そして今日もまた一人 こども部屋おじさんと要介護少年のリュウゾウくん 作:馬門戒明/輪島ライ
今年で89歳の老人ともなれば気軽にできる趣味も少なく、遠くなった目で娘から与えられたタブレット端末の画面を拡大して総合週刊誌を読んでいると玄関のインターホンが鳴った。
共働きの娘夫婦は夕方まで帰ってこないので弱った筋力で重い腰を上げて玄関の扉を開けると、そこでは引き締まった体格の壮年が笑顔で頭を下げていた。
「こんにちはリュウゾウさん、今日も訪問リハビリに参りました。いつも通りよろしくお願いしますね」
「ええ、ええ、こんな老体のもとにいつも来てくださってありがとうございます。今日は兵庫県から美味しいおかきを取り寄せたので後で一緒に頂きましょう」
「そんな、利用者さんに食べ物を頂くなんて立場上できませんよ。なんちゃって、僕もリュウゾウさんが用意してくださるお菓子はいつも楽しみにしてるんですよ。ありがとうございます」
日焼けした顔に満面の笑顔を浮かべて快活に話す壮年男性は
40代後半だという宮崎さんは外を出歩くにも杖をつかねばならないこんな老いぼれに嫌な顔一つせずリハビリを指導してくれて、勤務態度は真面目そのもので以前彼が大雨警報が出ている日に雨合羽を着ていつも通りやって来た日は私も娘夫婦も大いに驚いた。
「今日はお庭を杖をつかずに歩いてみましょうか。もちろん僕がそばに付いて支えますし、歩くのが辛くなったらすぐに仰ってくださいね。では一緒に外に出ましょう」
「分かりました、宮崎さんと美味しくおかきを頂く前に年寄りの冷水を一つお見せするとしましょう。よっこらしょっと……」
私が玄関を降りて庭に出て、杖を縁側に置いて歩き始めると宮崎さんはがんばれ、がんばれと言いながら隣を歩いてくれて、私は転倒しないように気をつけつつ円を描くようにして庭をぐるりと歩いた。
気づいた時には私は庭を15周も歩いていて、私が少ない汗を流しながら縁側に腰掛けると宮崎さんは小さいペットボトルに入ったスポーツドリンクを手渡してくれた。
「リュウゾウさん、今日もよく頑張りましたね。このままリハビリを続ければ杖をついて少し遠くのお店にまで買い物に出られるようになりますよ」
「そうですか、それは何よりです。できることなら宮崎さんが食べたいものを一緒に買いに出てみたいですね」
「ははは、利用者の方にそこまで言って頂けて理学療法士として光栄の極みです。それでは部屋に戻って一緒におやつを頂きましょうか」
宮崎さんは私を先導して一軒家のリビングに入ると慣れた手つきで冷蔵庫を開けてポットのお茶を取り出し、2人分のコップを持ってくると私と自分にお茶を注いだ。
私は大きめの箱の包装を開けると兵庫県豊岡市から取り寄せた有名なおかきの袋を取り出し、自分に1袋、宮崎さんに2袋のおかきを用意した。
リビングの机で向かい合って宮崎さんとおかきを味わいながら、私は元気のいい若者と食卓を囲む楽しみを味わっていた。
娘夫婦は子宝に恵まれなかったので私に孫はおらず、宮崎さんは娘婿とは10歳ほどしか違わないがもし私に孫がいたらこんな感じだったのだろうかとふと思った。
宮崎さんがこの家にいてくれる時間は限られているので私は可能な範囲で彼と雑談をするのをいつも楽しみにしていて、今日は以前から気になっていたことを聞いてみた。
「ところで宮崎さんは40代とお聞きしていましたが、お付き合いされているお相手はいらっしゃるんですか? 答えづらい質問でしたらすみません」
「いえ、実は僕は48歳でまだ独身なんです。以前は同僚の女性とお付き合いしていたのですが、趣味が合わなくて別れてからはずっと独り身なんです。もうすぐ50歳になりますし、結婚できなかったらできなかったで仕方ないと諦めはつきますけど母には正直申し訳ないですね」
宮崎さんはそれから自分は片親家庭、今で言うシングルマザーの母に育てられたが母は数年前から認知症のため介護老人福祉施設に入居しており、母が生きているうちにどうにか自分が結婚する姿を見せてあげたいと話した。
「僕みたいな中年男性は今時は子供部屋おじさんって呼ばれるらしいんですよ。いい年して自立せずに実家に住んでいる中年男性っていう意味で、そう言われると返す言葉がない気がしますね」
「いいえ、宮崎さんはそのように蔑視されるような人では全くありませんよ。確かに私が若い頃は社会人になったら親元を離れて自活すべきとされていましたが今はもう令和の時代ですし、宮崎さんは理学療法士として私のような老人を大勢救っています。その宮崎さんが自立した大人でないなどということがありますか?」
「そう言って頂けると本当に嬉しいです。もし僕が結婚式を開いたらリュウゾウさんも来賓として来てくださったりしますか?」
「もちろん! この老体が生きているうちに結婚式に参加させて頂けることを願いますよ」
宮崎さんは私が大げさに言った言葉を聞いて喜んでくれて、それからはもう一度庭先でリハビリをしてくれると次の利用者さんの所に向かっていった。
笑顔で手を振って去っていった宮崎さんを見て、私は彼のようなまっすぐな心の壮年の献身がどうか報われますようにと心から祈った。