※この作品はR-18です。

ハルトマンの妖怪少女   作:命月夜

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第4話『恋と悪意』

 深夜0時。時計の長針と短針が一つに重なり、そこから一秒、二秒と時は進み続ける。

 

 私と耕多はそんな時間にごそごそと二人で暗闇の中ではぐれないようにと手と手を強く繋ぎ合い、ふふふっ、と互いに笑い合って絶賛睡眠中の耕多の両親を起こさないように家を抜け出した。

 

 そしてそそくさと村を後にし、私と耕多だけの秘密の河原へと辿り着く。

 

 いつもは日中や夕方にしか訪れない河原は、大きな満月の光という天然の照明器具に照らされて神秘的な輝きを放っていた。

 

 「綺麗ね。」

 

 私は思わず呟く。

 

 『そうだね。』と、耕多はうっとりとした心の声で私の横顔を見つめてぎゅっ、と手を握りしめてきた。

 

 私達は家から持ち出してきた手持ち式のランプの灯りをここで初めて点灯させ、いつも腰掛けている巨大な岩の端っこに置いた。

 

 「じゃあ、恋。しようか。」

 

 「・・・・耕多。」

 

 私は下腹部当たりの着物の裾をいじらしくもじもじと触り、岩の上に仰向けに寝転がる。そして、耕多はそんな私の真上に両手と両肘を付いて私の顔をしばらくの間、『どうしよう』と覗き込んでいた。

 

 「どうしよう、だなんて。今更じゃないかな。分かってるくせに・・・。」

 

 私は思わず自らの口から彼の当惑を代弁してしまっていた。

 

 何も深夜にここに来た理由は遊びだとか星空の鑑賞会みたいな子供騙(こどもだま)しの用事ではない。

 

 それよりももっと上の、私が知る「愛」の究極の体現をしに来たのだ。

 

 口づけはもう何度も、数えるのが億劫(おっくう)になるほど行った。その次は、もっと、もっと深い所までの繋がりを感じたいの、と私は耕多に自らその行為のお誘いをした。

 

 昔見たことがある、夫婦の夜の情事。

 

 男が女に自分の部位を接続して行う、淫らで究極の快楽を伴える愛。

 

 いつか私もあんな体験をするのかな、なんてその当時はそれを観察する瞼(まぶた)のようにうっすらとした視界や心持ちで思っていたが、まさか本当に実現するとは思ってもみなかった。

 

 私はこの日この時が来るまでに大体のその行為の説明を耕多に伝え、耕多も年相応に少しだけ知識があったようで私の言葉を直ぐに理解し、今この瞬間まで彼の好奇心と妄想は止まらないままであった。

 

 もちろんそんな私だって、好奇心と妄想が止まらない。

 

 お互いがお互いに熱視線を送り合い、下腹部の性器が次第にどうしようもなく熱を帯びていく。

 

 すると誰かが合図したでもないが耕多の方から、いつもの情熱的で煽情的(せんじょうてき)な口づけが始まり私もそれに呼応して耕多とまずは上の部分で一つに繋がる。

 

 ぶちゅっ、ぐちゅっ、とお互いに唾液を送り合い、脳を痺れさせ続け、今度は片方から開始するのではなく二人で服を脱がせ合いながら尚も口づけを続けて最終的な目的地まで向かうために性的興奮を極限まで高め合っていく。

 

 そして私と耕多は産まれたての裸になり、一旦岩の上に立ってお互いの性器を手で愛撫しあいながら再び蕩(とろけ)けあうような口づけを再開した。

 

 「ね。そろそろほしいな・・・・。」

 

 「ああ。分かったよ。俺も限界だ。」

 

 そうして再度岩の上に私は仰向けになって耕多はその上に覆い被さる。

 

 そして耕多のいきり立った棒状の肉の塊が私の性器の入り口に、こつん、と軽く当たる。

 

 「恋・・・入れるよ。」

 

 「耕多・・・うん、来て。」

 

 私は耕多の全てを受け入れるべく心からの喜びの感情を浮かべて両手を広げた。

 

 耕多は『愛してる。』と一言だけ言って、私の片手を握りしめながら自分のものを私の中に挿入する。

 

 てっきり私はもっと耕多のものがゆっくりと膣内に侵入してくるかと思ったが、その予想を裏切っていきなり、ずんっ、とした感覚が私の股間に響き渡り、内部で何か膜のようなものが断ち切れる感覚がした。

 

 「いっ、痛い・・・かも・・・」

 

 私は思わずそう反射的に言ってしまった。耕多は「大丈夫か、恋」と言葉では言うものの、内心では『可愛い。』と矛盾した事を言い、私の痛みに歪む表情を少しだけ愛らしく思っているかのような、そんな彼のいけない被虐的な一面を少し垣間見た気がした。

 

 ずっちゅ、ずっちゅ、というお互いの性器が繋がり合った場所から水音が漏れ、たん、たん、というお互いの人肌が弾け合う単調な音が月夜の闇に広く響き渡る。

 

 ひりひりとした女性器の痛みも少しだけ慣れていき、今度は次第に私の中で彼が前後し続ける度に生じるもどかしい快楽へと焦点が定まっていく。

 

 「あっ、あっ、あんっ、はぁっ、うんっ・・・・・」

 

 「はぁ、はぁ、はぁ・・・・」

 

 私達は特にこれといった単語も発せず、淡い快楽の呻き声を出し続けて愛し合う。

 

 もう何度互いに心の中で『きもちいい』と言ったか数え切れない。

 

 目の前の彼が愛しい、愛おしい。心も体もどろどろに溶けて交わりあって、ああ、もっともっともっと彼を感じていたい。愛し合い続けたい!

 

 やがて二人は最終局面にさしかかり、耕多が『出るっ』と私にビリビリとした快楽の解放を訴えかける。

 

 「耕多ぁ・・・・あっ、あんっ、いいよ、出して!私の中に全部、耕多をちょうだい!」

 

 「恋っ、恋っ!・・・・うっ、ぐっ、ああ、望み通り俺も、君に全てをあげるよ!」

 

 外側からは決して見えない、内側での繋がりは更に加速をしていき、そしてどばっ、としたとても熱い液体が私の中に吐き出される。

 

 二人の性的絶頂の声が重なり、まるで合唱をするかのように虚空に響き渡り消えていく。

 

 私はすぐさま、ぐたっ、と私の上に疲れて倒れ込んだ耕多を両手でしっかりと受け止めて自身の小さな胸の間に彼の顔を誘導させた。

 

 「・・・・お疲れ様、耕多。すっごくきもちよかったね。」

 

 「・・・・俺も、すごくきもちよかった。ありがとう、恋。」

 

 「好き。」「好きだ。」私と耕多はシンクロするように当たり前ながらも大事な愛情表現を口々に交わし、今日何度目か分からない口づけを閉幕の儀として行った。

 

 それからはただ、ぼやーっと大きな白い満月とキラキラと光り輝く天の川を、二人とも全裸で岩の上で仰向けで眺めていた。

 

 「愛」を知った今の私には、それらの星たちが全て生命の一粒一粒に視えていた。

 

 私は耕多を腕枕にして、耕多の疲れからの放心状態な横顔を見て喜々としてこう話した。

 

 「ね。もしかしたら私、妊娠しちゃうかもね。」

 

 耕多は『そんな、まさか』とゆっくりと私の方へと呆気(あっけ)にとられたような顔で振り向いた。

 

 「そうか、そこまであまり考えていなかった」

 『そうなったら、面倒だな。』

 

 「んもう、面倒なんて思ったら駄目。ちゃんと責任取ってよね、未来の旦那様。」

 

 「・・・お、おう」

 

 「うふふ、まんざらでもないみたいだねー」

 

 結局、その日以降も何度も私達は人目を盗んで河原や家や村の中でお互いを肉体的に激しく求め続けたが妊娠することは一切無かった。

 

 その当時は中々子供に恵まれないなーなんて少し物悲しく思っていたが、今となってはそれらの体験は「愛」がそういった行為でも確かめ合えるのだという一つの教訓として学べた程度の認識である。

 

 

○

 

 

 ここ最近、気持ちの悪い夢ばかりを見る。

 

 夢の中身は全部同じであり、真っ白な空間に私が居て、頭上には巨人のような大きな人差し指の指先が向いている。それを私がじっと仰ぎ見ていると、指先からぽたぽたと絶え間なく永遠に黒い水の粒が落ちて来る。

 逃げたいと思っても私はその場にまるで強力な接着剤でも付けられたかのようにして身動きが取れず、おまけに仰ぎ見ている顔の角度も変えれず自分の瞳や第三の目を閉じることも一切叶わない。

 

 止めて、止めてよと言ってもその黒い粒は私にどんどん染み込んでいき、私という存在を滅茶苦茶に犯していく。

 

 その場から逃げられないにしても、とにかく私は目を閉じたくてしょうがなかった。

 

 「お願い、もう止めて!良い子にするから!お願いだからもう目を閉じさせて!」

 

 「だー゛め゛」

 

 がばっ、と私は夢の最後にいつも聞く誰のかも聞いたことのない不気味な声で飛び起きる。

 

 「はー、はー、はぁー・・・・・」

 

 私は夢からようやく覚めれたと自覚をしても、夢で何度も黒い水を溺死するほど飲まされたので思わず息苦しいような気分になり、深呼吸を自分が満足するまで何度だって繰り返してしまう。

 

 「恋?・・・また、あの夢を見たのか?」

 

 私より先に起きていた耕多は、心底私のことを気遣ってそう尋ねてくる。

 

 「うん・・・・ほんと、参っちゃうよね。」

 

 私は出し殻のような微細な笑みを浮かべて、耕多の胸に軽く倒れ込み、いつもみたいに好きな人の胸の中に抱き留めてもらって悪夢の後味の悪さを軽減させていった。

 

 そんな今日の朝を乗り超えて、私は久しぶりの休日に耕多とヒサメちゃんの三人で村に新しく出来たという甘味処(かんみどころ)へと向かっていった。

 

 なに食べよう、楽しみね、俺は全部制覇したいな、等といつも通りの楽しい会話して歩いていると、私の視界に前方からガラガラと木の台車を引っ張る役所の兵隊と台車の上にある水瓶に体を半ば無理矢理くの字のようにして突っ込まれた半人半魚の妖怪の男の子が映った。

 

 その半人半魚の妖怪の男の子と私がすれ違うほんのわずかな瞬間、視界が重なると同時に、

 

 『助けて・・・・。』

 

 と、悲痛な心の叫び声が聞こえた。その救いを乞う声には恐れ・悲しみ・恨みなどの全ての負の感情がこもっており、私は今まで感じたことのない「絶望」という感情を受け取り、ぞくぞくと体中に怖気(おぞけ)が走った。

 

 ガラガラと私の前を通りすぎていく台車に載ったその子は、とてつもなく悲しい泣き顔で私に『助けてお姉ちゃん、殺される。』と最後まで救いの手を求めていた。

 

 私は無意識に一歩歩き出そうとし、すぐ意識的にその一歩を引っ込めて、耕多とヒサメちゃんの二人の方向へと体の向きを変えた。

 

 もしかしたら今のは見間違いかもしれないだなんて都合の良すぎる言い訳を自分に言い聞かせ、不安で不穏な世界から抜け出して愛する二人という私の安心する居場所へと避難しようと思った。だけど。

 

 『また役所に運ばれてったな。今度は誰が引っ越して来るんだろ。良い人だといいけど。』

 

 『今度は使える子かしら?せめて従順にお偉いさんに従うことね、その分長生きできるわよ。』

 

 初めて体感した二人の心の声と二人のあの子を見る瞳は酷く冷酷で残酷なものであった。

 

 私はそのままその場から動けなくなり、そんな私に気が付かないまま二人は歩みを進める。

 

 え、なに?なにが起きているの?

 

 私は心の中で長い間、自問自答をしたが答えなんか一向に出なかった。

 

 私は現実に向き合うためにまたあの子が運ばれていった道を振り向いた。

 

 もうあの子の姿は無く、残り香のようにあの子が残した悲痛な心の叫びが私の中で再浮上してくる。

 

 あの子は役所に運ばれるのを酷く恐れていた。殺されるとも言っていた。

 

 役所・・・そういえば祝い村の役所は、私が唯一中まで入ったことのない未開の場所である。

 

 今までは別に役所の内部事情なんて知らなくていいや、と思っていたが何となく、本当に何となくだけど役所の立派な建物から出る嫌な気配を私は村に来た当初から感じていた。

 

 今までそれとなく蓋をしていた記憶を開けてしまった事で、私の中の何かが動き出す。

 

 自分は今まで重大なことを見落として、いや、見ないフリをしていたんじゃないのか、って。

 

 そう思わずにはいられないし、きっと私はずる賢くその違和感を意識の奥底に閉じ込めていた筈だ。

 

 それなら、私はどうすればいい?

 

 深層から出る言葉、真相を明かすための言葉、心臓から奏でられる嫌な好奇心の鼓動、全てから逃げるための言い訳、今の幸せを壊したくない理性。

 

 現在地点限定の、私を構成するありとあらゆる感情や雑多なものが体を覆い尽くし、私の体は静止したままだが周りの景色が最初はゆらりと、そして数秒ごとに加速し高速で回転し始めて同時にグワングワンとした耳鳴りが次第に大きくなっていく。

 

 「私は・・・・」

 

 『私は・・・・』

 

 どうすれば、

 

 「おーい!恋ー!どうしたんだよ急に止まって?」

 

 私は「はっ、」と耕多の明るい呼び声に我を取り戻した。

 

 それでもまだどちらにも踏ん切りが付かずにその場に立ち止まり、結局私は・・・・。

 

 「う、ううん、何でもないよー!待ってよぉ~!」

 

 と、臆病者らしく取り敢えずはいつもの幸せを選択することにしたのだった。

 

 

○

 

 

 朝の一件後、すっかり日は落ちきり時刻は午後九時半くらいを指している。

 そして心なしか、しん、とした静かな、月も見えないような暗い夜が訪れた。

 

 あれからずっと考えた。

 

 ずっとずっとずっと、ずぅーーーっと。

 

 この世界で私は何がしたいのか?

 

 いいえ、世界を隠れ蓑にしないで「私自身」がどうしたいのか、って。

 

 私は今までの人生で、主に第三の目を駆使して「心」を見る事で世界を、人間を理解した気持ちでいた。

 

 でも今度は、ちゃんと私自身のこの二つの瞳と第三の目で見えたものに向き合いたい。

 

 私は妖怪だけれども、人として、人間と言う複雑怪奇な「心」を持つ物として現実や他者と向き合いたい。

 

 私の胸のあたりにあるこの緑色の第三の目は、きっとそのためにそこに在るものだ。

 

 「目に見えるもの。それだけが真実だよね?」

 

 これから私はどうすればいいのか。

 その答えは抑え込もうと努力しても決して沈むことができない木版のようにすぐに私の中に浮かび上がってくる。

 

 「あの子を助けなくちゃ・・・。」

 

 私から呼び覚まされる「正義」や「善意」という「愛」が歯止めの効かない程に膨れ上がり、気付けば私は耕多と両親の就寝を見計らって家を飛び出し、祝い村の役所へと全速力で向かっていた。

 

 なにもそのまま突っ走って役所に入れるなんて思っちゃいない。

 そんな単純な警備では無いと百も承知だ。

 

 だからこそ私は、役所近くの建物の陰に隠れて役所の前に立つ二人の見張り番の心を読み取る。

 

 『もう少ししたら休憩でもするか。』と、片方の見張り番の男の警戒心を微塵(みじん)も感じない気の抜けきった心の声を聞いて、まだかまだかとその機会を窺う。

 

 やがてその見張り番がもう片方の見張り番に少し歩み寄り、「仮眠でも取ってくるかな」という会話から始まってもう片方がそれに「お前の仮眠は当てにならないからなぁ」なんて談笑をしているその隙を狙い、私はひっそりと鼠のように役所の門を易々とくぐり抜けることが出来た。

 

 私は緊張しすぎてドクドクと脈打つ心臓を抑えるために、とりあえず人気のない役所の中庭らしき場所まで足音を立てないように歩き、ふぅ、と息を整える。

 

 『こうなればこっちのもの。問題はあの魚の子がどこにいるかだけど・・・。』

 

 私は周囲をきょろきょろと見まわした。

 

 おそらく役所の敷地内はとても広大だと思われる。私がほんの少し見渡しただけでも数棟の建物やいくつかの小さな小屋が何戸も見受けられた。

 

 一体どこを探せばいいんだろう。

 

 「そういえば、」

 

 私は僅かな記憶を頼りにあることを思い出す。それはついさっき、門をこっそりと潜り抜けた時に片方の見張り番の『今頃裁判所で・・・』という心の声が、中途半端ではあるが私の第三の目を通じてしっかりと聞こえていた。

 

 その時はあまり気にしてはいなかったけど、右も左も分からない今となってはその言葉が妙に引っかかる。

 

 「裁判所、裁判所・・・」

 

 敷地内の屋外には誰の気配も感じはしなかったが万が一を考えて私は夜闇に紛れながら忍び歩きで裁判所を探した。

 

 そして見つけた。敷地内のかなり奥の方に「裁判所」と書かれた立派な漆塗(うるしぬ)りの木の札を吊るした御殿のような建物がそこにあった。

 

 私は思わず中に入るのを躊躇(ちゅうちょ)した。何故なら、その裁判所は夜だというのに四方八方に和紙で出来た灯篭が付いており異様に明るかったのに加え全く人の気配を感じなかったからである。

 

 それに凄く、凄く厭(いや)な空気を感じた。

 

 私の危険を察知するための本能が「行くな。」と、それだけを告げる。

 

 でも、行くしかない。

 

 決めたの。逃げないって、臆病者になんかならないって。

 

 私は意を決して一歩を踏み込み、そのまま招かれるようにして裁判所の中へ入る。

 

 誰も居ない。何の音も聞こえない。

 

 内部も外側と同じくたくさんの灯篭があって異様に明るくて、広々とした畳の空間と能楽でも始まりそうな舞台がくっきりと見える。そして私はその舞台の横にぽっかりと薄暗い空間が空いていることに気が付いた。

 

 その薄暗い空間を覗き見ると、地下に降りるための木製の階段が付いているのが見えた。

 

 これを降りろということだろうか。

 私は思わず生唾を飲み込む。

 

 今なら引き返せるよ・・・その心の声を後ろに置き私は薄暗い空間に続く木製の階段を降りて、薄暗く細長い通路をゆっくりと歩き、やがて木材を雑に張り付けたような木の扉へ到着し、べっ甲の取っ手を掴んで慎重に、ギッ、という歪んだ扉の音を鳴らしてその中に入った。

 

 すると視界が突然、真っ白になった。

 

 私は思わず両手で自分の両目を覆った。そしてゆっくりと指の隙間から天井を見上げる。

 

 灯篭では無い白色のランプが天井中にぶら下がり、昼間以上に明るいような真っ白な異様な空間が広がっている。

 

 そして次に鼻を刺すような厠(かわや)のような臭いと腐臭の臭いがして、私は思わずその場で吐きそうになって口を激しく抑え込み、近くにあった雑多な物が所狭しと置かれた木製の棚にもたれかかるようにしてしゃがみこんでしまった。

 

 しゃがんで正解だった。私は思わず目を極限まで見開く。

 

 私の目線の先には大きな鉄で出来た頑丈な檻が三つほどあって、その中にはたくさんの妖怪たちや少数ながらも人間が囚われており、みんな虚ろな顔で下を向いていた。

 

『ここから出せ』『お願いですから、息子の命だけは・・・・』『いつか殺してやる』『お願いだから今日は一人で勘弁してくれ。こっちに飛び火が来たらたまったもんじゃない』『もう一度でいい、もう一度でいいからあの人に会いたい』『もう死なせてくれ・・・・』

 

 囚われの身の彼らは誰一人として声も発さぬが、私だけは全員のやるせない慟哭(どうこく)のような深い悲しみの心を理解していた。

 

 そして檻の前方には役所の兵隊たちや口髭を蓄えた武将のような大男が居て、更にその横には見慣れた顔があった。

 

 「ヒサメちゃん・・・?」

 

 私は思わず信じられない、と棚の物陰から身を乗り出しそうになり、留まった。

 ヒサメちゃんは私が一度だって見たことのないような氷以上に冷たい表情で檻に囚われている妖怪や人間たちを見ていた。

 

 「さて、これから裁判を行おう。まずはお国からの遠征要求を断った不届き者からだ。」

 

 口髭を蓄えた武将のような大男はそう言って顎をくいっ、と曲げて檻の前に居た兵隊へ合図を送る。

 

 そしてその兵隊は「はっ!大名様!」と勇ましい返事をして檻の鍵を開錠して中に入り、檻の奥から瘦せ細りすぎた大人の男性ほどの大きさの蛙の妖怪の片腕を掴み乱暴に引きずって檻の外へと放り投げた。

 

 『俺はもう今日で終わりかもなー・・・もう、それでいいけどな・・・・』

 

 蛙の妖怪は表情も心の声も絶望的であり、もはや「死」という救いだけに脳を支配されているようだった。

 

 蛙の妖怪は二人の兵隊に両脇を担がれ、抵抗する素振りも見せずに冷たそうな鉄製の椅子へと四肢を拘束された。

 

 「おいお前。どうして遠征を断った?」

 

 大名はそう言って、蛙の妖怪の顔を神妙に、しかし心の中ではとても楽しそうにして覗き込んだ。

 

 「・・・ロクに飯も食わせてもらえねぇ、俺の唯一の生きがいの雨の日にも外に出れねぇ、お前らみたいな鬼畜生どもに怯えて生きなきゃならねぇ・・・・そんな人生もう飽き飽きだ。茶番はいいから早く殺してくれ。」

 

 「ほう、そうか。じゃあヒサメよ」

 

 大名は再び顎で合図を行い、ヒサメちゃんはすぐに大名の近くに側近のように駆け寄る。

 

 「こいつの手首を両方取ってやれ。殺さない程度にな。」

 

 『おい、』と蛙の妖怪の己の耳を疑うような茫然とした心の声が終わる前に、ヒサメちゃんは何やら手から氷のような出刃包丁を出現させ、そのまま蛙の妖怪の右手首めがけて刃を思い切り振り下ろした。

 

 ブヅッ・・・

 

 肉と骨が切断される音が、大きな音ではないが部屋に生々しく響き渡る。

 

 うおおおおおお!と兵隊達はこぞって歓喜の大歓声を上げたり、ゲラゲラと頭のネジが外れたかのように笑い続ける。

 

 「ぐぁぁぁぁっ!痛ってぇぇぇぇぇ!」

 

 蛙の妖怪は右手首の切断面から血を水鉄砲のように吹き出しながらジタバタと悶え苦しみ、口をパクパクとさせて泡を吹き痛みに感情の全てを支配されていた。

 

 手首の喪失という事実が更に痛みの感情に拍車をかけ、意識をどこにやっても逃れようのない絶望感が次々と襲ってくる。

 

 私はそんな蛙の妖怪の気持ちと同調してしまい、思わず大粒の涙をぼろぼろと流した。

 

 「それ、ヒサメよ。もう一丁」

 

 大名の呼びかけにヒサメちゃんは再度、氷の出刃包丁を蛙の妖怪の左手首へと振り下ろす。

 

 ブヅッ、と二回目の濁った切断音が鳴り響く。そして両手首を失っても蛙の妖怪の絶叫は止まらず、しまいには「うるさい!」と兵隊の一人に口に汚れた布の塊を詰め込まれてそのまま兵隊たちに鉄製の椅子から引きずり降ろされた蛙の妖怪は、元の牢屋へとまるで紙屑を放り投げるかのように乱暴に投げ捨てられた。

 

 酷い。酷すぎる。

 

 こんなの人間じゃないよ。

 

 私は目の前の光景が信じられなくて、瞳孔を開きながらハッ、ハッと息を荒げて怯え、何をするでもなく自分の両手首を交互にぐにゃぐにゃと触り続けた。

 

 私の知ってる人間とは、こんな残酷なことを平然とやってのける生き物なのか?

 

 私の頭の中にかつての夫婦や耕多やヒサメちゃんや村の人々の明るい笑顔のワンシーンが連続して映写された。

 

 「次はわし自身が判決を下そう。いつもの通りこの神刀でな。おい、お前達、とっととあのバケモンを運んで来い。」

 

 大名はそう言ってニカニカと厭な笑みを浮かべながら口髭を二本の指で擦る。

 

 そして、ギギギ、ギギギと耳を塞ぎたくなるような歯切れの悪い音を立てて車輪の付いた鉄製の枠型が姿を現した。

 

 そこには今朝見た半人半魚の男の子の妖怪が両手首に枷(かせ)を嵌(は)められ宙にぶら下げられており、まだ生きているのに生きることを諦めたような血の気の無い真っ青な顔で虚空を見つめていた。

 

 「上半身はニンゲンで、下半身は魚・・・かぁーっ、いつ見ても気持ちが悪いなぁお前は!」

 

 男の子は大名の悪態にぴくりとも反応せず、ただ飾られた人形のように沈黙を続ける。

 

 「水害を起こして村を破滅に追いやるのも、要人を溺れさせるのももう出来ませんという腰抜けには生きる価値もありゃせん。だがな、安心しろ。わしのこの刀で醜いお前を今ここで生まれ変わらせてやろう。」

 

 大名は腰の鞘からギラリと異常に光り輝く刀を抜き出し、男の子の首元へと軽く刀の刃を当てがった。

 

 「バケモン、最期に言い残したことはあるか?」

 

 「・・・・・・会い・・・たい。」

 

 「なんだと?小さすぎて聞こえんわ。」

 

 「僕はもう一度だけ、もう一度だけでいいからお母さんに会いたい・・・・です。」

 

 『ほんの一瞬だけでもいい。それで楽になれるから。』

 男の子の心の声が私に直接入り込み私は咄嗟に口を押さえて嗚咽が漏れないようにと涙を大量に垂れ流した。

 

 「はっはっはっは!命乞いでもするかと思えば、そんなくだらん事か。残念だがそれは無理な注文だ。お前の母はもう既にこの世から跡形もなく殺処分したからな。」

 

 「・・・・嘘、」

 

 「嘘じゃないさ。お前の産みの母親も他の雑魚共も、お前を取り返しに反乱でも起こされたら我々もお国もたまったものじゃない。だから全員殺した。お前らの故郷だとかいう川辺のちんけな建造物ももうこの世に存在はしない。わしらが跡形もなく崩してやったわ。」

 

 男の子はがくっ、と力が抜け切ったように顔を下げた。

 もうそこに「生きる」という活力や僅かな希望さえ見受けられなかった。

 

 「いいか?第一お前らみたいな人間の出来損ないが幸せになれる訳が無いだろう?人間のフリをして人語を喋る、飯を食う、黙ってこき使われればいいというのに余計な感情や思考で何かを企む・・・・全く浅ましいにもほどがある。本当ならば泥屑のような存在、そんな下劣なお前らでも人様の役に立てるよう、わしらやお国が有効活用してやっているんだ。有難く思え。」

 

 この男の喋っている内容と心の声は、完全完璧に同調している。

 もう、反吐(へど)が出るくらいに邪悪そのものだった。

 

 「でもまぁ、ちとガキにしては刺激が強すぎたか。だが安心しろ、もうわしがここで楽にしてやろう。」

 

 大名はそう言って、依然としてギラリと異常に光り輝く刀の柄を両手に握りしめてゆっくりとスローモーションのようにして刀を天高く振り上げた。

 

 まずい。瞬時にそう思った私は思わず無意識に辺りを見回し、近くに落ちていた錆びついた銅板の破片に手を伸ばしてがっちりと握りしめ、大名の凶行を阻止するべく飛び掛かろうとした。

 

 そして、その刀で逆に自分が貫かれてしまう光景を想像してしまい、動きを止めてしまった。

 その時の私はひどく惨めで臆病な弱虫だった。

 

 ザシュッ、という音が聞こえて、刀の刃が地面に落ちた瞬間に男の子の胸元から下腹部までの皮膚がぱかっ、と花の蕾が開花するように開いてその中に詰まっている真っ赤な内臓や腸や血肉がぼとぼとと滴り落ちる。

 

 男の子は痛みに叫ぶでもなく、死に喜びを見出すこともなく、ただ身体をビクビクと痙攣させて、がくりと全てが抜けきってしまったように絶命した。

 

 「やはりこの刀は至高の名刀だな。それにしてもバケモノの中身も人間とさして変わらないのはいつ見ても面白い。どうだ、今日にでも檻のお前らに刺身として振舞ってやろうか?」

 

 私はもう駄目だった。

 見つかってもいないしまだ何も勇気を持って行動を起こしていないというのに、次に殺されるのは私かもしれない、あんな風に殺されたくない、死にたくない、怖い、嫌だ、今すぐ逃げたいと保身だけを考えて恐怖のあまり上手く力の入らない足腰を引きずるようにして動かし、地下の牢獄から抜け、裁判所の入り口の階段から転がり落ち、未だに見張りが手薄である役所の門から命からがら逃げだした。

 

 門を潜り抜け、私は大手を振って走りヒューヒューと酸欠気味の息を何度も呑み込み、髪を振り乱しながら耕多の家へと向かう。

 

 そして心から望んでいた目的地の耕多の家に着き、正面玄関の木とガラスで出来た引き戸をガラッと勢いよく開けて、誰かが起きてもお構いなしにガシャン!と思い切り閉めた。

 

 そうするとなんだか、いつもの親しみ慣れた私が住まわしてもらっている家の空間がどうしようもなく安全な場所に感じて身体の硬直した筋肉がほぐれていき、更に耕多がここには居るんだ、という何事にも変えられない大きな安心感が自分の死という虚像をどこか遠くに連れ去ってくれた。

 

 しかし今度は先程まで見ていた光景が私の頭の中で容赦なく蜷局(とぐろ)を巻き、今はその場に居ないというのに何度も何度も目に焼き付くような残酷な映像が脳内で再生され続け、それと同時に産まれて初めて第三の目で視た究極の悪意の臨場感が私に途切れることなく襲い掛かってきた。

 

 私はズキズキと痛む頭を必死に抑えて、ぐらぐらと眩暈でも起こしているかのように彷徨い歩いて屋内の厠(かわや)の中に入り、そこで思い切り嘔吐をした。

 

 「お˝え˝え˝え˝え˝え˝・・・・う˝え˝ぇ˝ぇ˝ぇ˝っ・・・・・」

 

 何回吐いても吐瀉物が止まらないし、それで窒息しそうにもなった。

 

 一時間くらいそんな状態だっただろうか、バケツでもひっくり返したかのように胃の内容物を出し切り、もう口からは唾の一粒さえも出ないくらいになってもまだ私の中に蔓延(はびこ)る黒いものは消え去らなかった。

 

 これは夢だ。

 

 夢だと信じたい。

 

 だけど夢のはずが無い。それは思うまでもない。

 

 「も、いい・・・・寝よう・・・・」

 

 ついさっきまでの悪夢のような出来事は夢の中での出来事で、このまま寝て起きたらきっと現実に戻れる、またいつもの楽しい愛のある日々に戻れる・・・・・。

 

 私はそう自分に無理にでも言い聞かせ続け、静かに床の間に入り頭から布団を被ってまるで子宮の中に居る胎児のように指を咥えながら身体を少し折り曲げ、目を閉じた。

 

 なんにも見えない。

 

 暖かい、安心する・・・・。

 

 気が付くと私はそのままの状態で深い眠りに落ちていた。

 

 

○

 

 

 そして、夢を見た。

 

 真っ青な水が入った球体の中に居る丸い種のような姿の私は、産まれて陽の光を見るのはいつかななんてこの先の展望を考える。そうして魚類・両生類・爬虫類・哺乳類の順に進化を続け、最後には人間の姿を持った胎児へと変貌を遂げる。

 

 そんな生命の歴史を短期間で再現する真っ青な球体を私は真っ黒な空間で、私がヒトの形で産まれたばかりの時みたいに素裸の状態でただまじまじと見つめていた。

 

 「懐かしいね。」

 

 と、もう一つの私の声が聞こえて横を向くとそこには表情すらも見えない真緑色の単色に染まった私自身が居た。

 

 「そうかなぁ、私は物心ついた時から人の意識を吸い込んで人の形を取って産まれたから、お魚とか蛙さんとかよく分からないや」

 

 私は真緑色の私にそう答える。

 

 「私は覚えていないかもしれないけど、これは重要な過程なの。心という機能を造るために生き物が編み出した無意識の成長、進化よ。」

 

 「・・・・進化、しなくても良かったんじゃないかな。いや、しない方が良かったのにね」

 

 「どうして?」

 

 「私、人の心はもっと綺麗で、初めて見た時の星空と銀河と満月みたいに光り輝くものだと思っていた。でも、違った・・・・私も含めてみんな自分の事ばかり、悪意の塊・・・・・私が体験したかったのはこんな残酷な世界じゃない。私がこの第三の目で視たかったのはこんな、どす黒い心じゃないのに・・・・もう私、生きていけないよ。産まれてこなければよかった」

 

 「私はそう思っているかもしれないけど、それは紛れも無い❝エゴ❞という感情よ。」

 

 「エゴ・・・・?」

 

 私にとっては初めて聞く単語だった。

 

 真緑色の私は会話を続ける。

 

 「そう、エゴ。自分のことばかりを考えて、他人のことを考えない、愛さないこと。私は今、惨(むご)い現実から目を背けて幸せになりたいって、本音は消えて居なくなりたいって思っている。それはただの逃げ。あなたは救われるかもしれないけど、残された者たちは救われない。それでいいの?」

 

 「・・・・嫌だ。」

 

 確かに逃げた。

 

 そうして自分の無力さを、愚かさを痛感して思考しなくてもいいように、もう心が視れなくてもいいように無意識に「死」を望んだ。

 

 でもそうはしなかった。

 

 私には愛する人が居る。耕多とヒサメちゃん。

 

 この二人に会えなくなるのは嫌だし、ずっと永遠に、不老不死なんてものは無理だけど生がその終わりを迎えるまで一緒に三人で居たい。

 

 この心からの願いですらも、エゴというものなのね。

 

 「そういうこと。だって私は私という自己だもの、それすらもエゴだし、エゴの無い人間なんてこの世界に一つも居やしないわ。」

 

 真緑色の私はそう言って、私に近づいて融合するかのように私の体内へと入り込んできた。

 

 そして真緑色の「無意識の私」と今ここに存在し続ける「意識の私」は溶け合い、混ざり合い、進化を続ける。

 

 私はそのまま私を、エゴを受け入れる。

 

 「ヒトの形と心を成して生きているなら、私は私と他者のエゴに向き合いたい。」

 

 私はそう自分に約束をして、意識と無意識は「私」の中で一つの「心」として進化を遂げた。

 

 そこで目が覚める。目の前は真っ黒で、どうやら布団を被ったまま眠りに落ちていたようだった。

 

 私は胎内から産まれ落ちるようにして布団をめくる。朝の光が眩しすぎて、瞬きを何回もしてしまった。

 

 「私は。」

 

 どうすればいいのか、もう自分に聞かなくても解っている。

 

 

○

 

 

 世界の見方を変えてしまった昨日の一夜を乗り越えて、エゴを受け入れて、そして今日になり私は雲一つさえ無いような晴れやかな青空を時折見上げながらある場所へと向かう。

 

 空の心は視えない。だけど一見何の苦悩も無いように見える青色にもその裏には悲しみや憂いの感情があるのだろうか?

 

 そんな考えてもしょうがない疑問を浮かべながら、玄関の木戸以外の殆どの外装が花崗岩(かこうがん)で造られたとある一軒の家の前に着いた。

 

 そして私は右手で軽く握り拳を作り、右腕を上げて若干の静止状態を経た。

 

 握りしめた右手が微弱にぷるぷると震える。それでも構わないと私は木戸をノックした。

 

 トン、トントン・・・トン、トントン・・・・。

 

 私がこの家に遊びに来たら必ず行う、二人しか知らない合言葉のようなノック。

 

 しばらくすると木戸の手前からトタトタと軽い足音が聞こえて、次にはガラッと私の目の前で引き戸が解放される。

 

 『あら、恋。どうしたのこんなに朝早くから。今日はお店の仕事があるでしょう?』

 

 ヒサメちゃんはそう言ってどうしたんだろう?という不思議そうな表情を演技のようにして大げさに浮かべる。

 

 それでも私には全部お視通しだった。

 彼女の心の本当の声が『やはり来たのね。』と心底悲しそうに私に向けられていた。

 

 「今日はお仕事はいいの。それよりヒサメちゃん、どうして?」

 

 『どうして?・・・・何がかしら』

 

 「とぼけないでよっ!どうして、どうしてあんなに惨(むご)い仕打ちがあるの!?それにどうしてヒサメちゃん本人はあんなに苦しそうにしてるのに酷い人間の方の味方をするの!?」

 

 最初は落ち着いて段階を踏んで話すつもりだったのに、気が付くといつの間にか私はヒサメちゃんの両肩を強く握りしめて思わず吠え叫ぶようにしてそう言ってしまった。

 

 「こんなこと、絶対あっちゃいけない!間違って『黙れ。声が大きい。』

 

 ヒサメちゃんはすっかり興奮状態にあった私に封でもするかのように自分の右掌(みぎてのひら)を私の口に当てがう。

 そして「ヴ~~~」と、自身に生えている鋭利な牙や歯を全て剥き出しにした状態で威嚇するように唸り声を出した。

 

 友達になってから初めて見るヒサメちゃんの殺気立つような愛のある行為に私は言葉をそれ以上続けることは出来なかった。

 

 『ここは人目に付くわ。私の家の中で、恋の気の済むまでゆっくりと話し合いましょう。』

 

 ヒサメちゃんは心の中でそう言って、『さあ。』と私に手を差し伸べる。

 

 私はその手を遠慮なく握り返し、ヒサメちゃんの家に上がる。

 

 そして私達は会話も無く廊下を渡り、い草の濃い香りがする畳張りの広い居間へと到着した。

 

 『・・・立ったままじゃ落ち着かないでしょ。いつもみたいにゆっくりくつろいでいいのよ。そうだ、昨日美味しい大福を買ったからそれに合うお茶でも淹れようかしら』

 

 「要らない。」

 

 『・・・・そう、残念。そういえば恋』

 

 「なに?」

 

 『あなた、かくれんぼは不得意だったわね。友達の好(よし)みですぐ見つけちゃった。』

 

 私はそのまま、直立したままで数歩前に居るヒサメちゃんを見つめ続ける。

 

 そしてヒサメちゃんは何か割り切れたかのように事の真相を話し始めた。

 

 『恋、必要悪って知ってる?』

 

 「知ってる。必要な悪でしょ。」

 

 『そう、その通り。私が日夜かかさずに拷問を続けているのも大名や兵隊が囚われの囚人達を甚振(いたぶ)り遊ぶのもこの国がそれを推奨しているのも、全てが必要不可欠な悪なの。』

 

 「・・・・ごめんね、言っている意味が分からないや。」

 

 『じゃあ何度だって言ってあげる。この村はね、おめでたい頭の馬鹿共が暮らすこの国が作った大きな箱庭であり、その逆を言えば妖怪や人外や人の域を超えた力を持つ人間たちの地獄より質(たち)の悪い監獄なの。』

 

 ヒサメちゃんはやや興奮気味に目を見開いて私に詰め寄って来た。

 

 『戦争、略奪、暗殺、諜報、厄災・・・・この国一番の長(おさ)は自分の揺るがない権力を保持するためにそれらを遂行し成し遂げるための力を欲した。そこで私達のような不思議な力を持つ妖怪や人でありながら人智を超えた奇跡を起こせる人材に目を付けた。』

 

 不思議な力と聞いて私は思わず、第三の目を両手できゅっと掴み握りしめた。

 

 『それらの特殊な存在たちを戦場で使う武器の様に酷使したいが、長が暮らす住居で管理という名の監禁をしていつか不満の末に寝首を掻かれるような謀反(むほん)を起こされては困る。そう考えた長やその下の権力者たちは、この村を作った。そして同時に日本各地へと、特殊な存在たちを見つけたらそれを捕まえて此処に来いと、そうすれば永久に安定した賃金と豊かな生活を与えるという伝令や高札(たかふだ)を広めた。』

 

 「・・・・・・。」

 

 私は何だか、ヒサメちゃんが次に続けるでもなくなんとなくその先が読めてしまって眉を顰(ひそ)めた。

 

 『その結果、本当に全国各地から大勢の住民がやって来たわ。悪びれる素振りも無く、ただお天道様みたいな笑顔で無理矢理捕縛した子たちをまるでお土産みたいにして持ってきた。私は祝い村の設立以前から大名(あの男)に脅されて捕まっていて、村の指導者に大名(あの男)が指名されて私も例外ではなく側近を任命されたわ。そうして数々の醜悪な人間の面構えと心が砕け散るような囚われの者への仕打ちをこの眼で見て来たの。』

 

 「ここにいるみんなって・・・」

 

 『ここで幸せそうに暮らしている者は皆、自分の欲望を満たしたいが為に他の存在を縛り上げたり貶(おとし)めてきた愚か者。その証拠に一生涯の友人だなんだと誓い合った人間に騙されて売られた妖怪たちも沢山居るわ。とにかく此処(ここ)はそういう処(ところ)。人間の果ての無い欲望と無念の屍で作り上げられた呪いの村よ。』

 

 「私、どうして皆の心が読めるのに今までおかしいって気が付かなかったんだろう、」

 

 『当たり前だからよ。』

 

 「当たり前?」

 

 『そう。住人にとっては当たり前。だからそこに何の疑念も後ろめたさも在りはしない。みーんな、大名や兵隊が役所内でしている惨状をどことなく察しているわ。でも気に病まない。自分が幸せなら他のことはどうだっていい、他人事。それが人の性(さが)。』

 

 「なんで・・・・ねぇヒサメちゃん、人は人を愛せるんじゃないの?そのために心はあるんじゃないの?」

 

 『恋・・・・・。あのね、貴方を一目見た時から思っていたわ、この子は純粋だって。そうして何者にも縛られない自由な光り輝く貴方を見て思った。この子はまだなんにも知らないって。』

 

 「じゃあ早く教えてくれれば良かったのに!友達なのにどうして、」

 

 『恋。世の中には知らない方が幸せな事もあるの。私は貴方の純粋な幸せや貴方が思い描くこの村の平和な理想像を壊したくなかった。私なりの愛よ、それは知っておいて頂戴。』

 

 「そんなの、エゴだよ。」

 

 私はヒサメちゃんをきっ、と睨みつける。

 

 『その言葉の意味は知らないけれど、恋が言うのならそうかもしれない。そんな気がするわ。』

 

 ヒサメちゃんはそう心の中で切なげに言って、しおらしく顔を俯かせた。

 

 再び重い沈黙が、私とヒサメちゃんという仲だからこそ分かち合える空気の重さが訪れる。

 

 『恋、あなたはこれからどうするつもりなの?』

 

 ヒサメちゃんは再度顔を上げて、真っ直ぐな瞳で私をじっと見つめてくる。

 

 ならば私もと勇気を振り絞って顔を上げ、私が持ちうる三つの真っ直ぐな瞳でヒサメちゃんの問いに答えを出した。

 

 「助けたい。裁判所で捕まっている皆を救い出したいの。」

 

 『無理ね、諦めなさい。貴方みたいな弱い体じゃ奴らに擦り傷一つも付けられないわ。』

 

 「確かに、腕力ではあの人たちに敵わないかもしれない。だけど昨日裁判所の中へと上手く入り込めたみたいに少し頭を使えばきっと抜け道は見つかるはず、ううん、私が見つけてみせる。」

 

 『無謀よ。捕まって下衆共に見せしめにされるのが落ちだわ。お願いだから止めて。』

 

 「嫌。止めない。もしそうなっても構わない。何もしないで後悔するより、何かやってから後悔したいし私はそうやって生きたいの。これは私自身のエゴだよ・・・・だからお願い、ヒサメちゃんはただ何もしなくていいから見守ってて。」

 

 『そう・・・もういいわ。本気らしいし、私がいくら止めたって無駄ね。』

 

 そう言ってヒサメちゃんは頭痛に思い悩んでいるかのように頭を抱えて、フーという生気の無い大きなため息を吐いた。

 

 「さすがヒサメちゃんだね、私のこととっても分かってくれてる。ありがとう。」

 

 私はそう言って場を少しでも和ませようとして微笑んだ。

 

 『・・・・もう、行ってしまうの?』

 

 ヒサメちゃんは人の心が読めないけれど、まるでテレパシーのように私の次の行動を読み取ってくれたようだった。

 

 「うん。行ってくる。でもその前に耕多に会ってからかな。もしそれが最後になっても後悔しないように、ほんの少しでもいいから耕多に会いたいの。」

 

 『そう。悔いを残さないように、思い切り彼に愛をぶつけてあげてね。』

 

 「うん。・・・・あのね、ヒサメちゃん。」

 

 『ええ。』

 

 「もう私はこれ以上ヒサメちゃんが自分自身に嘘をついて悲しそうに、苦しそうに生きてほしくないの。ヒサメちゃん自身を傷付けてほしくないの。拷問だなんて全然似合わない。本当の心はもっと優しくて、愛のある温かいヒサメちゃんだよ。私が保証する、絶対にね。」

 

 『恋・・・・』

 

 「約束させて。裁判所の皆を解放すると同時に、必ずヒサメちゃんもすぐに迎えに行く。ヒサメちゃんをこの村から連れ出してあげる。だから私と一緒に、いつまでもずっと友達でいよう。」

 

 私はそう言ってぎゅうっ、と笑顔でヒサメちゃんを抱き締めた。

 

 『ほんと、飽きれるくらい良い子ね・・・・恋、ありがとう。私に愛をくれて。』

 

 抱擁を続ける私の頬に、ぽたっ、と雨粒のようなものが落ちる。

 

 その出元を見上げると、ヒサメちゃんはがくがくと体を震わせて喜びの感情を涙という液体に変換させ何度も何度もそれをこの世界へと解き放っていた。

 

 私は彼女の心を視る。

 

 本当は全然望んでいないのに拷問をさせられていた。痛みに悶えて苦しむ同族や人間に向かって決して聴こえない「ごめんなさい。」を連呼し、己の愚かさと不甲斐なさを毎日呪い続けていた。

 

 本当はこの村の仕組みは間違っていると解っているのにこれは国のためだと、長や権力者が利己的な得をするのは気に食わないが結果、それ以外の全国の生きとし生ける者たちが幸せになるならそれでいいと矛盾した思考に葛藤していた。

 

 この村に来る前や大名に会う前、自分がまだ神様だった時代に多くの人を殺めたことを後悔し、嘆き続けてやがてこの村での自分の行いにより村人や全国の命あるものが幸せに笑って過ごせるならそれが私の生きる意味、せめてもの罪滅ぼしだと重い責任を感じていた。

 

 恋に会えた。それだけで私の人生は変わったの。毎日に色彩が溢れかえって花が咲いたみたいで、世界が光って視えた。私に「愛」をくれた、この世でたった一人の大切な友人。守るべきもの。

 

 でもね恋。私、死ぬのが何より恐ろしいの。だから私をこの恐怖から連れ出して。お願い。

 

 「解ったよ。ヒサメちゃんのこころ、とっても良く解った。だからもう泣かないで。私がずっと傍に居てあげるから、私がずっと心を視てあげるから、いつまでもあなたに私だけの愛をあげるから。」

 

 私はいつの間にか膝を付いて嗚咽を漏らし泣きじゃくるヒサメちゃんを母親の様に抱き締め続けて嘘偽りのない私自身の心を言葉で直接伝えた。

 

 そして豪雨のような悲しみが過ぎ去った後、私とヒサメちゃんは玄関の内側の木戸の前で向かい合って誰が合図を送るでもなくお互いの両手を組み重ねるようにして取り合い、手を解きあう。

 

 「ヒサメちゃん、行ってくるね。すぐに迎えに来るから。」

 

 『行ってらっしゃい、恋。待っているわ。』

 

 お互いが双方を信じあっている真実の友情の言葉を交わし、私は木戸をガラッ、と開けて外へと一歩踏み出す。

 

 ふと後ろを振り向くと、すっきりとした表情のヒサメちゃんが『気を付けてね、健闘を祈るわ。』と私へと力強い声援を送りながら軽く手を振ってくれた。

 

 私はその声に『うん!』と言葉を発さなくても伝わるように視線を送り、心の中でヒサメちゃんに向けて感謝と決意の気持ちを伝えた。

 

 まず耕多に会ってから、救出の作戦を開始しようと思った私は自分の出せる全速力で走って耕多の待つ家へと向かった。

 

 風を切りながら走る途中に、ピシャッ、という引き戸を閉めるどこか冷たいような響きの音が遠くに聞こえた気がした。

 

 

○

 

 

 私はどうしても自分から死地へ行きたいという恋を止めきれずに、もう二度は見れぬかも知れないその後姿を結局、最後まで見届けることが出来ずに思わず玄関の引き戸をピシャッと閉めて引き戸を背にし、そのままずるずると力が抜けるようにして土間にへたり込んだ。

 

 これでいいのよね・・・・?

 

 あの子が望んだことだもの、いいに決まってる。それがあの子の幸せなのでしょう。

 

 私は自分に自問自答をした。すると。

 

 [裏切り者が!]

 

 と、いつも独りで何かを考える時に聴こえてしまう、鼓膜が壊れてしまいそうなほどの大きい幻聴が耳に飛び込んできた。

 

 あ、嫌、ちがう、違うの。私は裏切ってないの。許して、お許し下さいお大名様。

 

 [いいや許さん。直ちに極刑を与える。血抜き、水責、刺殺、どのように嬲(なぶ)り殺しにしてやろうか。]

 

 ああ、嫌だよ、死にたくない・・・死にたくないよぉ・・・・。

 

 私は右も左も分からない赤子のようによろよろと不安定に立ち上がり、棚や壁掛けなど家に存在する家具にまるで救いでも求めるかのようにして縋ったり掴んだりを繰り返して見えない恐怖から逃げ続けた。

 

 いつもは幻聴が聴こえてもただその場に三角座りをして顔をその中に埋めれば嵐が過ぎ去るというのに、今日はつい先ほどまで恋と腹を割った打ち明け話をしていたからか、幻聴の声がいつもより格段と恐ろしく、私が何か動作を繰り返していないとそのまま地面が張り裂けて崩れ落ちてしまうんじゃないかという得体も知れぬ恐怖感に囚われていた。

 

 そうだ、私のこの体を自由にお使い下さい。慰(なぐさ)み者でも何でもいいです。だから、だからどうかお命だけは奪わないで下さい、お願いします。

 

 私はそう、目の前に存在しない大名に必死に懇願して誰に頼まれたでも無く気が付けば姿見の前で着物を脱ぎ捨てて裸になっていた。

 

 姿見に映る私の身体は鎖骨の辺りからつま先に至るまで全身、鬱血(うっけつ)したような赤紫色を帯びていてとても人に見せらない姿であった。

 

 特に恋には絶対に、いくら打ち解け合った唯一無二の友であっても決して晒したくはない陰鬱で凄惨な肌だった。

 

 この体は祝い村がまだ建設途中の創成期であった頃に大名らに「暇だから」とやられた集団暴行の後遺症である。

 

 昔、少しずつ開拓されていく祝い村に妖怪や神通力者が集められ今度はその者達への教育と言う名目の拷問や私刑が行われる前までは、私はいつも大名たちに蹴られ、殴られ、罵られ、そして女の身体を持ってるならわしらの役に立てるだろう、と毎日毎日休息も与えられずに輪姦され続けた。

 

 だから、祝い村に私以外の捌け口がたくさん集まってくれた事に私は本当に感謝している。

 

 大名たちが私以外のものに暴力を振るったり拷問を行うようになって、ぴたりと私への暴行や輪姦が止まった。最初はとても心地が良かった。

 

 けれど、そんな自分が大嫌いだった。

 

 本当は、拷問の手伝いなんてしたくなかった。苦しみもがく囚われの被害者たちに過去の自分を重ねてしまい、心がずきずきと酷く痛んで悲しかった。

 

 私は自分の過去と今も続く後悔の気持ちを少しでも、視覚的でもいいから断ち切ろうと姿見に変わらず映り続ける醜い自分の素肌に脱いだ服をまた着せてあげた。

 

 [そんな事しても無駄だぞ。出来損ないめ。]

 

 至近距離で囁くように小さく、しかし確実に胸を張り裂くような大名の声の幻聴がして、私はびくっ、と全身を震わせる。

 

 出来損ない・・・・私が以前、毎日のように大名に浴びせられた呪いの言葉。

 

 「お前は神様の出来損ないだ。」「お前は人の出来損ないだ。」そんな言葉を何度も何度も私は投げかけられ、次第に自分という存在が分からなくなっていった。

 

 水桶が破裂して水が飛び散るかのように私の中で昔の嫌な記憶が、封印したいと思っていてもまるで今そこに居るような錯覚を覚えさせる忌々(いまいま)しい記憶が次々と蘇る。

 

 止めて!や苦しい。といくら叫んだり訴えても口内と陰部に男たちのものを入れられ、腹の奥底を掻き乱されて抉られるような鈍痛を感じ、吐きそうなほどの嫌悪感を覚えた。

 

 目の前がぼやけたり、視界が白と黒の二色しか見えないようになるくらいに腹を蹴られ、身体を鞭(むち)や木の板で殴打され、両手両足を土足で踏みにじられた。

 

 そのようにどんな身体的暴力を受けても男たちは私の顔には手を加えなかった。

 

 理由は簡単で、「犯す時に萎えるから顔だけは勘弁してやる。」というものだった。

 

 私は思った。

 

 何で生きているんだろう。死にたい、けれど死ぬのは怖い。死にたくない・・・。

 

 元は神様だったクセに、なんて私は弱いのだろうか。

 

 何で私はこんな惨(むご)たらしい人生を自分に課さなきゃならないのか。

 

 [それはお前が出来損ないだからだ。何を今更、片腹痛い。]

 

 やめて。その言葉、聞きたくなんかない。

 

 [こいつの中、めちゃくちゃ気持ちいいぞ!ほらどうだお前にも貸してやるよ!]

 

 くるしい。私は性欲を満たす道具じゃ、お前らのおもちゃじゃない。

 

 [不愛想なツラしやがって、本当にいらつく奴だな。首でも吊って死ねばいいのに。]

 

 うるさい。お前達に愛されるために生きているんじゃない。

 

 過去に言われた暴言や自我を壊すような幻聴は一時的に止まる素振りすらも見せず、私が考えないようにすればするほどどんどんと沸き上がって来る。

 

 そして同時に全身の皮膚の下に、無数の蟻が這っているかのような悍(おぞ)ましい寒気を感じる。

 輪姦された時の全身を嘗め回すような複数人の不愉快な手触りの記憶が、今現在の私の身へと襲い掛かっている証拠だった。

 

 更に今は何ともない筈であるのに、殴打された後の痣が痛み続ける。

 

 私の頭の中、そして心の中で繰り返される生々しい過去の記憶と耳から入って来る絶え間ない聞くに堪えない幻聴。

 

 私はとうとう、正気を保てなくなった。

 

「ヴウウウウウ、ヴッ、ヴガア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ア!」

 

 私は発狂するようにけたたましく叫び、家の中を転げ回り、真実を映してしまう姿見やお気に入りの三面鏡を氷の金槌で粉々に破壊した。

 

 そこに怒りの感情は無く、ただ不安を和らげるためにと暴れ回るが、余計に私の精神は悪化の一歩を辿っていく。

 

 もう何が何だか分からなくなってしまって。こうでもしないと私自身が死んでしまいそうで心底怖かった。

 

 私は台所へと急いで向かい、昨日買った大福を作法なんて知らないと言わんばかりに口の中に押し入れて貪り喰らった。

 

 甘みを感じることで少しでも理性を保とうとしたが、私の味覚よりも幻影への恐怖の力が勝り、私は思わず食べかけの大福をぼとっ、と床に落としてしまった。

 

 もう駄目よ。もう、死ぬしか救われない。

 

 [死ね。出来損ないの人殺し。]

 

 わかりました、私、死にます。

 

 だからもう楽にさせてください。

 

 物置の内部の様に乱雑だった私の思考は瞬時に行動という冷静さに切り替わり、私は先ほど壊してしまった三面鏡の前に正座をした。

 

 確かこの引き出しには、お気に入りの髪飾りがあったはず。

 

 その髪飾りを喉笛に突き刺せば、終われる。許される。

 

 私は引き出しの取っ手を軽く引く。すると中に、シロツメクサの花を模した飾りが付いている淡い緑色の髪飾りが一本現れた。

 

 あった。

 

 私は待ち望んでいたその手段を両手に取り、髪飾りの尖った先端部分を喉笛に近付けていった。

 

 『ねーなんでそれ頭に付けないのー?』

 

 不意に恋の声が耳元に、確かに聞こえた。

 

 私は我に返り、改めて髪飾りを手に取り見つめる。

 

 これは恋との大切な思い出の品。私に絶対に似合うからと、恋が呉服店で働いて稼いだお金で買ってくれた、世界にたった一つだけの宝物。

 

 「ねーなんでそれ頭に付けないのー?」

 

 『大切すぎて大事にしまっておきたいからよ。それに何かあって壊れでもしたら嫌だもの。』

 

 「その気持ちはとっても嬉しいけど、私にしてみれば今すぐ付けてほしいかも。ヒサメちゃんに絶対に似合うと思うよ!」

 

 『はいはい。そのうちね・・・・でも大切すぎて使えないわ、やっぱり。』

 

 「毎度の事だけど建前と本音が聞こえちゃってる。面白いね。」

 

 そんな恋とのやり取りを思い出し、次の瞬間にはその髪飾りを祈るようにして愛を込めて強く握りしめていた。

 

 [わしが死ねと命令したのに死ななかったのか。ヒサメ、お前は本当に悪い子だな。]

 

 再び舞い戻るかのように大名の幻聴が私に飛び込んでくる。

 

 悪い子。それは大名が私に何度もよく使った言葉であり、悪い子は良い子にならなきゃいけないという私を従順な下僕に仕立て上げるための常套句(じょうとうく)であった。

 

 だから私は「良い子」になって、己の安全や命惜しさに多くの拷問や暗殺を行って生きてきた。

 

 [この村に悪い子は要らない。だからお前をここで処刑する。]

 

 大名が例の刀を私に向けて振り下ろそうとする幻覚が見えてしまう。

 

 『良い子にします!良い子にしますから殺さないで下さい!』

 

 私は心の中で命乞いをし、妄想の中で土下座をした。

 

 [良い子にします、か。ではわしにどんな誠意を見せるのか、教えてもらおうか。]

 

 私はその幻の問答に対して必死に思考を巡らせて、そして気が付いてしまった。

 

 恋は裁判所の囚人たちを解放するために役所に向かうと言っていた。だけどもし、あの子が「ヒサメちゃんから村の真実を聞いた」だなんて大名達に言ってしまったらどうなる事か。

 

 私は内通者の裏切り者としてまた、あの地獄のような責め苦の日々が、あるいは苦さえ無く今度は本当に殺されるかもしれない。

 

 死ぬのは、嫌。だから、

 

 『裏切り者を報告します。ですから、私は良い子です。』

 

 私は何かに憑りつかれたかのようにすくっ、と二本の足で即座に立ち上がり大急ぎで下駄も履かずに家を飛び出し、祝い村の役所へと全力疾走で向かった。

 

 道中、血走った眼で髪を振り乱して「ヴヴヴヴ」と唸り声を上げ続ける私の風貌を見て、村の人は皆が皆、恐ろしい化け物を見るような、私を人扱いしていないような表情で見つめる。

 

 勿論、恋には申し訳ないと思ってはいる。

 

 今私がやることは最低で最悪の、屑以下がやる行為だ。

 

 ぽつ、ぽつとあの子が私に向けてくれる笑顔や、あの子が私にくれた愛の感情を垣間見ながら私は走るのを一切止めずに、代わりに涙を流した。

 

 ごめんね、恋。

 

 私は貴方に永遠に笑ってほしかった。たくさんの生きる喜びをあなたに与えたかった。

 

 でもね、それ以上に私は自分が死ぬことが怖いと怯える出来損ないのバケモノなの。

 

 

○

 

 

 ヒサメちゃんに私の中での一時的なけじめの別れを告げたあと、すぐさま私はもう間もなく開店を迎える呉服店でいつものように真面目に整理整頓に勤しんでいるであろう愛する彼、耕多の元へと大急ぎで向かった。

 

 落ち着いて二人で話し合える時間が一秒でも欲しかったし、もしかしたらこれが最後の別れになるかもしれなかったから。

 

 その道中、人口がとても多く村人曰く「世界で一番幸せな村」「実在する天国のような村」と謳(うた)う祝い村に暮らす人々に何度もすれ違う。

 

 みんながみんな、『今日は天気が良いから外に洗濯物でも干そうかしら』とか『金が有り余ってるし、今日も博打しに行くか』とか『今日も平和だな』とか穏やかで和やかな普遍的な感想や感情を抱きながら顔を緩めてそれぞれの道を歩いて行く。

 

 正直、ヒサメちゃんから全ての真実を知らされた後に私が視た村の光景は吐き気が止まらないほどに厭(いや)なものにしか映らなくなった。

 

 まるで村人の全員が、笑顔という張り付いた肉付きのお面を被っている手足の付いた肉の塊のように思えた。

 

心が読める。

 

 その力は今の私にとってはどうしようもなく劇薬であり、外見だけを見て美しいと思っていた花を掴もうとした瞬間にその花が持つ棘が手に突き刺さるような、そんな胸の痛みを感じ続ける。

 

 私の知っている世界が、どんどん曇天のような空模様になっていく。

 

 そうして私は自分でも気が付かないうちに呉服店に辿り着いており、そのまま愛する人の名前を叫んだ。

 

 「耕多っ・・・・!」

「恋・・・?どうしたんだそんな慌てて、」と、耕多が言い終えるまでに私はまるで前のめりに倒れ込むかのようにして彼の胸へと一直線に飛び込み、その胴体を私の両腕で隙間なく抱き締めることで感触的に彼の存在を強く再認識した。

 

 「会いたかったよぉ・・・・・。」

 

 私は感極まって泣いてしまった。『どうしたんだ、まさか村の連中にいじめられたのか』等と私の悲しみの原因を特定するために様々な可能性を探る耕多の心配そうな心の声が聞こえる。

 

 そして耕多はいつものように、私の大好きな力強い手で私の頭をよしよしと撫で擦ってくれた。

 私はこんな局面であっても、いつも彼のその行為に頬を緩めて顔を赤く染めてしまう。

 

 「ううん、どれも違うの。ただ、耕多と話したい事があって・・・。だから、ね、二階で少し二人きりで話しましょ?」

 

 私は上目遣いで耕多の顔を見上げる。すると普段見せないような私の悲し気な笑顔を見た耕多は、

 

 『ただごとではなさそうだな・・・きっと俺じゃないと打ち明けられないような重要な話・・・そうだろ、恋?』

 

 と、私の心が読める目の特性を生かした返事を心の中で言ってくれた。

 

 私はその問いにこくり、と軽く頷き顔面に付いている二つの緑色の瞳で耕多に目で訴えかける。

 

 「・・・分かった。父ちゃん、母ちゃん、ちょっと恋と一緒に二階で話してくる。店が開く前には戻るよ」

 

 「ごめんね、お母さんとお父さん。ちょっと耕多を借りちゃうね」

 

 「あら、別に店なんて気にしなくてもゆ~っくり二人で逢引きするといいわ。今夜はお赤飯でも炊こうかしら。」

 

 「二人とも熱いなぁ、まるで昔の俺と母さんを見てるようだぜ。若いっていいなぁ。」

 

 耕多と私のせめてもの気遣いの言葉に対して、耕多の両親はいつものようにヒューヒューと言わんばかりに私達の恋色沙汰を応援してくる。

 

 もしこれから話す内容がいつもみたいにお互いの愛を確かめ合うようなありふれた素敵な時間だったら、どんなに私は救われただろうか。

 

 私達は屋内に居ながらも何か覚悟でも決めたかのようにお互いの手を繋ぎ合い、そのまま耕多が先頭を歩いて行き私はその後ろに付いて行く。

 

 そうして階段を上り、いつも私達が二人きりで寝ている二階の寝室に到着し、そこで手を離して私はそのまま、立ったままで耕多の顔を真顔で見つめ続ける。

 

 耕多は何を言われても俺は大丈夫、という面持ちと心の声を私に伝えてくれた。

 

 ・・・・本当に言っていいんだろうか。もしここで私が「大好き」や「愛してる」と言えば、いつものなんてことない幸せな毎日に切り替えせるんじゃないだろうか。

 

 そんな心の迷い、弱さが芽を出す前に私は言った。

 

 「私、全部知っちゃった。」

 

 「・・・・何が?」

 

 耕多は嫌な感じがする、といった表情を浮かべ心の中で『まさか。』と続けた。

 

 彼はいつだって鋭い人だ。そんなところも含めて、私は耕多を愛している。

 

 だからこそ、愛している人だからこそ全部素直に正直に言いたい。

 

 「この村の仕組み。そして役所の中にある裁判所で毎日、私の仲間の妖怪たちや耕多と同じ、でも特別な力がある人間たちが酷い目に合わされて泣いていること・・・・私っておめでたい子だね。今までなんで気付けなかったんだろうって。」

 

 『なんだ。そんな事か。』

 

 耕太の淡白な心の声が聞こえて、私はそれに少量の違和感を感じた。

 

 「ねぇ、耕太は知ってたの?」

 

 「知ってるも何も、それがこの村の常識で当たり前だからな。」

 

 「常識で当たり前だとしても、心は痛まないの!?こんなのおかしいって、酷い目に合ってる皆を救いたいとか思わないの!?」

 

 「どうして?だって俺には、それに恋にだって関係ない事だ。それがあるからこそこの村は永遠に裕福だし平和なんだ。それのどこがおかしいんだ?」

 

 初めて視えた耕多のその冷たい一面に、私は心臓がきゅっと締め付けられるような思いを感じた。

 

 私の愛した人は、こんなにも冷たい人だったの?

 

 そして私の脳裏にヒサメちゃんが言っていた「必要悪」という言葉がよぎる。

 でもそんなの要らない、必要ないんだ。

 

 「耕多。私ね、昨日から心がとてもとても痛いの。この目で本物の悪意を視ちゃったから、世界の裏側を知っちゃったから・・・・でも耕多は、耕多だけは悪い人じゃないって、信じてる。だってあなたは私に❝愛❞をくれた!だから私は・・・・・」

 

 だから私は、みんなが幸せになれるように愛を分け与えたい。

 

 捕まっている子たちを解放してそれぞれが自由に生きられる世の中であってほしい。

 

 そんな文章を頭の中で唱え、口には出さなかった。

 

 何故かは分からないけれどもしここでそう言い終えたら、耕多にもう二度と会えなくなるような気がしたから。

 

 私は唇を噛み締めた。

 

 そんな私を見かねてか、耕多が会話を続ける。

 

 「・・・・なぁ恋。俺は恋の過去の話を何時も傍で聞いたことがあるから恋のことをかなり知っているけど、逆に恋から俺自身の事を聞かれても今まで俺はそれを教えてこなかったよな。」

 

 「・・・うん。」

 

 「恋は心が見えるだろ?だから俺の気持ちを隠したっていつかは見破られる。なら、この機会に俺の事や恋への想いを伝えるよ。」

 

 「うん。」

 私は耕多が新しい形で心を開いてくれたことに好意を持ち、そのまま彼の声に耳を傾ける。

 

 「俺の家は祝い村の大名と直で繋がっている。理由は簡単で、祝い村がまだ作られ始めた時に俺の家元がたくさんの支援金を提供したから。その時の恩義とやらで俺の家はずっと祝い村では特別扱いだったし、周りの奴らに比べて国からの報酬も倍だった。」

 

 耕多の話す内容はただの自慢話では無いだろう。

 彼の物悲しそうな顔がそれを物語っている。

 

 「父ちゃんと母ちゃんは俺に何でも買い与えてくれた。着物や玩具やご馳走とか、人並み以上に、溢れかえって持ち切れないほど俺はそれを貰っていた。だけどある日気が付いたんだ。物には恵まれているけど、愛が無いから寂しいって。」

 

 「・・・耕多。」

 

 私は耕多が涙ぐむのを堪(こら)えようとした一瞬の動作を見逃さず、思わず名前を呼んでしまう。

 

 「母ちゃんと父ちゃんはお互いを見続けているだけで、俺に見向きなんて一切しない。俺は母ちゃんと父ちゃんのお飾りの道具。そういうのって、嫌でも分かるもんなんだ。」

 

 知らなかった。一見仲がよさそうな親子に見えて、その実は孤独感を感じていたなんて。

 

 「友達もたくさん居た。だけど、大半は俺の持ってる玩具や本を目当てで来る現金な奴らばっかりだった。俺は友達との縁を全部切ってから落ち込んだ。みんな俺自身を見ていないんだ、みんな俺自身を愛してくれないんだ、っていつも考えてまるで井戸の中の暗闇に居るみたいだった・・・・愛が欲しいならと、彼女を作ったりまた新しい別の友達や近所の人を話し相手にしてみたけど、何かが違った。原因は恋が言ってたみたいに、この村はおかしい人間しかいないからだったんだ。」

 

 「・・・一つ聞かせてほしいんだけど、耕多はこの村が好き?」

 私は自分の思惑の為にと、彼を試すかのようにして質問をした。

 

 「いいや、全然。むしろ嫌いだ。俺という存在を見てくれない愛してくれないこんな村は大嫌いだよ。でも、ここで生まれ育った俺にはここしか居場所が無いし、もし村を離れて好きじゃない愛でさえ失ったら俺は生きていけない・・・・そう、思っていたんだ。」

 

 耕多はそう言って私に歩み寄り、私が下げていた両手を拾い上げるかのようにして手に取り、とても愛しそうにして強く、しかし痛くないように握りしめてくれた。

 

 「そんな時、恋に出会えた。俺は恋がこの村に初めて来た時、横顔を見たその時から恋の事が好きだった。そして俺は何か運命的なものを感じて、いつの間にか君の後を追いかけていた。そうやって初対面は心の中で告白出来たんだ。」

 

 懐かしい。まだ私と耕多が初対面で、お互いがお互いの心を知らなかったあの頃・・・。

 

 とても初心(うぶ)で、それでも言うことは言ってすっかり私を恋の虜にしてしまった貴方は、私の中の恋が愛に生まれ変わるかもしれない予兆を感じさせてくれた。

 

 その結果、私達はお互いに心でも身体でも幾度となく愛し合って今ここに居るのだ。

 

 「恋が俺の告白を受け入れてくれて、恋が愛に生(な)れるって聞いた時、俺はその時に救われた。この世に産まれて初めて愛を感じ取れたんだ。」

 

 耕多は心の中で『恋のためならば俺は何だってやってみせる。本当だ。』と大きな声で言った。

 

 「恋は何にも知らないでこの村に来たから、俺は心底不安ですぐに役所や大名に、恋は俺のものだ。手を出すなと家の権力を使って伝えた。そうすれば捕まって無残な目にも合わされないし、それにせっかく出会えた恋と離れ離れになりたくないから家族も説得した。」

 

 「そう、なんだね。全部、耕多の愛だったんだね・・・・ありがとう。」

 

 私は耕多の包み隠すような大きな愛に感謝をしながら、私の中の愛についてを耕多に語った。

 

 「こうやって少しでも話せて本当に良かった。だって耕多の優しい愛が今も私を包んで離さないんだもの、嬉しくてしょうがないわ。」

 

 「恋・・・。」

 

 私は自分のありのままの心を言葉に出して言ってみせた。

 

 そして私なりの人生の結論を耕多に伝える。

 

 「私ね、耕多から貰った愛をみんなにも分け与えたいの。だから私は、自分の思う愛のために裁判所に囚われている子たちを解放してあげたい。そして、それが終わったらヒサメちゃんと耕多と一緒に三人でどこか遠いところでずっと永遠に仲良しで暮らしたいなって。」

 

 『三人で、か・・・・。恋。君は本当に良い子なんだね。俺は君のその純粋で優しい心も全部含めて愛しているよ。これから先にどんなことがあっても、永遠に。』

 

 「うん。私も耕多の全部を愛している。初めて会った日からずっと貴方をこの目で追いかけてきた。だから今私がやろうとしていることが全部終わったらこれからもずっと、私の隣に居てほしいの。」

 

 私は遠回しな、しかし確実な言い方で耕多に事が終わったら一緒に駆け落ちをしようという意思を伝える。

 

 「ああ、勿論だ。俺も恋の隣にずっと居たい。だから俺と恋だけで、二人きりでどこか遠くに行こう。そして愛のある夫婦に成(な)ろう。」

 

 耕多はそう言い切って私に正式な結婚の申し出をし、私の肩を両腕で優しくまるで壊れ物を取り扱うかのようにして握りしめた。そうやって私達はそのままの流れで互いの舌が深く繋がり混ざり合う契りの口付けを交わし合った。

 

 口付けを交わし合った後、お互いの唇が離れ合ってもなお舌先から繋がる銀色の唾液の糸がほんの少しだけ視界に映り、瞬きする間も無くぷつん、と切れる。

 

 「耕多。私、本当に嬉しいよ・・・こんな欲張りで自分勝手な子だけど、これからも宜しくね。」

 

 「こちらこそ、こんな俺だけど絶対に恋を守るから、恋にしか愛を与えないから。だからこれからも愛し合おう・・・・・恋、あのさ。俺やっぱり君だけしか、」

 

 耕多の表面の会話と裏面の心の声が重なり合い、「君だけしか」の次には何を言ってくれるのだろうと私が期待して待っていたその瞬間、ドガシャン!というまるで大砲でも打ったかのような爆音が一階から鳴り響いてきた。

 

 私達はその音に引き裂かれるかのように愛の確かめ合いを中断され、次に私は耕多のお母さんお父さんに何事か起きたのではと心配になって居ても立っても居られなくなって、「耕多!行こう!」と叫び、二階から一階までまるで飛び降りるかのようにして降りて行った。

 

 耕多は「恋!」と私の名前を叫び『待ってくれ、置いて行かないでくれ!』と心の中で叫び私の後へと遅れを取らずに付いて来てくれた。

 

 そして私は降りた先で一階の呉服店の売り場を見渡した。まず際立って見えたのが『なんで俺たちがこんな目に』とか『耕多、何を突っ立っているの、早くあの子を受け渡しなさい!』という酷く恐怖に支配された心の声を放ち続けながら、何者かに土下座をする両親と、突風でも吹いたかのように滅茶苦茶に散乱している店の売り物である色とりどりの着物。

 

 そして店の入り口には口髭を蓄えて偉そうに腰に両手を宛がい、その光景を誇らしげに見下ろす大名の姿があり、その後ろには苦しそうに顔をしかめて斜め下を向く、私の存在を認知してはいるが私に目も合わせないヒサメちゃんの姿があった。

 

 「ほう、これからこやつらを尋問するでもなく自分から勝手に来てくれるとは大したものだ。褒美でも与えたい気分だぞ。」

 

 大名は私に向かってそう言い、ガハハハハと下品な笑い声を上げた。

 

 『恋、今だ。逃げるぞ!』

 

 不意に耕多の心の声が聞こえてきて、私はいつの間にか耕多に強引に引っ張られて走り出していた。

 

 そしてそれを見た大名は「おっと、」と言って耕多の踏み出した足に自分の足を引っ掛けて、耕多はその拍子に私から手を離してしまいバランスを崩して店の入り口付近で真正面に倒れ込んでしまった。

 

 「くそっ・・・!」

 

 「耕多っ!」

 

 私はすぐに耕多の元へと駆け寄ろうとした、が、近くに居た大名に従う役所の兵隊たちの一人に後ろから羽交い締めにされてしまい、彼の元に辿り着けなかった。

 

 そしてすぐさま私は体の自由を奪われたうえで首元に脇差の刃を宛がわれ、耕多は倒れこんだ状態から起き上がり、膝を付いて立ち上がろうとした時に大名の持つ刀身を剥き出しにした刀でその先の行動を抑制された。

 

 「お前ら、それ以上抵抗するなよ。もし少したりとも動けば今ここで二人ともあの世行きだ。わしだって愛し合う恋仲のお前らが無残に引き裂かれる姿は見とうないからなぁ、ガハハハハッ!」

 

 大名は『それはそれで真に面白そうだ。国からの命令が無ければ今すぐここで見てみたい。』と冷酷無慈悲で真っ黒な心の内を晒した。

 

 「さてと、わしの用事は恋、お前だけにある。思えばこの村にのこのこと厚かましくやって来て耕多からその存在を知らされた時から、心の中が見えるなどとなんと珍妙で厄介で厭(いや)らしい

バケモノだと思っていたが、どうやらお国はお前のその忌(い)み嫌われるような能力をどんな手でも使って手に入れたいようだ。」

 

 大名はそう言いながら、『心を覗き見られるなんて、なんて不快な事だ。わしには耐えられんがな。』と、私の事を心から軽蔑して心の声で言った。

 

 「そうでしょうね。だってあなたの心、吐き気を催すほど邪悪で真っ黒で何も見えないもの。」

 

 「・・・なんだと?言葉に気を付けろよ、人間の出来損ないが。まぁいい。大口を叩いていられるのも今の内だろうからな。とりあえず、お前は前々からわしら、延(ひ)いてはこの国から注視されてきたありとあらゆる場面で使えそうな道具だった。今までは耕多の家柄の事もあり黙認してきたが、何か動きがあれば遠慮なくお前を生け捕りにして従順な兵士に仕立てろ、とこれはお国からの命令だ。」

 

 「お国からの命令、ってあなたにはそれしかないの?それにあなたはその国も、いいえ他の人も全く愛していない。あなたの心の中はいつも自分の利益ばかりで、見るに堪えないわ。」

 

 「なんとでも言え。そんな言葉わしには屁でもない。それにわしの位が上がるかもしれん一世一代の好機はお前がくれたのだからな。そういう意味ではお前さんをたいそう愛しているよ、恋。」

 

 私が敵意を表情で大名に示す前に、耕多の心の声が『必ずお前を殺してやる。』と言った。

 

 「ああそういえば、お前がわしらの教育をこっそりと盗人のように覗き見していたのをご丁寧に詳しく享受し教えてくれた者がいたな。そのおかげで目の上のたん瘤だったお前を捕まえるきっかけやわしの出世の肩書にもなった。その者には本当に感謝の意しかない。なぁ、ヒサメよ?」

 

 大名はそう言って、自分の斜め後ろに立っているヒサメちゃんの姿を意地悪そうに笑いながらしげしげと見つめる。

 

 私はようやく顔を上げてくれたヒサメちゃんに視線を合わせると、

 

 『恋、ごめんなさい。私、貴方を護れなかった。自分が可愛くて死が怖くて貴方を売ってしまったの。本当にごめんなさい・・・・。』

 

 そんな心の声が聞こえてきた。

 

 それに対して私は、

 

 『誰だって死ぬのは怖いもん、しょうがないよ。それにいいよ。私は平気だから。』

 

 と、ヒサメちゃんに向けて心の中で言って、心が読めないヒサメちゃんに少しでもその思いが伝わればと自分の顔の表情を少し緩めて彼女の事を赦(ゆる)してあげた。

 

 そんな私を見てヒサメちゃんは、はっ、と目を見開き「ヴ・・・」と一声を漏らして再び私から視線を逸らした。

 

 「さぁ、もう目的はもう済んだ。あとは形式を取るだけだ。」

 

 そう言って大名は腰に折り畳んで挟んであった令状をわざとらしく宙にバッ、と広げて両手に掴み、声高らかにそこに書かれている内容を宣告した。

 

 「我がお国からの指令により、本日を以て祝い村に居住している心を盗み読む妖怪・恋を危険因子と見なして役所で管理をする事が決定した。さぁ、同行願おうか。無論、この要求に速やかに応えなければ一家に厳重な処罰を与える。」

 

 「恋!こんなやつの言う事なんか聞くな!俺たちなんかいいから早く逃げろ!」

 

 「五月蠅(うるさ)い。お前のような小童(こわっぱ)の意見など誰も聞いておらんわ。」

 

 大名はそう言って、耕多の目の前に自慢の愛刀をザン、と地面に直接突き刺して脅す。

 それでも耕多はそれに目もくれずに『頼むから今すぐ逃げてくれ!』と心の中で私の身を案じ続けてくれた。

 

 私は未だに深く首(こうべ)を垂(た)れて事態が収束するのを今か今かと待っている耕多の両親に目をやる。

 

 『最初は福の神がやって来てくれたと思っていたのに、なんだこの有様は。お前なんてとっとと裁判所にぶち込まれちまえ!』

 

 『頼むからあの子が素直に連行されますように。私と夫だけ助かりますように・・・・きっと良い子だから大人しく行ってくれるわよね?でもお願いだからもう二度とこの家に来ないでほしいわ、こんなうざったい妖怪。』

 

 昨日の晩まで仲良くしてくれた、まるで本物の親子のように接してくれた耕多の両親の掌(てのひら)を返す真実の心の声に、私はとても悲しくなっていた。

 

 でもこの人たちは被害者。恐怖で人を征服しようとする大名達が悪いのであり、更に言えば私という特異な存在が引き起こした事であるから私が悪いものね、と逆に反省をした。

 

 耕多の方を見る。まだ彼は私に『逃げるんだ。』とただ祈るようにして言ってくれていた。

 

 もしここで私が耕多と耕多の両親を見捨てて、また昨日の夜みたいに臆病者として逃げたら一生後悔するだろうし、逃げるという選択肢はもう選びたくないし少したりともそんな人生における卑怯な手段は思い浮かばなかった。

 

 「分かりました。私をこのまま役所へ連れて行って下さい。でもその代わり、耕多と耕多のお母さんお父さんとヒサメちゃんには手を出さないで。約束よ。」

 

 私は何時もの自分の声のトーンとは違う、少し大人びた冷静な口調でそう言い、大名を睨んだ。

 

 「ほう、バケモノにしては聞き分けが良い方だな。いいだろう。じゃあわしの後に付いてこい」

 

 そう言って私は周りの兵隊たちに囲まれて両手首に木の板で出来た拘束具を嵌められて押し出されるようにして店の外へと連れていかれる。

 

 途中、すれ違ったヒサメちゃんと視線が合い、『恋。いつか貴方を救い出してみせるから、待ってて。』という心の声が聞こえたが、私はヒサメちゃんの身を案じて「いいの。」という返事を言葉で無く首を左右に軽く振って示した。

 

 「恋っ!」

 

 私は愛しい人の空を切り裂くような声にすぐさま反応して後ろを振り向く。

 

 耕多の両親はお互いに酷く安堵したように胸をなでおろして手を繋ぎ合い、耕多はその前方で役所の兵隊に押さえつけられながらもじたばたと激しく抵抗をし、私へと手を伸ばし続けていた。

 

 大名が先陣を切り、その周りの兵隊たちに囲まれて私の背丈がすっぽりと隠れても、二人の距離が残酷なくらいに遠く離れていっても耕多はただひたすらに私の名前を呼び続けた。

 

 そして私は予想通り、祝い村の役所内にある裁判所の地下牢の中に乱暴に投げ捨てられた。

 

 「きゃっ!」と私は投げ捨てられた衝撃に今まで我慢していた弱気な声を上げ、もう既に檻の扉が閉まる音と錠を掛ける音は耳に聞こえているというのに、人の心というものは不思議なものであり思わず脱出できるはずのない檻の鉄格子に勢いよく掴まって耕多の助けを求めてしまった。

 

 すると、私の想いが通じたかのようにすぐに「恋!そこに居るのかっ!?」という耕多の切羽詰まったような大きな呼び声がして「うん!私はここだよ!」と私もそれに返事を返した。

 

 おそらく役所の兵隊や見張り番を死に物狂いで全力で掻い潜り抜けてきたであろう耕多はすっかり息を切らしながら私の前に姿を現し、まるで猪が突進してくるかのようにガシャン、と激しく私の居る外側から鉄檻の鉄格子を力強く握り締めた。

 

 「耕多っ・・・耕多ぁ!」

 

 私はもう地下牢に降りた時点で二度と会えないだろうと思っていた耕多との再会に、思わず感極まって涙をぼろぼろ流して鉄格子越しに彼の手を強く握り締めた。

 

 「恋。大丈夫、大丈夫だよ・・・俺が来たからもう大丈夫。今すぐここから出してやるからな」

 

 耕多はそう言って私の元を少し離れて、鉄で出来た檻の錠を何度も蹴って壊そうとしたが錠はびくともしなかった。

 

 「くそっ、なにか道具さえあれば・・・」

 

 出れなくてもいい。だから、これが正真正銘の最後かもれないからもっと耕多と出来るだけ少しでも長く触れ合っていたいという私の感情を知る由も無く、耕多は血眼(ちまなこ)になって錠を破壊できる道具を探し続ける。

 

 そのうちに「いたぞ!捕まえろ!」という役所の兵隊の声が聞こえて耕多はあっという間に四人がかりでその動きを封じられ引きずられるようにして地下牢から外へと連れ出されていく。

 

 「やめろ!離せっ!!恋っ、恋!」

 

 「抵抗するな!全く、大名のお気に入りだから許されるとはいえとんでもないガキだ!」

 

 「恋!聞いてくれ!俺が必ず恋を助け出すから、どんな手を使ってでも恋を助けに行くからな!!」

 

 私はもっと、例え遠くに離れて行っても最後の瞬間まで耕多の声と顔と心の声を感じて居たいのに、その意志とは反して私はただ「耕多ぁっ・・・」と視界を涙で歪ませて次第に彼の姿は地下牢の天井に着いている強光の白い灯りのせいで真っ白に染まって見えなくなってしまった。

 

 『ざまあみろ。』『可哀そうに。でも人間なんか信じるお前が悪いんだ。』『こいつはどれくらいもつのかな。』『今まで良い思いをしたなら、せめて私達の身代わりにでもなってよね。』

 

 たった一人を除く、私と同じ檻の中に居る妖怪や特殊な力を持つ人間たちは心の中で口々にそういった妬みごとや怨みごとを口走り、それが私の中にとどまることを知らずに流れてくるが、私はそんなのお構いなしに脱力したかのようにその場でへたり込んで座り、両手で覆ってもその隙間から零れ出るくらいに涙を流し続けて、すっかり目の前から消えてしまった耕多の名前を声が枯れるまで呼び続けた。

 

 

○

 

 

 恋が裁判所の地下牢に入れられて二日後。

 

 祝い村役所の内部にある、「会議所」という名の密談をするための施設。

 

 そこには祝い村を牛耳る大名と下っ端を除く役所の兵隊達全員が数年ぶりに集結しある決定を下すための会議を行っていた。

 

 「・・・と、いう訳でそんな入れ知恵があってな。確かにそろそろこの村も潮時かとわしは思ってた。あまりに増えすぎた住民、いくら拷問や脅しで手懐(てなず)けているとはいえ我々や国家よりも勝る能力を持つ人外のバケモノ共・・・極めつけに、あの恋とかいう人の心が読めてしまう怪物ときたものだ。」

 

 大名は、ふーー、と心底嫌そうな顔でため息を吐き、国からのプレッシャーやストレスを少しでも和らげようとキセルに火を点けて吸い口を咥えて深く吸い、口を丸めて歪んだ円形の煙を放出した。

 

 「わしは前々から国から言われておった。もし村が手に余るようなら跡形も無く消せ、とな。それに国も散々、全国に発布するようにしてバケモノ共を収集し、馬車馬のように使い、挙句の果てにはこの国の将来という名目で自分らの身の可愛さゆえにまとめて危険因子のバケモノ共と村人という生き証人を消せとはいやはや、これじゃあどちらが極悪非道の悪者か、わしの器ですら戸惑ってしまうほど分からないわい!」

 

 ガハハハハ、アッハッハッハ!と大名の腹の底からの大笑い声に周りの兵隊達もニヤニヤと楽しそうに笑っている。

 

 そして大名はつい先程までの喜びの感情が嘘かの様にスッ、と真顔に戻り普段以上のドスの効いた声で兵隊達に命令を下す。

 

 「いいか皆の衆。今から一週間後、祝い村を完全完璧に地図から消し去る。ヒサメにも途中まで協力してもらい最後はわしの刀で斬り捨てる。あと耕多とかいう出しゃばりなガキも早めに潰しておけ。以上、解散。それぞれの武運長久を祈る。」

 

 

○

 

 

 恋が役所に捕らえられてから三日後。

 

 耕多の家は以前の平穏さを取り戻し、耕多の両親はかつて「娘」と親しみを込めて呼んでいた恋の存在が最初からまるで一切無かったかのように日常生活を送っていた。

 

 「あら、包丁が一つ無いわね」

 

 耕多の母は夕食の準備をしている途中、普段は三本ある包丁が二本になっている事に気が付き『あの包丁はとても切れ味抜群でお気に入りだったのに、一体全体どこに行ってしまったのかしら?』と疑問に思いながらも、まぁでも後から見つかるだろうし新しい包丁を買えばいいでしょうと軽い気持ちで考えて夕食を作り終えた。

 

 そして自分の息子である耕多の名前を一階の炊事場から叫ぶようにして呼んだ。

 

 「耕多ー!夕ご飯出来たわよー!」

 

 「分かった!でも今、手が離せないから先に食べててくれ!」

 

 耕多の母はいつもとは違う初めて聞く息子の返事に面を食らったが、自分の息子にさほど興味のない母親は「何か遊びにでも熱中してるのかしら。」と軽く考えてさっさと居間へと出来上がった食事を持って行くのだった。

 

 その頃、耕多は今は一人きりで使っている自分専用の寝室の中央に真っ白な風呂敷を広げて、そこに家にあった切れ味抜群の包丁や鋏(はさみ)やここ最近、村の道具屋を巡って自分の有り余る金で買った鎌や鉈(なた)や金槌など、ありとあらゆる刃物や武器になりうるものを並べてその前で腕組をしながら思考を張り巡らせていた。

 

 「さて、どれにしようかな・・・・」

 

 耕多は一人で呟き、数多の道具の中で一番殺傷能力の高そうな物品を見定めていく。

 

 その結果、研げば光ると同時に切れ味も倍増していく元々家にあった包丁を選択した。

 

 「よし!これだ!これであいつを殺してやる。」

 

 耕多はその包丁を天高く誇らしげに掲げて無邪気に笑ったが、その笑みを本人は自覚していないようであった。

 

 「待ってろよ、恋。俺だけの恋。絶対に俺が助けるから、俺と恋以外の全てを終わらせるからな・・・・。」

 

 耕多は生まれつきの黒い髪によって更にその色彩が際立つ、生まれつきの紅い鮮血のような色の二つの瞳をギラギラと輝かせて目の前の包丁をただひたすらに見つめ続けていた。

 

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