異種族だらけの貞操観念逆転世界で剣を振る 作:付呂無権左衛門
大いなる力が巡るこの地では、世に生まれた「武器」が後天的な変質を起こす場合がある。
材質的に有り得ない不可思議な硬度の上昇や、特定の魔術現象を発生させるようになるなどの分かりやすい「力」の獲得に始まり、果ては物言わぬまま一種の自我らしきものを宿す事例まであると言われている。
この変質現象はあらゆる武器に起こり得るとされているが、防具など装身具に宿る魔術防護と同様、魔力を内包した物質から作られた武器で殊に多く見られる。
連邦の魔術協会はこれを「魔性化」と名付けて研究を続けているが、神殿の関係者は神の御業と定義した上で「霊装神化」と厳粛に崇め、半ば不可侵の事象として扱っている。
一方で国家や貴族、冒険者など、純粋に武器を、ひいては「力」を信奉する者たちは「進化」「覚醒」「魔剣化」などと各々で安直に呼び、かつ自らの死活問題として俗に求める傾向が強かった。長い歴史を誇る貴族であれば、それぞれの家に伝わるそれら変質した武器の保有数が一種のステータスにもなるほどだ。
だが、そのように立場と共に思惑が異なる彼女らにも、変質現象の発生条件については共通した見解が存在する。
一つは、長年に渡って担い手の強い想念に晒され続けること。
一つは、数多くの魔物の血肉と魔力を浴びること。
最低でもこの二点が必須である、と。
その成り立ちがゆえ、武器が変質した際に宿る力は、魔を払う福音にも、魔に憑かれた災いにも成り得る。
今、人類の脅威に立ち向かう一人の剣士を生かしている力は、そのどちらなのだろうか。
◯◯◯
【アイリーンの大剣】
かつて孤狼のアイリーンが振るっていた細身の大剣。
隻腕であった彼女が扱い易いように、素材には軽量な銀魔鉱が用いられている。
元は素材相応の強度を持つだけのありふれた「品質の良い武器」でしかなかったが、
アイリーンの弟子が受け継ぐと、ある概念的能力が具現化した。
この剣は、決して折れることがない。
担い手の心が折れないかぎり。
だがそれは受動的な力の発露であり、万物を斬り裂く刃には成り得ない。
――愛しき者が求め続けた闘争に、愛しき者が求め続けた子が臨むなら。
――苦難の時も安寧の時も、全ての愛しきものたちに寄り添い続けよう。
そうあることを、剣が自ら求めたがゆえに。
我が新たな担い手、
だからどうか、振るい続けておくれ。
◯◯◯
静まり返った大地の上に、戦慄を伴って風を切る音と、甲高い音が響き渡っている。
一時的に機能を喪失した左腕の存在を物ともせず、ユウヤは異形からの攻撃を捌き続けていた。
まるで何か重い枷から解き放たれたかのように、本来の姿を取り戻したかのように。
単純に敵手と比較して半分の手数しか持たない彼は、剣だけではなく過剰なまでの体捌きをもって相対するしかなく、それは舞い踊る姿のようにも周囲の人間の目には映った。
どこか美しく、けれどあまりにも残酷な、足取り軽やかな断頭台への行進として。
誰もが息を飲んでいた。誰もが動きを止めていた。
まだ五体満足な兵士や冒険者たちだけではなく、抑えにかかる側近を振り払おうとしていたレイネラさえも。
辛うじて重症者のうめき声をあげ、彼女らを助け起こそうとする者たちが必死に、しかし静かに駆け回っているだけだった。
魅入られていたから? 無論、それも理由の一つではある。
あの独り戦う剣士の正体が男だったから? 最前線にいた者たちの幾らかは、当然その事実に気づいたことで思考が停止している部分もある。
しかし結局のところ最も大きな理由は、あまりにも単純かつ当然の話だ。
誰も
今この瞬間もユウヤが生存しているのは、敵――あの恐ろしい異形自身がそれを望んでいるからにほかならない。
異形にとって、目の前の哀れなまでに小さな命ひとつ、ただ破壊するだけなら造作もないのだから。
剣技と武器さえ優れていれば対応できる程度の優しい攻撃だけではなく、その数百メートルを一瞬で駆け抜ける巨体という質量兵器を用いれば、ユウヤの命脈は敢えなく尽きる。それは鋏角の扱いに少しばかり本気を出しても同じことだった。
異形は、少なくとも
ユウヤの戦いが、そんな
犠牲の上で勝利を得るべき立場の者でさえも。
死力を尽くして戦う姿に反し、儚さすら感じる、脆く美しきもの。
その花を、一体誰が自らの足で踏みつけられよう。
そんな真似ができるのは、まさしく人ならざる化け物だけだ。
『ぎぎぎ――』
異形が嗤う。びちゃびちゃと涎を撒き散らしながら。
それは疑いの余地なく、上等な食事を前にした生物の反応だった。
だがその食事が決して言葉通りの意味ではないことを、この場でただ一人だけが正確に理解している。
もっとも、それもやはり無意識の上でのことではある。表面的には、ただ言い知れぬ怒りと嫌悪感が湧いて来ているだけ。
状況を把握した上で、冷静に狂い始めていたのは彼女――アルジェンナの奥底に目覚めたものであった。
あの虫けらは、欲情しているのだと。目の前に立つ者が雄であるとを知り、その最高峰の味わいを知り。
虫けら如きが、今まさに下劣極まる雌そのものの振る舞いをしているのだと。
拒絶する雄を力づくで押し倒し、抵抗の意思をさらなる暴力によって捻じ伏せ、人がましくあるための衣服を獣のごとく剥ぎ取り、恐怖ゆえに湧き出た雫に汚らしい舌を這わせ、締め上げて屹立させた男根を己の穢れた雌穴で咥え込む……雄を舐り、
あの
ならばその醜悪な心身に相応しく、相手が無力にも足掻く様を楽しげに堪能すらしようというもの。
「ああ」
到底、許すことはできない。容認し得ない。
「あァ……」
アルジェンナの全身に激情が満ちて、巡る。
身を掻き毟りたくなるほどに虫唾が走る不快感。
己の最も大切なものに蟲が
奥底より滲み出たのは、焦熱によって溶け落ちた岩のように粘り気を伴った、煮えたぎる
『――――――』
アルジェンナの口の中で紡がれた呪わしき言葉を聞き届けたのは、ただ世界のみだった。
たとえ側に立つ誰かが耳にしていても、その意味を解することはできなかったが。
『――――――』
車輪が逆巻かれる。
彼女が主と定めた者から受け取った精気を咀嚼し、その精神の表層に触れ、一つの定形を得ようとしていた力。
それが急速に指向性を持ち、明確な結果を齎すための実を成らせる。
主のため。主のため。主のため。
「その男は、私のものだ――!」
アルジェンナから噴き出した銀色の魔力がうねり、弾丸となって異形の巨体に吸い込まれる。
『ぎっ――?』
目に見える変化は起きない。物理的な破壊を生む力ではないのだから。
だがその効果は劇的で、また破滅的だった。
『ぎぎっ!?』
ずんっ、と。異形は自身の体が重たくなったのを感じた。
少なくとも、防戦一方だったユウヤがその隙を逃さずに攻勢へと転じられるほどには。
「――ッ!」
『ぎィッ!』
それでも、ユウヤの刃は未だ届かない。
しかし、機を捉えて彼が放った会心の一撃が鋏角の表面に傷を生む程度には、明確に異形の力が損なわれていた。
――アルジェンナのその力は、本来は戦闘に用いるために醸成されていたものではない。
ただ、彼女の望みを、彼女の主の望みを得やすくするため、そして彼の恐怖や忌避感、彼を脅かすものを少しでも取り除くため――つまり、
無論、本来であれば駆け出しの魔術師が放てる程度の弱体化魔術が、遥か格上の相手に影響を及ぼす道理など存在しない。
ゆえにこの力は人類が扱う魔術に由来するものではなく。
また格を論ずるのであれば同格にして同種、あるいはそれ以上の
「うッ、ぇはッ」
そしてこれもまたある種の必然として。
たとえそれが自身の本質に根ざしたものであろうとも、人の身に余る力の行使の代償は、耐え難い身体負荷となって現れた。
内臓が裏返るような感覚に膝を屈したアルジェンナは、意識が闇に落ちるその瞬間まで、愛しき背中を見つめていた。
◯◯◯
視界の端、兵士たちの向こう側でアルジェンナが倒れたのが目に入った。駆け寄るドロテの姿も。
「……ッ!」
だが、俺の心に乱れはなかった。つまり、剣筋もまた意図した通りに描かれ続ける。
「シぃッ!」
『ぎっ、ぎ――』
理由は分からないが、アルジェンナが一応は無事であることを俺は
彼女が撃ったらしい魔術の余波や影響だろうか。俺と彼女に何らかの繋がりが存在しており、それがアルジェンナの命がまだ確かなものであることを伝えてくれていたのだ。しかし、間違いなく弱ってはいる。
「フゥッ……!」
『ギィッ!』
逸りかける気持ちを冷静に押さえつけて、ただ剣を振る。今の俺には、それが可能だった。
陳腐な言い回しだが、死が近くにあるからだろうか。
俺の中の
平時では考えられないほどに頭の中がクリアだった。
星々が瞬くように途絶えぬ剣戟。
呼吸の間すら惜しいほどに連続した刹那。
楽しくはない。
面白くもない。
ああ、だが――気分はいい。
そら、お前、どうやらもう終わりだぞ? 化け物。
「オオオオぉぉッ!!」
横から飛び込んで来たレイネラ・レーンダルが気合一閃。上段から思い切り振り下ろした剣には、彼女自慢の風の魔力が込められていたのだろう。ドパァン! と水分を含んだものを弾けさせるような音を立てながら、目の前の怪物――クチムシとでも呼ぶか――の脚を何本か吹き飛ばしていた。
ついでに俺も一本、貰っておく――!
「――!」
左の鋏角の関節部分に掬い上げるようにして下から一撃――だがこれだけでは断ち切れない。レイネラの攻撃に相手がよろめいたのを追いながら、関節の側面に刃筋を滑らせるようにして振り抜く。
勢いを維持させつつ、ひらりと体を一回転させ、再度、同じ関節部分に向けて上から振り下ろした。
一刀二閃、割断に至る。
『ギギギィイ!!』
突如連続して与えられた痛打に狼狽えて、クチムシが大きく後退った。
「ぜぇい!」
すかさずレイネラが離れたクチムシに向けて剣を振ったかと思えば、その先で小さな竜巻が三本生まれ、クチムシに向かって殺到した。大きなダメージは無さそうだが、その場に縫いつけることには成功しているようだ。
……はあ、すげぇなこりゃ。
「すまない、遅くなった。無事か?」
「――ハァッ、はぁ……はい。感謝いたします、代官様」
「ん……うむ」
斜め前に立ったレイネラが軽く視線を向けてきたので、折り目正しく返しておく。まかり間違っても無礼打ちなんぞ御免だからな……。
レーンダル子爵家の者なら師匠の名前を出せばあるいは、かもしれないが。それも確実じゃないし。
息を整えながら軽く後ろを見ると、負傷者を回収しつつ全軍が撤退に移っているようだった。
懸命だろう。あれは、銀級以下の者がいくら寄り集まったところでどうこう出来るものではない。肉盾にすらならず、極めて純粋なマイナス要素、足手まとい。……俺を含めて。
「なんらかの魔術が通ったのか……今のあれは弱まっている。あるいはこの地にまだ馴染んでいないのか。だとすれば、お前が時間を稼いでくれたおかげだろう。よくやった」
……いや、違う。原理は不明だが、あれを弱らせたのはアルジェンナの力だ。
しかし今ここでそれを殊更に訴える意味もない。
「下がれるか?」
「はい、なんとか……。――ッ」
クチムシが竜巻を打ち破った。
レイネラが剣を構えて出方を窺い、俺もまた剣を構え――。
「――ぁ」
膝が地面に着いた。発動していた全ての魔術が停止し、体中に生まれていた傷からの出血が強まる。
くそ、ガス欠……初めての魔術行使だったから読めなかった。およそ三分……咄嗟の無茶にしては保ったほうだろうか。
体が鉛のように重い……。剣を支えにして体を起こしているのがやっとだ。
「っ!」
「気遣い無用! 今は、アレを――」
こちらの動揺を狙ったわけではないだろうが、俺が崩れたのと同じタイミングで、クチムシがこちらに横腹を見せた。
その行動の意味を推察する間もなく、クチムシの体表の至るところ――斑点のような模様に見えていた部分が
一瞬、怖気に捕らわれる。その斑点は全て、無数の口だったのだ。
『キィヤアアアアアアアアアアアアア!!!!』
クチムシの身に現れた全ての口が悍ましい絶叫をあげて、衝撃波を生む。
咄嗟に口を開けたが、耳を塞ぐのは間に合わず……耳の中に走った激痛と空気の震えを捉えられなくなった感覚が、聴覚の喪失を教えてくれた。そしてぼやけつつも回転する視界が、自分の身体が木の葉のように吹き飛ばされていることも。
……クソが。辛うじて意識はある。だが、体の中まで軒並みズタズタだぞ、これは……。
「がっ、げぇッ――ぜひゅっ」
肺が……クソ……。
どうにか前方へと首を向けると、前傾姿勢で衝撃波に耐え切っていたらしいレイネラに向かって、クチムシが馬鹿みたいに跳び上がってその巨体全体で襲いかかろうとしているところだった。
避けろ、逃げろ。瞬間的にそんな益体もない言葉だけが脳裏を掠める。
そして――。
レイネラの身は、横から飛び込んで来た影に疾風の如く攫われた。
クチムシが地面にダイブして大きく揺らすのと同時に、既に距離を取っていたその影が直角に空へと飛び上がる。
……ああ、間に合ったのか。カータ・ルゥニオー卿、その颯爽たる活躍は、まさしく
クチムシが二人を追うようにしてその口先を上空に向け、そこにカータが腕を振って弾丸のように射出した羽根が何本も突き立つ。と同時に、全ての羽根が魔力爆発を起こした。
人体の部位程度なら容易に丸ごと吹き飛ばすだろう威力だろうと、肌にビリビリと伝わってくる衝撃から確信できた。
あの羽根一本一本が前世の兵士が扱っていたグレネードのようなものだと考えると、まるで人間クラスター爆弾のような恐ろしさだ……。
そんな近代兵器さながらの攻撃を受けて恐らくは絶叫をあげ、身を捩るクチムシ。そして奴が体勢を整えるよりも先に、森の中からデインガグを思わせる巨躯が走り出してきた。
だがその全身は誇らしいまでの甲冑に覆われており、鎧を構成する磨き上げられた鱗が陽光を受けて鈍く輝いている。
メグ・ギー・ギーチャ卿。彼女が手に持ったハルバードを地面に叩きつけると、大地はまるで怒髪天を衝くようにして巨大な棘の波を作り、クチムシの体を貫いた。
『――――~~~!!』
クチムシは激しく身悶えして大地の棘から逃れようとするが、それを咎めるように、次いで上空に踊り出る姿がある。
背中にかかるほどの黒髪を風に靡かせながら右腕を振りかぶったのは――頼もしき金の輝き、ニギレア。
ジェット噴射でも搭載しているかのように空中で不自然に加速したニギレアは、彼女自体が砲弾となってクチムシの背中を殴りつけた。
――爆風。
レイネラが放った投槍が起こしたそれに似た、しかし倍するほどに強大な嵐がニギレアを中心に巻き起こり、遂にクチムシは体を千々に散らせて崩壊したのだった。
……まったく、遣る瀬無いったらない。
俺の死力を尽くした行ないなど、彼女たちからすればそれこそ吹けば飛ぶ程度のものでしかないのだろう。
だが同時に、その鮮烈な有り様は、深い安堵を与えてくれるものでもあった。
いつかを思い出す。
無力な己。暗闇の中に沈む自分。そこから掬い上げる誰かの手。
「ぁ――ぃ……」
体が揺れ、形を成さない言葉が口から漏れる。
目を開けると、いつの間にか俺はギーチャ卿に抱き上げられていた。そして彼女の手が忙しなく俺の体のあちこちを滑っており……これは、糸……? なるほど、蜘蛛だから……。それで止血してくれているのだろう。
顔を傾けると、ニギレアが目に涙を浮かべながらこちらを覗き込んでいた。
百歳超えの金級冒険者が泣くなよ、このくらいで……ってこともないか。
「ぅぶっ、ぁるぇぅあおぉ……ぁのう……がっ、ひゅっ」
呂律が回らない。血が込み上がる。呼吸もままならない。伝わっただろうか。
こくこくと頷くニギレアを、今は信じよう。
さすがに、つかれた。けど。
師匠、悪いけど、そっちに行きそうになったら、蹴り返してくれよな……。