※この作品はR-18です。

悪役令息はママが好き   作:埴輪庭

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冒険者になろう!⑨

 ◆

 

 ノルン王国の首都フロストヘイムはその名が示す通り、万年雪と氷河に閉ざされた街であった。

 

 空は絶えず重苦しい鈍色で、石造りの家々の屋根からは鋭利なつららが幾重にも下がっている。

 

 ガイネス帝国の穏やかな気候とは対極にある、厳格で容赦のない冷気が街全体を支配していた。

 

 そんな極北の地にハインとフェリは降り立った──のだが。

 

「……騒がしいな」

 

 ハインは眉根を寄せた。

 

 街全体が異様な熱気に包まれている。

 

 道行く人々は皆一様に慌ただしくしている。

 

 武装した兵士たちの姿も目立ち、街には張り詰めた緊張感が漂っていた。

 

 まるで大きな戦が控えているかの様な──。

 

「若様、何やらただ事ではない様子ですね」

 

 隣を歩くフェリが周囲の尋常ならざる気配を探りながら言う。

 

「ふん、劣等が何を騒ごうと知ったことではない」

 

 ハインの目的はフロスト・ワイアームの討伐と、その報酬金の獲得、ただそれだけだ。

 

 この国の内情などハインにとっては路傍の石ころほどの価値もない。

 

「ですが、この騒ぎが我々の目的に影響を及ぼす可能性もございます」

 

 フェリは常に冷静だ。

 

 ハインの感情に寄り添いつつも、目的達成のための合理性を忘れない。

 

「冒険者ギルドに着いたら話を聞いてみましょう」

 

「佳きに」

 

 この場合は“好きにしろ”の意である。ハインは基本的にこの手の雑事はすべてフェリに任せていた。

 

 ◆

 

 冒険者ギルドの建物は巨大な丸太を無骨に組み合わせた、いかにも北国の建築といった風情だった。

 

 洗練とは程遠い、力自慢の荒くれ者が好みそうな、ハインから言わせれば品のない劣等建築である。

 

 ハインは内心で舌打ちをしながら、重い扉を押し開けた。

 

 瞬間、凄まじい熱気と怒号が彼らを包み込む。

 

「おい! 聞いたか! とんでもない竜が出たらしいぜ」

 

「そいつをぶっ殺せば金貨一万枚だとよ!」

 

 金貨一万枚といえば、一般的な劣等平民が人生を七回遊んで暮らしても余るほどの金だ。

 

 冒険者たちは皆血相を変えて情報を交換し、あるいは叫び合っていた。

 

 ギルド全体が制御不能な狂乱状態に陥っている。

 

 ──うるさい。

 

 ハインのこめかみに、隠しきれない苛立ちが浮かぶ。

 

 ハインという青年、いや、少年は何事もそつなくこなす。剣を使わせれば細胞と細胞の間を通すほどの玄妙な業前を見せ、魔術を唱えさせれば生身で宇宙空間に滞在できる程度には。

 

 およそ弱点は無いように思えるのだが、唯一、劣等種のさえずりだけは苦手であった。

 

 腹の奥で真っ黒いマグマがグツグツと煮えたぎるのだ。

 

 今すぐこの場にいる全員を、物理的に黙らせてやりたい衝動に駆られる。

 

 だがそれを実行すれば後々面倒なことになるのは明白であった。

 

 何より、母であるヘルガに迷惑をかけるわけにはいかない。

 

 ハインは深くため息をつき、湧き上がる破壊衝動をどうにか抑え込もうとした。

 

 その時だった。

 

「若様」

 

 フェリがハインの前に立ち、懐から小さな布包みを取り出した。

 

「よろしければ、これを」

 

 そう言って、恭しく包みを開ける。

 

 中に入っていたのは琥珀色に輝く、何の変哲もない飴玉だった。

 

「これは……」

 

「大奥様が育てていらっしゃる花、その蜜から作った飴でございます。これを舐めれば、少しは気分が落ち着くかと」

 

 ──母上が育てた花の蜜。

 

 その言葉を聞いた瞬間、ハインの心に、凍てつく湖に温かい泉が湧き出るような感覚が広がった。

 

 先ほどまでの燃え盛るような苛立ちが嘘のように消え去り、代わりに穏やかで絶対的な幸福感が全身を満たしていく。違法薬物を摂取しても、これほどの多幸感を味わう事はできないだろう。

 

 現に、今ハインの脳は大量の──それこそ、劣等常人ならば廃人になるほどの脳内麻薬が分泌されている。

 

 ハインは無言で飴玉を受け取り、口の中に放り込んだ。

 

 優しい甘みと、爽やかな花の香りが広がる。

 

 この時ハインは脳裏で微笑むヘルガの笑みを()た。

 

 ◆

 

 ハインはもう一つ飴を貰おうと、フェリが持つ包みに手を伸ばした。

 

 その時、フェリの指先に触れ、ハインは思わず顔を顰める。

 

 ──冷たい。

 

 フェリの指先はこの極寒の地の氷のように冷え切っていた。

 

 ハインは盛大に舌打ちをする。

 

「チッ」

 

 その鋭い音に、フェリがびくりと肩を震わせた。

 

「も、申し訳ございません、若様。お気に召しませんでしたでしょうか」

 

 フェリは自分が叱責されたのだと勘違いしているようだ。

 

 だがハインが不機嫌になったのは飴のせいではない。

 

「手をだせ」

 

 ハインが短く有無を言わせぬ調子で命じると、フェリはおずおずと微かに震える手を差し出す。

 

 するとハインはフェリの手を掴み、強く握りしめた。

 

 やはり冷たい。

 

 血が通っているのか疑いたくなるほどの冷たさだ。

 

「なんだその指の冷たさは」

 

 ハインは低い声で言った。

 

 その声には明らかな不快感が滲んでいる。

 

「この程度の寒さで音を上げるとは惰弱にも程がある。風邪をひいてしまうではないか」

 

 フェリは何も言わず、ただ主の叱責を受け止めるように俯いている。

 

「いいか、よく聞け。防寒着を着ていても、寒気というものは手足の末端から回ってくるものだ。それは貴様も知っているだろう」

 

 ハインは説教を始めた。

 

 彼にとって、フェリは有能な手駒だ。

 

 その手駒が十全に機能しないというのは所有者であるハインにとって看過できない不利益でしかない。

 

「お前も簡単な魔術くらいは使えるだろう。ならば、自分で体調を管理する気はないのか? なぜそれを怠る」

 

 ハインの言葉に、フェリは消え入りそうな声で答えた。

 

「……申し訳ございません。私の不徳の致すところでございます」

 

 フェリは言い訳をしなかったが、事実としては単純に、極寒の地で指先までしっかりと温感を与える魔術など使えなかったからである。

 

「謝罪など求めていない。俺が求めているのは結果だ」

 

 ハインはさらに言葉を重ねる。

 

「いいか、俺の従者ならば“適応”の魔術くらい使える様になれ」

 

 ハインはそう言い放つと同時に、フェリの手に自らの魔力を流し込み始めた。

 

「本来ならば俺がこうしてお前に魔術を使ってやることはない。なぜならば、俺が何でもかんでもやってやっては主従関係とはなんだという話になってしまうからだ」

 

 ハインはクドクドと説教を続ける。

 

「俺はお前の主だ。まあ真の主は母上なのだが、それは置いておく。で、主が従者の世話を焼くなど、本末転倒も甚だしい。常に万全を維持しろ」

 

 そうしている間にも、ハインから流れ込む魔力によって、フェリの指は次第に血色と温かみを取り戻していく。

 

 ハインが今使っているのは他ならぬ“適応”の魔術である。

 

 で、この“適応”の魔術だが、これはハインが言うほど「簡単」な代物ではない。

 

 単に体温を操作するような初歩的な魔術ではなく、周囲の環境そのものに自身の肉体と精神を完全に調和させる高等魔術だからだ。

 

 この魔術を行使すれば、灼熱の砂漠や極寒の氷原はもちろんのこと、光が一切届かない深海では暗視能力や水圧への抵抗力が得られる。もちろん練度の差は出るが。

 

 極論を言ってしまえば、極まった“適応”ならば、空気のない宇宙空間ですら生存可能となる。

 

 この魔術を使うために必要なのは環境に対しての理解・知識だ。

 

 例えば熱帯地域ならば、なぜ気温が高いのかを知悉していなければならない。

 

 なぜ、なぜ、なぜを突き詰めていき、そういてようやくその環境に適応できる様になる。

 

 そしてこの魔術は、恐るべきアステールの麒麟児、ハイン・セラ・アステールが粒理論を解釈していくうちに編み出したオリジナルスペルである。

 

 つまり、フェリが知らないのも行使できないのも無理はない。

 

 ないのだが──天才とは往々にして凡才の気持ちを無視して話を進めがちだ。

 

 まあそんなこんなでしばらくして、フェリの手が十分に温まったのを確認し、ハインは手を離した。

 

「……若様」

 

 フェリが潤んだ瞳でハインを見上げる。

 

 その頬は温かさが戻ったせいか、わずかに紅潮していた。

 

「ありがとうございます。若様の温かさ、この身に染みました」

 

 フェリはそう言って、床に届くほど深く頭を下げた。

 

 ◆

 

 フェリは言葉にならないほどの感激に打ち震えていた。

 

 自らの主、ハイン・セラ・アステールは周囲から傲慢で冷酷、血も涙もない人物だと恐れられている。

 

 まあ限られた相手以外には実際そうなのだが、フェリの知るハインは違う。

 

 フェリにとってハインは誰よりも深く、そして優しい心を持っている。

 

 ──なぜ若様の優しさに気づかない者がこうも多いのか。

 

 フェリは常々、世間の評価と実像の乖離にそう疑問を抱いていた。

 

 先ほどの説教も、すべてはフェリの体調を心から案じてのこと。

 

 そして貴重な自らの魔力を惜しげもなく使い、フェリの体を温めてくれた。

 

 それは紛れもない、主から従者への慈悲だ。

 

 フェリの脳裏に遠い記憶が蘇る。

 

 失われた四肢を再生してもらった、あの日の光景が。

 

 フェリがまだ名もなき奴隷として闇市場で売られていた頃。

 

【挿絵表示】

 

 前の主人の歪んだ嗜虐趣味によって四肢を切断され、声を発することもできぬよう舌を抜かれ、ただ悍ましい欲望を受け止めるだけの肉人形に成り果てていた。

 

 自分が生きているのか死んでいるのかも判然としない、光の届かない絶望の日々。

 

 そんな彼女を気まぐれに買い取ったのが、他ならぬハインである。

 

 ハインはダルマ状態のフェリを見るなり、顔色一つ変えずにこう言った。

 

「ほう、これは興味深いな。デルフェン種か」

 

 その声には憐れみも同情も、あるいは嫌悪すらもなかった。

 

 あったのは珍しい玩具を見つけた子供のような、純粋な好奇心だけだ。

 

 そしてハインは躊躇なくフェリの体を弄り回し始めた。

 

「よし、こいつで試してみるか。粒理論を応用した再生の魔術だ」

 

 ハインはそう言うと、フェリを持ち帰り()()を始めた。

 

 彼はフェリを哀れんだわけではない。

 

 ただ、自分が構築した理論を実証するための、絶好の実験材料だと考えただけだ。

 

 なんというか、実に気楽なノリでフェリの体を研究対象としたのだ。

 

 失われた四肢の断面に手を当て、膨大な魔力を流し込む。

 

 そのたびに、フェリの体には想像を絶する激痛が走った。

 

「ふむ、なるほど。やはり粒子の配列が乱れているな。これを再構築すれば……」

 

 ハインはブツブツと専門用語を呟きながら、魔術の精度を調整していく。

 

「うるさいな。少し我慢しろ」

 

 声にならない悲鳴を上げ、悶えるフェリを、ハインは冷めた目で見下ろしていた。

 

 その態度は確かに傲慢で冷酷だったかもしれない。

 

 だがフェリの主観は全く異なっていた。

 

 彼女にとって、ハインは天から遣わされた神に見えたのだ。

 

 失われたはずの肉体が、主の御手によって少しずつ、しかし確実に再生していく。

 

 その奇跡を目の当たりにしてフェリは感謝の涙を流した。

 

 痛みはあった。

 

 だがそれ以上に、暗闇の中に差し込む一筋の希望があった。

 

 そして数日後、フェリの四肢と舌は完全に元通りとなった。

 

「ふむ、成功か。思ったより手間取ったな。まあ、いい実験になった」

 

 ハインは満足げに頷いた。

 

 絶望の淵から救い出し、人間としての尊厳と新たな生を与えてくれた存在。

 

 ──この方のためなら、自分は命さえ惜しくない。

 

 そう、心に深く誓ったのだ。

 

 ──若様は私の神。私の全て。

 

 フェリは主への忠誠を新たにする。

 

 ◆

 

 ハインとフェリに周囲の冒険者たちは厭な視線を向ける。

 

 なんだかイチャついて見える二人が単純に目障りだと感じた者もいたし、冒険者は遊びじゃねえんだぞと怒りを覚える者もいた。

 

 そんな中──

 

「おい、そこのガキ」

 

 低く、ドスの利いた声が騒がしいギルド内に響く。

 

 声の主は一人の巨漢だった。

 

 身長は二メートルを優に超え、丸太のように太い腕には無数の古傷が刻まれている。

 

 その風貌はまさに、百戦錬磨の猛者といったところか。

 

 男の名は“岩砕き”のボルガ。

 

 まあ十把一絡げの荒くれものだ。ノルンの男はこの手の荒々しい振舞いが美徳とされている。

 

 そんなボルガが、いかにもヒョロそうなハインに目をつけたのはある意味必然だった。しかも女連れと来た。

 

「てめえ、冒険者を舐めてるんじゃねえだろうな?」

 

 ボルガはそう言って、威圧するようにハインに詰め寄る。

 

 勿論、ハインはボルガのことなど視界にすら入れていない。

 

 ハインはボルガを、まるで汚物でも見るかのように一瞥すると、すぐに興味を失ったように視線を逸らした。

 

「おい、無視すんじゃねえ!」

 

 ボルガはさらに声を荒げる。

 

 だがハインはピクリとも反応しない。

 

「このガキ……!」

 

 ボルガは怒りに顔を歪め、その大きな掌を振り上げ、ハインの頭を鷲掴みにしようと手を伸ばす。

 

 その瞬間だった。

 

 ボルガの視界が一瞬にしてぐるりと回転し、暗転した。フェリがボルガの側頭部に痛烈なハイキックを叩き込んだのだ。

 

 何が起こったのか理解する間もなく意識を手放すボルガ──その間、実に0.2秒。

 

 周囲の冒険者たちは突然の出来事に何が起こったのか分からず、ただ呆然と立ち尽くしている。いや、蹴りを叩き込んだ後、残心するフェリの衣服の前衣に目を奪われていたのかもしれない。布の間から見えるか見えないかという部分は、どうにも男たちにとってはやや刺激が強い。

 

【挿絵表示】

 

 ボルガの巨体が、ドシンという鈍い音を立てて床に崩れ落ちた。

 

 呼吸をしている事からかろうじて生きてはいるようだ。だが完全に昏倒している。

 

 ハインはその光景をまるで当然のことのように見て、満足げに小さく頷いた。

 

 フェリの蹴撃はシャープで、キレがあった。これでいて体術の研究にも余念がないハインの目から見て及第点である。

 

 ボルガに起き上がる様子が見られない事を確認したフェリは、何事もなかったかのようにハインの前に戻り一礼した。

 

「若様、とどめを刺しますか?」

 

 声色は普段と変わらず、静かで淡々としている。

 

 だがやたらと物騒だ。

 

 周囲の冒険者たちが、ごくりと息を呑む音が聞こえる。

 

 その時だった。

 

「おう! てめぇ、初対面の相手に向かってなんて無礼を働いているんだ!」

 

 一人の男が、人垣をかき分けるようにして飛び出してきた。

 

 年の頃は四十前後だろうか。

 

 中肉中背でこれといった特徴のない、どこにでもいそうな平凡な中年男だった。

 

 男は倒れているボルガに近づくと、あろうことかその腹をガシガシと容赦なく蹴りつけ始めた。

 

「この馬鹿野郎! 俺がいつも言ってるだろうが! 人様に迷惑をかけるなって!」

 

 男はそう怒鳴りながら、さらにボルガを蹴り続ける。

 

 その様子はまるで出来の悪い身内を叱りつけるかのようだった。

 

 そして、男はハインの方を振り返り、腰を九十度に折って深々と頭を下げた。

 

「申し訳ありません! こいつは私の仲間なのですが、どうにも酒癖が悪く、粗暴な性格でして。どうか、この場は私の顔に免じて許してはいただけないでしょうか」

 

 ハインは暫く中年男を眺め──

 

 ──まあ、こいつは暫定的に人間として扱ってやるか

 

 と決める。

 

 男が媚びたからではない。小人(しょうじん)なりに考えを巡らせてこの場を収めようとしたことを評価したのだ。男は仲間であるボルガをかばうのではなく敢えて蹴り飛ばす事で、ハインから下されるであろう致命的な罰を前払いしたのである。

 

「良いだろう」

 

 ハインは短く答えた。

 

「その劣等を連れて行け。しっかり言い聞かせておけよ」

 

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 男は何度も何度も頭を下げながら意識のないボルガを軽々と担ぎ上げ、足早にギルドを去っていった。

 

 去って行く男の背を見送るハイン。

 

「この北の地にも使()()者がいるようです」

 

 そんなフェリの言葉に、ハインは軽く頷きながら「まあ、準劣等といったところだ」と返すのだった。

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