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この日、俺は学園の図書室を訪れていた。
次の獲物についての情報収集──ではない。
そういった事はフェリがやる。
単純に、この世界にどういった魔獣がいるのかをある程度把握しておきたいと思ったのだ。
これは冒険者としてどうこうという話ではなく、もっと先を見据えた話になる。
すなわち、母上が世界を掌握する際に障害となりうる存在を漠然とでいいから知っておこうというものだ。
俺は自分がこの星で最強の存在だとは思わない。
確かに魔術の業はおさおさ遅れは取らないとは思うが、力とは何も魔術だけに限った話ではないのだ。
この世界にはあるいは俺の魔術をものともしない恐るべき存在がいるかもしれぬ。
俺がそう考えるに至ったのは、あのアゼルがきっかけだ。
少なくとも剣だけで奴を仕留める事は難しいだろう。
それだけ奴の剣術は洗練されていた。
では魔術を使えば良いかといえば、必ずしもそうとは限らない。
例えばあの模擬試合の様に、なんらかの事情で魔術が制限されることも考えられなくはないのだ。
自身の強みを封じられた時、相手の強みを打ち破る事は出来るのか。
おごり昂ぶり、肝心な所で負けましたなどは劣等の所作。
そのような無様を晒さないためにも、必要な事は出来るだけ多くの知識を得る事だ。
敵の手札を知る事で、より盤石な勝利が得られるというもの。
ということで、俺は魔獣に関連する書物を求めてここへ来たのだが──
「ハイン様?」
そんな風に声をかけてきたのはエスメラルダである。
丁度いい。
「魔獣に関する書は知らないか? 今もまだ生きている魔獣についての図鑑のようなものがあれば助かるが」
「え、えっと……魔獣、ですか……。今もまだ生きている……そう、ですね」
エスメラルダは少し考え込む素振りを見せた後、特定の書架を指し示した。
「博物学の棚、その奥にある生物誌の分類になるかと存じます。特に古い文献は禁書庫に近い場所にまとめられているはずです」
「よし」
聞いた事への回答が早いというのは美徳だ。
初夜では少し強めに踏んでやろう。
「それにしても、なぜ魔獣について……?」
エスメラルダが不思議そうに小首を傾げる。
「うむ……佳きに」
わざわざ事情を教えるのも面倒だが、まがりなりにもこの雌……いや女は俺の婚約者でもある。
他の劣等が俺の言動に対して疑義を呈したとしたらその場で処分してやっていたかもしれぬが、これくらいは配慮してやってもいいだろう。
意味は「お前の好きなように解釈しろ」である。
劣等ではないのなら俺の言わんとすることは当然分かるはずだ。
俺が答えると、エスメラルダはなにやら考え込んでいる様子だった。
まあ考えたい事があるならそこで好きな事を好きなだけ考えていれば良い。
そう思って去ろうとすると、エスメラルダが妙な事を言い出した。
「なるほど……わかりました。では、その……私にも何かできる事はないでしょうか?」
──ほう
そうか、やはりこの女にも分かったか。
そして間髪入れずにこの提案。
天晴れ、と言わざるを得まい。
俺だけに手柄を立てさせまいという反骨精神の現れか。
あるいはサリオン公爵家の者として、アステール公爵家の独走を座視できぬという矜持の表れか。
いずれにせよ、俺は内心でサリオン公爵家の評価を一つ上げた。
しかしこの星に巣くう悪獣共を駆逐して母上の支配を盤石なものとし、同時に賞金でアステール公爵家が抱える借金を返すという一石二鳥の策は俺が考えたものだ。
後からノコノコと一枚噛ませてくれなどとはいささか卑しい……。
いや、これは良くない考えだな。
この女もまた、母上に忠を示したいのだろう。
その純粋な気持ちを無下にするのは不憫というものか。
全てではないものの、少しくらいは噛ませてやるか。
「あるとも」
俺はそう言って、エスメラルダの両肩を掴んだ。
そしてそのまま近くの書架へと押し付ける。
「あっ……。あの、は、ハイン様……?」
構わず壁に押し付ける。
幸い周囲に劣等共の影はなく、更にこの書架が良い影となって人目を遮ってくれる。
好都合な状況だ。
「い、痛い……」
エスメラルダがそんな
その証拠に──
「やめてほしいのか?」
俺が尋ねても、エスメラルダは何も答えない。
ただ顔を真っ赤にして俯いているだけ。
やはりな。
女というやつはこの様に平面に押し付けられるのが好きなのだ。
フェリもそうだった。
これは報酬の前払いだ。
どういう形にせよ手を借りるのだから、見返りを与えてやらねばならない。
それが支配者たる者の務めである。
「エスメラルダ、俺がお前に求める事が分かるか?」
「は、はい……で、でも……私たちは、まだ……その、心の準備が……」
臆したか?
だがもう報酬は支払い済みだ。
ここで話を巻き戻すわけにはいかない。
俺は少し語気を強めた。
「俺は今困っている」
その言葉に、エスメラルダの肩がびくりと震えた。
やがて彼女は意を決したように顔を上げ、潤んだ瞳で俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「……な、なんでもしますッ……! なんでも、ハイン様が……求める事ならば……」
「そうか? しかし口だけかもしれないな」
「そんなことはありません! この身がどうなっても構いませんから!」
「一応聞いておくが、いくら用意できる?」
「いくら、って、その……お金、ですか……?」
エスメラルダが、きょとんとした顔で俺を見上げた。
その表情は鳩が豆鉄砲を食らったかのようで、いささか間の抜けたものだ。
「そうだな。金だ」
俺が頷くと、エスメラルダは俺の胸に頬を当てながら黙り込んだ。
なにやら考え込んでいる様子である。
まあ別にいくらでもいいのだが。
アステール公爵家が抱える借金は莫大だ。
エスメラルダ一人が出せる額など、焼け石に水。毛ほどの足しにもなるまい。
だが、それでいい。
母上も「気持ちが大切よ」と仰っていたからな。
この女の忠誠心、その「気持ち」の値段を見せてもらおうではないか。