迷宮都市ウォレスイトを離れて数分ほど歩いたところに廃墟がある。
かつては多くの者が住んでいた場所だが、いつの間にか魔物が住みつき、誰も寄り付かない場所となった。
奥へ行けば行くほど丈の長い雑草が足に絡みつき、歩みを止めようとしてくる。まるで来るものを拒むようだ。
そんな場所の奥にある廃墟に、エリザはいた。
「モーナ、もう一度!」
『グヌヌゥ』
石材でできた廃墟に向けて指差すエリザと、彼女の前でだらーんとお腹を地面に付けて休んでいる焦げ茶色の生き物──モーナ。
モーナという名前は俺とエリザが二人で付けた名だ。
モーナが牡なのか牝なのかもわからなかったから、色々な案を出し合って、エリザが提案したモーナという名前を付けた。
『モーナ』エルフの里で咲く花の名。
子供が産まれたとき、赤子の耳をモーナという花で撫でるそうだ。
精霊に愛される子に育ちますようにという、まじないの類らしい。
そんなモーナはあの日から、時間があるとエリザに連れられてここへ来ている。
目的は、モーナに戦い方を教えるためだ。
『グヌゥ』
「ほら、もう少し、頑張って! 後一回、それからママと一緒にお昼ご飯食べよ?」
『グヌ!? グヌウ!』
「よし、それじゃあ──ライトニングボルト!」
『グウ、ヌウアアアッ!』
廃墟の上空に浮かんだ魔法陣から勢いよく放たれた雷。
爆発音と共に触れた部分から石材をまき散らすように破裂する。
威力はエリザのライトニングボルトほどではないが、それでも十分なほどの威力があった。
「いいよ、モーナ! 偉い偉い!」
『グッヌウッ!』
モーナを持ち上げて高い高いするエリザ。
俺の前では絶対に見せないような、母親らしい表情。
──この子には戦い方を教える。
エリザはあの日、俺にそう言った。
色欲の代行者としての力の本質は眷属召喚して、その眷属にも戦わせるというものだ。もちろん、戦い方を教えるといったエリザの選択は正しいのだろう。
だがモーナに接する彼女の姿を見ていたら、単純にモーナを戦力にしたいという気持ちがないのはすぐにわかった。
──どうして戦い方を教えるんだ?
そう聞くと彼女は、
──これからクレスは色欲の代行者として、他の魔女やその代行者と戦うんでしょ? 私も、そんなクレスの側にいたい。それなら、この子も必然的に危険が伴うことになるかもしれない。私が守れるときは守るよ。だけど万が一のことを考えて、自分の身を守れるように力を付けさせたいの。
それに、生きていれば何が起こるかわからないから。
私の側から離れてしまったとき、この子が一匹でも生きていけるようにさせたいの。
と言った。
おそらくは彼女が幼い頃にダークエルフとして、多くの者から嫌われてきた境遇が影響しているのだろう。
一人で生きてきたエリザだからこそ、何があってもいいように一匹でも生きていけるようにしたいと考えたのか。
「よし、ご飯にしよっか! だけど終わったらまた特訓だよ?」
『グヌゥ……』
「そ、そんな悲しそうな顔をしても……ダメ! ダメだからね!」
草むらに座って、膝の上にモーナを座らせたエリザ。
悲しげな顔で見つめられているのだろう、エリザの声が困っていた。
『グヌ、グヌヌゥ……?』
「うう……じゃあ、ゆっくりご飯、食べよっか」
『グヌゥ!』
「はあ……。まったく、私も甘いな。これじゃあ、アリスのこと強く言えない」
大きくため息をつき、エリザとモーナはサンドウィッチを食べ始めた。
俺は二人の邪魔をしないよう、声はかけずウォレスイトに帰ることにした。
♦
「おかえりー! あれ、エリザは?」
「まだモーナの特訓中だ」
「そうなんだ。ほら、ラビー、パパ帰ってきたよ」
『きゅるるんっ!』
エリザに会いに行く前にカトレアから受け取った紹介状をアリスに渡していたので、既に新しい宿屋のベッドでくつろいでいたアリス。
そして、黒色と桃色の毛並みのウサギ──ラビーがベッドの上から力強くジャンプして俺に飛び付いてきた。
抱きかかえると、愛くるしい顔を俺の胸に擦り合わせる。
最初はいろんな候補があったのだが、アリスが思いついた名前を呼び、ウサギが返事をしたっぽいのが、この『ラビー』という名前だったから、ラビーと名付けた。
彼女らしい直感だ。
「相変わらず元気だな」
『きゅるるん、きゅるるるんっ!』
「さっきまでボクと一緒にお昼寝してたから元気なんだよ」
あれからアリスは変わった。
大きな変化といえば、カジノに行かなくなったことだろうか。
前まであんなに狂ったようにギャンブルしていたというのに、今では時間があればラビーと一緒に遊んでいる。
──ボクはカジノの騒音に慣れたから平気だけど、この子には悪影響だからね。仕方ないから、ギャンブルで稼いで、南国のリゾートに家を建てて優雅な暮らしをする夢は諦めて、みんなで狭い部屋で暮らすことにするよ。
ということらしい。
だが退屈そうな感じはなく、ラビーと遊んでいるアリスは子供のように無邪気で楽しそうだった。
彼女は元々ギャンブルが好きだったというのもあるが、一人ぼっちなのが寂しくて、その寂しさを紛らわせるために騒音のする場所にいたんじゃないだろうか。
そんな気もするが、本人に聞いても認めないだろう。
「あっ、何か飲む?」
「ああ、ありがとう」
今までなら、俺が帰ってきて飲み物を用意してくれるなんていう気遣いはしなかったのに、今では俺だけじゃなくエリザの分も用意してくれるようになった。
まるで子供が生まれて母親としての自覚が芽生えたみたいだ──なんて言ったら、もう二度と優しくしてくれなさそうなので黙っていよう。
ベッドに座って膝の上にラビーを乗せる。
「エリザは相変わらず廃墟でスパルタ中?」
「いつも通りだったが、モーナもエリザへの甘え方を学んだみたいで、ちゃんと休憩もとれている感じだったな」
「あはは、エリザって厳しく躾けようみたいな感じだったけど、意外と甘いとこあるよね。ねっ、ラビー?」
『きゅるるん!』
ベッドで横になったアリスは、俺の膝の上に座るラビーの頭を撫でる。
アリスの方が甘々だと思うが。
まあ、俺たち三人とも同じか。
「エリザが帰ってきたらまた詳しく話すが、カトレアがこれ以上は宿屋を紹介できないってさ」
「あー、やっぱりか。どうしよっか」
まだ猶予はあるかもしれないが、いずれ借りられる宿屋がなくなるかもしれない。
であれば、
「一軒家を買うぞ」
「え?」