※この作品はR-18です。

ハルトマンの妖怪少女   作:命月夜

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第5話『エゴの到達点』

 私が裁判所の地下牢に入れられてから一体どれくらいの日数が経っただろうか。

 

 体感としては約三日ぐらいだが、地下牢には時計や窓が一つたりとも存在せず、おまけに今が昼か夜かも区別が一切付かないくらいに鉄檻の内部も外部も白色のランプが天井中にぶら下がっており体内時計が狂うのもおかしくないと思えた。

 

 窓が無いせいかただでさえ黴臭(かびくさ)い地下牢には厠(かわや)のような据(す)えた臭いや何か腐り落ちでもしたような腐臭が組み合わさり、淀んだ空気となって循環し続けている。

 

 更に私がここに放り込まれて以来、檻の中に居る大勢の妖怪や特殊な力を持つ人間たちは極まれに視線こそは少し合うものの、こちらから話しかけようとしてもそっぽを向いて心の中で私への嫌悪感や自分の人生を呪う独り言へと没入してしまい、結局、私の心が読める力を以てしても一向に誰とも打ち解ける気配は皆無(かいむ)であった。

 

 そんな劣悪すぎる環境に加え、数時間おきに耕多とヒサメちゃんの顔を思い出してその名を呼び、もうこの檻の中で初日に泣きじゃくりまくって、ろくに体内に水分など残っていないくらいに泣いた後だろうに自然に何回も変わらない量の涙を流し続けて私は永久に癒される事の無い悲しみの途方に暮れていた。

 

 それでも、もっと悲しい気持ちやもっと酷い思いをしているのは私より先にこの中に閉じ込められてしまったみんなのはず。だから私がいつまでもこうしてめそめそして弱くならずに、少しでも健気に振舞ってみんなを救わなければ。

 

 私は錆びついた破片しか手に取る事が出来なかったあの夜を思い出し、少しでも、形だけでもいいからここに居るみんなと向き合いたいと思い心を新たにして檻の中を再度見渡してみた。

 

 口元の牙が鎌の様になっている大人の背丈ほどある大百足や、上半身の白い部分に赤や黄や黒の黴(かび)が生えてしまった膝を抱えて座る大根や、左右の前足が無くなっていて寝ころぶしか出来なくなっている四つ尾の狼や、片方の目が潰れて大きく腫れている人間の青年や、部屋の隅で明日の天気や物価などの事細かい情報を延々とぶつぶつと呟いている顔が見えないくらいに長髪である老人男性や、自分の背中に生えた翼から羽をむしり取ってはそれを数分間眺め続ける女性の姿をした鴉(カラス)の妖怪や、ただひたすらに座禅を組んで目を閉じ続ける尼(あま)の恰好をした人間の女性や、ボロボロに穴が開いた巻物から手足を生やす小さな竜の姿の妖怪や、まだ数歳であるだろうに壁に背を向けて全てが恨めしいといった表情で一点を見つめる男の子・・・・・。

 

 その他にも見渡せば見渡すほどにたくさんの者が居て、本来ならば彼らはこの世に誕生した瞬間から祝福され、その個性豊かな容姿や力であるが故にそれぞれが幸せで毎日が旅行気分であるような楽しい人生を送れるというのに、こんな愚かな場所で、そして一部の人間の利益の為に彼らの命や魂が削られていくことに私は強く憤(いきどお)りを感じた。

 

 そして同時に、今でこそなんとか紙一重の状態で精神を保っている私だけどいつかここに居るみんなのように真っ黒で虚無を見つめるような目に変化していき、私という心も死んでしまうのではないかと一抹(いちまつ)の不安を感じてしまった。

 

 強くありたいし臆病者に二度となりたくないしみんなに幸せを分け与えたいしいつまでも優しい心で居続けたい。

 

 だけどそれに反比例するようにして、私は己の肉体の欠損や死よりも自己の精神が病んで腐って死んで、元の私に戻れなくなるのではないかと、今まで感じたことのないまるで深海の底の底に沈むような息苦しさと恐怖を覚えた。

 

 私の心の中で生の感情と負の感情がせめぎ合い、原形を留めないくらいにぐちゃぐちゃに混ざり合って、その上から大きな筆で精神的な死という一寸先も見えないような黒い色が上塗りされていく。

 

 私は自分を完全に見失いそうになり、心の中で眩暈(めまい)を起こし今にも失神しそうな感覚に囚われてしまった。

 

 そんな時だった。ちょんちょん、と何かが私の右手の甲を軽く突き私は思わず後ろを振り向いた。

 

 するとそこには私がここに捕縛された時から今に至るまでずっと、私のことを神様の様に優しい眼差しで見つめてくれていた大きな大木に皺くちゃなお爺さんの顔が付いた、草も木の実も一つも生えていない枯れ木のような樹木の妖怪が居た。

 

 この妖怪の心の声だけは何故かどんなに第三の目を見開いて視ても視えなくて、私は何となくこの人は特殊な、きっと私の想像もつかぬような超自然的な存在であるのだろうと薄々と感じていた。

 

 樹木の妖怪は私の今居る檻の中のずっと奥の突き当りに静かに、しかし圧倒的な存在感と威厳を放ちながら佇んでおり、この鉄檻は床まで底冷えするような無機質の鉄で出来た床であるが、その樹木の妖怪の根元付近だけが僅かに円形にくり抜かれ土壌が少し顔を覗かせていた。

 

 樹木の妖怪はその僅かに見える土の中から自身の細枝を私まで伸ばしていて、再び私は何かを求められるかのように今度は右手の平をちょんちょん、と触られる。

 

 瞬時に私はまるで「この手を握りなさい。」と言われている気がして、その細枝を握ってみた。

 

 『やぁ。こうして話すのは初めましてだね、覚(さと)りの目を持つお嬢さん。』

 

 すると見た目通りのしゃがれたような、だけどもとても優しいお爺さんの声が私がいつも第三の目で人の心を読み取るような形式で直接、私の中へとするりと入って来た。

 

 『!・・・あなたも私と同じく、人の心が読めたり視えるの?』

 

 私は思わず驚きを隠せずに、その樹木の妖怪は私と同族の妖怪かと思って単純に質問をしてみた。

 

 『いいや、残念ながら私には生きる者の心の声が読めないし視えもしない。普通に口を使って喋ることも出来ない。ただ、こうして直に触れ合うことによってお互いに心の中で会話が出来る。今からかなりの大昔、人間が現れるまで殆どの生命が持っていた力さ。今はもう私だけになってしまったようだがね。』

 

 『そうなのね・・・でもそれってとても素敵な力だと思うわ。私の名前は恋。あなたは何て呼んだらいいかしら?』

 

 『そうだね、私のことはマリュス、とでも呼んでもらえればいいかな。』

 

 そう言ってその年老いた容姿の樹木の妖怪、マリュスは世界を愛し抱擁をしているかのような変わらない笑顔を私に浮かべた。

 

 『マリュス、どうして貴方は私に声を掛けてくれたの?』

 

 私はマリュスの細枝を握りしめながら歩いていき、彼に至近距離で対等に向き合った。

 

 『本当は最初から、恋がこの村に導かれてしまった時から話そうと思っていたんだ。だけど恋には気持ちを整理する時間が必要だと思って、私はずっと静観してあえて見守り続けた。だけれどついさっき、君の瞳から光が消えそうになっているのを見かねて今こうして君と触れ合い和解を遂げることが出来たんだ。』

 

 マリュスはそう言って私が握っている細枝を嬉しそうにしてくねくねと軽くうねらせた。

 

 私は何だか自分勝手に途轍もないオーラと威圧感を感じていたマリュスのそんなお茶目な行為に思わずくすっ、と笑ってしまった。

 

 『でも恋、君はどうやら私の想像を遥かに超えたものを持って産まれているようだ。その証拠に、君の三つある瞳はこの先永遠に綺麗に澄んだままだろう。私はそう思えて仕方がない。』

 

 『褒めてくれてありがとう、マリュス。あなたもこの先も永遠に長生きしてよね!』

 

 『ははは、長生きか・・・・そうだ、恋よ。暇つぶしだと思ってこの老(お)い耄(ぼ)れの昔話に少し付き合ってもらえないだろうか?』

 

 マリュスはそう私に尋ねてきて、私は何だかすっかりマリュスに興味が湧き、お友達になりたい一心も含めて『うん!いいよ!』と二つ返事でそれに答えた。

 

 そしてマリュスは変わらないゆったりとした口調で自分は原初の人間が現れる前から生きており、元居た何一つ不自由のない楽園のような世界に飽きて自らを一つの種子として転生させ、自らの意思で転がり落ちて大海原に飛び込み波のゆくままに流され砂浜に到着し、そこで渡り鳥に食べられてなんとか鳥の胃の中で消化されないように形を保ち続けて、気が付けば鳥の糞と共に排泄されて今居る場所で発芽をして新たな人生を始めたという。

 

 その人生の補足として、自分がちょうど今の姿のような大木に成長した頃に大名とヒサメちゃんがまだ村の基盤さえ出来ていない鬱蒼とした森林である山奥のこの地に訪れ、村の守り手として力を貸してほしいとお願いをされ、今度は普通の人間たちの営みを見守りたくなったマリュスはそれを快く承諾したところあれよあれよという間に村が開拓されていき、気付けば自分の周りは冷たい鉄の塊に覆われていたという。

 

 マリュスはそんな自分の周囲の変化をすぐに受け入れ、山一個分にも広げていた自分の根っこを祝い村の全敷地内に縮小させて今に至るまで人の営みに必要不可欠な豊かな土壌を育てその結果として毎年安定した量の農作物が完成し、その他にも祝い村の外部からやって来る悪意を持った妖怪や悪霊などの存在を地中の浅い層からかなり深い層まで張った根で撃退するなど、この村全体へと強い貢献をしているようだった。そしてたまに祝い村の住民の居住区などの土からぱっと見ただけでは目視できない細枝を覗かせて人々の平穏な暮らしやこの世に生を受けて個性豊かで幸せそうな表情を浮かべる人々を見守るがマリュスの人生においてたまらなく

幸せなことであるという。

 

 だが、この村は犠牲者というあまりにも多くの養分の上に成り立った村だ・・・と、この村を全否定はしなかったが少しだけ嘆き悲しむように言っていた。

 

 また、外部の悪意から村を護る際には毎日のように、というよりかは初対面の頃からの長い付き合いであるヒサメちゃんと共に行動しているらしく、マリュスはヒサメちゃんに対して彼なりにまるで祖父にも似たような思い入れがあるようだった。

 

 私はマリュスにヒサメちゃんと私は大の仲良しの親友であることを伝えた。

 

 するとマリュスはこんなことを唐突に言った。

 

 『あの子は本当に不憫(ふびん)な子だ。変われるものなら私が変わってあげたいよ。』

 

 マリュスはまるで自分のことのように苦虫を嚙み潰したようような口調でそう言った。

 

 『ところで恋。君はとても優しい子だ。顔を見れば、その何にも染まらない綺麗な瞳たちを視ればすぐに判る。だから恋、お願いだからヒサメのことをあと僅かに少しだけ許してくれないだろうか。』

 

 私はそのお願いに驚きを隠せなかった。確かに、ヒサメちゃんが密告をしたことを私は自分ではどこか許した気持ちでいたが、ほんの僅かに、まるで魚の小骨が喉に居座っているかのようなすっきりしない感情のような、怒りや失望や恨みの感情が確かに微小に存在していた事実に私は気付いてしまった。

 

 『・・・マリュスってすごいんだね。もしかして本当は心が視えるんじゃないの?』

 

 『ははは。いいや、さっきも言ったが私は心が視えない。ただ長年の勘で生きる者の表情や仕草を見ればその者のどんな小さな感情や心の揺れ動きでもすぐに分かってしまうんだ。』

 

 『そっか、不思議な力が無くとも人と向き合ってきたからすぐに分かるんだね。羨ましいなぁ・・・・うん、私、ヒサメちゃんのことを心から全部許してあげるよ。』

 

 『そうか。うん・・・・ヒサメは善(よ)き友を持ってくれたな。こんなにも嬉しいことは無いよ。』

 

 マリュスはそう言って常に朗(ほが)らかな表情ではあるがその表情が心なしか更に緩んで見えた。

 

 その後もマリュスは村の過去話や自分の生い立ちや今まで見て来た楽しいこと・面白かったこと・嬉しかったことを事細かに私に話してくれた。

 

 私はもうすっかりマリュスの大いなる人生の歴史、昔話に夢中になりまるで紙芝居に夢中で最前列に居座る子供のようにその話をわくわくして聞いていた。

 

 そんな中、鉄檻内部の隅で明日の天気や物価などの事細かい情報を延々とぶつぶつと呟いていた顔が見えないくらいに長髪である老人男性が、決して大声では無いが妙に耳に残るような声で何かを言い始めた。

 

 「決定事項・・・・か、来るぞーとうとう終わりが来るぞーー。俺もお前もお前もお前も・・・・」

 

 長髪の老人男性は長髪の間から煤けた顔を覗かせて「お前も」を連呼しながら自分と同じ檻の中に居る大勢の妖怪や人間たちを一人ずつ人差し指で指名していった。

 

 そして最後に私とマリュスが残り、長髪の老人男性は最初にマリュスに指を差したが「お前も」とは言わずに一旦人差し指を下げ、最後はお前だと言わんばかりにバッ!と勢いよく人差し指を私の方へと向けてきた。

 

 「三つ目のあんた・・・・あんたにも終わりが来るぞ。」

 

 そう言い終えて長髪の老人男性はその場にしゃがみ込み、またぶつぶつと明日の天気や物価などの情報を呟くのを再開した。

 

 『・・・ねえ、終わるが来る、ってなんだろう?私なんだか怖いよ・・・・。』

 

 私はなんだかその不吉な言葉に形容の出来ない不安を感じてマリュスの細枝を握り締めた。

 

 『なに、怯えることは無い。終わりも始まりも、始まりも終わりもこの世に在りはしない存在と概念であり、それらは最初から一つの形を成した世界に過ぎないのだよ。人間が作り出した表裏一体とはよく出来た言葉で、全くその通りだと私は思っている。生と死も死も生も、老いも若きも若きも老いも、この世の全ての存在や事象は終着点という名の起点に帰結する。だからそれを不安がったり悲しんだり憂いを抱く必要は無いんだ、恋よ。』

 

 『・・・・うーん、なんだか正直、難しくて私には分からないや。』

 

 『ははは。いいんだ、分からなくて当然だよ。この思想は全て私の哲学なのだから。』

 

 『哲学?哲学ってどういう意味?』

 

 私は産まれて初めて聞くその言葉の意味を知りたくなった。

 

 『どういう意味、か・・・・それすらも哲学だが、そうだね、私の口から言うとするならばそれは、各々が旅の果てに見つけ出した人生の答えとでも言っておこうか。』

 

 『人生の答え、それが哲学・・・・私もいつかそんな答えを自分自身で見つけられるかな?』

 

 『すぐに見つかるさ。君はとても賢く気高い心を持つものだ。そして全てを、世界を視通せる目を持っている。だからこそ、私は君にはこれから先もずっと何があっても挫けずにただ君なりに自由に生きていてほしい・・・・うん、これは私からの励ましの言葉のつもりだったが、何処か自分勝手な押し付けを感じてしまうな。恋には幸せになってほしいのは真実だが、どこかそこには私の自己主張や利己的な雑音が入っているように思えてならない。はて、この想いはなんと言い表したら良いものか・・・・』

 

 ただ見ているだけでも心が安らぐようなマリュスの顔は相変わらず不変であったが、マリュスの心の中での会話の口調がほんの少しだけ悩ましいようなもやもやしたような感じになった印象を私は受けたので、それに対して私は答えを述べた。

 

 『マリュス、それはきっとエゴっていう感情だよ。』

 

 『エゴ?』

 

 『そう、エゴ。私が夢の中で私自身に教えて貰った感情。他人を顧みない自分だけが得をすればいいという感情や自分の考えを他人に押し付けることや、あるいは自分と言う存在。それら全てがエゴであり、喜びや怒りや哀しみや楽しみも全部がエゴ。そしてあなたもわたしもそれぞれが一つ一つの自己を持つエゴの集合体であり、この世界にエゴを持たぬ者は一つも居やしないわ。』

 

 『成程、エゴか。・・・・それならば尚更、私は君に新しき世界でエゴを昇華させる伝道師としてこの先も健やかに生きていってほしいと切に思う。老い先短い私からの願いだ。』

 

 マリュスはそう言って、心の靄が晴れたかのように私の魂に響き渡るような優しい口調でそう言ってくれた。

 

 私は何だか私自身も心がすっきりとしたみたいに思えて「ふわぁっ」と思わず気の抜けたようなあくびを漏らしてしまった。

 

 そういえば、ここに入れられてから一睡もしていなかった。眠気も忘れるくらいに常に気を張り詰めていて緊張状態だったが、マリュスとの心の会話を経てそれが急速にほぐれていき完全に心が緩和状態になり、その末に起こった自然な生理現象であった。

 

 『私のような老(お)い耄(ぼ)れの昔話に付き合ってくれてありがとう、恋。お礼と言っては何だが君の安眠の促進のために私の心象風景を見せてあげよう。』

 

 マリュスはそう言って私の握っている細枝から新緑のような鮮やかで新鮮な緑色の小さな葉を出し、『触れてごらん。』と私に言った。

 

 その葉に触れた瞬間、私の視界は瞬時に切り替わり、目の前には鬱蒼としながらも陽の明るい光を流し込んでくれる大きな樹木たちの群生やそこに飛び交い続けるカラフルな色とりどりの色彩と個性を持つ鳥たちの鳴き声が私の鼓膜のもっと奥に、全身に浸透していき、私の周囲には地面から発生しては空高く宙に飛んで行きやがて雲と青空の彼方に見えなくなる光り輝くしゃぼん玉のような物体が無数に存在していた。

 

 思わず溜息の出るような、そんな全てが美しい世界に私はその場に呆然と立ち尽くし、そして無意識に光り輝くしゃぼん玉を手に取ろうとしたが、しゃぼん玉はすっ、と私の手に触れる事なく透明に貫通して私を置いて他のしゃぼん玉たちと共に空に上昇していく。

 

 そのとき私は触れることが出来ないからこそ美しいものもあるということを初めて学んだ。

 

 そうしていつの間にか私は数分間ほどのその神秘的な体験を終えて、元の無機質な鉄檻の中へと帰還していた。

 

 だけれど間違いなく私の心はとてつもなく安らいで穏やかになっていた。

 

 『お帰り。実は今の私の心象風景をかつてこの檻の中に居る他の者たちにも見せたことがあるんだ。そうすることで皆、最初は心が救われていたが徐々に日々の苦しみにより私の心象風景も灰色に見えていき、今は誰もこの世界を見れなくなってしまった。だが、君は違う。この先君は自分だけの心象世界を創造し、自分だけの哲学を導き出せるだろう。私はもうじき帰結を迎える。だからこうして喋れる間に君の幸せをいつまでも祈り続けているよ。』

 

 私は私の目の前に居る大いなる存在の大いなる愛に『ありがとうございます。』と感謝をし、ゆっくりと腰を下ろしてゆっくりと眠りを取るために横たわる。

 

 『この奇跡の地球(ほし)に産まれし愛すべき者(こ)よ、今は全てを忘れて安らかにお眠り。』

 

 『うん・・・おやすみなさい・・・・。』

 

 私はそう言って、いつの間にか口元を緩めて心安らかな深い眠りに落ちていった。

 

 

○

 

 

 おかしな夢を見た。

 

 私はかつて過去に暮らしていた夫婦の家に居て、囲炉裏の炎の前で横たわって眠っていた。周りにはお母さんもお父さんも誰一人として居なかった。

 

 パチパチと囲炉裏の炎の火の粉が音を立てて舞い上がっていくが、決して火事にはならない程度の火力であった。

 

 そんな特段珍しくも何とも無い光景を何故か私は第三者の視点で見ており、囲炉裏の炎に照らされた私の顔はよく見ると目も鼻も口も一切が無いのっぺらぽうだった。だけども私はそれを見ても驚くことはなく、ただそれをじーっと観察していた。

 

 「・・・きるんだ・・・・恋・・・・お・・・」

 

 すると今度は誰か他人の声が途切れ途切れに聴こえてくる。

 

 「???・・・だぁれ?」

 

 私のはその声の主に質問をする。

 

 すると、少しの静寂の間が空いた。そして、

 

 『起きるんだ!恋!』

 

 夢と現の境目で聞こえた怒鳴るでもなく、しかし力強いような切羽詰まったマリュスの大声に私はガバッ、と勢いよく飛び起きて現実世界で目を覚ました。

 

 起きたばかりで若干、寝ぼけ眼(まなこ)だった視界と意識は途轍(とてつ)もない温度の熱風で一秒もかからずに瞬時に醒まされる。

 

 そしてそれにより、周囲の状況が瞳に焼き付くくらいに見えるようになった。

 

 「なに、これ・・・・、」

 

 私の周囲に居た妖怪たちや特殊な力を持つ人間たちは檻の中で首から血を流しながら息絶えており、中には胴体が真っ二つにされた者や手足がその辺にゴロゴロと落ちてあったり、とにかくぴくりとも誰も動かないような、そんな血の海や死の匂いに包まれた惨状がそこにはあった。

 

 そして今度は鉄檻の入り口部分に視線を移すと、何者かにより錠は粉々に破壊されておりまるで今すぐに逃げろと言わんばかりに扉が全開に開ききっていた。

 

 しかし、鉄檻の扉の先から見える地下牢から地上へ出るための唯一の出口の前には激しく燃え盛る炎の柱が立ち往生しており、地下牢からの脱出は一目見るだけで絶望的であった。

 

 そして私はそういえば、とマリュスの身を案じてくるっと後ろを振り向く。

 

 木の枝が殆ど折れて床に散乱し、幹に付いている顔は鋭利な刃物で深く抉られたかのようにボロボロになって傷付いた痛々しい姿のマリュスがそこにはあった。

 

 マリュスは自身から伸びる細枝を私の右手の親指に弱々しくもしっかりと絡めながら、

 『ようやく起きてくれた。本当に良かった。』と自分よりも私の身の安全を祝福してくれた。

 

 『マリュス!?マリュスどうしちゃったの!?こんな酷いこと一体誰が・・・・』

 

 私はマリュスに駆け寄り、木の幹にある顔の横部分を頬を触るかのようにして優しく擦った。

 

 『いいかい恋、よく落ち着いて聞くんだ。どうやらこの村は終わりを迎えるらしい。だから君は誰も気にせずに今すぐにここから出て、村を出て生きることを続けてほしい。』

 

 マリュスは明らかに弱った口調で、何か覚悟を決めたかのような抑揚を込めた声でそう言う。

 

 「嫌だっ!私はもう誰も見捨てたりなんかしたくないの!だからマリュスも一緒に逃げよう!」

 『嫌だっ!私はもう誰も見捨てたりなんかしたくないの!だからマリュスも一緒に逃げよう!』

 

 私は自分の口から直接喋る言葉と心の会話の二つをマリュスに投げ返した。

 

 『いや、私はもういいんだ。それに遅かれ早かれ私の命はもう転生する事も無く無を迎える。だが、君には明日がある。今を生き明日を生き抜いてその先もずっとその命と心が枯れ尽きるまで君は歩き、がむしゃらに生きていかなくちゃならないんだ。』

 

 「マリュス・・・。」

 

 私はマリュスに縋るようにして、彼を幹ごと強く抱きしめ泣いた。すると床に円形に空いた土壌から私の胴体へと複数の細い枝が巻き付いてきて、その細い枝たちは見た目よりも遥かにとても強い力で私をマリュスから遠く離れた場所へと優しく引き離した。

 

 『ありがとう、恋。もう時間が無い、そろそろお別れのようだ・・・恋、最期に君のような綺麗な瞳の子に会えて本当に良かった。私の人生とはきっとこの時のためにあったのだ。』

 

 そう言うとマリュスは『生きるんだ。』と言って私の右手の親指から自分の細枝を離した。

 

 その瞬間、ボゴッ、という地面を砕くような大きな地鳴りがして振り向いてみると地下牢からの脱出口で燃え盛っていた炎が地中から生えている大中小様々な根に吸収されていくのが見えた。

 

 そうしてその根たちは再び地中深くへと戻って消えて行き、今度はボッ、と何かが爆発でもしたかのような瞬発的な音が後ろの方から聞こえた。

 

 見ると、マリュスがごうごうと音を立てながら激しく火に包まれて燃えている姿が見えた。

 

 「マリュス!!!」

 

 私は思わず叫んで手を伸ばしたがマリュスは何も反応を示さず、燃え盛る炎の内側からでも優しく微笑んでこちらを見守るようにして静かにそこに居た。

 

 「マリュスぅ・・・っ・・・・」

 

 私は思わずその場に両手両膝で跪(ひざまず)いて涙を流した。

 

 マリュスの体は炎に包み込まれながら次第に上部から崩壊していき、顔があった幹の部分も砕け散るかのようにして崩れ落ちていった。

 

 私はそこで『生きるんだ。』というマリュスの愛の言葉を思い出し、悲しみに震える自分を奮い立たせて涙を拭いなんとか立ち上がって既に解放された鉄檻の扉を通過し、地下牢の唯一の出入り口から脱出を試みた。

 

 地下牢から裁判所までを繋ぐ細い通路や木の階段はつい先程まで燃えていたかのように黒く煤(すす)けて煙を上げながらも鎮火しており、マリュスは本当に最後の力を振り絞って私を助けてくれたのだととても強く実感をした。

 

 私は地上に出て、裁判所の階段をふらふらとしながら降りた。

 

 見ると辺りは既に真っ黒な夜であり、夜空にはとても濃い橙色(だいだいいろ)の三日月がぽっかりと浮かんでいた。

 

 とても気味が悪かった。

 

 役所内の数棟の建物が激しく燃え盛っていて、炎の光がその毒々しい色の三日月の存在感をより一層引き立たせていた。

 

 私はどこか放心状態で役所内をじりじりと歩いて行く。

 

 同じ檻の中に居た仲間の四つ尾の狼の妖怪の生首が転がっていたり、別の檻に居たであろう胸に穴が開いた状態で絶命している眼鏡を掛けた大きな啄木鳥(きつつき)が仰向けで倒れていたり、せっかく悲願であっただろう檻からの脱出をした妖怪たちや人間たちは皆、見るも無残な姿でその尊い命を枯らしていた。

 

 私はそのまま歩みを続ける。

 

 おそらく村から逃げて来たであろう火に包まれて倒れている飼育用の鶏、役所内に植樹されていた広葉樹の木々は折り重なるようにして倒れて燃えており、やっとのことで見えてきた役所の入り口である門の付近には首を掻き切られたり手足や脇腹が欠損した状態で亡くなった役所の兵隊達数名や門番の二人が居た。

 

 あんなにも大名らと共に妖怪たちや人間たちを甚振り遊んでいた連中であっても、その遺体を見れば自然と何だか同じ命が奪われたような気がして少し物悲しくなってしまった。

 

 そんな亡骸を横目にしながら私は祝い村役所の門を潜り抜けた。

 

 そして一歩、二歩と歩いて絶句した。

 

 役所内の火災をとうに上回るほどの惨劇がそこにあった。

 

 村中が橙色の火炎に呑み込まれて燃え盛り、ゴオオオオやバチバチという燃焼音が大音量で鳴り響く大火災が起きており、火の勢いは留まる気配を知らない。そして今は真夜中だというのにその大火災の炎の光によって村中はまるで昼間の様に明るく照らし出されていた。

 

 私はそれを見て、この村に生きる希望を持って初めてやって来た時のことを思い出し、色鮮やかで華やかだった村が今は橙色の単色に染まっていることに絶望感を感じた。

 

 私はおぼつかない足取りで、左右に存在する建物が火災により頭上高くで倒壊し合って対になりまるで燃え盛る火の輪の入場門のようになった空間を通り抜けてそのまま村の道を、火を恐れる事さえ無く直進して進んでいった。

 

 村中どこもかしこも、いや、村中の全ての建築物がまるで龍が天に昇るようかのような勢いを点けて激しく燃えていて、村の幅広いかなりの長さがある通路には祝い村に住む子供大人老人問わずに、まるで巨大な木炭のような姿で今も燃え続ける無残な焼死体や身体の一部に矢が深く突き刺さって命を落とした者や刀のようなもので首や腹部などを斬られて命を落とした者など、ありとあらゆる形で村人たちや役所の兵隊たちが死んでいた。

 

 私はその信じたくもないような、目を覆いたくなる現実離れした光景を見ていつしかかなりの蔵書家である耕多の家の本棚にあった地獄の絵を大量に載せた分厚い辞典のような本を見た時の事を思い出していた。

 

 その当初はその本の頁を適当にめくり続けて、どの頁にも激しい火炎が舞い上がり生きている時に罪を犯した罪人たちが鬼や妖(あやかし)たちに容赦無く痛めつけられているのを何となく興味本位で見て、「ふーん、怖くて苦しくて痛そうな場所ね。」だなんて自分にとってはどこか遠い世界の話のように流し見していたが、今となってはそんな世界が私の目の前に現実として広がっている。

 

 一瞬、私はもう既に地下牢で焼け死んでいて今いるここはその後に辿り着いた地獄なんじゃないかと錯覚したが、現実逃避も虚しく今私が存在しているここは鬼こそいないが誰かの悪意によってもたらされた現実と言う名の生々しい正真正銘の地獄であった。

 

 それでも私は尚も歩くこと、延いては生きることを諦めずに、まるで貧血の時の血の気を失うような具合の悪さを押し堪(こら)えて左右両脇や見る場所見る物全てが火だるまになっている村を進んでいく。

 

 その途中、燃え盛る道具屋の前にノコギリや短刀や鑢や千枚通しなどの大量の商品が散乱しており、どうやら店の内側と外側の境目にあった商品棚が何らかの形で壊れて商品たちがそのまま地面へと飛び散ってしまったようだった。

 

 私はそれらの心が見えない鉄の塊たちの中にいる短刀を見て、もしかしたらこの惨状を起こした奴がまだ村に居るかもしれないと思い、思わずすぐに手を伸ばしその短刀の楓の木で出来た柄の部分をがっちりと掴んで拾い上げ、自分の着物の帯の中へと突っ込んだ。

 

 そして自衛のために取った行動の次に、私は目が覚めるようにして今の私は自分の感情の動向や自分が生きることばかりを考えすぎていて耕多やヒサメちゃんのことを気にしてあげれてなかったことを実感し、深く反省した。

 

 そして私は耕多の家である呉服店へと向かって風を切るかのように走り出した。

 

 嫌だ。

 

 私はもう何も失いたくない。耕太やヒサメちゃんを絶対に失いたくなんかない。

 

 もしかしたら奇跡的に耕太の居る呉服店だけはまだ燃えていないか、被害が少ないままかもしれない。

 

 私はそんな都合のいい淡い色の期待を胸に抱き、呉服店に着くや否やすぐにそれを光景で否定された。

 

 私の瞳に、ごうごうと燃え盛る呉服店が見える。

 

 私はその光景を受け止めきれず、私の思い入れの強さもあってか、村中全ての建物の中でこの場所だけが一番火の手が強いように映った。

 

 「耕、多・・・・」

 

 頭の中に最悪な情景が浮かび上がる。

 

 炎上する呉服店の中で耕多が「恋・・・」とこちら側に手を伸ばしながら炎に包まれていく。

 頭の中にそんな映像が入り込み、まるでそれが鮮明で真実味のあるように思えた瞬間に私の中で何かが崩れた。

 

 「い、嫌!嫌だっ!耕多!耕多!?返事してよ、お願い!・・・・ねぇってば・・・・・・ああっ・・・・・嫌ああああああああああああ!」

 

 私は嫌だ嫌だと頭のネジが外れてしまったかのように頭をぶんぶんと振り、今度は両手で頭を強く押さえ込んで脱力し、地べたにへたり座り込んでその場で耕多の名前を何度も呼びながら泣き叫び続ける。

 

 「ねぇ耕多、嘘でしょ、嘘だって言ってよ・・・・会いたいよぉ・・・・・」

 

 「ほう、あやつの遺言通りこの店もすっかり商売繫盛して燃えとる。衣服が大量にある分、燃える炎も格段と大きく美しいなぁ!・・・・それにしてもお主、まだ生きておるとはな。全く悪運の強いバケモノだ。」

 

 後ろからあの大名のいつ聴いても慣れない邪気のこもった声が聞こえてきた。

 

 私は泣き叫ぶのを中断して、睨めつけるようにして後ろを振り向くとそこにはまるで戦場の頭首のような赤い甲冑を着込んだ大名が腕組をして相も変わらず厭(いや)な笑顔でこちらを見ていた。

 

 『やはり全てを消し去るのは火責めに限る。今回の行事は誠に大成功のようだ。』

 

 大名は心の声でこの悲しみと破壊しかない村の惨状を嗤うのと同時に、私の愛する彼に対しての侮辱をさぞ嬉しそうな口調で言った。

 

 絶対に許せるはずがなかった。

 私は怒りのあまりに喉が張り裂けるような大声で吠える。

 

 「お前が、お前が村に火を放ったりみんなを殺した!お前が私の愛する耕多を殺した!絶対に許さない・・・・殺してやる。」

 

 「そうだ。確かにわしが村に火を放てと命令し村の者を蟻一匹たりとも残さず殺せと命令した。わしも確かにこの祝祭を存分に堪能していたが、なにもわし一人だけではない、兵隊達もヒサメも参加したし、強いて言うならばこのような事になったのはーーー」

 

 私は大名が何かを喋り終える前から着物の帯から短刀を取り出し、自分が出せる一番速い速度でそのまま一直線に前のめりに、短刀の刃に明確な殺意を込めて大名へと飛び掛かった。

 

 すると私の視界の端で大名がニタリ、と笑った。

 

 すると目にも留まらぬ速さで自身の腰に着用した鞘から異様なほど眩い光を放つ刀を抜き出し、私の方へと刀の刀身を向けた。

 

 「転べ。」

 

 大名のそのたった一言が耳に入った瞬間、私はあとほんの少しだけの距離で大名(あの男)に一矢報いる事が出来たというのに身体が固定されたかのように硬直し、そのまま後ろ向きにドシン、と激しく尻餅をついて倒れてしまった。

 

 「このわしに勝てるとでも思ったのか?図が高いわ、愚か者め。」

 

 大名はそう言ってゆっくりと、尻餅をついたままで動きたくてもなぜか見えない鎖の力で雁字搦(がんじがら)めに囚われているような私の元へと歩いて来て、私の前で立ち止まり、刀の切先を私の目の前に突き出した。

 

 「くっ、なんで、何で動けないの!?」

 

 「ガハハハハハハ!そうだろうそうだろう!わしにその粗末で貧相な棒切れを上納出来ずに大層くやしかろう!アッハッハッハッ!!」

 

 大名は心底嬉しそうに片手で腹を抱えながら高笑いをしながら、弱い者を娯楽では無く本気で甚振り遊ぶようなそんな獰猛な人間とは思えない目を私に見せつけた。

 

 「どうせもうこの掃き溜めにはお前しかおらんしな。どれ、お前の最期に土産話として教えてやろうか。わしはな、神に愛されたこの世で一番偉い、いや、この世の全ての生き物の中で一番強靭で無敵であり、世の中の全てを力でねじ伏せて天下を取るべくして生まれた存在なのだ。」

 

 『わしこそがこの国を治めるのに相応しい天下人なのだ。』

 

 大名は自信たっぷりに、まるでそれを信じて疑わないといった口調で表の言葉と裏の心の声で傲慢な自論を語った。

 

 「今から昔、世がまだ戦国の動乱期だった頃、わしはある戦国大名に仕えていた下っ端の兵士だった。あの頃は毎日が苦痛でなぁ。やれ身の回りの世話だのやれ遠征だのやらされて、力も何も無いわしは戦線で最前列のおとり役だったわい。だが、さんざんわしをこき使った戦国大名の拠点が見るも無残に焼き討ちされて、主も首を刎(は)ねられた時わしはそれを心から喜んで祝ったものだった。「祝い村」とはその時の心躍(こころおど)る気持ちから付けた名だ。もっとも、今はかつて過去にわしが見た城のように燃え盛って見る影も無いがな。ガハハハハハハ!」

 

 私は大名がくだらない人生話を続けている間になんとか身動きの一つでも取れないものかと全身のあらゆる部位に力を込めてみたが、相変わらず私の身体は鎖で厳重に固定されたかのようにぴくりとも動かなかった。

 

 「主が死に、やっと自由の身になったわしだが、敵軍に捕虜にされる惨めな人生は御免だからそのまま逃げて逃げて逃げ続けて、この国から木船で諸外国まで逃げ果せた。そこでわしは諸外国の戦いの神に出会い神の慈悲を受けた。いや、慈悲などでは無い、わしは選ばれたのだ!神の祝福と加護により、わしは決して老いる事の無い強靭な肉体を手に入れ、どんな存在であろうとも操ったり一刀両断出来る力をこの刀に込めてもらい、この世で最強無敵の男になる事が出来たのだ!」

 

 大名の人生の経歴はどうやら本物らしく、その証拠に私の第三の目で一通りの話の流れを見てもそこに嘘偽りは全く見受けられなかった。

 

 「・・・その話はどうやら本当のようね。でも、その神様はあなたにこんな事をしてほしくて力を与えたんじゃないと思う。戦いで心も体も弱っているあなたを助けたいって、そして強い力を与えてあなたがそれを使って皆に正しい道を示す先導者になってほしいって願いをこめてあなたを救ったのよ。そんな慈悲深い神様が今のあなたを見たらどう思うでしょうね?」

 

 「フッ、好きなだけ言え。それに見よう見まいもとっくに神はわしがこの手で殺した。」

 

 「・・・・なんて人なの。」

 

 「フハハハハハ!この世に同じ力を持つ者は二者も要らぬと相場が決まっとる。だからわしは、自分の力を証明し神に近づく為にも、わしに力を与えた直後に少しだけ弱った隙を狙い神をこの刀で斬り落とした!これでわしも神殺しの異名を持つ男というわけだ!」

 

 大名は幼い子供に邪悪さを詰め合わせたような笑顔で、刀を持ったまま両手をバチバチと叩き、自身の愚行を喜劇のようにして私に語り聞かせた。

 

 「あなたは人間じゃない。妖怪でもない。それになにか勘違いしているようだけど、あなたは特別な存在なんかじゃない・・・・あなたこそが真のバケモノよ。」

 

 大名はフンッ、と一蹴するような鼻息を鳴らして私を嘲笑するように見下ろしながら、『ぬかせ。心が読めるバケモノの分際で。』と心の中でそう言った。

 

 「そういえばお前、恋とかいう名だったな。今日から恋なんて子供の乳繰り合いのような下らない名前は止めて、わしの下僕になれ。お前の読心の力はとても稀(まれ)であり、これからわしという国を統治する天下人に必要な改革の礎(いしずえ)の部品となる事だろう。下僕になれば命だけは助けてやる。それにわしのような神に新しい名を与えられるなどなんと光栄なことか。」

 

 「誰がお前みたいな下衆野郎に使われるもんか!あんたの仲間になるくらいなら死んだ方がましよ!でも、私はここであんたみたいな最低で最悪な奴に殺される気は無いわ!」

 

 「そうか、よく分かった。やはりいつの時代もバケモノはバケモノだな、人語を話せないどころか全く理解できやしない・・・・ならば、お望み通りこの刀でお前を殺してやる。」

 

 大名はそう言って、私の目の前で右手に持っていた刀を今度は両手に持ち替えてゆっくりと、まるで見せつけるかのようにして天高く掲げる。

 

 「安心しろ。お前も耕多とヒサメのように同じ地獄(ところ)へと送ってやる。」

 

 大名は『人間の真似猿が、死ね。』と心の中で言い、ニタッと不気味な笑みを浮かべた。

 

 私は大名のその有り様や、これから私に目掛けて振り下ろされるであろう、周りで燃え滾る炎の明るさ以上に鋭い輝きを放ち続けている刀身から絶対に目を背けなかった。

 

 そして依然として指一本でさえも動けない身体だったが、最後まで、あの刀の刃が私を斬り裂き命が果てるまで絶対に諦めないで抵抗してやる!と自分の身体に力を込め続けて自分の可能性を諦めなかった。

 

 もし私がここで死んでも、幽霊になって化けて出てでもお前を殺してやる。

 

 私はそんな血生臭い意気込みで目の前の窮地と向き合い続ける。

 

 そして大名が私に向けて刀を振り下ろそうとした瞬間、その時であった。

 

 大名の頭上辺りからビュンッ、とその場の空気を切り裂くような音がして、何か残像のようなものが見えた。

 

 続けてパキッ、という軽い音がどこからともなく聞こえ、大名の掲げていた刀の刀身が綺麗に中央から真っ二つにされて折れた刀の刃がそのまま円を描くように高速で回転して私の居る地点から遥か後方へとすっ飛んでいった。

 

 そして、間髪さえ入れずに折れて短刀のようになった刀の柄を天高く握り締める大名の左右の手の甲にストッ、という軽快な音を立てて氷の矢が突き刺さり、大名の両手は刀の柄に固定されてしまった。

 

 「な゛っ、・・・・!?」

 

 大名は一体自分の身に何が起きたのか皆目見当が付かないと言った驚きの表情で自分の折れ刀と氷の矢が刺さったままの両手を交互に何度も見る。

 

 すると今度は大名の後ろから爆速でこちらに走って来る人影が見えて、ザッザッザッと思い切り土を蹴り上げて進むような音が間近に聞こえてくる頃にはすっかりとその姿と正体の全貌が明らかになった。

 

 「ガルルルルルルルルッ!ガヴッ!!!」

 『私の愛しい友人に手を出すな!半端者の人間風情が!』

 

 ヒサメちゃんは自身の鮫のようなギザギザとした歯と左右両脇に生えている犬歯のような大きめの牙を剥き出しにしながら、激昂(げっこう)という言葉を体現化したような気迫迫る表情で大名の目の前に立ちはだかり大名の赤い甲冑の胴体へと思い切り片足で蹴りを喰らわせた。

 

 大名はぐぅっ、と呻き声を漏らして吹き飛ばされるかのようにしてズシャン、と甲冑の音を鳴らしながら仰向けに倒れた。

 

 「ヒサメちゃんっ!」

 

 私はヒサメちゃんが生きていたことが嬉しくてしょうがなくて、その場の殺伐とした雰囲気なぞ知るものか!といった感じでなりふり構わずヒサメちゃんの胸の中に飛び込み、ヒサメちゃんもまた私を抱き留めて、さっきまでは怖い表情だったが明暗を切り替えるようにして私に向けていつも見るような柔らかな優しい笑顔になってくれた。

 

 『恋、許されるなんて思っていないけど本当にごめんなさい。あの時貴方を裏切ってしまって・・・私は本当に、友人以前に人として失格だわ。』

 

 「ううん、気にしないでヒサメちゃん。確かに最初と檻の中に居た時はちょーっと心がもやもやしてたけど今は全然大丈夫!私はね、ヒサメちゃんが生きていた、それだけでとっても嬉しいし、何よりもヒサメちゃんは私を今ここで助けてくれた。だから私は今生きているし、ヒサメちゃんともこうしてお話が出来るんだよ。だから本当にありがとう、ヒサメちゃん!」

 

 『恋・・・・。』

 

 ヒサメちゃんはまるで全てに安心しきって眠りにつくようにして目を閉じ、頬を柔らかく緩めて私のことを壊れ物の硝子(がらす)を扱うようにして優しく抱きしめた。

 

 「それにね、ヒサメちゃんが私のことを報告したのはヒサメちゃんなりの愛だって気付いていたよ。私が店から連れてかれる時、この子の力は貴重だからあまり手荒な事はされないだろうしある意味での安泰(あんたい)があるわ・・・って、ヒサメちゃんの心の声が聞こえたの。私はヒサメちゃんのその声に確かに愛を感じたよ。」

 

 『恋・・・そんな、愛なんて・・・・私はそんなものじゃないわ。裁判所に囚われている者は一人残らず殺せと大名に言われて、私は自分の命が惜しかったからその通りに全員を一人残らず殺した。マリュスっていう私の旧友も、出来るだけ再起不能なくらいに傷を付けた・・・・でも、その近くに居た貴方は、恋だけには手を出せなかった。ひどく安心してこの世の全てを愛しているかのような微笑みを浮かべて眠る貴方を見て、私は自分の事が怖くなって、またその場から逃げ出したの。そんな女よ、私は。』

 

 「でもそれも、愛だよ。例えそれがエゴであったとしても、ヒサメちゃんは二回も私の命を救ってくれた。それが愛じゃないなんて、ヒサメちゃんの友達として私が言わせないよ。」

 

 『・・・・全く、敵わないわね。恋には。』

 

 ヒサメちゃんはそう心の中で言って、一本取られたわというような感じで私に向けて眉を下げて笑い、私はそれに対して「でしょ?」と一言だけ言って自慢げな笑顔でヒサメちゃんに向けて右手の人差し指と中指で鋏(はさみ)の手遊びをして誇らしげに掲げて見せた。

 

 「おのれぇぇぇ・・・出来損ないどもの分際で、わしを見縊(みくび)りおって・・・・わしは最強の戦国大名だ、こんな処(ところ)で犬死にする男じゃない・・・今に見てろ、神の失敗作めが・・・・、」

 

 さっきから後ろの方でぐねぐねと地面を仰け反り回りながら何度も懲りずに怨み言を吐き捨てている大名の声が耳には入っていたが、私達はそれを一切気にはしなかった。

 

 私とヒサメちゃんはお互いに抱きしめ合うのを一旦止めて、その場で少しだけお互いに数歩の距離を取った。

 それはどちらかが合図したとかではなく、これから大事な話があるからというようなそんな親友同士でしか分からないような鋭敏的な感覚からの行動であった。

 

 ヒサメちゃんは私の肩に自分の手をぽん、と優しく置いて掴んだ。

 

 『さぁ、恋、もう行きましょう。もう村の脱走防止の結界は壊したし、役所の兵隊は皆殺しにしたわ。それに大名(あいつ)は虫の息だから今ここで私が仕留めて、それから耕多と合流して三人でここを出るの。』

 

 私はヒサメちゃんの心の声から飛び出た「耕多」という名前に思わず全ての意識をもっていかれ、「耕多は生きているのね!?」と喜びの感情を言葉と態度で示そうとした瞬間、そのたった数秒にさえ満たない瞬間だった。

 

 「この、裏切り者があああああ!!!」

 

 大名の喧(やかま)しい鼓膜が突き破られそうな怒号が後ろから聞こえ、その後すぐにザクッ、という音が静かに響く。

 

 ヒサメちゃんの腹部からは大名が持っていた何の気迫も感じない脇差の刃が真っ赤に染まりながら飛び出ており、その刃は腹部を貫いただけでは終わらずに更に大名の手により腹部の上部までを切り裂き、用が済んだかのようにしてズルッとヒサメちゃんの身体から抜け出た。

 

 「ヴガッ・・・・ヴウッ!!!」

 

 ヒサメちゃんはまず初めに『痛い。』という条件反射に全てを支配された心の声と低く短い唸り声を上げ、次に『お前!!!』と怒りの感情を露わにした心の声と高く短い唸り声を上げて自分の身が倒れていく最中に大名の居る方向を向き再度、氷の矢を即座に生成して大名に向けて飛ばす。転倒など一切無い状態や傷を負っていない状況であれば本来ならば急所に当たっていただろうその矢は大名の右肩に深く突き刺さった。

 

「ぐっ、糞がぁっ!」

 

 大名は再び舞い戻るかのようにして後ろ向きにガシャン、と甲冑の音を鳴らして倒れ込んで、右肩を押さえながら大きな声で呻き声を漏らし始めた。

 

 そして丁度、大名が地面に倒れ込むのと時を同じくしてヒサメちゃんも生気の無い顔で腹部を真っ赤に濡らし続けて仰向けにドサッ、と倒れ込んだ。

 

 「ヒサメちゃんっ!!!」

 

 私はすぐさま倒れて動けなくなったヒサメちゃんに駆け寄り、仰向けに倒れ込んでしまったヒサメちゃんの右手を私の両手で握りしめた。

 

 ヒサメちゃんは自身の右手をぷるぷると弱々しく震わせながらも私の両手の中でしっかりと手を握り返してくれて、ゲホッ、ゲホッ、ととても苦しそうに真っ赤な血を喉から口へと吐き出しながら、ヒューヒューという消え入りそうな呼吸を続ける。

 

 「ヒサメちゃん、死んじゃ駄目っ!私はいつでもこうしているから、だから一緒に逃げよう!」

 

 『恋の声が聞こえる・・・・、』

 

 ヒサメちゃんは刀で刺されて失血していくことによる身体への過剰な拒絶反応で眼球を上下させつつも私の声が出ている方角を探し求め、やがてピントが合うようにして私と目線が合い、『そこに居たのね、恋。ようやく見つけられたわ。』と安心した心の声で怪我による痛みと苦しみで眉を歪めながらも私に向けていつも以上の優しい笑顔を浮かべた。

 

 『恋、私に構わないで早く行きなさい。耕多が待っているわ。』

 

 「嫌だっ!ヒサメちゃんは絶対に置いていけない!生きてここから出て、三人でずーーーっと仲良く幸せに暮らすの!今までとても怖くて辛かった分、ヒサメちゃんはこれから楽しくて嬉しいことしかない愛のある人生を送らなきゃいけないの!だからそんな事言わないでよ!!!」

 

 『馬鹿ね。・・・・ほんと、良い子すぎて涙が出てきちゃうわ・・・・・。』

 

 ヒサメちゃんはそう言って出血の痛みとはまた違う表情を浮かべる。その表情はとても苦しそうで悲しそうな、しかしそれは負の感情ではなく私の言葉に対する暖かい感情の揺れ動き故の表情であった。

 

 そしてヒサメちゃんがそのような表情になったのは、『恋と別れたくない。まだ生きていたい。』という悲しみ故のものでもあることを私の所持する緑色の第三の目は決して見逃さなかった。

 

 「・・・馬鹿でもいいもん。私、ヒサメちゃんの前だったら馬鹿でも何でも喜んでやっちゃうよ。だって大好きで愛しい友だちだもの。」

 

 私はヒサメちゃんの本心を視て、それから少し自分の声の調子を落ち着かせて私なりの友情の言葉を自らの口で語った。

 

 『・・・私だって、恋と一緒なら馬鹿でも何でもいいわ。だって、私の人生で初めて出来た大切な大切な、愛しくてしょうがない友だちだもの。』

 

 私はヒサメちゃんに笑顔でこくり、と頷き、ヒサメちゃんもまた笑顔でこくり、と私に頷き返してくれる。

 

 今はたったそれだけの仕草でいい。心を読まなくたっていい。

 

 それだけで、私達は確かに世界の誰よりも通じ合えた。

 

 『ねぇ、恋。最期にお願いがあるの・・・・。』

 

 私はヒサメちゃんの心の声から出た『最期』という言葉に胸が押し潰されるような息苦しさを感じたが、ヒサメちゃんの両手を改めてぎゅっ、と強く握ってヒサメちゃんが次に続ける言葉を覚悟して待っていた。

 

 するとヒサメちゃんは、がくがくと震える真っ赤な血に染まった自分の手を自分の着ている着物の胸元へと軽く差し込んでそこからシロツメクサの花を模した飾りが付いている淡い緑色の髪飾りを一本取り出した。

 

 「あ・・・・。」

 

 『それは・・・。』と私は心の中で続ける。この髪飾りは私がヒサメちゃんへあげた友情の証の一つ。そして大切な二人の思い出だった。

 

 『村が燃えるって言うから、その前に家からこの髪飾りだけを持ってきたの。だって大切な宝物だもの・・・・恋、最期にこの髪飾りを恋のその手で私に着けてほしいの。それでもう私は心残り無く逝けるから・・・・。」

 

 ヒサメちゃんの顔は先程と比べてかなり青白くなっており、その顔にある二つの瞳も眠気を堪(こら)えるようにして何度も落ちかけては開くを繰り返していたが、そんな状態であってもヒサメちゃんは私の返答に対して希望を持つようにして柔らかい優しい笑顔を私に向けてくれた。

 

 「分かった。でも絶対に死んじゃ駄目。約束して。」

 

 『ええ。約束するわ。』

 

 私達はそうお互いに約束をして、軽く指切りげんまんを交わし合って互いに微笑み合った。

 

 そうして私はヒサメちゃんの手から髪飾りを確(しか)と受け取り、そのままヒサメちゃんの髪へとそれを近付ける。

 

 ヒサメちゃんの艶やかでさらさらとした薄水色の前髪に、すっ、と髪飾りがすぐに通りぴたりと当てはまる。

 

 ヒサメちゃんの青く透き通った美しい瞳の上に、一輪のシロツメクサの花が咲いていた。

 

 綺麗だった。

 

 彼女は息つく間もなく途轍(とてつ)もなく綺麗であり、感嘆(かんたん)の声が出るほどに途轍(とてつ)もなく美しかった。

 

 『どう?似合っているかしら?』

 

 ヒサメちゃんは私に尋ねる。

 

 「似合ってる。とても。・・・・とってもヒサメちゃんに似合っているよ。それにヒサメちゃんは美人さんだから何を着けてもきっと似合うと思うな。」

 

 『そう、良かった・・・・ありがとう、恋・・・・。』

 

 「どういたしましてっ!・・・・ヒサメちゃん?」

 

 私はヒサメちゃんにお礼の返事を元気よく返して、何か違和感を感じた。

 ヒサメちゃんの瞳は確かに私を捉えているのに、どこか遠い場所を見ているかのような目で、そこに宿る生きる力という光が徐々に失われていくような感覚を覚えた。

 

 「・・・・あ。」と、ヒサメちゃんはまるで何かの波長が合ったかのように、普段の獣のような唸り声とは全然違う人間らしい発声を軽くして、最期に私に向かってこう言った。

 

 「恋。愛しているわ。いつまでもずっと、友だちよ・・・・。」

 『元気でね。』

 

 そう、ヒサメちゃんは口から出る言葉と心の中から出る言葉で言って、ぱたり、と両目を閉じて静かに息を引き取った。

 

 「ヒサメちゃん?・・・・ねぇどうしたの、ヒサメちゃん、」

 

 安らかに安心しきって、口元を緩めて笑顔で眠るヒサメちゃんの肩を軽く揺さぶる。

 

 もしかしたら疲れて眠ってしまっただけかもしれない、そんな現実を受け入れられないが故の思考はその後も何度もヒサメちゃんに声を掛けたり肩を軽く揺さぶっても何も反応が無いことによって幻の様に消え去っていった。

 

 「ヒサメちゃん・・・・。」

 

 私はこと切れた後の綺麗な寝顔と笑顔を浮かべるヒサメちゃんに覆い被さるようにして抱き着いて、ただ悲しみのままに泣いた。泣いて、泣きまくった。

 

 私しか知らないヒサメちゃんのあの時の声が、仕草が、笑った顔が、楽しかった思い出の全てが私の悲しみをどんどん大きくしていって私はその悲しみの渦に呑まれてゆく。

 

 そうして深く深く悲しみの奥まで潜り最後に底に辿り着いた時、私の自我は言った。

 

 『私がこんなにも悲しんでいたら、きっとヒサメちゃんも同じくらい悲しんじゃう。』

 

 そう言った私はそこから、悲しみという真っ黒な海の底から上を目指して這い上がるようにして泳いで抜け出し、水面から呼吸をするために顔を勢いよく出して目を覚ました。

 そして私は、悲しみの代わりにヒサメちゃんへの愛の感情を思い出していた。

 

 私は現実を見据えて、大切な友だちのヒサメちゃんへ別れを告げることを決めた。

 

 「ヒサメちゃん。ありがとう。どうか安らかに、幸せにおやすみなさい。・・・・私、そろそろ行かなくちゃ。だから、行ってきます、ヒサメちゃん。」

 

 私はヒサメちゃんに最後のお別れの言葉を言って、ヒサメちゃんの薄水色の前髪とそこに咲いたシロツメクサの花を優しく撫でて、ヒサメちゃんの閉じ切った瞳を優しく指でなぞった。

 

 そしてにこり、とヒサメちゃんと一緒に居る時にいつもしていた純粋な笑顔を最後に浮かべてまた『行ってきます。』と心の中で言ってその場から立ち上がった。

 

 もう決別の覚悟はしたつもりだったのに、私は心のどこかで『行ってらっしゃい。』というヒサメちゃんの一言を願ってしまっていた。

 

 私はその場から数歩離れて、ふぅ、と自制の溜息をついて『私はやるべき事がある。」と心の中で言って覚悟を決めて一つの方角へと睨みを利かせた。

 

 私が睨んだ方角には、無理にでも氷の矢を引き抜いて両手に縦一文字の空洞が空きそこから水鉄砲のように血が絶え間なく流れ出して、右肩に氷の矢が深く突き刺さったままで全身が土塗れになったずたぼろの状態の大名が息も絶え絶えいった様子で目を血走らさせながら、よたよたと牛歩(ぎゅうほ)の速度で足を引きずって私の方へと向かってくるのが見えた。

 

 「殺してやる・・・全員皆殺しにしてやる・・・三つ目のお前もヒサメの様に串刺しにして嬲(なぶ)り殺しにしてやる・・・・。」

 

 『わしはこんな下らない戦場で死ねん。わしは生き残ってこの国を支配するんだ。だから死ね。出来損ないの目のバケモノが。』

 

 この人間はどこまで愚かで卑小(ひしょう)なのだろうか。

 しかも容姿という意味ではないが、間違いなくこの世で一番とてつもなく醜いものであることは明白であった。

 

 大名は焦点の定まらない痙攣した手つきで腰にある脇差の鞘からヒサメちゃんの血に濡れた脇差をゆっくりと取り出し、「死ね・・・。」と私の方へとゆっくり向かってくる。

 

 「絶対に仇を取ってやる・・・!」

 

 私はそう言って、この男の下らないちっぽけな悪欲のせいで命を散らしていったヒサメちゃんやマリュスや地下牢に囚われていたみんなや祝い村のみんなのために今ここで闘う覚悟を決めた。

 

 そして私はつい先ほど燃え盛る道具屋の前で拾った短刀を自分の着物の帯から取り出し、今こそこれを使う時だと言わんばかりに短刀の楓の木で出来た柄の部分をがっちりと掴んで、短刀の刃を大名に宣戦布告をするように真っ直ぐに向けてそのまま大名の元へと突っ走っていった。

 

 私はきっと、これからこの世に産まれて初めて人を殺すことになるだろう。

 

 それでも良かった。きっと、後から思い返せばあれは正しい事だったって思える日が来る。

 

 それに、今ここでやらなきゃ駄目なんだ。

 

 私はもう、目の前の現実から、私から逃げたくない。

 

 だからやってやる。お前の首をこの手でもぎ取ってやる。

 

 そんな思考回路が私の走る速度と同じくらいに光速で後ろへと流れていき、あと二、三歩で大名の腹へと短刀を突き刺せると思った瞬間、ビュンッ、と大名の横から何か黒い影が見えた。

 

 その時、私の瞳で見る世界はどうしようもなくスローモーションに見えた。

 

 私よりも早い黒い影の正体は、耕多だった。

 そして、ほんの数秒間の時間の中で確かに私は耕多の横顔を目視する事が出来た。

 

 耕多はとても嬉しそうに、純粋ではあるが狂気さえも感じる笑顔で笑っていた。

 私は初めて見る彼の恐ろしい顔に思わず身震いをして、そこから私の体感時間は元通りになって世界は元の速度へと収束する。

 

 そして耕多はその笑顔のままで、大名の折れた刀と変わらないようなギラギラとした輝きを持つ家庭用の鋭い包丁を大名の甲冑の脇腹部分の隙間にねじり込むようにして突き刺し、そのまま二人は地面へと共倒れした。

 

 「ゲフッ、ぐぁぁっ・・・耕多、貴様・・・・」

 

 『話が違うではないか。』

 

 地面に仰向けに倒れながら口から血を吐く大名の表の声と裏の心の声は耕多に対して何かを訴えかけようとしたが、

 

 「うるせぇ!なにも言うな!第一、前々からお前のことが邪魔で邪魔でしょうがなかったんだよ!いつもいつも偉そうにしやがって!この悪趣味な落ち武者野郎が!」

 

 耕多のその信じられないほどの大きな怒号の声量に大名は一瞬、怯(ひる)んで『お前、とんでもない・・・』とまた何かを言いかけようとした時点で耕多は勢いよく大名の腹に突き刺していた包丁をぐりぐりと回転させながら引き抜き、それによって大名は自分が刺されていたことを再認識したのか今度は痛みのことしか頭にないといった感じでうがあああああ!という声にならない濁った悲鳴を上げ続けた。

 

 大名は痛みを声に出すことによってほんの僅かでもと、耐え切れないような痛覚を麻痺させようと試みているようだったが『痛い!止めてくれ!』という本当の心の声は私には隠すことが出来なかった。

 

 「も、もう、勘弁してくれ・・・・わしの、負けだ・・・・」

 

 「黙れっ!お前が死ねばいいんだ!俺と恋の邪魔をするな!」

 

 そう言って耕多はあっという間に大名の着用していた赤い甲冑を剥ぎ取り、無防備になった身体へと何度も何度も手に握りしめている包丁を振り下ろして突き刺していった。

 

 「死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねぇぇぇぇっ!!!」

 

 耕多は般若あるいは修羅のような顔で大名の身体中を突き刺しまくり、大名はあっという間に元が人間であったのかも全く分からないほどの穴ぼこだらけの赤い肉の塊になってしまった。

 

 そんな大名だったものを見た耕多は気が済んだのか、最後にずちゅっ、と大名の肉に包丁を思い切り突き刺して「はぁー・・・はぁー・・・」と疲労からの呼吸を行い、その呼吸に合わせて耕多の肩が上下に動いてた。

 

 私は耕多のその一連の行動をただ茫然自失として見ていた。

 気が付けば私の持っていた短刀は私の右手に掴まれたままぶらん、とその存在価値を見出す事も無く静かに空を切っていた。

 

 そして私は我を取り戻し、私の世界で一番に愛しい人に再び会えた喜びを噛み締めた後に涙を堪えながら、きっと、私が一声掛ければいつもの耕多に、人なんか殺せないような優しい耕多に戻ってくれるはずだよねと狂信的な期待と少しの不安を感じながら彼の背中に向けて声を掛けてみた。

 

 「耕多。」

 

 私のその名前を呼んだだけの行為に彼はすぐさまくるり、とこちら側を振り向いた。

 

 そして今度は、私の世界から音が消えた。

 

 あんなにも耳が痛くなるほどに聞こえていた火災の音は少しも聞こえなくなり、私の全ての感覚を司る神経は今は耕多の姿しか認識できなくなっていた。

 

 首元から頬の辺りまで飛んだ返り血に濡れた耕多は、生まれつきのものである紅い鮮血のような色の二つの瞳を潤ませてこれ以上は無いといった極上の喜びの感情を笑顔で表現していた。

 

 『これでずっと、恋と永遠に一緒に居れる・・・・。』

 

 彼のその表情と心の声を聴いた時。

 

 私はそこに、悪意の終着点とエゴの到達点を視ることができた。

 

 私の世界が無音から有音(ゆうおん)に切り替わり、私は変わらずに耕多と真っ直ぐ向き合い続ける。

 

 「なぁ、恋。これでもう俺たちは自由だ。二人でどこにだって行ける。」

 

 「・・・・。」

 

 私は何も言わずに、ただ耕多の言う事を聞いていた。

 

 「俺と一緒に幸せな家庭を作ろう。そして、ずっと二人で笑いあって、愛し合って、たまには喧嘩(けんか)もしたりして・・・年を取ってもずっと一緒で、最期は同じ墓に入れたなら俺は幸せだ。」

 

 「・・・・。」

 

 「恋。俺は君の事を愛している。この先もずっと、何があっても永遠に。だから、」

 

 未完成で不気味な、とても濃い橙色(だいだいいろ)の三日月が浮かぶ真っ黒な夜空と燃え盛る村の炎による炎光を背景に、耕多は血に染まった右手を私へと差し出して来る。

 

 「俺と一緒に行こう。」

 

 私は耕多のその言葉に「うん。」と一言言って彼の手を取る。

 

 彼の提案に少しだけでも胸のときめきと愛の悦(よろこ)びを感じてしまった私。

 そんな私という存在もまた、エゴの到達点であるにすぎないということを痛感させられたのだった。

 

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