大人の知識を持ったまま中学生に戻った俺は好き勝手に生きていく 作:柊咲
誰しも一度は思ったことがないだろうか、”大人の知識を持ったまま人生をやり直したい”と。
もしも学生時代に戻って、その時よりも真面目に勉強していれば、もっといい会社に勤められたのではないだろうか?
もしもあの頃に好きだった子に告白していれば、付き合えていたんじゃないだろうか?
言い出せばきりがないほど、過去を後悔したことは誰にでもあるだろう。
けれど現実で過去にタイムスリップすることなんてできるわけがない。どんなに後悔してもやり直すことはできない。
──だがもしも過去に戻れるとしたら俺、楠木祐輔はどんな人生にやり直すのだろうか。
♦
「……ただいま」
リビングの扉を開けると、結婚して10年目の付き合いになる妻はソファーで横になりながら俺を一瞥する。
だが彼女は「おかえり」とは言わず、返事もせずこちらへ向けた視線をすぐにテレビに戻した。
テーブルの上には、ラップがされた料理が置かれている。
寝室に戻った俺は上着をハンガーにかける。リビングから妻の笑い声が聞こえ、俺は大きくため息をつく。
妻の冷えた手料理をレンジで温めながら、ボーッとテレビを見る。
そこに映っていたのは、今最も有名な女優の熱愛報道のニュースだった。
「
俺の幼馴染であり、初めて付き合った彼女。
清純派で通っている今の姿と変わりない昔の姿を思い出していると、レンジがチンと音を鳴らし、俺を現実に引き戻す。
彼女の笑顔を見ているとため息しか出ない。
付き合っていたのに手も繋いでいない。キスすらもなんだから、当然その先のこともしていない。
もしも昔に戻れるなら絶対にヤってる。それはもう、学校をサボッて一日中盛ってるだろう。
そんなことを考えながらテレビを見ていると、妻がふと立ち上がる。
「あたし、もう寝るから」
ブチッとテレビを消された。
俺が見ているのに、という返事もできないまま妻は自分の寝室へ。
俺はテレビを付け、音量を小さくする。
「……どうして俺の人生、こんなんになっちまったんだろうな」
いい高校に通い、いい大学に入り、いい会社に就職する。
青春なんて知らない。学生生活の全てを将来の為に使ってきた。
今の妻ともお見合いで知り合った。お世辞にも最高の妻とは言えない。いや、容姿も性格も最悪な妻だ。
「やり直してえな……」
二日前と同じメニューの妻の手料理を食べながら、毎日のように呟いている言葉を漏らす。
「まっ、そんなの無理なんだが……。酒でも呑んで寝よう、明日も仕事だ」
自分で口にして、突っ込みを入れて、一人で笑う。
冷蔵庫からビールを取ろうと立ち上がった瞬間──
「あ、れ……?」
視界が大きく揺れる。
尻もちを突き座り込む。それでも立ち眩みのような症状は治らない。
いや、むしろ悪化している。目を閉じても揺れが続く。
「なん……だ、これ……」
ろれつが回らない。
そして気付くと、意識が途絶えた。
♦
「……
遠くから、俺の名前を呼ぶ声がする。
というか下の名前で呼ばれたの久しぶりな気がする。妻には「おい」とか「あんた」としか呼ばれないから。
「ちょっと祐輔、起きてって」
名前を呼ばれるとなんだか落ち着く。
夢でもいいから、もう少し呼んでほしい。
……ん? 夢?
「もう、早く起きてってば!」
勢いよく布団が引き剝がされる。
目を開けると、目の前には俺の中学校の制服を着た女の子が立っていた。
「え……」
「早く起きないと、学校遅刻しちゃうよ?」
学校? 何を言って……。
そう思って辺りを見渡して唖然とした。
ここは俺の部屋だ。しかも中学時代の部屋。
「珍しいね、祐輔が寝坊なんて」
彼女は勉強机の椅子に座りながら、俺に聖母のような優しい笑顔を向ける。
彼女の見た目に見覚えがあった。
胸元まで伸ばした黒髪に、一切化粧のしていない瑞々しい白肌。
痩せ型というよりも少しだけ肉付きのある体。成長途上でもちゃんと発達した大きな胸。
「もしかして……
そう問いかけると、彼女は首を傾げる。
「他に誰がいるのよ。勉強のし過ぎで幼馴染の顔、忘れちゃった?」
ああ、本物だ。
グラビアアイドルから大人気女優に転身した、今最も人気のある大女優、そして俺の幼馴染の奈菜。
その中学時代の姿だ。
「なんで……夢? これは夢か?」
「もう、本当に大丈夫? もしかして熱があるとか?」
彼女は立ち上がり、ゆっくりと俺に近づく。
おでことおでこを付ける。香水とは違く柔軟剤の匂いがした。
「熱は無い、かな……。でも顔が赤いね」
「あ、ああ。大丈夫」
慌てて離れ、顔を背ける。
その瞬間、横に置いてあった鏡に自分の姿が目に入った。
「これ、俺……?」
鏡に映ったのは、全体的に幼くなった姿の俺だった。
身長は160ほどと今よりも20センチほど低く、一切ヒゲが生えていない中性的な童顔。適当に伸ばした黒髪には、ここ最近の悩みであった薄毛の雰囲気がない。
体型も、頼りないほどに腕は細く、腹も中年太りしていないスッキリしている。
「あっ、それより早く早く。遅刻しちゃうから!」
わけがわからない状態のまま、中学生の姿をした奈菜に急かされる。
まだ三十代の頃の両親が、俺を見て「おはよう」と笑いかける。
何年かぶりの温かい朝ご飯を食べ、中学の制服を着て、家を出る。
「もしかして俺、中学生に戻ったのか……?」
頬をつねったり冷たい水で顔を洗ったりと色々と試してみたが、夢から覚めることはなかった。
であればそう考えるのが正しいだろう。何がきっかけかはわからないが、間違いないだろう。
「……やっぱり祐輔、体調悪いの?」
隣を歩く奈菜が心配そうに俺を見つめる。
「いや、大丈夫」
「それならいいけど……って、なんで笑ってるの?」
「笑ってる?」
奈菜に言われるまで、自分で笑っていることに俺は気付かなかった。
無意識だ。無意識に笑っていた。なにせ中学生に戻ったんだ、それも大人の知識を持ったまま。
あの地獄みたいな人生をやり直せるかもしれない。そう考えたら、自然と嬉しさから笑ってしまう。
しかも、
「奈菜、いつも一緒にいてくれてありがとうな」
そう伝えると、奈菜は顔を真っ赤にしながら顔を背ける。
「な、ななな、なに急に……やっぱ祐輔、熱あるんじゃない? もう……」
幼い頃の奈菜が俺の隣にいる。