※この作品はR-18です。

異種族だらけの貞操観念逆転世界で剣を振る   作:付呂無権左衛門

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020_哄笑を引き裂く咆哮

 

 涙は女の武器。前世にはそんな言い回しがあった。今生では男の涙が武器……いや、大量破壊兵器だろうか。

 もっとも、俺は昔から男女問わず、他人の涙が苦手だった。

 得意だとか好きだという人間のほうが圧倒的に少数派だろうが、とにかく誰かが泣いている姿――正確には、その涙を流すに至った経緯や事態が苦手なのだと思う。

 ポジティブな感動による涙であれば問題ない。だがそうではない者、悲しくて泣いている誰かを前に、何も感じずにいることは、少なくとも俺には無理なのだ。

 

 少し前までなら、そんなありふれた人間性も枯れ果てていたような気もする。だが、何だかんだとこの人生には幸運な出会いがあるおかげだろうか。

 前向きに考えれば、余裕が。あえて露悪的に言うならば、贅肉が。俺の心から今また生まれ、纏わりついてきたような気もする。

 

「ウオオオオオオオオ!」

 

 自分たちの持ち場を手早く片付けて生まれた僅かな一呼吸の合間で、雄叫び――いや、雌叫(めたけ)び?――をあげる女がいる方向を見遣る。

 戦場の喧騒の中にあるだけでなく、数百メートルも離れているのに、はっきりとこちらまで轟いている声だ。

 オドゥ(牙の種族)の神が与える中でもポピュラーな祝福(ギフト)に、そういう効果のものがあると聞いたことがある。戦いの中で己の意気を乗せた声を遠くまで届ける……とかなんとか。いかにも多くの戦士を輩出する種族らしい力だ。

 

 勇猛な叫びだ。その意志も叩きつけられるように伝わってくる。

 だが、どうにも俺には、あのオドゥの女のそれは、泣き声のように思えてならなかった。

 

「ふー……」

 

 背けるように視線を外して後ろの冒険者たちを……アルジェンナを見る。

 彼女もまた俺を見つめている。その瞳には戦場に相応しくない類の情熱が宿っているように見えた。

 ――こうも素直な感情を向けられると、満更でもない気分だな。

 朝の警報を耳にした瞬間からつい先ほど、戦闘が始まるまでは本当に笑えるくらいにビビっていたのに。自分の力が、剣が通じるとなれば途端にこれだ。我ながら単純すぎて笑えてくる。

 だが、であればこそ、その単純さには指向性を持たせなければならないのだろう。

 誰かの悲しみに想いを馳せるより、まかり間違っても次にあの叫びをあげるのが自分にならないように。

 己が失いたくないものを、今あらためて心の中心に据える。(おど)けられるぐらいの平常心は保っていられなきゃあね……。

 

 二重の強化魔術に満ちた心身で警戒を保ちながら、後ろに続いていた冒険者たちに合流する。そこで今さら気づいたが、アルジェンナに限らず周囲の全員の視線がこちらに向いていた。

 ……目立つからな、これ。「俺を見ろ!」と言わんばかりの姿になるので、羞恥心が呼び起こされないと言えば嘘になってしまう。だが背に腹は代えられない。

 それに、普通の強化魔術を使った師匠と比べると、これ(二重強化)でやっと互角ぐらいなんだよな。もちろん最盛期との比較ではない。俺に稽古をつけていた頃と比較して、だ。

 

「あ……っと……ユ、ユウヤ? お前……」

 

 我等が臨時隊長ドロテが何かひどく言い辛そうな様子で話しかけてきたが、そのまま口を閉ざしてしまう。

 なんだ? 先を促すために適当なジェスチャーをしようかと思ったが――ドロテの視線はすっと俺の背後に向かい、どこか呆けていたような表情も一気に引き締まった。

 釣られて俺も振り返る。……来たか。

 

「第二波だ! 続けて出てくるぞ!」

 

 森の奥から迫りくる複数の影。それが統率された動きなのかは不明だが、とにかく連中は引き続き攻勢をかけてくるつもりのようだ。

 ならば……。

 

 ――ブオオオ! ブオオオ! ブオオオオオオオ!

 

 連中の様子は本陣からも観測されたのだろう。攻撃開始の際にも鳴らされていた重低音が、今度はリズムを伴って戦場を包んだ。

 その旋律が意味するのは、作戦の第二段階への移行。採られた方針は、領軍による本格的な迎撃戦。我々の進出は一旦お預けだ。

 

「退けー! 軍と交代だ!」

 

 ドロテの指示に合わせて俺たち冒険者は一斉に駆け出す。

 念のため視線をやったところ、他の二隊も後退へ移ったようだ。

 

 兵士たちが空けてくれた隙間を抜けていく間、互いに「よくやった」「後は任せた」と声のかけ合いがあった。俺も簡単なボディランゲージで応えておく。

 軍と冒険者は折り合いが悪いこともあると聞くが、少なくともここではそういった様子は見られない。事態も事態だしな。

 

 冒険者の後退が完了したのと同時に、本陣から銅鑼の音が響き始める。兵士たちへの合図だ。

 続けて、隊列の中の各指揮官が声を張る。

 

「全隊、第三形で構えぇー! 魔導兵ッ、高揚魔術使用!」

 

 前列の兵士は身を覆うような円盾と背丈を越える長槍をそれぞれ手に持ち、少し離れた後列には剣やハルバードを装備した兵士が並んでいる。後列の中には魔導兵らしき装いの者も見られ、詠唱を開始していた。

 彼女らは合図に従い、一糸乱れぬ動きで会敵に備えて隊列を整えた。

 前列が敵を受け止め、後列が機動的に遊撃する構えだろう。最後列には弓兵も控えており――「撃てぇッ!」たった今、先ほどと同様に先制射撃が開始された。

 常備軍のみで構成されていることもあって、その連携や練度は(はた)から見るかぎりでも見事と言うほかない。

 

 伯爵領都の常備軍ともなれば、一兵卒に至るまでが鍛え上げられた(つわもの)なのだ。

 強化魔術が使用できる者であれば、出力において並の銀級冒険者に引けを取らないだろうし、たとえ使用できない者でも銅級に劣ることは無い。

 

 ――おおおおおおおっ……!

 

 各々の鬨の声によって地を揺らす兵士たちと、およそ五十体のデインガグが激突した。

 

「凄まじいですね……」

 

 傍らのアルジェンナが漏らした言葉を、俺の強化された聴覚はしっかりと拾っていた。ああ、まったく同感だ。

 こいつら一体どれだけ湧いて来ているんだと、軽く戦慄すら覚える数のデインガグを正面から受け止めて、兵士たちの隊列は小動(こゆるぎ)もしていなかった。

 

 デインガグの突撃は最前線の兵士たちによって完全に制止させられ、返答として用意されていた槍によって次々と穴だらけにされる。

 遅れてやって来た個体が強引に乗り越えようとしても、後列の中から吹き出るように射出された攻撃魔術の直撃を食らい、あるいはあえて引き込まれた個体が待ち構えていた兵士たちの刃によって、まるで流れ作業のように叩き伏せられていく。

 多少の知恵を働かせて側面に回り込もうとした個体も、精兵が両手で持って振るう大剣によって一刀両断されるという無惨な結果に終わっていた。

 

 人間同士で発生する対騎兵戦に近い形となったのも功を奏したのだろうか。

 魔物と戦う機会が少ない兵士たちだ。ましてやデインガグなどというキワモノを相手にして恐怖心を刺激された者も多かっただろうに。

 まさに訓練の賜物か、戦いが始まれば「軍隊」という一個の機能として完璧な働きを見せていた。

 

「ああ――」

 

 頭が下がるよ、本当に。

 任務を全うせんとする者たち。責務に忠実な者たち。義務を果たす者たち。

 己が身命を賭して。

 

 そして。

 

「上位個体です!」

 

 瞬く間に進んだ第二波の処理が終わる頃、森から三体の上位個体――ゴグ・デインガグが現れた。

 意図があるのか無いのかは知らんが、流石の俺でも知っている。戦力の逐次投入は愚策。まあ、第二波に混ざっていたところで、これから迎える結果とそう変わりは無かったと思うが……。

 

 本陣から銅鑼の音が響き、全隊が秩序だった後退を緩やかに始める。

 そしてその銅鑼の近く、小高い位置から全景を見下ろしていたこの戦場の最高指揮官――レイネラ・レーンダルが短槍を持って前に踏み出した。

 レーンダル子爵家。師匠から聞いていた名だが、まさかその関係者がこの町の代官だとは。……まあ、あえて接近する必要も無い。今のところは。

 

 遠目にも分かるその凛とした佇まいの麗人が、身を引き絞って投槍の構えを取る。

 同時に、朝からずっと柔らかく吹いていた風が、止んだ。

 

 キィ――――ン。

 

 代わりに、超音波を思わせる甲高い音が、水面に落ちた雫が起こす波のように戦場全域を駆け抜けた。

 魔術・魔導への見識が浅くとも多少の嗜みがあれば一目瞭然だ。レイネラの全身と構えられた槍に、莫大な――金級冒険者相当の魔力が集まっている。

 短槍に施された魔術刻印に沿って、淡い緑色の魔力光が輝きを灯していく。

 

 貴種を貴種たらしめるものの一つ。民を導くに相応しい、圧倒的な力。

 人々が進むべき道を照らすための灯を掲げる者たち、その矜持。

 それが満を持して解き放たれる。

 

「――ッ!!!」

 

 ボッ、と。空気を穿つ音が聞こえた。

 

 レイネラの手から放たれた短槍は、まるで閃光のように戦場を駆け抜けた。大気を裂く音すら遅れて耳に届くその速度を、目で追うことは到底困難で、空中に尾を引いた魔力の残滓――緑色の燐光だけが辛うじてその軌跡を伝えている。

 次の瞬間、森の境目と軍の間のちょうど中央辺り、ゴグ・デインガグたちが到達していた地点に、轟音と共に巨大な風の奔流が生まれた。短槍に籠められた魔力が解き放たれ、まさに局所的な嵐と呼ぶべき爆発が起きたのだ。

 

「す、すごい……!」

 

 驚嘆の声を上げたアルジェンナの背に、そっと手を添える。

 噴き上がった嵐が三体のゴグ・デインガグをまとめて吹き飛ばし、撹拌したあと、嵐の消滅と共に突風が戦場を横切っていく。

 直接的な被害が出るほどではないが、予想だにしていなかったらしいアルジェンナは案の定よろめいていた。

 

「これが、貴族の力……」

 

 ――そう、そして、金級冒険者相当の力でもある。

 ニギレアも似たようなことができるのだろう。聞けば、風の魔術を得意としているということだったしな。

 

 レイネラ・レーンダルが特別に鍛えているという線もあるが……まあ、子爵家の者ともなれば、そうだとしても妥当なところなのだろう。

 それゆえ、一般人に毛が生えた程度の差しかない騎士爵などは、口さがない者から「貴族もどき」と揶揄されることもあるそうな。この光景を見たあとであれば、反論する気勢が起きるはずもないが。

 

 ――このような力を見知っていたならば、手元に転がり込んだ宝物を万が一にも取り上げられることがないように、ひた隠しにしようというのも(むべ)なるかな。

 ましてや銀級の冒険者にすら、つまりは()()の貴族が揃える領軍のいち兵士にすら間々(まま)劣る、所詮は()()()の身の上であれば、か……。

 その双肩にかかった責任、率い守るべき者たちの尊さに、違いなどあるはずもなかったのに。

 

「ご主人様……?」

 

 周囲が勝利の歓声、そして我らが代官の力への称賛の大合唱に包まれる中、何か雰囲気が異なるのを察したのか、こちらを見上げてくるアルジェンナ。

 本当に、気がつく女だね。お前は。

 

 なんでもない。

 その意を示すために、軽く彼女の肩を叩いた。

 

 ――さて、次はどう来るか。

 悠長に、そんなことを考えたせいなのか。

 

 ――バキンッ、バキンッ、バキンッ!

 

 その音が聞こえた瞬間、冷水を浴びせられたように。

 周囲を包んでいた熱狂が、一瞬にして静まり返った。

 

 ――バキンッ、バキンッ、バキンッ!

 

 森の境目の空間それ自体に、大きく亀裂が入っていく。

 俺はまだ朧気ながらに残っている前世的な経験――それでも架空のものだが――や、感覚から()()を理解できた。あるいは、デインガグと相対したことのある冒険者たちには、同種の現象を間近で見たことがある者もいるだろう。

 だが、今起きているそれは、あまりにも――。

 

「だめだ……!」

「お前たち、下がれ! ()()は不味いぞ!」

 

 近くのドロテが思わずといった様子で声を漏らしたのと、オドゥの女(北の隊長)の声が響き渡ったのは同時だった。

 彼女たちは直感的に理解したのだ。()()は、自分たちのような木っ端がどうこうできるモノではない。

 レイネラたち――本陣でも察するところがあったのだろう。後退を意味する合図が鳴り響き、同時にレイネラが先ほどと同様に投槍の準備を始める。

 

 バキン、バキン、と、世界が上げる悲鳴のごとき破滅的な音を背に受けながら、俺たちも周囲に合わせて撤退行動に移る。

 本音を言えば、アルジェンナを抱えて逃げてしまいたかった。だが、それはできない。俺は――。

 

「……ッ!」

 

 世界の一部が砕け散る音。一拍遅れて、レイネラが投げ放った槍が空気を弾けさせる音が響く。

 思わずその先へと視線を向ける。俺だけではない、周囲の誰しもが。

 

『ぎはっ』

 

 悍ましい、鼓膜を犯すような音――声が聞こえた。

 隔てられた距離など無関係に、俺たち人類という種の本能を脅かすため。それは世界からの警告なのかもしれない。

 

 空間の裂け目から現れたのは、巨大な()()()()だった。

 高さは先ほども見たゴグ・デインガグとそう変わらない。だが、だからこそ異常だった。

 全高五メートルに及ぶ、口。それがまるで爪楊枝のように、レイネラから射出された槍を歯で挟んで受け止めており……そのまま噛み砕いた。

 

「なっ……」

 

 誰かが意味を成さない言葉を漏らす。そしてそれが限界でもあった。

 全員が茫然自失となっている瞬間、ずるりと、その()()()()が裂け目から這い出てきた。

 人々の波の向こうからでも克明に理解できる造形……その口は、同等の大きさの芋虫のような長い体の先頭についていた。

 目や鼻など、他に顔らしきパーツは存在していない。ただ人間の口そのものが、芋虫の頭に成り代わっているのだ。そして芋虫の体の両脇には、ムカデのような――デインガグの脚らしきものが、数十本と並んでいた。

 その異形なフォルムと、ただただ大きくなっただけの普通の人間の口にしか見えない頭のアンバランスさが醸し出す不気味さ、生理的な嫌悪感は、脆弱な人類でしかない我々の正気を大いに蝕むものだった。

 

『ぎははは』

 

 異形が、嗤う。

 その笑う動作に合わせて、人間で言えば犬歯に当たる部分だけが独立して可動していた。それは蜘蛛の鋏角(きょうかく)や上顎のような形で、どういう目的で使用される部位なのかなど、考えるだけで馬鹿らしかった。

 

「逃げ――」

『ぎははははははッ!』

 

 異形の怪物がその巨大な体をうねらせて、一瞬で距離を詰めてきた。それこそ、突風のように。

 

「迎撃ッ!」

 

 動揺しながらも盾と槍を構えた最前線の兵士たち。先ほどまでは鉄壁と呼ぶに相応しかった彼女たちの守りが、今はあまりにも儚く映る。

 咄嗟に指示を出した指揮官と、それに応えた兵士たちは称賛に値する。

 だが、それはきっと、ただ指を咥えて待っていても同じ結果になったのだろう。あるいは、全力で逃げていたとしても。

 

「うわあああっ!」

「ぎゃっ――」

 

 絶叫が戦場に響き渡った。

 怪物の突進を受け止めるだけで、その巨体が振り回されるだけで、前列の兵士たちは次々と宙を舞い、地面に叩きつけられていく。

 勇壮な兵士たちが武を示す舞台から悪夢へと早変わりした光景を前に、あろうことか俺はその場に立ち尽くしてしまっていた。

 

 ぶるぶると、身が震えるのを感じる。

 頭が、痛い。

 目の前で、人が死んでいくから。

 

 力の限りに戦った者たちが。

 守るべきあらゆるもののために武器を取り、脅威へと立ち向かった者たちが。

 死んでいくから。

 その背が、倒れていくから。

 

 ……ろ。

 

 あるいは、巨体によって轢き潰され。

 ――踊りを教えてくれたヨアンは、蹄の下でひしゃげていた。

 

 ……やめろ。

 

 あるいは、鋭利な脚や鋏角に貫かれ。

 ――茶を淹れるのが上手かったジェイミーは、喉を貫かれていた。

 

「やめろ……」

 

 あるいは、人間のそれに等しい偏平な歯に噛み砕かれ。

 ――夜毎に「ごめんなさい」と狸寝入りした俺を撫でていた母の頭は、瓜のように砕かれていた。

 

『ぎははははははッ!』

 ――「ぎゃははははは!」

 

 哄笑が耳鳴りを生む。

 

「やめろぉぉおおおおッ――!!!」

 

 張り裂けた叫び。それは何処の誰へ向けたものだったのか。

 自らの喉から出たものだったのに、知る由もなかった。

 

 ただ、後ろへと流れていく人々の波と、それを映した赤い視界が。

 自らの選択、取った行動を教えてくれていた。

 

 疾走しながら、魔術の強度を高める。その手段は確かに祈りの言葉であり、そして宣誓なのだ。

 ――悪禍、虚無、絶え無き崩壊。巡れ車輪、終われ哀歌。

 糞ったれの世界へ。糞ったれの女神へ。

 ――奈落への螺旋、日輪への道程、誰も知らぬ迷い人。眠る彼が望むのは、深き海に差す曙光。

 俺は、中指を立て続ける。

 

 ――欲するならば、正しく求めよ。

「されど月が揺らぎ笑い続けるならば、皆の者よ、この身と共に嘆くがよい!」

 

 口から出た叫びは、俺自身の思考を介したものではなかった。

 まるで、力そのものから逆に導かれたように、無意識に紡がれた言葉だった。

 詠唱が求めるまま、後先を考えずに絞り出される魔力によって、限界以上に強化される肉体。

 躍動して断裂する筋肉を、光に焼かれる神経を、同様に駆け巡る治癒の力が強引に修復している。

 当然、長くは続かない無茶だ。たまたま噛み合う力の使い道があって、それによって少しだけ目こぼしされた類の超越に過ぎない。

 だが、それでもいい。速く、一秒でも速く、今を駆け抜けて――――届いた。

 

「――!」

『ぎっ?』

 

 一閃。

 兵士の盾ごとその腕を貫き釣り上げようとしていた鋏角の一本に、渾身の一撃を叩きつける。

 比較的柔らかいと思われた関節部分に正確に吸い込まれた刃は、しかし、ただその鋏角を衝撃によって震わせるだけに落ち着いた。 

 ――まあ、そうだわな。そう簡単に届くなら、世話ねぇわ。

 幸い、その衝撃によって鋏角の先から兵士が抜け落ちた。

 

「――っぐッ! 逃げろぉ!」

「うぐっ」

 

 二人まとめて薙ぎ払おうとするもう一方の鋏角の横払いを、剣の振り上げによって打ち払い――切れず、身に沿わせるようにして逸らしながら、尻餅をついている兵士を蹴り飛ばす。

 

「があ゛ア゛ッ!」

 

 あらゆる感情を押し込むための叫びを上げながら、縦横無尽に振るわれる二本の鋏角を次々と打ち下ろし、切り上げ、剣の峰で受け流し――その全てで満足な結果を出せず、ただでさえ勝手に自壊しかかっている体にダメージを蓄積させていく。

 

『ぎはっ! ぎははははっ!』

 

 こいつ、相応の知能がある。遊んでやがるな。

 ……だが、それでいい。そうだ、俺はお前の玩具だ。精々人形遊びに夢中になってくれ。

 お前が飽きる頃には――ッ!?

 

「づあッ!」

『ぎぎぎぎっ!』

 

 少しだけ速度の上がった一撃……縦に跳ね上げるように一気に振り抜かれた鋏角をいなしきれず、左肩が抉られた。砕かれた骨が内側に突き刺さるのを感じる。

 銀級相当の防具が備えた魔力防御なぞ、こいつにとっては無いも同然……いや、違う。逆だ。防護が無ければ、強化魔術が無ければ、余波で上半身ごと吹き飛んでいる……!

 

「ぐううぅ!」

 

 吹き飛ばされた体を空中で捻り、剣を地面に突き立てて制動をかける。いくらか地面を滑りながら、掠った衝撃で留め具がイカれた兜のバイザーがそのまま外れてどこかへと転がって行った。

 要らねぇな、もうこれ。

 

『ぎぎ――』

 

 獲物を前に舌なめずり。

 圧倒的強者にのみ許された振る舞いを、その異形が余裕をもって楽しんでいるのを感じつつ、こちらもこちらで息を整えながら兜を剣の柄に引っかけて脱ぎ捨てる。

 

『ぎひっ――ぎっ?』

 

 べろりと、俺の血が付いた鋏角を巨大な舌で舐めた異形の体が、一瞬停止した。

 

『ぎぃっはははっ! ぎはははははははぁぁ~!!!』

 

 大笑いと共にぶるんぶるんと巨大な身を跳ねさせ、明らかな歓喜を示す異形。

 その口からは大量の涎が溢れ始めていた。

 

 ――ああ、お前もか。本当に、本当にキモいなこの世界。

 

 深い諦観と同時に、怒りが沸々と湧いて来た。

 こんな化け物に、勇敢さを示した兵士たちの亡骸が。

 興奮を覚えた下劣で醜悪なものによって足蹴にされている。

 穢されているのだ、彼女たちの輝ける魂が。

 許し難い冒涜だ。

 だから……。

 

「死んで詫びろ、魔物」

 

 我ながら言葉だけは立派ながら。

 眼前の怪物と比べれば俺の姿はあまりにも脆弱で、いっそ滑稽ですらあっただろう。

 力で立ち向かうことが叶わないのであれば、俺たち人類が抵抗を示せるのは、その意志によってのみだった。

 元より、時間稼ぎだ。俺のような紛い物ではない、()()の輝きがこの化け物を焼き尽くすと、そう信じている。

 今しばらく、その瞬間までは、剣を振るい続けて見せる。

 ()()()の子、それにすら成り損ねた者の足掻きに過ぎずとも。

 

 けれど、大言壮語で心を奮わせなければ、この身の震えは止まらないだろう。

 だから、ああ、どうか――力を貸してくれ。師匠。

 

「そして知れ」

 

 孤狼と呼ばれた女、アイリーンの剣を。

 彼女の()()が示した、その道を。

 

 ――耳鳴りの中、遥かなどこかから、遠吠えが聞こえた気がした。

 

 

◯◯◯

 

 

【旧ルーメオ騎士爵領】

 当主が不慮の事故に遭って没して以降、今は誰にも管理されることのない無人の空白地帯となっている。

 いずれ戦勲を得た新たな騎士爵か女爵に下賜されるか、あるいは周辺の領地拡大に呑み込まれるだろう。

 

 もはや訪れる者もいないはずの地で、苔むした墓に供えられた真新しい花々と、数年ぶりに刻まれた一人分の足跡と共に。

 

 

 

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