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ハインとの模擬試合があった日。
俺はそれ以降の講義をほとんど上の空で受けていた。そうせざるを得なかったんだ。何も頭に入ってこないから。
なぜならハインの剣術の腕前にかなり驚いていたからだ。
いや、驚いたなんてもんじゃない。
正直、信じられなかった。
──“以前”とは、まるで違う
俺の知っているハイン・セラ・アステールとは別人だ。
“以前”というのは俺がいた“本来の世界”でのこと。
あの世界のハインは確かに強大な魔力を持っていた。
だがその力に溺れた傲慢で邪悪な男だった。
剣術に関してもそうだ。
あいつの剣はとにかく荒かった。
膨大な魔力を剣に乗せてただ力任せに振り回すだけ。
技術なんて二の次で、それは剣術というよりただの暴力の延長だった。
そして何より戦い方がダーティだった。
勝つためなら手段を選ばない。
目潰し、金的、不意打ち。
試合中にこっそり魔術を使うことだって厭わない。
貴族の誇りなんて、あいつには欠片もなかった。
基礎なんてまるで無視して自分の才能にあぐらをかいていたんだ。
それがどうだ。
今日の試合で見せたあいつの剣は静かで、速く、そして恐ろしく正確だった。
無駄な動きが一切ない。
基礎に忠実でありながら、その一つ一つが極限まで磨き上げられている。
まるで何十年も剣の道に生きてきた達人のような。
俺が使ったリシン流の変則的な動きにも、完璧に対応してきた。
あれは並大抵の鍛錬でできることじゃない。
──やっぱりハインは、この世界では“ハイン”じゃないんだな
俺はそんな事を思う。
確信に近い感覚だった。
俺を見る目も違う。
“以前”のあいつは、俺を虫けらを見るような目で見ていた。
劣等、と吐き捨てるように呼んで。
視界には入っていても認識はしていない。
そんな感じだった。
でも、今のあいつは俺をしっかり見ていた。
一人の剣士として、対峙する相手として。
……まあ、前のあいつっぽい所もあるにはある。
相変わらず人を寄せ付けない雰囲気だし、口も悪い。
ただ、根本的な所で何かが決定的に違っているのだ。
俺がそんな事を考えていると──
「アゼル君、もしかして気にしてるの?」
休み時間、隣からそんな声がかかる。
見ればセレナだった。
セレナ・イラ・ファフニル。
“以前”の世界で、俺と共に魔王と戦った聖女。
そして、俺の大切な……恋人だった子だ。
心配そうな顔で、俺の顔を覗き込んでいる。
「い、いや……気にしてるってわけじゃないんだけどさ」
俺は慌てて取り繕う。
嘘だ。
かなり気にしている。
ただ、それは別にハインと引き分けて悔しいからってわけじゃない……と思う。
いや、少し悔しかったかな。
それは認める。
俺だって伊達に勇者をやっていたわけじゃない。
剣の腕にはそれなりの自信がある。
ただそれ以上に、なんというか……意味を考えてしまった。
つまり、俺がこの世界に来た意味だ。
俺が過去に戻ってきたのは、ハインを救うためだ。
あいつが魔王の器になるのを防ぐため。それが世界の平和にもつながるから。
あの世界のハインは正直いっていい奴じゃなかった。
というか、悪い奴だった。
魔王の器に選ばれるだけはあるくらいには。
でも、あいつはあいつで寂しかったんだと思う。
今ならそう思える。
誰にも必要とされず、誰にも理解されず。
力だけがあいつの存在証明だった。
そして孤独の果てに、魔王に魂を売り渡した。
あの時。
燃え盛る帝都の中心で。
仲間たちは皆倒れ、俺も満身創痍だった。
俺が聖剣でハインの……魔王ハインの胸を貫いた時。
全てが終わったと思った、その瞬間。
一瞬だけあいつは元に戻ったんだ。
・
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『魔王の魂は今、傷ついている。だが時を置けば奴はまた蘇るだろう』
血反吐を吐きながら、ハインは言った。
その声は、ひどく掠れていた。
『だから、やれ。今ここで、この体もろとも焼き尽くしてしまえ。奴の傷ついた魂は俺が今捕まえている』
『ハ、ハインか……? お前、な、なんで……』
そう、俺はハインに言いたい事がやまほどあった。
聞きたいことも山ほどあった。
なんでお前ほどの奴が、魔王なんかに肉体を素直に明け渡した?
なんでお前があれほど誇っていたアステール公爵家を自らの手で滅ぼした?
お前は王様になりたかったんじゃないのかよ。
なんで国ごと焼き払うなんて真似をしたんだ。
それを口に出そうとすると、ハインはまるで心を読んだかのように俺に言った。
いや、あの時は本当に読まれていたのかもしれない。
『劣等……いや、勇者アゼル、お前には分かるまい』
ハインは自嘲するように笑った。
その笑顔はひどく虚ろだった。
『多くの者から必要とされているお前には分かるまい。俺は、誰からも必要とされなかった』
その言葉に俺は息を呑む。
ハインがそんな事を思っていたなんて。
アステール公爵家の麒麟児。
全てを手にしていたはずの男が。
『とにかくもう時間がない。奴の魂が逃げ去る前に、やれ。俺の魂ごと魔王の魂を滅ぼせ。もう二度と、生まれ変わったりしないように』
ハインはそう言って、目を閉じた。
俺はその時のハインが、とても寂しそうに見えた。
ああ、こいつは理由なく、ただただ嫌な奴だったわけじゃないんだってその時初めて思ったんだ。
そして、もし俺がもっと早くそれに気付いていたら。
例えば学園に入学したあの頃。
ハインと友達になって、俺があいつを必要としてやれたら。
いや、俺もあいつも、お互いに必要とされるくらいの関係になれたら。
もしかしたら魔王なんて蘇らなかったんじゃないかって。
そんな後悔が俺をこの世界に引き戻したのかもしれない。
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だからこの世界では、二度とあんな悲劇を起こさせないって、そう強く思っていた。
ハインを孤独になんてさせない。
俺が、あいつの友達になってやるんだって。
ただ、最近はその決意が少し揺らいでいる。
俺が何かするまでもないんじゃないかって、そう思ってきているのだ。
俺はちらりと、教室の隅にいるハインを盗み見る。
そこには、エミーがいた。
エスメラルダ・イラ・サリオン。
俺の大切な仲間であり、恋人だった女性。
エミーが少し緊張した面持ちで、それでも嬉しそうにハインと話す姿があった。
“以前”の世界では、考えられない光景だ。
エミーはハインの残虐性を見抜き、早々に婚約を破棄していたから。
エミーだけじゃない。
何人かの亜人の貴族も遠巻きにハインを囲んでいる。
彼らの目には、明らかな尊敬と憧れの色が浮かんでいる。
彼らはみんなハインにあこがれているってよくわかる。
そんな顔をしている。
よくエミーから俺は鈍いといわれていたけれど、そんな俺でも分かるくらいだ。
つまり、ハインは必要とされているんだと思う。
少なくとも以前のあいつのように誰からも疎まれているわけじゃない。
それなら俺の役目はもう終わったのだろうか。
「アゼル君?」
セレナの声で、我に返る。
「あ、ああ、ごめん。考え事してた」
俺は慌てて取り繕うように笑ってみせる。
「やっぱりなー!ちょっとまあ、悔しい気持ちはあるよな……」
俺は嘘をつくのをやめた。
どうせ隠しきれないと思ったから。
セレナは人の気持ちに凄く敏感だ。
少なくとも、前の世界のセレナはそうだった。
聖女として覚醒した彼女は、人の心の痛みを自分のことのように感じ取ることができた。
──この世界のセレナはまだ聖女として覚醒していないから、どうかはわからないけど
なんて思っていたら。
「悔しいのは剣術で引き分けたから?それともエスメラルダ様がハイン様と仲良くしているから?」
そんな事を言ってくるセレナに俺はぎょっとした。
心臓が跳ね上がる。
見ればセレナの目がじっと俺を見ている。
その瞳は俺の心の奥底まで見透かしているかのようだ。
やっぱりセレナはセレナだ。
聖女の力がなくても、この子は鋭い。
俺は観念して正直に答えることにした。
「……両方、かな」
剣術で引き分けた悔しさ。
そして、エミーがハインと仲良くしていることへの、ほんの少しの嫉妬。
俺はセレナが好きだ。
でも、“以前”の世界で共に戦ったエミーのことも大切に思っている。
この気持ちは自分でもどうしようもない。
「……そう」
セレナは短く答えると、少し俯いた。
「ねえ、アゼル君」
セレナが、静かに問いかける。
「アゼル君はどうして……」
何かを言いかけて、セレナは口を噤んだ。
「ううん、なんでもない……ごめんね、変な事をきいて」
そう言って、セレナは無理に笑顔を作った。
その笑顔が痛々しい。
そんな事を言うセレナに俺はなんて声をかけるべきか分からなかった。