太陽はだんだんと傾きはじめ、じりじりとした日差しがより一層廊下を照りつける。額からじんわり汗が滲む。この周辺地域は冬島なのでローグタウンと比べれば夏は涼しいが、近頃それでも暑い気がしてくる。
いくらかの連絡事項をこなしたのちに医務室に向かうと、頭に包帯を巻いたジミニがベッドのへりに腰掛けていた。傷口を冷やしている。包帯の巻き方が歪だ。どうやら自分で巻いたらしい。当直の保険医は白昼堂々と隣のベッドでイビキをかいている。
「スモーカー中将」こちらに気がついたジミニが立ち上がる。怪我人のくせに律儀なやつだ。
「いい、立つな。休んでろ」
「ありがとうございます、座ったままで失礼いたします」
ジミニを座らせると、安いパイプのベッドがきしりと音を立てた。
「何があった」
「それが……」
ジミニの説明によるとこうだ。昼食を取りに食堂に行くと、ひどく酔っ払った男たちがいた。周りに向かって怒鳴り散らしては酒をラッパ飲みするような状態だったらしい。規則によって勤務中の飲酒は禁止されているし(ただしここの海兵の間ではあってないようなルールだ)、あまりの荒れように声をかけたところ、特に酔っ払ってた男が絡んできたそうだった。
ありそうなことだ。まして新参者ならターゲットになりやすい。ルールを守れない連中をシメるのは将校として正しい判断ではあるが、そのようなやり方ではここでは身が持たないだろう。ここは海軍の中でも特にイレギュラーな支部なのだから。
「ここァ本部みてェに大人しい連中ばかりじゃねェ。自分の身くらい自分で守れ、なぜ覇気を使わなかった」
なぜ覇気を使わなかった、ですか。とジミニは口の中でつぶやいて、やがて答えた。
「それは、私の中の信念に反するからです」
「信念、」
はい、とジミニは淡々と、しかし言葉を選ぶようにはなした。戦うものにには不釣り合いな、大きく細い指が組まれる。
「軍隊という組織はトップダウンが常です。部下は上司に従い、またその上司は部下に従う……たとえその命令にどのような矛盾があったとしても。ですが、果たしてそれでいいのか、と私は思うのです。そのような組織は……暴力性をもって集団を統治する組織は、一度歪みが生まれたら元には戻れない。しかしいちど部下から上司への突き上げが許されてしまったら、軍隊としての統率力は無に帰すでしょう。軍としての統率を守りながら、歪みを柔らかく解消していくためには、私のような命令系統における中間の人々は進んで板挟みにならなければいけないと思うんです。そのためには部下に信頼されなくてはならない。覇気は敵につかうものであって、部下に使うものではない……だから覇気は使いませんでした」
一つ一つの言葉を噛み締めるように話すジミニの目は澄んでいた。
それは純粋で眩しく、同時に不安要素を孕んだ目。
若い。
思想自体はご立派なことだ。しかし現実にそれを遂行することは自殺行為に等しい。ましてやこのむさ苦しく立場とメンツに雁字搦めの海軍においては。
「ーーそうか」
だが、現状に甘んじないその様は気に入った。
あの人が目をかけた男なだけはある。
「だが最低限の自己防衛策ぐらい取れ。緊急時に将校が動けなきゃそのご立派な大志も役にたたねェ。……話は以上だ、手当が終わり次第従事可能な職務に戻れ」
承知いたしました、と律儀に返事をするジミニを背に医務室を出て、執務室へと足を向ける。
廊下から差し込む光がいよいよ斜めに傾いてきた。夕方が近い。
階段を上がり、執務室の前に向かうとたしぎが待機していた。
こいつによると、捕まえた主犯格はひどく憔悴しており取り調べができる状態でもなかったため、そいつを囃し立てた3人の取り巻きたちを取り調べるために執務室に呼び出したらしい。手間が省けた。
執務室に入ると、すでに男たちは中で待機姿勢を取っていた。連中は一様にもじもじと落ち着かない様子で目を泳がせている。
がたり、と執務室のチェアを引き、どかっと座る。
「では、聴取を始める。申し開きがあるなら言ってみろ」
「申し開き……って〜〜とよォ、スモーカー……中将……」
「お前たちは基地内の決闘および暴行の煽動をした宗で軍法会議にかけられる。その資料を作るのに必要だからな」
「軍法会議……!?」
「スモーカー中将、そりゃねェっすよ!」
軍法会議という言葉で3人は一様に顔を青くした。軍紀に違反した海兵は軍法会議にかけられ、懲戒処分を下される。普段の暴行程度ならばともかく、上官を巻き込んだ騒動に発展した以上、なんらかの懲戒、最悪は2階級降格もありうるだろう。
「だから言い訳の余地があれば言ってみろつってるんだろうが。自分が潔白だと思うならてめェで証明してみせろ」
海兵たちは何かを確認するように、一様に顔を見合わせた。手元が落ち着かず手を揉み続けている。
「だってよォ、……ジミニの奴、デカいツラしすぎてると思いませんか?」
「……そうだ、まだ来てちょっとしか経ってねえ癖に上司でございって態度取りやがって」
「たしぎちゃんは謙虚で可愛かったけどよ、女みてえなツラした野郎の士官なんざ、気色わりィぜ」
連中が誤魔化しのような含み笑いを浮かべる。昼間だというのにずれた歯並びの隙間から鼻のひん曲がるような口臭と酒気が漏れた。しきりな目を見合わせながら、自信なさげにお互いの意見を確かめ合っている。
卑怯な仕草だ。よくも悪くもG-5支部には威を借るほど頭の回る人間は少ないとは言えど、立場を誇示するために新入りに凄んでは上官に睨まれて無駄な弁明を繰り返すタチの人間はどこにでもいる。最初から近寄りがたい雰囲気のある人間には楯突かないが、ジミニのような柔らかい印象のある男には格好の八つ当たり相手だったのだろう、厄介な連中に絡まれたものだ。
「聞くまでもねェ言い訳だったな。それじゃあとっととーーーーー」
「そ、それにあいつ、実際オンナみてえなもんだろ、……だって、クザンさんとヤってたって」
ーーーーは?
「ギャハハ!野郎、上司にマンコで媚びてたのかよ!」
「気色わりィ!どおりでマンコ臭えわけだぜ!」
連中が下卑た罵倒文句を並べ立てながらジミニを嘲笑うが、その全てが俺の耳を通り抜けていく。
あの男と、クザンとジミニが関係を持った?
まさか。あの男は男色のケはなかったはずだ。
確かにクザンは好色で、道ゆく女を口説こうとしてはひっかけ続けていた。
しかし、男を抱いたというのは聞いたことがない。……いや、こんな噂はそもそも事実無根に違いない。きっと根も葉もない、士官上がりのイジメの一種だろう。
……だが、あの男なら。
あの青い瞳の男ならば、あるいは。
ジミニの冷たく青い瞳に映るクザンの涼しげな目元をを頭に思い描くと、ぐるぐると血が逆流するような目眩を感じる。
こんなに動揺するのはいつぶりか。
……おれはここまで動揺するほどあの男を愛していたのか。
わななく手をぐっと握りしめると、手の中で鉛筆がばきりと悲鳴を上げた。
「ひッ!」
3人は一斉に悲鳴をあげた。
「……馬鹿なことくっちゃべってんじゃねェぞ」
じりじり焼ける頭でかろうじて言葉を紡ぐ。
目の前の3人は、自分たちがおれを怒らせたと勘違いしたようで、青ざめた顔でこちらを伺っている。普段ならば勝手に勘違いして随分結構だが、いまはその頓珍漢なリアクションさえ腹立たしい。
「ジミニ中佐に対する誹謗中傷を自らご丁寧に報告するとは真面目なもんだ。……次の取り調べまでお前らも懲罰房で大人しくしておけ」
そうでなければ、わかっているだろうな。
「ひィッ!!し、失礼したァッ!!」
わざとぎっと睨みつけると、3人はすくみ上がりながら一目散に執務室から出ていった。
ばたん!と音を立てて執務室の扉が閉められるのを確認して、ぎい、と椅子に深く腰掛ける。
煙を大きく吸い込み、吐き出して、目を閉じる。
想定以上に、キている。
あの男の喪失は俺の中でそれほどまでに大きい出来事だったのか。
どうしようもなさに頭を抱える。
新兵時代から追いかけてきた広い背中を目で追いかけ始めたのはいつからだったか。ーー随分と昔すぎて、思い出すことができない。だが、自分の思いを自覚すると同時に、彼が俺に振り向かないことも理解して、胸に気持ちを抑え込んだことだけは確かだ。
それが、男と付き合っただと?
ーーいや、あの噂を鵜呑みにするつもりはないが、しかしーー
あの男のことになると冷静さを欠いてしまう自分が許せない。妙に湿っぽくなってしまう思考が情けない。
ーーなにより、これ以上思考を深掘りしたら、触ってはいけない何かに触れてしまう気がして、恐ろしかった。
被りを振って雑念を追い払おうとしたとき。
こつこつこつこつ。
不意にノックの音が聞こえた。
ノックの音は四つ。
三つでも二つでもなく、四つ。
……今1番会いたくない男の来訪を告げる音に、眉間の皺が深くなる。
「入れ」
自分で思ったより随分と苦々しい声が出て顔を顰める。
続け様に、失礼します、という凛とした声。
がちゃりとドアノブを捻って、ジミニが入室してきた。包帯を巻いた頭は痛々しいが、歩ける程度には回復したらしい。メガネの奥の目を伏せて、思案顔をしている。
「市内パトロールの報告をお渡ししようとしていたのですが、先客がいらしたので」
「……いつから聞いてた」
「……皆さんが私のことをお話になる頃から」
つまりほぼ最初から聞いているということか。
頭が痛い。G-5の連中の連中のつまらない足の引っ張り合いの醜さは本部のそれとは訳が違う。下世話な話題と男らしさの意地の張り合い。今回の騒動も低レベルな尾ひれがついて発展したのだろう。ましてこのあるく品行方正のような男がその渦中になるとは思ってもーーー
「気になりますか」
ジミニの声が思考を遮った。
「あ?」
虚を突かれて顔を上げる。
ジミニはメガネの奥の目を伏せている。
そして、おれの目を見つめて、言い放った。
「……私がクザンさんと、そういうお付き合いをしていたか、気になるんですよね?」
静寂。
ジミニは獲物を見据えるジャガーのように、こちらの出方を伺っている。
執務室を通り過ぎる海兵たちの話し声も、わずかに聞こえる街の喧騒も全てが遠のいていく。
戦闘中の興奮状態に意識が研ぎ澄まされていくのとは似ているようで全く違うそれ。
言葉一つで、何かが決定的にかけ違うだろう、という直感めいた確信が体を支配していく。
「ーーそれをおれに言ってどうする」
形勢逆転。
否ーージミニをこの部屋に入れた時点で、ジミニの目を見つめた瞬間に、おれは劣勢に追い込まれていた。
「不思議だったんです。スモーカー中将……。あなたは普段人の目をまっすぐ見て話されるのに、僕の目はしっかり見てくださらないのが。」
ジミニは一言一言、区切るようにかたりかけてくるにつれて、どくどくと心臓が早鐘を打つ。
机を挟んだおれとジミニの距離はせいぜい一メートルはない。お互い手を伸ばしているわけでもないのに、おれだけが裸にされていく感覚。
脂汗が滲む。
「私の目、人にはない色をしているでしょう。そのせいか、波長が合う人間にはちょっとした『暗示』をかけられるんです。だから昼間のようなことができる。きっとあなたはそれを無意識に感じていて、目を背けているのだと思っていた」
でも、これで全てがつながりました。とジミニは笑顔をつくった。
普段通りの優等生らしい柔らかな笑顔が笑顔が許せない。
冷静沈着であることを常に意識して生きてきたにもかかわらず、主導権を奪われて一方的に乱されているおれが許せない。
「クザンさんと私の話が出た瞬間の感情の昂りを見聞色で"見"れば嫌でもわかるーー私の目の色、アイスブルーっていうんですって。ねえ、スモーカー中将、貴方、僕の目の色のことーー」
「やめろ」
もう限界だ。
これ以上、おれを暴かないでくれ。
敗北を悟った鼠の様な弱々しい声が漏れる。
ジミニは満足げに目を細めた。
「……はは、貴方らしくもない。普段の威勢が形無しだ」
上官相手に舐めた口を利くのを咎めることさえできない。海楼石にあてられたときのように体が言うことを聞かない。
それでも、ジミニの双眸から目を離すことができない。
奴の青に/あの男の青に、凍てつく様に包み込まれていく。
ジミニは冷え冷えとした青をたたえた瞳を瞬きさせ、執務机の天板に座り、半回転してこちらに向き直った。
距離はわずか数十センチ。
胸ぐらを掴み上げるなら今しかないと思いつつも体が言うことを聞かない。これが奴の言うところの暗示なのか──?
「まあ、私は構わないんですよ」
ふい、とジミニに視線を逸らされて、呼吸が少し楽になる。蛇に睨まれた様な、心臓を鷲掴みにされている感覚から逃れて、大きく深呼吸をする。
「何が、構わねェって?」酸欠気味のぐらぐらする頭で繰り返す。ダメだ、全く頭が働かねェ。
「慣れてますから。"そういう"目で見られること」
"そういう"目。嫌に含みのこもった言葉に顔を顰める。先ほどから平静を狂わされていることがわかっていても、その様なことを言われたら平静を保てるわけがない。おれはーーよしんばかの男をジミニの瞳に見ていたとしてもーー奴自身をそんな目で見たことはない。
ない、はずだ。
「……何を、言ってやがる。部下を性的な目で見たことなんざ一度もねェ!」
苛立ち紛れに吐き捨てる。
ジミニはそんなおれを鼻で笑った。
「はは、気がついてないんですか?顔真っ赤だし、目もじんわり潤んでーー丁度あの人なら『エロい顔』とかって揶揄するところでしょうね」
「何を、」おれが、そんな顔を?
ジミニの青と目が合う。再びからだがきりきりと締め付けられる。
「畢竟、クザンさんを通して私の目を性的に見ていたんでしょう。その罪悪感が貴方の目を逸らさせたんだ」
性的に?
頭が真っ白になる。
気づきたくなかったことに気がついてしまったーーいや、気が付きたかったからこそ隠していたのか。
全ての音が遠のいていく。
おれと、奴の目しか存在しない世界に放り込まれる。
ジミニの顔が近づいてくる、執務机から腰を上げ、おれの膝に馬乗りになり、体にしなだれかかる。やめろ、とうわ言の様に呟いてみても、からだが痺れて動かない。
怜悧に、しかし熱を持ってギラギラ光る二つの瞳から目が離せない。
いよいよ鼻が接しそうなほどに顔が近づき、アイスブルーに視界をジャックされる。咥えた葉巻は取り上げられて、後ろ手に灰皿に押し付けられた。
血流がぐるぐる逆流している様な感覚。
異常な空気感に、呼吸が浅くなる。
恐怖とも恍惚ともつかない感覚。重力の逆転。
海に飛び込む様な恐怖、空に飛び立つ様な高揚感。
青のイメージが頭の中を乱反射して頭が情報量に追いつかない。
「そんなに怯えないでくださいよ、」
傷つくなあ、とジミニは笑った。くつくつと声をひそめて笑う音が反響して聞こえる。
ジミニがおれの耳に唇を寄せる。
「『おれ』」に見られるの、好きなくせに」
視界が揺れる。
全く似ても似つかない声が、しかし脳内でそっくり変換されている。聞こえるはずもないバリトンボイスに体を侵食されて、頭が急速に茹っていく。
「クザン、さん、」
どうにかなっちまいそうな身体をどうにかして欲しくて、たすけてほしくて、ドロドロになった思考ともつれる舌で、唯一出てきた言葉を呟く。
こんなことをあの男に求めているわけじゃない、ちがう、でも、ただこの迸りから解放されたい。それだけなのだ。
言い訳じみた思考を繰り返すおれをよそに、膝に跨った「クザン」は、うっそりと笑って、おれの頬を撫ぜた。頬から顎へ、首筋から胸筋の谷間を通り、腹筋を超えて臍をくすぐる。触れられたところからじわじわと体は熱を持ち、すっかり出来上がった身体を苛んだ。
目を細めながら臍の毛を弄ぶ「クザン」を見つめる。本人には似ても似つかないのに、身体はーーそして心も、こいつがかの男だと認識してしまっている。
ふと「クザン」が顔を上げた。視線がかち合うたびにびりびりと背筋に快感信号が走る。
「クザン」はおれの目を見据えて、微笑んだ。何を望んでいるかお見通しだと言わんばかりのしたり顔。
腹を撫でていた手がするすると下に下がっていく。期待と恐れで歯の根が合わない。
「こーんななっちゃったね、『スモーカー』……『おれ』、まだなぁんにもしてないけど」
男に決定的なそこを握られて、喉奥で小さな悲鳴を上げる。十分に兆したそこはみっともなくズボンを押し上げて、意地汚く涎を垂らしていた。
「は、ッ………」
「見られて気持ちよくなっちゃったんだ」
「クザン」は挑戦的な目でこちらを見ている。
瞳のぎらつきがより一層強まって、熱がより一層高まっていく。
「腰揺れてるじゃないの。男の硬い手にちんこ擦り付けて楽しい?」
楽しいかよクソ、と心の中で毒づくことすらままならず、口の中で唸り声になって消えていく。ぼうっとした頭がだんだんと射精のことしか考えられなくなっている。今すぐにズボンを脱いでちんこを扱きたいのに、力なく腰をゆすることしかできない。
「はあーーッ、っあ、ゔ、」
力の入らない腕をなんとか持ち上げてベルトを外そうとしても、カリカリとバックルを引っ掻くだけで何もできない。
「脱ぎたいのに脱げないの、『スモーカー』?かわいそ……」
全く哀れに思っちゃいない平坦な声で「クザン」がいたぶるが、そんなことはどうだっていい。早くこの腫れ上がったちんこを扱いてこの熱から解放されたい。
「……脱がせてあげようか?」
「クザン」がこつこつと人差し指でベルトのバックルを叩く。くて、と腕を脱力させると、男は慣れた手つきでベルトをくつろげ、男根を引き摺り出した。
「あららら……ご立派だこと」
弾みをつけてまろびでたそれは、血管が浮き出るほど充血して、今にも開放を待ち望んでいる。
「自分で扱きなよ、……見ててあげるから」
促されるままに手をかけると、迸る熱さがジクジクと頭を支配していく。
「はーッ、はーッ、っぐ、う」
快楽のままに男根を握り、上下に扱く。
きもちいい、きもちいい、きもちいい。
あせがぶわりと吹き出して、ひくひくと内股が震える。獣のような唸り声が口から漏れてるのがわかる。
「かっこいい扱きぶり……そんなに気持ちいいんだ、『スモーカー』」
「クザン」が声を顰めてくつくつとわらう。その笑い声すら快感を促進する。
「クザン」に自慰を見られている。あの強くて、賢く、冷たく、熱い男に。
だんだんと「クザン」の声も前景化していくのを感じる。自分の心臓の音と快感と青の視線しか感じない。自分が快楽を受け取るための機械になったような感覚。肉と骨が溶解し、感覚の受容体となった脳みそだけがかっかと熱を持って暴れている。もはやおれはにんげんではない。快感受容体として轟轟と燃えるたましいが、「クザン」の視線によって輪郭を持っているだけの存在として、ただそこにあるだけだった。くぐもった喘ぎ声が反響する、「スモーカー」と「クザン」しか存在しない世界。男が「クザン」としての役を演じ始めた時、おれもまた、「クザン」の部下としての「スモーカー」という役割に耽溺することを選ばされた。
ーー否。おれはじぶんからそれを選び取った。あの瞳に突き動かされたのは事実だが、しかしおれはそれを自ら受け入れたのだ。「クザン」の手の上でいいように転がされていることに、悦びを覚えていると言う事実を受け入れざるを得なかった。
「クザン」は必死になってマスを掻いている俺を見ている。何を見ているかまではわからないが、視線だけは感じる。視線だけがおれを此岸に繋ぎ止めている。
限界が近い。がしがしと乱暴に扱きあげると射精感が込み上げてくる。はくはくと浅い呼吸だけしかできない。
「ッくそ、出る、でる、」
うわごとのように繰り返す。
どくどくと脈打つ男根の感覚、心臓の音、チカチカする視界、その中で、
「いいよ、出しな」
「クザン」の声が一際澄んで聞こえた。
「ッあ、は、ぐゥ、ッぉ、ーーーーー!」
視界がスパークする。
「ッは……随分派手にイったね」
自慰ではーーあるいはセックスでも感じなかった膨大な快感の波が押し寄せて、背筋がそり返る。
ぞくぞくと駆け上がる電流が尾骶から脳まで駆け上がり、脳髄を荒らしまわる。
「かふ、っぐ、ぅッ…、あ」
息を整えようと深呼吸をしようと努めるが、心臓の鼓動に負けて浅い呼吸しかできない。
「クザン」が唇を耳に寄せる。落ち着いたはずの快感がまた這い寄ってくるのを感じて身震いをして、
「……スモーカー中将、おちついて、大きく息をしてください……吸って、……吐いて」
一気に現実に引き戻される。
「クザン」の……ジミニの声に合わせて呼吸を落ち着ける。ぼうっとした頭が徐々に輪郭を取り戻していくと同時にどっと体に疲れが押し寄せてくる。
「ジ……ミニ」
「はい、スモーカー中将」
「……なぜ、こんなことを」
もっと追求したいはずなのに、疲れの中で眠気が襲ってくる。再びぼんやりしてきた脳みそと落ちかけた瞼を懸命に開いて問いかける。
ジミニは思案顔で目を伏せて、やがてこちらを見ずに答えた。
「……私の信念のためです」
「…信、念?」
「それを叶えるためなら僕はーーー」
ジミニの答えを聞く前に眠気に支配されたおれはあっさりと意識を手放した。
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「どういう了見だ、てめェ」
日もとっぷり暮れ、宿直以外の海兵たちもほとんど宿舎へ帰って行った夜。
見回りから帰ってきたら私はスモーカー中将の執務室で、彼に胸ぐらを掴まれて壁に押し付けられていた。
つま先がかろうじてつく程度に持ち上げられているのは彼なりの優しさかどうか……,
まあ、夕刻の一件を振り返ればこうなるのも無理はない。
「言ったはずです、信念のためだと」
「さっきの出来事をダシにおれを脅すのが、か?どうせ電伝虫で記録でも取ってんだろ」
自分で決めた道とはいえど、そう言われると罪悪感が痛みを訴える。私は彼の特にプライベートな領域を踏み荒らした挙句挙句猥褻行為に及んだのだから。どう言い訳をしても犯罪行為に他ならないーーしかし、覆水盆に返らず、もう走りだしてしまった計画を止めることは不可能だ。
「ええ。海軍において同性愛は御法度ーーそうじゃなくても名声に大きく傷をつけることはできるでしょう。まして地位ある立場の貴方が当事者なら尚更」スモーカー中将が眉間の皺を深くする。ただでさえ険のある顔が余計に迫力を増す。
正直なところ、怖い。しかし、ここで引いてしまったら元も子もないのだ。スモーカー中将をきっと睨み返す。
「そうだろうな。まして今海軍本部は青雉派を次々と本部中枢から追い出している。おれは新世界に入る"麦わら"を追うのに都合がいいから異動に乗ったが、きっと次に異動を喰らうなら容赦なく窓際行きだろうよ」
随分鼻が聞くもんだ、とスモーカーは鼻で笑った。
「……おれとクザンに対する件は本当に今日知ったのか」
素直に頷く。ここで嘘をつく必要はない。
「本当に今日、通りがけに聞きました」
スモーカー中将は頭を抱えて、葉巻を吸い、吐いた。煙が直接顔にかかり、苦い香りに咽せる。
スモーカー中将はパッと私の襟口を掴み上げている手を離した。
「うわ」
突然手を離すものだから、バランスを崩しながら尻餅をつき、足を挫いた。軍人としてあるまじき失態だ。少し恥ずかしい。
挫いた足の様子を見る私を見下ろして、スモーカー中将は問いかけた。執務室のランプが逆光になって、うまく表情が読めない。
「……何をするつもりだ、ジミニ」
私はスモーカー中将の目を見つめ返して答えた。
「……全ては私のーー僕の為す正義のために」
沈黙。
平日の夜だからか、人通りの少ない街からは賑わいは消えて基地にもほとんど人はいない。
「ジミニ」
スモーカー中将は私の腕を手に取って、無理やり立たせた。挫いた足がぴりりと悲鳴を上げるが、気にしていられない。
「お前は何か馬鹿をするような奴だとは思えねェ。嘘をつく人間だとも思わん。先の発言を見ても、これまでの実績を見ても、……あのクザンさんに信頼されていたなら尚更な。だがジミニ、何をするかは知らねェがおれの目が黒いうちはてめェに勝手はさせねェーーおまえはおれを脅す口実を得たと思っているだろうが、おれは怪しいヤツを見張る口実ができたんだ」
そうくるか、と思った。大抵の人間は弱みを、それも性的なアイデンティティを揺さぶるものを握られたらそれだけで動揺するものだが、やはり中将ともなれば格が違う。
だが、この問題を内々に解決させることに乗ってきたことは好都合だった。ここで他所に私のやったことを報告でもされようものなら、私は一巻の終わりだった。まあ、そのアウトローな姿勢と正義感を含めてこの男をターゲットに定めたのだけれど。
「……いいでしょう。望むところです」
そういって挑戦的に微笑んで見せると、スモーカーはフン、と鼻を鳴らした。
「今日のお前の動機はよくわかった。……明日から覚悟しておけ」
スモーカー中将はそう言って、私を押し除けて部屋を出て行った。
スモーカー中将に続いて部屋を出て、退勤しようとロッカールームへ向かう。
しんと静まりかえった廊下に、革靴の足音が反響する。
ロッカールームの入り口で、出て行こうとするスモーカー中将とすれ違う。
じり、と緊迫した気配が混じり合い、離れていく。
後ろを振り返ると、スモーカー中将の大きな背中が遠ざかっていくのが見えた。
この大きな背中を超えて、僕は強くならなかえればならない。
頭の中でもう一度誓いを口にして、胸に十字を切る。
かくして戦いの火蓋は切って落とされた、と言うべきだろう。
私はーー僕は、実現しなければならない。
僕の正義を。
そしていまの海軍の正義をひっくり返さなければならない。
そのためなら、手段を選ぶつもりはない。