到着する頃には、カナエの魔力は完全に回復しており、俺は無事に実体化していた。
服は機内にあった雑誌を参考に、似合いそうなものを魔力で見繕った。
ロビーを出た瞬間、後ろから女性の声が響いた。
「お待ちしておりました、カナエお嬢様。そして、お連れ様も」
「げっ……刻夜(ときよみ)……」
刻夜と呼ばれた女性は、中年くらいの年齢だが、男物のスーツをキリッと着こなしており、男装麗人とでも言うべき風格を持っていた。彼女がカナエに近づいてくると、表情には笑みを浮かべているものの、目は全く笑っていない。
「カナエ様、文子様(ふみこさま)と私に黙ってフランスに行かれたおかげで、大変だったんですよ?」
「……っ」
カナエは無言で顔を背けるが、刻夜は静かにカナエの鞄を受け取りながら車に向かって歩き出した。
「まあ、無事に戻られたのなら良しとしましょう……ですが、カナエ様。あなたは二つの一族のロード(当主)になるお方です」
「分かってる……それに刻夜、私はもう29歳だよ? もう子供じゃない」
「子供じゃないと言うなら、黙って20日間も屋敷を出て行かないでください」
「……っ」
「無事に戻られたのはいいですが……まさか男性の方まで連れて来るとはね」
「彼は恋人じゃないから安心して。彼は弟子として私に直談判してきただけだから」
まさかの「弟子」扱い!? 恋人の方がまだマシだったと思うほどだが、カナエのやりとりを聞く限り、彼女は相当なお嬢様のようだ。あのルーヴ一族の生き残りなら、それも納得だが。
「maître(マスター)、二つの一族って……」
「私の父親の一族ルーヴと、母親の一族海道(かいどう)。元々少ない一族だったんだけど、特に母方はもう母さんと祖母だけ……。ルーヴ一族との結婚は、一族を残すための戦略結婚だったのよ。だから私だけが、両方の一族の魔術回路を受け継げたってわけ」
魔術師の世界では、強い一族同士が結びつき、より強い魔術師を育てることはよくある話だ。だが、二つの一族のロードになる者は極めて稀だ。30歳にもならないうちに冠位を取得するのも納得できる。
「ところで、maître?」
「何?」
「なんで俺を弟子扱いしたんだ?」
「……弟子の方が扱いやすいでしょ。恋人扱いなんてしたら、面倒なことになるから」
カナエは、これから家に帰るというのに、どこかめんどくさそうな表情をしていた。
「だから、家に着いたら君は弟子だからね? 絶対に恋人なんて言っちゃダメだよ?」
「oui, maître(はい、マスター)」
そうして車に乗り込み、しばらく走ると、あっという間にカナエの家に到着した……いや、「家」ではなく「邸宅」だ。
邸の門をくぐると、そこには色とりどりの薔薇が咲き誇る美しい庭園が広がっていた。薔薇の花びらが舞い、まるで夢の中にいるかのような光景だ。
「おお……これは美しい! 美しすぎるぞ、maître!」
「刻夜と私が毎日手入れしてるの。綺麗でしょ?」
「maîtreは薔薇が好きなのか?」
「好きというより……ただの趣味よ」
カナエはそう答えたが、その表情はどこか寂しそうに見えた。
邸の扉に到着すると、刻夜が扉を開け、カナエと俺を中に入れた瞬間だった。
ダダダダッ!!
誰かが階段を駆け下りてくる音が聞こえた。音の先に現れたのは、一人の女性だった。
「カナエェェ!!」
ガシッ!!
「ぐっ……母さん?」
「ああ、私の可愛いカナエ! 本当に心配したんだから! 聖杯戦争のためとはいえ、勝手に一人でフランスに行くなんて!」
カナエの母親、文子(ふみこ)はカナエを強く抱きしめ、頬を擦り寄せた。
「あー、はいはい…もう、いい歳した大人が泣かないでよ……」
「だって心配だったんだもん! あれ? そちらの方は?」
文子はカナエの後ろにいた俺に気づいた。
「初めまして……俺はアーチャーと言います」
「あらあら、初めましてね…私は海道文子、カナエの母親よ……もしかして、彼ってカナエの恋人?」
「ちっ、違う!! 彼は私の弟子であり従者!」
「あら、そう? 赤くなっちゃって可愛いわね。でもまあ、カナエの従者ってことにしておきましょうか」
文子は微笑んだが、その瞳には全てを見抜いているような鋭さがあった。
「と、とにかく荷物を部屋に置いて休みたいから! ほら、行くよアーチャー!」
「oui, maître……失礼します」
文子と刻夜を残し、カナエの後に続いて邸の長い廊下を歩いていく。
「それにしても、maîtreの母上は美しかったな」
「……まさか狙ってる?」
「いやいや! さすがに人妻には興味ないさ…ただ、maîtreくらいの娘がいるとは思えないほど若々しかったな……」
「母さんは今年で54歳よ」
「54歳!?」
驚くほど若く見える。カナエと姉妹だと言われても、違和感がないくらいだ。
「魔術の力か?」
「まあね。海道の魔術回路……血の契のおかげよ」
「血の契り」の起源は、伝説に語られる「人魚の血肉」から始まる。
初代海道家の当主が、古の海で命をかけて得たと言われる人魚の血と肉を体に取り込んだ当主は、不老の力を得たばかりか、他者の生命力や魔力を吸収し、己のものにするという強大な魔術を編み出し、その力が脈々と受け継がれ、時代と共に少しずつ変化し、進化してきたのが今の「血の契」だ。
そして、現在のロードである海道文子。
彼女の「血の契」は、若さを半永久的に保つ力を持ち、まるで肉体の時間そのものを操るかのような存在だ。
文子は他人の魔力を自らの糧として吸収し自身の老化を止め、まるで不老不死のような力を持つ彼女は、魔術師たちの間で「薔薇の魔術師」とも呼ばれ、その美しさと力は魔術師界隈に広く知られている。
だが、「血の契」の力には当然、犠牲が伴う。文子はその力を得るため、定期的に他者の魔力を吸収しなければならない。
そのため、文子はその力で、魔力症で苦しむ魔術師たちを救ってきた。
魔力が暴走し、命を脅かす魔術師たちにとって、彼女の「血の契」はまさに救済の力。
そのため、彼女は魔術世界でも特別な存在であり、必要不可欠な人物となっている。
しかし、どれだけ美しさと若さを保とうと、どれだけ他人を助けようとも、彼女は永遠に他人の魔力を求め続ける呪いに囚われている。
そしてカナエは、文子から「血の契」を受け継いでいるものの、まだその力を完全には理解していない…いや、カナエの魔術回路自体を本人から知らされてない。
俺はカナエに魔術回路のことを聞いてみた。
「それで、maîtreの魔術回路は?」
「……ごめん。今は言えない」
「そうか」
やはり答えてくれなかった。
魔術回路は魔術師にとって大切な秘密だ、それを簡単に教えてくれるわけがないのは分かっていたが、カナエにとってサーヴァントの俺はまだ信頼に値しない存在なのかもしれない。
それでも、カナエは俺を人間扱いし、俺に部屋を用意し、なんなら優しく部屋の説明してくれた。
「長旅で疲れたでしょ? ここが君の部屋だよ。君が本好きなのは知ってるから、たくさん揃えてある…足りないものがあれば、隣の私の部屋に来てくれればいいから」
「oui, maître」
カナエは軽く部屋の説明をした後、自室に戻っていった。
「……何かあったら隣に来い、か」
部屋に入ると、そこは「部屋」とは呼べないほど広々としていた。壁一面には本棚がびっしりと並び、まるで図書館のようだ。
俺はサーヴァントだから、本来は人間のように生活する必要なんてない。
なのに、こんな豪華な部屋を与えられるなんて、ちょっと不思議だ。
……しかしなんだろうな、このモヤモヤとした気持ちは。
あの夜から俺は、カナエに一目惚れしているのは確かだ。
だが俺はただのサーヴァント、言わば使い魔のような立場だ。
カナエ次第では俺はき捨てられてもおかしくはないが、カナエがあえて俺と極力関わりたくないのか、カナエの態度には少し寂しさを感じ、胸の奥になんとも言えない感情が湧き上がってきたのは、生前にジョセフィーヌと愛の駆け引きをして以来だ。
「簡単に手に入らない女ほど、魅力的に感じるのはどうしてだろうな……」
一方その頃、自室に戻ったカナエはというと――。
彼女は荷物を机に置き、中から赤革でできた手帳を取り出すと、勢いよくベッドにダイブした。
そして、ゴロゴロと転がりながら一人でニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「ああああ!! ついに手に入れたよ! フランスの皇帝ナポレオン・ボナパルト!! ルーヴ族の歴代ロードに語り継がれる日記に記されていた通りだった!!」
歴史の教科書や本に載っている事実が、全て真実だとは限らない。ナポレオンは、ルーヴ族が長年慕い、守り続けてきた人物。彼の本当の姿は、この日記にしか書かれていないのだ。
「で、でも……まさかあんなイケおじだとは聞いてない!! なんだよあの高身長に筋肉……完全に私のタイプじゃないか! もう!!」
カナエはベッドの上でジタバタと足をバタつかせながら、心の中で葛藤していた。
「……でも、さっき冷たくしすぎたかな? 大丈夫かな……いや、あのナポレオンだし、多分大丈夫! きっと!」
カナエは小さい頃から、父親に「ナポレオン伝説」を何度も聞かされて育った。彼は、不可能と言われたことを次々と可能にし、人々を導いた皇帝。もしかしたら、彼の導き方が、この聖杯戦争の鍵を握るかもしれない。
「リーダーとして、あのメンツをうまく導かなくちゃ……もしもの時は――」
カナエは、自分の胸に手を当てて、ぎゅっと握りしめた。そこには彼女の父から受け継がれた、特別な心臓が鼓動している。
『フェンリルの心臓』
それは、ルーヴ族に代々受け継がれてきた秘宝であり、一族最強の宝具(ノウブル・ファンタズム)とされている。
伝説では、北欧の巨大な狼神フェンリルの心臓そのものを封じ込めたと言われ、その力は神性を持つサーヴァントすら凌駕するとも。
持ち主に膨大な魔力と圧倒的な破壊力をもたらすが――そこには恐ろしい代償がある。
『フェンリルの心臓』を使うことで、一瞬にして絶大な力を手に入れることができるが、その代償として、使用者は「人間性」を完全に失い死んでしまう。
そのリスクの重さゆえに、歴代のルーヴ族のロードたちは、どんな危機的状況に陥っても、この力を使うことを避けてきた。
私の父さんもまた、この心臓を受け継いだが、決してその力を使うことはなかった。
どんなに過酷な戦いの中でも、彼は「人間であり続ける」ことを選んだのだ。
そして、今ーー私がこの心臓を受け継いでいる。
私自身も、フェンリルの心臓の力を解き放つことで、この聖杯戦争において大きなアドバンテージを得ることができるかもしれないが、それと引き換えに「死」という恐怖が常に付きまとっている。
『フェンリルの心臓』――その力は強大だが、それを使う者は、二度と元の自分に戻れないという、残酷な運命を背負うことになるのだ。
だが、私にはもう一つの力――海道の魔術回路「血の契」、そして私の「不滅の薔薇」がある。
「不滅の薔薇」
それは、私が持つ魔術の中でも、最も特殊で強力な防御魔法だ。
発動条件は極めてシンプルで、「私が即死した瞬間」に自動的に発動する。
どんな致命傷であろうと、どんなに絶望的な状況でも、私は一度だけ「死ぬ前の状態」へと完全に戻ることができる。
……文字通りの「不滅」
魔術回路が生み出すこの力は、まるで美しい薔薇の花が散り、再び咲き誇るように――死を無かったことにし、私を生前の姿に戻す奇跡の魔術だ。
しかし、この魔術には重大な代償が伴う。
その代償とは――「人間の血」。
「不滅の薔薇」を維持するには、私の体内に常に十分な量の人間の血が必要になる。
単なる魔力では足りない。生きた人間の血液が、この魔術を支えるための唯一の糧だ。
つまり、私は定期的に人間の血を摂取し続けなければ、魔術が発動できない。
もし血が足りなければ不滅の力は発動せず、ただ死を迎えるだけ。
そのため、私の部屋には特殊な冷蔵庫があり、血液パックが常に備蓄されている。
私はそのうちの一つを取り出し、ストローを刺してジュースのように飲み始めた。
もちろん、味なんてものはなく、無味で淡々とした血液が喉を通り、体内へと吸収され、魔力へと変換される。
それがまるで庭に咲く薔薇が、雨水を吸収し、再び咲き誇るかのように、私の体に魔力が戻っていくのがわかる。
「……でも、こんな姿、ナポレオンには絶対見せられないな」
飲み終えたパックを、カナエはゴミ箱に向かって放り投げた。軽快にゴミ箱に収まり、カナエは少しだけ満足そうに微笑んだ。