閉じた目蓋越しに、朝のやわらかな陽射しを感じている。いつも通りの野営ということもあって、簡素な寝床は背中に地味な痛みを浴びせてくる。それで、眠気の残る身体を一刀は無理に叩き起こした。起きる過程で、一瞬見てはいけないはずのものが見えたような気がした。それは錯覚だろうと思い、ひとまず横にやっておくことにする。
爽やかな蒼天がどこまでも拡がっている。心のなかにあるのはかすかな安堵。いつか、この夢は醒めてしまうのではないか。そういうことを、夜更けひとりになるとふと考える。日常にもどるだけの話であり、自分にとって悪いことではないはずだった。隣で寝ている風の金髪が指にふれる。くすぐったくて、ちょっと口もとが綻んだ。
衣擦れ。相手を意識するほどに、吐息すら妙に艶かしく感じられてしまう。朝の生理現象で勃ちあがった愚息が、いよいよ言い訳ができなくなるくらい硬度を増していた。
「ええと……。それで、愛紗さんはいったいなにをされているので……?」
いい加減捨て置けなくなって、すぐ近くで半裸になっている愛紗に声をかけた。
清廉な色をした下着が、生真面目で実直な愛紗によく似合っている。といっても、着用しているのはいわゆるショーツだけであり、ツンと上を向いた乳房は完全に無防備な状態でさらされている。
引き締まっているのにやわらかさを感じさせる身体。いつ見ても惚れ惚れとする見事なシルエットをしていて、これで本人はなんとも思っていないのだから、認識のズレのおそろしさを痛感させられる。
「なにって、着替えをしているに決まっているではありませんか。ふふっ、おかしなご主人様」
「やっ。できたら、そういうのは俺の視界の外でやってほしいなあ、とかちょっと思ったり……」
「あっ……! も、申し訳ございません、ご主人様。お目汚しをした非礼は、あとでとくと……」
なにを勘違いしたのか、服を掴んだ愛紗がそばにあった木の陰にいそいそと隠れた。
冷静になって考えるまでもなく、叱られるべきはむしろ自分の方なのである。それにしても、愛紗の現実離れしたボディラインが脳裏に焼きついて消えてくれない。隆起したペニスの勢いは衰える気配がなく、徐々に激しさを増しているようでもあった。究極の忍耐である。これも修練だ、とどうにか自分に言い聞かせた。
あの夜、風に手で抜いてもらってからもう五日が過ぎている。どうにか細々とやりくりしていた性欲が、風と関係を持った日を境に、抑えが効かなくなるレベルに達しようとしていた。
両眼を閉じて、心を静かに落ち着かせようとする。そんな一刀の耳もとを、悪魔的な囁きが急襲した。
「いけないご主人様なのですから、お兄さんは。くふふっ。愛紗ちゃんのばいんばいん、むちゃくちゃにしたくて仕方がないのでしょう? けど、優しいお兄さんはそんな乱暴なことはできません。ですから……、ちゅっ」
「んぐっ……。風、おまえ起きて」
風の発する甘い声。隙間のいたるところに入り込み、脳の奥にまで響くようだった。
耳の端に軽く歯を立てられている。風の人差し指はズボンのふくらみをカリカリと引っ掻いていて、思わず腰が跳ねてしまいそうになった。
「いいのですよぉ? 風は、お兄さんの肉奴隷なんですから。おちんちん、愛紗ちゃんと凪ちゃんの見ている前で、シコシコしろって命令したいですか? んっ、ふふっ。もう、こんなにかたくされて、とっても苦しそう。気持ちいいこと、溺れるまでしたいってお顔されていますね、おにーさん?」
「やっ、さすがにいまは。愛紗が、すぐにもどってくるだろうし」
「へぇ? シコシコの部分だけは、否定なされないんですねぇ。まあ、それは当然といえば当然なのでしょうが」
掴みどころのない少女だった。すべてをかなぐり捨てて、この場で性欲をぶつけようと、風はきっと受け止めてくれるのだろう。ただし、どこか試されているような雰囲気もあった。自分が、真に日輪と仰ぐべき存在であるのか。様々な言葉と態度を操りながら、風は探っているような気もしてくる。
「ン……。どうしてもって時には、頼らせてもらうよ。請け負ってくれるんだろ、俺の汚い部分をさ」
「はい、それはもう。くふふっ……♡ お兄さんは、案外焦らすのもお得意なんですね。おちんちんさんも、しっかり待てできてえらいえらい」
「そうでもないよ。ただ、我慢するのも大事なんじゃないかってね。その分、あとの愉しみが増えるだろう?」
「ふえ……? んんっ……。むにゃむにゃ、んぅ、すー」
「やっ、そこで寝るなよ」
「おおっ……? お兄さんの危うい一面にふれてしまい、風としたことが思わず現実逃避をしてしまいました。んんー。ということで、ここはもうひと眠り」
一刀の膝にごろりと頭を置き、風がぴったりと目蓋を閉じる。
やがて起床した凪に冷たい視線を浴びせられるまで、甘い苦行はしばらく続くのだった。
†
街道を騎馬の一団が駆けていく。都合、三十騎ほどだったのか。どことなく、嫌な気配のある集団だと一刀は思っていた。
幽州に入ると、肌寒さを感じるようになっていた。行商をしていた凪は慣れっこのようで、いつもと同じ無表情のまま自分の隣を歩いていた。
涿郡涿県。このあたりで、三国志の英雄のひとり劉備は産声をあげた。
「盧植先生のお宅まで、もう少しですね。着いたら、あたたかいものをいただけるようにお願いしてみましょうか」
「大丈夫なのかな。勝手に押しかけて、そんなお願いごとまでしてしまってさ。そもそも、会ってもらえるかどうかすらわからないのに」
「おやおや。やけに弱気じゃありませんか、今日のお兄さんは。失職された身とはいえ、盧植さんは先の中郎将。妙な噂のつきまとうお兄さんですから、それは腰が引けるってものかもしれませんが」
「しかし、これといった地盤のないご主人様には、人との繋がりがなにより必要でしょう。それに、盧植殿は朝廷内でのいざこざで失職に追い込まれたと言うではありませんか。うまくいけば、ご主人様のお力となってくださる可能性も」
毎回のことながら、愛紗の言葉にはやはり熱がある。
乱世を泰平に導くためには、どうしたって力がいる。いつまでも流浪の身ではいられない、という気持ちがあることはわかっていた。
刀の柄を拳で打ち据え、一刀は腹をくくる。それに、盧植と会えば自分の中にかかる靄はおそらく晴れる。力強く一歩踏み出してみると、あとは身体が勝手に進んだ。
どうしてか、多数の蹄が地面を打った跡が、どこまでも続いている。胸騒ぎがしているのは、ほかの三人も同じようだった。
「あそこに停めてある馬、もしかしてさきほどの」
つぶやくように凪が言う。
盧植のやっている私塾についても、よろこびはなかった。愛紗と凪はすでに戦闘態勢に入っている。騎乗していた男たちはどこへ消えたのか。嫌な考えばかりが、頭を過る。
誰かの叫ぶ声が、耳に届いた。反射的に駆けながら、愛紗と凪に向かって一刀は命じていた。後ろでひらひらと袖を振っている風は、自分がそもそも頭数に入っていないことを理解している。どこかに隠れて、戦況を見ているつもりのようだ。
「事情の知れない相手だけに、簡単に殺してくれるなよ。対面する前から、盧植さんの機嫌を損ねたくはないだろう」
「御意です、ご主人様。凪も、それでよいな」
「一番危なっかしいのは、愛紗さんですから。自分は、ちゃんと手加減できるつもりです」
「むっ……。なんだか聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がしたのだが、まあいい。ご主人様も、どうかお気をつけて」
眉根をぎゅっと寄せた愛紗が、先陣をきって飛び出していく。
刀の柄には手をかけない。相手を見極めるまで、殺しはやらないつもりだった。