※この作品はR-18です。

悪役令息はママが好き   作:埴輪庭

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冒険者になろう!②

 ◆

 

 朝食の席でハインはヘルガに告げた。

 

「母上、今日は終日鍛錬に励みます」

 

 今日明日と学園は休みだ。

 

 ヘルガは優しく微笑んだ。

 

「今日は学園はお休みだものね。でも、あまり無理はしないでね」

 

「はい、母上」

 

 ハインは恭しく頭を下げた。

 

 幼少の頃から、ハインは鍛錬と称して朝から晩まで外出することが多々あった。

 

 剣術、魔術、体術──あらゆる修練に没頭する息子の姿を、ヘルガは誇らしく思っていた。

 

 だから今日も、特に不審に思うことはない。

 

「フェリも同行させます」

 

「そうね、それなら安心だわ」

 

 ヘルガはフェリに視線を向けた。

 

「フェリ、ハインをお願いするわね」

 

「承知いたしました、大奥様」

 

 フェリは深く頭を下げた。

 

 もちろん、ヘルガは知らない。

 

 二人がこれから向かうのが、冒険者ギルドだということを。

 

 アステール公爵家の借金返済のため、ハインが冒険者として金を稼ごうとしていることを。

 

 母上に心配をかけるわけにはいかない──ハインはそう考えていた。

 

 朝食を終え、ハインとフェリは屋敷を出た。

 

 屋敷から十分に離れたところで、二人は路地裏に入り、ローブを羽織った。

 

「母上を欺くのは心苦しいが、仕方あるまい」

 

 ハインは呟いた。

 

「大奥様のためでもあります」

 

 フェリがそう言って、フードを深く被る。

 

 学園が休みの日にしか冒険者稼業はできない。

 

 時間は限られている。

 

 だからこそ効率的に、そして確実に成果を上げなければならない。

 

 ◆

 

 帝都ガイネスフリードの下町。

 

 石畳の道を挟んで雑多な店が並ぶ通りの一角に、冒険者ギルド帝都支部はあった。

 

 三階建ての堅牢な石造りで、入口には剣と盾を交差させた紋章が掲げられている。

 

 その扉を黒いローブに身を包んだ二人の人影が押し開けた。

 

 一人はフードを深く被った青年。

 

 もう一人は同じくローブを纏った女性だが、フードの隙間から銀髪が僅かに覗いている。

 

 ハインはギルド内部を見渡して舌打ちした。

 

 酒臭い。

 

 汗臭い。

 

 そして何より、劣等の臭いが充満している──そう感じていた。

 

 木製のテーブルがあちこちに配置され、その周りで冒険者たちが酒を飲み交わしていた。

 

 壁には依頼書がびっしりと貼られた巨大な掲示板。

 

 奥にはカウンターがあり、受付嬢が忙しそうに書類を捌いている。

 

「FUCK……」

 

 ハインは小声で呟いた。

 

 FUCKとは古代リカーノ語で“糞ったれ”を意味する。

 

 誇り高いハインにとって、劣等空間に身を置くことは苦痛でしかないのだ。

 

 隣のフェリがそっと肘で小突く。

 

「アスト様、お声が」

 

「ああ、そうだったな、フェンリィ」

 

 アスト──星を意味する古語。

 

 フェンリィ──夜の森を意味する詩的な表現。

 

 ハインが考えたこの偽名は、安直なネーミングセンスだと自覚していた。

 

 だが、フェリの反応は予想外だった。

 

「その名前は……なぜか、やけにこの身に馴染みます」

 

 フェリがぽつりと呟いた。

 

 その表情には、困惑と懐かしさが混じったような不思議な色が浮かんでいる。

 

 もちろん、フェリがその名前の由来を知る由もない。

 

 "本来の歴史"では、フェリは「フェンリィ」と名乗っていたのだから。まあ“本来の歴史”のフェリはハインによって四肢を切断され、ダルマにされて弄ばれた挙句に殺されてしまったのだが。

 

 ともかくも二人はカウンターへと歩みを進めた。

 

 周囲の冒険者たちの視線が、新参者に向けられる。

 

 品定めするような、値踏みするような、そんな視線だ。

 

「ようこそ、冒険者ギルドへ!」

 

 受付嬢が営業用の笑顔を浮かべた。

 

 茶色い髪を後ろで束ね、ギルドの制服をきっちりと着込んでいる。

 

「本日はどのようなご用件でしょうか?」

 

 ハインが口を開きかけた時、フェリが前に出た。

 

「冒険者登録を」

 

 フェリの落ち着いた声に、受付嬢は頷いた。

 

「かしこまりました。それでは、こちらにお名前をご記入ください」

 

 受付嬢が差し出した書類は、驚くほど簡素なものだった。

 

 名前を書く欄があるだけ。

 

 年齢も、出身地も、経歴も問われない。

 

 冒険者という職業には、過去を問わない暗黙の了解がある。

 

 脛に傷を持つ者、訳ありの者、逃亡者──そういった者たちの受け皿でもあるのだ。

 

 フェリは流れるような筆致で二つの名前を記入した。

 

『アスト』

 

『フェンリィ』

 

「登録料は銅貨二十枚ずつになります」

 

 フェリは懐から銅貨を取り出し、正確に四十枚を数えてカウンターに置いた。

 

 ハインは黙ってその様子を見ている。

「それでは、お二人とも『錆鉄級』からのスタートとなります」

 

 受付嬢が二枚の金属製のプレートを差し出した。

 

 錆びた鉄のような色をした、粗末な身分証だ。

 

「錆鉄級だと?」

 

 ハインの声に明らかな不満が滲む。

 

 冒険者ギルドのランクは下から、錆鉄、銅、鉄、銀、金、白金、そして伝説級の黒金まで存在する。

 

 錆鉄級など、文字通り最底辺だ。

 

 ハインが文句を言いかけた時、フェリがそっと袖を引いた。

 

「アスト様、規則は規則です。皆、最初はここから始めるのでしょう」

 

 フェリの冷静な忠言に、ハインは舌打ちをしながらも納得した。

 

「……まあいい」

 

 その時だった。

 

 どしん、と重い足音が近づいてきた。

 

「おう、坊主。冒険者になろうってのか?」

 

 振り返ると、そこには巨漢が立っていた。

 

 身長は二メートルを優に超え、筋肉が盛り上がった腕は丸太のようだ。

 

 蛮人のような恰好で、腰には手斧を佩いている。

 

 顔は髭だらけで、目つきは鋭いが、どこか人の良さそうな雰囲気も漂わせていた。

 

「帝都の冒険者は甘くねぇぜ。特に錆鉄級なんて、ゴブリン退治や薬草採取ばかりで食っていけねぇ。覚悟はあるのか?」

 

 男の言葉に悪意は感じられない。

 

 むしろ新人を心配する先輩冒険者としての忠告のようだった。

 

 ハインは男を一瞥するとフェリに向かって言った。

 

「佳きに」

 

 たった三文字。

 

 だがフェリは即座に理解した。

 

 ──可及的速やかに等級をあげ、大きく稼ぐための標的を決め、また、目の前の大男をはじめあらゆる障害に対して適切に対処せよ。

 

 そうハインは命じているのだと。

 

 フェリはゆっくりと巨漢を観察し始めた。

 

 つま先から頭のてっぺんまで、まるで品定めをするように。

 

「筋肉量は申し分なし。反射神経も悪くはない。魔力は……微弱ですが、戦士としては十分。手斧の扱いにも慣れている様子」

 

 フェリがぶつぶつと呟き始めた。

 

「ただし、観察眼は節穴極まる。アスト様にこのような口を叩くなど本来ならば死罪に値します」

 

 巨漢の顔が引きつった。

 

「しかし、悪意は感じません。情状酌量の余地はありそうです」

 

 フェリは巨漢の前に立ち、見上げた。

 

「無礼な男よ、あなたは殺されても仕方ない事をしました」

 

 ギルド内がしんと静まり返った。

 

 酒を飲んでいた冒険者たちも、手を止めて二人を見ている。

 

「しかし、一つ機会を与えましょう。我々が速やかに等級を上げるための案を提示しなさい。内容如何によっては命をとるような事はしません」

 

 巨漢──ドムドムは内心で溜息をついた。

 

 ──こいつら、貴族だな。しかも、かなり傲慢で危険な糞貴族だ

 

 長年冒険者をやっていれば、相手の素性くらいは何となく分かる。

 

 立ち振る舞い、言葉遣い、そして何より、この尊大な態度。

 

 間違いなく上級貴族の子息だろう。

 

 道楽で冒険者の真似事をしに来たのか、それとも何か別の目的があるのか。

 

 どちらにせよ、関わり合いになりたくない類の人間だ。

 

 だが、ギルドの仲間たちの手前、あまりにへりくだるわけにもいかない。

 

 ドムドムは咳払いをした。

 

「……なら、この依頼はどうだ」

 

 ドムドムは掲示板へと歩み寄り、一枚の依頼票を剥がしてきた。

 

『薬草採取:報酬銀貨五枚』

 

 一見すると、ただの初心者向けの依頼だ。

 

 ハインが不満そうに眉をひそめた時、ドムドムが説明を始めた。

 

「見た目は地味だが、この依頼は評価値が高い。なぜか分かるか?」

 

 フェリが依頼書を手に取り、じっくりと読む。

 

「採取場所は……帝都近郊の森。指定薬草は月光草。採取期限は明日の朝まで」

 

 フェリの目が鋭くなった。

 

「月光草は夜にしか採取できない希少薬草。しかも、最近この森には野犬の群れが出没しているという話を聞きました」

 

 ドムドムが頷いた。

 

「その通りだ。だから報酬も通常の薬草採取より高い。そして何より、これを一晩でこなせれば、ギルドでの評価も上がる」

 

 フェリはハインを見た。

 

「アスト様、悪くない提案かと」

 

 ハインは鼻を鳴らした。

 

「野犬など、指先一つで──」

 

 フェリが再び袖を引く。

 

「アスト様」

 

 その声には、「目立つな」という警告が込められていた。

 

 ハインは舌打ちをしながらも、依頼書を受け取った。

 

「まあいい。これを受ける」

 

 ドムドムは内心でほっとした。

 

 とりあえず、大きなトラブルは避けられそうだ。

 

「じゃあ、頑張れよ、新人」

 

 そう言って、ドムドムは足早にその場を離れていった。

 

 ──貴族の道楽に付き合ってられるか

 

 ドムドムは心の中でぼやきながら、仲間たちの元へ戻っていく。

 

 だが、歩きながらふと思った。

 

 あの二人、本当にただの貴族の道楽なのだろうか? 

 

 特にあの銀髪の女。

 

 あの目は、何人も殺してきた者の目だった。

 

 ドムドムは首を振った。

 

 ──考えすぎだ。関わらないのが一番だ

 

 ◆

 

 フェリは受付嬢の前に戻り、依頼書を差し出した。

 

「この依頼を受注します」

 

 受付嬢は震える手でそれを受け取った。

 

「月光草の採取ですね。場所は把握されていますか?」

 

「地図を」

 

 フェリの短い要求に、受付嬢は慌てて地図を取り出し、採取場所に印をつけた。

 

「こちらになります。夜の森は危険ですので、お気をつけて」

 

 フェリは地図を受け取り、素早く目を通した後、懐にしまった。

 

「アスト様、参りましょう」

 

 ハインは無言で頷き、踵を返した。

 

 二人がギルドを出て行った後、ギルド内にどっと安堵の空気が流れた。

 

「なんだあいつら……」

 

「貴族だろ、間違いなく」

 

「それも、相当ヤバい奴らだ」

 

 冒険者たちがひそひそと囁き合う。

 

 受付嬢は額の汗を拭いながら、登録書類を見つめた。

 

 名前の欄には、たった二つの名前だけ。

 

 アストとフェンリィ。

 

 明らかに偽名だろう。

 

 だが、それを問い質すのは冒険者ギルドの不文律に反する。

 

 過去を問わない。

 

 それが冒険者ギルドの鉄則だ。

 

 ──早く帰ってくれないかな……

 

 受付嬢の願いは、ギルドにいた全員の総意でもあった。

 

 ◆

 

 ギルドを出た二人は、人気のない路地裏へと入った。

 

 ハインがフードを跳ね上げ、苛立たしげに言った。

 

「錆鉄級だと? ふざけている」

 

「仕方ありません、アスト様。全員が同じところから始めるのが規則です」

 

 フェリが宥めるように言う。

 

「それに、あの男の提案は悪くありません。月光草の採取は確かに評価値が高い依頼です」

 

「薬草採取など、公爵家の嫡男がやることか」

 

 ハインの不満は尽きない。

 

「ですが、手っ取り早く等級を上げるには実績を積むしかありません。一晩で複数の依頼をこなせば、明日には銅級への昇格も可能でしょう」

 

 フェリは掲示板から剥がしてきた別の依頼書を取り出した。

 

 いつの間に取ってきたのか、五枚ほどの依頼書が手の中にある。

 

「月光草採取のついでに、野犬討伐、ゴブリン退治、行方不明者の捜索……すべて同じ森での依頼です。一度に片付けてしまいましょう」

 

 ハインは感心したように鼻を鳴らした。

 

「ほう、やるではないか、フェリ」

 

「恐れ入ります」

 

 フェリは恭しく頭を下げた。

 

 

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