「……行くぞ」
──次の日の朝。
いや、目を覚ましたから朝だと思っているが、実際はどうなのかはわからない。ここは地上ではなく地下なのだから。
そして今日、俺たちはさらに深い底へ潜ろうとしていた。
近くのテントで寝泊りしていた他の探索者の半数はもういない。
上層を探索しているのか、それとも俺たちと同じく中層に降りたのか、それはわからない。
一歩一歩、階段を下りていく。
横は階段の幅しかなく窮屈に感じる。
足音のみが響き、反響して自分の足音が返ってくる。
「随分と長い階段だな」
「本当にこの先があるのか不安になってくる」
「ボクも初めてここを通ったとき、エリザみたいに思ったよ。だけど……」
手に持った蝋燭の明かりしかない薄暗い道だったのに、奥から眩しい光が見えた。
その光に導かれるように少し足早に進むと、そこには全く別の世界が広がっていた。
「これは……」
辺り一面に広がる緑の世界。
上層の茶色の土がむき出しになった地面とは全く異なる別の世界だ。
「ここも地下迷宮の一部なのか?」
「らしいよ。言われなくちゃ疑っちゃうけど。原理はボクも、誰も知らない。どうして雨も日光もない地下深くに草木が育ってるのかもね」
「不思議な世界を一々考えても仕方ないということね。それよりここから何処へ向かえば、そのメアって子が待つセーフエリアに着くの?」
周囲の木を撫でながら、癒蘭がアリスに聞く。
「地下迷宮だから同じく下へ向かうってのは変わらないんじゃないかなとは思うんだけど、えーっと、ごめん、ここからはボクも行ったことないからわかんないや。ただ中層の中にも階層があるってみんな言ってたよ」
「なるほどね」
「まあ、上層中層下層深層って続いているんだ、地下へ下りる階段か道を探せばいいんだろ。それより……」
足首ぐらいまでの背丈しかない草を擦るような音が前方から聞こえた。
人間の草を踏む音とは違った独特な音はどんどんこちらへと近付き、その正体が俺たちの前に姿を現す。
「上層とは、また随分と魔物の姿が違うな」
エリザが細剣を鞘から抜いて警戒する。
上層には俺たちよりも大きな身長の魔物はいなかった。
その多くは四足歩行で、他にはデスマッドのような小型の魔物しかいない。
デスマッド王は上層の中で最も大きい魔物らしいが、滅多に人前に姿を見せないレアな魔物だから別に考えるべきだ。
巨大熊の魔物、ビッグベア。
外の世界ではたまに見るが、手を大きく広げ、雄叫びを上げた瞬間、獣の圧力が痛いほど伝わってくる。
「ただ図体がデカイだけだ。上層の魔物と何も変わらない」
三体のビッグベアがのそりのそりと迫ってくる。
アリスがラビーを頭に乗せたまま脅えて後方に下がる。
「コン助は必要?」
「いや、休んでてくれ」
「あら、残念。出番はないって」
癒蘭がお腹を撫でる。
元からコン助の力に頼る必要のない敵だとわかっていただろ。と心の中で呟き、俺はエリザに視線を向ける。
「行くぞ」
「うむ」
駆け出すと、ビッグベアの注意が一瞬で俺に向く。
図体が大きくなっただけで知能は低く、魔物としての脅威は上層の魔物と変わらない。
動きが遅く、大振りで、隙の多いビッグベアの攻撃を避けてからビッグベアに大太刀を振り下ろす。
『グギャアアッ!』
行動を一つ一つ言語化し理解してからでも問題ないような敵だ、手こずりもしない。
一瞬にして一体を倒すと、エリザもどうやら倒したらしい。
残り一体は仲間を倒され激高しながら俺目掛けて駆け出した。
「来い」
誘い込むように大太刀を構えたまま待つ。
ジッと、来るのを待ち続ける。
振り下ろされたビッグベアの右手を大太刀で防ぐと、モーナに戦闘経験をさせるかと考えエリザに視線を向けた。
彼女もまた、そう考えモーナを呼び出そうとした。
だが、
──スッ。
ビッグベアの足音とは違った足音。
人間だ。人間が音もなく忍び寄ってきていた。
すぐ近くまで。それも複数人。敵意も感じた。
「──癒蘭ッ!」
「おいで、コン助!」
先頭の最中、最後のビッグベアを斬り倒して癒蘭を呼ぶ。
だが彼女は俺が言いたいことを先に気付き、行動に移していた。
何も無い場所からコン助を呼ぶと、普段は俺に抱き着いて舐めてくるコン助が一点に向けて睨み付ける。
グルルルッ! と喉を鳴らし威嚇までした。
こんなこと初めてだ。そして威嚇相手は木の陰から姿を現すと、ジッとコン助を見つめる。
「他の女性には懐かない、十年前から何も変わってないですね……コン助は。パパを取られるのが嫌だからですか、癒蘭?」
「……そう。そういうこと」
手に持っていた扇子が折れるのではないかと思うぐらい強く握りしめると、コン助と共に癒蘭は彼女を睨みつける。
「彼らが探していたメア・アトレアって、あなただったの──アトレア」
「俺の記憶の無い十年前に二人は会っていたのか?」
メアの近くからぞろぞろと大勢の探索者が集まってくる。人数はざっと見て二十人近くはいる。
俺は後退りながら癒蘭に問いかける。
癒蘭もコン助も、憎い仇でも見るような目でメアを睨み付け続けていた。
「会っていたのかも何も、彼女は元々……わたくしたちの仲間よ」
「なに……?」
「前に話したでしょ。仲間の一人が暴食の魔女に人質にとられて、あなたは彼女を救い出す為にたった一人、暴食の魔女のもとへ向かったって。そして帰らなかった……あなたも、人質に取られた仲間も」
「……もしかして」
メアは俺を見て、優しく微笑んだ。
いつもと変わらない、彼女を象徴する優しい笑顔だった。
「彼女はアトレア・メーティリナ。眷属の名は……メア。彼女はわたくしたちと同じ、色欲の魔女の力を授かった仲間、あなたと愛し合った女よ」