異種族だらけの貞操観念逆転世界で剣を振る 作:付呂無権左衛門
「つまりね、師匠。人生に本質的な意味や真理など無いと、その人は喝破したんだよ」
夢を見ていると、すぐに気づいた。
気づいたが、しかしその自覚が夢の中に何か影響を与えたわけでもない。
明晰夢の一種なのだろうか。ぼんやりと、そんなことを思う。
夢に描かれている光景は、ここ数日ほど利用していた宿の部屋だ。けれど所々の意匠が異なっていて……というか、認識できなかった。師匠と暮らしていた山小屋の台所が横にくっついていたから、色々な記憶と混ざり合っているのだろう。
幼さが抜けかけている頃の俺が身振り手振りを交えて語る相手は、椅子に腰かけてコーヒーを口に運んでいる、愛しき隻腕の影。
その年齢相応に皺が刻まれた表情は、笑っているようにも、つまならそうにしているようにも思えた。
あの人はよく笑っていたけれど、たぶんこういう話は好かなかった――というか、有り体に言えば脳筋タイプだった。ちゃんと思慮深いところだって、当然あったが――から、どちらであってもおかしくはない。
曖昧な景色の中で俺は語っている。「神は死んだ」と鮮烈なフレーズを世に残した、とある哲学者の言葉、その思想を。
そういった神やら何やらに良く言えば寛容、悪く言えば無頓着だった前世の故国では、言葉だけが色々と独り歩きしたりしていたのも、よくよく覚えている。
こちらの世界では見たことがない、似たものが存在するのかも知らないような
もしくは、俺自身が前世でコーヒーを好きだったから彼女にも気に入って欲しいなんて――そんな上品さは彼女の柄ではないと分かっていても、どこか似合うだろうとも思っていたから……そんな幼稚な願望の現れなのかもしれない。
まあ実際に飲んでみたところで、酒のほうがいいって言ったんだろうけど。
「だからこそ、絶対の指針が無い道のりの中で、我々はどう在るべきなのか。その事実をどう受け入れて生きていくべきなのか。能動的か、受動的か、あるいは中立であるのか。考えて、実行しなければならない。これを虚無主義と言うんだ。師匠の人生哲学は、分類するなら能動的なスタンスに重なる部分があるね。だから、俺も好きだよ。ちょっと刹那的快楽に寄り過ぎてる気もするけど」
ひとりで盛り上がりながら、賢しらに語る小僧。理性のブレーキどこ行ったんだろうという感じだが、夢の中ならばそういうこともあるだろう。冷静に俯瞰している俺からすれば堪ったものじゃないが。
ああでも、この年齢――思春期手前の頃は、確かにこんな調子だったかもしれない。
前世も合わせるとこの時点で自認する体感時間は三十年を越えていたはずだが、一度その連続性はリセット……というより、どこか破損してしまったような自覚もある。色々なものが目の前で壊れていった、あの時に。
とはいえ、どちらにせよ、これは実際の過去の記憶というわけでもない。
俺はこんな話を師匠にしたことなど無いから。
そもそも虚無主義を象徴する「神の死」自体が、誤解を恐れずにざっくりと言えば、科学の発展によって旧来の信仰や、それを根幹とする物事が揺らいだ流れに伴う神学の話だ。神、ないしそれに相当する超常の何かが実存するこの世界においては、あまりにも意味不明、というか普通に異端で異常である。話すわけがない。
もしかすると実際にこの世界で我々人類が歩む道には、上位の存在によって何かしら目的でも与えられているのかもしれないし。
今のところそれを確かめる術が無いという点においては、前世と同じだが。
「わけ分かんねーこと言ってんじゃねぇぞ、クソガキ」
「あうちっ」
ぽこん、と、剣の鞘で叩かれた頭が、軽快な音を鳴らす。
児童虐待、反対。
「くっちゃべってねぇで、薪割りしてこい」
児童労働も、反対。
「へぇ~い」
頭のてっぺんを擦りながら部屋の外へ歩き出す、夢の中の俺。その反対側へと、俺自身の意識も少しずつ遠のいていく。
小生意気なガキを見送りながら剣を置いて、残ったコーヒーを飲み干して盛大に顔をしかめた彼女の姿も、何か眩しいものの中に薄れ始めた。
「にっげぇ」
やはり、お気に召してはいないようだ。
「――で? 能動的だろうが消極的だろうが、なんでもいいがね」
シニカルに……いや、
そんな笑みを浮かべつつ、遠ざかる影が問う。
「結局、楽しくやれてんのかい」
……さあ、どうかな。
咄嗟にそんな
ようやく心を決めて足を踏み入れた町での生活は、まだ僅か半月程度で、挙げ句にこの有り様だし。
嬉しい出会いは幾つかあったよ。俺なんかには勿体ないと、断言できるほどの。
総じて、そこそこはやれていると思う。でも、まだどうしても、
我ながら贅沢なことだとは思うけど。
だって、あんたがいなくなってから、まだ半年も経ってないんだよ。
オートバイでもあれば、ひたすらかっ飛ばし続けてるさ。たぶんな。
まあ、でも。なんであれ。
彼女への回答は一つだけだった。
「うん」
「……そうかい」
噛み締めるように、アイリーンは笑っていた。
――少しは、安心させられたのだろうか。
でも、これは夢だ。ただの夢でしかない。
だから、そう、それこそなんの意味もないこと。
俺自身の頭の中だけの話で、自慰行為にすら等しい。
まさに夢と幻、偽りの仮象。
分かっている。分かっているから、俺はそれを超えていかねばならない。
ああ、されど。自らを抱く深き海を失って、そこに生きていた者が溺れずにいられる道理があるのだろうか。
「……またな。師匠」
見上げれば、光。
◯◯◯
「…………うぉ」
「ご主人様っ」
目が覚めた瞬間、じっとこちらを見つめる顔が眼前にあり、思わず声を漏らす。アルジェンナであった。
首を抱くように飛び込んで来た彼女は、しかしこちらへ一切の体重をかけていなかった。
その後頭部を片腕で撫でながら、周囲に視線を巡らせる。
……どこだ、ここ。
記憶に残る
「……どう、なった?」
「……あれから、二日経ちました。ご主人様が刃を交えた特殊個体も、山中の指揮官個体も討伐が成功し、今は後処理に入っているようです」
「ここ、は」
「代官様のお屋敷です。特殊個体の討伐に貢献されたご主人様を遇するため、と、大変なご厚意を」
特殊個体……あの
いや、貢献と言うなら、それよりも。
「ありがとう、アルジェンナ。お前の、おかげ……だろ? 助かった」
「――勿体ないお言葉です」
守るだなんだと偉そうに掲げておいて、このザマ。情けない。
「あの時の、力は……」
「申し訳ございません、詳しくは、私自身にも……」
さらに聞けば、ニギレアとも相談の上で、軍への報告もそんな感じで済ませたらしい。
魔術を撃ったこと自体は周りにも認識されてしまっていたが、本人が直後に気を失ったこともあって「無我夢中だった、よく分からない」が存外にあっさりと通ったようだ。
それでもこれが一介の野良冒険者であればもう少し根掘り葉掘り、あるいは強めの囲い込みや調査があったかもしれないが、そこはニギレアがチームの仲間であると公言して保証人のような立場になっていたことが上手く働いたようである。
ニギレアは伯爵だけではなく、代官のレイネラ・レーンダルとも直接の面識があるのだとか。合縁奇縁というか……。あとで詳しく聞いておかねば。
とりあえず、落ち着いたら冒険者
ちなみに当のニギレアは、諸々の後処理に駆り出されているそうだ。
「ぐっ」
「ご主人様っ、あまりご無理は……」
身を起こして、改めて自分の体を確認する。
代官に仕える腕の良い治癒術師がしっかりと処置をしてくれたようで、傷自体は全て塞がっている。
だが、俺自身の無茶が過ぎたのだろう。体の芯の部分までは治癒魔術が上手く働かず、今は自然回復に任せるほかになさそう、という見立てらしい。
それを、体を支えてくれているアルジェンナから聞く。
「水を頼む」
「お持ちします」
「いや……」
「ぁ――」
離れようとするアルジェンナの手を取って、その指を軽く咥える。
意図を理解したのか、軽く身震いした彼女は、指先で細やかに水を生み出してくれた。
「……」
「……ん」
十分に喉を潤したあと、彼女の指を解放する。蕩けかけた瞳は恐ろしいまでの淫靡さを湛えていたが……今はピクリともしなかった。
それでも、ただ強く抱き締めたいと……今も心の底から思えている。
溺れたいからなのか、溺れたくないからなのかは、判然としないが。
さておき、とりあえず。
「何か、食事を貰ってきてもらえるか?」
「――は、はいっ。ただいま」
そうだった、と足早に退出していくアルジェンナ。焦らしてごめんね。あと人様の家だし。
それに水分こそとりあえず摂ったが、丸二日も寝ていたとなればそれなりに不足している。色々なもの、体力とか、気力とかが。
更に一つ分かったことがある。どうやらこの体、死にかけるほどのダメージを受ければ、それなりに大人しいままでいてくれるらしい。
いっそ常に瀕死の重体を目指してみるか? なんて、あまりにも馬鹿な――けれど本音でもある考えが、頭を過る。
過る、が。
「それは、あんまり楽しくなさそうだなぁ」
ぼんやりした頭で考え続ける。
権力者の懐に自身の身柄が収められている、この状況が持つ意味を。
助けてニギえもん、って感じだが。まあ、なんとかなるだろう。
……なったらいいなぁ。
◯◯◯
ユウヤが目を覚ましてから更に数日が経った頃。
セルレイム領、領都セルン。伯爵邸の執務室にて、オーレリア・セルレイム伯爵とその腹心たる騎士長カリンが言葉を交わしていた。
「三つの領で、パインスラーグの周辺域が魔界化した、か」
パインスラーグ山脈沿い全域で発生した境界侵蝕に伴う戦闘、及び調査が完了し、周辺領主間では速やかに情報が共有された。
その結果の要点の一つが、オーレリアが重苦しく呟いた内容だった。
「いずれも自然死したナーデリアンの死骸が楔となったと見られており……つまりこれは、
ナーデリアン。
此度の侵蝕で記録上初めて確認された、八脚の女王アデラー・ナーデの系譜と見られる魔物。それに神殿が付けた名である。
しかし、これは暫定的なものである。そもそも、確認された限りでは一つとして完全な同種と思われるものがいなかった。
各地に現れたそれらの外観は、いずれも人間の一部位を極端に冒涜的かつ象徴的にした作りで、共通していたのは素体が巨大ながら芋虫のように細長い形状であったという点のみ。その頭部と尾部が人の指であったもの、脚の代わりにやはり人の指が付いていたもの、毛のように無数の乳房を生やしていたもの……どれもこれも子供の悪夢が現実となったかのような姿であった。
「魔王の零れ落ちた垢……恐ろしいものね」
「はい。討伐に成功した他領の被害を鑑みれば、我々は極めて幸運だったと言えます」
神殿の見解は、ナーデリアンがアデラー・ナーデの直系の眷属である、というものだった。
その推測に相応しく、いずれの個体も、討伐には金級の冒険者を基準として五人以上の力が必要であったと見られている。
何ゆえそのような強大な力が突如として、かつ一斉に現れたのか。いずれも大きな鉱山、採掘地を中心に発生していたことから、そこに原因があると考えられているが……目下、関係各機関の総力を上げて調査中である。
「直接の戦闘で敗北した領はありません。しかし、主戦力が無傷で済んだのは当地のみでしょう」
一応、発生から二日もすると急激に戦力を落としていた模様、という報告もある。初遭遇がそのような段階だった領も存在していたことから、それなりに確度が高い。
また直接は確認されていないが、自然死のタイムリミットはおよそ三日から四日程度であったと今のところは見られている。これは魔界化してしまった領に対する調査の過程で生まれた推測である。
そして、セルレイム領では少し事情が異なる。
出現直後と思われるナーデリアンが、あまりにも速やか、そして鮮やかに撃滅されたから。
「その立役者が、冒険者、ユウヤ」
「あるいはアルジェンナ、ですね」
オーレリアが報告書を手に取る。
にわかには信じがたい、しかし人品的にも実務能力的にも最も信頼できるレイネラからの報告だ。信じざるを得ない。
とはいえ、ただでさえ提出された時点でも目を疑う内容であったのに、情報が整理されてくるに連れて更に現実味が薄くなっていくものではあったが。
オーレリア自身とも知己であるニギレアの存在と、その彼女が興味を示して仲間としていた、という点も補強する要素になっていた。
「単純に考えれば、やはり他領の例とは明確に違う一点が、事態の推移に大きな影響を与えた可能性が高いと思われます」
「戦場に立つ男の存在、ね」
レイネラの見立てとしても、ユウヤと交戦に入ってからのナーデリアンは明らかに異常な興奮状態であり、それでいて殺そうとはしていない様子だったと報告されている。
また、少なくないナーデリアンが明らかに人類を侮り弄ぶだけの知能を持つ挙動を見せていたことは、他領からの情報で窺えている。それを踏まえれば、人間の性別を認識して行動を変えていた可能性というのも、そう突飛な推測ではなかった。
アルジェンナの魔術については、これも悩ましい。タイミング的にナーデリアンに何らかの影響を与えたのはほぼ間違いないのだが、後日改めて確認もされた術者の実力を計算に入れると、あまりにも理屈に合わない。
セルレイム領に現れた個体が特別に弱体化などの作用に弱かった、といった理由も考えられるが……。
「……」
オーレリアは考える。
今回の事態を。近く、また起き得ることなのか。であればその対策は、
男を矢面に立たせるなど、まったく女の風上にも置けぬ惰弱な振る舞いである。愛こそ同性のカリンに向いているが、人として、貴族として一般的な感性から、そのような矜持も染みついているのも確かだ。
けれど、あるいはだからこそ。
オーレリアは考える。人として、貴族として。為政者として。
「……そういえば」
ふと、カリンが口を開く。
「ギーチャ卿が大層興味を示していました、そのユウヤなる冒険者に」
「ふむ」
「いずれにせよ、戦功著しい者です。アルジェンナについてはまだ熟慮を要しますが、ユウヤが身を挺したことで犠牲が最小限に留まったのは紛れもない事実。彼がいなければ、レイネラ様ご自身か、多くの兵士たち、どちらかは間違いなく失われていたでしょう。……オーレリア様より、直接にお褒めの言葉をさしあげてもよろしいのでは」
「……そうね。まずは話してみよう。それにレイネラも一息つける段階でしょう。合わせて、手配を」
「御意」
ニギレアも側にいることだし、と。オーレリアは頷いた。
また、事態がある程度の収束を見せれば、フィルダンの首都にて緊急の会議が開かれるだろう。
それまでには会っておきたかった。
かくして、
◯◯◯
後に「パインスラーグ東部災厄」と呼ばれる大規模な境界侵蝕によって、多くの命が散った。
されど、日々、終わる命があり、始まる命があり。
健やかに育まれていく命もまた、ある。
「――マンズール神より、お言葉を賜りました。この娘、ブランディーヌに与えられし祝福は『超健康』なり」
「おお、マンズール神よ、司祭様、感謝いたします」
フィルダン首長国、とある地方のとある神殿にて。
それなりに名の知られた商人の娘が齢五を数え、
はたして、娘には宿っていた。素晴らしい祝福が。
商家の主は愛する夫と愛しい娘ブランディーヌを馬車で帰らせると、自らは別の馬車に乗って予定されていた商談へと向かう。
その最中、後継者への勉強として同道させている長女に、ふと零した。
「しかし、手放しに喜んでいいのやら」
「女の身では、苦労もあるだろうね」
「ううむ……早くに良き夫を見つけてやらねば」
「ちょっと、流石に私の相手が先じゃない?」
「ううむ……それもそうだなのだが……」
商家の主は、大変な子煩悩であった。
大人へ成りかけている目の前の長女も、次女たるブランディーヌも、腹を痛めて産んだ愛すべき娘たちである。
されど、されど、ちらりとあまり良くない考えが鎌首をもたげてしまうのも、また人の
「ブランディーヌが男に生まれていればなぁ」
「もう、お母さん」
「ううむ……」
ちらりとは、考えざるを得ない。
超健康。病魔と無縁になって長生きに繋がるだけではなく、大きな精力増強効果を持つという、珍しくもそれなりに知られた祝福。
幾度かは男の身に宿った例がある。
記録によると、男ならば『
これは大変なことである。普通はどうしたって、回数を重ねていれば薄くなるものだ。
商家の主、その夫も溌剌とした健康的な男だが、毎日三回もしていたらとても体が保たない。それこそ長女が出来る前などは、彼女自身が求めすぎる余りに夫からも窘められたものだ。
だって仕方ないじゃん。私がヤれるのだって三日に一回だったのだから。おのれ、妹。おのれ、我が友。と、本妻である商家の主は当時を反芻する。
ううむ、ううむ、と。取引先に到着するまで、彼女は唸り続けていた。
◯◯◯
【神の託宣】
神殿の司祭は、祈りによって神の意思を賜ることがある。
危機を知らせるもの、知識を与えるもの、祝福を伝えるもの。
天啓たるそれらは、司祭の心の内に明確な言葉として浮かび上がるのだ。
その偉大なる奇跡を前に、何の疑念を挟む余地があろうか。
己に意思を示したのは、真に己の信じる神なのだろうか。
まさか神の言葉が、偽りなのではないだろうか、などと。
一章、本話にて終了といたします。
「大体こういうお話しです」を示すため色々と詰め込んでしまいましたが、以降はのんびりと進める予定です。
続きは書き溜めてから始めたいと思うので、すみませんが少し期間を空けさせてください。
ただ、二章開始前に閑話や人物紹介などを不定期に挟む予定です。
もう少しだらだらとした後書き等は、Xのほうに投稿しておきます。
ここまで読んでいた皆さん、本当にありがとうございました。