「クレス、それに……ドーゴンさんやドワーフの皆さんも、ありがとうございました」
エリザの右足に付着していた泥は消えていた。
「ガハハハッ! 儂は何もしておらん、気にせんでいい」
「ですが」
「礼なら儂でなくクレスにしてやれ。お主を助けたのは、紛れもなくこの男なのだからな」
ゴードンは「今日は二人とも忙しいだろうから、また今度酒でも奢らせてくれ」とだけ告げ、医療所を去っていった。
入れ替わりのように、エリザの治療をした人間の男が近づいてくる。
「おい、治療は終わったんだからさっさと帰れ」
目の下に黒いクマを作った男に、高圧的に言われた。
「ああ、そうさせてもらう。だが治療して良かったのか?」
「あ?」
「周りがうるさいんじゃないのかってことだ」
そう伝えると、男は「あー」と何かを察した。
だがすぐに鼻で笑い、
「医者が患者を救って何が悪い」
当たり前のことを言われた。
「わかったらとっとと帰れ。そろそろ寝たいんだよ、こっちは」
ったく働かしすぎなんだよ、クソが。
愚痴を吐き捨てながら建物の奥へ戻る男。
「この病院は、この都市唯一のどの種族でも受け入れてくれる医療所だから。毎日いろいろな種族が来て大忙しだって愚痴を吐いているんだ、あの人」
「なるほどな」
俺みたいに長い物には巻かれない人間もいるということか。
長居するのも悪いので、俺とエリザは早々に医療所を出た。
そのままメアへエリザの呪いが解けたことを報告するため彼女に会いに行くと、数時間前にデスマッドの動きはピタッと止まったそうだ。
『想定より探索者さんたちへのお支払いが少なくて良かったです!』
にっこりとした笑顔を浮かべたメアに言われた。
後日、彼女へお礼すると約束して俺とエリザは都市内を歩く。
気づくと外はすっかり暗くなっていた。
俺が迷宮都市ウォレスイトへ来て初めての夜。感想としては昼間と同じか、それ以上に賑やかな都市だ。
お店には明かりが灯り、店内からは騒々しいほどの声が聞こえる。
「さすが探索者ばかりの迷宮都市だな」
「夜になると、その日に帰る予定の探索者がこの周辺に集まるから、夜はいつもこんな感じなの。たぶん昼間より人口は多いと思う」
「なるほど、商人やお店の本番は夜ってことか」
「昼間の飲食店なんかも夜になると全て酒場になっていて、カトレアさんのギルド協会も夜は酒場をやっているのよ」
「へえ、そうなのか」
ということは、カトレアも接客をしているのだろうか。
「ウォレスイトでお店を開くなら、夜の酒場が一番儲かるって」
「探索者みたいな野蛮な奴には酒が合うからな、納得だ」
「それを自分で言う? まあ、否定はしないけど」
「間違ってはいないからな。それでエリザのオススメのお店は何処にあるんだ?」
「えっと、あっ、こっち」
そう言って連れて来られたのは、賑わいをみせる繁盛店から離れた都市の外れ。
お世辞にも人通りが多いとは言えない場所に案内された。
「あまり人間が多いお店は避けていたから、こういう辺鄙《へんぴ》な場所だけど……味はいい。それに良心的な価格だからオススメ」
「それは楽しみだな」
「あっ、ここ!」
エリザが興奮気味に建物を指差す。
その明るい表情や仕草、それに口調は地下迷宮で会った彼女とは別人のように感じた。それは決して悪いことではない。むしろ距離が縮まったと喜ぶべきだろう。
そしてエリザに連れられ店内へ。
かなり年期の入った内装。カウンターに立つドワーフ族の店主は視線をこちらに向けたが、無愛想な面を直すことなく、挨拶すらしてこない。
だが客は多く、ほぼ満席状態の賑わいだ。
「なかなか気合の入ったお店だな」
「清潔感と愛想には、期待しないで……。ただ味はいいの、味は」
味が良ければ全て良し。
まあ、俺もそれで十分ではある。
俺たちは適当な席に座った。
周りには他の客もいるが、既に自分たちの世界に入っているらしく俺たちに見向きもしない。
対面に座るエリザは、少しそわそわしていた。
「どうかしたのか?」
「えっと、いつもはカウンター席で一人だから。こうしてテーブル席に座るのは初めてで、なんだか変な感じだなって」
「なるほどな。それも出会ったばかりの男とだしな」
「へ、変な言い方しないで! これは、お礼であって、その……」
エリザは照れているらしく、頬を赤く染めながら俯いてしまった。
あまり言われ慣れていないのだろう。というより、こうして男と一緒に食事をすることすら初めてなのかもしれない。
このままからかってもいいが。
ふと周りを見渡す。
「ここには多種多様な種族がいるんだな」
「ウォレスイトで唯一種族関係なくいられるお店なの、ここ。あっ、すみません!」
注文をしようとエリザが店主を呼ぶ。
簡単な料理と酒を頼む。それを聞き終えた店主は「チッ」となぜか舌打ちをして去って行った。
「なんで舌打ちされたんだ?」
「まあ、ここの店主の舌打ちは返事みたいなものだから」
「……普通に返事すればいいんじゃないのか」
よくわからんが、これは客側が慣れるしかないタイプの店なのだろう。
料理と酒が到着すると、エリザの瞳が今日一番の輝きをみせる。
「美味しそう!」
どこか子供っぽい無邪気な表情だった。
そんな彼女は俺の視線に気づくと、コホンと咳払いしてエール酒を手に取る。
「ほ、ほら……乾杯」
「ああ、乾杯」
いっぱいの泡を口に含み、そこから冷えたエール酒を喉に流す。
昼間からずっと走り続けていたから、この冷えたエール酒は格別に美味い。
「美味しい!」
「ああ、美味しいな」
「料理も、ほらどうぞどうぞ! えっとこれがね」
一つ一つの料理の説明をしてくれるエリザ。
店主の愛想は悪いが、料理も酒も全て美味しかった。
俺たちは次々と運ばれてくる料理と酒を堪能した。終始、彼女の表情は明るかった。
「なに、私の顔に何か付いてる?」
「いや、随分と雰囲気が変わったなと思ってな」
表情もそうだが、出会った頃はまるで女騎士のような口調だったのに、今ではその硬さが取れた感じがした。
そのことを話すと、エリザは困ったようにテーブルを指先で撫でる。
「あれは、クレスが他の人間と一緒だと思っていたから」
お互いの距離が縮まったということだろうか。
だから少し踏み入ったことを質問する。
「ずっと、誰にでもあんな感じだったのか?」
「まあ。そうしないとこの都市では他種族……特に人間に舐められる。ダークエルフはこの都市に私しかいないから、必然的に立場が弱いんだ」
エール酒を呑んで酔いが回っているのか、ほんの少しだけ頬が赤いエリザ。
「一つ、聞いてもいいか?」
「なに?」
「どうしてダークエルフに堕ち……なったんだ?」
「言い直さなくても、別にダークエルフに堕ちたでいい。……そうだな、クレスは言っていたな、ダークエルフの知り合いがいるって。彼女からエルフがどうしたらダークエルフになるか聞いた?」
「禁忌を犯したから、だったか。だがそいつから詳しくは聞いていない。もしかして知られていないのは、他者に話すことを禁じられていたりするのか?」
「いいや、禁じられてはいない。ただ広まっていないのは、話す相手がいないだけ……エルフの禁忌は」
エリザは苦笑いを浮かべて言う。
「成人前にエルフの里を出ることなんだ」