あの出来事のせいで、その後の食事が通らなかった。
別に、不快感があるとかそんなことはない。
嬉しさはあったさ、なんせ…私自身が憧れていた、ナポレオンとシたのだから。
だけど初めてだったのもあり、自分が好きな人の前で、あんな淫らな姿を見せてしまったという、羞恥心が自分を襲っている。
現に今は落ち着きたくて、列車内のバーで一人で飲んでしまっている。
「はぁ…」
溜息しながら、静かにグラスを傾けていると、背後から聞き慣れた声が飛び込んできた。
「おや、その様子だと、従者とはうまくシたみたいだな」
すました顔で現れたのは、あの状況を作り出した張本人――蒼崎燈子だった。
私の背後から近づき、まるで何事もなかったかのように平然としている。
私は振り返り、皮肉を込めた視線を彼女に向けた。
「おかげさまで、どっかの誰かさんがドアに小細工したせいで、こっちは複雑な気分になったんだぞ?」
「はは、それは何より。マスター、モスコミュールを頼む」
燈子はまるで悪びれる様子もなく、軽く肩をすくめて笑いながら、バーテンダーに注文をした。
その顔には、反省の色など一切見えない。
むしろ、面白がっているかのような余裕すら感じる。
私はグラスを握りしめながら、深く息を吐いた。
「燈子、今日は助けてくれてありがとう」
私が礼を言うと、燈子は私を一瞥し、軽く手を振って答えた。
「別に感謝されることはしてないさ。私の"大事なパーツ"に傷がつけられたくなかっただけだ。だから仕方なく、というわけだ」
彼女はあっさりとそう言い放つと、ポケットに手を突っ込み、煙草を取り出した。
いつものようにライターを探し、ポケットを探っているが、なかなか見つからない様子だ。
燈子の表情が少しばかり怪訝そうになる。
「……」
しばらく沈黙が続いた後、私は淡々と口を開いた。
「ライターがないんだろ?」
燈子がこちらを見上げた瞬間、私はにやりと笑みを浮かべてポケットから彼女のライターを取り出して見せた。
実は、彼女に気づかれないように、ポケットからスリ取っていたのだ。
燈子が驚いた顔をするかと思いきや、逆にニヤリと笑みを返してくる。
「昔から相変わらず、手癖が悪いな」
燈子は感心したように頷きながら、少しも驚いていない様子だった。
「まぁね、燈子、君は煙草を吸うたびに、やけに気が緩むから、たまにはこうして注意してやらないとな」
私がライターを手のひらでくるりと回すと、燈子は軽く笑いながら手を伸ばしてきた。
「裏世界を生き抜いた者の言葉だな」
私はライターを燈子に手渡し、彼女は一瞬だけ私の手を掴んだ。
煙草に火をつけた彼女の横顔には、何とも言えない余裕が漂っている。
「私にも一本頂戴」
「お前、煙草吸うんだっけ?」
「たまにね、それに私は、君みたいに生活費に影響あるほどヘビースモーカーじゃない」
私が皮肉混じりに言うと、燈子は軽く煙を吐き出しながら、にやりと笑った。
燈子は、ポケットからもう一本煙草を取り出して私に差し出した。
「ほら、一本やるよ」
「……ありがとう」
私は彼女から手渡された煙草を受け取り、唇に咥えた。煙草の独特な感触が口に伝わり、少しだけ気が引き締まるような気がした。
燈子は何も言わず、すでに火のついた自分の煙草を持ったまま、軽く私に近づいた。
そして、自分の煙草の火を、私の煙草にゆっくりと近づけ、まるで儀式のようにその先端に触れさせた。
「……」
シュッと静かに火が移り、私の煙草にも火がついた。ほんの一瞬、燈子の顔が近づき、彼女の眼鏡越しの冷静な瞳がこちらを見つめていた。
わずかな距離、互いに無言のまま、その場の空気が少しだけ重くなったように感じる。
「どう? 」
燈子は少しだけ顎を引きながら、軽く問いかけた。
私はゆっくりと息を吸い込み、煙草の煙が肺に入る感覚を確かめた。喉が少し熱くなり、煙がゆっくりと口から漏れ出る。
「久しぶりだけど…悪くない」
私は苦笑しながら答えたが、燈子はそれに対して軽く笑みを浮かべるだけだった。
彼女は私の様子を楽しむように観察している。私は黙って、もう一度煙草の煙を吸い込んだ。
周囲には燈子と私が吐き出した煙がゆっくりと漂い、薄く霧のように漂っている。
燈子はバーテンダーからモスコミュールを受け取り、ゆっくりと吞み始めた。
「何か言いたそうな顔だな」
「キャスターはどうした?」
「あぁ、彼女なら暫く私の助手として側に置いとく」
そう言いながら、灰皿に灰を落とし、彼女は再び煙草をくわえ、ゆっくりと煙を吸い込んだ。
「キャスターのマスターになったのか?」
「いや、マスターにならないように、ちょっとしたモノを、彼女の中に埋め込んだ」
「モノ?まさか…」
「そのまさかだよ、彼女の中に
「また、そんなある意味呪いみたいなものを…」
燈子は私の反応に気づき、楽しげに笑いながらグラスを傾けた。
彼女の瞳には、いつもとは違う光が宿っている。まるで、何かを企んでいるかのような、挑発的な表情だ。
しばらくして、燈子は煙草をくわえたまま、煙を吐き出して呟いた。
「まぁ、実験段階だ。これが成功したら、妹にプレゼントする」
その言葉に、私は何も答えず、ただ黙って煙草をふかしていた。
燈子は妹を殺したいくらい嫌いそうだ、詳しくは話してくれなかったから分からないが、燈子の言葉に少しだけ不穏が落ちた。
燈子の計画が成功するのか、それとも新たな混乱を招くのか、考えるだけで無駄だ。
バーの薄暗い空間に、再び静寂が訪れる。
燈子の煙草の煙が、まるで彼女の思考を象徴するかのように、ゆっくりと消えていく。
私たちの間には、言葉では表現しきれない空気が漂っていた。
「さて、私はそろそろ戻らないと」
「おや、結構早く戻るんだな?」
「一応、部屋にフィアンセがいるのでね」
「はは、なんかそう言ったら嫉妬しそうだ。私のお気に入りが、人間でもない、幽霊に近い男に取られるのは」
「嫉妬しても困る」
「それもそうだな。そうだ、これ、明日のお披露目会の参加者リスト」
燈子からリストを受け取り中身を確認すると、思いがけない名前が書かれていた。
「燈子…この情報本当か?」
「お前に嘘ついても、意味がないだろ?」
「……」
「今日みたいにならないように、明日は気をつけろ。お前の心臓を欲しがる奴は、どこにもいる」
「そうだな、ありがとう」
私は少し微笑む燈子を横目に、部屋に戻った。
ガラッ
ドアが開く音がし確認すると、カナエがバーから戻ってきた。
「早かったな」
「久しぶりの読書は楽しめたのかい?」
「いや、面白い本は無かった」
「そのようだね」
カナエが俺の横に、積み重なっている本の山を見て、納得した。
「さて、ウィスキーでも呑んで、明日の話をしよう」
バーから持ってきたのか、カナエの手にはウィスキーボトルがあった。
「まだ呑むのか?」
「バーでは2杯しか呑んでないよ。それにだ、どこの誰かさんのせいで、凄く変な気分なんだよ」
カナエはグラスに氷を入れ、ウィスキーボトルを開ければ、ゆっくりと注いだ。
ウィスキーが入ったグラスを、ローテーブルに置き、ソファに座った。
「明日はお披露目会だ。材料のお披露目は、この列車旅で一番のお披露目会。あの賢者の歯車がオークションに出品されるんだ、それ狙いでかなりの額を出してくる者がでてくる」
「それは、オークションだから当たり前だな。なにか問題があるのか?」
カナエは一枚の紙を取り出し、俺に見せてきた。
そこには、人の名前らしきものが書かれていた。
「これは?」
「これは、明日のお披露目会に参加する参加者リスト。そこに書かれている者が、オークションに参加する」
カナエはリストの中に書かれている、一人の名前に指を指した。
そこに書かれていた名前。
テルマ・ローゼンクロイツ
「こいつは薔薇十字団の創設者、クリスチャン・ローゼンクロイツの子孫だ」
「!?」
薔薇十字団。
薔薇十字団は、17世紀初頭のヨーロッパにひっそりと息づく錬金術師の組織だ。
古代の知恵と宗教的な思想を融合させ、真実の探求と人類の救済を目指し、活動している。
今は魔術師協会と協定を結び、互いに技術提供をしている。
「薔薇十字団、俺の時代にもチラホラ聞いていたが…まさかこの時代まで続いてたとは」
カナエは、グラスを一気に飲み干すと、目の奥に暗い影を宿した。
彼女の指先がグラスの縁を強く掴み、微かに震えているのが見えた。
その姿からは、過去に何か恐ろしい経験があったことが窺えた。
「薔薇十字団はただの錬金術師の集まりじゃない。表向きは医療団体だが、奴らは、不老不死を研究するために、人の心臓を違法な手段で集める奴らだ。私の心臓も、過去に狙われたことがある」
その言葉は重く、部屋の空気が一瞬凍りついた。
俺はカナエの視線を受け止め、彼女の表情に秘められた苦悩を感じ取った。
彼女の過去には、恐怖と絶望が渦巻いているのだろう。
「流石にこの列車で大きな事は仕掛けないと思うが、この男には注意してほしい」
カナエが言葉を続けると、彼女の瞳は鋭く、まるで獲物を狙う猛禽のようだった。
「もし、奴と対峙することになったら」
俺は彼女の言葉を噛みしめるのをみたら、自分の心臓が高鳴るのを感じた。
カナエの言う通り、彼女の過去と向き合うことは避けられない運命なのだ。
「どうするつもりだ?」
俺はカナエに問いかけた。
「……」
カナエは一瞬目を閉じ、深呼吸をした。
彼女の表情は、決意と不安が交錯している。
俺は、カナエの表情からすべて悟ってしまった。
やがて、彼女は静かに口を開いた。
「そうならないように、君は動いてくれ。準備を整える。明日は、万全の状態で挑むつもりだ」
その言葉には、彼女の強い意志が込められていた。
だが、俺は少し胸が痛んだ。
彼女が一人で戦おうとする姿勢は理解できるが、同時に彼女を守りたい気持ちが募る。
「俺も手伝う。もう、お前を危険な目にあわせたくない。今度はお前を守る」
「ありがとう」
カナエは微かに笑みを浮かべ、私の言葉を受け入れてくれた。
彼女の笑顔は、少しだけ周囲の緊張を和らげる。
カナエは再び真剣な表情に戻り、彼女の目は、明日の運命を見据えていた。
「私たちのこれからの戦いにかかってくる。オークションで奴等より先に賢者の歯車を手に入れる」
その言葉に、俺も強く頷いた。
カナエは少し落ち着いた雰囲気に戻り、足軽にソファーから離れた。
「さて、明日は早い。そろそろね…うわぁ!?」
俺はベットに向かったカナエを、軽々と持ち上げた。
「ちょ、ナポレオン!?」
「俺の可愛い可愛い、フィアンセと一緒に寝るのは当たり前だろ?それに、ベットはダブルで一つしか無いんだぞ?」
じたばたするカナエの額を、優しくキスをする。
顔を赤面し、俺を見ないようにするカナエは初々しく可愛いらしい。
そんなカナエを優しくベットに寝かせ、俺も一緒にベットで