ボクは引っ越すことにした。新宿から数駅のところで、通うのが楽になった。でも、大学のそばのもともとの部屋も、借りっぱなしのままにした。お金の問題はない。まだ、未練があった。大学はもうほとんど行かなくなっちゃったけど、やめたわけじゃないし。
大体、親に対しては、まだちゃんと大学に行ってるふうを装ってる。いつかはバレるとは思うけど、放任主義なおかげで、今のところ誤魔化せてるだけだ。こんなバカな息子でごめんなさい。でも、どうしたらいいか、正直わからない。
ただ、すべてにおいて、先送りしてるだけ。
そのうち破綻するのは目に見えてるけど、もうそうなったらそうなっただ。
カフェとデリのふたつを、カオルといおりとして掛け持ちしてる。徐々にカフェの時間が減り、デリがメインになっていったけれど。
でも、別人になるのが、こんなに楽しいこととは知らなかった。
表を変えると、裏まで変わってくるもんなんだね。今はまだ、カオルが自分だという思いがあるけど、ずっと続けてたら変わってくるんだろうか。ふたりの境界が溶けてあやふやになりそうな予感もする。
はっきりと明瞭な「個」なんてはたしてあるのか、ボクは疑う。昨日のボクと今日のボクは、今日体験した出来事によって、違うボクになってるはずだ。どう変わるかなんて、未来予知ができなければわかるわけがない。
ボクはふわふわ流され、色や形を変えていく。時間と空間の流れのなかで、外の世界との境界もあいまいになり、やがて世界に吸収されて、消えていくんだろうか。
そうだったらいいなと思った。
ボクは世界で、世界はボクだ。いいも悪いもなく、正と誤もなく、広く、薄く、透明になっていく。
デリのお客さんは、若い人はあまりいない。エッチに関しては、そりゃ若い方がいいのは確かだけど、おじさんも好きだよ。若いボクと話をしたいという人が結構いて、時間いっぱいプレイしなくてすむことも多いので、助かる。人生経験が豊富だからか、話題の幅も広いし、面白い。相手が男だと思えば、やっぱり話しやすいみたい。
たまに若い人が来れば、それはそれでうれしい。
もしかしたら、ボクは風俗の才能があるのかもしれない。あるいは、徹底的に向いてないのかもしれない。
よほどのことがない限り、ボクは相手に恋をすることができる。その場限りの愛。恋愛のシミュレーションがうまいということなんだろうか。1時間半だけ、その人に恋をし、そしてまたすぐに次の別の人に恋をする。
自分が気持ちよくなるより、相手が気持ちよさそうにしてるのを見るのが大好きだ。いまいちな顔をされたら、本当にへこんじゃう。もっともっとうまくなって、気持ちよくしてあげたいって思う。
乱暴にされるのも嫌いじゃない。モノみたいに扱われるのが好き。
常連さん相手に限るんだけど、特殊なオプションがある。縄とか、手錠とか、そういった類のやつ。大体はボクがお客さんにすることが多いんだけど、たまに自分がされることもあって、そういう時はほんとうにめろめろになっちゃう。
苦しかったり、痛かったりするのがたまらない。
でも、あんまり人に言うことじゃないね、これ。
ただ、仕事は本当に疲れる。暇な時間も結構あるけれど、基本的には激しい肉体労働だから。手を抜いてがっかりされたら悲しいから、その場限りだと思って、必死にがんばる。ひと仕事終えたら、ぐったり。少し休んで、次の仕事でさらに疲れ果てる。あんまりないけど、3人目となると、もう体に鞭打つ感じ。でも疲れた顔は見せたくない。身体的にも、3人で限界だ。
他の子たちは、もっとうまいこと手を抜いてやっているのかもしれない。
それに、具合が悪くなることもよくある。風邪をひいたみたいな感じだけど、まあ大抵は一日寝れば回復する。
男の娘カフェと違って、デリではあまり他の子たちとは話さなかった。ボクは、多分毛嫌いされてたと思う。
しばらく仕事を続けていくうち、ボクはこのお店で一番お客さんをとれるようになった。指名じゃないお客さんも、よく回してもらえた。
ボクは店長のお気に入りで、えこひいきされてた。ボクが一番若かったし、自分でいうのもなんだけど一番かわいかった。それに時々裏で、してあげてたから。
他の子もうすうす感づいてたかもしれない。嫌われるに決まってるよね、そんなの。
そんなに人数はいなかったけど、時にはみんなで飲みに行ったりもしてたみたいだ。ボクは一度も誘われたことはなかった。みんな待機室で楽しそうに話してても、ボクは一度もその輪に入らなかった。入れてもらえなかった。ボクが近づくと、みんな黙った。目立った嫌がらせみたいのはなかったけど
別にボクはそれでよかったんだ。
思うに、竜野さんに嫌われたくない一心で始めたこの仕事だけど、自分への罰みたいに思ってたのかもしれない。お金なんて、必要な分以上は別にいらないし。
でも、仲良くはなかったけど、お店の子たちみんな、ボクは好きだった。似たもの同士だもんね。こんなところでとてもきつい仕事をしてるけど、みんな幸せになって欲しかった、男の娘カフェの子たちと同じく。
そういえば、夜、受付の部屋で店長に口でしてあげたあと、ふと思いついてナツキのことを聞いてみた。
すっきりした顔の店長は、ナツキのことを知ってて、少し話してくれた。
「そういえば店長、この辺によく女子高生の子がいますよね、セーラー服の」
「ああ、あの子ね、あの子はねぇ…関わらないほうがいいよ」
「?」
「この辺を仕切ってる人がいてね、その人のお気に入りなんだよ」
「風俗嬢なんですか? 高校生なのに?」
「いや、そうじゃなくって、愛人」
「…」
「もし何かあったら、ただじゃすまないからね。ただ、向こうから寄ってくるんだよなぁ、面白がって。だから、あの子には気をつけるようにね。特にいおりちゃんは世代が近いから、興味もたれちゃうと、やっかいだから」
「…はい」
もう関わっちゃったんだけど…。興味も持たれてるはず。
最初に会ったあと、仕事の途中に何度か見かけたけど、向こうから手を振ってきたりすることはあっても、話はしなかった。これからは、それとなく避けるようにしたほうがよさそう。これ以上、あんまり変なことに巻き込まれたくない。
と思ってたんだけど、その数日後、ボクは彼女に捕まってしまった。
仕事の帰り、駅に向かう途中、行く先に彼女の姿が見えた。曲がる道はないし、今から逆戻りしたら、いかにも避けてるみたいになっちゃう。困ったなぁと思いながら、何気なく通り過ぎようとしたら、寄ってきた。
「なんかぁ、避けようとしてたでしょ?」
にやにや笑いながら、語りかけてきた。やっぱり棒付きの飴を持ってぺろぺろ舐めてる。
「そんなことないよ?」
「まあいいんだけどさぁ。今から帰り?」
「うん」
「やったね、今まで仕事の途中みたいだったから、自重してたの」
「そうなんだ」
「なんか、そっけないー」
「そんなことないけど」
やりずらいなぁ。っていうか、この子、絶対自分の立場とか、相手が何を考えてるか、全部承知の上で楽しんでるでしょ。
「あたし、もう学校行ってないし、友だちもいないからさぁ、つまんないんだ、ちょっとつきあってよー」
「これから帰りなんだ、明日は用事あるから、早く帰りたいんだけど」
「いいじゃん、そんなに長くは引き留めないからさぁ?」
「うーん」
「もしかして、店の人になんか言われた? 気をつけろとか?」
「…そんなことは言われてないけど」
「嘘つくの下手! あははは、やっぱりカオルちゃん、かわいいねぇ」
「嘘じゃないし」
「あのさぁ、あたしの機嫌はとっておいたほうがいいかもよ? お店のためにも」
「…」
顔は笑ってるけど、ちょっと不穏さが漂う。やっぱりこの子はやばい…関わりたくないよぅ。でも、こんなこと言われちゃ、そういうわけにもいかないんだろうな…ああ、いやだなぁ。こういうのに巻き込まれたくないよ。
「うそうそ、ごめんごめん。ね、こっち来て?」
ボクはおとなしく従った。
彼女はボクを従えて、すぐそこの雑居ビルの中に入った。小さなおんぼろのエレベーターに乗り込む。ここに部屋でもあるのかと思ったら、最上階まで昇って、さらに階段を上った。重いドアを開けると、殺風景な高い網に囲まれた屋上。都会の空はくすんで、まるで曇りガラスを通して見てるみたいだ。
「この辺のビルのことは、あたし大体知ってるんだ。ここなら、人来ないから」
コンクリートの段差に並んで座った。屋上なのに、見える景色といったら、近くのより高いビルばかりだ。開放感なんて全然ない。まるで疲れきったシュールレアリスムの画家が気まぐれに描き殴ったような無機質の迷宮は、色がない。ボクの胸は灰色の世界の中で、夏の終わりに防波堤に打ち上げられたくらげみたいに、わずかに震える。
「つまんない景色でしょ」
「そうだね。ほんとにつまんない」
「でも、ここがあたしの世界なんだ」
時々垣間見える、彼女の舐めている飴の赤だけが、やたらと鮮やかに見える。このグレースケールの世界の住人であるナツキも、色を失ってしまったかのようだ。ボクはこんなふうになりたくない。色のある世界の住人でいたい。それとももうそんなこと、許されないんだろうか。
「つまんない景色だけどぉ、割と気に入ってる」
「この屋上が?」
「この街が」
「…」
「もともと、家も学校も、つまんなくてしょうがなかった。高校入ったころは、あたしにはどこもこんな感じに見えたの。だから、ここもなんか馴染むっていうか?」
今までどんな生活を、人生を送ってきたんだろう、この子はって思った。
「みんな、あたしを見ると、途端に壁作るんだよね。まぁしょうがないけどさぁ。できるだけ関わりたくないけど、無視したりもできない仕方ないって感じでさ。ネットだったらそんなことないんだけど、それだけじゃあ、やっぱつまんないじゃん?」
「うん」
「キミって、学校とか行ってるの?」
「大学に行ってる。でも、最近は全然…かな」
「どうして? 学校でもそんな恰好なの? いじめられたりするの?」
「学校じゃ、もっとソフトな恰好だった。いじめられたりなんて全然なかったよ。最初は戸惑ったりする感じだけど、慣れれば普通に接してくれたし。かえって気を遣わせちゃうから、こっちが申し訳ないって感じ? 行かなくなったのは、自分のせい」
「そうなの? どうして行かなくなったの?」
「言いたくない」
「そっかぁ」
この子は、こういうちょっとした会話に飢えてたのかな。それで、歳の近いボクに近寄ってきたのかな。こうやって時々少しでも接してあげてもいいかな…
「あたし、女の子同士のきゃっきゃした関係って、いまいち苦手。でも、男の子だと、普通に友だちって無理じゃん? 男の娘だとどうなのかなぁって。あははは」
「…ボクは、女の子と普通に友だちって無理だった」
「そうなの?」
御園さんのことを思い出して、胸がきりきりと痛む。謝りたいけど、二度と会ってくれないだろう。一生、ボクを許さないと思う。
黙ったボクの顔を覗き込むナツキ。
自分の口から飴を出すと、ボクに差し出した。
「舐めて」
「え?」
「これ、舐めてよ」
「いや、それは…」
「いいから早く」
ボクの口元に飴を近づける。いきなり何を言い出すんだ? この子は。
「あたしの言うこときいて?」
「…」
ボクは仕方なく口を開いた。入れてきた飴をそっと舐めてみる。甘い。
その様子をじっと見てたナツキは、飴をいきなり引っこ抜くと、また自分の口に入れる。
「脱いで」
「え?」
「あたしさぁ、男の娘の裸って見たことないの。見せてよ。どんな風になってるのか、見てみたい」
「やだよ! いきなりなに言ってんの」
「あたしの言うことがきけないわけ?」
「…ねえ、無茶言わないでよ」
「働く場所、なくしたくないでしょ?」
「そういうこと言って脅すの?」
「そう、脅迫してんの。まじで言うこと聞いた方がいいよぉ? カオルちゃんだって、ひどい目にあいたくないでしょ? ここでこうしてふたりきりでいるのがバレるだけでやばいの。痛いの、嫌いでしょ?」
「…ひどいよ」
「早くして。そこに立って、全部脱いで見せて」
店長の言葉が頭の中をぐるぐる巡る。ボクはゆっくり立ち上がった。リュックを下ろし、うつむいて、震える手でブラウスのボタンをはずす。
そんなボクの様子を、ナツキは足を組み、頬杖を突いて、にやにや笑いながら見てる。ただでさえ短いスカートがめくれて、中身が見えそうだけど見えない。この子、訳分かんない。ちょっとおかしいよ。どうして一緒にこんなところについて来ちゃったんだろ。無理にでも逃げればよかった。ちょっとでも同情なんてしなければよかった。
ボクは服を脱いでいった。完全女装だから、もちろん下着も女性ものだ。仕事で脱ぐのとは全然違う。ましてや相手は女子高生だ。顔が熱を持ち、紅潮するのを感じた。くそっ、何でタダでこんなことしなきゃいけないんだ。
ボクの下半身は元気になってた。今日仕事前に飲んだ薬の影響が残ってる? それとも、この状況に興奮して? スカートを下ろす時は、さすがに躊躇って、なかなか下ろせなかった。恥ずかしくて、体がわなわなと震える。意に反して、さらに元気になった。大きくなって、下着からはみ出してる。
「うわ、えっろ! あっははは!」
ボクは前かがみになって、手で前を隠した。
「お願い、もう勘弁して…」
「手をどけて、見えないじゃん?」
「もうやめてってば!」
「隠すなよ! 下着も全部脱げ!」
突然のナツキの大きな怒鳴り声に、ボクはびくっとなった。完全に気圧されてた。怖い。
「もう無理…お願い…」
「聞き分けないねぇ。さっさと脱ぎなよ。慣れてんでしょ、人前で脱ぐの」
許してくれなかった。ボクは全裸になった。コンクリートの床に、ボクの服が乱雑に脱ぎ捨てられてるのが見える。ごめんね…ボクの目には、涙がいっぱい溜まってる。
「だぁかぁらぁ、隠すなって言ってんでしょ…うわ、裸だと、もうまんま男なんだ。へえぇ。服着てると女の子にしか見えないのにねぇ、脱ぐと男になっちゃうとか、面白ーい! しかも、結構いいもん持ってんじゃない、興奮しちゃったぁ? そんなに勃起させちゃってさ、あははは!」
こんな屈辱は初めてだった。それも女子高生を相手に! くやしいくやしい、何でこんな目にあわなくちゃいけないんだよ!
なんで自分の身体は、こんなことで興奮してんだよ、仕事で疲れ切ってたくせに!
もうどうしても我慢できず、ボクは裸のままうずくまった。涙が零れて、床を転々と濡らした。
自分の情けなさがくやしい。自分の淫らな身体がくやしい。
「あらら、泣いちゃったぁ? そんなに嫌だったの?」
嫌に決まってんじゃん! やっぱり人をおもちゃにして、遊んでるだけじゃないか。何が面白いんだよ。
「もういいよ、服着て。絶対隣のビルから丸見えだよね、誰か見てたかなぁ、ふふ」
ボクは目をこすりながら、のろのろと服を着た。これもやっぱりバチなのかな。悪いことをした報いなのかな。そうだとしたら、仕方ないのかな…
ビルから出て別れ際、彼女は言った。
「ごめんごめん、今度あたしも見せてあげるから許してね。あー面白かったぁ!」
もう寄って来ても、取り合わないほうがいいのかな。でもそれで彼女を怒らせて、お店に迷惑がかかったら困る。というか、こんなことしてて、ボクは大丈夫なんだろうか。彼女を囲ってる「この辺を仕切ってる人」に知られたら、ひどい目にあわされるんじゃないだろうか。どうしたらいいんだろう…
ボクは暗い顔をして、駅に向かう。でも、ボクの身体は、自分の意思に反してまだどきどきしたままだった。