未来も希望もない戦場で必死に生き残ってたらモテモテになった件(ハーメルン版) 作:SIS
<戦場のひみつ:驚異的な切れ味を誇る猟兵級の爪だが、これを武器に転用しようという試みは幾度か行われてきた。しかし、残念ながら実用に至った物は一つもない。生物としての新陳代謝がなければ、その切れ味を維持できないようである。ただ、それでも普通に鋭い刃物程度に機能する物はいくつか存在する>
わからない。何もかもが、わからない。
ただはっきりしているのは、ここでこれ以上考え込んでも意味はないという事だ。
「ネルス、そっちの兵士は?」
「はい。プロテクターのおかげで致命傷は避けています。ただ、重度の火傷であるのは変わりません」
「下手に動かさない方が良いな」
兵士二人を寝かせたまま対応しているネルスの傍らに、アレックスも膝をつく。兵士達はレーザーの傷に呻きながらも、意識ははっきりしているようだ。
「大丈夫じゃないのは分かっているが、どうだ?」
「……済まん、足手まといになった……。あっちの二人は……」
同僚を心配する兵士に、悪いと思いつつも首を横に振る。……首を綺麗に刎ねられたのでは、確認する必要も無く即死だ。
「そうか……。あんたら、司令部に呼び出されてた……なんだったかな、遊撃隊……」
「ああ、そうだ。あの後この休憩室でちょっと一服してから戻るつもりだったんだが、そこで奴に出くわした」
「なんなんだ、あれは……?」
「わからん。初めて見る。異星生物かどうかもわからない……一応、外に離脱したみたいだが、戻ってこないとは限らない。司令部に連絡して警戒態勢を取る必要がある。手当を呼ぶが、証言も頼む事になりそうだ」
「ああ、それは問題、ない」
意識ははっきりしているようだ。だが、あまり動かさない方がよさそうではある。この場に救急隊を呼んだ方が良いだろう。
だが、この状況で単独行動する訳にはいかない。司令部はそう遠くない場所にあるとはいえ、ネルスを一人でいかせる訳にも、ネルスを置いてアレックス一人で行くのも、あまり良い判断とはいえないだろう。
首元に無意識に手をやって、ちっ、とアレックスは舌打ちした。首につける無線機はシャワーを浴びた後はずしたままだ。普段はちゃんとつけているのだが、今回は司令部に呼ばれるのが分かっていたので置いてきたのだ。見たところネルスも同じだろう。
となると、悪いが負傷兵のを借りるしかない。歩哨や巡回が通信装置を持っていない事もあるまい。
「通信機を借りたいんだが」
「いや、多分ダメだろう……。レーザーの当たり所が悪かった、壊れてるだろうな……」
「……みたいだな」
歩哨用の、通話機を耳に当てるタイプの通信装置は信頼性が高いが、物理的に破壊されてはどうしようもない。半ばで焼ききれたケーブルを見て、アレックスは身を起こす。
「ネルス、カバー頼む。……悪いが、廊下で寝てる奴のを借りる事にする」
「カカカ、カバーっていっても、私何もできませんよ!? あんな透明で素早い奴をどうにかできるのなんて隊長ぐらいですっ」
「あー。いや、俺もなんとかできる訳じゃないけど……じゃあ、俺が見張っとくから、死体から通信装置を取り上げてくれ。頼む」
「う、うぅ……わかりました」
乗り気ではないネルスを伴って、廊下に戻る。
少し時間が経ったせいか、あたりには血臭が立ち込めていた。ごろりと転がる首なしの死体からは、大量の鮮血が噴き出し水たまりを作っている。……コンクリートがうちっぱなしの床でよかった。これが磨かれたリノリウムの床とかだともっと広範囲が血に塗れていて、おまけによく滑る。
跳ねられた首は遠くの方に転がっている。視線がこちらに向いていないのにちょっとだけ安堵して、心の中で手を合わせる。
「ネルス」
「は、はい……」
実銃を構えて警戒するアレックスが前に立ち、ネルスが死体を物色する。ひぃー、とか、ごめんなさい……とかつぶやくネルスに、アレックスも内心気まずい。
「あ……」
「どうした?」
「ダメです。なんか、通信機も切られてます、これ……」
「……なんだって?」
想定外の報告に眉をしかめる。誤射で通信機が壊れたのはまあいい。不幸ではあるが、あくまで偶然にすぎない。だが、殺された兵士の通信装置もご丁寧に破壊されていたとなると、話は変わってくる。
異星生物は、人類の兵器や装備の意味合いを理解していないし興味もないというのが通説だ。こちらの攻撃に対する対策はしてくるが、あくまで経験則によるもの、というのが科学者の見解であり、アレックスも同意見だ。奴らは通信妨害はしてくるが、起動していない通信設備を丁寧に破壊して回る事はしないし、電力が人類の活動に重要だというのは理解していても、停止した発電装置を破壊しておく事もしない。何度か異星生物に占拠された基地を奪還したから、その事に疑いはなかった。
だが、今回は違う。使っていない通信装置を、それと理解した上で、使えないように破壊してきた。
今までとは明らかに違う。
本当に異星生物ではないのではないか、という疑惑が再び脳裏をよぎる。よぎるが、その疑問をアレックスは封殺した。
もし本当に異星生物ではなく、何らかの生物兵器だったとして、誰が、何のために、どうやって、という疑問に何一つ答えを用意できない。今、考える事ではなかった。
「……まいったな。どうするか」
アレックスが判断に窮した、その時だった。
ズシン、と基地全体が一度、大きく揺れた。
「なんだ……?!」
とっさに床に膝をつくように屈みこみながら、ネルスを抱き寄せる。
振動……爆弾か? さっきの透明な奴が仕掛けていたのか、他にも何体かいてそいつがやったのか? そんな疑問が浮かぶが、しかし、それを否定するように二度、三度と衝撃が基地全体に轟いた。まるで地震の只中にいるようだ、とても立ってはいられない。
「何、が……?!」
そしてついに。致命的な破断音を伴って、廊下が断裂した。まるで見えない刃物でぶつ切りにされたかのように廊下がひび割れ、寸断され、隆起し陥没し、通路としての繋がりが立たれていく。断線したのか照明が消えてあたりが闇に閉ざされるが、どこかからか起きる爆発やフラッシュが断続的にあたりを照らした。同時に、どこからか無数の人間の悲鳴や怒号も聞こえてくる。瓦礫や砂礫が押し寄せてきて、アレックスはとっさに顔を抑えた。
崩壊していく基地。その断裂を切り裂くようにして、地下から何かが生えてくる。
巨大な甲殻類の爪のような、青白い色合いの巨大な何か。今まさに基地を突き破って聳え立つ塔のようなそれを目の当たりにしたアレックスが目を見開いた直後、彼が感じていた重力の向きが横向きに変化した。
「なっ、あ……!?」
床は坂に、そして壁に。捕まる所もなく床にナイフを突き立てる彼の傍らから、首なし死体が滑り落ちていく。その先には、岩盤が避けた真っ暗な奈落が口を開いており、その闇の中へと死体が落ちていく。
「ネルス、掴まれ……!」
「……!」
必死にしがみついてくるネルスを抱きかかえたまま、突き立てたナイフに必死にしがみつく。
だが、うちっぱなしとはいえコンクリートに、とっさにそんなに深くナイフをつきさせるはずもない。それが何か業物であればあるいは可能なのかもしれないが、残念ながらこのナイフはそうではなかった。
再び、大きな振動が周囲を襲う。
その拍子に、浅く引っかかる程度にささっていた切っ先が、抜けた。
隊舎に残っていたミリシア達も、基地全体を襲う異常には気が付いていた。ガスマスクをつけて飛び出した彼女らは、激しい振動と崩落に見舞われる司令塔を目の当たりにして言葉を失った。
「何……?!」
激しい揺れに壁面にしがみつきながら狼狽する彼女たちの目の前で、土煙を上げて司令塔の構造が崩壊し始める。それと同時に、地面や司令塔を突き破りながら、巨大な鉤爪のようなものが生えてくるのを彼女たちは目にした。
そして地の底から聞こえてくる、身の毛のよだつような断末魔にもにた叫び声。
司令塔を崩壊させながら、何か巨大な物が地上にせり上がってくる。それは頑強なはずの地下構造を突き破り、崩落させ、隆起させ、司令塔に巻き付くようにして地上にその体を持ち上げる。
大きい。そして、長い。
巨大な蛇と、虫の合成体のような、得体のしれない巨大な怪物。その感情の伺えない瞳が、茫然と見上げる兵士達を見下ろす。
「うっそ……」
「なんで地下からオーガニックフォートレスが……」
困惑のあまり立ち尽くすミリシア達。だがやや遅れてミリシアが気が付いた。
「待って。うそ。だって司令塔には、隊長とネルスが……」
顔を青くして駆け出す彼女を、間一髪でアヤカが取り押さえた。肩を掴んで無理やり彼女を引き留める。
「落ち着け! アンタ一人が行って何になる!」
「離して! だって隊長が! 隊長が!!」
「ならなおさら落ち着け! あんたが行って何とかなる状態なら、あの人は自分でどうにかしてる! 今はこれ以上隊長の迷惑にならない事を考えろ!」
「~~~~~っ!」
何か言い返したくて、できないミリシア。そこにまだ彼女が冷静さを残しているのを見て取て、アヤカは「よし」と仲間たちに振り返った。
「とにかく整備班と合流だ」
「待ってください、合流といっても、合流して何を……」
「それは、だな……」
言葉に迷うアヤカ。彼女とて小隊長を務めているが、大局的な判断を下す経験が足りない。特にこういう異常な事態にどうすればいいのか、ぱっと出てこない。つくづくあの隊長は異常事態への経験値が高すぎだろ、と思っていたところで、不意に基地全体の放送装置にノイズが走った。放送前の空電。
『……基地の戦闘員に通達します。コード66が発行されました。全部隊は速やかに基地を放棄し、合流地点に向かってください。繰り返します、コード66が発行されました……』
コード66。
事実上の撤退宣言。司令部のできる最後の仕事。
この前線基地は放棄される。
アヤカはちらりと巨大な怪物に蹂躙される司令塔に目をむけた。あのあり様では司令部で生き残っている者もほとんどいないかもしれないが、それでも全滅する前に彼らはできる事をしたということだ。
反撃にしろ、撤退するにしろ、兵士達が個人個人で判断できるものではない。バラバラに行動しても、戦力の逐次投入と同じく、ただすり減るだけだ。
放送を受けて、基地の部隊が秩序だった動きで撤退を開始する。
「……方針が定まったのはいいが、これじゃ整備班の連中と合流する余裕はなさそうだな。適当な部隊に相乗りさせてもらおう。ほら、ぼさっとしてないで全員動け動け! 銃を忘れんなよ、これで終わりじゃない、間違いなく追撃が来る! 急いだ急いだ!」
“彼”は迷彩皮膜を展開したまま、一連の展開を崖の上から見つめていた。
眼下では、人間の部隊が秩序だった動きで撤退を開始し、地下から湧いてきた異星生物軍相手に交戦を行っている。思っていたよりも兵士達に動揺はなく、逆に無秩序に瓦礫をよけて這い出して来る異星生物の軍は思うよりも動けていない。これでは想定していた被害を与える事は難しいだろう。
命令一つでこれほど動きが違うものか。そう思うと同時に、自らの失態の大きさも痛感せざるを得ない。
発見されるとは思わなかった、というのは言い訳にもならない。経緯は偶然ではあったが、しかし同時に自分の気の緩みでもあった。光学迷彩を過信し、人類の横を無造作に通り抜けようとしたのは明らかにミス以外の何物でもない。
しかしあの人間。いや、人間なのか? 僅かな露呈を目の錯覚と疑わず間髪入れずに銃撃を撃ち込み、透明なままの自分の刃を防いで見せたのは今だ以て信じがたい衝撃だ。太刀筋は人間の訓練模様を見て取り入れたので、理屈でいえば防がれるのもまあわからないではないが、透明なままの相手にそんな事が出来るとは。
人間もたくさんいる。もしかすると見た目が似ているだけで違う種族だったのかもしれない。しばしば、そういった個体の報告があるのは知っている。
奴はどうなったのか。
普通に考えれば、いくら優れた個体であってもあの崩落に巻き込まれれば成す術はないはず。それでももし、まだ生き残っていれば……“印”が互いを結びつけるだろう。いまだかつて有効に働いたことのない機能だが、もしかすると日の目を見るかもしれない。
“彼”はそこで思索を打ち切り、踵を返した。次の任務が、彼を待っている。
ぴちょん、と水音が空洞に響く。
完全な闇の中、水の共鳴は貴重な情報だ。隣に立つ人間の心音が聞こえそうなほどの静寂の中では、僅かな音も大きく響く。ましてや、閉鎖空間であるのなら猶更の事。
なお、その隣に立つ人からは「いやわかるわけないでしょう、私、普通の人間ですよ? 隊長じゃあるまいし」と人外判定を食らったが。
最近、文字通り人間判定されてなくない? とアレックスは何度目かの心の涙をさめざめと流した。
そう。
“彼”も流石に死んだろうな、と判定した大惨事から、アレックスはネルスともども生き延びていた。
当のアレックスも死んだと思ったが、いくつもの偶然が彼らを救った。一つは、敵巨大オーガニックフォートレスが潜んでいたと思われる地下空洞に落ちた事、そこに水が溜まっていた事、その空間の大気組成が異常ではなかった事、そして先に落下した兵士の死体が緩衝材になった事、大小様々な要因が積み重なってアレックスとネルスは大きな怪我もなく生き延びた。落下途中で何かに衝突したりしなかっただけでも奇跡である。
しかし、流石にそれ以上の都合のよい展開は望めなかった。
気が付けば頭上も見えない深淵の底、明かり一つなく足元は水浸し。ガスマスクがあるので窒息死する心配は即座にはないものの、しかしいつまでも持つわけではない。通信装置もないので救援を呼ぶこともできない。さらに言えば司令部に呼び出されたその足だったので、非常用アイテムとかが入っているポーチを持ち合わせていないので、予備の弾丸も懐中電灯も食料もない。
つまり、アレックスとネルスはこの暗闇の中、出口があるとも限らない迷宮の地下構造の中を脱出しなければならないのだ。
普通に考えて、流石に詰みである。
が、アレックスの感覚だと、この状況は“まだなんとかなる”という判断になるらしい。
「水の流れが重要だ」
アレックスはネルスに説いた。なお暗闇の中でネルスがどんな顔をしているかはわからない。
「デュートリオンⅢは、惑星全体が渓谷になっていて、その谷に水が溜まっている構造だ。半面、地下水脈はそんなに多くは存在しない。つまり今俺達が歩いている地下空洞は、どこからか地表の水が流入しているって事だ。水の流れがその証拠。重力方向で下に向かって流れていくこの水の流れに逆らえば、少なくとも地表近くにたどり着ける」
「……いつまでも人間が通れるような道幅が続いているとは限らないと思うんですが」
「希望がない訳じゃない。地下に通じる洞窟は、数えきれないぐらい存在してる。それにほら、異星生物の連中がそこら中に穴を掘ってるはずだからな。そのどれかに繋がってれば地上に出られる。あんだけ派手に地面を揺らしたんだ、基礎工事もしてない洞窟なんて崩落して地下空洞と繋がってる可能性は高い」
「……その場合、異星生物と戦いながらの脱出になるんですけど」
「俺が何とかする。実績はいくらでもあるぞ」
「……はあ」
疲れたようにため息をつくネルス。が、その声色に絶望の色は薄い。
「隊長と一緒にいるといろんな事が馬鹿馬鹿しくなってきますね……」
「なんだとぅ。どういう意味だいそりゃ」
「褒めてるんですよー。絶望して座り込むよりはよっぽど建設的ですね、って話です」
「ははは照れるな。……っと、そこ。二歩先、崖になってる。踏み外すなよ?」
言われてアレックスの腰のベルトを掴む手に力が入るネルス。見えない。完全な闇の中で、おまけに水浸しでこけないよう注意するだけで精いっぱいだ。言われて目を凝らしても耳を澄ましても、目の前に崖があるなんてわからない。
「……隊長。実はホモサピエンス・コウモリとかだったりしません? 遺伝子改造されてるとか」
「耳はいいんだよ耳は。ていうか人をさりげなく人外呼ばわりするんじゃない、怒るぞ」
いいつつも、彼はネルスの腰に手を回して抱き寄せた。少しだけびっくりしたネルスだが、抵抗せずにアレックスに身を任せる。
「すまんな。思ったよりも道が険しそうだ」
「そ、そうですか……」
しばしためらってから、ネルスもまたアレックスの腰に手を回して抱き着く。ん? と声を上げたアレックスに、ネルスはどうせ見えないのに顔を伏せて弁明した。
「こ、こっちの方が、しっかりくっつける、でしょう?」
「あ、ああ。そうだな。一番いいのは縄かなんかでお互いを結ぶんだが、ないからな今。でも力を入れすぎるなよ、却って疲れる」
「はい、わかりました」
縄かなんか、と言われてネルスは自分の三つ編みを見る。そういうつもりで伸ばしていた髪ではないが、人間の髪は繊維としてはかなり強靭だと聞いたことがある。
しかし残念ながら、縄にするには短そうだ。
そのまま二人無言のまま、湿った地下回廊をひたすら歩く。
あたりは完全な闇のままだ。わずかな光のないこの空間でもし一人で放り出されたら正気でいられる自信はないな、とネルスは思った。同時にこの暗さだと、目を閉じているのと変わらない。そうなると自然、他の感覚が研ぎ澄まされていく。
流石に空間を聴力で把握できるほど人間をやめてはいないが、抱き着いた相手の体臭や服の繊維の触感、染み付いた血と炎の匂い、とくとくと肌の下で脈打つ血流を、ほんのりと感じる。
アレックスの脈拍は安定した同じリズムを刻み続けている。不規則に跳ねたり早くなったりするネルスのそれと違って安定していて、本当にこの状況でも動揺していないのが感じ取れる。彼は建前とかそうではなく本当に、この闇をなんとかなると思っているしなんともないのだ。
と、そこまで考えて、はた、とネルスは思い当たった。自分の感覚でも隊長の体臭が感じられるのなら、その逆はどうなっているのか、と。ぶわ、と嫌な汗が背中に噴き出した。
「あの、隊長……?」
「うん?」
「その……もしかして、匂ったり、します?」
ドキーン! とアレックスの心音が跳ね上がった。しばしの沈黙が続く。
ドッドッドッ、と早鐘を打つように血流を速めながら、ためらい気味にアレックスはくちを開いた。
「その……多分どう考えても俺が張り倒される流れだと思うからさ……ノーコメントでいいかな……?」
「……失礼しました」
お互いに藪蛇だった。
そのまま沈黙したまま道を行く。ただ言葉はないが、互いに流れる血流はトクトクトク、と少し早い。それは不快ではなくて、もっと強く感じられるようにネルスはしがみつく腕に力を込めた。
数十分ほど歩いたところで、アレックスが足を止めた。
「そろそろ休憩にしよう。そこにちょっと段差がある」
「え、でもまだ歩けますよ」
「駄目だ。自覚がないみたいだけど、大分体温が下がってる。ちょっと休憩しよう」
そう言われては仕方がない。先に段差とやらに昇ったアレックスに引き上げられるようにして、ネルスも身を乗り出す。
「そこ、壁があるから背中を預けても大丈夫。急に転がり落ちるような危険なところじゃない」
「あ、ほんとだ」
手探りで壁を確認し、背を預ける。その隣では、カチカチカチというマスクをいじる音が聞こえた。
「……セーフティに反応なし。このあたりの酸素濃度はまあまともみたいだな。少しならマスクを外しても大丈夫そうだ」
「あとどのくらいマスク、つかえますかね……?」
「もともとその場しのぎの代物だからなあ。周辺の大気状態がやばい時に自動的に機能するようになってるから普段はあまり意識しないけど、純粋な酸素ボンベとしての稼働時間はかなり短いからな。予備があればよかったんだが」
「流石に司令部に呼び出された時にポーチは持ってませんでしたからね……。食料も……」
ちょっとお腹すきましたよね、と嘆息するネルス。が、アレックスはごそごそと懐をあさると何かを取り出した。途端、立ち込める食べ物の香りに、ネルスは目を丸くした。
「って、隊長?! 何取り出してるんですか?!」
「非常食。故郷だと遭難に備えて、服の内側に保存食の袋を縫い付けておく風習があってな。ほれ、食べるか? 大分年季が入ってるが、食べられない事はないはずだ」
「ありがとうございます……。でもこれ、なんです?」
「木の根を調味液で煮た奴。喜べ、軍の食事じゃ絶対に出ない100%天然原料だ」
「……あ、ありがとうございます?」
それは食べ物なのだろうか、と思いつつも、背に腹は代えられないので受け取って口に含む。一口目の感想は微かに甘さと辛みを感じる繊維質の塊、といった感じだ。それをずっと噛んでいると口の中で少しずつ解れていき、同時にじわじわと染み出すような旨味を感じる。美味しい! という訳ではないが、滋養を感じる、とでもいえばいいのだろうか。こういう状況で口に含むにはなるほど、悪くないかもしれない。
「……美味しいとは違いますが、悪くない味ですね」
「だろう? 泣く赤子も口にこれをつっこまれると大人しくなるんだ。ウィンザードっ子の魂の味、という奴だな」
「へえー……」
体を寄せ合い、しばらく二人そろって無心で保存食を齧る。一通り食べ終わったころには足も休めたし、少し疲労もとれた気がした。
「ん。ちょっと体も温まってきたし、もう少し頑張るか」
アレックスがそう言って立ち上がる。そのせいで不意に隣にあった暖かさが失われて、それを惜しいと思いつつもネルスも身を起こした。この人に置いて行かれる訳にはいかない。いや、きっとこの人はそんな事をしないのだろうけど。
「ご馳走様でした。もう少し頑張れそうです」
「ははは。地上に戻ったらこんなもんでいいならいくらでも………」
「隊長?」
会話の途中で不意に言葉が途切れる。不審に思ったネルスの口元に、つい、と指が押し当てられた。
「静かに」
先ほどまでの朗らかな様子は完全に鳴りを潜めて、戦士の声色でアレックスが指示する。ぴりぴりとネルスでも感じられるほどの緊張感を漲らせた彼の手元で、がちゃり、と銃の動作音がする。レーザーピストルではなく、実銃の方だ。
「そこにいるのは、誰だ」
返事は無い。物音もしない。ネルスからすれば完全な静寂。
だが、アレックスにはそうではないらしい。闇の中に銃を突きつけながら、確信に満ちた口調で勧告を行う。
「隠れていても居るのはわかっているぞ。大人しく所属を言え」
「…………」
「黙ってやりすごせると思うな。こちらの勧告に従わないのなら、銃撃する。これは脅しじゃない、警告だ。3数える。3……2……1…」
ゼロ。
その直前、暗闇にまばゆい光が炸裂した。
<戦場のひみつ:異星生物との戦争において、人類皆味方……という訳には残念ながらいかないのが現実だ。盗人の類や火事場泥棒、大規模になれば海賊など、人類の後背を撃つような輩は枚挙に暇がない。盗難程度であれば捕らえた後懲罰部隊送りになるが、悪質な海賊などはその場で殲滅対象となる。>