※この作品はR-18です。

異種族だらけの貞操観念逆転世界で剣を振る   作:付呂無権左衛門

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014_炎、水底を暴いて

 

 牛タンを苦手にしてる人がいるって前世で知った時、まーじで信じられんかったね。いや、万人が認めるものなんかこの世に存在しないってことは分かっているが……それにしたってよ〜。牛タンだぜ? もう響きが美味しいよな、牛タン。

 ドゥルムート(双角猪)は角の他に舌がかなり長いのも特徴だ。外に伸ばせる部分だけでも30cm以上はある。形も舌として一般的にイメージされるものよりは円柱状に近く、象の鼻みたいな印象。自分の臨戦態勢時の股間を見下ろしてみると少し親近感が沸かないこともない。恐らくはその立派すぎる角が仇となる場面もあって、主に食事に使用するために発達したのだろうが、これがまー結構ウマいのだ。美味いというか、食感が良い。俺の26cm砲(推定)もアルジェンナなんかは大層喜んで美味しそうに頬張ってくれるものだが、牛タンはどうだろうな。

 ……と言っても、猪って牛じゃなくて豚だし、今目の前でじゅうじゅうに焼き上がろうとしているものは全然これっぽっちも牛タンじゃないのだが。分かってる、妄想というか、空元気だ。今もう食欲と性欲、つまり俺の中の光と闇が、激しくぶつかり合い続けてておかしくなりそうなの。肉の焼ける臭いが、鼻をくすぐる度にどうにか性欲を一瞬だけ覆い隠してくれる状態。

 

 遡ること数刻前である。ドゥルムート(双角猪)を仕留めたあと、その巨体をブザ村まで引き摺ってくると、ちょうど日が落ちきるタイミングだった。

 オレ、コレ、クウ。オマエラ、テツダウ。

 まあ大体そんな感じ。対価として捌いた肉の一部の提供を約束すると、各々の家での団欒に移り始めていた村人たちも快く解体作業を引き受けてくれた。今はあちらも臨時のお祭り状態だ。

 ひとまず一食分の肉を確保した俺たちは、村外れの貸小屋――こうして冒険者などが訪れた際に利用させる目的で、村が自主的に用意してくれているもの――で好きにやらせてもらっている。

 死体を丸ごとセルン(領都)に持ち帰れば、肉も余すことなく売ってそれなりの値段に替えられたとは思うが、新参者は新参者らしく、な。こういう組織とコミュニティの地味な関係性構築の積み重ねのおかげで、まさにこの貸小屋のようなスペースが生まれているのもあるだろうし。

 

 山小屋の正面にて熾した二つの焚き火の上で着々と焼き上がっていく肉を、俺とアルジェンナがそれぞれを見守っている。鉄板やアルミ網なんて気の利いたものが存在するわけもなく、村の横を流れる川原で拾った平らな石の上を調理プレート代わりにした。その上で肉の脂が火の粉と共に跳ね回っている。

 俺はタンの、アルジェンナは厚切り肩ロースの担当。特に肩ロースについては、ブザの村人から譲り受けた各種ハーブなんかをふんだんに使用して、俺が入念に下処理を施した。あとはスライスしたニンニク――に似て非なるものだが、まあ大体ニンニク――を揚げてチップにしておきたかったが……油とか調理器具とか時間とか、諸々で断念。そのまま一緒に焼く。揚げニンニクチップはいつかリベンジしよう、なるはやで。

 そしてやはり、香辛料の類がネックだ。シンプルな胡椒はセルン(領都)でも比較的流通しているが、まあ高い。買えなくはないので、収入が安定するまではな~と控えていたのを早速後悔している。塩だけは流石に一定量を確保してあるが。

 

 そしてちょうど――ここだな。焼き上がりの直前、最後の仕上げとしても振る。

 同時に、隣のアルジェンナにも指示。

 

「休ませろ」

 

 アルジェンナ側の焚き火の側、火にはかけずじんわり温まる程度の距離で用意しておいた調理用石板に、表面がしっかり焼かれた肩ロースを移動させる。余熱でじっくり追い込むのだ……。

 そしてこちらもバッチリ焼けた牛タンを素早く回収して、まずはそのまま一口。

 

「……」

 

 う~~~ンめ~~~~~い。程よい弾力に押し返され、噛むごとに旨みが染み出してくる。やっぱこれよな。

 なんだか泣けてくる。師匠と暮らしていた時もそんなに頻繁に食えるものではなかったし、マジで久しぶりだな……。

 

「うん。うん……」

 

 あ゛ぁ~、生を実感する音がするゥ~。いや幻聴だよそれは。

 

「アルジェンナ、ほら」

 

 この数少ない、無上の喜びを独り占めするなんてもったいない!

 箸――自前で用意してるさ、そりゃもちろん――で挟んだドゥルムートン(双角猪豚)タンを、アルジェンナに差し出す。すると、久しぶりに屋外で兜を脱いでいる俺をどこか優しい目つきで見ていたその顔が、きょとんとしたものに変わった。

 ……いや、分かるだろ流石に。初めてやったけど。

 

「食え」

「ぇ、と……失礼しますっ」

 

 タンがアルジェンナの舌の上に乗ってぱくりと口に含まれたのを見送り、俺も早速もう一枚。

 心躍る味わいに舌鼓を打ちつつ、アルジェンナが飲み込んだのを見計らって問う。

 

「どうだ?」

「美味しいです! それに、なんでしょう……コリコリして、面白い食感ですね」

「だろ~?」

「――っ……はい!」

 

 さらに、切っておいたレモン的柑橘類、言うなればレモンドキを取り出しその絞り汁をかけてもう一枚。アルジェンナにも追加で塩のみと果汁かけとでプラス二枚をハイあーん。

 そんな具合で二人してタンをどんどんバクバクと消費しつつ、肩ロースをもう一度火にかけさせて、また休ませて……。うむ、こちらも、もういいでしょう。

 村のほうから微かに聞こえてくるリュートの音色や陽気な歌声をバックに、焼き上げた分厚い肩ロースをそれぞれナイフで切り分け、簡単に盛りつける。

 さて、いざや。

 

 下処理の段階で切れ込みは入れていたし、かなり叩いて柔らかくもしたが、それでも肉質はだいぶ固めだ。ぶちぶちぶち、と噛み千切る音が立つと同時に弾けるように各々で暴れ回ろうとする濃厚な味わいが、ハーブの香りに包まれて緩い紐帯で結ばれることで辛うじての統率を保ちながら味覚に届けられる。

 臭み自体は――先ほどのタンも含めて――どうしても残るが……ああ、美味いな。理想の味かと言われれば残念ながら明確に否ではあるが、それでも今出せる最高出力だよこれは。なら、十分だろう? うめぇ、うめぇよ……。

 

「っ……!」

 

 目を見開いて、猛然と食べ進めていくアルジェンナを横目に見る。

 こう言っちゃなんだが、彼女のこれまでの人生を鑑みれば現実的に口にできるものの中では間違いなく最上位のものだろうし、実際に今はまさに過去最高の美食を楽しんでいる可能性もある。下手な町人や零細貴族仕えのほうが、ちょうどこのブザ村のように冒険者と何かと触れ合う機会のある開拓地寄りの村人よりも()()()()にあずかる機会は少ない気もするしな。

 であれば、俺にとっても僥倖ではある。少しでも新たな喜びを与えられたなら、まあ俺もそれでいいさ。自分の美食欲求をしっかりと満たすのとは別で、立派な()()()の一つだ。

 ああ、でも。

 肉厚のロースを噛み締めれば、口の中でぶちゅりと厚い脂が弾ける。

 こいつ(ドゥルムート)の背脂、とんでもねぇんだよなマジで。そう、背脂だ。背脂……背脂、豚骨……味噌、醤油、塩……たっぷり・特製・あっさり・極上……家系っ……鶏白湯(とりぱいたん)っ……濃厚魚介っ……!

 中華そばッ、ラーメンッ! 食いてェ……!!!

 

「……」

 

 やめろ、考えるなユウヤ。もはや取り戻せぬもの、いわば過去の亡霊、それに心を囚われ続けていれば、心が壊れて人間ではなくなってしまう……。

 

 肉を、食う、食う、食う。食い続け、食い尽くす。ウマい、うん、ウマいよ……!

 程なくして、胃の中は埋まった。アルジェンナも実に満足そうに息を吐いているのを見て、多少なりと気も紛れた。

 さりとて、ふと心に去来した郷愁を拭い去り切ることは叶わず。

 

「明日はハンバーグにしよう」

「はんばーぐ……ですか?」

「ああ。ま、詳しくは明日のお楽しみだ」

 

 それだけ、決定事項を告げる。今はもう考えたくない。

 

「アルジェンナ」

 

 さて、食い終わって早速で悪いが。

 食欲は満たされた。俺の中の光は今や燦々とした輝きを取り戻している。しかし光とは闇を払うだけに非ず。強まるほどに、闇もまた深まるのだ。

 

「ぁ、ご主人様っ?」

 

 アルジェンナを後ろから抱き竦め、そのまま一緒に立ち上がらせた。

 ちょうど頭一つ分低い位置にある髪の中へと顔を埋めながら、スケベな鎧(ビキニ)ごと胸を揉みしだく。

 

「あ、んっ♡ ご主人、さま……?♡」

 

 そういえば、胸を触ったの……初めてか。パイズリは三日前に教えたけど。それにそもそも、行為の最中でもないのにこんな風にしたこと自体が初めてだ。……まあいいか。

 あと、なんか……なんだ? すげー甘い匂いがするな、こいつ。汗のニオイどこ行った? 若い女性は桃みたいな体臭があるとは言うが、仄かに香るってレベルじゃない気がするけどこれ。……まあいいか。

 ああ、それにしても昼間はしんどかったなホント。予想通りと言うべきか、騎士たちに大いにビビったせいなのか、俺の本能はいつにも増して子孫を残そうと張り切っているようだ。それもまた、叶えてやれない願いだが。……まあ、どうでもいいな。

 

 流石に今日これからアナル洗浄、というのも難しいだろう。全部、口から飲ませよう。というかこっちが洗い終わるのを悠長に待っていられなさそうだ。

 今しがた収めた食事と合わせて、もしかするとそのドスケベ鎧のせいでお腹のラインにハッキリと影響が出たりするかもしれないけど……俺()気にしないから。

 

「十回は頼む」

「へ……? あ、ひゃいっ♡」

 

 首筋を軽く舐めた――甘っ!?――あと、そのスイートドスケベボディを抱き上げて、俺は小屋の扉を潜った。

 

 

◯◯◯

 

 

 ニギレアはこれまでおよそ一世紀半の時を生きてきた中で、異性というものにとんと興味を沸かせたことがなかった。

 元来エイルヴ(耳長族)は性欲の薄い種である。一部の例外や個体差はあるものの、ヴァイヴリア連邦を構成する他の九種族と比較しても、()()()()は相当に大人しい。殊にエイルヴ(耳長族)同士においては、性行為自体が半ば儀式めいた側面があるほどだ。

 その中でもニギレアは、幼少の頃にアール神より「音消し」の祝福(ギフト)を賜ったのち、自身の存在を隠匿するその能力と反比例するように同種の中でも際立って恵まれた体格と、風と身体強化に特に秀でた生来の魔術適性を存分に活かし、野山を駆け回って悠々自適に過ごしてきたため、男と何らかの交流を得る機会そのものが滅多になかった。

 やがて成人として肉体が完成すると同時に故郷であるエイルヴ首長国を発って以来は、尚更のことである。世の男とはそもそもが大抵は家の中に隠されているもので、根無し草の冒険者が頻繁に現れる場所に軽々に身を晒している者などいない。加えてニギレア自身が特段の興味を持っていない以上、彼女にとって異性、男という存在は、その人生においてもはや存在していないものと同様であった。

 ゆえに。目の前で起きていることを理解するには、それなり以上の時間を要した。

 

「んぶっ♡ んぶっ♡ んんっ♡」

「出すぞ」

「っ~~~♡ んっ……んっ……」

 

 必死に顔を振り、相手に聞かせるためだけの目的で殊更に品の無い音を立てながら肉棒をしゃぶるアルジェンナ。

 そんな彼女に告げられ、ニギレアの耳にも届いたのは、肉棒の持ち主(人間の男、ユウヤ)の、通算六度目の宣言であった。

 

 心がふわふわと浮き上がり、そよ風にすら飛ばされていきそうな感覚を覚える中。ニギレアは瞬間的の今日のこと振り返っていた。

 彼女は今朝、ギルド(協会)でユウヤたちが利用している宿屋の所在を聞き、宿屋の女将がアルジェンナから「今日は東の山林地帯で狩りをする予定で、帰らない可能性がある」と伝えられていることを聞き、村々や周辺の山林をふらふらと歩き回り、やがて日が落ちたというのに騒がしい村へと辿り着いた。そこで遂に村人からユウヤとアルジェンナが滞在していることを聞き、村外れの小高い丘へ向かっていくと、ちょうど当の二人が小屋の中へと姿を消すところであった。

 それを見て咄嗟に取った行動の理由については、魔が差した、としか言いようがない。

 ニギレアは出会ったその日に二度もユウヤを背後から驚かせる形になったが、あれは本当に意識してのことではなかった。音を消していたのはただの習慣で、狩り場やその周辺であえて能力(ギフト)を無効にする選択肢の優先度が低過ぎて思い至らなかっただけ。ただ、この瞬間は違った。明確な意図を持って自らの祝福(ギフト)の力をむしろ強め、また研鑽によって身につけた肉体的な隠形の技術まで用いて小屋に接近した。

 

 その時ふと、ニギレアは初めて森の中へと駆け出して行った齢一桁の頃のことを思い出していた。胸の高鳴りが告げていた、「この先に私の見たいモノがある」と、あの遠き日に感じた予感、それと同質のものを。

 何故なのかは分からない。ユウヤとアルジェンナが体を寄せ合っていたから? だが冒険者は女同士で慰め合うことも珍しくない。実際にそういう関係の者たちを見たこともある。けれど、()()()()は、何かが違う。何がなのかは分からないけれど、だからこそ、それは()()なのだ。

 ――見たいモノがある。知りたい世界がある。

 一歩ごとに、心のどこかが弾んでいく。それは小屋の前までやって来て、焚き火のそばに置き捨てられたフルプレートヘルム(ユウヤの兜)の存在に気付いた時、最高潮に達した。

 自らも気づかない内に口角をわずかに上げたニギレアは、得体の知れない感覚に背中を押されるがままするりと小屋に張り付き、壁板の隙間を見つけて中を覗き込んだ。

 

 そして、見た。そして、知った。

 欲していたものを。

 あの日、光溢れる森の中に探し求めたもの、己が望む世界、その薄暗い正体を。

 

 意識は、現在に戻る。

 

「流石に疲れたか?」

 

 己の主が深い酩酊を伴って迸らせたものを一滴たりとも零すまいと、汗ばんだ喉を懸命に鳴らして飲み下したアルジェンナに、どこか優しげに問いが投げられる。

 

「はい、少し……顎が……」

「だよな」

 

 ふっ。と、あまりにも無防備に、ユウヤが笑った。

 

「……ぁ。ぃ、ぇ」

 

 アルジェンナは、ただ常のように恐縮しようとして。まるでか細い悲鳴のように声を引きつらせた。

 全身が、降り注いだ陽の光によって焼かれたように熱くなったから。それは、小屋の外で息を飲んだニギレアもまた同様であった。

 

 ――わざわざフェラのために強化魔術を使わせるのもなぁ。

 そんな本当にどうしようもなく下らない自虐的な心理から浮かんだ笑みではあったが、見上げるアルジェンナにも、盗み見ているニギレアにも、真意は伝わらず。怜悧な美貌が不意に緩んだそれはある種の慈愛の現れのようにも映り、女たちの心を瞬く間に業火で包んだ。

 実際のところ、自身へ精一杯に奉仕する者に対してその類の感情が欠片も沸かないほどに人情味の無い男ではないのだから、それも真実の一側面ではあった。当人が、それを自罰的に打ち消し覆い隠そうとはするけれど。

 

「……? ま、悪いが、もう少し頑張ってもらう」

 

 アルジェンナの歯切れの悪い反応に一瞬だけ怪訝そうな顔をしたユウヤは、そう言いながら彼女の頬を両手で柔らかく包む。

 

「捨てるものなど、なにもない。あなたが既に、私の腕の中に抱かれているのだから」

 

 ユウヤが呟くと彼の両手が柔らかな光に包まれて、アルジェンナの外傷とも言えない筋肉の疲労を癒やしていく。

 

 それは彼の、治癒魔術の起動詞。そうであればいいという願いの表れであり、優しげな意味に反して、世界(運命)が強いる残酷な結果への反逆を謳う苛烈な祈りとして生み出したもの。いつか心に決めて、元より詠唱として設定されていた言葉。

 その言葉の先がアルジェンナ個人を指しているわけではない。それを頭では理解していても尚、彼女は己の下腹部が暗く輝かしい疼きを訴えているのを感じていた。それは、情熱にしてある種の焦熱である。

 ――燃える、燃えてゆく。

 (はら)の中に収め続けた、無上の主から賜るドロリとした白く温かな源を薪として、それは燃え続けている。やがて古きものを、古き在り方を焼き尽くして、灰の中から芽吹くものもあるだろう。全ては定めより奪い、定めた主のために。だがそれは、まだ少しだけ先の話だ。

 

「あー」

 

 ところで、ユウヤもまた「これフェラのためにやってんの……?」と幾分か理性を取り戻してきた頭で再度考えてしまったことで、それなり以上の羞恥を覚え始めていたが。

 やはり、今さらかと観念したように瞼を閉じた。

 

「……ん、じゃあ、頼む」

「は、はいっ。――ちゅ♡ んちゅ……♡」

 

 促され、蕩けるように股座へと顔を埋めて奉仕を再開するアルジェンナ。

 それを静かに見下ろし、彼女の頭を静かに撫でつけるユウヤ。

 秘められていたもの。秘めるべきもの。捧げるものと捧げられるものの交わり。

 男と女、その情事。

 

 一部始終を覗き見続けていたニギレアは茫然自失の中で、ふと、ようやく気づく。

 

「……?」

 

 下半身に違和感を覚え、一時たりとも目が離せなかった光景から反射的に視線を外して、そちらに向ける。

 

「あ」

 

 目視はできなかったが、ニギレアは理解した。

 生まれてから一度も開かれることのなかった岩戸が、受け入れるものを求めて、しとどに濡れていた。こぼれ出した液体が、鎧の隙間から滲み出てくるほどに。

 

「ん……」

 

 股間部だけではなく、足甲の中にまでそれを感じては、流石のニギレアも眉を潜めざるを得なかった。

 ああ、だが、いっそちょうどいいのかもしれない。

 心地は悪いが、気分は良かった。己の有り様を見て、やはりと確信を得られたからだ。

 

 ――私は、溺れたかったんだ。

 

 

◯◯◯

 

 

【セルレイム伯爵領周辺における食糧事情】

 フィルダン首長国では穀物の生産が大変に盛んであり、セルレイム領の東部に広がる農耕地帯も例外ではない。

 穀物の大半はパンとして焼き上げられており、いわゆるパスタなど麺類に変えて食する文化は上流階級による贅沢の域を出ない。これは麺を乾燥させる保存技術がまだ浸透していないためである。

 そしてフィルダン首長国内の麺類に関連した情報は、それだけでほぼ全てが完結する。

 

 主食となる穀物に着目すると、一部地域では米類の栽培も行なわれている。

 しかしそれはあくまで土壌や地形の問題によるところが大きく、世間的な認識としてはパンの好ましくない代替品という地位に甘んじているのが実情で、料理としての発展も著しく鈍い状態である。

 ある時、ある男は、ふと押し寄せた感情に負け、慟哭を堪らえることができなかった。

 

 






本日の投稿は、本話のみ。
9/15(日)と9/16(月)は一話ずつ投稿予定。
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