軽く偵察をしてみて、気づいたことがある。
盧植の私塾を襲撃したのは、確かにさきほどすれ違った男たちだった。なのに最初違和感があったのは、いまは視界に入る全員が黄色の頭巾を着用しているからだ。この世界でも、やはり黄巾の乱は起きている。盧植も、宮仕えしていた間はその対応に駆り出され、最後は味方だったはずの相手に足を引っ張られて失職した。
「金品目当ての強盗だったら、もっと金を蓄えてる商人を狙いそうなものだが。隠棲しているかつての将軍の住まいをわざわざ襲撃するってことは、なにかあるな」
考えてみるほどに、違和感の多い一団だった。
愛紗たちから聞かされて知っているのだが、黄巾党の主力はすでに討伐されたあとであり、当初のような勢いはとっくに消えている。その残党の割には、男たちの騎乗していた馬は立派すぎるのだ。しかも、観察していると動きもそれなりに統制が取れている。
門の外で逃げ遅れた子供のひとりが、腕をつかまれて泣いている。ここはひとつ、芝居でも打ってみようかと一刀は茂みを静かに出た。
刀を背中に隠し、男たちに近づく。相手は五人。ほかの連中は、盧植を捜しにいったのだろう。
「あのー、すみません。俺は旅の者で、北郷一刀っていいます。道中寒くて、焚き火の燃料でもいただけないかなー、っと……」
「ちっ……。見てわからないのか、小僧。こちとら取り込み中なんだ。痛い目に遭いたくなければ、さっさと消えるんだな」
「情けは人の為ならず、ってよく言うじゃありませんか。悪いことばかりしているとできませんよ、いい死に方をね」
わかりやすい挑発をしてみると、男の眼の色が明らかに変わった。一歩踏み出してきたのと同時に、顔を思いっきり殴り飛ばされる。唾を吐き出しながら見上げると、男は侮蔑の表情をはっきりと浮かべていた。
「はははっ。なんだ、その顔は。この弱さ、どうやら盧植の身内ではなさそうだな。這いつくばって謝罪をしてみろ。そうしたら、非礼の数々は許してやる。おまえはいい死に方をしたいのだろう、小僧?」
男の肩越しに、愛紗の影が見えている。まだおまえの出番じゃない、と首をふった。凪は、いつでも割って入れるように準備をしてくれているはずだ。
剣の切っ先を突きつけられている。首をふった意味を、おそらく曲解されたのだろう。一刀の最期を見届けようと、仲間の四人の警戒が緩んでいる。凪に指示を与えるために、右手で合図を送った。それが決め手となって、男がついに剣を振りおろした。
「こいつ、どうやらよほどの死にたがりのようだ。いいぞ、だったら」
突っこんでくる凪の姿が見えていた。白刃。同時に向かってくる。転がるように避け、男の足を瞬時に払った。態勢が逆転する。女の子は、凪に保護された。立ち上がろうとする男の鳩尾を、鞘の先で強打する。
残りは四人。乱入してきた愛紗が、見るからにかたそうな靴のかかとで、ひとりの顎を打ち砕く。下着を見られることを、ものともしない一撃だった。足グセの悪さで、負けていられないと一刀は思った。跳躍。身体を捻った勢いで、男の顔面を蹴り飛ばした。倒れ伏した相手を、凪が追撃する。体術にもそれなりに自信があったが、やはり本職には敵わない。なにより、鉄製の手甲から繰り出される殴打が痛そうだった。
殺さないとは言ったが、死なない程度の怪我はしてもらう。幼い子供をこわがらせたのだから、相応の報いは受けるべきだ。
「いちいち、臣下の肝を冷やさないでいただきたい。悪い癖ですよ、ご主人様の」
「ごめん、愛紗。けど、この子になにかあったらいけないだろ。このくらいの傷、男の勲章だよ、勲章」
「なんですか、それ。……殴られたところ、あとで一緒に手当てをさせてください。ですよね、愛紗さん?」
「むっ……。う、うむ。それはそうとして、きみ。盧植先生はお家の中かな。おそろしい目にあったばかりで、辛いだろうが」
涙をいっぱいに溜めた女の子が、愛紗の質問に頷いて応えた。
男たちが狙っているのは、盧植の命なのだろう。急ごう、と一刀は二人は促した。
†
簡素な門の手前で立ち止まり、策を考えた。そもそも、盧植のほかに何人生徒がいるのかすらもわかっていない。どうすれば、主導権をこちらが握ることができるのか。油断すると猛進していきそうな愛紗のサイドテールをつかまえ、手綱のように引いた。
「うわっ……。何気にひどいことをされていますねえ、お兄さんも。今夜は景気づけに、愛紗ちゃんをお馬さんに見立てて、朝まで乗っかっちゃいますか? ひひん、ひひーんって、きっと風なら鳴いてしまいます」
「そこ、シリアスな場面で下品なこと言わない」
「えっ……。お兄さんこそいきなりお尻がどうとか、正直風でもちょっと引いてしまうのですが」
飄々と出現した風が、なんの気負いもなしに場の様子を茶化してくる。
頼もしい軍師さまだった。風の口もとが不敵に笑っている。
「もういいでしょう、回りくどいやり方をされなくとも。敵の力量は読めたはずです。となれば一箇所に集めて、手っ取り早く殲滅されるべきなのでは?」
「風。ご主人様の軍師を名乗るのなら、もう少しまともな策をだな」
「いいじゃないですか。物語の英雄には、わかりやすい見せ場が必要なのですから。盧植先生を劇的に救出すれば、お弟子さんである公孫賛さんにも噂は伝わるはずですよね。これ以上の報酬、どこにもありませんよ」
「やろう、二人とも。やり方は、俺に任せてもらおうか」
風の頭をぽんと撫で、堂々と門をくぐった。
見張りの男と視線が合う。息をしっかり吸い込んでから、叫ぶように一刀は言った。
「盧植さん宅にお届け物でーす。署名かハンコをいただきたいので、玄関までお越しくださーい」
「んなっ!? 正気ですか、ご主人様」
「いいからいいから。大立ち回りに備えておいてよ、二人とも」
大音声を聞きつけて、中から数人が飛び出してくる。盧植の姿はどこにもない。あるいは、教え子たちと一緒に押し込められでもしているのか。
「どこの誰だか知らないが、やかましいぞ。盧植は急病で、いまは床で臥せっている。いいから、おまえは帰れ」
「無茶言わないでくださいよ。俺だって、命がけでこの仕事をやってるんだ。盧植さんに会わせてもらえないなら、悪いが力ずくで通してもらうよ」
「はっ……? こいつ、なに言って……」
一発もらったお返しとばかりに、応対に出てきたひとりを殴りつけた。強引にでも流れを引っ張り込む。多少数がいようと相手が格下なのだから、風の献策は理にかなっているように思えてくる。
考えるのが面倒になって投げ出したように感じなくもないが、いまは身体を動かすだけだった。それに拘束から解放されて、愛紗も活き活きとしていて愉しそうだ。
「おまえ、この頭巾がなんだかわかっていないのか。泣く子も黙る黄巾党だぞ。それを、うおっ……!?」
「知らないよ、少なくとも俺はね。天の御遣い一行が、小悪党に凶報を届けにやってきたのさ。そっちこそ、大人しくしてもらおうか」
「どけいどけい! 天の御遣いであることを示す純白の衣に歯向かえば、貴様たちの身に罰が下るぞ」
「やっ、ちょっと……。愛紗さんが完全に暴走していますけど、大丈夫なんですか一刀さん」
「こうなったら、出たとこ勝負だ。盧植さんを救うまでやりきるぞ、凪」
「は、はいっ! そうと決まれば、自分も……はあっ!」
立ちはだかる人垣をなぎ倒し、盧植目指して三人が邁進する。二十人は倒したところで、ようやく奥の部屋にたどり着いた。
怯える子供たちを背に、壮齢の女性が剣を握ってどうにか耐えている。覇気のある眼差し。母性あふれる大きな胸。史実上の有名人の性別が違うことに、いまさら驚いたりはしない。間違いなく、この女性こそが盧植なのだと一刀は確信していた。
「盧植さん、ですね。お届け物に伺ったのですが、出てきていただけないので勝手にあがらせてもらいました。ここまでの敵はすべて片付けておきましたので、あとは」
「えっ……? ほ、ほんとうに?」
「逃げ遅れた教え子さんも、無事です。ですから、少しも遠慮をすることはありません」
乱戦につぐ乱戦だったが、疲れはなかった。呆気にとられている残りの敵を、盧植と協力して制圧していく。
最期まで刀を抜くことはなかった。必要に迫られるほどの相手ではなかった、ということもある。
この世界で目覚めてからすぐに、はじめて人を斬った。相手はなんでもない野盗で、武器を持っていなければ刀を使うことはなかったのだろう。はじめは、意外となんでもない自分がおそろしく思えた。それから、自分同様に襲われていた風を助けるために、再び人を斬った。その際、妙に素早く駆けつけた衛兵から、殺しをしたことで追いかけ回されたのだ。だからこそ、悪党を斬ることに躊躇はなくとも、慎重にはなる。
そして、なし崩しにはじまった二人での逃避行は、やがていまの四人旅となった。
外に出て、風と一緒に隠れていた女の子と合流する。盧植さんの安心しきった顔を見ていると、ほんとうによかったと思えた。
これにて、一件落着か。そう思っていた矢先、盧植さんがなにかを捜してあたりを見回していることに気づいた。もしかすると、逃げ遅れた子供がほかにもいたのかもしれない。
「あっ。あの子、りんり……張飛ちゃんを見ませんでしたか」
「ちょう……ひ? その響き、それってまさか」
ちょうひ。チョウヒ。張飛。
盧植の口から出てきた想定外の名前に、つい愛紗の顔を見つめてしまう。桃園の誓いによって結ばれた義兄弟。ただし、肝心の劉備の姿はどこにもないままだ。
ちょっとあどけなさのある雄叫びが聞こえる。自分たちに向かって突撃してきたのは、小さな赤い塊だった。
張飛であることを確信させるだけの勢いがあった。小さな女の子が、背丈の倍どころではない得物を軽々と振り回す。咄嗟に、愛紗が青龍偃月刀で迎撃して火花を散らした。
「張飛参上! おまえたち。盧植先生やみんなに手を出したら、命はないと思え、なのだ!」
悪を打ち倒す正義のヒーローとばかりに、張飛が大声で名乗りをあげる。
思わぬ強敵の出現にも関わらず、愛紗は笑っていた。