常盤台の女の子を抱いた、という話は他のひとにできるものではない。
教師とか事務員といった関係者ならいざしらず、そこに通う学生ともなれば、ロリコンの謗りを免れえないだろう。
――昨日の彼女は、年齢の割に大人びて見えた。
そう呟いてみるが、説得力は疑わしかった。一番大人に近い要素も身長くらいのもので、肩の丸さや骨盤の小ささなどはほとんど幼かった。それ以外の部分はまさしく”過程”と言った感じで、彼は自分のしでかしたことが、今後の発育に影響を与えるのではないかと危惧してみさえした。
最初こそ、どこかに自制はあった。
けれども、結局はやってしまったのだ。
――一応、そのはずだ。
上手くいったとは言い難い。彼女はずいぶん痛がったし、彼の方も達することができなかった。切り上げたときに彼女が呟いた、「自傷行為みたいなものね」という言葉がリフレインされる。傷は反復されるし、人間は、そのことを強調したがる癖がある。
「何かあったら」と彼は連絡先を交換した。
「何もないわよ」と彼女は帰っていった。
こんな話が、周りの人間にできるわけはない。世話になっている友人にもだ。
・・・♪・・・
青年は自分の家にいた。賃貸部屋、十階、2LDK。学園都市の新技術を試すためのテスト建築。そのためか、安全性を不安視する親御は多い。あくまで局所的なルール。代わりに、広くて賃料が安い。ここには、後ろ暗いことがある奴か、青年のように自分で稼いだ金で住んでいる奴しかいない。
正直なところ、彼はこの広さを持て余していた。持ち物が少なく、必要なのはラップトップと灰皿くらいなものだ。一応観葉植物が置いてあるが、すでに枯れている。本は読むが、図書館ネットワークを通じて借りたものだ。パソコンについても型落ちで、時々死んだように動かなくなることが増えてきた。処分してしまってもいい。
ベランダで、煙草に火をつけていた。
彼自身は吸ってはいなかった。灰皿に乗せて、夜風に吸われているのを放っている。線香のような扱いだ。彼は煙草の香りが好きだった。
学園都市の夜景も好きだった。
特別な場所に出向くのではなく、こうした住宅街の方が良い。様々な高さの家やビルが立ち並び、そこの灯りが着いていたり消えていたりする。都市が共謀して、何らかのサインを示すことだって可能な気がする。
――だとしても、その対象はおれじゃないだろうけど。
彼は夜が侵入してくるままに任せている。雑踏が、(灯りが着いているということは)誰かの存在、その影のようなものが、風に運ばれて部屋べやの隅まで浸していくのを待っている。そうとしか言えない時間だった。他から見れば――そして、彼自身にとっても、どうでも良いような時間。
彼は何かを待っていた、純粋に。特別の相手はいない。
目を閉じて、自分の住んでいる部屋のレイアウトを想像する。夜に隅まで浸っているところが想像できれば、彼の頭は軽くなる。大学の課題やアルバイトのことが思い浮かんではダメだ。そういう場合は、おとなしく取り掛かるが、再びこうして夜の室内を想像することはしない。これは一種の賭けだった。
勝率は五分。
今日は負けの日だった。
下の方の階の奴らが騒いでいる。普段であれば、それも夜景のひとつとして処理できる。しかし今日はダメだ。特に昨日の翌日の今日はダメだ。男女混合グループの中に、騒いでいる女がいた。いつものように上げている嬌声に似た悲鳴が、耳につく。
――昨日のあの子はそんな声を上げなかった。
頭の中では否定するが、どうしてもそんなシーンを想像してしまう。
――あの子は、一体どんな声で啼くんだろう。
そう考えると、手元に彼女の肉体の感覚が蘇ってきた。具体的に言えば、腕、腰、脚。順番に思い出され、そのまま手のひらに残り、そこで 溶け合った。そうしてみれば、彼女の本質のようなものだった。見るに白磁のような滑らかさ、しかして触れるに綿と餅を合わせてような柔らかさがあった。遠慮がちだったせいかもしれないが、骨などないかのようだった。
頭の奥が熱くなってくる。
彼は目を開ける。煙草はまだ残っている。これでは寝室に籠るわけにもいかない。こだわりの少ない彼にとって、この時間だけは決められたものだったからだ。成功しようと失敗しようと、二本が根本まで灰になるまでは、動けない。
下半身が硬くなっていた。
こんな過ごし方になるなんて初めてのことだった。
どうにか落ち着けようと、彼は街の方を見る。この時間恒例の、焦点の定まらない目つきだったが、普段とは違って助けを求める風でもあった。何か気を紛らわすものがほしかった。
――連絡先は交換したけど……
新たに登録された名前を確認してすらいなかったのだった。どうせ二度と会うことはないと思ったからだった。
それが、今は違う。
彼女に会いたくて仕方がなかった。あの小さな手で、握ってもらうことができたなら――頭の中に、手のひらの上にある、肌のイメージを総合させてみても、きっと違うという確信があった。
建物の屋上を何かが跳んでいるのが見えた。人の形をしている。それ自体は、ここが学園都市である以上、ありえないことではなかった。彼が驚いたのは、それが見覚えるのある姿だったからだ。
――昨日のあの子に似ている。
ちょうど煙草の灰が落ちるところだった。彼は灰皿の脇に置いてあった携帯端末を掴む。元々交友関係は狭い方だったから、新規に追加された名前は確認することができた。指先が震えるような焦りの中で、しかし迷わず通話を繋ごうとする。
「はい、もしもし」不審げな声。
間違いない、昨日の子だ。
「御坂美琴って言うんだよな?」
「そう表示されてるんでしょ」
ごうっ、という風が吹く音が聞こえ、次にバタバタと何かが靡く音がする。コンクリートに着地する音と、走る音、そして跳躍するため地面を蹴る音。また風の音が流れ、変わる。その一連の音と声が繰り返されている。
その合間に聞こえる吐息に、彼は身悶えしたくなった。小さな要素が、昨日の夜、果たせなかった夢の続きを示していた。
「電話してきて、どうしたのよ」
風をバックグラウンドに、彼女は聞いてくる。素早い音の移り変わりは、今彼が遠目に見ているものと全く一緒だった。
「ここから、君が見えるんだ」
風が止む。
「どこ?」
「今から来てくれないか?」彼は言った。
それから少しして、御坂美琴がベランダに現れた。
正確には、そのフェンスの上に。