大人の知識を持ったまま中学生に戻った俺は好き勝手に生きていく 作:柊咲
──次の日も同じ時間に、あの公園にドロテアはいた。
「(あっ、祐輔!)」
変わりない明るい笑顔で手を振る彼女。
既に何十分もランニングしていたのか、若干だが汗をかいていた。
「(祐輔、なんだか眠そうですね)」
「(ん、まあね。それより休憩?)」
「(えっと、はい! 休憩にします!)」
まだ俺は走っていないが、ベンチでドロテアの隣に座る。
彼女は着ていたシャツの胸元を指で摘まみ、空気の入れ替えをする。
そのたびに胸の谷間が見え隠れするが、俺に対して一切の警戒心を持っていない彼女は俺の視線にすら気付いていない。
それからも少しだけ会話を続けた。
(今日も天気がいいね)
(そういえば昨日の練習でね)
日本に来て母親以外に話相手のいない彼女にとっては、こんな些細な会話でも嬉しそうだった。
「(それでね、ママに祐輔のことを話したらね、家に遊びに来てもらったらって言ってくれたの!)」
「(家に?)」
「(はい! この後、朝ご飯一緒にどうかなと思いまして。えっと、どうでしょうか……?)」
不安そうに上目遣いで見つめるドロテア。
日本に来て初めてできた友達を家に招待したいのだろう。
それにしても長いまつ毛が綺麗だ。まるで人形のようだ。
「(じゃあ、お言葉に甘えて)」
「(本当? 良かった!)」
それから少しだけ走って、俺はドロテアに連れられて彼女の日本で借りているアパートに招待された。
♦
ドロテアが生まれてすぐに彼女の父親は亡くなった。
それから母親と二人暮らし。
この頃のドロテアはまだフィギュアスケートの選手としての稼ぎは少なく、日本への遠征費用も母親がパートで稼いだものだった。
将来的に俺がテレビで見た豪邸に住むとは思えないような、築何十年の狭いアパートに二人で暮らしていた。
「(ただいま、ママ!)」
アパートの玄関を開けると、ギーッという音が鳴り響く。
俺が就職して初めて一人暮らししたときに住んでいたアパートでよく聞いていた音に似ていて、どこか懐かしさを感じた。
「(おかえりなさい。あら?)」
狭く短い廊下の奥にあるリビングから顔を出した母親は、俺を見てニコリと微笑む。
「(いらっしゃい。もしかして、あなたが祐輔くん?)」
「(はじめまして、楠木祐輔といいます)」
「(こちらこそ。ドロテアの母のサテラ・アヌーシュカよ)」
ぺこりとお辞儀をする女性──サテラさん。
年齢はこの頃だと、確か三十代後半とかだったはずだ。
身長は160ほど。銀色の長髪をゴムで縛り、右肩から垂らした髪型。
白い肌の上に際立つ赤い唇とその左下にある黒子。普段から目が細いから、優しく微笑んでいるように感じる。
ただ俺が見た、テレビに出てたサテラさんとは少し印象が異なる。
それはたぶん、装飾品もなく地味な色合いの服装を着ているからだろう。
煌びやかさや派手さといったものはないが、代わりに儚げで、未亡人感があって違った魅力を感じた。
そんな彼女を目の前に、俺は心の中でガッツポーズをした。
「(ママ、祐輔と一緒に朝ご飯食べたいの!)」
「(ええ、もうすぐ準備が終わるからシャワー浴びてきなさい)」
「(はーい! 祐輔、ちょっと待っててね)」
「(わかったよ)」
シャワールームへと向かうドロテア。
リビングに案内されたがテーブルとイスがあるだけで他には何もない。テレビすらないのは、おそらく数か月で帰国するからだろう。
俺はイスに座りながら、キッチンで料理をするサテラさんの後ろ姿を眺めていた。
「(娘と同じくらいの歳の男の子がロシア語を話せるなんて思わなかったわ)」
「(勉強していた時期があったので。それでも話せるだけで、書いたり読んだりはできませんけど)」
「(それでも凄いわ! 私なんてロシア語だけで、英語だってあまり話せないんだもの)」
「(そうなんですか。それだったら日本での生活大変じゃないですか?)」
「(ええ……。だけど娘の為にも、日本で活躍しないといけないの)」
悲しげな表情を隠すよう、無理に作った笑顔を浮かべる。
この親子が日本に来たのには大きな理由がある
確かこの時期には国内での大会がなく、代わりに日本でジュニアの世界大会が開催される。
それにエントリーして結果を残せば、世界中の大きな大会に出場することができるようになる。
彼女の活動を手助けしてくれるスポンサーも付き、ドロテアはフィギュアスケートの選手としてもっともっと羽ばたいていける。
通訳でも雇えれば良かったのだろうが、そこまで親も子も稼げてないから難しい。
俺の聞いた話だと、言葉のわからないストレスで思うような結果が出ずに帰ってしまったのだから、結果だけ見れば日本へ遠征するというのは良い選択ではなかったのだろう。
それから俺は、料理を終えたサテラさんと、ドロテアがシャワーを浴び終わるのを待つ間に会話をした。
そしてシャワーの音が消えたのを見計らって、俺はサテラさんに伝える。
「(──じゃあ、もし良かったら自分が二人に日本語を教えましょうか?)」
「(えっ!?)」
すると、ドアが勢いよく開く。
濡れた髪と肌。バスタオルを手に持ち、裸の彼女は俺を見つめる。
「(祐輔、ほんと!?)」
その姿を見てサテラさんは顔を真っ赤にするが、俺は動揺せず落ち着いたまま頷いた。