午前中の2つの授業が終わったあと、ボクはユウキたち数人のクラスメイトと生協に向かい、そこで別れた。1階の食堂でバンドのメンバーと待ち合わせをしているのだ。お昼のサンドイッチを買ってから、待ち合わせの場所に向かう。
メンバー全員との集まりは、これがまだ2回目。
もともと高校の時、気軽なお遊びバンドをした同級生でギターの小野シンジから連絡があり、新しくバンドしたいからベースやってくんないとメールをもらったのが2週間前のこと。
サークルに入ってるわけでもないボクは、OKする理由もないけれど、断る理由も特にない。バイトは週3回でずいぶん割のいい仕事だから、なにかしたほうがいいかなとは思ってたんだ。だから、このバンドの誘いはタイミングもよかった。
自分から立ち上げるほどの気概はないんだよね…
OKの返事をしたらすぐに、1週間後に、適当に最近の曲を決めてあらかじめコピーしておいてから、軽く音を合わせてみようという話がかえってきた。
最初の会合は、シンジ、彼が連れてくる女子2名とスタジオで待ち合わせた。
でも、彼と会うのは高校卒業以来、久々だったことをすっかり忘れてたよ。
「え、誰?」
「吉田だよ」
「うそだろ…雰囲気変わりすぎ(笑)」
「ちょっと心境の変化がありまして」
「体の変化じゃないんだ」
「うん、そっちはまるで変わってない」
「じゃあいいや。いや、なにがいいのかわからんけど。まあ、もともと男っぽさとか無縁な感じだったけどなぁ…まさかなあ」
ボクを見て目を丸くするシンジ。はじめて会う女子2名は、興味しんしんといった感じでこっちを見ている。まあそうでしょうとも。
「キーボードの御園です。経済学部の1年。小野くんとは、知り合いを介して誘われました」
御園マコさんは、小柄で無口な感じの子だけど、癖は強そう。ちょっとサブカル系か、アングラ好き入ってる雰囲気?
「あたしは斎藤。心理学部3年な。ドラム叩いてる」
斎藤リエさんは、長い髪がきれいな人だ。ボクより背が高い。3年だと、やっぱりかなり大人に見える。
「どっちもつてがあってさ、声かけて来てもらったんだ。ちょっとまじでバンドやりたくてさ。で、吉田もベース結構うまかったなって思い出して、連絡したんだけど。まさかこんなふうになりはててるとは」
「なりはてるとかいわないでよ。あ、1年地理学部の吉田です。シンジとは高校の同級生で、ちょっとだけ一緒にバンドしてた」
御園さんはちょっと警戒しつつ、けれども穴があくほどじーっとこっちを見ながら声をかけてくる。観察してるのかな? 視線が痛いってば。そんな見つめないでよ、恥ずかしいから。
「ええっと、男の人ってことでいいんですよね?」
「はい」
「あ、念のためです」
「ほら、喉ぼとけもあるでしょ?」
「そうですね」
心なしか、ちょっと棘がある感じ。
ドラムの先輩、リエさんは、あまり遠慮を感じない荒っぽい口調だけど、ちょっととまどってる感じもする。
「まあなんだ、音楽やってるやつなんて、ちょっと変わってるのが多いからな」
「ですよね、あはは」
快活な精神を写し出すようなきれいな目をしてるなあ。まるで露に濡れ朝日にきらめく黒曜石みたい。ボクが目を向けたら、目をそらした。実は、恥ずかしがりなのかな? その目のきらめきに、ボクは惹かれた。
こんな感じの顔合わせだった。なんでも最初はわくわくと不安でどきどきするなぁ。この感じ、嫌いじゃないよ。
今回、学校内で会うのは初めてだ。
広い食堂のはじっこは、暗かった。
きょろきょろ周囲を見回して、3人を探す。すぐに、こちらを見つけて手をあげ、「こっちこっち」と声をあげるリエさんを見つけた。白地に手描きの絵のプリントの入った簡素なTシャツが、暗い中浮き上がって見える。まだリエさんしか来てないのか。そういえば思い出した、シンジは割と時間にルーズなやつだったわ。
「ほかのふたりはまだですか」
重いベースを下ろして、向かいの席に座りながら、声をかけた。
「ちょっとお昼食べちゃいますね」
「ん。ところでそれって中高の制服じゃん(笑) 女子の」
「ええ」
「吉田くんだったよね、学部どこだっけ」
「地理学部です。斎藤さんは心理学部ですよね。文学部棟遠いですよね」
「リエでいいよ。あと、敬語もやめて」
「でも年上ですし…」
「無理にとはいわないよ。ところで、いつもそういう恰好なの」
「まあ大体。かわいいのが好きで」
「似合ってると思うよ、あたしなんかより、よっぽどかわいいし、女の子っぽいじゃん。むかつく」
「あはは」
「そういうのって話には聞くけどさ、実際に会ったのってはじめてだし、この前はちょっととまどっちゃってね」
いきなりの直球。なんだろうこの男らしさ。でも全然嫌じゃない。心地いいな。ふざけてごまかすわけじゃなく、自分の思ったことを、そのまんま言葉にのせてくる。今まで出会ったことのないタイプの女の人だ。
「まあとまどって当たり前だと思いますよ。」
「声とかもさ、あんまり男っぽくないじゃん。もともと?」
「ほんとはもっと低いんですけどね…声の高低って声帯とか共鳴するところの大きさだから、練習すれば、ちょっとは変えられるんですよ。おさえつける感じで。ボクはまだそんなうまくできないけど」
「管楽器みたいなもんか」
「そうそう。チューバで高い音出しても、トランペットみたいにならないのと同じで、まあ限界はあるんですけどね」
「楽器で説明してもらうとわかりやすいね。あとさ…いやまあいいや。でもさ、そういうのって、なんかすげーロックだよね!」
「え、ロック?」
この人はいきなりなにを言い出すんだ。
「そう! なんかロックっていうと激しかったり、暴力的だったりとかのイメージあるけど、そうじゃないんだよな。なんていうかさ、生の自分をそのまま表現するっていうか、きれいに飾り立てたりしないで、直截的に表現する的な? たまたま暴力的な面がでちゃうのばっかり目立つけど、それはその人の内面がそうだったってだけで、情けない面や恥ずかしい面をそのまま見せるのもロックっていうか」
熱弁しだしちゃった。熱い人だなぁ。かっこいい人かと思ってたら、結構反応かわいいや。ああ、ボク、この人好きだな。ロックについての考えはちょっと古い気がしなくもないけど、一緒に音楽やってみたいかも。どこまでも自分に忠実でいようとして、それを強行する強い意思もある。
自分にないものをいっぱい持ってる気がする。
「ボクは男のくせに飾り立てちゃってますけど」
「あ、いやそうじゃない、それはまた別だろ。そういう意味じゃなくって」
「ふふ、わかってますよ」
「わりぃ、ちょっと遅れた」
そうこうしているうちに、やっとシンジと御園さんが一緒にやってきた。ボクはさっさとサンドイッチの最後のかけらを飲み込むと、まずは一言文句。
「やっぱり遅れたね」
「ごめんて。で、この前ちょっと音合わせてみたけどどうだった? おれはこのメンバーでもうちょっとやってみたいと思った」
御園さんのほうに目をやるシンジ。
「ん、いいと思う」
「ボクもいいよ、とりあえず」
「あたしもいいと思うな。小野くん、歌えるんだよね」
「歌いますわ、もち! で、やっぱオリジナルだよね! 自分一応歌詞書くんですけど…」
やっぱりシンジはすごいなぁ。ギターも歌も結構うまいし、対人スキルが高い。根拠のない自信に満ちてるその姿を見るのは嫌いじゃないよ。うらやましい。
ボクも人と話すのは苦手ってわけじゃないけど、話す必要がないのなら、わざわざ話しかけようとは思わない。シンジはそうじゃない。ますは話しかける。
バンドの方針を話し合った。ほぼシンジが話していたのだけれど。彼は自分のなかで、どういうバンドにしたいのか、イメージはすでにあるんだろう。その確認みたいなものだ。
で、結局、この4人でしばらくやってみること、歌もののオリジナルでいくこと、歌詞は基本ボーカルのシンジが書いて、ボクと御園さんが作曲担当ということが決まった。
御園さんも歌えるみたいだけど、あまり気乗りはしないみたいだ。
とりあえずは歌詞が出来上がるのを待つことになったけれど、いい感じの曲があれば、曲先ということもあり。編成はドラムス、ベース、ギター、キーボードだけど、ボクはサックスも持ってて吹けるので、持ち替えもあるかもしれない。その場合はキーボードにベースパートを任せることになる。
最初はシンジのやる気に流される感じだったけど、具体的なバンドの姿がはっきりしてくると、ボクもだんだんやる気が出てきた。
ボク「やっぱりライブとかしたいよね!」
シンジ「バンド組むんだったら、そりゃライブしないとな」
ボク「下北とか? 吉祥寺あたりでも」
斎藤さん「あたし、下北住んでんだよね。下北でやりたいなあ」
御園さん「文化祭でもやってみたい」
ボク「サークルじゃなくてもできるのかな?」
シンジ「調べてみるよ」
やっぱり目標があると、みんなの気分が一気に盛り上がってくる。
「でさ、ある程度決まったのはいいんだけど、今日は一体なにすんの? このあとスタジオ予約してんでしょ。まだ曲はないわけだけど」
「予約した時はなにも決まってなかったからなあ。先走って予約しちゃったんだよ。まあ、細かいことは気にすんな! 適当に音出して遊ぼうぜ。この前やってみたコピーでもいいし」
「あたしとしても、ちょっと叩きたいかな、スタジオじゃないとできないから」
「やっぱアンプ通して大きな音鳴らすの、気持ちいいよね」
4人で学校を出て、電車でふたつ先の、1回目に行ったスタジオに向かった。もよりの駅にはお店とか、ましてやスタジオなんてないから…
この前コピーした曲や、ブルースで音を合わせてみた。
シンジはソロを弾くとき、ほんと楽しそうだ。センスもいいと思う。性格の軽さのわりに、かなりクレバーなプレイスタイルで、特にバッキングはディレイを多用した特徴的なもので面白い。
御園さんは、多分ピアノを習ってたタイプかな? きれいな演奏をする。でも、時折いきなり変な音を出したりすることがある。たまに音を歪ませたりする。普段どんな音楽を聞いているのか、気になる。
リエさんは。パワフルで、音がでかい。それにやっぱり一番バンド経験が長いのだろう、手慣れてる。両利きなのかな? よく左手でハイハットを刻む。音そのものは、驚かすようなことはあまりなく、堅実だ。
ボクは、ベースはフレットレスを使ってる。だからスラップとかピック弾きはしないので、音色・演奏の幅はかなり狭い。でも珍しくもないけど、多くもないから、十分サウンドの特徴のひとつにはなるはず。
全員かなり癖が強いから、すごくおもしろいと思う。メンバー全員あっちこっち違うほうを向いてる感じだけど、まとまれば、他のよくあるバンドとは全然違うものになるんじゃないかなぁ。
これはもっと練習しないと。
それぞれ似たような感触を得たと思う。このバンドはいけそうだって思ったに違いない。スタジオを出るときは、みんな欲求不満みたいなものを感じさせない表情だったから。
スタジオから出て、シンジがカラオケ行こうぜ! とか言い出したけど、御園さんとボクの強硬な反対意見により却下、近くのお店で飲むという話になった。正直助かった。カラオケ苦手。人前で歌うのはイヤなので…
適当なお店に入って、シンジが率先していろいろ頼んでくれる。
御園さんの横に座った。わざとこの位置を狙ったんだ。まだちゃんと話してないの、御園さんだけだったから。
多分、御園さんはまだボクにちょっとひっかかりがあるみたいな気がする。そういうの感じるの、得意なんだ。というか、ひっかかられる側って、そういうの結構敏感に感じちゃうもんなんだよね。向こうが隠そうとしてても。
「やっぱり、バンドの見た目的には吉田くんがポイントだよな!」
リエさんは早くも酔ったみたいだ。大して飲んでないくせに。
「えーやっぱ女性2人では?」
「んなもんそこらへんに掃いて捨てるほどいるじゃん。でも、こんなかわいい男の子は滅多にいない!」
「おれもそう思うわ。最初はびっくりしたけど、これ、バンド的にはおいしすぎるキャラでしょ」
「客寄せパンダにすんな」
「ふ」
御園さんが口をひん曲げて笑う。あ、これ腹黒系? やば。
シンジ「フレットレスとか、あんまりいないしな、ポイント高いよ、やっぱ」
うう、飲み会の話のねたにはなりたくないよ。なんとか、話をボクから横にそらそう。
「そうかなあ。それよりもさ、なんか御園さんも一見普通っぽいけど、実は違うでしょ。」
「違わない」
憮然として答える。あれ? アングラ好きとかじゃないのかな? 話を御園さんにそらしたのが気にさわった?
「いや違うよ、音を聴けばわかる」
「違いません」
「途中でさ、いきなりベッ!って変な音出してたじゃん」
「あなただって、普通のベースじゃないし」
「普通だよ。フレットレスなんて珍しくもない」
「そんな変なかっこしてるし」
「それは関係ないじゃん」
「まあ、それよりさ、歌詞についてちょっと聞きたいんだけどさ?…」
なんとなく、御園さんの口調が刺々しくなってきた様子を見て、さっと話題を変えてくれるシンジ。有能すぎる。絶対出世できるよ、シンジ。
でも、結局こちらはそっちのけで、リエさんと歌詞についての議論に熱中し出すシンジ。そろそろみんな酔いが回ってきたのかな?
御園さんが小声で、でもはっきりとボクだけに向かって話しかけてきた。これは…酔ってるのかな? 怒ってる? わかんない。
「わたし、ほんとにあなたたちのそういうの、わかりません」
あなたたち?
「んー、といわれてもねぇ。好きでしてるだけだから」
「確かにかわいいです。ぱっと見て、最初は女の子だと思った」
「ありがと*」
その言い方が、ちょっといらつかせちゃったみたい。
「目立ちたいんですか。かわいさアピール?」
「目立ちたくはないかな。ただ、こうしたいだけで」
「でもそれでまわりに波風立ててません?」
「まあそれはちょっとあるかも」
「それってわがままですよね」
「どうだろ」
つっかかってくるなあ。正論モンスターかよ。あくまでこっちはかわす一手。そういうの、得意なんだ。
御園さんは、目の前のコップの焼酎を一気に飲み干すと、自分を落ち着かせるように息をふーっと吐き出した。
「高校の時、クラスにそういう男子がひとりいたんです。トランスジェンダーっていうんですか、自分は本当は女の子なんだって」
ほんとは口にもしたくないって感じの、つぶやくような早口。
「ああ」
「わたし、その人のこと嫌いでした。なんか暗いし、人づきあい私より最悪だし、女の子っぽくしようとしてるけど、女子ってそんなんじゃない」
「ん」
それは分かる気もするんだよね。男の子がなりたい女の子って、外側から見て見映えのいいところだけを抜き出した姿なんじゃないかなっていうのは、なんとなく想像できる。女子からしたら、気にくわないんじゃないだろうか。人によっては。
「私には、単にそうなりたいってわがままにしか見えなくって、なんかすごくいらいらした」
「ちなみに、ボクは男だよ。自分が女の子だなんて思ってないし、本当に、ただしたい恰好してるだけ」
「…」
「その子がどういう子か知らないけどさ、まあ誰だって合わない人はいるってことじゃないの。ボクも詳しいわけじゃないけどさ、いろんなタイプの人がいるんだよ、そういう人たちって」
「そうなんですか」
「だから、あなた〈たち〉ってひっくるめられるのは、ちょっとやだ」
「…それは…ごめんなさい」
「ボクも、こういうの病気だー差別だーって主張したりするの、あんまり好きじゃない。だって、自分は別に病気じゃないし、差別とも思わない。確かに変だと自分でも思うけど、それは誰だって変なところはあるし。多分御園さんにも」
そう、ボクは男の子も女の子も好き。やっぱりこれはちょっと変だと思う。これを教えたら、御園さんはどう反応するんだろ。ちょっと興味あるなあ。でも言わないけどね。理解してもらえるかもしれないけど、ハードルがまだ高いかもしれない。生理的に無理とか言われたら、さすがにちょっとダメージくらう。
それに多分、彼女だって、いろいろショック受けたりするかもしれない。
ボクはまだ彼女のこと、あんまり知らないんだから、そんなのごめんだよ。
御園さんは眉をちょっとひそめて、自分を納得させるように言う。
「個性ってことですか」
「そうとってもらえたら、ちょーうれしいかも」
「…そう思えば、受け入れやすいかもです、とりあえずは」
多分、御園さんにもいろいろあるんだろう。身近にそういう人がいたことで、そのことについて考えることも多かったのかもしれない。だから、ボクには御園さんのこういう態度は、全然嫌じゃない。「差別」だとも思わない。
よく知らないもの、はじめて経験したものに対しての反応が、ちょっとぎくしゃくしてしまうのは当然のことだと思う。それをあえてとっ捕まえて、差別だのヘイトだのと声高に叫ぶのは、それはちょっと違うんじゃない? と思う。
というか、理解してもらうための方法論としても、ダメダメすぎない?
自分のことを理解してもらいたいという気持ちはわかるけど、じゃあこっちだって、相手のことをちゃんと理解しようとしてあげないと。
まあ、どの口がこんな説教するんだって話ですけどねー(笑)
「よかった、納得してもらえて」
「とりあえずは、ですけど」
「そういわず、もっと受け入れてくれてもいいんだよ」
「は?」
「あ、いや、そうじゃなくって」
ジト目で睨まれた。
「受け入れてほしいなって。ほら、御園さんも、見かけよりかわいい性格だなって思って」
「…信じらんない」
しまった。失敗した。口がすべった。
はい、今のは完全に自分が悪かったです、ごめんなさい。
その日は最後まで、御園さんはほとんどボクに話しかけてくれなかった。仕方ないね。
でも、ちらちらとこっちをうかがう感触があったので、多分大丈夫、この先、一緒にやっていけると思う。やっぱり話をしないと、人と人の関係なんて始まりすらしないんだと思う。シンジを見習わないと。
たとえ嫌いと思われても、それは意識してくれてるってことなんだからね。