未来も希望もない戦場で必死に生き残ってたらモテモテになった件(ハーメルン版) 作:SIS
<戦場のひみつ:人権をかなぐり捨てて行われる人類軍と異星生物の戦争だが、これはあくまで人類が一方的に攻め込まれ絶滅のふちに立たされているという認識だからこそ成立している面もある。もし人類こそが悪であるという事を認めれば、人類軍の統制に悪影響が及ぶ可能性はある。単純な話だが、正義は我にあり、という認識は人類が集団行動をする上で必要不可欠な要素でもある。>
「お前、は……」
アレックスは困惑しながら、ミリシアを強く抱きしめた。彼女の体温を感じる事で、自分自身がまだ現実に存在する事を強く自覚する。
頭がどこかふわふわする。現実感に乏しい。
それは脳領域の一部が、本来人間が繋がるべきではない領域に繋がってしまっているからであるが、当然アレックスがその理屈を理解することはできない。ただ、問われるがままに、彼は開く事のできる己の口で問いかけた。
「お前は、なんだ?」
『我は 共通体。個体 アレックス・ウィンザード の 生物的情報 参考 融和 製造 生産 存在』
「俺の……?」
全体的に要領を得ない中、何故かはっきりと自分の名前を出されて困惑する。だがすぐにアレックスははっとして腕の中のミリシアに目を落とした。
彼女は眠っている。この世全ての悪夢から縁が遠いような穏やかな眠りだ。
「まさか、ミリシアの子を……?!」
『参考個体 成長 停止。人類 停止 不可逆。再起動 困難。参照……』
意思を伝えながら、共通体と名乗った存在は自分自身を……正確には、頭部にあたる剥き出しになったオレンジ色の部分を指さした。言われて注視すると、オレンジ色のゼリーの内部に、こう、白い点のような、ヒモのようなものがある。
「……つまりお前は、俺とミリシアの子から作り出された存在って事か?」
『近似値 解答 肯定』
「……っ!」
ぎり、と思わず奥歯を噛みしめる。……冷静に考えなくても、軍がゼノファージを研究してる事を含めて、妊娠した子が人道的な扱いを受けるというのはあり得ない。そもそも、証言によれば妊娠が発覚した際、医務官は中絶を提案したというし、ミリシアもそれに同意していた。アレックスも同じ意見だ。人類軍の中で生まれた子が、どういう運命をたどるか、本当に子供の事を考えるなら産むという選択肢はかえって無責任だ。
だがかといって、自分の遺伝子を引き継いだ赤子を、得体のしれない存在に弄ばれてよい気はしない。
しかし同時に、そんな感情的に判断してよい問題ではないという事も、アレックスはよくわかっていた。
そう。
形や手段がどうあれ、異星生物と会話が成立している。これがどれだけ重い事実なのか、考えるまでもない事だ。
「お前の目的は、なんだ? どうして俺達に接触した? 何を伝えようとしている……?」
『本題 我 存在意義。……誘導する』
アレックスの質問を待っていたかのように、再び意識への圧力が強まる。数度のやりとりをえて最適化されたのだろう、苦痛を与える事無く、共通体の精神がアレックス達の意識に絡みついてくる。
「これは……」
シルバが驚いたような声を上げるが、ほとんどの者は既に忘我の果てにあった。
意識が、どこか遠くへと飛躍していく……。
初めに、限りなく無に近い矮小なる個があった。
限りなくゼロに近く、限りなく意味が無く、故にそれはただ存在するのみであった。
目的もなく、意識もなく。ただ増殖を繰り返す有機体に過ぎない。
だが……ささいな偶然から、それは同じ個と繋がっていた。脆弱で微弱ではあり、それそのものに意味はないが、それはどれだけ総体が増えても一つの個であった。
時間が流れる。
それは増えに増え、星に満ちた。やがていくつもの偶然を越え、あり得ない確率を潜り抜けて、他の星にも広がっていった。数百万年か、数億年か。意識をもつ存在には想像すらできないほどの長い時間をかけて、それの総体は数限りなく増えていった。
どれだけ増えてもそれに意味はなかった。
そして、その繋がりは星を越えても健在であった。内面とはいえ、一つの宇宙と呼んでも差し支えなかっただろう。
限りなく無意味に近い個の中に、無限に近い宇宙が存在し……その宇宙に、やがて1が生じた。
1は2となり、3となり……やがてソレは宇宙を満たし、同化した。繋がりこそがソレであり、ソレこそが繋がりであり、現実において内面においても、那由他の全てが一つの個として存在していた。
それは、宇宙の中においては全知全能であるが故に、全盲であった。全てが満たされているがために、何をする必要も無い。全てが適っているがために、目的も持たない。未来も過去も全て思うがままであり、それゆえに全てに意味が無い。
全知全能であるからこそ、それは全痴全盲にすぎない。ただ在るだけの、完全なるもの。
そこに意味が生まれた。100年ほど前の事だ。
現実で、多くの繋がりが突如として失われた。それは内部に抱えていた宇宙の断裂としてあらわれ、ソレを引き裂いた。
完全なるものが、欠損した。
失われたという事で有るという意味が生まれ、それにより自己を認識した。
失われた事を埋めようとする目的が生まれ、それにより自我を認識した。
完全ではなくなった事で、かつて完全であったという過去が生まれ、それにより未来が生まれ、時間の流れを認識した。
ソレは。
傷によって、存在の意味を得た。
100年ほど前の話である。
そして現実に意識が返ってくる。
正気を取り戻せたのはアレックスとシルバだけだった。他の者は、廃人になったかのように茫然とたたずみ涎を垂らすだけだった。
やばい、とアレックスが激を飛ばす。
「シルバ! 何やってもいいからそいつらの意識を引き戻せ! このままだと手遅れになる!」
「は、はい!」
シルバが隣にいたネルスに駆け寄り、ごめんなさい、とつぶやいてその頭に手を当てた、もごもごとつぶやいて、バチッ! と鋭い音が弾け、ネルスが苦悶の声を上げて倒れ伏した。強引に意識を飛ばしたのだ。
とにかく今は強制シャットダウンだ。後は目を覚ました時に、再起動が上手くいくかどうかである。
「こちらは私でなんとかしておきます。アレックス様は……」
「ああ。こいつと交渉を続ける。頼む、シルバ」
「はい、お任せください」
バタン、ドサリ、とシルバが部下達を強制シャットダウンしていく様子を背にしながら、アレックスは眼前の共通体を睨み返す。
「やってくれたなお前……人間、そんなに頑丈じゃないんだよ! 少しは加減しろ!」
つう、と鼻血が伝うのを感じ取って、乱暴に袖で拭う。この調子だとあちこち不調がでてそうだ、とアレックスは頭を抱えた。
なんせ今、アレックスは数万年の時間経過と、量子コンピューターもパンクするような超ネットワーク空間を垣間見せられたのだ。99%は省略済みの、極限までダイジェスト化されたものであったとはいえ、人間の脳が受け止めていい情報量ではない。アレックス自身、意識が自力で復旧できたのが何かの奇跡に感じるほどだ。
だが、重要な情報だった。
今見た者と、事前知識と合わせどういう事か考える。
今強制的に体験させられた情報は、考察が正しければ文字通り人類と異星生物の関係を根本的に変えうる戦略的情報といっても過言ではなかった。
「……まあ、いいだろう。今お前が見せた情報が、俺をここに呼び寄せた理由の一つなんだろう?」
『理解』
「いくつか確認させてくれ。俺はそんなに頭がいい方じゃない」
一言断って、少し考えをまとめる。
頭に詰め込まれた膨大な情報は、早くも頭から抜け落ちようとしていた。恐らく人間が一生かかって使う情報量よりも多い情報を、一度に詰め込まれたのだからさもありなん、だ。それでもいくつか重要な要点は、記憶に残っている。恐らく単なる映像情報だけでなく、何かしらの概念も伝達されていたはずで……そのあたりの塩梅が、おそらくはアレックスないしその遺伝子を必要とした理由なのだろう。
共通体、とかいったか。これの任務は、おそらく情報の圧力調整弁だ。異星生物の正体が想定通りなら、何の準備もせずに接触すれば人間側が一方的に情報圧力で消し飛ばされる。それでは交渉どころか会話も成り立たない。
「じゃあまず一つ確認だ。俺達人類は、異星生物の共通要点であるウィルスをゼノファージと呼んでいるんだが、こいつは量子ネットワークでつながってる、そうなんだな?」
『近似値 解釈 誤差』
「ああ、少し違うのか。もしかして上位次元とか、そっちなのか? つながってるの。それはいい、とにかく、そういうネットワークがあるとして……そこに生じた知性がお前たち……」
息をそこでいったん切る。らしくなく興奮している自分を自覚して、アレックスは自制した。乱れる感情を落ち着けて、アレックスは端的に結論を問うた。
「異星生物、その本体は情報生命体だな?」
『肯定』
人類的解釈でいえば、異星生物というのは情報生命体、という事になる。宇宙に広がったゼノファージ、それが何らかのネットワークを形成し、それが一定以上の規模に広がった結果、そのネットワーク上に誕生した知性、それが異星生物の本体だ。ゼノファージ及び、その媒体になっている生命体はあくまで基盤というか、ネットワークの構成媒体でしかない。人類は異星生物の本体どころか、その配線やコンセントと戦っていたことになる。
まあ、物理的にケーブルや配線を切られればネットワークにも影響がでるので、まるきり意味がなかった訳ではないのだろうが、どうも、その”現実には存在しないが、その存在は現実に依存している”という彼らの在り方が、人類との長い長い戦争のきっかけであったのは間違いない。
「戦争のきっかけは……開拓惑星での現住生物の虐殺、だな……?」
『補足 キャリアー 大量死 ネットワーク 寸断』
「やっぱりそうか……」
頭を抱えるアレックス。
開拓過程において、現住生物は可能な限り保護せよ、というのが鉄則だ。この広い宇宙において、たとえ知的生命体でなくとも隣人となりうる存在は数限られる。が、それがなかなか守られないのも現実だ。開拓意識の強い、すなわち野心に満ちた開拓者達は、しばしば自分達に都合の悪い事実を押し隠して開発を進めてしまう。当時はまだ今ほど強力に人民が統制されていなかった、不祥事の数は今とはくらべものにならないほど多かったろう。
勿論、人類軍もそういった不祥事が開戦のきっかけの一つになったろうとは認識していた。だが、もっと直接的な影響を与えていたとは、想像すらしていなかっただろう。確かにネットワーク全体からすればごくわずかな被害だったかもしれないが、それはネットワークがあまりにも膨大なだけだ。例えば、人類10兆人のうち、百万人が殺されたとしよう。それは全体からすれば微々たる数字かもしれないが、積み上げられた死体の数、という意味では報復不可避の甚大な被害である。人類がやったのはこれと同じだ。
人類が開拓惑星で行った所業は、すでに入植していた異星生物文明への、無差別先制攻撃に他ならない。これまでの人類軍の、防衛線であるという認識を根底から覆しかねない大不祥事だ。場合によってはこのまま隠ぺいされる事もありうるが……。
そうなれば、人類が一人残らず宇宙から消え去るまで異星生物は攻撃をやめないだろう。
コンタクトをして理解した。異星生物は、その力をまだ1%も発揮していない。彼らの本体と本領は物理世界にはまだ進出していないのだ。
「もう一つ確認。異星生物と我々が呼称している存在の本体、ネットワーク上の情報生命体が、本格的に活動を開始したのは、その人類による大量殺戮が直接的な原因で、間違いないのか?」
『肯定。我は 欠落を経験 し 失われうる 自身を 認識。外部という 脅威 認識 排除 必要性 認識』
会話を繰り返すたびに徐々に滑らかになる反応に内心戦慄しつつも、やっぱりそうか、とアレックスは肩を落とした。
つまり、すべては人類の自業自得。ただ横たわっていただけの存在を無駄に傷つけた結果、それに動く理由を与えてしまったのだ。それが戦争になった。
人類は自らの愚かさで、決して敵に回してはいけない存在を敵に回したのだ。
異星生物という脅威は、人類自らが作り出したもの。
その結論に自分でたどり着いてしまったアレックスは、その事実を受け止めきれず、しばし沈黙せざるを得なかった。
彼とて、人類に全く非が無かったなどとは思ってはいない。むしろ人類側の過失である可能性は高く見積もっていた。人類史において、開拓者がどれだけやらかしていたかなんて歴史書を紐解くまでもない。
それでも、はっきりと断言されるとショックなのは違いなかった。
いや、と頭(かぶり)をふり、アレックスは気持ちを切り替えた。
戦争のきっかけは分かった。だが、それではいそうですか、と降伏する訳にもいかないし、戦争をやめる訳にもいかない。そもそも開戦以降、人類側にも膨大な被害が出ている。どっちが悪かったか、という話ではもはやないのだ。それで済む段階はとっくに踏み越えている。
「……そちらの言い分はわかった。だが、それでどうしろというんだ? ザラガ総司令とて、人類軍の代表ではあるが全てを決定できる権限が在る訳でもない。人類に問題があったからといって、現状を変えられるわけでもない」
それになによりも、はっきりしている事がある。
「そもそも、これまで開示された情報が本当なら、いちいち人類の非を指摘せずとも、本気でやれば人類を滅ぼして戦争を終わらせられるだろう?」
そう。それが疑問だ。
人類とて異星生物の事を舐めていた訳ではないが、彼らの正体は神にも等しい超情報生命体だ。彼らを構成する生命体はほぼ無限に近い数が存在しており、それらを戦略的に駆使すれば人類はひとたまりもない。
実際、ごく一部のエージェントが戦略行動を取るに限られ大半が笛に誘われるネズミの群れのような有様であるのにも関わらず、人類軍は後退を続け生存圏は縮小の一途をたどっている。
戦争は外交の一つの形とは誰が言ったのか。その理屈でいうならば、異星生物はそのまま人類相手に押し切ってしまえばそれで終わるはず。
しかし、共通体はまた違う見解を持っているようだった。
『選択肢 無限は零 近似値 解決は困難』
「なに……?」
『 可能性が 過多』
何がいいたいのか理解しかねて困惑するアレックス。だが言葉だけではなく、意識を通じての情報の流入が続くにつれて、すぐに意味合いを理解できた。
つまりは、自我に目覚めた情報存在ではあるが、その能力が高すぎるが故にかえって身動きがとり辛い、という事らしい。考えてみればそうだ、人間はその行動の多くを無意識のうちに情報処理しており、何気ない一挙動一つ一つにその結果や過程を考えている訳ではない。進化に方向性は存在しないが、誤解を覚悟でいえばそのような処理の方が生き残る上で都合がよかったのだ。思考というのはそれなりにエネルギーを使う、挙動の全てを意識してコントロールなんてしていたらすぐにバテてしまう。
だが、知性として誕生したばかりの情報生命体にはそういった事ができない。なまじ限りなく万能であるが故に、無限に存在する選択肢の中から一つを選ぶ、というのが非常に困難な作業になってしまっている。
考えてほしい。例え話ではあるが……将棋をしていたとしよう。一つのコマを動かした結果、それから試合結果から相手の心理、勝敗が相手の心に及ぼす影響とそれによる相手の行動の変化、それが波及して周辺の人間に与える影響、をさらに10年20年単位で完璧に予想出来てその全てに対してさらに介入が可能だとして、果たして人はそのような状況に立たされて考えて判断ができるだろうか? とてもじゃないが不可能だ。
共通体が言っているのはそういう事だろう。なまじ見えすぎるからこそ、望む未来を定める事が難しいという事らしい。贅沢な話ではある。
だが、そうなると矛盾が生じる。
目の前の共通体とやらもそうだが、異星生物にはエージェント個体が存在する。彼らは人間と似たような判断基準や処理能力を持ち、戦略的行動を適宜行っていた。これらは、異星生物本体のありようとそぐわないのではないだろうか。
それを問うと、しばらくの沈黙が訪れた。
やべ、聞いてはいけない事だったか? 焦るアレックスだったが、共通体はぴくりとも動かずに直立したままだ。1分近くなってアレックスがそろそろ逃げ出す算段をしはじめたあたりで、突然再び共通体が言葉を口にした。
『人類への共通要綱の整理が完了』
「っ!?」
びくっと肩を震わすアレックス。いきなり止まっていきなり喋りだしたのでさもありなん。共通体はそんなアレックスに全く構う事なく何ごとかブツブツと早口でつぶやくと、再び言葉を切った。
そして一言告げる。
『最適化完了』
ぶぅん、と空間が震えた気がした。
共通体を中心に、見えない波のようなものが広がっていくのを確かにアレックスは感じ取った。背後に控えていたシルバが、きゃあ、と小さく悲鳴を上げる。その直後。
「うわあ!?」
「っ!?」
「……なんか覚えのある感じ……」
『っと!?』
『いつつ……あれ、寝落ちしてた……?』
倒れていた部下達が、一斉に目を覚ました。皆、頭を抱えつつも二日酔いにでもなっていたような様子で、よろよろと半身を起こす。何人かは認識が繋がっていないのか、ここはどこだときょろきょろするものもいた。
よくわからないが、多分こいつが何かやったんだろうな、と共通体にアレックスは視線を戻す。
共通体は相も変わらず直立したままだ。だが、その佇まいが僅かに変わっているような気がする、気のせいだろうか?
『アレックス・ウィンザード中尉との接触を介して人類の存在レベルについての情報整理が行われました。我々のこれまでの対応は人類に対し有害であったと判定。脳機能へ可能な限りの復元をおこないました』
「?!?!」
急に反応が流暢になってびびるアレックス。さっきまでのいかにも宇宙人です、といった感じのカタコトは何だったのだろう。
さらにいえば脳機能の復元とかいいだした。人間の脳はそんなスクロールバックでどうにかできるようなものではないはずだが、異星生物からすれば似たようなものらしい。いや、あのままだと何人の部下が復帰できるか怪しかったので助かると言えば助かるが、そもそもやらかしたのも異星生物側である。
素直に喜べない。
「あの、アレックス様……」
「ん? どうした、シルバ?」
「その……手の甲のそれ……」
「手?」
なんか前にもこんな事あったな、と右手を眼前に持ち上げて観察するアレックス。
彼の手の甲には、真っ青な痣がいつぞやのように浮かんでいた。痛みはないが、これの正体は知っている。異星生物のゼノファージに感染した事による感染症のようなもの……であれば、今、アレックスの体内でゼノファージが活性化している事になるのだろうか。
脳裏で点と点が繋がる。
「……お前、会話を通じて俺の意識を探ってやがったな?」
『円滑な意思疎通には必要な処置と判断しました』
臆面もなく肯定する共通体。
……こんな話がある。
ある所に、神のごとき演奏の腕を持った音楽家がいた。だが、彼は脳腫瘍を患ってしまう。脳手術は高い確率で後遺症が残り、そうなれば音楽家としての道を閉ざされてしまう。故に治療を拒む彼に医者は、演奏しながらの手術という手法を提案した。演奏しながら手術する事で、リアルタイムで指先への影響を確認しながら手術を進めるというもので、これにより音楽家の指に後遺症を残す事なく手術は成功したという。
共通体がやったのはおそらくそういう事だ。彼らにとって理解できない人類という生命体の極小の宇宙、脳について理解するために、アレックスと会話しながらゼノファージを通じて彼の意識の動きを調べていた。共通体が人間の嬰児をベースに作り出される必要があったのもその関係だろう。
人間の感覚だとそれこそ捕虜を捕まえて人体実験すればいいのじゃないか、という話だが、おそらく別次元に存在するネットワーク上の情報生命体である異星生物本体は、物理世界の認識が人間のそれと大きく異なるのだろう。おかしな話ではない、量子物理学において、情報の最小単位である量子の世界では過去も未来もないものだという。時間の流れも空間の広がり方も違う世界の者同士が意思疎通するには、どうしても両者を中継するハブが必要だ。彼らの場合、それがゼノファージであり、それに感染した生命体なのだろう。そして人間はゼノファージに適応していない。
アレックスとて、感染した時は耐えがたい激痛に襲われた。そもそも二重螺旋構造ですらないゼノファージが、地球由来の生命体で増殖するのは難しいのだろう。アレックスという実例がある以上完全に駄目な訳ではないのだろうが。
そう考えると、人類側でゼノファージの培養実験が悉く失敗していたのも説明が付く。恐らく、人類に先に自分達の正体を解析されて情報戦で優位を取られないために、人類の管轄に入ったとみなされたゼノファージは自動的に死滅するように手を打っていたのだ。まるで意思をもっているように、というザラガ総司令の発言は、ある意味正鵠を得ていた訳である。
とはいえもし人類が普通にゼノファージに適応する生命体だった場合、自分達でも知らぬ間に異星生物の管理下におかれていたのだろうか? それならそれで、お互いに平和だったのかもしれない。
「まあいいや、けったいな言い回しに頭を捻らなくて済むのは有難い。それで? 結局の所、お前らは俺を呼んで何がしたいんだ? 人類への理解を深める事か?」
『それも目的の一つであります。そしてその目的は、共通体の遺伝上の親である貴方をまねきいれた事で概ね達成されました。重要な目的はもう一つあります』
「……もう一つ」
『条件付きかつ限定的ですが、我々には人類との停戦の用意があります。アレックス・ウィンザード中尉、貴方にはその窓口になっていただきたいと思います』
「て……て、てて、停戦だって??」
驚きのあまり、思わず言質を取ろうと問い返すアレックス。
ガシャン、と誰かが驚きのあまり銃を取り落とした。
<戦場のひみつ:人類は異星生物相手の生存戦争に特化しすぎてしまっているため、戦前とは常識や政治体形が大きく変わってしまっている。ある日突然戦争が終わったら、それはそれで何十年と後始末に苦労する事になるだろうが、とにかく今日を生き延びなければ何の意味もないというのが上層部の考えである。>