異種族だらけの貞操観念逆転世界で剣を振る 作:付呂無権左衛門
「精々、楽しくやりな。バカ弟子」
頬に添えられた皺だらけのその手に、俺はそっと自分の手を重ねた。
かつて剣を握っていた手と、もう剣を握れるようになった手。
「ああ……」
心からの安堵を得たように、彼女は最後の吐息を漏らした。
○○○
エイローン大陸の西方。ヴァイヴリア連邦が擁するセルレイム伯爵領にて、豊かな賑わいを見せる都市セルンの第二通りの一角。
俗に奴隷市場と呼ばれるその一帯に店を構えておよそ50年、これまで堅実に商売を続けてきた奴隷商人のモーラは、驚きのあまり目を瞬かせていた。
なんでもないある日に、ふらりと現れた一人の客。
冒険者か、無頼の傭兵か。モーラの付き人兼護衛を務める者に預けられた長剣に、使い込まれた外套や顔を覆い隠す無骨なヘルムと、その風貌を見れば、なんであれ暴力を頼りにする人種であることは一目瞭然であった。
モーラが商品として扱っている奴隷は、主に借金の形として売られた平凡な農民たちである。副業として薬師も嗜んではいるが、そちらで拵えた薬品類は店舗自体が違う。
ゆえに、眼前に現れたような武威を纏う客層とはほぼ無縁だったのだが――モーラが混乱に陥った一番の理由は、そこではない。
革張りの上等なソファーに座る客が、外套とヘルムを脱ぐ。
覆い隠されていた身体つきが露わになり、押し込められていた容貌が薄暗い応接間の中にあって克明となる。
「お、男……?」
それはモーラにとって、まったく想定外の事態であった。
男。
貴重な男。
剣を振ることなど、戦いの場に赴くことなど、どんな立場に生まれようと周りから許されるわけがない、男。
数少ない例外によってそのような状況があるとして、これほど無防備に一人で出歩いているはずもない、男。
およそ10人に1人しかこの世に生まれてくることのない、男。
「……っ」
そしてその顔が、どうしようもなく美しかった。
まるで時をも凍らせるような、冷たい美貌であった。
そんな現実のものとも思えない存在が、なぜ?
モーラの胸に沸き立つ疑問に答えるため、ではないのだろうが。
丁寧に包まれていた手紙を取り出しながら、男が口を開いた。
「アイリーンから、これを預かっている」
「――え?」
男が口にした名はモーラの古い友人のそれであり、彼女の意識を現実に引き戻すには十分な衝撃だった。
アイリーン。一廉の剣士として身を立てていた、時に助け、時に助けられた相手。何年か前に「隠居する」と言い残して、そのまま姿を見せなくなってしまった、古い友人の名前。
「は、拝見します」
深呼吸を一つ。モーラは渡された手紙を開いた。
そこには確かに、見覚えのある筆跡で、要件だけを伝える言葉が粗雑に書き連ねられていた。それもまたモーラにとっては慣れ親しんだ、否応なしに懐かしさを覚えさせる振る舞いだった。
この手紙をモーラに届ける剣士の名がユウヤであること。
ユウヤが間違いなくアイリーンの弟子であり、己の剣の技術を全て教え授けたこと。
彼がこうして現れているならば、己もすでに天寿を全うして世を去ったということ。
ただし、客としては甘やかすことなく接してやってほしいこと。
そして最後を締める言葉、自分たちの間でだけ通じるある種の符号。
――最後の最後まで、まったく愉快な人生だった。
――モーラ、お前はどうだ?
「アイリーン……」
あなたらしい。思わず口をついて出そうになったそんな言葉を舌の上で丸めたまま、モーラは顔を上げた。
「お客様――ユウヤ様は、この内容を?」
「いや、知らない。知るつもりもない。それはあんたに宛てられたものだ。ただ、俺の身分を証明してくれるとは聞いている」
「はい、ユウヤ様については、確かにこちらに。……ご存知のこととは思いますが、私が扱う商品は、身元が不確かな方にはお売りできないものですから」
「ああ」
ユウヤの静かな首肯によって、会話が途切れる。
ごくりと喉を鳴らしたモーラは、ひとまずあらゆる疑問も一緒に飲み込んで、話を進めることにした。
「ユウヤ様。本日はどのようなご用向きでしょうか」
「もちろん、奴隷を」
皮肉げに口角を上げたユウヤの笑みは、しかしモーラの目にはどこか作り物めいて見えた。
○○○
「じゃあ、3日後に」
「はい、お待ちしております」
店先にて、モーラはユウヤの後姿が雑踏に消えていくのを見守っていた。
そのあまりにも特異な存在に、思うところは多々ある。だが今は、かつての友情と、一人の商売人の矜持にかけて。新たな商談をまとめることだけを考えて行動に移る。
「ミランダの店に向かう。馬車の用意を」
「はい」
ユウヤの素性を知った付き人もまた何かを言いたそうにしていたが、指示が下されると速やかに意識を切り替えて動き出した。
店の中に戻ったモーラは、身支度を整えながらユウヤが希望した
曰く、生活用水に足る程度の魔術を操れる者がいい、と。
予算に収まればそれ以外の条件は無い、とも。
少なくとも今モーラの店に
魔術を操ることができる。あるいは適性を持つ者の存在自体は、さほど珍しくはない。実力を問わなければ5人に1人程度で、少なくとも男の数よりは多い。
だが、元農民の奴隷で、しかも水属性の魔術適性となれば、話は別だ。
まさにユウヤが求めたように、戦闘には向かない強度であっても需要が高い。つまり身売りの対象となる優先度自体が低く、モーラがこれまでの50年の間に扱った数を振り返っても両手で足りるほどだった。
ゆえに、余剰在庫を求めるならば、入手ルートの異なる奴隷を取り扱っている者を当たらなければならない。
その心当たりの一つが、懇意にしている奴隷商人仲間のミランダであった。
「犯罪奴隷に2人いる。戦利奴隷なら、まあ10人は下らんかな」
第一通りにて富裕層向けの奴隷商店を営むミランダは、向かいに座っているモーラを横目で見つつ、紫煙と共に言葉を吐き出した。
少し悩んだ素振りを見せたあと、モーラが尋ねた。
「金貨100枚以下の者がいれば、簡単に説明してほしい。ただ、そうだな……肉体的な戦闘力が高い者は除外してくれ」
「了解した。であれば……候補は2人。1人目は犯罪奴隷、ネルシー。フィルダンの23歳。元銀級冒険者の魔術師。故意ではなかったが、所属していたパーティーで魔物の引き連れ騒ぎを起こして死人が出た。状況に納得しておらず、プライドが高く、今のところ逐一奴隷紋による制御は必須。魔術の実力は確かだがね。ちょうど金貨100枚。とはいえ、もうしばらくしたら値下げの予定だ。大規模な魔物討伐か戦でも起きれば
「ふむ。もう一人は?」
「戦利奴隷、アルジェンナ。フィルダンの21歳。バーイン女爵に仕えていた侍女の一人。先日のコルマンド騒乱で十把一絡げに奴隷落ちした内の一人で、特に貴い血が流れているわけでもなし。金貨15枚」
「……。では、その侍女を」
「わかった」
ミランダが煙管を振り、控えていた使用人に指示を出す。
間もなくして二人きりとなった応接間で、ミランダは改めてモーラに視線を合わせた。
「それで?」
「少々訳ありのお客様が訪れてな。アイリーンの紹介だ」
「なんだ、生きてたのか」
「いや、死んだとさ。それも伝えられた」
「……そうか」
ふう、とミランダは再び紫煙をくゆらせる。
その姿に目を細めつつ、モーラが口を開いた。
「お前、幾つになった」
「先月で28」
「それほど経ったか。……アイリーンに睨まれて小便をこぼし、私におしめを替えられていたお前がなぁ」
「やめろ。見た目が変わっていないお前に言われると、より怖気が立つ」
心底嫌そうに顔を歪めたミランダは、なにかを誤魔化すように煙管を咥えた。
モーラの年齢は、およそ80歳である。しかし
「はあ」
商人としての教育が始まっている自分の長女も、何十年か後にはこうやって彼女から笑みを向けられるのかもしれない。自分の母親もまた、そうであったように。
だが、それはなんだか少し楽しみだな。と、ミランダは煙を味わいながら思うのだった。
○○○
アルジェンナは、自らの境遇に対して特段に不幸を感じたことはない。
侍女として務めていた女爵にしても親から命じられていた単なる出稼ぎ先というだけで、なにか特別な忠誠心を持っていたわけではない。女爵当人の顔すらろくに見たことはないのだから、当たり前と言えば当たり前の話だ。
だから、主である女爵が周辺貴族とのいざこざに巻き込まれ、その煽りで自分が奴隷の身に落ちたことも「まあそんなものだろう」と納得していた。
今の世の中ではまったくよくある話で、強いて言えば元から存在していないのも同じだった「自由」が本格的に消え去り、同じく女爵に仕えていた数少ない侍男――当の男たちはほぼ当主に付きっきりで、言葉を交わすことすらできない関係性でしかなかったが――との職場恋愛などという、夢物語同然だった万に一つぐらいの可能性が完膚無きまでに潰えた程度のこと。
ちなみにその侍男たちは、押し入って来たどこぞの騎士達にしっかりと輪姦されていた。
奴隷となったことで生じた違いらしい違いといえば給金を実家に送れなくなってしまうことだが、そもそも出稼ぎに出されていた理由が「
一般的な侍女としての職務を卒なく熟す程度の能力はある。ギフトにしても魔術の素養にしても光るものがあるわけではなかったから、攻め入ってきた貴族の戦利品として懐に入れられることなくこうして払い下げられたが、そのうち適当な商家か裕福な家か、あるいはそれこそまた別の貴族にでも買い上げられるだろう。
――と、思っていたのだが。
「ユウヤ様、この者の名はアルジェンナといい――」
3日前。アルジェンナはミランダとモーラの商談の場に呼び出され、改めて自分の身の上や今の思想、あるいは公然と話すような内容ではない性的嗜好に至るまで、奴隷紋の強制力によって事細かに聞き出された。
元々ミランダには仕入れの際に包み隠さず話していたことが大半だったが、再確認の意味もあったのだろう。
モーラからの質問に淀みなく答えながら、アルジェンナは自身がなにか「普通」に想定される道から外れ始めていることを薄っすらと予感していて、そしてそれは正しかったと今こうして証明された。
「問題ない。買う」
モーラから一通りの説明を受けて頷いた、アルジェンナの買い手。
彼女の新たな主人。
鍛え抜かれた鋼を思わせる筋肉を纏った、男にあるまじき逞しさを備えた肉体。感情を窺わせない眼差しは極めて怜悧で、細い顔立ちも相まってまるで彫刻として削り出されたような美を湛えている。
アルジェンナが、この世の女たちがよく見知った、蝶よ花よと愛でられて育つ柔らかな男性とはまるで異なる、だがしかし何故かあまりにも強烈に「男」を主張する存在。
その男が口の端だけを上げて言う。
「俺はユウヤ。今後ともよろしく、アルジェンナ」
後に、モーラは初見の折に「時をも凍らせる美貌」なる印象を抱いたのだと聞いて、アルジェンナは「まさにだ。なぜ自分はそのように思うことができなかったのか、己の教養不足を恨むほかない」と嘆き、一方でモーラもまた、アルジェンナが最初に連想したものが「まさに」であったと深く頷いた。
曰く、一振りの剣のような人だ、と。
○○○
【ヴァイヴリア連邦の奴隷商】
ヴァイヴリアにて奴隷商を営むには、連邦評議会または首長国のいずれかから正式な認可を得る必要がある。
懲罰を兼ねる犯罪奴隷などを除き、基本的には「各領主、各国、ひいては連邦全体の資産である労働力」を運用するための制度であり、少なくとも現在の連邦の民にとって、歓迎されずとも決して後ろ暗い商売ではない。奴隷の存在自体もまた同様である。
モーラのように農村からの買い上げを主とする奴隷商は、対象とする村々や販売先との信頼関係も重要であり、実態としては人材斡旋業に近い。
だとしても、奴隷は奴隷であり、本質的な自由は存在していない。
余談ではあるが、違法な奴隷商もやはり存在しており、日夜官憲との暗闘が続いている。
【エイルヴ】
外見は
フィルダンとの分かりやすい差異を指して俗に耳長族と称されることもある、魔術の素養に優れる者の多い種族。
寿命は約500年。成熟するまでの約25年間はフィルダンと同等の速度で成長し、平均して450歳頃から老化が始まる。
その長い生の対価とするように生殖能力は低く、個体数が少ない。
アール神を信仰している。
初投稿です。