※この作品はR-18です。

悪役令息はママが好き   作:埴輪庭

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捨石

 ◆◆◆

 

 離反した三公の掲げる反旗がいかに堂々たる名分を纏おうと、戦というものは煎じ詰めれば数の問題へと行き着く。

 

 エーデルヴァイスの氷もシュヴァルツの影もグラオスの蓄えも振るう手が足りねば絵に描いた餅に過ぎない。ゆえに三家はそれぞれの版図へ兵を募る触れを回した。人間の郷士はもとより、領内に暮らす亜人たちにも等しく召集の声がかかっていた。

 

 ()()()()()において、人種序列法に締め上げられた亜人たちがこの召集へ雪崩を打って応じた事は先に語った。尖兵の宿命として最も手前の塹壕で最も早く土へ還り、三家が勝者となった頃には彼らの村のいくつかが老人と寡婦ばかりになっていたという。

 

 だが今度の戦はその筋書きをなぞらなかった。

 

 三公の触れに対する亜人たちの返事は不気味なほど鈍かったのである。

 

 理由は帝都にあった。より正しく、は帝国宰相ジギタリス・イラ・マリシアの政策転換にあったというべきか──。

 

 ここ一年ばかり、人種序列法の運用をそろりそろりと緩めていた事に注意深い者は気づいていた。耳税の取り立てには目こぼしが増え、力役の割り当ては目に見えて軽くなり、夜歩きを咎める衛兵の姿も減った。

 

 締め上げる手がわずかに緩めば人は息ができる。息ができる者はわざわざよそ様の戦場まで死にに出かけようとは思わない。

 

 帝都に暮らす亜人たちはもはや弾圧されているのではなかった。せいぜいが少しばかり冷遇されている──ただそれだけの身の上に落ち着いていた。

 

 さらに言えば、今後はさらに政策が緩和されるという話まで流れてきている。

 

 頭を抱えたのは三公だ。

 

 彼らは当然のように本来の歴史と同じ枚数の駒を勘定へ入れていた。亜人という名の、安価で従順でいくらでも替えのきく駒を。ところが盤を見れば、置いたはずの駒の半ばがいつの間にか盤上から転げ落ちてしまっている。ヘルミーネは届いた徴募の報に目を通すと、その数字の貧しさにしばし沈黙した。やがて「人とは安寧を覚えると存外に動かぬものだな」と独りごちたと伝わる。南西の古狸クラウスに至っては当てにしていた亜人兵の不足を家訓ひとつで呑み下した。曰く、勝つよりは負けぬ事だ、と。

 

 ◆◆◆

 

 ところでアステール公爵家という帝都屈指の名門は、先代当主ダミアンの時代にその家名に糞便を塗りたくるが如き凋落を見せていたのだが、ここ最近は随分と挽回したようだ。

 

 方々からの借財も大分返済が進み、アステール公爵家との取引を避けてきた商人たちも大分戻ってきた。

 

 さらには──。

 

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 帝都ガイネスフリードの商業区に白鷺館という館がある。

 

 料理屋と呼ぶには気高く、社交場と呼ぶには静かに過ぎる。選ばれた貴顕のためにだけひっそり門を開く一種独特の場所だ。ここの主人はどの公爵家にも商会にも属さず、ただ己の出す膳と座敷の格式だけを売って世を渡っている。つまりは誰の縄張りでもない。

 

 話は数日前に遡る。

 

 アステール公爵邸へ一通の丁重きわまる書状が届いた。差出人はサルカイ商会、用件は是非とも奥方様にお目通りを願いたいという商談の申し入れである。書状の末尾にはもう一つ奥ゆかしくも切実な願いが添えられていた。願わくば御子息ハイン様にも御同席を賜りたく、と。

 

 公爵家ともあろう家が一介の商人風情と会うのにこちらから出向く道理はない。用があるなら邸へ呼びつければ済む。それが世の習いというものだ。

 

 ヘルガも当然そうしようと考えたが、老執事グラマンはそれに否を唱えた。

 

 理由は屋敷へ商人を招き入れればアステール公爵家がこの商会を引き立てたという事実が形になって残るからだ。残れば必ず嗅ぎつける鼻がある。つい先頃まで公爵家の喉元へ債務の縄を巻いていた、あのクラウゼヴィッツ商会あたりの鼻が。帝国最大の商業連合体を無用に刺激するのは賢明とは言えない。さりとて申し出を無下にすれば、せっかく差し伸べられた手を払う事になるし、余計な敵を作る羽目にもなる。

 

 結句、こういった形へと落ち着いた。

 

 かくして白鷺館の二階の一間はまるごと一人の商人に貸し切られる事となった。

 

 ちなみに当のハインは商人風情と食事を共にするなど虫唾が走る──という顔を隠そうともしない。が、それでも母上が御自ら出向かれるというなら、と納得した。

 

 ◆

 

 卓の向こうで母子を迎えたのはリキュウ・サルカイその人である。

 

 この男は一代で身を起こした生粋の平民だ。サルカイ商会を帝国有数の身代にまで育て上げた傑物だが、見てくれはおよそ豪商らしくない。脂の乗った福々しさとも成金じみた華美とも無縁の、枯れ枝めいて痩せた初老の男だ。頭髪は綺麗に剃りあげており、商人というよりは僧に見える。

 

 食事は豪奢を尽くしていた。南の港から取り寄せた香辛料の効いた獣肉の炙り、北の湖でしか獲れぬという銀鱗の魚を氷で締めた一皿。それを運ぶのが揃って亜人の給仕だというあたりにこの男の抜け目なさが透けて見える。

 

 一通りのもてなしが行き渡り、世間話の角もほどよく取れた頃合いであった。ヘルガは率直に切り出した。

 

「サルカイ殿。本日のお招き、まことに有難く頂戴しております。ですが──なぜ今になって、当家の御用を望まれるのでしょう?」

 

 リキュウは痩せた頬にゆるりと笑みを刻んだ。

 

「奥方様は近頃の帝都で何が最も貴顕がたの心を騒がせているか、御存知でいらっしゃいますか」

 

 ヘルガは小首を傾げ、「宰相殿の政策転換についての事かしら」と答える。

 

 いいえ、とリキュウは懐から袱紗の包みを取り出し、卓の上でそっと開いた。現れたのは一つの留め金である。外套の胸元を留めるだけの、何の変哲もない金具だ。ただし、ここから先が尋常でない。地金は魔銀と灼金を溶かし合わせた合金で、継ぎ目という継ぎ目がどこにも見当たらない。一個の金属塊を神が指先で撫でて削り出したかのような滑らかさであった。

 

 表には蔦の文様が彫られているが、その線の一本として淀みがない。紛れもない、達人の業である。

 

「これに帝都の物好きどもがいかほど積んだか、お聞かせするのは野暮でございましょうな」

 

 ここ半年、これに類する品が市中へぽつりぽつりと姿を現し、現れる端から法外な値で購入されていった。宝石をあしらった指輪や首飾りもあれば、この留め金のごとく石ひとつない素朴な金物もある。作風はてんでばらばらで、贈り主の名も作者の銘もどこにもない。共通するのはただ一点、極めて高い完成度と、その完璧の片隅にほんの僅かな違和感を残す奇妙な未完さだけであった。

 

 色合いがわずかに外れていたり、寸法がわずかに詰まっていたり。目利きの中にはその「外し」をこそ作者の証と崇め、いっそう値を吊り上げる手合いまで現れる始末である。

 

「私はこれを追いました。商人にとって物の出所をたどるのは息をするより容易うございます。質に流れ店を経巡り、幾人もの手を遡った糸の先は──アステール公爵邸の、裏門に突き当たりましてございます」

 

 リキュウの調べは正しい。この男は紛れもなく猟犬なのだ。優れた猟犬は獲物の匂いを正しく嗅ぎ取る──が、彼の鼻をもってしてもついぞ嗅ぎ当てられなかった事が一つだけある。

 

 あの留め金も市中を煮え立たせた指輪も首飾りもことごとく、この世にただ一人を喜ばせるためだけに作られた品であったという事である。「母上には相応しくないな」と映ったがゆえ、作り手の手から塵芥同然へ放り出された()()()()()ばかりであった。

 

 ことの起こりは母の日に遡る。ハインが母への贈り物を求めて宝石を磨き、金を捏ねくりまわし、納得のいかぬ試作の山を己の部屋に築き上げていたあの時期だ。

 

 ()()()()()がどこへ流れて誰の指を飾ろうと、知った事ではない。

 

 本来の歴史のハインは生涯にただの一つも細工物を作らなかった。喜ばせたい相手など、この世のどこにも持たなかったからである。母の手のぬくもりを知らぬ怪物の指はただ人を挽き潰す術しか覚えなかった。だがこの世界の同じ指は母へ捧げる留め金を彫る事を覚えてしまった。覚えてしまったがゆえに、その失敗作が今こうして帝都じゅうの欲深い掌の上で奪い合われているという寸法である。

 

 当の作者はといえば、卓の上でうやうやしく捧げ持たれた己の留め金を一瞥し、心底どうでもよさそうに口を開いた。

 

「それは俺が作ったものだ。母上への贈り物の失敗作だな。捨て値で処分させたはずだが──そのような物を後生大事に抱えているとは、大商人の目というものも随分と節穴らしい。それにしても、俺の()を母上に見せるとは貴様、中々舐めた真似を──」

 

「こら! 申し訳ありません、リキュウ殿……その、ハインは少々、その──」

 

 ヘルガは困り切った表情でリキュウへ謝罪する。それを見てはハインも己がしくじった事を察せざるを得ない。

 

「も、申し訳ありません母上……。うむ、そうだな……商人。お前の持ってきた品はそこまで悪くはない……気がする。チッ! で、そんな、あー……そのようなものを見せて一体何をどうしたいというのだ……ですか」

 

「は、はあ。いえ、なるほど……ハイン殿の作品というわけですか……」

 

 リキュウはどうにも信じがたいという目でハインを見るが、ハインの目を見て虚偽ではないと判じた。理由はその目に何ら得意気なものがなかったからだ。

 

「そうなの? ハイン」

 

「ええ、まあ」

 

 ハインの返事はヘルガに対するものとしては珍しくそっけない。ヘルガはふと、ハインがまだまだ幼かった時分、おねしょを隠していた時の事を思い出した。

 

 視線がふと自分の左手へ落ちる。

 

 薬指に黒い指輪がはまっている。ハインが母の日と称して指へ嵌めてくれた品だ。漆黒の珠は周りの光を呑み、それを口に捧げ持つ双竜の意匠は今にも身じろぎしそうな生気を孕んでいる。妙に重いのを時折わずらわしく思いもするが息子がくれた物をと、ヘルガは嵌めた日から一度も外した例しがない。

 

 失敗作ですら、この騒ぎなのだ。ならば──と、ヘルガの胸を一つの問いがかすめた。会心の出来だとあの子があれほど誇らしげに私の指へ嵌めたこれはどれくらいの価値があるのだろう。

 

 ──そもそもこれは何でできているのかしら。

 

 その問いの答えをヘルガは知らない。隣で退屈げに頬杖をついている少年が母の指を飾るために己の胸から何を抉り出したのか──その珠の正体が当の少年の心の臓そのものであるなどとは、到底及びもつかない事であった。

 

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