その日はバイトのシフトが入ってない平日だった。
だんだん日が短くなり、すっかり涼しくなって夏が終わったという実感が湧いてくる、学校帰りの夕暮れ時。
「あっ、お兄ちゃんだ。おかえりなさ~い!」
大家さんの家の前でみゆちゃんが手を振ってきた。
大家のおじさんとみゆちゃんのママが立ち話をしていて、それに付き合わされてみゆちゃんは退屈していたようだ。
俺も軽く手を振り返してその場に加わった。
「おっとただいま、みゆちゃん……と、大家さんとみゆちゃんママもこんにちは」
相変わらずスーパーでみゆちゃんとママに出会ったときは俺が荷物を持って一緒に帰り、何かしらお裾分けを頂いている。
あれ以来みゆちゃんママには探りを入れるようなことは言われてないが、話す時はボロを出さないよう気をつけるようにしていた。
しかし今日はこっちから明るく話題を振っていく番だ。
「ちょうど良かった!学部の友人に今度の学祭で出す屋台の食券を売りつけられたんです。良かったら遊びに来てくださいよ!」
バッグに入った封筒から焼き鳥とドリンクのセットの食券を5枚ばかり差し出した。
しかし大家さんは学祭の時期は旅行の予定が入っているからと辞退、みゆちゃんママも仕事のシフトの関係でみゆちゃんを連れて行くのは難しいんじゃないかと渋っていた。
みゆちゃんには以前俺が学祭でサークルの出し物でパフォーマンスショーをやることを教えたら見に来たいと言ってくれてたので、この場の思いつきにしては良い誘い方かと思ったんだが、どうやら空振りに終わったようだ。
だがここで、不要なら他の誰かにあげてくれて構わないからとみゆちゃんママに食券を預けておいたのが功を奏した。
次のエッチごっこの日、みゆちゃんが部屋に入るなり
「やった~!お兄ちゃん、学祭行けることになったよ!」
と飛びついてきたのだ。
みゆちゃんのクラスの友達のお姉さんが俺の大学を志望校の一つにしている高校生で、学校見学を兼ねて友達姉妹とお姉さんの友人も交えて学祭を訪れることになっていたのだそうだ。
そこでみゆちゃんはママに掛け合って親同士の話をつけてもらって、例の食券もあげるからと同行させてもらうことになったというのだ。
みゆちゃんって飲食店で店員に注文の声を掛けるのにも心を決めるのに時間がかかるくらいの引っ込み思案なのに、時にはこんな行動力も見せる子だったんだな、と感心するエピソードだった。
さて、こうなっては俺も学祭を張り切らざるを得ないだろう。
俺の所属サークルは3on3バスケ……まあどちらかというとバスケを口実に学部間や他大学との交流を目的にしたエンジョイ勢向けサークルだ。
土日で1公演ずつ音楽に合わせてのバスケパフォーマンスショー、日曜の朝の回にみゆちゃんたちが観覧にやって来た。
このサークルにバスケを本格的にやって来たやつなんて殆どいないというのに、今回は大成功だったと言えるだろう。
メンバー個々のテクニックは大半がせいぜい中学生の部活レベルがいいとこだが、ディスカウントショップで買ってきた仮装姿でショーアップすればそこそこ面白い見世物になる……ちなみに俺の格好は緑色の恐竜パジャマだ。
音楽に合わせてドリブルやパス回しやボールハンドリングを盛り込んだダンスから始まって、ゴール前に二列に分かれて左右から交互に全員連続レイアップシュートは、練習の甲斐あってバッチリ決まった。
ショーのシメでゴール前にメンバー横一列に並んでの連続フリースローチャレンジも俺は落とさずに済んだし、みゆちゃんにしっかり良いところ見せられただろう。
そして撤収の時はメンバー全員で観客にハイタッチして回るんだが、俺は当然のように真っ先にみゆちゃん達のいる方に向かっていった。
「やっ、見に来てくれてありがとう!」
「お兄ちゃんカッコ良かったよ!」
この日の公演の俺のハイタッチ第一号は、わざわざよそ行きでおめかしして俺を応援に来てくれたみゆちゃんだ。
勿論みゆちゃんが俺にとって特別なギャラリーであることは内緒だ。
一緒に来ていた少女たちも
「えっ、この人がみゆちゃんが言ってたお兄さん?」
「食券ありがとうございます!」
などと次々ハイタッチを返してきた。
その時思いもかけない声が俺を呼び止めた。
「おっ、若い子にモテモテじゃん。久しぶり!」
みゆちゃん達の斜め後ろから伸びてきたハイタッチの女性の手は……誰だ?
数秒記憶を手繰って辿り着いた結果は、このサークルのOGであるN村先輩だ。
「こんちわ、お久しぶりっす、N村先輩じゃないっすか!」
本気で目を疑ったよ。
俺の知ってるN村先輩はイカツいメイクであちこち金具をぶら下げた黒主体のバンギャファッションだったんだが、今俺の目の前にいるN村先輩はシックで清潔感あるフェミニン、とでもいうのか?
女性のファッションのことはよく分からないけど、まあそんな感じのいかにも大人の女性って感じだ。
まるで別人……女って卒業から1年も経ってないのにこんなに変わるものか。
「お前ら、後で差し入れ持ってくわ」
気付いた他のメンバーも
「えーっ、マジN村先輩!?」
「すげー、全然別人!」
「先輩あざーっす!」
などと次々お礼の声を上げる。
そうこうしてるうちに皆がパフォーマンスの後片付けを始めた。
「じゃ、みゆちゃん達もまた後でね!」
俺は手を振って、メンバーに追随して控室に撤収していった。
俺達のようにクラブハウスに部室を持たないサークルが学祭で出し物をする為に、端っこの学棟のいくつかの教室が共同控室として用意されている。
うちのサークルの使用スペースの机に置いてあった先輩の差し入れのジュースとそこそこ良いケーキ屋の個包装された焼き菓子を受け取ると、みゆちゃん達に合流すべく俺は恐竜パジャマを着替えもせずそそくさと控室を抜け出した。
「さて、どっちに行ったものか……」
「お疲れさん!もう行くの?」
振り返るとN村先輩が腕組みで立っていた。やっぱりあの格好は違和感あるな。
「ええ、ちょっと近所の娘さんの知人……?でうちの学校を志望してる子がいて、学内案内の約束してるんですよ」
「ん、そうか。でもちょっとだけ話させてよ、すぐ済むからさ」
「はぁ……」
N村先輩は気まずそうに目線をそらして、言いたいことを整理するように頭を捻りながら人差し指で宙をくるくるかき回した。
「いやほら、あの頃はメンヘル丸出しでさ、あんたのこと体の相性だけは良いセフレみたいに散々付き合わせちゃった上に、就活で忙しいからって勝手にフェードアウトしちゃってさ……」
「気にしないで下さい。俺も先輩のこと、何だかんだ振り回してくるセフレと思ってた自覚、ちょっとはあるんで」
「正直に言い過ぎだよ~、仕方ないけどさ」
先輩は笑いながらつかつかと近付いてくると、俺の肩に手を回して空いてる方の手で手刀を切った。
「まあとにかくごめんってゆーか。私のせいで変にあんたの女性観こじらせたりしてないかと思ったんだけど」
この人との関係について後悔してる面は確かにあるけど、あの程度にはセックス経験に余裕がなければ今のようなみゆちゃんとの関係を築けなかっただろうな、と俺は確信している。
「でも心配要らなかったみたいだね。あんた、前よりちょっとイイ男になったと思うよ?」
それを言うなら先輩だって……と口を開こうとすると、先輩は急に俺の顔を覗き込んで、唇を重ねてきた。
何故かは分からないが、以前の先輩とはこんな風に優しいキスをした覚えはない。
数秒を経て唇を離し暫く見つめ合うと、俺達二人の間にちょっと冷たい風が吹いたような気がした。
悪くない。もうこの人の手首の増えていく傷痕を心配せずに済むって安心した自分がいることが確認できた。
「今はどんな子と付き合ってるのか知らないけど、大事にしてやんなよ!」
「ありがとうございます、じゃあ!」
互いに微笑んで軽く手を振り合うと、先輩は控室に戻っていった。
と、それと入れ違いに後ろの方からみゆちゃんの声が聞こえてちょっとギクッとした。
「あっ、お兄ちゃん見つけた~!」
やばっ、さっきの見られてないよな?と慌てて唇を袖でこする。
今のみゆちゃんとの関係は俺もどう表現して良いものか難しいところだ。
でも先輩に言われるまでもなく、みゆちゃんを大事にしたいって気持ちだけは間違いない。
「お待たせ、みゆちゃん!ジュースとお菓子を貰ってきたよ!」
俺は振り返ってみゆちゃん達に向かって走り出した。