未来も希望もない戦場で必死に生き残ってたらモテモテになった件(ハーメルン版) 作:SIS
<戦場のひみつ:北方人類軍は、他の方面軍よりも人的資源に恵まれ、それにより経済力にも恵まれている。その一方で潤沢な兵員数に物を言わせた雑な戦略を取る事が多く、その戦略方針は冷酷にして酷薄、はっきりいうと幼稚で低俗である。そのため無駄に兵士を死なせる能無しどもと、他の方面軍からは冷ややかな目で見られており、経済で勝っているにも関わらず政治的にも冷遇され、蚊帳の外にされている事が多い。>
「GRR」
「おいおい、何する気だよアイツら……」
突如現れた北方軍の艦隊。その様子は、頭目のおかげでアレックス達も知る所だった。最初こそ無邪気に増援の存在に喜んだ彼だったが、艦隊の背後から現れた物々しい巨大兵器を目の当たりにし、困惑に眉を潜める。傍らのLORDも、なんだあれ、と言わんばかりに首を傾げてアレックスと目を合わせた。
『グラビトン・レンズ。まあ見た目と名前通り、巨大な重力レンズだよ。戦艦の放つ大口径ターボレーザーを入力源にしてさらに強力なレーザーを放つ、メガレーザーを除けば人類の持ちうる最大火力だ』
「……はぁ!?」
頭目の説明に、アレックスもようやく理解する。
北方軍は増援ではない。彼らは、バール・ゼプツェーンを消し去るつもりなのだ。
「いや、そもそもそれはこっちがやろうとしてた事だけど、何で今になってしゃしゃり出てくるんだよ!? 打ち合わせもしてないしこのままじゃ地表の俺達どころか近隣の艦隊も……!」
『だから。それが理由なのだよ、彼らは。我々の排除など口実に過ぎない』
「???」
本格的に理解できなくてアレックスの思考が停止する。その様子を見て、髑髏の頭目はくっくっくと含み笑いを零した。
『気持ちは分からないでもない。度を超した愚者の考えなど、理解できない方が幸せだ。つまりだね、北方軍はこう考えているのだよ。今こそ、西方軍を政治的に支配下におさめ、目障りな中央の勢力を削るチャンスだと、ね。口実など西方軍の混乱を引き合いに出せばどうとでもなる。この宙域は妨害が行われていて通信が繋がらなかった、我々の排除を最優先と判断した結果でありアリステラと黄金の夜明けの犠牲は致し方ない事だった、とでも言えば、あとは実績と力でどうとでも黙らせられる』
「この期に及んで、政治ゲームが主目的かよ……」
『そうだとも。生き死にだけの話だった異星生物との戦争なぞ、それこそ遊戯のようなものだ。危険と破滅を目の当たりにしながら、自分だけは大丈夫、自分だけは上手くやれると目の前の危機より他人の足を引っ張り蹴落とそうとするのが人類の罪業、避けられぬ性というやつさ』
「……ちっ」
楽しそうに語る頭目に、苛々と舌打ちするアレックス。
「で? それがなんだっていうんだ。味方に裏切られればそっちにつくとでも思ったか? こっちはもともと自爆覚悟で潜り込んでるんだ、諸共吹き飛ばされてもお前らを全滅させられればそれでいいさ。一兵士が政治事情をイチイチ考慮するものか」
『ふ。まあ、そういうだろうなとは思っていたよ』
アレックスの啖呵にも、髑髏の頭目は落ち着いて答える。その嘲笑うような声の響きに、アレックスは違和感を覚えて眉を顰めた。
おかしい。何故コイツはここまで余裕をかましている?
映像の様子を見るに、あと数分も経たずにこの惑星ごと堕ちた星見の野望は粉砕される。その渦中にありながら、この余裕はなんだ。
「お前、一体何を企んでいる?」
『ふふ。ふふふふ。ははははは。わからないかな? 全て、全て無意味な事だ。我々の願望を阻む事など誰にもできない。もはや間に合う事は無い。……既に、既に全て終えているのだからな!』
髑髏の頭目の言葉に合わせたように、突然大ホールが振動に包まれる。
咄嗟に屈みこみ床に手を突いたアレックスは、ホールの床一面に赤い罅が入っている事に気が付いた。いや、違う、これは罅ではない。一見するとひび割れにしか見えないが、緻密で複雑に書き込まれた何かの文様だ。
巨大な魔法陣。
それが、自ら赤い光を伴って輝いている。
屋根の罅割れから光が差し込むように、ホールを足元からの赤い光が照らす。その輝きの中心に立つ髑髏の頭目が、手にした杖を高らかに掲げた。
『我らが積年の願望、ここに成就せり! 宇宙は正しき導きの元に! 我らは解放されるのだ……!』
「このくそっ!」
咄嗟にアレックスはソードを引き抜き、髑髏の頭目に切りかかる。LORDもその後に続き、ブレードを振り被った。
だが、内心アレックスは理解していた。
通じない、と。
パワーソードが見えない壁にはじき返される。騎士達のそれよりも遥かに大きく、分厚い不可視の壁が、アレックスと頭目との間を隔てているのが分かった。
これを手持ちの装備で突破するのは不可能だ。
最初から。詰んでいたのは、アレックス達の方だったのだ。
『顕現せよ! 逆巻く血の主(ヴォーテックス オブ ブラッド)よ!!』
視界の全てが赤い光に満たされる。
陣から爆発したように赤い光が噴き出す。それは中心にいた髑髏の頭目を飲み込み、そのすぐ近くにいたアレックスをも飲み込んだ。少しだけ出遅れたLORDは、はじき出されるように光の奔流に吹き飛ばされ、そのまま壁を突き破って外に放り出された。
光はそれで止まらない。際限なく噴き出し、惑星上へと伸びていく。
その異変は衛星軌道上からでも確認できた。地表の一角で激しい赤光が灯ったかと思うとそれはまっすぐ柱のように宇宙空間に伸びていった。
大気圏を越えた光の柱はそこで十字に枝分かれし、宇宙から見ると星に真っ赤な十字傷がつけられたようにも見える。
その、十字傷を“開いて”、何かがうっそりと姿を顕す。
巨大。あまりにも巨大。
現れた半身だけでも、宇宙戦艦と正面からがっつり組み合えるほどの大きさ。確認されている限り最大サイズの異星生物であるNEUROに匹敵する。
その巨大な上半身は真鍮色の鎧の中に赤錆色の筋骨隆々とした肉体を押し込め、背中からは朽ちた翼膜を張り巡らせた巨大な翼がはためいている。その鎧の表面には、数えきれないほどの苦悶に満ちた人の顔にも見える文様が刻まれ、巨大な髑髏で飾られていた。
そして、その目。溶けた鉄のような、夜に輝く満月のような金色の瞳。見る者を狂気に誘う怪しげな眼光をたたえた口元は耳まで裂け、鋭い乱杭歯が覗いている。頭部には髪の代わりに無数の角が聳え立ち、吐く息は溶けた鉄と硫黄が混じっていた。
“ソレ”が宇宙空間に轟く雄たけびを上げた。もはや空気の振動がどうではない、物理法則の話ではない。今この場においては、ソレこそが法則だ。
身の毛のよだつ叫びを聞いて、異星生物と人類問わず、何割かの命が失われた。恐怖に溺れ自ら砕け散った魂の抜け殻はその場にどさりと倒れるか、物言わぬ宇宙の塵となる。辛うじて意識を繋ぎ止める事に成功した幸運な者達は、一様にその姿を目の当たりにし、背筋を凍らせた。
神は遠くに去り。信仰は失われ。今や紛い物ばかりが蔓延るこの宇宙において、しかし人は思い出す。あるいは、再び目の当たりにする。
命を嘲笑う翼の主。酷薄な笑みを浮かべる人知を越えた悪意。古来から人が恐れると同時に敬い続けた者。
「…………悪魔だ」
誰かがつぶやいた。
ヴォーテックス・オブ・ブラッド。逆巻く血の主。頭目によってそう呼ばれた存在は、その場に揃う小さな者どもを睥睨すると、ひきつるように口の端を寄せて見せた。
嘲笑である。
突如現れた怪物。その咆哮によって被害を受けた黄金の夜明けと異星生物の合同艦隊とは裏腹に、距離を置いていた北方軍艦隊は動揺する様子も見せず、粛々と準備を進めていた。
彼らにとっては、どの道惑星ごと吹き飛ばすだけの話。出現した怪物の内部からマーカー信号を確認したのもあって、予定に変更はなかった。
グラビトン・リングが艦隊の前面に展開され、それぞれの艦が放射状に展開する。リングに対し時計の目盛りのように並んだ艦が、それぞれのレーザー砲を照射した。
その複数のレーザー砲が、グラビトン・リングの重力場によって増幅・収束され、一つのレーザーになってマーカー信号めがけて照射される。
光速のレーザーは数秒で惑星軌道上に存在する悪神へと到達した。その出力は、直撃すればいかに悪神が巨体であれど微塵も残らない。そのままバール・ゼプツェーンに到達し、その地殻を破壊するだけの威力があった。
あくまでも、既存の物理法則においては、だが。
そして今や赤に染まった宇宙は、人類の知る世界ではない。
光が、人間には認識できない速度で伝わるはずのエネルギーが、急激に減速する。それはやがて悪神の前でゆっくりと止まり、その目前で停止する。
悪神は指先で愛でるように光の先端をいじくると、反対側の手を裂け目へと引き戻す。そして再び裂け目から現れた手には、血に染まった大斧が握られていた。
そして大きく振りかぶり、大斧でレーザーの先端を打った。
まるでボールのように、あるいは逆再生のように、レーザーの光が放たれた方にもどっていく。この時、北方軍艦隊は照射先で起きた事を認識していなかった。悪神の周りだけ時が止まっていたかのように、彼らからすると撃ちだしたはずのレーザーが、そっくりそのまま同じ軌道で返ってくるという結果だけが観測されていた。
回避する時間などない。
次の瞬間、北方軍艦隊は、自らの放った光の矢により、この宇宙から消滅した。
悪神が、嗤う。
……その、一連の様子を、ミリシア達は地上から見上げていた。
「うーん。これは不味い事になったね……」
「不味いで表現は確かかなこれ……?」
現実味の無い光景を、揃ってぼんやりと見上げる。その間も操縦席のミリシアは無言で6式を走らせていた。
彼女達はアレックスを送り出した後しばらく防衛に専念していたが、異常を察知したミリシアの先導でその場を離れた。直後ホールを貫いて光の柱が伸びていった事と、いつもならいの一番に隊長を心配して取り乱すミリシアが鬼気迫る表情で運転に専念していた事から、状況を察した皆が素直に従ったので安全距離を保つ事が出来た。
光の柱は大ホールを飲み込んだ後も一定の距離まで拡大を続けたので、直ぐに離れなければ非常に危険だった。巻き込まれたらどうなっていたか分からない。
そのどうなるかわからない、に巻き込まれたアレックスの事を皆は当然心配していたが、ミリシアが一言も喋らないので空気を読んで黙っておくしかなかった。
無事なのか、あるいは最悪の事態なのか。
こういう時に頼りになりそうなシルバは、光の柱に中てられて車内でぐったりしている。
「ミリシア。ここまで距離を取れば大丈夫だと思うよ。一旦停車して様子を見た方が」
「前方。退避区画に指定していた広場を確認。異星生物達。予定通り制圧してくれてる」
ニーナの端的な報告通り、道を進んだ先にはかつて公園か何かだったと思わしき広場がある。ここも当然敵の防衛設備や戦力があふれていたのだが、今は数匹の制圧級によって文字通り制圧された後のようだ。敵に回していた時は高い耐久力に攻撃力をもつクセにカズが多いと非常に厄介な相手だったが、今はそれがそっくりそのまま頼れる味方だ。雑な運用しかできないとはいえ、やはり数というのは絶対的である。
「ん。彼らと合流して、マイク達と連絡を取ろう。彼らもこの状況、情報を求めている筈」
「そだね。……いや待って。様子がおかしい」
「え?」
ニーナの声が一転して緊迫感を帯びる。ネルスは戸惑いつつも前方の集団を目を凝らして確認した。
異常は直ぐに分かった。
広場でたむろする制圧級。それが、互いに鋏を振りかざして争い始めたのだ。
「何? 仲間割れ?」
困惑するネルス。と、ミリシアは制圧級の一匹がこちらに感づいたのを見逃さなかった。手にした生態兵器を向けてくるのを確認し、咄嗟に車体の進路を変更する。
「っ!」
間一髪。先ほどまで通るはずだった進路上を、長いキチン質の針が串刺しにする。ニードルキャノンとでも呼ぶべきその武器は、流石に6式の装甲を貫通するほどではないが無傷ともいかない。
「何、異星生物が裏切ったの?!」
「裏切ったというか……敵味方の区別ができてない。暴走?」
どうやら状況を一番正確に把握できているのはニーナのようだった。副砲手として複数のガンカメラを操作する彼女は、あちこちで異星生物同士、あるいは異星生物と堕ちた星見の勢力が入り乱れて争っている様子を確認した。まるで目の前にいる相手に、敵味方問わず襲い掛かってきているようだ。そしてそれはどういう事か、堕ちた星見の戦力の側もそうであるようにも見えた。
まるで乱痴気騒ぎだ。
「どうなってるの、これ……」
思わずつぶやくミリシア。が、はっとして目を見開く。
無数に入り乱れる配管と廃墟の迷路。その合間から、一匹の制圧級がぬっと姿を現した。完全に死角になっていた位置から出てきた制圧級は、6式の姿を見咎めると鋏を大きく振り上げた。
「しまっ……」
回避は間に合わない。
ミリシアの視界の中で、スローモーションのように鋏が振り下ろされるのがいやにゆっくりに見えた。
所謂走馬燈と同じ、死を確信した命がそれでもそれを免れる為に必死に抗う現象。いわゆるゾーンにも似た境地だろうか。
故に、彼女にははっきりと見えた。
振り下ろされる鋏を迎撃するように、横合いから無数の大口径弾が撃ち込まれ、爆発と共に跳ね上げたのを。
「!」
そのチャンスを逃さず、アクセルを踏み込む。鋏を弾かれて体勢を崩した制圧級に体当たりをかまし、そのまま立ち並ぶ廃墟と6式の間に挟み込んですりおろす。恐るべき耐久力を誇る制圧級はそれでも抵抗を続けたが、右側のスポンソンが超至近距離から機関砲弾を叩き込み、廃墟との摩擦が手足をバラバラに引きちぎった事でようやく絶命した。異星生物の真っ青な血で車体の半分を汚しながらも、窮地を脱した6式は一度停止する。
「今の……」
車輛を完全に停止させたミリシアが席を離れ、車長席を踏み台にしてハッチから顔をだす。援護射撃のあった方角に目をむけると、こちらに手を振りながら歩いてくるマイク達の姿があった。
「いやあ、助かった」
「いえ。こちらこそ危ない所でした」
6式にマイク達を収容し、代表として搭乗員スペースに入ってきたマイクとミリシアが情報交換をする。彼の部下達は海兵隊の詰めていた兵員輸送スペースにいる。流石に完全武装のフルアーマー大男が何人もいると狭いので、今は一時的に海兵隊達も搭乗員スペースで身を小さくしている。パワードスーツを持ってこれなかった事が妙なところで幸運となったといえる。
マイク達はアレックスの予想通り、自動操縦に切り替えたステルス機を囮に敵地に降下、独自にマーカー設置のために動いていたらしい。だが戦力評価がアレックス達より高いらしい彼らを堕ちた星見の強烈な抵抗が見舞った。突破は不可能と判断した彼らは、アレックス達に向かう敵を一人でも減らすべくゲリラ戦での応戦に切り替えた。
そのまま欠員を出しながらも抵抗を続けていると、不意に敵の様子がおかしくなった。それを訝しんでいると、光の柱の出現、そして衛星軌道上に巨大な悪魔のような怪物が現れ、戦略兵器を迎撃するという悪夢のような光景を目の当たりにし、作戦は失敗ないし前提が変わったと判断。合流の為に6式の元に向かっていた所窮地を目撃し支援した、という事だった。
「……ウィンザード中尉と、LORDの姿が見えないのは、やはり」
「ええ。……マーカーを設置しにいって以降、連絡が取れていません」
「そう気を落とすな。あの野郎が分かりやすく死んでくれるはずがない」
「言われずともわかっています」
動揺する様子もなく言い切るミリシアに、マイクが「そ、そうか?」と頷き返す。ミリシアがアレックスに酷くいれ込んでいる事を知っている立場からすると淡白な対応に思えたかもしれないが、よく見ればそうではない事はすぐに分かった。
不安はある。だが、信じているのだろう。
マイクは満足そうに頷き、会話を続けた。
「とりあえず、マーカーの設置という主任務は成功しているようだな、信号はこちらでも確認した。となると、作戦において想定以上の問題が発生した、という形になる。こういう場合はどうするべきか、だが」
「正直事態は私達の対応できる範疇を逸脱しています。一度スクリームと合流すべきでしょうが、しかし……」
「だな。そもそもスクリームと合流した所で何ができるって訳でもなさそうだ」
二人そろってため息をつく。
そもそも、邪神を降臨させない事がこの作戦の目的だった。そういう意味では、すでに作戦は失敗しているともいえる。話と違って即座に宇宙の秩序が崩壊する様子はないが、時間の問題なのは言うまでもない。その残された時間で何をすべきかが問題だった。
その時だった。
「みな、さん。私に、考えが」
ややしわがれた怜悧な声。それが第77独立遊撃隊の頼れる星見のものであり、衰弱といってもいい体調不良に見舞われていた事を知っているミリシアは彼女に寝ているように言おうとして、息を飲んだ。
ぽた、ぽた。
赤い血が、床に点々と色を付ける。
「対応策は、まだあります」
血塗れ。
眼球を損傷した右目からの流血だけではない。無事だったはずの左目からも血の涙を流し、鼻孔からは止まらない鼻血、口元からも流血。およそ粘膜という粘膜から出血しながらも、車内インテリアにしがみつくようにして身を起こすシルバの壮絶な姿がそこにあった。ネルスが悲鳴を上げて彼女の元に飛びつき、身体を支える。
「駄目です、シルバさん! 悪化してるじゃないですか、寝ててください!」
「いえ。そのような場合ではありません。今ならまだ、手段があります」
だから、今は話をさせてください。
残された左目で鬼気迫る、懇願するような視線を受けてマイクとミリシアは顔を合わせた。
一瞬ためらうものの、ミリシアは副長としてシルバの提言を受け入れた。
「……説明を、お願いします」
「ありがとうございます。……我々は邪神の顕現阻止に失敗しました。ですが、あちらも完全ではない。リソース不足か、準備不足か、はたまた儀式を焦ったのか、上位次元の存在はこの物理世界に定着していません。今は未だ、テーブルに乗ったナプキンのようなものです」
「つまり、風が吹けば剥がせる程度のものだと?」
「はい。ですが、それは今の内だけ。時間と共にどんどん奴の影響力は大きくなり、やがてテーブルクロスとなって机を覆いつくしてしまうでしょう。そうなったら、例えこの世界に完全に定着していないとしても手遅れです」
机とテーブルクロスは別のものだ。だが大きく広げたテーブルクロスは自らの重みで机からはがされる事はない。そして机が茶色かったとしても、広げたテーブルクロスが真っ白であるなら、人はそれを白いテーブルだと認識するだろう。
そういう事だ。邪神が完全にこの世界に定着せずとも、その影響力が広がってしまえばこの宇宙は塗りつぶされてしまう。
「そしてまだナプキン程度の邪神を、この世界に縫い留めている針が存在します。それさえ破壊してしまえば、邪神はこの宇宙に存在を維持できなくなり、消滅します。風に吹かれて飛んで行ってしまう訳です」
「……その針に心当たりはあるのか?」
「奴の頭部。額の角に、強い意志の力を感じます。恐らく堕ちた星見の術者が、人柱となって邪神の存在をこの宇宙に縫い留めているのでしょう。それさえ排除すれば、可能性は」
「わかった。それを信じよう」
マイクが頷く。
それを見届けたシルバは安心したように微笑み、その場に倒れ伏した。ネルスがその躰を抱き留める。
「冷たい……! 応急処置を!」
「輸血パック輸血パック。シルバ、血液型何だったっけ」
「医療キットも持ってきて! 早く!」
ニーナやイオリも加わって大慌てでシルバの手当てをする。マイクとミリシアは責任者として、再び視線を交えた。
「スクリームと合流しましょう。軌道上の艦隊に伝えなければ」
「ああ。艦砲射撃で角への集中攻撃、多分通じないだろうが気は引けるはずだ。あとは予備でもなんでもいい、単独行動可能な小型機を確保して俺達特務部隊が奴の頭に乗り込んで角をへし折る」
「ネルス! 通信妨害は?」
「相変わらず強力です! ですが見晴らしの良い場所から信号弾を撃てば、どれだけ通信が阻害されていても通達は可能なはずです!」
「よし……一旦この場を離脱する! シルバの手当てはニーナが、イオリは砲手席に戻って! 強行突破する!」
副長として指示を下しながら、ミリシアは操縦席に戻る。
アクセルを踏み込む直前、一瞬だけ胸の前で手を合わせ、祈った。
「(アレックスさん。貴方は今、どこで何を……どうか、無事で)」
念願の成就。
その瞬間が刻一刻と近づいているのを感じ、髑髏の頭目は悦びに身を震わせた。
目の前には、無限に広がる大宇宙。それが少しずつ、しかし確実に赤に染まっていくのを感じる。無限に広がる宇宙とて、神の前では狭き庭に過ぎない。時間は多少かかるかもしれないが、直に全てが神の掌の上に収まる事だろう。
遠くでまだ微かに残照が残る爆発の跡を見やる。愚か者どもの末路だ。
神の存在に懐疑的だった者どもも、あれでようやく理解しただろう。自分達が何に歯向かったのかを。
『くくく……』
永かった。
ここまで実に、永かった。
『我らが願いを、誓願を、穢れた妄想として嘲笑った者よ、見よ。今まさに神は降臨せり。我が願いは現実の物となった。何もしなかった、何もできなかったお前たちと違い、我は成し遂げたのだ』
歓喜に打ち震えながら、髑髏の頭目は己の躰を見下ろす。
邪神の角と融合した自分の下半身。今彼は、この宇宙に神を繋ぎ止める為の人柱として機能している。やがて神の圧倒的な存在に自我や存在は希釈され、彼という個はこの宇宙から消失するだろうがそれは頭目にとって些細な事だ。
『予定ではそれでも完全な神の顕現が果たせるはずではあったが……まあ良い、完璧といかないだけで、現状は十二分の結果が出ている。問題はない』
不完全といえど神は神。人の抗う事のできる相手ではないのは、たった今証明したばかりだ。
と、そこで頭目は、人類軍の新たな動きを確認した。
軌道上で手勢と競り合っていた黄金卿の艦隊。先ほどまで放心したように活動を停止していたそれらが俄かに活気づき、活動を再開したのだ。艦隊はまっすぐこちらに進路を向け、不届きにもその主砲を神に突きつけている。
『……星見の姫が、何事か賢しい助言を手解きしたか? 健気よな。内心無駄であると分かっているだろうに』
今更、戦艦のレールキャノンなど神に通じるはずもない。
手ずから始末する事もできるが、どの道あとわずかな時間で神は完全なものとなる。それまで遊んでやろう、と頭目は杖を振った。
それに応じるように、神が身を震わせる。
不遜な行いではあるが、現状はまだ神は完全ではない。意志力という意味では、僅かに溶けた異物である頭目の方が上といえるほどだ。己の存在が消え去るまでの僅かな時間といえど、神の力を用いて神の身を守る、その傲慢と栄光に頭目はひきつるような笑みを浮かべた。
『お互い消え去るまでの僅かな時間だ。どれ、少し遊んでやろう』
超常の力を操り、黄金卿の艦隊に差し向ける。
その直前、頭目はザリ、という小さな音を耳にした。
『………?!?』
驚愕のあまり身が凍り付く。その視線が、無意識に音の出元を探って彷徨った。
……邪神の頭部。無数の角が生えた、バール・ゼプツェーンの地表を思わせる赤錆色の額。その縁に、人間の指がかけられていた。それは危なっかしい手つきで邪神の額にしがみつき、えっちらおっちら、身体を引き上げた。
防護服に身を包んだ一人の兵士。その手には総司令の形見たるパワーソードと、政治将校から譲られたハンドキャノンに、星見の姫の寵愛の証たるプラズマアタッチメント。
額の上にどうにかよじ登った兵士はその場で腰をつき、あぐらをかいて「疲れた疲れた」とでもいうように首元を仰いで見せた。
「よう。さっきぶりだな」
『き、貴様……?!』
アレックス・ウィンザード。
唯人の、一兵士たる男が、そこにいた。
<戦場のひみつ:隻眼の獅子勲章は、星見の協力の元見出される。彼らは生存不可能な戦況において、己の意思一つで確率を、常識を捻じ曲げて生存する。それはある種の超能力とでも呼ぶべき領域に到達しており、勲章は彼ら自身の名誉の為ではなく、司令部が選別と確認の為に与えるものである。つまり彼らは、およそ常識において人類が敗北を免れられない局面において投入されるべきジョーカーなのである。いわんや勲章を三つも持つ者であれば……。>