新天地という名の人生の再スタートを探し求め、文字通り私は三日三晩山の中を夫婦に出会う以前の毎日のように彷徨い歩き続けた。
すると今度は笑えるくらいにあっさりと求める場所は私の前へと姿を現した。
竹藪を掻き分け、数歩歩けば断崖絶壁な山の上から下界を見下ろすと、そこには村があった。小規模ではなくある程度の大きな村であった。
ぱっと見だけど住居も外の通行路も綺麗だし、行く人行く人はとても楽しそうな生き生きとした表情で歩いている。
しかも、より詳しく観察すれば頭から角が生えた幼子が『疲れた。』と心の声で言ってとぼとぼと歩いて行くのも見えた。その後ろには大人の人間の男性と女性が居る、以前の私のような関係性の親子だろうか?
人々の幸福そうな表情、そして妖怪の存在、そして綺麗に整備された村という巨大な箱庭。
私はどんな遠距離からでも第三の目を使えば生き物の心が平気で読めるので、どうやらこの村は幸福度指数の高い当たりの村のようだった。
「いっちょう行ってみますか!」
私は久しぶりに聴いた自分の黄色い歓声を自分の耳で確と聴き取り、ここまで辿り着くのに自然界の物質でドロドロに汚してしまった着物を更に土や草の種などで上塗りしながらなりふり構わずに眼下の村へと駆けていった。
○
「い・・・・い・・・い~~~???」
私はあと数寸先を歩けば村に入場できるというのに、村の名前が書かれた看板とかれこれ数時間もにらめっこをしている。
知識を嫌と言えるほど貯め込んだ今なら「祝い村」の文字なんて容易く解読できるが当時の私はあまり教養が無く、文字の読み書きは結構出来る方だと思い込んでいたがその知識や過信はたまにボロが出る始末であった。
「やぁお嬢ちゃん、もしかしてこの村に用事でもあるのかい?」
急に耳に入り込んできたその声の主の方を向くと、私の目の前に銀色の長髪で真紅の瞳を持つ、ただならぬオーラを身に
そのオーラは例えるなら火・・・・火と言っても囲炉裏の弱っこい火じゃなく、燃え盛る業火のような火であった。
「うん、私今日からここで暮らそうかなーって」
「ふぅん、そうか。というかお前、妖怪だろ。聞くも無くその珍妙な目を見れば分かるけど。初めて見る感じの妖怪だなぁ・・・・それに生まれたばかりと見た。」
「失礼な!妖怪だけど生まれたばかりの赤ん坊じゃないよ!かれこれ三年は経過してるもんね。」
「いやいや。私にとって見ればというか、お前らの種族基準から見ても三年はまだヒヨコ状態で修業期間だよ。」
あははと、私をからかいならがらもその人の紡ぐ言葉には不思議と嫌味を感じなかった。
「あなただって、人間だけど人間じゃない・・・・半分妖怪みたいな匂いを感じるわ。」
「うん、まぁ当たりかな。」『勘のいい
「不老不死・・・・死ねないって辛そうね。」
「おぉ、人の心が視えるのか。大した能力だ。だが
「不老不死なのに?」
「・・・・そう、不老不死なのに。でもこの呪われた体質にもいつか果てが見える刻(とき)がやって来る、私はそう信じて生きているよ。」『全く確証も道筋も見えないがね。』
「そう。なんだかあなたって、悲しい人ね。じゃあ私は新しいおうちを探しに行くからこれで、」
「ちょっと待て。その村に行くのはお勧め出来ない。今すぐ引き返して別の穏やかな村に行くんだな。」
「・・・・どうして?何処に行こうが私の勝手でしょう?それにあなたの心が言うにはあなただってついさっきこの村を見て回って、嫌な殺気を少し感じただけでビビッて引き返した臆病者だって視えたけれど?」
「そこまで視えれば上等だよ。いいか?私はこれまで色んな村や土地を旅して歩いた。その道中、少しでも嫌な殺気を感じる事なんて腐るほどあったさ。だけど、この村に感じる
「それで?その話に嘘偽りはないようだけど、結局なにが言いたいの?」
「私はお前みたいな純粋な眼の透き通った子がその邪悪さに押し殺されてしまわないか不安でしょうがないんだ。だからこの先に進むのはお勧めしない。」
だけどこれは私の人生だ。私自身が良いも悪いも、進むも進まないも決める事だ。
「愛を感じる忠告ありがとう。でも私はこのまま行くね。だってせっかく見つけた世界だもの、楽しんで飛び込まなくちゃ!」
私はそう彼女にお礼を言ってこれから見える未知の新しい景色を想像してニカッ、と笑って見せた。
「・・・そうか。ま、お前の人生なんだ。好きに選ぶといいよ。」
『でもやっぱり心配だよ。』と、随分とお人好しな彼女の声を聞きながらも私はそれを無視して「じゃあね~、またどこかで会おーね-!」と本心な元気な声で叫んで村へと猛ダッシュで走っていった。
○
「行っちまった・・・」
私は心が読める目を持つ妖怪の幼子の背中が点になって地平線から見えなくなるまでその姿を見送った。
あれは純粋すぎる。純粋すぎるからこそ危い。
綺麗な
私はそんな人間や
せめてあの娘の幸せを祈る程度しか今の私には出来ないし、心配だからと言って村に引き戻るような偽善者にもなりたくなんかない。
あくまであの子はあの子の人生であり、私は私の人生を生きるだけだ。
そう割り切らなければ、人生と言う名の永遠に続き続ける旅路に迷いが生じてしまう。
またどこかで会おうね!か。
残念ながらその日はもう来ないだろう。もし会えてもお互い気付かずに素通りし合うか、交わることのない場所で生き続けるか、なんだかそんな気がしてならない。
「じゃあな。達者で。」
私はもう聞こえないであろう決別の挨拶を妖怪少女に向けて放ち、村を後にした。
○
「うわぁーーーー!」
山から降り立って村の住民と同じ視界に立ち、上からぽつんと眺めていただけでは分からなかった村の全貌が今では私の顔面の二つの瞳をあっという間に虜にした。
夫婦以外に始めて見る人・人・人・人の群れ。それぞれが思い思いの衣服を着て、色々な思想を持ちすれ違っている。
そして家屋。前に住んでいた家のような
そして一番興奮したのは何ていったって色鮮やかな店とそこに並ぶ道具や玩具や食材だった。
夫婦と接し、山奥である程度の自然と動物に触れて来た私はそれで「世界」の全てを知った気になっていたけどそれは全くの勘違いであり、村にはありとあらゆる多種多様な「心」や無機物が転がりまくって存在していた。
この店は魚屋。店頭に並ぶ魚はもう死んだ目をしており息は絶えていて心を読み取ることは出来ない。だけどもこんな形や色の魚が海には何万匹と泳いでいるといういい教材になる。
この店は八百屋。桃や
この店は道具屋。心の見えない鉄の塊たちが机の上に無造作に並べられていて、夫婦の夫が使っていたようなノコギリや短刀が売っていた。
この店は最初はよく分からなくて、宿屋と書いてあったのでなんとなく入ろうとしたら入り口に立ちんぼしていた禿げ頭のおじさんに袖を引かれて止められた。
「子供の入る場所じゃねぇんだ。さ、あっち行った」と、私を門前払いをしたそのおじさんの心を読み取るに、ここは夫婦が時々行っていた夜の情事を仕事として行う女性の溜まり場ということに気が付き「なるほどねー」とその店を後にした。
この店は玩具屋。私もこの姿で産まれて数年しか経過してないからか、年相応に一番このお店に惹かれて長時間居座った。初めて飛ばす竹とんぼや自分の視界が数段高くなる竹馬や私の第三の目みたいな丸いビー玉など、とにかく子供の心が容赦なくくすぐられた。
最終的には優しく見守りをしていた店主が『買わないから早くどけてくれないか』と思考し始めたので私は流石に空気を読んで名残惜しくその場を去ったけれども。
私は個性豊かな村の店を一軒ずつゆっくりゆっくりと味わいながら観光していく。
三年生きて初めて見る色合い、手触り、それを間近で見て触れる時の感情・・・・まるで灰色の世界が更新されて全て塗り替えられていくような錯覚を強く感じた。
ああ、人の形に産まれて本当に良かったなぁ。
私はそんな感情に一人浸りながら、泥まみれに黒く染まった着物で村を縦横無尽に歩き続ける。
『汚い子ね・・・』『なんだこいつ、気味が悪い』『あれは、目か・・・妖怪じゃないか。でも迂闊に手を出して厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ』『あんなのが自分からここに来るだなんて珍しい』『どこから逃げて来たのかしら』
私とすれ違っていく人は皆、無言で心の声で私の事を好き勝手言う。
別にいい。気にしない。人の心なんてそんなものだと、最初から割り切れているから。
この村がすっかり気に入った私は何度も何度も村の隅々を周回し、大体の店や一般住居の場所を把握してきたところで未だによく分からない張り紙について思考を巡らせていた。
その張り紙には「妖怪・物の怪・神通力者等を知る者は祝い村役所へ。もれなく優民権を与える。」と、達筆で文字だけが書かれていた。
祝い村役所は村の中央の一番端あたりにある大きな建物であり、いかつい顔をした門番が二人で
「別に人間じゃない子だって居るんだから、わざわざ報告しなくてもいいのに、変なの」
私は山の上からこの村を見下ろした時に発見した、頭から角が生えた幼子のことを思い出す。
この村の住民は間違いなくここの生活を謳歌している。第三の目で繰り返し村民を視ても全く不平不満の心が読み取れないからこそ、私みたいな妖怪や人外に風当たりは強くないはず。だと思っているのだが、どうだろうか。
そりゃ、私のこの汚れに汚れきった着物姿は多くの人に不快感を与えるのはしょうがないが、きっともっと身なりを綺麗にすれば村民も私を受け入れてくれるはずだろう。
とりあえず張り紙の事は考えても答えが出ないので一旦置いといて、私はこれからここで生活を立て直すためにまずはどんな行動をすればいいのかに舵を切ることにした。
まず最初は安定した仕事を見つけ、次に住むところ、それから・・・・・
「ねぇ、君。」
不意に聞こえた声の方に軽く顔を向けると、私より背が幾分か高いがまだ子供のあどけない少年が赤い顔をして私のことをじっと見つめていた。
『好きだ。』
少年はもじもじとした何か言いたげな表情を浮かべながらも、心の声でダイレクトに私に告白をしてきた。たぶん「ねぇ、君」の後には取り留めもない事を口走る予定だったのだろうけど、私の第三の目には全ての人の大本命の本音が映し出される。
「えー!?急に告白!?あなたってばかなり大胆な人なんだね~?」
私は思わず面白可笑しくその子にそう切り返してしまった。
「!?、こ、告白なんて俺、してないけど」
少年は更に顔を赤く染め上げてギクッ、と体を大きく震わせる。もうその行為自体が答え合わせのそれだというのに未だ心の中で『なんで好きなことバレたんだ』なんて思っているものだから余計に面白い。
「嘘つき。私はね、この目で人の心の中が視えちゃうの。だから君がいくら誤魔化そうとしたって意味が無いんだよ。だからさー、どうして私にそんな恋しちゃったのか教えてくれない?」
私はずいっと、少年の顔に触れるか触れないかまでの至近距離で近付きそう提案をした。
なんだかいつの間にか、それこそ無意識のうちに私の方がその少年に興味が湧いていたのだった。
その後少年は私に嘘偽りなく馬鹿正直に私への感情を紐解いてくれた。
私が村に入った時から私に一目惚れをして後ろから私をこそこそと追っかけていたこと。
楽し気な、それでもたまに悟りを開いたような虚ろげな表情をする所にも惹かれたこと。
そして最後に間違いなく君は運命の人だと思ってくれたことを言って、全てを出しきったかのようにすっきりとした表情で私への熱い恋を語り終えた。相変わらず顔真っ赤だけど。
「そっか~。そんなに私のこと好きなんだねー、これが❝恋❞って感情かぁ。❝愛❞は見たことがあるけれど❝恋❞は初めてだわ・・・もしかしたら私達、恋から始まって愛に
「それってどういう意味?」
「まぁ、夫婦ってことかな」
「ふ、夫婦・・・・!?」
少年は尚も
別に一々恥ずかしがらなくたっていいのに。今私とあなたはお互いに表の会話も裏の心の会話も全て本音で語り合っているんだから、恥ずかしい事なんて何一つ無いのに。
人間って本当、着飾る生き物ね。
「でも私は思うの、まだ夫婦は早いから最初は恋人から。そこから初めてみたいなって・・・・」
「う、うん。分かったよ。よろしくね。」『やった!良かったよ勇気出して、今とても最高の気分だぜ俺!』
「ふふっ。あ、そういえばあなたのお名前を聞いてなかったわ、なんていうの?」
「俺の名前は耕多(こうた)。君の名前は?」
「私は・・・・」
一瞬、「あかり」という言葉が脳裏をよぎったが、その名前にあまりいい思い出は無いし、その名前を一生背負って生きる義務も無いので、
「恋。私の名前は恋よ。」
咄嗟に思いついた、今日初めて他者から感じた感情の名前を私は自分自身に付け、そのおかげで私は過去を清算したかのように生まれ変わった気持ちになれた。
恋ってすごい。
「ところで耕多。薄々気付いているかもだけど、私、妖怪なの。人の心が視えちゃう妖怪。それでも私の事を恋人にしてくれるの?」
「ああ。妖怪でも人間でも関係ない・・・・俺は、ただ単に君が、恋のことが大好きなんだ。」
私の持つ二つの瞳と第三の目が、目の前の彼のことをひどく捉えて離さない。
「あら、本気なんだね。」
私の「心」に何か熱いけど温かいような、とろりとした感情が落ちてきて気が付けば私の頬は彼をバカにできないほどに熱くなってしまっていた。
○
それから私は耕多に行く当てや生活の基盤を立てたいという相談をし、それならと耕多は自分の家の商売の仕事を紹介してくれた。その話の後すぐに私達は着物やその他の衣服を沢山売っている呉服屋を営む耕多の家へと向かい、「ここで働かせて下さい」と私は産まれて初めて頭を深く下げて店主である耕多の両親へとあいさつをした。
耕多の両親は私の唐突な交渉や、何より私の泥まみれの容姿や第三の目などを見て酷く困惑し
『これで恋とずっと一緒に居ることが出来る・・・。』
私の新しい生活が決まった時、そんな声が耕多から聞こえて思わず私はどれだけこの子は私の事が好きなんだろうか、と思ってしまった。悪い感じはしない。むしろ心がなんだかくすぐったい感じがした。
そこからの私の人生はまるでいつか見た川の流れのように目まぐるしく早い流れだった。
私は第三の目で来客の求める着物や衣服などの要望を細かく読み取り、常にベストな選択をして臆することなく積極的にバリバリと接客を頑張った。
そのおかげであっという間に呉服店の売り上げは右肩上がりになり、元々安定した売り上げであった店が更に裕福になっていった。
それと並列して、私という存在も次第に村の皆に受け入れてもらえるようになり、しまいには商売上手で話好きな妖怪の看板娘として愛されるような存在になった。
定期的に村の人々は「何の妖怪なんだい?」という質問を私に投げかけてきたが、私は「目玉の妖怪なんだよ」と適当に返事を返していた。
私の経験上、そんな無難な回答の方が多くの人は安心するし、人の心が視えるなんて言えばまた不信感の争いの種を蒔きかねないので喉の奥へと第三の目の秘密はしまっておいた。
私の第三の目の力を知る耕多やその両親はどうしてかは分からないけど、私のそんな秘密主義にとてつもなく賛同してくれていた。
店では仕事に専念して没頭し、住み込みの大きな家では大小問わない掃除やご飯作りの補助や雑多な家事などを、これもまたバリバリとこなした。
仕事も家事も人との関わり方も、全てかつてのあの夫婦から学んだことが今や経験値という生きていく上での私の血肉に
確かにあの時の別れは辛かったし、心が読める自分の性を呪ったりしそうになった。
だが今だからこそ言える。あの時、涙を必死にこらえて良かったと。自分の可能性を諦めないここまで歩みを続けて来て良かったと思える。
今の私は幸せだ。
ようやく気まずくない、本物の家族に出会えた。
毎日平和に何気ない会話を行い笑い合って同じ鍋を箸でつつける幸せな家族。
きっと私が昔、暗い夜の森で探し求めていたのはこれだったんだ。
それに私の隣には大切な恋人が、耕多が居る。
産まれて初めて「恋」を教えてくれた人。
仕事終わりや家事がひと段落つけば、私と同じく仕事や家事をしている耕多と合流をして恋人らしく、手を繋いで楽しく子供相応に遊んだり何を買うでもなく村の店を見て回ったり、時には村の少し外側で川遊びをしたり極秘で二人きりで星空を眺めたりした。
恋の花は最初は砂粒のような小さな種であるが、親愛という水を与えるにつれてやがて美しい赤き薔薇の花を咲かせる・・・・そんな夢をこの頃に見た記憶がある。
それは「私も好き」と表に表現していても内にある秘めた恋や愛、激情・・・・。
私にしか分からない恋と愛の、尊い薔薇の花たち。
私は常に耕多に向けてその見えない綺麗な情熱の薔薇を送り続けている。
彼は多分、そんな私の恋心をこの先一生知る由も無いだろうけど。
それくらいに私はあの時代、「恋」や「愛」に
恋は祝福であると同時に、呪いだ。
その人のことを考えれば考えるほど、幸せになりまるで気持ちよく浮遊している気分になり、今度は逆にもしその人を失ってしまったら、という圧倒的な恐怖感にも襲われる。
けれどとりあえず、私の好きな耕多が私の隣に居てくれればそれだけでいいや。そうも簡潔に思える。
ある日のこと。ごくたまにしかない完全に仕事も家事もお休みの日の出来事だった。
その日私と耕多は朝日が夕日に様変わりするまで村の外で遊び、遊び疲れたねと河原にある腰掛のような巨大な岩で二人並んで炎のような真っ赤な夕日を見ていた。
「ね、耕多。私さ、耕多に会えてとっても良かった。毎日ふわふわして心地が良いの。これもまた恋ってことなのかな?」
「うーんどうだろう?恋の心は俺には見えないからな。だけど恋がそう思うんだったらきっとそうだよ、そうに違いない・・・・俺だって、恋に会えて良かったと思ってる。」
そう言って彼は私の右肩に手を置き、そのまま軽く私の身体を引き寄せた。
言葉ではない「行動」という愛情表現の一つであり、それもまた真実のものであった。
私もそれに応えるかのように、彼の右肩に軽く、枕のように頭を乗せて寄りかかる。
そうしていつもみたいにお互いの手が無意識に伸びあって、一つに繋がるのだ。
「ねー耕多」
「何?」
「いつもとは違うコトしてみない?もう手を繋ぐのも抱きしめ合うのもやり尽くしちゃったし。」
「いいけど、どんなこと?」
「それを耕多が当てるんだよ。簡単でしょ?」
「簡単なわけあるか。くそー、俺も恋みたいな目があればなんて良かっただろう。」
「あははっ!残念ながらこれは私の特権でーす、誰にも渡しませーん」
私はそう言って自身の緑色の第三の目を人形のように胸のあたりに抱きかかえ、やがてそれを実行するためにすぅ、と僅かに息を吸った。
「耕多。私を見て。」
私のどこか大人びたような口調に驚いたようで耕多はスッ、と視線を私の方に合わせる。
そして間髪入れずに私は耕多の唇に口づけをした。
川のせせらぎや虫の鳴く声がしているというのに、二人の間に言葉に形容しがたい静寂の空気が流れる。
その流れを醒まさぬ内に、もう一度私は自分から口づけを仕掛けようとした、が、私よりも先に今度は耕多が先に私へと勢いよく口づけをしてきた。
口づけ、それは恋する者どうしが愛を確かめ合うために行う肉と肉の触れ合い。
都合のいいことしか言わない、肝心なことは触れない人という形態の生き物の部品である唇を重ね合い、人は情欲を、そして物理的な繋がりを求め合い高めていく。
最初は小鳥が互いに
「恋、恋っ・・・・!」
「耕多、あ、愛ひてるよっ・・・・!」
私達は親や人目の監視員が居ないことをいいことに完全に陽が落ちきるまで、真っ赤に燃え盛る情欲のような夕日に照らされながら口づけを続けまくった。
その日から私の「恋」は「愛」へと進化した。私という自己が確かにそれを実感した。
○
ある日のこと。天気はいいが夏の気温も少しだけ下がってきたような涼しい頃だった。
「いらっしゃいませー!本日は涼しげな商品が目白押しだよー!!!」
私は何時ものように呉服店の前で商品整理をしつつ、自分の出せる最大限の明るい声を出してお客の呼び込みに勤しんでいた。
「お、あなた初めて見る顔ね!どうどう?ちょっと寄ってらっしゃいな!」
この村に来てちょうど一年半、全住人の顔や名前を覚えていたつもりだった私の前にまるで何色にも染まらぬ白装束のような着物を着用し、絹のようなさらりとした薄水色の腰まで伸びる長髪を身に
私は普段から開いている顔面の二つの瞳と第三の目を更にくわっ、と開いてその子を再度視察する。
あの子、妖怪ね。
すぐに判った。私という種族と同じ匂い、おんなじ雰囲気。でもちょっと特殊で特別みたい。私より遥かに強い妖怪さんかも。
その子の両目は前髪に覆われていて全く肉眼では視認出来なく、何だか彼女自身が自ら望んで必死に前髪で両目を覆い隠して己と周囲を拒絶している感じにも見えた。
ちょうど目隠しのその子は私が居る呉服店の斜め向かいの茶屋に向かおうとしたので、休憩の所申し訳ないがその子に興味が湧いてきたから再度、お安くするから商品を見てってくださいなというセールスな形で話すきっかけを得ようとした。
だが私は口を開きかけてまたすぐに元通り閉じた。
その子の後ろから猟銃と刀の二刀流の武器を持つ、強そうな体をした村の役所所属の兵隊が二人、威圧的なオーラを放ってやって来たからだった。
私が口を閉じたのはその兵隊を恐れたからではなく、今は話しかけるタイミングではないと、何より目隠しの子の身を案じてのことだった。だって、
『なんでこんな不愛想で怪物みたいなガキの御守りなんかしなきゃなんねーんだ、面倒くさい。俺だけこんな貧乏くじ引かされてよぉ、あー腹減った。』
『畜生、最近入ったからってこんなシケた仕事させやがって、イライラするなぁ。こいつが妖怪じゃなく何の力も持たねぇ弱い
だなんて下衆な心が次々と兵隊から漏れ出ていたから。
この村に来てからも度々こういった類の、自他問わずに目を背けたくなるような「心」を
だって人間なんて皆、そんなものだ。
私だって、他人事ではなく人の形と心を持つ黒い人形のようなものだろうし。
兵隊の二人は斜め向かいの茶屋へと腹ごしらえをするために入店をし、その前に目隠しの子は片方の兵隊に「お前はここで待ってろ」と冷たく言われ、こくり、と首振り人形のように軽く無言で了承をした。
その機を逃さずに私は、呉服店の客足が少ない今が絶好のチャンスだと思い目隠しの子に向かって一直線に小走りした。
すとんっ、と茶屋の入り口前に置いてある赤い敷物が引かれた二人掛けくらいの椅子に私は座り込み、にこにことした表情で目隠しの子の顔を覗き見た。
「こんにちは。初めましてだね、私の名前は恋。あなたは?」
「・・・・・・・・。」
『ああ、これが噂の。役所の兵隊と大名が言ってた人の心が見える妖怪ね。なんて
初手からかなり好感度は悪いみたいだ。あくまで表側の心の声だけど。
「なんだか息苦しそうね、あなた。あんな大人になりきれないような男たちに見張られて、生きづらくない?」
『余計なお世話よ。いつも見張られてるわけじゃないし、今日はたまたま。それに、これが私の生き方なの。私は本来なら全身に
「どうしてそう、あなたってば極端なのかな~?生きてここまで来た時に何があったの?私にだけ教えて頂戴よ」
「ガルルルル・・・・ヴヴヴヴ・・・・」
目隠しの子は私が今まで生きてきて聞いたことがないような、獣のような唸り声で私に表面上は憤怒であるがその真は未完成な怒りの感情を何度も突き付けてきた。
そうして一つ判ったことがある。
「あなた、もしかして喋れないの?」
「ガルルル・・・・ヴーーー・・・・・」
『そうよ。何?悪いの?』
獣のような唸り声の重低音が私の耳に聴こえるたび、目隠しの子の口内が見える。
まるで鮫のようなギザギザとした歯が人間の歯と同じくらいに並んでおり、左右両脇には犬歯のような大きめの牙が見える。
「そんなに怒らないで。心が触れ合うのを恐れちゃ駄目だよ。私とあなたは同族。同族ならそれなりに話だって理解できるはずよ。」
「ヴヴ・・・・。」
目隠しの子は私への威嚇を一時止め、ハーとしんどそうにため息を吐いて心の中で私に話し始めた。
『私の名前はヒサメ。大昔、まだこの島国が神だけを中心に生きてありとあらゆる責任や自分の複雑な心でさえも神に丸投げしていた頃から居た神様よ。だけどある神刀を持つ戦士を、私はあまりに傲慢だと私刑で殺して、その後も多くの戦場で自己の利益しか考えない軍隊やその長を氷の矢で殺していった。戦に関係なく、そして神という立場に関係無く私は数え切れない罰当たりものを自分の意思で殺していったわ。』
「ふーん。」
『やがて今度は、ふふっ、皮肉なことに神である私が更に上の存在の神に見限られて落雷の罰を受け地上に堕とされて弱体化し、おまけに声帯も奪われて今の姿の妖怪になった。当然の報いよね。笑えるわよね。』
「別に?」
『ただ妖怪になっても
「売り飛ばされる・・・?」
『ま、こんな私にはお似合いの結末ね。どう?口では平然を装っていたけど、私の事なんか興味なくなったでしょう?だからもうどっかに帰って頂戴。私は一人が一番気楽なの』
「・・・・嘘ばっかだね。」
『何?』
「私は大昔に沢山人を殺しちゃいました、ってそれがどうしたの?あなたとお友達になってみたい私にとってはどうでもいい過去のことだし、あなた自身だってそんなのは過去の出来事でしょ?大事なのは今の人生そのものだと私は思うけどなー。」
『何を言っているのよ!?過去は消せない、私はたくさんの尊い命を奪った。だから私はそんな人と関わって昔を忘れるような能天気なことしちゃいけないの!常に自分で考えて悩み続けなきゃ!』
「あーはいはい。分かった分かった。つまり、ヒサメちゃんはこれが欲しいんだね。」
私はそう言ってヒサメちゃんの顔を自分の胸元に抱き寄せて優しい抱擁をした。
『!?』
「あはは、驚いてる驚いてる!これは私の伝家の宝刀。つい昔までいつもお母さんにしてもらってたんだ。こうやって抱きしめられると、ぐるぐるした思考もぴったり止んで寂しい気持ちも何処かに飛んで行っちゃうんだよ?人って不思議よねー。」
「・・・・・。」
ヒサメちゃんは私の中で必死に口元を見られないように沈黙を続ける、だが私の第三の目には彼女の酷く安堵した感情や今までの悲しみが堰を切って溢れ出しそうなことをしっかりと確認済みであった。
『あの・・・・』
「うん?」
『あ、ありがとう。恋。』
「どういたしまして!あと、ヒサメちゃんはこれからもっと自由に生きるべきだと思うな。折角この村で毎日村に入りそうな悪いものをやっつけてるんだもの、もっと堂々と自由に歩くべきだし、お家に閉じこもり切りじゃ心の栄養も付かないしね。」
『そんなことまで読み取って・・・恐ろしい子ね、あなた。』
「でしょう!私は世の中じゅうの妖怪たちが
『ぷっ、それは、嘘・・・・』
「お、初めて笑ったね、私の勝ちかな。」
私達はそんな、なんてことも無い他愛もないやり取りをして心の中で笑いあった。
『ねえ、恋。私と友達になってくれる?』
「もちろん。私こそあなたと、ヒサメちゃんと仲良くなりたいわ。」
「会計~」と先程入店した役所の兵隊の一人の声が聞こえ、私とヒサメちゃんの交流は一時的にお別れを迎える。
『恋。もう戻って、また今度会えたら会いましょう。楽しかったわ。』
「うん、またね。でも今度は無いかも。だってヒサメちゃんは明日も必ず私の店に服を買いに来なくちゃいけません。今ここで私が決めました!」
『・・・・気が向いたら、本当に気が向いたら行く。』
私はヒサメちゃんがぷいっ、ととても嬉し恥ずかしそうに私から視線を逸らしているのを見て、これは心を読むまでも無いわねと微笑ましいような悪戯な感情を覚えた。
翌日、呉服店の前に、しかも開店時刻と同時にヒサメちゃんが来てくれたのは言うまでもない。
「いらっしいませ!ヒサメちゃんに似合いそうな服、昨日からいっぱい
それから私とヒサメちゃんはすぐに打ち解け合い、最高の友達になった。
ヒサメちゃんは一日ごとに少しずつだけどどんどん変わっていって、最初は死に化粧のような白装束の服だったがうちの呉服店に来てからというものどんどん色鮮やかなお洒落さんに様変わりした。服装以外にもほぼ毎日外に出るようになって私といつも心の中も含めて談笑するようになったし、無邪気に童心に戻って遊ぶようになった。
村の人々もそんなヒサメちゃんをゆっくりずつ受け入れ始め、最初は得体の知れないもの扱いだったが徐々に興味を持たれる存在になっていった。
それにヒサメちゃんは優しい人だから、転んで怪我をして泣いている子供や重すぎる荷物を運ぶ老人の手伝いなどを私に心を開いてからはよくするようになって、言葉こそは喋れないがその行動という小さな善意の積み重ねが、村の人々の信頼感という愛の感情を勝ち取っていったようだった。
最初に出会った時はガチガチに凍り付いたようなヒサメちゃんの心が、まるで春をずっと待っていたかのように溶けて青く透き通った美しい雪解け水のように絶え間なく循環していく。
私はヒサメちゃんのそんな「心」の変化を一人の友人としてとても祝福し、何度目か分からないが人の心が視える私の第三の目をとても誇らしく大切に思い、緑色の第三の目に「ありがとう。」と一言話しかけた。
耕多もまた、徐々に私とヒサメちゃんの仲に加わって遊ぶようになり、結果私達三人はいつも一緒に居るような仲良し集団になっていった。
それでも時折、『そんなにヒサメのことが好きなのかよ。』『もっと俺だけを見てほしいのに。』『邪魔だな。』とかいう、耕多のヒサメに対する嫉妬や私に対する独占欲の感情が私の中に入ってきて思わず昔の父親の面影というトラウマを思い出したりしたが、過去の経験含めていつだって人間はそうだ、多少のくぐもった気持ちはしょうがない生理現象だと片づけるようにしていた。
ヒサメちゃんが更に垢抜けたのは、ちょうど私とヒサメちゃんが知り合って一年ぐらいが経った頃のこと。
私は未だに前髪で両目を深く隠し続けるヒサメちゃんが茶屋でお団子に舌鼓を打っている隙を狙って、えいっ!と前髪を両手で優しく
「おぉ~っ・・・・」
思わず
ヒサメちゃんは私の予測不可能な行為に数秒遅れでようやく気が付いて、ばっと身を引いて今世紀最大に恥ずかしいといった具合に顔を真っ赤にして「ヴルルルル・・・」と本気の威嚇をしてきた。
「ヒサメちゃんそんなに綺麗な瞳なんだから、前髪切らないともったいないよ?」
と私は熱弁を続けたが、『恥ずかしい恥ずかしい死んじゃう死んじゃう』とヒサメちゃんはそう言っていくら恋の頼みでもそれだけは無理!と私が降参するくらいに目を出すのを
だがそれから数日後、「あのね、」とヒサメちゃんは私と耕多の前に、酷く照れた表情と仕草で目を露わにした状態で現れた。
その姿は正に、紛うこと無き絶世の美女そのものであった。
私は一回目よりも更に「おおーっ!」と声量を上げてヒサメちゃんに飛びつき抱き締めそのまま、目を開いてくれた彼女を愛しく思いながら、延々とヒサメちゃんをぐるぐるとはしゃぎまくりながら引っ張り回した。
耕多はヒサメちゃんに少しの間見惚れていて、私は思わず丁度よく家にあったすりこぎ棒で耕多の頭を「浮気者!」と軽くど突いた。
そんなこんなでいつの間にか、本当にいつの間にか私の身の回りにはいつも愛する人たちと愛すべき人たちが居た。
フラフラと無意識に彷徨っていた過去では在りえなかった大切な「恋」。
そして「愛」。
様々な感情や心が私に集まって、常に私はこの世に飽きることなく温かく満たされている。
もうすっかり住み慣れた居心地の良い村で、私達三人は肩を並べてゆっくりと笑い合いながら歩き続ける。
右隣に居る耕多、そして左隣に居るヒサメちゃんを見て私は何度も笑顔を浮かべる。
当時の私はどうしようもなく世間知らずで、馬鹿で単純で純粋だったから
ずっと、ずうっと永遠にこんなにも幸せすぎる日々が続いていくと本気で思っていた。
今思えば、あの不老不死のお姉ちゃんですら、永遠という概念は脆く儚い人の夢だと気が付いていたのかもしれないね。