異種族だらけの貞操観念逆転世界で剣を振る 作:付呂無権左衛門
耳をつんざく音、という表現がある。正確に言えば、前世にはあった。そのものというわけではないが、例えば緊急事態ないし非常事態を知らせるためのサイレンやアラートは、警戒を促すためにあえて聞く者が不快に感じるような音にされていたはず。
まさか、今生でも似たものを味わうことになるとは思っていなかった。
――ビィイイイイイッ! ――ビィイイイイイッ!
叩き起こされる、とはまさにこのこと。外――恐らくは上空で鳴り響いた音によって一瞬で意識を覚醒させられた結果、反射的に飛び起きることをほとんど強制された。別のベッドに寝かせていたニギレアと、俺の腕に抱かれていたせいで一緒に体が跳ね上げられたアルジェンナも同様に。……すまん。
ニギレアは一瞬だけこちらを見遣ったあと、一糸纏わぬ姿のまま小屋から飛び出した。俺もひとまず外套を羽織り、兜……は、あれ? どこだ。……あ、外か! ど、どんだけ頭が色欲ハッピーセットだったんだ昨夜は……! クソ、ボケちんぽ! 頭チンポ野郎!
言ってる場合でもない。ニギレアに続く。
「なんの騒ぎだ?」
「あれ」
いまだ夜の気配が残る薄明の空。ニギレアが指差した東の空に向かって、一人の
焚き火の傍らに置きっ放しになっていた兜を引っ掴んで被り、小屋の中に戻る。ニギレアもすでに着替えを始めていた。俺も改めて服を着直す。
先ほどのあのサイレンのような音……初めて耳にしたが、情報としては知っている。確証は無いが、まず間違いないだろう。
「今のはいったい……?」
状況が把握できていないながらも、俺たちの様子を見てすぐに出発することを悟ったのだろう。アルジェンナが身支度をしながら尋ねてきた。
「なんらかの戒厳令か、動員令か。とにかく領軍が非常事態を告知する警報だ。冒険者規則によれば、あれが鳴った場合――」
「全ての冒険者は、直ちに当地の
俺の言葉を継いで、ニギレアが鎧を身に着けながら淡々と口にする。脱いだ時の手際の悪さが嘘のようなテキパキとした着装だ。
……茶化してる場合でもない、が、まあ……やばいな、普通に動悸がするし、手足には震えすら走りそうだった。何が起きているのかも分からないが、だからこそ焦燥感が募る。ああ、クソ、不勉強だった。戒厳令? 動員令? 具体的にどういうシチュエーションで鳴るもんなんだ、あれ。戦争でも始まったのか? だとしたら冒険者がいきなり駆り出されるって事態にはならないかもしれないが……。
とにかく何か良くない事態が進行しているらしいと理解してか、アルジェンナも顔を強張らせている。詳細が分からないのは俺も一緒だから、気休めすら口にしてやれない。
宥めるようにアルジェンナの髪を軽く梳いてから、ニギレアに問いを投げる。なんであれ、今すべきことだけは明白だ。幸いと言っていいのかは分からないが。
「ここからだと、湖畔街のほうか?」
「距離的には、そう。でも黄色の狼煙が上がっていたから、問題は西で起きてる。まずは
……狼煙なんて上がってたのか。気付かなかった。流石に年季というか、経験の違いを感じる。
それにしても、黃色? ――ああ、思い出した。それも規則にあったな。大元はフィルダン首長国の法で定められていることで、こういった緊急事態において大まかな意思伝達を行なうため、まさにニギレアが口にしたとおり魔術的に着色された狼煙が用いられるそうだ。東が青、西が黄色、南が赤、北が緑、だったか。
遠ざかるにしろ、近付くにしろ。その指標としろということだな。
「……」
「っ、ご主人様」
思わず、アルジェンナを片腕で抱いて引き寄せていた。
自分の身の安全だってもちろんだが、何より、この温かいものが損なわれるかもしれないこと、そのために自らの力が及ばないかもしれないこと、それがどうしても頭の片隅にチラついて、無性に恐ろしかった。覚束ない足元に、今になって初めて気付いてしまったかのように。
「――俺たちのチームとしての初仕事は、随分と大事になりそうだな、ニギレア?」
あざとい。自分でもそう思わずにはいられない台詞だったが。
勢いで仲間に引き込んだ昨日の今日で、そのままやることやっただけで何も冷静に整理する暇が無いまま、いきなり
弱者としては改めて強者に媚びへつらっておきたいという切実な理由もあるし、一応はちゃんとお互いに素面の状態で言葉による意思疎通もしておきたかった。
お前、昨日のあれは嘘じゃないんだよな? 俺が言うのもなんだが、とにかくヤりたいからって――実際はムチムチの無知でそこに至ってたわけでもないが――テキトーこいてたわけじゃないんだよな? 信じていいんだよな? 女々しくて……いや、この世界的に言えば
だから、言葉でも態度でもなんでもいいが、とにかく信じさせてくれ。頼む。お前、なんかポワポワしてんだよ全体的に!
それに、ハッキリ言ってこの世界の女が股を開いた事実なんて前世の男の「何もしないから」「先っちょだけだから」「外に出すから」「あいつとは別れるから」ぐらいの軽さで信用に値しないからな!
ちょうど鎧の着装を終えたニギレアが、手甲の感触を確かめるように握り込みながら俺を見下ろす。そのいつも半眼気味で眠そうな垂れ目の内には、何か温かいものだけが宿っているように思われた。
「うん、そうだね。……でも、だから、ちょっとだけ、楽しみかも」
「楽しみ、ですか?」
いささか不謹慎な言葉選びに、思わずといった風情で首を捻ったアルジェンナ。
ニギレアは再度「うん」と頷いた。
「カッコいいところ、見せたいから」
少しだけ照れくさそうに、しかし無欠の自信を窺わせながら、ニギレアは薄く笑んだ。
「……なるほど?」
先ほどとは逆方向へ首を捻ったアルジェンナは、それ以上は特に聞こうとしなかった。
――この世界の一般的な男にとって、強い=カッコいい=魅力的って、ちょっと成り立たないよ。冒険者同士ならその基準も分からないでもないんだけどさ……いや、冒険者同士ですね俺たち。でもたぶんニギレアは今そういう理解で言ってないよな、これ。
まあ、いずれにせよ俺相手に限れば、その勘違いも勘違いとは言えないので、追求や訂正はせずに黙っていることにした。もうね、向こう六十年は訂正する必要が無ければいいな~、ぐらいの気持ちでいるからね俺。事ここに至っては、こっちもこっちで逃がすつもりは無いので。タチの悪い男に引っかかったと諦めてくれや。
「……そうか。期待してる」
「うんっ。任せて」
頼もしい言葉に、俺もまた笑みを返す。
それが、醜いものになっていないことを祈った。自信は、あまり無かったが。
◯◯◯
ブザ村から
向かった先で何があるのか分からない以上は余力を残しておく必要があり、俺もニギレアも身体強化の魔術を使いつつ、あくまで持久走を意識して出発した。
全員が言葉もなく三十分ほど走り続けた頃。街道の向こうから一台の馬車が駆けてきた。
「ニギレアさーん!」
御者台の小さな影が、目一杯に手を振りながら声を上げている。
「お二人もご一緒でしたかっ」
聞けば、ピンポイントでニギレアを迎えに来たらしい。
さらにアルジェンナに尋ねてもらって明らかになったが、まずニギレアが俺たちを追跡するにあたって宿屋の女将から北東山林に向かったことを聞いており、ペイリも同じ要領で推測を立てて行動したようだった。これまでさほど気にしたことはなかったが、よくよく考えるまでもなく今の御時世にプライバシー保護の概念なんてあるわきゃねーな。貴族様でもあるまいし。
しかし金級ともなればこういう扱いになるんだな。そんな存在が仲間に加わったことは素直に頼もしい……と、浮かれてばかりもいられない。
「境界侵蝕?」
ペイリが告げた異常事態の正体に、言葉の意味を知らなかったのだろうアルジェンナが眉を潜める。一方、ニギレアは一気に表情が険しくなった。俺も詳しく知っているわけではないが……師匠から聞かされたことはあった。
ニギレアが御者台へ乗り出してペイリと話し込むのを横目に、俺も簡単にアルジェンナへ知っている限りを説明しておく。
防衛総動員令が出ているならば、俺たちは既に領軍に組み込まれている。具体的な運用などは当然知る由もないが、ニギレアが重要な戦力として扱われるだろうことは想像に難くない。こりゃチームとして動くのは難しいか……? ああ、クソ……そう何もかも上手くはいかねぇか。
いかにも不安そうなアルジェンナの肩に手を置いて、心を落ち着けさせる。
少なくとも。少なくとも、アルジェンナの身は俺が守らなければならない。
そして何よりも、奴隷と、その主人として。連邦法が定めるままに。俺は俺自身をそう規定し、その己を基底としている。
これはかつて無法に晒されて反吐を撒き散す羽目になった俺の、なけなしの、本当にささやかな抵抗なのだ。
クソども、俺はお前らと違う。この俺の尊き遵法精神を見晒せ、ボケが。
だからどうか、もう消えてくれ。
◯◯◯
セルレイム領都セルンに駐屯する常備軍およそ五百余名。領都人口の五パーセントにも及ぶその戦力の約半数が、鉱山町に集結していた。町の常備兵約百名と合計し、領軍のみでも三百を越える大戦力。さらには三名の騎士と、鉱山町の冒険者約十五名に、セルンに常駐している金級二名を含めた約三十五名の冒険者も加わっている。
一兵卒の中には、その大所帯の一員として根拠の無い安堵を覚えている者もいる。だが彼女らを率いる上層部の内心は、安らぎからあまりにも遠い位置にあった。
「神殿の司祭と神官の協力もあり、住民の避難は無事に完了しました。引き続き、護衛も兼ねてくださるとのことです」
「伴って、全軍、町の西に展開完了しております」
「今のところ敵が森から出てくる気配はありませんが……姿を見せる数は着々と増えています。三桁には届いているものと」
「二体のみですが、上位個体も確認されています。全体がこの数ですから、おそらくは指揮官級も……」
鉱山町の代官屋敷――町の北西の端、小高い丘の上に構えられており、町と山脈の両方の様子を一望できる――内に配置された臨時司令部にて。現地の最高指揮官であるレイネラ・レーンダルを中心に、
「指揮官級ってのは、あー。ナーデリーガーグつったか?」
うろ覚えで自信が無かったのか、大きな垂れ耳の裏を爪でかきながら問いを投げたのは、この場を同じくすることを許された二人の冒険者の内の一人。「裂爪烈花」の異名を取る
「ああ。それに、外交室が得た情報によれば、他領の境界侵蝕発生地域でも一様にデインガグの出現が確認されており――」
「八脚の女王の領域が盛大に滲出してきている可能性が高い、ってワケね」
応える将官の言葉を奪って結論を述べたのは、もう一人の冒険者。
ラマーは「やべーワねぇ……」と続けた言葉通りに苦み走った表情を浮かべながら、手に持っていた葡萄酒を豪快に煽る。そして何度か喉を鳴らしたあとに「けぷっ」と、見方によっては可愛らしい吐息を指の間の
一見すると明らかに場と状況にそぐわない振る舞いであったが、それが「酔い泳ぎ」を金級たらしめる実力に関わるものであると周知されていることもあって、指摘する者はいない。ただし隣のルトンは否応無しに漂ってくるアルコールの匂いに釣られてか、優美な
だがそれも一瞬。ルトンはすぐさま表情を落ち着かせて、腕を組んで黙考しているレイネラに鼻先を向ける。
「代官様ー、とりあえず俺とラマーで突っ込んでみるかい?」
ルトンのそれは封建制社会の構成員として考えれば命知らずとも言えるほどに気安い態度ではあったが、彼女の中に存在する確かな敬意は彼女なりの細かな所作で最大限に表現されていた。ましてや冒険者に対しては
勝手に名前を出された形になったラマーも異論は無いようで、何を言うでもなく再びぐびりと酒精を飲み下していた。
「……そうだな」
少しの間を置いて頷くレイネラ。それは苦渋の決断でもあった。
ナーデリーガーグについて、人類が得られている情報はとても少ない。レイネラも今回の事態を受けてから急遽魔界に関する書物でデインガグやその統率者である
これだけ情報が不確かな中、あえて自陣の最高戦力を初手から投入しての強行偵察。ハイリスクな手段だが、一方で堅実に過ぎても、より状況が悪化する可能性があった。
約三百年前、大陸東方の神聖帝国との緩衝地帯に発生した境界侵蝕。その封じ込めに失敗していることは、高位貴族の界隈では広く知られていた。
連邦と帝国が互いを警戒して緩慢な動きとなった結果、有効な打撃を与えきれず、約一年をかけてその一帯は魔界の一部として固定されてしまったのだという。以降、今日に至るまでさらなる拡大こそ確認されていないが、されどもはや人類が開拓可能な地ではなくなっている。
タルマリの悲劇。それは一年の時をかけて産み落とされてしまったものと言われているが、今回も同じだけの猶予があるだろうと高を括るような真似は、レイネラには到底できなかった。
「ルゥニオー卿、ギーチャ卿とスレンレスイ卿を二人に同行させろ。そなたは上空に控え、状況に応じた対応を」
「承知いたしました」
優雅に一礼を返すカータに、レイネラもまた小さく頷く。
カータに命じられた「状況に応じた対応」――それは、戦力的な救援に限るものではない。この非常時に際して、空を駆けることで彼女だけが得られる情報、持って移動できる情報には、千金の価値がある。事と次第によっては、家族同然の絆で繋がれた同僚たちを犠牲にしてでも、何事かを成さねばならないことも有り得るだろう。
誰もが分かっていて、わざわざ誰が口にするまでもないことだった。
「では、ゆこう」
レイネラが軽い号令をかけることで全員が行動に移った。彼女自身も愛剣を携え、各々を率いて屋敷前の坂道を下っていく。すると、対して丘を登ってくる姿があった。
「――ニギレア!」
「レイネラ様、遅くなってごめん」
レイネラがここ半日で最も朗らかな声をあげながら僅かに歩む速度を上げた。
実力的には同等の者が複数いる以上、重要な戦力ではあっても、ニギレア一人が加わったところで今から戦局を決定づけるほどの変化とはなり得ない。とは言えレイネラにとっては師の一人ということもあってどこか無垢な信頼を寄せている面もあり、絶え間ない重圧に晒され続けていたことと合わさってか、鋼のごとき自制心に多少の緩みが現れてしまうのは無理からぬことであった。
今となっては、ニギレアがこのタイミングで街を離れていたのはむしろ幸いだったのかもしれないとすらレイネラは考えている。事態の初期に彼女が単身で調査を始めていたら、むしろ力があるからこそ取り返しのつかない結果まで進んでいたかもしれない。もっとも、彼女が引き際を見誤るとも思えないが。
ニギレアにも情報が共有され、彼女も強行偵察に参加する運びとなった。
仮にも神へと誓いを立て、今や金の輝きを湛える身。その身命を賭すのは当然であり、是非もなし。
「ん……」
だが、一抹の不安があった。自分の身の行方とはまた別に。
攻勢に出るのであれば、今は領軍が構築した防衛線の後ろに控えている銀級以下の冒険者たちが代わりに前へと出ることになるだろう。
非常に大まかな比較分類をするならば、対魔物においては軍隊は盾、冒険者は矛の役割を担う。そして平地であれば数とそれを活かした集団戦に長ける軍が、森や山など本来の魔物たちのテリトリーへ侵入していく戦いには冒険者が適していると言える。今回も、そのように運用されるだろうことは容易に想像された。
「ヒヨッコどもが心配か?」
ニギレアの憂い気な視線を追ってルトンが尋ねる。問いかけの形ではあるが、実際はただの事実確認に等しいものだ。気紛らしのルーチン染みた世間話に過ぎず、それはニギレアの気質を知る他の者たちにとっても同様のものだった。
しかし、ニギレアの返答は彼女らの予想を少しばかり裏切る形となる。
「うん。皆もそうだけど……チームの仲間がいるから、心配」
「……あん? チーム?」
「えぇ? あなたが?」
「うん」
ルトンだけではなく、彼女に続いてラマーまで怪訝そうな声をあげる。視線を防衛陣地に向けながら先頭を歩いていたレイネラも、ぴくりと反応していた。
実力において銀級以下と大きな隔たりがある金級冒険者は、
かと言って、同格につるむ相手を見つけたわけでも無いだろう。周辺で活動する金級はこの場に集結した三名のみだ。
――詳しく聞きたい。でも、今じゃないなぁ……。
ニギレアの知己とも言える者たちは皆一様にそのような思いを抱いたが、状況を踏まえてやはり一様に口を噤んだままでいた。期せずして、後から加わったニギレアが程よく緊張を解した形である。
そんな周囲の様子を知ってか知らずか、ニギレアは丘の下の集団を一通り眺めて……山脈より流れるセルレイム川に接する位置の集団に、ついにその姿を認めた。
「ユウヤ……」
「……」
ニギレアがふと零した小さな呟き。その音の連なりを、一行の最後尾に着いているメグ・ギー・ギーチャが、自慢の糸を使うまでもなくしっかりと聞き取っていた。
◯◯◯
【失われた地】
オランの風は嘆きの調べ
連邦の旗は揺るがず立ち尽くし、帝国の剣は鞘に眠り続けて
今やタルマリ
永久に飢える
9/22(日)は投稿ありません。
9/23(月)は1話、できたら2話投稿します。