──十数年ぶりに再会した彼の後ろ姿を見て、メアは涙を浮かべるのを必死に堪えて笑顔を作った。
『探索者の方ですか?』
自分のことを忘れていると頭で理解しながらも、内心では、赤い糸のような何か特別な力で思いだしてくれないだろうかと期待していた。
『ああ』
だが、振り返った彼は初めて会ったときと同じ短い言葉を返すだけだった。
落胆した。だけどすぐに別のことを考えた。
また一からやり直せる。
弾む高揚感を抑えながら仕事をした。
説明を聞く彼は、あの頃と何も変わらなかった。
メアと呼ぶ声も、澄ました顔も、たまに見せる笑顔も──優しい性格も。
再会してすぐにまた恋をした。
『大丈夫。記憶の無い彼なら、きっと応えてくれる』
今度こそ、やり直すんだ。
そう心に決めた。
──だけど。
『どうして……』
地下迷宮から戻ってきた彼は、ダークエルフの女性を抱きかかえていた。
『クレスさん、どうしたんですか!?』
聞きたくない、聞きたくない。
『ああ、ちょっとな』
聞きたくない、聞きたくない。
自分以外の女を抱きながら心配そうにするあなたの言葉なんて聞きたくない。
声が好き。顔が好き。逞しい体が好き笑顔が好き優しい性格が好き。だけど自分に向けられないそれら全ては大嫌い。
『彼女に……眷属を産ませるんですか?』
ダークエルフの女性を抱えたまま走り去る彼の後ろ姿を見つめながら、メアは届かない言葉を投げた。
『……彼とあの女をこの都市で孤立させてください』
『え、でもあの男は今日来たばっかりで、言い聞かせれば問題は──』
『──お母様の命令です。聞けないんですか?』
『い、いえ!』
『ウェルダーにも伝えてください』
『わかり、ました』
メアの言葉は一瞬にして仮初めのリーダーへ届き、仮初めのリーダーから人間の探索者たちへと届けられた。
『早くわたしのとこへ来て助けを求めに来てください』
けれど彼がメアに助けを求めることはなかった。
仮初めのリーダーの妻が、カジノ通いのウサギが。そして、人間嫌いだったはずのダークエルフが、彼の側に寄り添って離れない。
『ダメ。力を取り戻したら、記憶が……記憶が戻ったら、また……』
メアは焦る気持ちを抑えることができず、自らの判断で勝手に行動した。
ウェルダーを動かし、彼らと対峙させた。
勝てる可能性は万に一つもない。それでもあの力があれば、彼を孤立させられるかもしれない。
そして願いは叶った。
ダークエルフ、ウサギ、ドワーフが血相を変えて地上へと戻って来た。
彼はいない。きっと彼は地下でウェルダーだった何かと戦っている。後は彼が戻る前に逃げ帰った邪魔者を排除すればいい。
そうしたらまたやり直せる。
全ては何も知らない彼の為。全ては自分の止まっていた時を進める為。
ここで、記憶を取り戻す可能性の芽を摘み取る。
だけど、
『クレス!』
ダークエルフが彼の生還を喜んだ。
そして彼の姿を──彼が力に目覚めたのを見て、メアは悲しそうにそっと目を閉じた。
♦
『──アト、レナ』
「……はい、お母様」
生温い風が頬を撫でる。
その風は何処から吹くのか、誰もわからない。
ここは地下迷宮、中層──セーフエリア。
大勢の探索者が一点を向き、片膝を突く。
仮初めのリーダーはもういない。ここにいるのは、地上の誰も知らない本当の主。
そんな主の声に、探索者たちの前で膝を突く少女、メア・アトレナは綺麗な水色の髪を揺らして顔を上げる。
その瞳に映ったのは幸福か、それとも不幸な未来か。
いいや、わかっている。きっと不幸な道だ。
ただ地上から地下へと潜るときに決意した。この道を進もうと。
「……あと数日ほどで、色欲の魔女の代行者──※※※※がここを訪れるでしょう」
『ア……アア、※※※※。※※※※』
「目的を果たすことのできなかった不出来な我々をお許しください、お母様」
メアが顔を下げると、人間の探索者たちも顔を下げる。
申し訳ない。心の底からそう感じ、自らの役立たずさに苛立った。
なにせここにいる者の全員が──既に死んでいるはずの者なのだから。
それを生かしてもらった。暴食の魔女デネブと、その代行者ヘレッサ・ミライオンに。
『……アト、レア……』
「はい」
『……※※※※ヲ、※※※※ト、アイ、タ……』
「……はい。その使命だけは必ず」
言葉を聞かせたかった相手に届いたかどうかわからないほど小さな声で応えたメアは立ち上がり、振り返る。
「長く生きすぎると、いつからか……終わりはいつ来るのだろうと思うようになりました」
胸に手を当て、そっと本心を漏らす。
「人生は、終わりがくるから幸せなのかもしれません」
メアは何年前のことを思いだしているのだろうか。
初めてこの世に生を受けた日?
死を覚悟して初めて若返った日?
二回目、三回目、何の感傷もなく若返っていたあの日?
それとも──愛した彼に剣を向けられたあの日?
それは誰にも、本人ですらわからない。
思い出す記憶がありすぎた。だが、それももう終わる。
「お母様の本当の願いは叶えられませんでした。お母様の望む古代遺物は、何処にもなかった……。我々の望みは叶えてもらったのに、我々は何も返せなかった」
メアの言葉に、涙を流す者がいた。
「もう、若返りはできません。ようやく訪れる長い眠りにつく前に……お母様の最後の、叶えられなかった願いに応えましょう」
メアの言葉に探索者たちが怒号を上げる。
立ち上がり、戦いの準備が始まった。
「今、”この子”と共にお迎えに行きますね……」
メアはお腹を撫でた。
服の上からではわからない証が喜んでいるかのように微かに光った。