしてくれるし」
「押しかけてはいないつもりだがネ」
「そう? 頼んでもいないのに黒幕ムーヴをかましてくれるのは、実地で教育してくれてるようなものじゃない。ツタンちゃんも喜ぶよ?」
私がツタンちゃんをダシにして突っ込むと、教授は嫌そうに顔をしかめた。
「やっぱり。フランちゃんもそうだけど、ああいう純真無垢な子が下心や計算抜きに尊敬や好意を向けてくれるのに弱いよね。教授は」
水着霊基のフランちゃんが『パパ』とか呼ぶだけでデレデレになったりとか。意外と子供には甘いところがある。
「だから、こういうお店にもお子様は入れないんでしょ? 大人の汚いところをなるべく見せないように?」
「……」
やっぱり何も言わずに、教授はグラスを磨く。
「それで? マスターは私にかこつけて、このアラフィフを玩具にするのが目的ですの? でしたら喜んで協力いたしますけど」
「流石にそれは勘弁してくれないかナァ。霊基質量10万トンの女狐君がちょっと背中に乗っただけで、繊細な私の腰がポッキリ逝くのが目に見えてるよ」
カウンターを挟んでコヤンスカヤと教授が冷え切った笑みを見交わす。
「…んー、まあ、それも悪くないけど」
「ちょっと、マスター君? カルデアのマスターとして、ちゃんと元ビーストの手綱は握っていて欲しいんだがネ」
軽く教授にいやがらせの一言を呟いてから、コヤンスカヤに向き直る。
「Whydunit(動機)」
孔明先生――ロード・エルメロイ2世の十八番だ。
「コヤンスカヤ。テオ君に協力したのは、私のため?」
「……」
「ゴッホちゃんとコヤンスカヤは同じフォーリナー霊基のサーヴァント。でも、クラスは同じでも成り立ちは違うよね。アビーちゃんや楊貴妃、北斎さんとも」
ツングースカに落下した隕石をその由来とするコヤンスカヤ。けれど、ゴッホちゃん達は違う。
異界の邪神と繋がっている、あるいはその影響を受けているという意味で、今もなお潜在的な脅威には違いない。あるいは、白紙化した地球の問題が解決したとしても、それとは全く別の問題としてずっと残り続けるかもしれない。
だって、こちらとは時間の流れも異なるであろう異界にいる邪神にとっては、既にこちらの世界と繋がった窓はそちらに目を向ければ向こう側を覗けてしまえる程度のもの。道こそ繋がっていなくても、邪神はその窓越しの視線だけでも人間を狂気に引き込んでしまえる。
狂気に堕ちた人間は、自分と周囲の破滅すら厭わずに世界の全てを巻き込んで自爆する恐れすらある。
「教授も言ってたよね。聖杯は大きな力ではあるけど、聖杯単体では、ただそれだけに過ぎない。問題となるのは変数の『X(エックス)』だって」
「……」
「テオ君は聖杯を使って世界そのものをどうこうするつもりはなかった。ある意味で自己完結した、極めて個人的な用途にしか使うつもりはなかった。ひょっとしたら、今までの特異点で最も影響の少ない使い道だったかもしれない」
ゴッホの絵を世界中から全て処分するなんて。実現可能性はさておけば、いっそ個人でも実現可能な願いの範疇だ。世界中の美術館を巡って、絵にガソリンでもかけて、火をつけるだけなのだから。
「そういうカルデアにとって『やりやすい』相手だったから、協力もした。もし後でバレても、実害は出にくいから言い逃れるのも楽だろうし」
そして、何よりも。
「アポロンもそうだったけど、今も邪神と繋がりがあるかもしれない潜在的な脅威で、教授にとっては計算を狂わせる不確定要素を一つ減らせる。テオ君は『座』に記録されて英霊化するのを拒んだみたいだし」
白紙化地球の件が解決したとしても、それで聖杯絡みの案件が発生しなくなるという保証はない。人理焼却が解決しても終わらなかったように。
そして、幸か不幸か聖杯関連に一番携わってきて、その危険について一番知っているのもカルデアで、その担当者が私だ。
「テオ君は、モデルケース…ううん、違うか。あくまで、たまたま一つのビジネスモデルとして成立するかどうかの実証実験の機会が巡ってきたから好都合、ぐらい?」
もし、聖杯を使おうとする誰かがいたとして。
その誰かに、あらかじめ接触することが出来るのなら。
あらかじめ、聖杯の使い道を知ることが出来るのなら。
それが危険なら、聖杯を手に入れようとする前に処分する。
でも、もしテオ君のように実害が出にくい使い道であるなら、協力もしよう。助言もしよう。取引だってしよう。聖杯を使ってまで願いを叶えようとする相手なら、その為になら藁でも何でも縋ろうとするだろう。
それで、もし失敗したところで見捨てるのに躊躇いはないだろう。だって、教授もコヤンスカヤも、そういう『悪』なのだから。
「……。答え合わせは必要ですの?」
コヤンスカヤは飲み干した空のカクテルグラスをカウンターに置いて、私に訊いてくる。
「別に。私が勝手に推測しただけだし」
特異点に赴くであろう私の身に危険が及びにくいように、実際にそうなる前に事件が起きる前から予防線を張ってくれていた。あるいは、違うのかもしれない。全部が全部、私の自意識過剰な思い込みである可能性も大いにある。
教授も、コヤンスカヤも、感情を窺わせない曖昧な微笑みを浮かべているだけだ。ここで訊いてみたところで素直に白状してくれるとは思えない。
「でも、嬉しかったから。手段はどうあれ、陰ながら私を助けてくれていたのには変わりはないから。だから、お礼ぐらいは言っておきたくて」
こんな推測、誰かに言うわけにもいかない。言うつもりもない。私からの感謝すら、二人には望まれていないのかもしれない。でも――
「ありがとう」
そう言うべきだと思って――、いや、違うか。ただ、私が、二人に、ちゃんと言いたかっただけだ。
「――…では、マスター。一つだけお願いをしても?」
「いいよ。何?」
「そんな可愛らしいことを仰る口を、今ここで封じてしまいたいのですが」
「こらこら。ウチは『そういう』店じゃないよ?」
教授が苦言を口にしても、コヤンスカヤは気にも留めない。私に期待の目を向けてくる。私がチラっと横目で見ると、諦めたように溜め息を一つ。そして私達に背を向けて、カクテルに使うジュースの瓶を棚に並べ始めた。
「んっ」
私とコヤンスカヤはスツールに座ったまま、軽く唇を重ねる。舌先が触れ合って、お互いが口にしたカクテルの味を少しだけ交換する。すぐ目の前で教授が聞いているから、あまり深くは出来ないけど。
今日のコヤンスカヤとのキスは、どこか甘くて、そしてちょっとだけ苦い。そんな『悪』の味がした。きっと、それがBAR『蜘蛛の巣』ならではの味わいなのだろう。
「では、甘いキスの口直しにこれでも如何かネ?」
スツールに座り直した私の目の前に、新たなグラスが差し出される。柑橘系の爽やかな香りがする。
「プッシーキャットだよ」
一般的には、仔猫という意味だけど。もちろんそれだけじゃない。スラングでは、女性への性的なニュアンスも含まれる。
特に今は、コヤンスカヤとキスをしたばかりの私に対する痛烈な皮肉が効いている。思わず顔をしかめてしまった私に、してやったりとばかりに教授が微笑むのが腹立たしい。
「苦っ…」
思わず勢いのままグラスに口をつけて飲むと、甘みをつけるグレナデン・シロップをわざと入れず、その代わり多めに入れられたグレープフルーツジュースの苦味が舌を刺した。
ますます顔をしかめる私を見て、教授とコヤンスカヤは悪戯に成功した子供のようにクスクスと笑い合う。
「これが、悪い大人の見本というものサ。…ああ、ツタンカーメン君には教えてはいけないよ? 悪い真似をされては困るからネ」
カウンターにグラスを戻すと、少しだけ力を入れ過ぎたせいでグラスの中で氷が揺れ、カロンと軽やかな音を立てた。
まだまだ、『悪』において私は初心者ということなのだろう。そんな風に思いつつも、手にしたグラスに今度は慎重に口をつけるのだった。