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次の日も帝立サンフォード学園の教室は、相も変わらず劣等共の無意味な喧騒に満ちていた。
休み時間ともなればその騒がしさは一層増す。
実に耳障りだし、全員始末したほうがこの星にとっても良いのでは?
いや、母上が悲しむか……。
俺はそんな雑音を遮断するように静かに目を閉じ、瞑想に入っていた。
精神を研ぎ澄まし、内なる星界との対話を試みる。
──ママ好き、まま好き……
これもまた母上の完璧な息子であるための日々の研鑽の一環だ。
同時に己が内面世界を平穏に保つための心の所作でもある。
だがそんな俺の平穏な時間は長くは続かなかった。
「なあハイン」
能天気な声が俺の意識を現実に引き戻す。
目を開ければそこには予想通りの男──アゼル・セラ・アルファイドが立っていた。
その隣にはいつものようにファフニル子爵家の雌が控えている。
名前はなんだったか……セ、セ……ヘレ……忘れてしまった。
ともかくこのアゼルという男は、どうにも距離感というものを理解していないらしい。
俺は内心で深く溜息を吐いた。
「傷を治したり病気を治したりする魔術って、詳しかったりしないか?」
アゼルは悪びれる様子もなく、そんなことを尋ねてきた。
──癒しの魔術、か
くだらん──とは言わぬ。だが、俺の専門外だ。
俺は無視を決め込もうとしたが、アゼルはなおも続けた。
「セレナがさ、最近そっち方面の魔術の勉強を頑張ってるんだよな」
セレナ、というのがこのファフニル雌の名前らしい。ああ、そうだった。セリナだ。
どうでもいい情報がまた一つ増えてしまった。
アゼルは隣のファフニル雌を見て、軽く肩を竦める。
すると、その雌が少し恥ずかしそうに俯きながら口を開いた。
「……だって、アゼル君が私に向いているからって……」
心底どうでもいい話だ。
この雌が何に向いていようが、俺の知ったことではない。
さっさと立ち去れ、と視線で威圧する。
大抵の劣等は竦み上がるものだが、ファフニル雌は意外な行動に出た。
「あ、あの、ハイン様……もしご迷惑でなければ、少しだけ教えていただけないでしょうか」
そう言って、深々と頭を下げたのだ。
公爵家に対して子爵家の令嬢が取る態度としては当然だが、中々肝が据わっている劣等だ。
だが、だからといって俺が貴重な時間を割く理由にはならない。
そう思った、次の瞬間。
「頼むよ、ハイン。俺からもお願いする」
アゼルまでもが、軽くではあるが頭を下げたのだ。
──ほう?
俺は少し考えを改めた。このアゼルという男は無礼で無知蒙昧だが、それなりに骨はある。
いつかの模擬線で見せた剣の冴えは、一度や二度死地をくぐっただけでは身につかない代物だ。
俺が視界に入れる程度には骨があるといっても良い。
そんな男が他人のために頭を下げる──ならば、話くらいは聞いてやってもいいかもしれない。
『骨のある下等生物には優しくしてあげてね』──そう母上も言っていたような気がする。
「……で、癒しの魔術とは? もっと詳しく話せ。流派なりあるだろう」
俺は短く問い返した。
一口に癒しの魔術といっても、その体系は多岐にわたる。
それは魔術全般に言える事だ。
時代と共に様々な流派が生まれ、淘汰されてきた。
例えば現在主流となっているのはクラテス派か。
癒聖クラテスが提唱した『アルバ・ホモリズム』。
万物は火・空気・水・土の四元素によって構築され、人体もまたその例外ではないという概念。
あらゆる傷病は、この四元素のバランスが崩れることで発現する。
ゆえに、そのバランスを是正することこそが治療である、とする理論だ。
俺はあまり好きではないが。四元素などという分類はあまりにも大雑把すぎる。
ともかく、体系も分からずに教えようもない。
俺の問いにアゼルは腕を組んで少し考え込んだ。
そして実に馬鹿げた答えを口にする。
「流派とかはよくわかんねえけど、光で治す感じのやつ知らないか?」
気が狂いそうになった。
光で治す、感じ?
なんだその抽象的で、知性の欠片も感じられない説明は。ああ、殺したい。頭が悪すぎて殺したい……!
──『駄目ですよ』
はい、母上。
言葉の定義が曖昧すぎるから物事の本質を理解できないのだ。
俺は湧き上がる苛立ちを抑え、冷たく言い放った。
「知らんな。そんな曖昧な魔術は俺の知識には存在しない」
「そっか……でも、ハインなら何か知ってると思ったんだけどな。お前、魔術に関しては誰よりも詳しいだろ?」
アゼルはなおも食い下がる。
その真っ直ぐな眼差しが、妙に俺の神経を逆撫でした。
仕方がない。
俺が知る限りの知識をこの劣等共にくれてやろう。
俺が何も教えられなかったなどと、万が一にも思われては癪だ。
「いいか、よく聞け」
俺は腕を組み、二人を見下ろした。
「俺が知る癒しの魔術とは、治すというより直す、だ」
「直す……?」
アゼルが首を傾げる。
「そうだ。貴様らは人体というものを、どう捉えている?」
俺は指先を軽く振るい、空中に簡単な人体の構造図を描き出した。
魔力で構成されたそれは、淡い光を放っている。
「万物は“粒”から出来ている。これは俺が信奉する粒理論の基本だ」
フランシス・セラ・アンブルームが提唱した世界の真理の一端。
「人体もまた、無数の“粒”の集合体に過ぎない。骨、肉、血、そして魔力さえも。それらが複雑に組み合わさり、一つの構造体を成している」
俺は構造図の一部を指でなぞる。
「傷つく、あるいは病むということは、この構造体の配列が乱れる、もしくは欠損することを意味する」
構造図の一部が赤く点滅する。
それは構造の破綻を示していた。
「クラテス派のように、元素のバランスなどという曖昧な概念で語るのではない。もっと具体的で、物理的な現象だ。ならば、その乱れた配列を元に戻し、欠損した部分を新たな“粒”で補填すればいい。それが、俺の言う『直す』だ」
例えば切断された腕。
通常の癒しの魔術では、断面の出血を止め、肉の再生を促すのが限界だろう。
完全に元通りになることは稀だ。
だが、俺ならば違う。
失われた腕の“粒”の配列情報を読み取る。
そして、俺自身の魔力──つまり、俺の“粒”を素材として再構築する。
骨の構造、筋肉の繊維、神経の接続、そして血流。
その全てを、寸分の狂いもなく再現する。
それはもはや治療ではない。
創造に近い行為だ。
「欠損箇所に俺の魔力を詰め込み、本来あるべき姿へと強制的に回帰させる。ただそれだけのことだ」
俺の説明を聞き終えたアゼルは、案の定、間の抜けた顔をしていた。
「えーと……つまり、どういうことだってばよ?」
やはり理解できなかったか。
この程度の話も理解できないとは。南方の植物であるサヴォーテンと同等の知能しかないようだな。
剣の冴えは認めるが、頭の方はからっきしらしい。
だが、隣のファフニル雌は違った。
目を見開き、何かを考え込むように俺の言葉を反芻している。
「“粒”の配列を……直す……」
そして、感嘆したように息を吐いた。
「そんなアプローチもあるのですね……魔力そのものを素材として、人体を再構築するなんて……」
ほう。
この雌、少しは見どころがあるらしい。とはいえ劣等は劣等である。こんなものは多少頭の回る奴なら誰でも理解できることだ。
ともかく俺は教えるべきことは教えた。
「理解したのなら、さっさと失せろ。無駄な時間を過ごしてしまった」
俺はそう吐き捨て、再び目を閉じようとした。
はあ、疲れた。
劣等にものを教えるというのは、これほどまでに精神を摩耗させるものなのか。
この時間があれば、母上のことをもっと考えることができたのに。
だが、その時。
「さすがだな!」
アゼルが感心したように声を上げた。
「やっぱりハインはすげえよ! その理論、お袋さんから教えてもらったのか?」
その言葉に、俺の思考が一瞬止まる。
お袋さん、だと?
母上のことを、そんな馴れ馴れしい呼び方で呼ぶな。
ぶっ殺すか。いや、この距離では俺が少し不利かな。
だが、それ以上に気になったのはその問いの内容だった。
──母上から?
馬鹿な。
この粒理論の応用は俺が独自に研究し、体系化したものだ。
誰かに教わったわけではない。
だが、待てよ。
俺がこの理論に辿り着けたのは、俺に天賦の才があったからだ。
そしてその才は、他ならぬ母上から受け継いだもの。
ならば、俺が考え至ったことは母上も当然ご存知に違いない。
母上は偉大なお方だ。
全てをお見通しであり、俺の思考など掌の上だろう。
俺ごときが思いつくようなことを母上が知らないはずがない。そう考えればこの男の言うこともあながち間違いではない。
俺の知識は母上の知識でもある。
「……その通りだ」
俺は短く答えた。
すると、ファフニル雌が目を輝かせて言った。
「さすがヘルガ様ですね! 先日始まった講義もとても分かりやすいですし……ヘルガ様のような方が教えてくださるなんて、私たちは幸せ者です」
その言葉を聞いた瞬間、俺の胸の内に温かいものが広がった。
──そうだ、その通りだ!
母上は素晴らしい。
母上の教えはこの世の真理そのものだ。
それを理解できるとは、このファフニル雌、もしかしたらただの劣等ではないのかもしれない。
名前はなんだったかな……へ、ヘレナ……いや、違う。セレナか。セレナ・イラ・ファフニルだったか。
ふむ、セレナ・イラ・ファフニル。
そういえばその名には聞き覚えがあった。
いや、聞き覚えがあるというよりは、俺の脳内に存在する膨大な知識の書庫、その片隅に埃を被って眠っていたというべきか。
俺は自らの記憶を検索する。
母上に褒められたい一心で詰め込んだ、帝国貴族の系譜。
その中に確かにファフニル子爵家の項は存在した。
始祖は一人の巫女。名をセレスティアという。彼女は帝都の遥か東に広がる『嘆きの山脈』に棲んでいたとされる聖龍「ファフニィル」に仕えていた。
聖龍ファフニィルは古代竜種の中でも特に温厚な性格で、人と積極的に関わろうとはしなかったが、時折、麓の村に降りてきては病を癒し、豊穣をもたらしたという。
そのファフニィルと唯一心を通わせることができたのが、巫女セレスティアだった。
セレスティアは竜の言葉を解し、竜の意思を人々に伝える役目を担っていた。
いわば、神と人との仲介者。そんなある時、嘆きの山脈に大規模な魔獣の群れが押し寄せた。
麓の村々は壊滅的な被害を受け、人々は絶望の淵に立たされた。
その時、セレスティアはファフニィルの元へ赴き、助けを乞うた。
ファフニィルは彼女の願いを聞き入れ、その身を挺して魔獣の群れと戦った。
三日三晩に及ぶ激しい戦いの末、魔獣の群れは殲滅された。
だが、ファフニィルもまた深い傷を負い、その命の灯火が消えようとしていた。
ファフニィルは最後の力を振り絞り、自らの魂の一部をセレスティアに託したという。
竜の魂を受け継いだセレスティアは、人でありながら竜の力の一部──特に、生命力を活性化させ、邪を祓う聖なる力をその身に宿すこととなった。彼女はその力を使い、荒廃した土地を蘇らせ、傷ついた人々を癒したという。
その功績を当時の皇帝に認められ、彼女はファフニィルの名を冠した子爵家を興すことを許されたのだ。
それだけの功績がありながら子爵家というのは何ともまぁ吝嗇な事だがしかし、当時の政治事情も鑑みればそんなものか。
このセレナというメスには癒しの魔術には案外適正があるのかもしれないな。アゼルはそれを知っていたのか?
まあどうでもいいな。早く帰って母上に逢いたい。