五月が半ばに差し掛かろうかというある日のことだった。
サンクトゥムタワーの連邦生徒会に、私は呼び出された。そこで受け取った封筒の中身をエレベーターの中でもう一度読み直す。
使命感と不安感の板挟みで、思わず溜息がこぼれた。
* * * * *
「
連邦生徒会長代行の
「ワカモと公安のイタチごっこなのです」
ヴァルキューレ全体の練度が最近大きく向上し、SRTに頼らずともワカモを捕縛できるようになったそうだ。それは喜ばしいが、矯正局へ移送する前に、あるいは移送直後に、あの手この手で逃げられてしまうらしい。
捕縛作戦には時間と人手を多く取られる。周辺地域への被害も避けられない。公安局の中でも悩みのタネだ、と語るカンナの表情は重かった。
「D.U.の監視カメラから逃走経路を割り出して分析した結果、彼女は先生のいる場所へ向かう傾向にあります」
心当たりはいくつもあった。
シャーレ入口のセキュリティゲートが破壊され、アラートと共にワカモが執務室を訪れる。
街中を歩いていると突如不審な銃撃や爆発が起こり、まさかと思って人の気配がない所まで走っていくと、そこでワカモに声をかけられる。
脱獄して以来指名手配のワカモは大抵誰かに追い回されていて、十分な話もできない内にそそくさと姿を消してしまう。そんな繰り返しがあるのも事実だった。
「思い切った判断ではありますが、連邦生徒会でも見解は一致しています」
「標的とする先生の所へ彼女を置いておけば、街への被害も、怪我人も減ります」
「……なるほどね」
確かに合理的だ。彼女が大人しくしているならば、だけど。
「ワカモが、処分をすんなり受け入れるかな?」
「連邦生徒会の許可を得て、矯正局から条件を提示してもらいました。三ヶ月間、保護観察下で暴力事件を起こさず、奉仕活動の実績を残す。そうすれば、百鬼夜行連合学院への復学を認める、と。先生の名前を出した途端、ワカモは大人しくなりましたよ」
カンナが皮肉っぽく笑いながら、ブラックコーヒーを口に含んだ。
「ねぇ、リン。確かワカモは、停学期間中に留年してたよね?」
「ええ。学園自治区により詳細は異なりますが、原則、このまま停学期間が長引けばいずれ退学処分となり、学籍を失うことになるでしょう。寮を追い出されて住所も無くなります」
「――そうか……」
災厄の狐という二つ名で恐れられるワカモも、大切な生徒の一人だ。一旦レールを踏み外せば、彼女は社会参加の道を閉ざされてしまう――。
私は拳を握り固めた。
「分かった。引き受けるよ」
「……厳密に言うと、これは依頼ではなく決定事項です。先生に選択の余地はないのですが、合意が取れて安心しました」
リンの口調は冷ややかだった。見方を変えれば、ワカモへの対応を私に丸投げしているも同然だ。だが、シャーレ顧問の私に負けず劣らず忙しい会長代行だ。そういう対応になるのも無理からぬことだろう。
「では先生、早速ワカモの身柄を引き受けに向かってください。先生は保護観察官と保護司を兼ねています。指定する住居に彼女を住まわせ、生活を管理していただくよう、よろしくお願いします」
そこまで話すと、リンもカンナも、応接スペースのソファーを立った。
* * * * *
警察署を訪れると、私はすぐ地下まで案内された。ワカモを拘束中の部屋まで来ると、分厚いガラスの向こうに彼女はいた。両手を手錠で拘束されている。
「ワカモ、迎えに来たよ」
「あぁ、あなた様……!」
私の顔を見ると、ワカモの顔がぱあっと明るくなった。腰に生やした狐の黒い尻尾を、ふわりふわりと揺らしている。両手の拘束を外されても、ワカモは逃げ出そうとしない。それどころか、私と面会して照れくさそうにはにかんでいる。周囲からの刺すような視線も意に介さない彼女を手招きして、私はそそくさと警察署を後にした。
D.U.シラトリ地区を歩きながら、私はワカモに事の次第を説明した。
狐坂ワカモは札付きのワルだ。ヴァルキューレの資料によると、彼女はならず者を扇動しての暴動、略奪、破壊行為を何度も働いていた。停学処分となり、矯正局へ収監されるのに、異論を唱える者はいないだろう。
バレンタインデーに面と向かって話して以来、少しは悪行も鳴りを潜めたようだ。しかし、目的を定めればいかなる手段も辞さない所は変わっていない。
「保護観察……うふふ、先生に観察していただけるなんて……」
退学処分の可能性を、ワカモは深刻に考えていないようだ。それどころか――予想された反応ではあったけれど――私と一緒の時間ができたと浮かれている。
私の懸念を余所にルンルンのワカモへ説明を続けながら、彼女に割り当てられた住所に向かった。どうも見慣れた風景が続いている。最寄りのコンビニを通り過ぎ、私の住むマンションの前に辿り着いた時、住所のメモをもう一度見せてもらった。
「これ、もしかして……」
自分の住所ぐらい暗記していると思ったが、人の記憶力というのはアテにならないものだ。まさかと思いながら、指定の部屋に向かうが――明らかに、体が通路の歩き方を覚えている。
「ここ、やっぱり私の部屋だ……」
「あなた様のお部屋! もしや、このワカモ、先生と同じ屋根の下で――」
「い、いや、さすがにそれはないと思うよ? ちょっと問い合わせてみるね」
モモトークをリンに送ってみると、すぐに既読がついたが、
『入力時の手違いかもしれませんが、その建物および周辺には他に空き部屋がありません。先生のご判断で、よしなにお願いします』
とこれまた投げっぱなしな返事が来て、それで終わってしまった。
「……うーん……」
「あぁ、これから三ヶ月、
ワカモはあらぬことを考えて悦に浸っている。
「……とりあえず、いったん中に入ろうか」
私が住むのは四階の角部屋。人通りの少ない住宅街のマンションではあるが、こんな所で騒ぎになってもいけないし、保護観察の役目がある以上、ワカモを遠くへやることもできない。視点を変えれば、最も効率的と言えるけれど……。
家の中が散らかっていないのは幸いだった。散らかすほど家にいない、と言った方が正確だろう。シャーレの執務室で夜を徹するのも、珍しくないのだから。
「お邪魔いたします♪」
玄関を後ろ手に閉じながら、ワカモは琥珀色の瞳をぱちくりさせた。ヒトの耳とは別に生やした、頭頂部の狐耳がぴこぴこ揺れ、期待に浮足立つ彼女の心を代弁していた。
「あなた様は、ここで寝起きされるのですね」
「うん、まぁ、そうなるね」
赴任した当初から住む家に人を招くのは初めてだ。連邦生徒会に家賃を折半してもらっている賃貸の2DKは、一人暮らしでは持て余している。
ワカモをここに住まわせると仮定すると、物置と化した部屋を整理すれば、彼女の自室は確保できる。
そうなると、次々と疑問が浮かぶ。
鍵は一つしかない。彼女の寝床はどうする。踏み込むべきでないプライバシーの境界にも線引きが要る。
ワカモからは「一目惚れなんです」と言われた。一過性のものだろうが、好意を抱かれているのは、さすがに知っている。だが、これは恋人同士の同棲ではない。顔見知り同士のルームシェアなのだ。
「……ひとまず、やるべきことを整理しようか」
「はい、あなた様」
ダイニングテーブルにワカモを呼び、まずは、やることリストの作成だ。
「ワカモ。荷物はその……風呂敷包だけ?」
「ええ。着替えや弾薬が少々入っておりますが、私物の大部分は百鬼夜行の寮に。そこも、私の部屋は停学になって以来、長らく封鎖されておりまして。逃亡生活中根城にしていた所にも、少々荷物がございます」
「生活費とかはどうしてたの?」
「……ちょっとした交渉で、譲っていただくなど……」
ワカモが気まずそうに口にした。
――恐喝か、略奪だね……。
「人に迷惑をかけるやり方はダメ。以前も、言ったよね?」
「あ……っ……!」
私が諭すと、ワカモはビシッと背筋を正し、眉尻をぎゅっと下げた。涙が目に浮かび、今にも泣きだしてしまいそうだ――と思ったら、大きな目から雫が垂れた。
「もっ、も……申し訳ありませんっ! あ、あぁ、あなた様、どうかワカモを嫌いにならないで下さいっ……」
「ワカモも大切な生徒の一人だ。嫌ったりはしないよ。でも、このままだと君は退学になってしまう。私はワカモにちゃんと、生徒として復学してほしいんだ」
「は……はい……」
ぽろぽろと涙を溢しながらワカモはそう答えたが、私に責められたと感じているのか、狐耳も尻尾も力なく垂れ下がっている。
災厄の狐は誰もが忌避する危険人物だ。だが、白狐のお面の下には、こんなにも脆くて、不安定で、情緒の幼い少女がいる。そういう生徒ほど、私は放っておくことができなかった。
「ワカモは過ちを犯したけど、前を向ければ、まだやり直せるよ。今回の保護観察はいいチャンスになる。だから、一緒に頑張ろうね?」
ハンカチで目元を拭いながら、ワカモが頷いた。百鬼夜行自治区特有の、目元に紅を引いた「目弾き」の化粧が、目蓋を閉じるとよく目立つ。長い睫毛にはまだきらきらと雫がついていたが、彼女はそれから素直に話を聞いてくれた。
まずもって用意するべきは、ワカモの生活用品だ。物置部屋を片付けてワカモの部屋にすると伝えると、
「このワカモ、夜はあなた様と同じ寝床で……」
なんて言いかけたから、布団セットがリストの先頭に書かれた。ワカモ自身の着替えも、もう少し余裕が欲しい。大人のカードのポイントが貯まっているから、それでお金は工面しよう。
「よし、買い物に出かけようか、ワカモ」
立ち上がって財布の中身を確かめる私に、ワカモは静かについてきた。
かくして、キヴォトス随一の危険人物との二人暮らしが、幕を開けるのだった。
<続く>