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帝立サンフォード学園の教育期間は三年間だ。
つい先日まで俺は一年生だったが、来月からは二年生になる。
そしてあと一年。
この退屈極まりない、劣等が掃いて捨てるほどいる場所で過ごした後は卒業だ。
皆、それぞれの進路に進むことになる。
俺の場合は、アステール公爵家の後を継ぐという事になるが──
俺は悩んでいた。
果たして、母上と比べてかくも未熟なこの俺に当主たる資格はあるのだろうかと。
もちろん素養はある。
なにせ俺はあの偉大なる母上の息子なのだ。
俺には母上譲りの才がある。
佳く学び、佳く鍛えれば、いずれは立派な当主になれるだろう。控えめに言えば、そうだな──星界の果てまで轟く程度には立派になれるだろうな。
その自信が揺らいだことはない。
ちなみにその時母上はどうなるのかといえば、当然、世界掌握の為に更なる飛躍を遂げるであろう。
ガイネス帝国の実権を握る。
あるいは、帝国そのものをアステール帝国へと塗り替える。
いずれにせよ、母上は世界の頂点に立たれるお方だ。
俺も母上もその輝かしい未来のために足元を固めている最中──なのだが。
肝心のこの俺が揺れていては話にならない。
母上の覇道を支えるべき俺が、己の未熟さに打ちひしがれている場合ではないのだ。
しかし、不安は不安である。
かといって母上に泣きつくことなどできるはずもない。
母上は俺の成長を望んでいるはずだからだ。
俺は俺の力で成長しなければならない。
この壁を乗り越えなければ、母上の隣に立つ資格など得られはしない。
だが、だ。
この俺でさえも、時には理解者を求めてしまう事もあるらしい。
──俺は、まだまだ弱い。
そんな事を考えていた時だった。
「浮かないご様子ですね、ハイン様」
不意に声がかかる。劣等共とは違って、骨がある奴の声はよく聞こえる。
視線を向ければ、そこにいたのはやはりエスメラルダ・イラ・サリオンだった。
「ほう、分かるか」
エスメラルダは僅かに目を見開き、そしてすぐに、確信に満ちた表情で微笑んだ。
「はい。いつも見ていますから」
その言葉には、以前とは違う響きがあった。
ただの観察ではない。
もっと深い、共感にも似た何か。
俺は少し考える。
この女もまた、サリオン公爵家という大家を背負う立場にある。
俺と同じ次期当主だ。
そして何より、この女は知っている。
あの夜、俺が見せた星界(せかい)の景色を。
俺が抱く夢を。
ならば、あるいは。
俺のこの胸の内に渦巻く重圧を、真に理解できるかもしれない。
「一つ聞きたい事がある」
俺は窓の外に視線を向けたまま、問いかけた。
「エスメラルダ、お前はいずれサリオン公爵家を継ぐだろう。そのことに対して、気負う事はあるか?」
俺にとってはかなり踏み込んだ質問だった。
他人に弱みを見せるなど、本来ならばあり得ないことだ。
だが、俺は知りたかった。
この重圧の正体を。
そして、それを乗り越えるための術を。
エスメラルダは俺の問いに、少し驚いたような表情を見せた。
無理もない。
だがすぐに真剣な眼差しになり、ゆっくりと口を開いた。
「気負う、ですか……」
彼女は一拍置いて、言葉を選ぶように続けた。
「それは当然ございますわ。ですが、以前とはその意味合いが違います」
なるほど、どう違う?
「以前のわたくしは、ただサリオンの名を守ることだけに囚われておりました。帝都の盾として、家の名誉と安寧を守らねばならないと」
エスメラルダは背筋を伸ばし、凛とした表情で俺を見つめる。
その瞳には、あの夜見た星の輝きが宿っているかのようだ。
「ですがハイン様があの夜、星界の景色を見せてくださった時──わたくしは理解いたしました」
彼女は胸に手を当て、力強く宣言した。
「わたくしたちが守るべきは単なる帝都や帝国ではない。この唯一無二の、美しい星そのものなのだと」
なるほど……悪くない。だが。
「ハイン様が目指す未来。争いをなくし、この星の破滅を先送りするという壮大な理想。そのために、貴方様は途方もない力を振るおうとしておられる」
エスメラルダの声が、僅かに熱を帯びる。
「その道は決して平坦ではないでしょう。世界を敵に回すことになるかもしれません。だからこそ、わたくしは気負っております」
エスメラルダは一歩、俺に近づいた。
「貴方様という誰よりも鋭い剣が、その理想を貫くために振るわれる時。わたくしは、その剣を護る最強の盾とならねばなりません。貴方様の隣に立ち、あらゆる障害から貴方様と、そしてこの星の未来を守り抜く。それが、今のわたくしの誇りであり、責務ですわ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが弾けた。
──なるほど、そうか!
俺は目を見開いた。
この女、エスメラルダ・イラ・サリオン。
この女もまた、俺と同じものを見ているのだ。
エスメラルダの言葉。
それは一見すれば、俺の理想に共感し、協力するという意思表明に聞こえるだろう。
だが違う。
その言葉の裏には、もっと深く、もっと熱い想いが隠されている。
『星の未来を守る』。
『最強の盾となる』。
それはつまり、どういうことか。
この星を治めるのは、いずれ母上だ。
母上が女帝となりこの世界に遍く平和をもたらす。
俺が目指す未来とは、即ち母上が統治する未来のことだ。
その時、母上に仇なす者共から母上を守護する。
それが、この女の言う『盾』の意味するところだろう。
なんと健気で、そしてなんと大それた野望か。
この女は母上の覇道のためにその全てを捧げる覚悟を決めている。
サリオン公爵家という立場を利用し、母上の為に尽くそうというのだ。
あの星界での出来事を通して、この女は真理に目覚めたのだ。
この星で最も尊い存在は母上であり、その母上の為に生きることこそがこの星に生きる者の使命であると。
俺と同じだ。
俺もまたアステール公爵家という立場を利用し、母上の為に尽くそうとしている。
この女は、俺の同志であり──
──そして、ライバルだ。
しかし母上の一番の臣下は俺だ。
母上の隣に立つのはこの俺だ。
その座は誰にも譲れない。
例えこのエスメラルダであろうとも。
俺は思わず笑みが零れた。
愉快だ。
実に愉快ではないか。
まさかこんな身近に、俺と競い合えるほどの忠義者がいたとは。
「エスメラルダよ」
俺は立ち上がった。座ったままでは礼を失するだろう。
「その気概、見事だ」
俺は心からの賞賛を込めて、そう告げた。
「それでこそ俺の婚約者に相応しい」
エスメラルダが目を見開く。
無理もない。
俺がこれほどまでに他人を褒めるなど、初めてのことだからな。
「だが忘れるな」
俺は一歩踏み出し、エスメラルダの眼前に立つ。
「アステール公爵家次期当主として、この俺が後塵を拝することはない」
俺は宣言した。
「母上の為にこの身を捧げる覚悟は、俺の方が上だ」
「え……? 母上……? ヘルガ様の、ことでしょうか?」
エスメラルダが困惑したように問い返す。
何を今更。
お前もあの時、理解したはずだろう。
この星を守るとは、すなわち母上を守るということだと。
「当然だ。我らが忠誠を捧げるべきお方はこの星にただ一人。我らが母、ヘルガ・イラ・アステール様だけだ」
俺の言葉に、エスメラルダはさらに混乱した表情を浮かべた。
「は、はあ……? ええと、それは、まあ……ハイン様にとっては、そうなのでしょうけれど……わたくしは、その、貴方様の理想に……」
謙遜するな。
お前のその瞳の奥に宿る熱い忠誠心は、俺にはよく見えているぞ。
俺の理想に共感するというのは、即ち母上に忠誠を誓うということだ。
同じことだろう。
「フン、まあいい。その忠義、せいぜい励むがいい」
俺はそう言い残し、再び席に着いた。
エスメラルダはまだ何か言いたげな様子だったが、やがて小さく息を吐き、そして──
なぜか、酷く嬉しそうな顔で微笑んだ。
◆◆◆
ハイン・セラ・アステールという男は、基本的に全ての事象を「母」というフィルターを通して解釈する。
彼にとって世界は母を中心に回っており、全ての出来事は母のために存在する。
今回のエスメラルダとの会話も、その例外ではなかった。
エスメラルダが語ったのは、ハインが示した壮大なビジョン──星を守るという途方もない計画に対する、彼女なりの決意と覚悟である。
彼女はハインの理想に共感し、彼を支えることを誓ったのだ。
だが、ハインの耳にはそれが全く別の意味を持って響いた。
エスメラルダが「星の未来」と言えば、それは「母が治める(予定の)星の未来」という意味に変換される。
彼女が「責務を果たす」と言えば、それは「母のために尽くす」という意味になる。
彼はエスメラルダが、あの星界での経験を通じて自分と同じレベルでヘルガを崇拝するに至ったと信じて疑わない。
そして、その「忠誠心」の深さを競い合うライバルとして彼女を認定したのだ。
一方のエスメラルダは、ハインの言動に困惑しつつも、悪い気はしていなかった。
彼女にとってハインは多少は通じ合える所ができても、それでも越えられない壁のようなものを常に感じていた。
そんなハインの熱のこもった言葉に、エスメラルダは純粋に嬉しかった。
その内容こそ一部意味不明(ヘルガ様への忠誠云々)だったが、少なくともハインが自分を認め、そして「婚約者に相応しい」とまで言ってくれたのだ。
それは彼女にとって大きな前進だった。