※この作品はR-18です。

悪役令息はママが好き   作:埴輪庭

155 / 167
霜花連環

 ◆◆◆

 

「フリゴステーラ・セレスティルオー・グラーゼホリズン・モルトジェ・ラータ──冷威に満つる氷の女王よ、白き抱擁をかの者に齎せ! 極零烈凍氷殺陣(フリゴステラリオン)

 

 十二公家の一、エーデルヴァイス公爵家に伝わる血継魔術は戦術級の大規模氷結魔術である。地脈から魔力を吸い上げ、広域の氷結領域を創りあげるのだ。この魔術は領内の魔境に対しては千年の盾として機能してきた。それを戦場に向ければ何が起こるか──答えは即ち、二里四方が一個の極北となる。

 

 空気が固まる。

 

 地表に薄い霜が刹那で這う。霜は瞬く間に厚みを増し、やがて氷の鎧となって地面を覆っていった。風は凍りつき雲は降りてきて霧氷の柱を編む。気温は数秒のうちに摂氏マイナス八十度の領域に達した。

 

 その中で、獣どもが咆哮していた。

 

 バゼンフェルド公爵家の兵は精強である。当主ハロルド・セラ・バゼンフェルドの血継魔術群れの王(レギオラ)により、彼に従う者は皆その肉体に獣性を引き出された存在となる。瞳孔は縦に裂ける。嗅覚は十里先の鉄の匂いを嗅ぎ分け、四肢の筋繊維は爆発的な瞬発を獲得する。一個の群として戦場を奔るその姿は、過去五十年帝国の最強兵団と評されてきた──が、獣には獣の弱点もある。

 

 生物として基本的な真理だ。通常、生身の獣がマイナス八十度に投げ込まれて何が出来るか。鼻腔の毛細血管が凍りつく。舌は口腔に貼りつき、肺胞は冷気を吸う度に内側から裂けていった。爆発的瞬発を担うはずの筋繊維は収縮し、関節の滑液は氷の砂となって軋みを上げる。

 

 獣兵らは膝をついていった。膝をつく前に倒れる者もあれば、倒れる前に立ち尽くしたまま凍りつく者もあったがただ一人、群の中央にあって膝をつかぬ男がいた。

 

 獣王ハロルド・セラ・バゼンフェルドである。

 

 六尺余の長身が氷霧の中に屹立している。獅子のたてがみを思わせる赤銅の髪は霜に縁取られて白く煌めき、顔貌に刻まれた幾筋もの戦傷は凍えた血で青黒く染まっていた。革鎧の継ぎ目から白い吐息が立ち昇り、その吐息さえも生まれた瞬間に氷の結晶となって肩へ降り積もる。

 

 ハロルドは笑っていた。

 

 声は喉の凍結を強引に砕いて出てきた。発語のたびに口腔の粘膜が裂ける。血が湧き、その血が顎を伝う前に凍りついた。男はそれを意にも介さなかった。

 

「──ふっ、ふははは。エーデルヴァイス。エーデルヴァイスかッ」

 

「ええ。エーデルヴァイスです、ハロルド殿」

 

 霧氷の彼方から声が応じた。

 

 ヘルミーネ・イラ・エーデルヴァイスである。

 

 四十六歳の長身の女がただ一騎、白馬に跨って氷原を歩んでくる。銀灰の髪は無造作に結われ軍装は金属一つ装飾されていない実用一辺倒の意匠であった。腰には細身の剣を一振り。それだけだ。彼女の後背に列する自軍は遥か後方の丘に控えており、この場には彼女と凍えゆく獣王の群しかない。

 

「これが──北の壁の流儀かよ。獣を一頭ずつ仕留めるのではなく、群れごと凍らせて殺すか」

 

「貴公の獣を一頭ずつ仕留める手間を負わせて差し上げる謂れはありません」

 

「ぬかしおる」

 

「貴公の獣は精強だ。私の兵を獣として相手にすれば、いずれ削り合いとなり双方無傷では済まなかったでしょう。私は私の兵を一人たりとも貴公の牙にかける気はない」

 

「それで──群れごとか」

 

「ええ。群れごとです」

 

 ハロルドは哄笑した。哄笑のたびに肺の中の毛細血管が破裂していくのが自分でも分かる。だが男は止めなかった。止める意味がなかった。

 

「相性の問題だな。我が魔術の(しょう)は獣。貴様のそれとは酷く相性が悪い」

 

「左様。魔術とはそういうものでありますれば」

 

「ふん……。滾る獣気もここでは萎み、萎えてしまうか。ならば人として戦う他あるまい。それにしても貴様が帝国を裏切るとは」

 

「帝国への忠誠はあります。しかし、それはかの毒花に対するものではありません。貴殿も我々になびけばあたらこんな所で屍を晒すことなどなかったものを」

 

「帝国を想うなればこそ、か。儂のそれとは流儀が違うようだ」

 

 獣王は剣を抜いた。

 

 刃は既に凍りかけ、抜くと同時に鞘の内側に張りついていた霜が砕けて舞った。長大な両手剣である。常人ならば構えるだけで膝が砕けるであろう重量をハロルドは片手で正眼に据えた。

 

「最後の一合だ、エーデルヴァイス。獣王の最後の咆哮、受けてみよ」

 

「お受けしましょう」

 

 ヘルミーネは細身の剣を抜いた。鞘から離れた瞬間に刃の表面へ薄青い霜花が結晶し、剣そのものが一個の冷気の刃と化す。

 

 二人の間合は二十間。

 

 ハロルドが地を蹴った。

 

 ・

 ・

 ・

 

「お見事です、ハロルド殿。獣王の名に恥じぬ一閃でした。しかし獣ではなく、人としての貴殿ならば大して怖くはないのです」

 

 ヘルミーネが囁いた。

 

 同時に、ころりと。

 

 ハロルドの首が雪上に落ちていた。

 

 ハロルド・セラ・バゼンフェルド、享年五十二。

 

 帝国十二公家の一角がここに崩れた。

 

 氷原に風が戻り始める。

 

 戻った風は獣の屍を撫で、白く凍りついたたてがみを優しく揺らした。

 

 ◆◆◆

 

 帝都ガイネスフリード、宰相府。

 

 夜更けだ。回廊の灯はとうに半分まで落とされ、執務机の油灯が一つ、書類の山を頼りなく照らしていた。卓に着くのは宰相ジギタリス。淡い金髪を緩く結い、報告書を睨みつけながらなにやら難しい顔をしている。

 

 ──南部で不穏の動きあり、か

 

 南部の十二公家はリンドブルム公爵家、およびグラオス公爵家が二大勢力圏を築いており、ジギタリスとしては『水龍公』と名高いリンドブルム公爵にグラオス公爵家を抑えさせる心算であった。

 

 扉が叩かれる。

 

 通常の叩き方ではない。乱打の一歩手前だ。

 

「閣下、急使にございます」

 

「お入りなさい」

 

 書記官の背に縋るようにして男が入ってきた。否、入ってきたというより倒れ込んできた。革の脚絆には凍傷の黒い斑が浮かび、唇は紫を通り越して鉛色である。咳き込むたびに血の混じった泡が顎を伝う。北方より馬を継いで馳せてきた者の姿であった。

 

「ご報告……北方軍より……」

 

「ええ、聞きましょう。落ち着いてね」

 

 声は柔らかい。柔らかいというより、緩い。獲物に逃げる隙を与えるための柔らかさである。

 

「ザンデルホルム平原。十二日未明、エーデルヴァイス軍と接敵。一刻のうちに……」

 

 伝令は震える手で書状を広げ──。

 

「……バゼンフェルド公爵閣下、戦死」

 

 と告げる。

 

「……続きを」

 

「……バゼンフェルド公爵閣下、戦死。本軍は壊走の体にて領都ザクセンへ撤退中の由」

 

「そう。エーデルヴァイス公爵家が動くのはもう少し先だと思ったのだけど──」

 

 北の蛮族を焚きつけ、物資を融通し、エーデルヴァイス公爵領との紛争を激化させたのは他ならぬジギタリスである。三公に対する策の一つであった。時間を稼いでいる間にオルケンシュタイン山脈周辺を支配する『人形遣い』カリステ公爵をあてる──そういう算段だったのだが。

 

「血継魔術で一気に殲滅したのね。でも彼女の魔術は地脈から大きく魔力を吸い取る。多用すれば土地が枯れ、民が飢える。彼女の性格を考えれば民をあたら飢えさせるような事はしないと踏んでいたのだけれどね。少々覚悟の程を見誤ってしまったわね」

 

 溜息混じりに呟くジギタリス。

 

「でもバゼンフェルド公が斃れた事で大きく軍を動かす大義名分ができたわね」

 

 とても好材料と言えるようなものではないが、それでも──局面を動かす(くさび)ではあった。

 

 




セラは男の貴族
イラは女の貴族
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。