「……わたくしたちの前からいなくなってからの今まで、何処で何をしていたのか、教えて」
俺のこれまでの人生に面白い思い出なんてないと思ったが、癒蘭にとっては大切な相手の知らない空白の時間。
記憶が無くなったとはいっても、彼女にとってはずっと会いたかった相手。
だから俺は彼女に話した。
記憶が、いや、俺の第二の人生が始まった瞬間から、何処で何をして生きていたのかを。
癒蘭は短く相槌を打ったり質問したり、ずっと俺の話を聞いてくれた。
「──面白い話じゃなかっただろ?」
「いいえ、面白かったわ。記憶が無くなっても、前のあなたと似た部分があるもの。聞いていて、やっぱりあなたはあなたなんだと理解できた」
癒蘭はまだ一度も、俺のことを”クレス”と呼んでくれたことはない。
元から相手の名前を呼ばないタイプなのかとも思ったが、それは違うだろう。
彼女にとっての俺はクレスという名前じゃなく、※※※※という俺が聞き取れない名前だ。
言葉でなく文字としてなら理解できるかもしれない。そう思って俺の本当の名前を文字として書いてもらったが、やっぱり理解できなかった。
まるでその部分だけぐちゃぐちゃ塗りつぶされたみたいな。どういうことなのかはわからないが、きっと俺は本当の名前を認識できないようになっているのだろう。
自分のことなのに自分ではない、彼女にとって大切な思い出があるのだろうから。
「一緒にいた頃の俺はどんな感じだったんだ?」
「そうね、今よりもっと破天荒な感じだったわね。気に食わない相手がいたらすぐ手を出すし、少しでも気に入った女性がいたらすぐ手を出す」
「手を出してばっかだな」
「ふふっ、そういう男だもの」
クスクスと笑い出す癒蘭。
「ところで、当時の俺には癒蘭の他にも大切な女性がいたのか?」
「ええ、いたわよ。たくさんね」
「彼女たちは何処にいるんだ?」
「何人かは今も手紙でのやり取りをしているけど、最後にやり取りをしたのは数か月前だから。ただみんな、今も各地であなたを探しているわ」
「そうか」
「あなたのことを見つけたことは手紙で連絡しておくわ。ただ……あの女には黙っておこうかしらね」
悪い笑みを浮かべたのは、きっと仲が悪い──というよりは、犬猿の仲のような感じの相手がいたのだろう。
「そういえば店でエリザを見たときに「またエルフの女と」とか言っていたな。もしかして前までエルフの女性が一緒にいたのか?」
「ええ、いたわ。鬱陶しいエルフの女。あなたがいい女いい女ってあの女を褒めたときに見せるドヤ顔ときたら……思いだしただけでイライラする!」
「そ、そうか。他にはどんな女性がいたんだ?」
俺の知らない部分は聞いていて変な感じだが、それでも知りたいと思った。
だが、
「それは秘密よ」
癒蘭は首を左右に振った。
「ここでわたくしからどんな子がいたかとか聞くよりも、きっと会ったときに知った方がお互いにいいと思う。新鮮な気持ちを味わえるわよ」
「新鮮か……。だが記憶が無い俺は、きっと癒蘭の時のようにまた会っても気付けないだろうな」
「そうかもね。だけど記憶が無くなったとはいえ、あなたがいい女だと思って声をかけた女よ。気付かなくても、またいい女だって思って声掛けるんじゃない?」
「そんな便利な能力は無いんだが」
「でも、わたくしのこともそういう目で見てたでしょ?」
長いまつ毛がパチパチと瞬きする。
白衣から見える谷間に視線を送り、目線を上に向けると、見つめ合った癒蘭はニコリと微笑む。
「相変わらずのいやらしい目。十数年も時が経っているのに、人間のあなたがあの頃と変わらない容姿なのって、なんだか変な感じね」
人間は歳を取れば老けて容姿が変わる。
だがエルフや狐人族といった種族は長命で、十数年で見た目はそこまで変わらない。
きっと当時の癒蘭と変わらないのだろう。
昔の俺が惚れるのは当然といった感じだ。
俺は彼女の背中に手を回す。
「記憶の無い俺に抱かれるのに抵抗あるか?」
「ないわ。あなたはあなただもの。わたくしたちが愛したあなたのまま変わらない。ただ……クレスって、あの頃と違う名前では、あなたのこと呼びたくないの」
「そうか」
好きになった相手と同一人物だといっても、急に違う名前で呼べと言われても困るだろう。
まるで違う男のように。
些細なことかもしれないが、彼女にとっては重要なことだ。それは癒蘭だけでなく、十数年前に一緒にいた女性たちも同じだろう。
「だから、その……」
癒蘭は俺の脚に手を置く。
「自分の名前を思い出せるの、いつまでも……待っているから」
「癒蘭……」
「だからそれまでは、あなたのことはあなたって呼ばせて。名前が思いだせたら、その時は……何度でも名前を呼ぶから」
「わかった」
頬に手を当てると熱を感じる。
そして癒蘭は三角形の耳を前にお辞儀させ、目を閉じた。
「あっ……ん、ちゅ、はぁ」
彼女にキスをする。
お互い相手の唇を求め、気付くと舌が絡み合う。
癒蘭と初めてキスしたのに、なんだか懐かしく感じる。
「ん、はあっ……もっと、もっとして……キス、もっとして♡」
震えた声。微かに閉じた目蓋から涙が零れていた。
俺は彼女との間にあった空白の十数年を埋めるようにキスを続けた。